| 医院名 |
|---|
| イリョウホウジンシャダンアイセイカイ コウザトイイン 医療法人社団愛生会 上里医院 |
| 院長 |
| クメガワ ヒロシ 久米川 浩 |
| 住所 |
| 〒762-0011 香川県坂出市江尻町836-5 |
| 診療科目 |
| 胃腸内科・内科・外科・麻酔科・リハビリテーション科 (訪問診療) |
| 電話番号 |
| 0877-45-8111 |
総理大臣がかわって
なんでだろう
総理大臣がかわって
まだ、なにもやっていない
にもかかわらず
野党の名だたる人々は
辛辣な意見を言っている。
私、高市新総理がすきでも
なんでもないのだが、
この、野党の人たちの
インタビューや書き込みが
予想通りの批判的意見であるのに
いつも違和感を持つ。
そう思いません?
女性初の総理おめでとうございます
頑張ってください。わが党も
頑張ってダメなものはダメ
いい政策は飲ませるぐらいの勢いで
頑張りますから
一緒にこの国をよくしましょう
ぐらい言やいいのに。
批判すればするだけ
ああ野党も変わってないな、
と思われるだけなのに、、、、
だいたい自分の周囲でも
物事に対して批判ばかりする
人間をみたら
いやけがさすでしょう。。。。
他人を批判するのはだいたい
自分を上げるために
自ら自分を持ち上げられない
から他人を批判して落として
相対的に自分を持ち上げようと
する人が多いから
そういう人を見たら引くのであって
器が小さい人だと
思うのだから。。。
政治家を見てもう一つ
〇〇党の〇〇党首なんかが
勢いよく強く発言しているのを
見ると
どうも引いてしまう。
(ホリエモ〇なんかの有名
人なんかも)
それは、なぜか、
それは、あまりにも自分の
信条に自信をもちすぎており
“この人、人の意見は聞かないな”
っておもうからだろう。
自分の近くにこういう風な人が
いたら引いてしまうし
話をしようと思わないでしょう。
(どうせ話しても聞いてくれないのが
わかっているから)
なんだかな~~~
我々も我々で、
政治に期待しているのは
自分の生活が楽になるよう
税金が安くなるよう
これから安心して暮らせるよう
という目の前のことだけ
自分の生活がきつくなっても
全国民が幸せになれば、、、、
なんて思っている人は
いりゃしない。
宣伝ばっかし
昔から、テレビを見ていたら
いい所で中断。
クイズでいうと
答えをほのめかしてから
コマーシャルが入り
我慢してコマーシャルが
終わるのをまっていたら
中断前の場面が始まり
そして答え。
どれだけ引っ張って
どれだけ時間稼ぎするんじゃい。
番組自体が以前より
面白くなくなっている上に
コマーシャル自体にも
昔の様な良さがない。
何かひねりがない。
昔のサントリーの子犬が
うろうろする宣伝や
華やかなコカ・コーラの宣伝が
懐かしい。


唯一見入るのは
トリーミージョーンズが出る
ボスのコマーシャルか

てなわけで意地でも
宣伝も答えも見ずに
その場を離れたりする。
テレビを見るのが嫌になって
ユーチューブを見たら
これもまた宣伝が入る。
ユーチューブで流れる宣伝は
短絡的なものが多く
好きでないし、
かといって課金して
宣伝を飛ばしたくない。。。
5秒なら待つが
時には60秒も宣伝が入るときがある。
音楽を聴いていたら
途中で宣伝が入って
興覚めしたりもする。
でも意地でもおじさんは
課金して企業戦略に乗らないぞ
それどころか
ネットでいろいろ見ていると
その記事を見るのでさえ
ショーもない宣伝を
みなければいけない様に
なっている。
宣伝見るぐらいなら
デマばかり流す
記事なんて見るかい!!
っと今のところ
意地を張っている
おじさんでした。
10月
我々の時代
10月といえば
衣替え、運動会、遠足
衣替え
中学、高校といえば、
なんとなく、いろいろな意味で
色気づく時代。
10月になると
夏服、シャツから冬服OKの
衣替えの時期。
昔といえども10月といえば
朝は、丁度いいが、昼には汗ばんでしまう。
でもなんとなく、冬服の方が
男子はかっこよく
女子は色っぽくみえて
無理してきていた気がする。
(反対にいつまでも半袖でやせ
我慢するやつもいたが)
いまから思えばかわいい時代。
しかし、今はとても暑くて
どんなに我慢しても冬服を
着る気温ではない。。。。
運動会
今では、10月に運動会と
いう時代ではなくなったが、
私のころは
東京オリンピックのあった
10月10日前後が
いちばんいい季節
朝はやや肌寒く、昼はやや
暑く、片付けをする夕方には
やや肌寒く、お祭りあとの
寂しさがあった覚えがある。
なんせ、運動会系には自分を表現する
場所だったから。
(ちなみに1964年に
10月10日に東京オリンピックが
決まったのも気温のことを考えたり
天気がいい日が多かったから)
いまでは、10月10日に
運動会なんかしたら
熱中症になりそう。
余談だけれども
最近あった世界陸上で
クシコスポストや道化師のギャロップ
のBGMを流したら
日本選手もっと早く走れたんじゃ
ないかな~~~とおもったりした
だって、彼らは子供のころは
絶対運動会のヒーローだったの
だから。。。。。
しかし、
よく考えたら
今の若い子はそんな曲
運動会で流されていなかったか???
それがおわって
遠足。。。。
なんか子供の頃の10月を
思いだすと
夏休みがおわって、
9月は運動会の練習をして
10月は運動会で
そして遠足、
なんか勉強わすれて浮かれていると
遠足がおわると
肌寒い風とともに
中間試験がはじまり
体育会系には
寂しい、くらい季節が
始まった様なきがするな~~と
じじいは
また、季節感がいっぱい
あったころの10月を
思い出すのでした。
集中力の欠如
ああ、
年を取るというのは悲しい
もので、
一つの事を集中してすることが
できない。
こんな小さな診療所でも
やらなければいけない
ものは山積みで。。。。。
以前ならやらなければ
いけないことが
ABCDEと5つあったら
Aから順にかたずけていったのだが
どうも一つのことに
長く集中できない。
Aをやってあきたら
途中でBをして
あきらたCをして、、、、
AからEまで少しずつ
順繰り順繰りやって
どうにか終わらせる。
(時間がかかるのだが)
Aから順に片付けようとしたら
Aの仕事の後半は、
集中力が途切れて
時間がかかるか
いい加減になってしまう。
Aが終わると異常につかれて
一旦やすんでからでないと
次にいけない。
本や論文を読むときも
何冊かを平行して
読む様になった。
最近は、朝、毎日
病院周囲の掃除をしているのだが、
それでさえ
毎日、雑草をぬいて
あきたら木をきって、
あきたら花壇の工事をして
次の日になると
昨日の続きの
雑草ぬきをして
木をきってという次第。
幼いころ時間をわすれて
模型をつくったり
絵をかいたり
ゲームをしたり、本を読んだり
していたころが
懐かしく、うらやましい。
今でも
ネットで興味を惹かれることが
あったら、まばたきせずに
目が乾燥するぐらい
集中して見ていることもあるのだが、
結局、
次の日のことをかんがえて
夜更かしもしない
(夜更かししたら
次の日の仕事にさしさわるから、、、、)
土曜日でさえ
生活のリズムを崩さぬように
いつも通りに寝たりする。
これが年齢というものか?
体力の低下というものか?
あー何かに
眠るのも、食べるのも
わすれて興味あるものに
集中したい。
ロバートレッドフォード
が最近なくなった。

60年代から70年代にかけての
アメリカを代表する
ハンサムなスターだった。
そのころの
ハリウッド映画は
輝いており
映画好きには
何かハリウッドの映画自体が
消えてゆく感じを覚えた。
そして
”レッドフォードでも死ぬんだ“
という変な感覚を覚えた。
他の映画俳優の死とは
違う感覚をおぼえたのだ
私の好きな映画俳優でいうと
ロビンウイリアムスがなくなった時は
“あーもう彼がでる新しい映画は
ないのだなーって“
思ったし

と思った。

(ブルースウィルスも認知症で
今、大変なようだ)
日本の俳優でいえば
最近なくなった
露口茂さんは
ずーっとテレビにでていなかったので
頭の中ではとっくの昔に
亡くならせていた。

世界陸上
このところ毎日
テレビで世界陸上をしていたが、
(9月17日に書いてます)
テレビでは
口が裂けても言えない
ことだけれども
皆がおもっていることは、
黒人の血がなければ
世界と戦えないのかな。。。
今の夜の中
心で思っても
口に出せないこと。。。
でも、実際
黒人は、黄色人種より
背が高く、足も長い、
医学的に言えば
速筋や遅筋
(速筋は瞬発力のある筋肉で
遅筋は持久力のある筋肉)
の割合が多い人種が存在する。
アキレス腱が長い。
特に短距離は、
かなり有利になる。
あの人口が15億人ちかくいる
中国で英才教育しても
なかなか、陸上で
世界と戦える選手が出てこない。
さらにもう一つ
日本人は、緊張する
遺伝子をもつ人間が多い。
それを思うと
大谷選手はすごいな。。。。
ただ、一つだけ
うれしかったのは、
110mハードルの
村竹ラシッド選手と
400mの
佑気ジョセフ選手の
試合後の
コメントが
きわめて日本人らしくて
ホットした。。。。
のは私だけ????
それにしても
ヨーロッパの国の選手も
黒人選手がおおいな。。。。。
(あくまでも
心の中で思っていることなんですが)
毎日、毎日
暑い日がつづきますが
皆さん、いかがお過ごしでしょうか
気象庁のデータを見たら
今の気温というのは、
私の子供のころでいうと
2週間遅れぐらいの気温の変化がみられる。
つまり今日、9月14日の気温の状態は
5、60年ほど前の
8月の終わりから9月の始まりの気温
という感じ。
お彼岸や中秋の名月のころに
朝、夕に涼しさを感じた頃が、
懐かしい。。。。。
10月になると衣替えで
学校も冬服が始まり、
体育の日の運動会の時は
もう皆、冬服だった。。。。。
爺になるとどうしても
ダメとおもいつつノスタルジックに
なってしまう。。。
なぜ、ノスタルジックになるのか、、、
私が思うに一つは
夢
子供のころに、
将来にいろんな夢を抱いて
生きていて、
年とともにそれが1つづつ
消えてしまう。
つまり年齢、環境でできなくなって
しまう。。。
たとえて言うなら
野球選手になりたいとか
東大に入りたいとか、
年とともに1つづつ消えてゆく。
そしていまでは、その中で
いくつ残っているだろうか。
2つ目にはその逆で
あれをしてみたい、これをしてみたい
とか、
単純に言えば、たばこを吸いたいとか
パチンコしてみたいとか、
ひとつづ経験して
どれもこれも
想像以上につまらないもの。。。
と消えてゆく。
3つ目にゆうなら
この年になったら
体力的、年齢的に
できなくなることが増える。。。
体力とともにやろうという
気力がなくなる。。。。。
そんな、こんなで
昔の世界を懐かしむのだろう。
そういえば65歳になると
ジェットコースターなんか
年齢制限でのれなくなる??
なんて、
秋はやっぱり
鬱傾向になる。。。。。
もう12年目
私、上里医院にきて
この9月ではや12年目に突入いたしました。
上里先生に“10年はがんばります”と
いったら
“そういわずにずっとやってください”
といわれたことが
本当に昨日のような出来事だった。
10年ひと昔といいながら
はや12年
いろいろ軌道にのって
おちついたら
6年目の2020年に
新型コロナで全てが一転。
それからはいろんな意味で
大変な日々を送っております。
この12年間で
病院を休んだのは、
学会に行った数日と
白内障の手術で休んだ2日と
わけのわからん感染症にかかって
休んだ3日ぐらいで
ほぼ皆勤賞。
それにしてもこの年になったら
12年とは早いもの
しかし
12年といえば小学校1年生が
高校3年生になっている。
一人前の医者になるのには
最低10年かかるといわれて
もうその4倍医者をしている。
短い様で長いもの
長い様で短いもの
毎日、ほぼ同じ時間帯に
通っているので、
朝、道端で健康のために
あるいたり、走ったりしている
同じ人を毎日見かけるが、
としをとって
歩く姿がおぼつかなくなったり
もう、見かけなくなった人さえ
いる。
この病院は、というか
坂出は高齢者の人がおおいから
上里先生の時から見ている患者さんさえ
はや3分の1ぐらいの人は
なくなったり、施設にはいったり
している。
子供だった患者さんも
社会人となり、
バリバリ働いていた人も
リタイアしたり、
やはり12年は長いのか。。。
それにしても
現実的に今一番困っていることは
いろいろな機械や設備が
10年以上たって片っ端から
やばくなってきていること
来た時は10年で買い替える
余裕を作っておこうと思っていたのだが、、、、、
この物価高もあいまって、、、、、
と、高齢者になった私は
秋の気配とともに
思うのです。。。。。
秋の気配
これだけ残暑というか
酷暑がつづいているにも関わらず
空を見上げ、
朝日や夕焼けをみると
なぜか夏の終わりを感じさせる。
空には飛行機雲が見える様になり
(これは、上空の空気の
温度が低下したということ。)
入道雲が出るのだが、
空を見上げると
青々とした雲に単独で
入道雲がでるのではなく、
筋雲やうろこ雲を背景に
入道雲が出る様になった。
夕方、毎日、日が沈むのが
早くなるのを感じ
(この時期、秋分の日周辺の
日の出、日没の毎日の時間変化が
早いので。)
(その理由は、地球の軸の傾きが
原因なのだけれど詳しく話すと
長くなるので省略)
(だから秋の夜はつるべおとし
といわれる)
それとともになにか
寂しさを感じる様になる。
だが、ここで大きな疑問が、
一つ。
なんで、
こんなに憎いぐらい
暑い夏を惜しみ、
今からやってくる
涼しく過ごしやすい秋が
やってくるのに、
それも、実りの秋がやってくるのに
なぜ、一応にみんな寂しさを
感じるのだろうか。
学生ならまだわかる。
長い夏休みが終わるのだから。
じじいの若い時代の感覚でいえば
松任谷由実の”晩夏“や
山下達郎の”さよなら夏の日“を
はじめ
夏の日が過ぎるのを
悲しむ歌ばかり、
チューリップやオフコースにいたっては
夏の恋がそこで終了し、失恋して、
秋は寂しい、、、という歌が多い
”秋の気配“なんかその代表。
あー女々しい!!
(いかん、差別用語だった)
原始時代でも絶対
夏より食べ物が多い秋の方が
よかったと思うのだが、、、、
まちにまった秋が来た
という歌をほとんど聞いたことがない。
どうも、秋に哀愁を感じるのは
日本人だけではないらしく
これは人類の嵯峨なのか?
ただ、春夏秋冬がはっきり
している日本人は
特に哀愁を感じるようだ。
おそらく
よほど、人類は、夜が苦手で、
夜が長くなり始める秋が嫌いか
耐え難い冬が
来る気配がする秋が
よほど嫌で
遺伝子のどこかに
それが組み込まれたのだろう。。。
それにしても
もう今年も3分の2
終わってしまった!!!
(-_-;) 汗 (-_-;)
(-_-;) 汗
残暑お見舞い申し上げます。
残暑お見舞いもうしあげます。
毎日暑くてかなわん!
俺も高齢者の仲間入りしたから
毎日しんどくてたまらん!
皆さんもお体に気を付けてください。
これを
最近よく使う様になった
チャットGPTをつかって
いろいろな言い回しをしたらどうなるか
検証してみた
丁寧語にすると
厳残暑お見舞い申し上げます。
しい暑さが続いておりますが、
皆様におかれましてはご健勝に
お過ごしのことと存じます。
私も高齢者の仲間入りをいたしまして、
日々の暑さが身にこたえるようになってまいりました。
皆様もどうぞご自愛くださいますよう
お願い申し上げます。
謙譲語
残暑のお見舞いを申し上げます。
連日の厳しい暑さに、皆様におかれましては
いかがお過ごしでしょうか。
私事で恐縮ではございますが、
このたび高齢者の仲間入りをいたしまして、
日々の暑さが身にしみて
感じられるようになってまいりました。
皆様におかれましても、
どうぞお身体を大切になさってくださいますよう、
お願い申し上げます。
あ~~
敬語を使うと文章が長くなるんだ~~
でも、大事な文書を書くにはべんりかも。。。
ついで
讃岐弁で
残暑お見舞い申し上げます。
毎日、ほんまに暑うてたまらんわ〜。
わしも、ついに年寄りの仲間入りしてしもうて、
毎日がしんどいことこの上ないんよ。
みなさんも、くれぐれも体に気ぃつけてなぁ。
博多弁
残暑お見舞い申し上げます。
毎日、ほんと暑うてたまらんね〜。
わしも、ついに年寄りの仲間入りしてしもうて、
毎日がしんどうてしんどうて。
みなさんも、体に気をつけんしゃいよ〜。
筑後弁(久留米周囲の方言)
残暑お見舞い申し上げます。
毎日、たいぎゃ暑うてたまらんね〜。
わしもついに年寄りの仲間になってしもうて、
毎日がこらまた、しんどうてしんどうて。
みなさんも、体ば大事にして、
無理せんごと過ごされんね。
大阪弁
残暑お見舞い申し上げます。
ほんま、毎日アホほど暑うてかなわんわ!
わても、とうとう高齢者の仲間入りしてしもてな、
毎日がしんどてしゃあないねん。
みなはんも、ほんま体には気ぃつけてな〜。
ちなみに英語では
Wishing You Well in This Late Summer,
It’s been so hot every single day —
it’s almost too much to handle!
Now that I’ve officially entered the “senior”
stage of life, this heat is really wearing me down.
I hope you’re all staying safe and taking care of yourselves.
AIが優秀なのは
わかるが
どれもこれも
なんか少し違和感を感じるが、、、、
やはりAIはまだ
ニアンス的なことまでは
学習できていないかな。。。。。。。。
もっと勉強しな。。。。。。と思いつつも
どこかで少し安心した自分がいる。
昼間の運転はいらいら、、
私、車の運転が基本
好きではないので
他の人が信じられない様なところまで
歩いてゆく(半径5kmぐらいまでなら)
その一つの原因が、
が昼間や日曜日に
運転すること、
特にこの盆休みなどに
運転するのは非常にいらいらすることが
多いから。。。。。。。。
普段は、通勤だけ運転しているから、
通勤時間というのは、
大体、同じ車が、
その道路の状態を把握して
運転していることが多いので
わりとスムーズに進む
しかし、普段の時は、
他の車の運転にイライラすることが
多々ある。
その1
先の信号を見ないでゆっくり
運転していて
前の信号が変わり始めたら
直前で急にスピードを上げて
赤信号を突っ切る。
”お前だけ行くんかい!!“
その2
道路わきの左から
急に突っ込んできて
こちらもブレーキを踏まないといけないぐらいの勢いで
車列にはいってくるやいなや
信じられないぐらい
ゆっくり走る。
”急いでないなら
割り込みなさんな!!“
その3
片側2車線の道路で
わりとすいているのに
2台がほぼ並列で
同じスピードでずーっと
しかも、ゆっくり走っている。
“同じスピードで走るなら
どっちかの車線に入らんかい
後ろ、つかえとる!!“
その4
同じく片側2車線の道路で
スムーズに走っていて
(交差点でもなんでもないところで)
急にウインカーをだして
右側に曲がろうとする車
対抗車線も片側2車線だから
もちろんなかなか曲がれないで
後ろは1車線だけ渋滞。
“違う経路を通って左折するか
はよからウインカー出すかせんかい
この車線走ってそんしたやんかい!!“
その5
休日によくあるのだが、
何かを探しながら
ゆらゆら、スピードを上げたり
下げたりしながら
運転する県外ナンバー
“よー調べてから来んかい!!”
などなど、
ほら、昼間は運転しない方か
いいでしょ。。。。。
医療って複雑だ!!
私、が学生の頃
内科の講師が
廊下をとても大切そうに
小さな薬剤の液体が入った小瓶
を持ち運んでいたのを
今でも記憶している。
その薬、ウロキナーゼといって
血栓を熔解する当時は画期的な
薬でその小瓶だけで
100万円近くする
当時はまだ、臨床研究段階で
そんな高い薬が
存在するのだと
驚愕した覚えがある。
ところが、今やそれより
もっと高い薬がざらに
ある時代なのである。
私、自分で言うのもおこがましいが、
なんとも商売気が少ない
医者の一人で、
おそらく、医学に対しては
きわめて真面目な
おやじの影響を受けたのかもしれない。
昔は、薬局で薬を出していたので
薬をたくさん出すと
病院が儲かっていた時代があった。
(今は、薬局が儲かるのだが。。。)
そんな時代におやじは、
不必要な薬の投薬をしなかったので、
“あの病院は薬をだしてくれない”と
陰口をたたかれたぐらい。
私も無駄な検査をするのが
いやで
ある他の病院から移ってきた患者さんに
前の病院は毎回血液
検査していたのに
ここではあまりしてくれないと
いわれてしまったことがある。
(毎回検査してなにみるんじゃ!!)
以前もかいたが、
薬は、
1000円して10効く新薬と
100円で9効く旧薬があったら
年金暮らしのお年寄りには
どうしても後者の治療を選んでしまう。
大きな病院で
若いドクターに紹介して
もどってくると
新しい高い薬ばかりに
かわっていたりして
なんか、
やるせない気持ちになることが
ショッチュウある。
それも紹介状の返事に
新しい治療法をまだ知らんのか
と言わんばかりの返事を
ともなって。。。。。。。
閉口。。。。。。。。
最近。自分の患者さんで
大学病院で最新の治療を
している患者さんが
受診に来た。
使っている薬の一か月分が
なんと当院の一か月分の
収入ではないか。。。。
療は、点数制なので
公的保険が支払う医療費としては
その患者さんの1っか月の
薬代と当院に支払われる
医療費が同じなのである。
5人の職員全員で、
この物価高、
必死で節約して、
毎日時間外労働して、
夜中によばれて、、
毎日1円でも薬代を減らそうと
して。
毎日必死ではたらいている
職員たちの努力と
その患者さんの
1っか月の薬代(他の検査料
は入れずに)
つまり、
製薬会社に払う金
が同じ。。。。。。。。
いわば、
国からしたら
同じ価値。。。。。。。。。
そして、国は、そんな
我々には非常に厳しい。。。
少しでも病名の漏れや
いらん薬や検査をしたら
(いるけど保険を認めないもの)
ばっさ、ばっさ切ってくる。。
そして内科系のクリニックを
全国から激減さそうとしている。
1人の命の方が5人の生活より
大事といえばそれまでなのだが、、、、
ああ、なんだかむなしい。。。。
雑草、、、、、、
高齢者に毎日何をしていると
聞くと
半分は、テレビの番
半分は、草抜き
そんなに坂出は雑草がはえるんかい!
それが、生えるんです。
数年前までいろいろしてくれる
雑用の人を雇っていたので
雑草もこまめに抜いてくれいていたのだが
いま、退職されていて
雑草を抜く人がおらず。。。
ある日、病院の周りに雑草が生えているのに
気づき、これは、はしたない!と
思い、毎朝少しずつ抜き始めた。
雑草の雑草たるゆえんで
その生え方がすごい!!
少しでも土があれば
鬼の様に生えているではないか
道路の舗装の割れ目、
たてものとコンクリートの
ホンの少しの割れ目
溝のほんの1mmぐらいの
土のたまり、
植木鉢の下の1mm
もない土のたまり、
どこもかしこも
根性で根を生やしている。
また、これが抜けない!!
最大のものは、
のうぜんかづら
一か所、すごい繁殖しているところが
あるのだが、
冬に、乾布なきまでに剪定しても
夏になると山ほどおおきくなって
花を咲かせる。
アスファルトの間にはえると
それを持ち上げて生えてくる。
根が張っているので
抜けないから根本に近いところで
切っても数日たったら
もう葉が出てきている。
すごいやつだ!!!
それが、あちこちにばらまく
様に生えてきている!!
なんともなんとも。。。。。
毎日、酷暑なので、
朝、早いうちに30分ほど
毎日、雑草をぬいているのだが、
病院とデイサービスの建物の周囲
道路、駐車場(舗装していないところも)
これを入れると結構な面積。
8月が終わるまでに
全部抜けるかな。。。。。
おそらく一周したところで
最初に抜いたところが
また生えているのだろうな。。。
先生、毎日なにしているの?
ってきかれたら
草抜きって答えるかも。。。
くそが付くぐらい熱い
毎日、毎日、くそ熱いですが
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
わたし、高齢者?になったのと
この暑さで、なんとも
疲れ、だるさが取れないし、
例年になく、眠気がやってくる。
すぐ疲れる。
やっぱり年か⤵
毎年、毎年
血圧の薬を夏になれば
容量を減らす人が多いのだが、
(だいたい7割の人は夏になると
血圧が下がる。
逆に夏に上がる人が1割ほど
いるのだが、動脈硬化が強い人
がそういう傾向にあるといわれている)
今年は、減らす人が少ない!!
これは、暑すぎるからではないか
と勝手に考えている。
今年の季節的な特徴として
(あくまでも個人的な意見だが)
先ず、梅雨時期の気温が
以外と低かった。
その梅雨が突然、しかも
例年より早く終わったために
気温の変化に
体がついて行っていないのではないか。
人間も動物、
自律神経を調節しなければいけない。
体も温度への対応をしているのだが
その準備ができずに突然
暑くなってしまった?
例えば冷房を23度で設定したら
寒くてたまらない。
ところが、冬は23度もあれば
汗ばむほど温かさを感じる。
人間も動物。犬や猫が冬毛をぬけさせる
様に季節に備えている?はず。
それが、急に暑くなったものだから
ついていけない。
それも私が若いころの
7月より平均で2度から3度高い
(気象庁のホームページでしらべたら)
そのうえ、なんか湿度が高い。
梅雨の状態で暑くなったのではないか
というほど蒸し暑い。
いくら水を飲もうが、
汗が蒸発しなければ体温が下がらない。
湿度が高いとかなり体温が上がりやすい。
それが証拠に今年は
熱中症の人が多くやってくる。
こんな中、体調管理するのは
かなり難しい。
そんな中でもわたくし
夏になるとやっぱり太る。
今年も。。。。。。
この65年間
夏バテで、体重が減少したのは1回だけ
野生動物に近い私は、
体調が悪くなると
自然とたくさん食べて
よく寝るという行動が始まる。
こんなに、過酷な夏なのに
おそらく、また、
食いまくって、寝まくって
体重が増えるのだろうな。。。。。。
医師のいうことではないが、
夏バテの防止は、
体重を気にせず
食って寝ることですぞ!
そんなに覚えきらんわ!!
5月にコンピュータが壊れて
電気屋さんで買いなおした。
基本、だいたいが買い物は、
現金にこにこ主義の人なのだが、
(カードを使うと目の前の財布のお金が減らない
から、なんだか、無駄使いをしてしまうので)
さすがにそんなにお金の持ち合わせがなく
カードで支払うことにした。
ところが、4月からカードの認証は、暗証番号
だけでサインでは受け付けられないといわれ
。。。。。。?
暗証番号なんて覚えているはずがない。
使えるカードが2枚あったので
2枚で思い当たる暗証番号をいれたら
2枚目の2回目で何とか合ったので
事なきを得たのだが、、、、、
だいたい、マイナンバーカードや
コンピュータやなんやらで
暗証番号が多すぎる!!
それも、暗証番号設定で
同じ番号にするなとか
誕生日を使うなとか
大文字を入れろとか
英数字と数字を組み合わせろとか
全部設定がちがっってくるから
おのずと暗証番号が
バラバラになってしまう。
しょっちゅう使うものなら
いざ知らず、
たまに使うものなんて
覚えているわけがない。
クレジットカードや
ましてやマイナンバーカードの
暗証番号なんておぼえているわけがない。
ああーーーーー
不便!!!
それからもう一つ。
先日、学会の参加の支払いを
しようとしたら
カード払いのみだったので
コンピューターで
支払いを使用としたら
セキュリティーが上がって
SDセキュアちゃらなんちゃら
で支払いができない!!
このSDセキュアてつづきに
一苦労。
だいたい、支払いやなんやらで
いちいち
長い文章でいろいろ
規約がかいてあって
これに同意しますか?て書いてあって
同意しなければ次に進めない。
めんどくさい手続きをするのに
このわかりにくい
長い同意書を十分読むわけがないし
相手側もそれを見越している。
なんか詐欺にあっている気分。。。。。
いろいろな部門で
人件費の節約?で
すべてが自動化している。。。
そのうえで、
人と人との対面がへっているし
それに付け込んだ詐欺が
横行しているので
それまでの手続きが
どんどん複雑化している。
今はなんとか
くらいついているが、
これ以上、年をとったら
絶対ついていけない!!
おじさんは、やっぱり
人と人との対面の
アナログがいいな~~~
上里の法則?
私もこの病院に来てもう
11年になろうとしている。
上里先生には、
10年は頑張りますと
いったが、もう10年
とっとと
過ぎてしまった。。。。
この病院に来て、いままでと
違うことは、多くの高齢者を
診ていること。
高齢者を多く見るということは
多くの認知症の人を見ているということ。
この、認知症の人達を見ていて
ずっと思っていたが、
最近、確信している
ことがある。
(ここで、書くと、いろいろ
さしさわりがあるので
なかなか書きずらいところも
多いのだが。。。)
夫婦で診ることも
よくあるのだが、
先ず、ご主人の方が年上の
夫婦がほとんどで、
と、いうことは、
平均年齢からいって、
ご主人が先になくなることが多い。
しかし、比較的、早くから
どちらかが認知症になるという
ケースが多々見られ、
その場合、
夫婦ともご健在のケースが、
多々見られる。
比較的早くから、双方とも
認知症になるケースは
まれで
もちろん
ご主人の方が年齢が上なので
ご主人が先に認知症になる
ケースが多いのだが、
逆のケースもたまに見られる。
このたまに見られるケース
では(奥さんが先に認知症になる)
ある特徴がみられることが多い。
ことに気が付いた
もともとが亭主関白なのか
先ず、奥さんを診察するときは
一緒に診察室に入ってくるケースが
多く、奥さんに対して
結構、強い口調て
〇〇しなさい、とか
そうじゃないでしょ
とか指導する人が多い。
日常もどうも〇〇しなさいとか
いろいろ、させていることが多くみられる。
裏をかえせば
奥さんが認知になったことを
認めていないで
行動を叱責している様に見える。
逆のケースはほとんど見られない。
これを私だけが
思っているのかと思ったら
ナースもそう思っている様だ。
いろいろ、認知症の文献を
読んでいるが、
そういうことを書いた
文献はみたことがない。
し、
今、考えられている
認知症の原理的にも
あわない。。。
おもいすごしかな。。。。
(これを読んで、気をわるく
する人がいたら大変
申し訳ない。。。。。)
本日、このくそ熱いのに
当番医にてブログはお休みします。
いろいろな意味で大変なことが多いので
みなさま何もない様にお祈りください。
あーもーー
最近、薬屋さんに
ブチ切れてしまった。
(薬問屋)
その薬屋さん
病院の駐車場のど真ん中に2台車
を置いた上で、
裏の愛生苑、にいって
隣の薬局に行っているではないか
(あいさつ回り)
さすがにブチ切れてしまった!!
これは、昭和のじじいが
切れる多重の誤りがあることに
お気づきであろうか。
先ず、セールスの人間が、
病院の駐車場のど真ん中に
車を置くこと
ほとんど来ることがない物と
初めて来る、顔もみたことがない
者にこういうことをされると、、、
次に2台で来て駐車場の
30%を占領してしまったこと。
それも、その時点で当院に来る患者さんが
一番止めやすいところですぜ、、、
病院の前を通って他の施設にいったこと
これでは、どう考えても
自分が回る施設の中で一番
起きやすい所に車を置いて
セールスに回っているとしか
考えられんだろう。。。。。。
セールスの人間でも当院に用事が
あるか、あるいはこちらが呼ぶか
頻繁にくす人間ならまだわかる。
ありえない、
これが、最近の人の感覚。。。。?
こんなことに引っかかるのは
私の年代だから???
もし、自分の家の駐車場に
車をおいて
周囲の家にセールスに回っている
セールスマンがいたら
いかがでしょう。
仮に最後に自分の家にセールスに
来るとしてもそれは
セールスをしている
者として、ありえないでしょう。
買うわけがない!!
それが今の倫理観か。。。。常識なのか。。。。
社会人としてありえんと
爺はおもうのだが、、、、、
以前は、どこにでもあった
自動販売機の横の
ごみ箱や
コンビニのごみ箱はない。
それというのも
ごみ箱にいろいろなものを
捨てる人がいるから
結局、そういう風になってしまった
のだ。
入れる口が下向きになっている
空き缶入れなどを見ると
何か悲しいい気持ちになってしまう。
倫理観の欠如は、
いろんな方面で
いままで慣習でそういうことを
する人がいないから
法律や規則をつくって
いなかったという所で
法律違反ではないところをついて
身勝手なことをする者が増えている
最終的にそれが
結果的には、
社会の不便さを生み出してきている
ん、、、、、、
じじいにはどんどん
住みにくい世の中になっているぞ。
夢を覚える
今朝、久しぶりに夢を覚えていた。
きつい夢でなかったのは幸い。
夢というのは、その日の記憶を整理して
貯蔵するためのものと考えられている。
記憶をすべて残すには
あまりにも膨大すぎる。
すべて覚えるのには
人間の記憶装置がとてもたりない。
そこで先ず、記憶の刈込を行う。
生命維持にいらない記憶は
捨てるわけだ。
そのあと、残りの記憶を
簡略化凝縮させたり、
他の物に置き換えたりする。
だから、覚えている風景でも
周りの情景を切り捨ててしまう。
写真をとって人物をのこして
後ろの風景は切り取ってしまうわけだ。
例えば、時々会う人に
その日にあったら
写真のその人を切り取って
記憶装置に残す。
その時、後ろの風景を
その人を分類の本棚にいれるために
その人を連想させる風景にしたり
日時をわからせるために
その日の特色のある風景を
入れ込んでしまう。
だから、時々人間は、とんでもない
記憶違いをしてしまったりするのだ。
同じ場面にいた人と
記憶合わせをすると
場所がちがっていたり、日時がちがっていたり
他にいた人がちがっていたりする
のはそのせいであると考えられている。
夢はその整理段階の
画面と考えられており、
よく考えると夢にでてくることは
その日の出来事につながることが多い。
というのが一般的な考え方
でも、
今日は、ずっとあっていない
大学の時の同級生や、小、中の
同級生がでてきたが、
なんでかな。。。。。。
それにしても、夢は本当にすぐに忘れてしまう。
夢の中での自分を楽しむのは
自分の経験を2倍にしている様で
楽しい。
できるだけ、覚えているうちに
ノートに書き留める様にはしているのだが、
書き留められるのは
月に一回もない。。。
私、結構特異な性格かもしれないが、
苦しい夢をみていたら、
理論的に現実ではないと
考えて、夢の中で気を楽にしてしまう
ことが多い。
例えば、大学生で、試験前に
勉強していない夢はよく見るが、
やばい、やばいと思っているうちに
そうだ、もう私、医者なんだといいきかせたり
、、、、、
でも、夢をあまりに大切にしていたら
夢と現実がわからなくなって、
それが認知なのかも、、、、
あと2か月で本当のじじい
あと2か月すれば65歳。
世間の分類でいけば高齢者に
入ってしまう。
んーなんとも
周りをみれば、中学や、高校の同級生は
リタイヤしているか
再雇用で、65歳でほんとに
リタイヤする奴がどんどん増えている。
んー
今年は、昭和100年の年だという
私のこどものころ
明治100年で、そういう番組が
あっていたことを覚えている。
自分はそんなに年を取ったつもりはないのだが
よく考えると
子供のころは、100年といえば
遥か彼方の昔と感じていたが
今では、100年といわれると
手の届きそうな時間になってしまった。
よくテレビの番組で
創業50年の老舗といわれても
最近じゃんっておもったり
この道一筋20年のベテラン
といわれても
それほどベテランじゃないじゃん
て思う様な年になってしまった。
外来で同い年の患者さんを診ると
自分もこういう感じで見られているのかと
ぞっとする。
最近、60代後半まで仕事をしていて
やめた患者さんが、
仕事をやめたら
あれもできる、これもできると
思っていたけれど
仕事をやめると
やることがなくて
仕事をしていた方がよかった
と、愚痴をこぼしていた。
思えば、昔、365日24時間
激務をこなしていた時に
少し仕事がへったら
いろいろしてみたいと
したいことを列記して
書いていたが、仕事が減っても
ほとんどしなかった。
むしろ、忙しい時に一日30分でも
時間をつくっていろいろしていた方が
充実していたのかもしれない。
したいことなんて究極の暇つぶしかも
しれないなーーー
と自分に言い聞かせながら、
いつ死ぬかわからない
正真正銘のじじいになる
私は、
地下をほるほど鬱になるのでした。
突っ込みどころ満載
長嶋さんの話も書こうと思ったが
いろいろ多くて飽きたとおもうので
他の話を
今、一年で一番、朝が早い。
じじいは、外が明るくなると
早く眼が覚める。。。。。。
朝、起きてテレビをつけると
毎日、古い時代劇があっていて
朝の寝ぼけた頭でなんとなく
見ているというか
点けていることが多い。
今日、朝、はどういうわけか
なかった。
朝、早すぎて途中のコマーシャルが
15秒で終了する。
杉良太郎や里見浩太朗が
若い時の時代劇で
だいたい、1970年代の初めから中ごろの
シリーズものの時代劇で、
最近は、大江戸捜査網だった。
(私の年代なら水戸黄門の様に
みんな知っている時代劇)
水戸黄門と同じで、ストーリーは単純
毎日、正義は勝つ。
途中から見てもストーリーがわかる。。。。
でている俳優も結構豪華で、
当時の一線級の映画俳優がでてる。
若いころの竹下景子が、
小娘役で何回もでてたりして、、、
それがまた、当時の時代劇に
ありがちで
突っ込みどころ満載。!
町人姿の杉良太郎が
次のシーンでは、侍姿に、
“秒殺で着替えたんかい!”
”秒殺で髪型かえたんかい!“
何メートルもある壁を
ひょいととびこえたり
“オリンピック選手でもそんなことできんわい!”
“毎週それだけ悪い旗本を切ったら
旗本全滅じゃ!!“
と、寝ぼけまなこで
突っ込みをいれるのが
早朝の楽しみ??だった。
それとともに
当時、それを見ていたころの
私、(小学生から高校生)の
ころを思い出していた。。。。
突っ込みどころ満載といえば。
”世界ふれあい歩き“
というNHKの番組。
いろんな国の町を歩いて人と話して
その国の文化、人々の生活を紹介するのだが、
外国版 鶴瓶の家族に乾杯
の様なもの。
偶然あった人が
“伝統あるお店の店長”だったり
そのまま
“まーうちの店見ていきなよ”
と案内してくれて、
いろいろ説明してくれたり
道で会った人が
”家の中を見てゆく?“
って家の中をみせてくれたり
名所、付近に立っている人が
偶然、そこの名所について
詳しく、いろいろ歴史的なことから
教えてくれたり。。。。。。。
毎回、偶然が続いた上に
ヨーロッパで偏見の強い
東洋人のクルーに
家の中までみせるわけ
ねーじゃん!!
って突っ込みをいれるために?
時々見ている。。。。
まーテレビの前で
一人で、それを声にまで出す様になったら
正真正銘のじじいの証になるかも。。。。
私にとっては定期的に診ることが大事
私が10年前に当院に来た
時は、上里先生の影響で
2週間処方、
つまり2週間に一回来院
してもらうことがほどんど
だった。
さすがに、今の時代2週間は
早いと思って1っか月
処方が多くなった。
ところが、コロナ禍の影響で、
処方が1か月以上の人も
増えてきているのが
現状。
中には、薬だけで、ほとんど
私の顔を見ないで
帰ってしまう人もいる。
かかりつけの
患者さんにとって
1っか月に一回は
とても速いかもしれないが、
この1っか月というのは
微妙なタイミングだと思っている。
私の悪い癖で、
診察の80%は
待合から
診察室の椅子に座るまでに
行う。
(その間の顔、つや、肌の状態
歩き方、そして雰囲気)
だから、
1っか月ごとに一回会うのは
大変重要なのである。
人間、毎日見ていると
その変化に気づきにくいもの
しかし、しばらくぶりに
会うと、結構微妙な変化が
目につくものである。
長年の経験という物は
怖いもので、、、、、
その微妙な変化を見ると
何かあるのではないか
とそこで、本当の意味の診察が
始まるのである。
理由もないのに
やせたり、肌つやがなくなったり
歩き方が悪くなったり、
顔の様子が変だったり、、、、、
なんで、なんで、なんで、、、、
そこからどこか
悪いところはないかを探し出すのが
かかりつけ医というもの
当院の患者さんは
高齢者が多いので
いろんなところ、
身体的なもの以外に
身振り、手振り、話し方で
その認知機能の低下を
見つけることも多い。
そうやって、定期的に
会うこと、話すことは、
患者さん側からは
いつもの
バカな会話とおもうだろうが
私にとっては
会うこと、たわいもない
話をすることが
とても重要なのである。
そこは、ほれ、
40年来の経験というか
なんというか。。。。。
逆に初めて会う患者さんで
主訴が
熱だけとか全身倦怠感だけとか
いわれるのが一番困るのである。
ほとんどすべての病気は
熱が出たり、全身倦怠感が
出てたりするから、
初めてあった人でそれから
病気を推測することは
きわめて困難と言わざるを得ない。
なんせ、世の中のすべての
病気を考えて
そこから少しづつ
病気をオミットしなければ
いけないのだから。
今度、会うとき
私が、
診察室にはいってから
いつになく、聴診をしたり
触診をしたり、
たわいもない長話をしたりしたら
お気をつけください。。。。
なんて、、、、
大谷翔平はすごいね。。。
当院の事務の一人は
歌手の○○にぞっこんで、
年に数回、遠方まで
コンサートをみにいって
何万円もその歌手のグッズを買っている。
私は、汗水たらして
稼いだ金をその歌手の遊ぶ金に
つぎこむな!!!
なんて冗談で、よく言っている。
また、婦長もしかり、
若いときから
歌手の〇〇にぞっこん。
私は、昔から、基本、偶像崇拝を
しない人間で、芸能人の中で
誰かのファンだの
なんだのしない人間で、
どうにも深く理解できない
ところがある。。。。。のである。
部屋に一個人のポスターを
はることもなく
(映画のポスターは張っているが)
特定の女優がでている
テレビや映画を見るでもなく、、、
そりゃ、一時的に
綺麗な女優さんが気にかかったり
カッコいい俳優が
気にかかったりしたころは
あるが、
永続的に一人の人を
追いかけることは今まで
一度もないと言っていいだろう。
ところが
ある日、介護施設をまわっていたら
ある、おばあちゃんが
今日は、大谷がホームラン打ったから
いい気分。。。。といっていて
びっくり、
その人が大谷が好きだというよりも
大谷翔平の1本のホームランが
日本の片隅の坂出の
高齢者を
喜ばせている
ということに
びっくりするとともに
感動もした。
そういわれれば、
よく考えれば
私も時々
ネットで今日は、大谷
打ったかなー???
って探してみたり
日曜日にテレビで
大谷の打席をみたりもする。
まるで先にいった
当院の事務や婦長の偶像をかんがえると
日本全国民の偶像になっている
様な気がした。
そりゃコマーシャル1本で
何十億もかせぐわな、、、、
いま、日本でダントツで
一番、好感度のある人間にちがいない。
CMにでたら、
それは、商品価値が上がるだろうて。
まちがって上里医院に受信
したら、
うちの病院はしばらく
大黒字になることだろう。。。。
(まちがってきてくれないかんな~~)
その反面
カメラが24時間うつしているから
うかつに鼻くそもほじれない。。
まちがっても不倫なんか
できやしない。
そのすごさに感動するとともに
なにか
皆に
作り上げられた
人間性を
守り演じることの
大変さを
感じるのではあります。
それにしても
日本の隅々まで
人々の注目をあつめ
感動させるのは
なかなか思いおこしても
いない。。。
おじさんの
思いつくなかでは
高倉健、吉永小百合
王、長嶋以来だろうか
この情報過多の時代
それをはるかに
しのいでいるかもしれない
うらやましい。。?
世の中、突然かわってしまう。
私、コンビニにはよく行く方なのだが
スーパーやファーストフード
の店に頻回に行く方ではない。。。。
先日、〇タッキーフライドチキンに
いったら、レジに店員がおらず、
注文が自分で画面選択して
料金まではらうシステムになっていた。
まだ、変わったばっかりなのか
躊躇していたら店員が出てきて
説明はしてくれた。
もし、店員がこなかったら、、、、
出て行ってしまうかな、、、、、、
こんなことは最近、しばしば経験する。
スーパーにしょっちゅう
行く方でもないので、
スーパーで自分で
品物を詰める様になったとき
初めての時なにがなんだかわからなくて
ためらっていたら
それも、店員に冷たく
むこうで詰める様にいわれたり、
レジ袋が有料になった時も
わけがわからず、
レジ袋のことを言うと
まるで、そんなのも知らないの??
と言わんばかりに、いるなら
いわないと、、、という感じで
いやな顔をされたのを覚えている。
そういえば、
あまり行かないコンビニで
突然、機械で清算するレジに
なっていて、
冷たく指示されて
支払いに苦労した覚えもある。
変わったばかりの時は
人がいて説明したのだろうが、
あまりスーパーなんかに行かなかったり
あまり行かない店なんかじゃ
突然、様子がかわっていて
躊躇するばかり、
これもすべては人件費削減のため
であろうが、、、
(最近大きなスーパーや
ホームセンターなんかは
セルフレジが何台もならんで
人1人で見ているところを多数見る。)
(レジが8つあったら、そりゃ
店員1人で人件費は削減できるよね、、、、)
がーーーーー
最近はこんなことが多くて
ストレス。
日本はおもてなしどころか
人件費削減、つまり商売のことで
客のことは考えなくなってきたのか??
だいたい、こういうことは
少しずつかえていっても
買い物をしょっちゅうしない
人間にはとても苦痛でしかない。
以前いったかもしれないが、
子供のころ行きつけの
歯医者さんで
頭がつるつるの先生だったのだが、
カツラになっていて
びっくりした覚えがある。
当時3区増毛法といって
徐々に髪の量を増やす方法が流行っていたのだが、
本当に、何年かに一度しか行かない
歯医者さんでは、
突然、髪がふさふさになった
としか見えないではないか。
びっくり、して、こちらが
どぎまぎしてしまう。
病院も国から
むりやりマイナンバーカードを
押し付けられたのだが、
それを説明するのに
坂出では高齢者の方が多いので
半永久的に事務は説明をしている
しだいで、、、、
おもい起こせば、
昔、スーパーのレジで
2人いて、
一人が紙の袋にいれてくれていて
その紙の袋をかかえて
帰っていたのが懐かしいし、
その紙の袋が
今になっては風情があって
よかったな。。。。。。。
なんて思う爺でした。
ゴールデンウイーク
このゴールデンウイークも特になにも
しないで終了した。
何だろう。
休みに動いてどこかに行く習性がない
ものだから、
いつも何もしないで終わる。
ゴールデンウイークどころか
盆、正月もしたり。
子供のころから、親がいそがしかった
ものだから
休みに旅行なぞしたことがなく、
大学にいったら
ゴールデンウイークは
九山といって、
九州山口の医学部の
体育大会があったから
試合週間。
盆、正月は帰郷
医者になったらなったで
いつも重症者をもっていたから
動けない。
特に若いうちは、
当直三昧。
高松に帰ってからも
結構患者さんが休みはどういうわけか
状態が悪くなって
病院に詰めることが多く、
(麻酔科にいた1年半だけは
持ち患者さんがいなかったので
休みが休みだった。。。。)
現にこのゴールデンウイークも
介護施設の入所者の
状態が悪い人が多くて
3人なくなって
駆け付けた。
以前にも書いたのだけれども
私、どうしても患者さんの
生死の時間を調節しないし、
(点滴や薬で時間を
調節するやからがいる!!)
たとえ、老衰でも
亡くなって、朝までまって
死亡確認をすることをしないので。
(都会を中心にそういう施設が
増えてきている)
なんとも夜中に呼ばれることが多い。
呼ばれたらその時に
行けばいいだけと思われるかも
しれないが、
一人でもなくなりそうな
方がいれば
家から遠くにでてゆけないし、
常にすぐ出られるように
しておかなければならないので
休みといえども
完全に拘束されているのだ。
昔堅気の医者としては、
家族の前で冷たくなった方の
死亡確認をしたくないのだ。
上里医院に来てからというもの
ほとんど香川県から出ていない
という信じられない生活をしているのだ。
今どきのお医者さんは
そういうことはしないのだが、
なんとも
損な性分なのである。
この身に沁みついた
性分は仕事をしている限り
続くのだと思うと
ぞっとする今日このごろ
なのです。。。。。
ブルーインパルス!!
この日曜日にブルーインパルスが
坂出上空をとんだのだが、
丸亀から煙をはいて
坂出に向けて飛んできて
上里医院の少し北側
の上空を飛んで、
そして高松に飛んで行った。
土曜日の予行も同じ時間に
同じコースを飛んだので
日曜日も上里医院にいって
2回ともよく見えた。
19年前にサンポートに飛んできた
時は、いろいろ
展示飛行をして
凄かったが、
今回は横切るだけで
少し物足りなかったものの
それでもすごかった。
何だろう、、、、
老若男女、喜んでしまう
その魅力は何だろう。
プロペラ機の展示飛行や曲芸飛行もあるが
ジェット機の曲芸飛行、6機も
そろった曲芸飛行はその
規模と感動が違う。。。。
どの国も空軍が戦闘機を使って
行うのだが、どこの国でも
この時だけは、戦争の道具ということを
わすれて、みんなが空を見上げ
感動する。
(日本の自衛隊は亜音速練習機
それでもレシプロ機とは
迫力が違う)
(戦闘機、練習機、亜音速機、
レシプロ機と少々マニアックだけれども
一つ一つ解説したら
おそらくそれだけでこのブログの
10回分ぐらいかかるので割愛!!
(九州でいた病院の20kmぐらいに
築城基地というのがあり
時々自衛隊の戦闘機が飛んできたが
それだけでも迫力があり感動した。。。)
(これは私だけ??)
あの魅力、
展示飛行をするときはどこでも
凄い人が集まる。
今回、展示飛行がドクターヘリで
中止になったが、善通寺だけで
市の人口とほぼ同じ2万5千人が
集まっている。
おそらく香川県中なら
その数倍の人数が空を見上げていたに
違いない。
大阪万博でも開会式での
最大の目玉になるぐらい
人気がある。
どこか空に対する人間の
あこがれか?
自然に対抗する人間の
魅力か???
何かが人の心を揺さぶるのだろう。。。
でも残念というかなんというか
昔の展示飛行の方が
スモークが色鮮やかで
さらに空に残っていたので
綺麗だったことは確か。
特に思い出すのが
昔の東京オリンピックの
5輪のマークなのだけれども
はっきり色がついていたし
しっかり5輪ができるまで
煙が残っていた。
色については油性なので地上に
着色剤が多少撒かれるので中止になり
スモーク自体も
現在は環境に配慮したものに
なっていて以前ほど
長く空に残らない。
こんなに皆が喜ぶなら
もっといろんなところで
とんだらいいのにな~~~
と、いい加減なことをいったりして。
究極の暇つぶし
最近、妙なことにはまってしまって、、、
以前、Pinterestという画像を
集めたデータベースのことを
話したとおもうが、
毎日、私のホームページに
入ってくるのでつい
見てしまって、気にかかる
画像を保存していたら、
(それより前よりネットで
気に入った画像があったらのこしてた)
1万枚以上たまってしまって
それを整理することにはまり込んで
気が付いたら小一時間
そういうことをしている
興味があった画像ばかりだから
それを分別して
アルバムの様に整理するとが
なんだかわたしの
ドーパミンを放出させている様だ。
一番多い画像は、
私の好きな模型の箱絵

次は絵画

結構癒される。。。。
それから映画のポスター

昔見た映画なんかを
その当時のことをおもいだしたりして、、、、
名犬ラッシー
懐かしい。。。。。

住みたい家。。。
住めるわけない。。。。。

昔あそだおもちゃやら

それから昔の高松の風景
これは瓦町の
六角のたてもの

なんておあてもなく
いろいろ集めた
写真を整理して
楽しんでいる。
結局、これが、
今の私の究極の
暇つぶしになっている。
大阪万博
誰が行くのかしらないが、
誰のためにするのかわからないが
誰が得するのかわからないが、
大阪万博がはじまった。
四国の人間が、わざわざ
泊りがけで大阪にいって
高い入場料をはらうなら
USJに行くんじゃないのかな~~~
それにしても
おじさんにとっては
万博とえいば
EXPO70

まだ10歳
小学校3年の終わりに
行った万博は忘れない。
あれはまだ
日本が高度成長期の終わりに
背伸びしていた時代だった。
戦後もうすでに25年が過ぎ
戦争を忘れようとしていた
日本が、
世界にその戦後の成長を
見せる日本が威信をかけて
開いた万博だったし、
米ソ冷戦がつづくなか
東西両陣営が
その豊かさを
背伸びをして世界に見せる
万国博覧会だった。
宇高連絡船にのって
まだ山陽新幹線がない時代に
山陽本線の特急にのって
やっと着いた大阪で
(今や3時間弱でつく大阪も
当時は6時間以上かかった)
見たものは、新鮮で、
これが未来だとおもわせる
世界がひろがっていた記憶がある。


確かにそこには
未来があったし、
未来への希望があった。
急な坂をのぼっていた
日本や世界が
その坂のてっぺんの
向こう側を見ようとした
輝ける時代の
輝ける万博だった。
しかし、今の時代、
坂を下る日本や世界の
見えている坂の底辺を見下ろす
暗い万博でしかない様な気がする。
えらそうに、、、、、、
桜、桜、桜
今年も桜の時期が来て
いろんな場所で
桜が一斉にさいていた。
桜が満開の時期は
せいぜい長くても1週間。
最盛期はほんの2~3日というところだろうか。
咲いてから散るまでの約1週間の
ドラマ
いわば一年の約50分の1の
一日でいえば20分から30分の
時間を日本人は
楽しむのである。
ある人は冬が終わった喜びを感じ
ある人は、入学や就職の思い出に浸り
ある人は、散る桜に人生のはかなさを
感じ、
でも数年前からなにか
その桜に物足りなさをかんじてしまう
のである。
というのは、
昔はもっと密に花がさいていた
気がするのである。。。。。。。。
なにか花が今一つまばら。。。。。
満開なのに。。。。。。
その上、あちこちで
倒木の話を聞いたりもするし
結構、倒木の危険性がでて
伐採する木も増えてきている様である。
色々、原因はある様だが、
その一つに
ソメイヨシノに寿命が来ている
という悲しいできごとが
関連しているらしい。
桜の寿命は一般に
60年~80年
ソメイヨシノは、明治以降に
全国各地に植えられ、また、
戦後すぐに
復興のシンボルの様に各地に
接ぎ木で
植えられた。クローンなのである。
だから、逆に開花時期がきたら
全国一斉に咲く。
そのかわり、いま一斉に
寿命がやってきているのである。
じゃ、接ぎ木をしないで
クローンでないものをえたら、、、、、
と思うかもしれないが、
ソメイヨシノという花は
エドヒガンとオオシマザクラという
さくらの交配種の第一世代で
ソメイヨシノ同士の交配をさせても
まったく違うものができて
しまうという事です(チャットGPTで調べた)
つまり、
どんな遺伝子のくみあわせで
どんな性質の木や花が
できるかわからないという
代物で。
同じものをつくるにはクローン
つまり接ぎ木しか手がなかったのです。
だから今見ているソメイヨシノは
特別養護老人ホームに入っている
人の様な高齢者なのです。
だんだん満開の木が
よわってきていて
いわば
おじいさん、おばあさん
の木を見ている様なものなのです。
ん~~~
そして里美先生はいなくなった(4)
子供のころ
“ウサギと亀”の話を
よく、美談としてきかされたものだ。
足が速くてピョンピョン飛んでは
休んでいたら
こつこつと歩いていた亀が
ゴールに先についた。
また、
“アリとキリギリス”の話もよく聞かされた。
暑い夏でもコツコツと
働いて食料をためていた
アリは
冬になって
食料をためていたおかげで
いきのびて、
夏、遊んでばかりいた
キリギリスは冬になると
食料もなく死んでしまう。。。。
これが人生のなすべきところと
徹底的におしえこまれていた
われわれ。。。。
だが、。。。。。
今、ウサギと亀がいたら。。。
ゆっくりと、コツコツ働いていたら
いい仕事ができる人間と
休みながらさっさと仕事
を済まして余暇を楽しむ人間。
コツコツ働いていたら
時間外労働だといわれて
働くのを止められ、
亀は仕事が終わらない。
休みながら仕事を早くすまして
余暇を楽しむウサギは
今の社会に適応して
昇進。
(亀にゆっくり仕事をさせていたら
いい仕事をしたのに、、、、)
夏の暑い日にキツイ仕事をする
アリの仕事は
今の若い人達はしない。
どうかしたら
暑い夏、きつい仕事はせずに
暑い夏は好きなことをして
金をかせいで
冬はその金でアリの仕事を
買うことを理想とする
現代の若者。
つまり、キツイ仕事で
小銭をためるより
Youtuberや仮想通過で
大金をもうけて楽しようという
若者がふえているわけで、
そりゃ、
根本からの倫理観が
ちがうので
若者と
噛み合うはずがないわ。。。。
この、多様化する現在。
亀の仕事の仕方も認めて
アリの仕事にこそ
お金が出る様にするのが
理想ではないのだろうか、、、、
仕事を始めても
自分の理想と違うと
すぐ離職する若者が
増えている現在。
じじいの助言。。。。
楽な仕事はないわ、、、、
楽して金が貯まる人間は、
ごく一部だわ、、、、、
上を向いてばかりいたら
つまずいて地面にはうことになっちゃうよ
というのが
じじいの助言。
でも今の世の中
はうことになった人達の
声の方が強いことが気になるな。。。。
世の中の根本が変わり
医療の世界もかわり
そして里美先生はいなくなった
そして里美先生はいなくなった(3)
最近、大変こまったことが起こった。
愛生苑の利用者が、意識を失い
左半身の麻痺をおこしたのだ。
脳梗塞か脳出血、あるいは
一過性の脳虚血発作(TIAといって
一時的に脳の血管の細いところが
血栓や痙攣でながれなくなったもの)
は間違いない。
そこで脳外科のあるA病院に電話すると
当直医が”脳外科今日はいません“
B病院に電話すると
”診断はできますが、脳外科がいないので
入院はできません“
(診断だけして、治療できない!!てことか!!)
こういう時は医者がさがすと
取ってくれないことが多く
(この場合だと脳血管障害と
わかるから、一般の人が気を失っているので
診てくれといった方がとりあえず見てくれる)
仕方なく救急隊に電話して
受け入れ先がく
それでも小一時間かかってC病院ダメ
D病院ダメ。。。。。。
E病院がみてくれることとなった。
それも年齢を聞いて高齢者とわかると
治療の意思がほとんどない。
私が診てから病院に着くまで結局
2時間。もし、条件がよければ
脳梗塞は4時間30分以内なら
血栓溶解剤で血流が落ちたところを
再開通させることができる。
それも早ければ早いほど
後の麻痺の範囲が少なくて済む。
結局はTIAで、事なきを得たのだが、
これが、若い人の脳梗塞ならと思うと
ぞっとする。
いま、働き方改革のために
突然の医師不足が始まっているのだ!!
今のドクター夜当直をしたら
次の日は絶対休み。
勤務時間はまもって
主治医は2人3人でうけもって
自分の患者さんが悪かろうとも
8時間勤務で時間が来れば
強制的に家に帰る。
総合病院なら、以前なら
他の科の医者が診て他の科の患者と判断したら
夜でも担当科の医者をよびだすのだが
今はそれもできない。
そうやって相対的に動ける医者が
少なくなってしまったのだ。。。
里見先生ではないけれど
私のころは(また昔話)
365日24時間営業。
医長のころは
2日に一回ぐらい夜やら
日祭日によびだし。
時間外の届をだしても
出さなくても給料が一緒だから
どうしてか事務に聞くと
”先生は3日で時間外の上限になってます“
との答え。どれだけ時間外を
しても一緒なのだ。。。
つまり今のドクターの2人分は有に
働いていたことになる。
ついでに言うと
今、クリニックどころか
中~大病院まで赤字。
ドクターを余計に雇わなければいけないのと
私の頃は、若い医者の薄給は
凄いものがあった。
何処かに若い医者は
修行をさせてやっているという
暗黙の風潮があったため。。。
(大学の時は無給!)
今は、研修医でさえ
チャンとそれなりの給料をもらっている
(私の頃は月5万円)
これじゃ、医者は不足するは
急患は取れないは、
病院は赤字になるはで、、、、、
本当の医療崩壊がやってきている
見たい。。。
結局はいままで
世の中が里見先生たちが
(ついでに私もいれて!)
医療を支えてきたのだが、
もう、若いドクターはそういう
気持ちでは働かない。
今からは
財前教授や大門先生が集まって
医療を崩壊させていくのだと
背筋が凍るおもいがする毎日です。
と、偉そうに言う私でした。。。。
今は、チャットGPTにお任せ
今日は、一旦他の話で、、、
(いろいろ頭に来たので)
以前話したチャットGPTを少し詳しく
チャットGPTとは
生成AI (artificial intelligence)
いわゆる人工知能の一つ
元々は、文章を作るのに
単語の次の言葉を
いろいろな情報から予想させて
文書を作らせるものだったらしいが、
その進化がすさまじい。
元情報をネットから検索するものだから
知識が膨大で
どんどんもと知識がふえているのでこれは大変。
”坂出市ってどんなところですか“ってきいたら
即座に要約して説明してくれる。
さらにその一部を詳しく説明してくれ
と頼むとさらに
詳しく説明してくれる。。。
ネット検索とウィキペディア(ネット上の百科事典の様な物)
を合わせた物の様。
その知識の進行が素晴らしく、
数年前よりはるかに詳しく
素晴らしい答えが出てくる。
最近、もっとも驚いたのは
幼稚園の時の友達を
探したら、なんと探しあててしまった
事である。
無料では、とにかく制限があるので
ついに課金してしまった。。。。
実は、今、一番使っているのは前にも話したが、
英語論文の解説。
もともと英語が苦手な私。
英語論文を読むのは一苦労。
読んだところで内容がなかなか頭に入らない。
そこで英語論文をよませてこれを
解説してくださいというと
アッという間に解説してくれる。
私が1時間かかってあいまいに
内容を把握するのにほんの5分で終わってしまう。
この一か月で
100編近く読み込ませてしまった。
また、試しに私が書いた日本語を
英訳させたら、中学校レベルから
ネイティブレベルまで訳してくれる。
これでは、AIを開発した人が
使用制限を掛ける様にいうはずだ。。。。。
このままでは、人間の遥かにおよばない
領域にすぐに達してしまう。。。。
しかし、人間は不思議な物。
ネットができた時
むかしは、物をしらべるのに
図書館で調べなければ
いけないことが
一瞬で分かるようになった時
これは若い世代に知識でかなわなくなると
おもったが、
今、そうでもない。
AIが発達すれば、
もっと若い世代にかなわなくなる
と思っているが、
そうでもないかもしれない。
私より若い世代はどんどん
このAIをつかいこなしているのだが、
この時代を使いこなせなくても
生きて行けるんだと
無理やり納得させている。
しかし、一つだけ
時代に取り残された感があるのが
お財布携帯。
どうも苦手、。。。
スーパーでの支払い用の携帯が
ならんでいるが、どうも
こわくて使えない。
最近、どうみても田舎の
私より10歳は年配のおっさんが
コンビニのレジで
携帯をかざして、
”ピー“ってやっているのをみて
冷や汗がでてしまった。。。。
さて、前回のつづきで
いままで
映画や、テレビの
白い巨塔で
よく深い財前教授に
相対する存在として
里見助教授がえがかれていたが、
1966年の映画では
田村 高廣

1978年のテレビでは
山本學

2003年のテレビでは
江口洋介

立派なお医者さんとして描かれていた。
毎日朝はやくから
夜おそくまで、患者によりそい
他の時間は研究にいそしみ
家でも、論文をよみ常に勉強し。。。
いわば、一般の人からいう
理想像のお医者さんなのだ。
配役もいかにもという
配役であった。
しかし
もし今の病院で里見先生がいたら
どうなるだろう。
先ず、17時になっても
患者をみていると
早く、帰れと周囲に言われる
それでも自分の患者の状態が悪いから
診ていたいというと
働き方改革で病院側から強制的に帰らされる。
そして、
帰って下さい、後は当直がしますから。。。
と言われる。
まちがって病院にいようものなら
夜間の時間外になるので次の日は
休診で休みにしてくださいといわれる。
その間、研究室にいようものなら
医局から長時間、夜間研究室で
研究するのも働き方改革で
禁止されてますからと宣告される。
そうなるといろいろ仕事を
家に持ち帰りになる。
そして、家が寝て食べるだけの
研究室になり、
家族から見下り半を突き付けられる。
ということで
里見先生は消滅してしまうのです。
昔話をするじじいではあるのだが、
患者さんの具合がわるければ
夜中でも、休みの日でも
張り付いてみていた主治医たち
カンファランスをする時間がなくて
7時ぐらいからカンファランスをして
白熱すれば12時を超えることも
しばしば、
そんな中、実験、研究は
もちろん夜。。。
そして若いものは無給。
勤務は休みなしの365日
24時間どころか48時間、72時間
連続勤務は当たり前
そうやって里見先生を理想として
医療を支えてきた
日本型医療は、
今は崩壊し、
里見先生はこの世から消滅してしまったのだ。
そして、患者の術後も見ない
私、失敗しないので
という、現実にはありえない
大門未知子が
今のドクターの理想なのか、、、、、
つづく。
そして里美先生はいなくなった。
人生最後の看取りを行う場所が、
以前は病院が多かったのだが
今は、介護施設が中心となっている。
国の方針として
病気は病院
看取りは家で
という漠然とした、いいかげんな
方針をそれに伴う、お金の
配分をしたものだから
病院は、看取りを急にしなくなってしまって
昔は、高齢者でも病気があれば
病院で看取りをしていたのだが
今では、病気があっても高齢者であれば
看取りを病院でしなくなってしまった。
かといって、家で看取りは
難しい。。。。。
いくら高齢者といえど動けなくなったら
それを家人が診るのは難しい。
特に病気があれば
家人が少人数で診るというのは
非常に困難。
訪問診療や看護がいい点数になるから
(お金が高い!)
押し売りに近い
訪問診療や
訪問看護を使って
家で看取りをさせるところもあるが、
家人が疲れはてて。。。。。。。
色々問題がおきて
施設に放り込むケースが結構ある
という事で、最終的には
施設で診とることが多くなったのだが
最近は、都会を中心に
介護施設での看取りが
(訪問診療でも)
時間外になくなったら、そのままにして
朝まで家人をまたせて
死亡確認をするところがほとんど
になってきている。
私もそうすることを勧められては
いるのだが、
昔気質のじじいの医者には
どうしても
家人を朝までまたすことができず。
夜中でもでてきて死亡確認をする。
(働き方改革なんて、くそくらえ!)
逆に時間合わせとしようと点滴や
何かを駆使して日にちや時間を合わせようと
しているヤカラもいるが
わたしは、とにかく自然に
看取ることを大事しているので
夜が多い。
だから間がわるいことに
朝の3時とか
日曜日とか
寒い日の月曜日の早朝とかが
多い。。。。。。。
勤務時間内になくなったら
”主治医思い!!“って思ったりする。
夜中に暗い中、
叩き起こされて
高松からやってきて
一人でクリニックで死亡診断書
をかくことの寂しさと
辛さよ。。。。。。。
立て続けにおこると
さすがにしんどくなってくる。
若いころは病院勤務で
主治医制度が強い時代だったから
何日も病院にとまったり
(3か月ほど帰れなかったこともある)
するのはざらだったが。。。。。
もちろん、この年で
そんなことはもうできないが、
今は主治医制度が崩壊して
若いドクターはそれもない。
ずっと診ているドクターが
その人の臨終にたちあえなんて。。。。。
と最初に書きたかったことから
はずれてしまって、、、
次回、そして里美先生はいなくなった2
を書くことにします。
私の言葉より近所のおばさんの言葉。。
今週
血圧の薬を出してほしいと
いって来院した患者さんがいた。
家での血圧が
いつもは120~130代でおさまっていて
特に他に糖尿などのリスクがないのに
一回150代がでたので
血圧の薬を出してほしいと、、、、
よくよく話を聞くと
知り合いの人が
健診で1回150がでて
薬の投与が始まったということで
私も、、、、、
とにかく、(年齢もかみして)
1.今の血圧のコントロールとしては
家庭血圧を中心にコントロールすること
が第一条件。
健診や病院の測定では
少なくとも5、多ければ20~30
高い血圧が出る人が多いので先ず、
これを中心にコントロールすることが間違い。
家庭血圧でも朝2回夜2回の血圧を平均してみるのが
妥当。
2.本来血圧というのは、たったりすわったり、
興奮したり(いろんなことで
ぶちきれたらおそらく150は軽く超える)
結局変動が激しいのだ。
3.血圧は、結局は、動脈硬化を予防し
最終的には腎機能を維持したり、
心筋梗塞、脳梗塞、最終的には認知機能
を抑えるためにコントロールするのだが、
大体平均で120代から130代で
コントロールしなければ
それより高くても低くても
イベント発生率(脳梗塞や心筋梗塞など)
が高くなることが分かっている。
(低けりゃ低いほどいいわけではない!!)
4.血圧のコントロールは、とりあえず
高血圧は、最初に生活指導。
それでもだめなら、ゆっくり少しずつ
家庭血圧をみながら
下げてゆく。(急に落としたらこれまた
脳梗塞などが多りやすく、もともと
血圧が高い人の血圧を急におとすと
低血圧症状が出現することがおおい)
5.突発的な高い血圧を薬で抑えると
日常のほとんどの血圧が低血圧になってしまう。
(たまに高い血圧が出た時、その時だけ
頓服で薬を飲むことも推奨されていない)
以上が今の血圧のコントロールを
ガイドラインを中心にした
今のコントロールの仕方である。
そこまで説明しても
患者さんは、どうも納得していない様子。
大体、治療は、その人のリスク
(他に糖尿や高脂血症があるとか
生活が悪いとか)
仕事、年齢などいろいろ総合して
行うもの。
もし、知り合いの人に薬が出たとしたら、
常に高いか、リスクが多いか
薬を出した医者が不勉強か
(昔はそういう風に出していた時期もあった)
以後、その病院にずっときてほしかったか
いずれかであろう。
ここで黙って
薬をだせば
患者さんがふえるのだろうな~
(私は商売が下手!)
よく、血圧が高くなると。。。気分がわるい
等の話をされる人が多いのだが、
実は、高血圧自体あまり200近くならないと
症状がでないことが多く、
低血圧の方がよっぽど症状が現れやすく、
血圧が高い時は、
頭が痛かったり気分がわるくて
他の原因で、
血圧が高くなっている方が多い
よく患者さんが、
友達がこう言っていたとか
(友達はお医者さんですか?)
テレビがこう言っていたとか
(特にサプリなんかは宣伝ですよ)
医療番組で専門家がこういっていたとか
(番組の趣旨に合わせる様に
発言の切り取りが多くてこまっている
出演者がおおい)
ネットにそうかいていた
(ネットは嘘がおおいですよ
下手をすれば近所のおばさん程度ですよ)
薬局でそういっていた
(薬をかってもらいたいのです!)
毎日、一生懸命勉強して
40年も医者して
商売気のない
私の言葉の方を信じてよ~~~
と思うことがよくあるのです。。。。。。
今日は手抜きで
今日は、手抜きで春の新作を。。。
このくそ寒いのに
桜の花のデコレを病院の玄関に
飾っております。

ついでに絵も

殺風景な玄関もよくないと思って
性懲りもなくデコレをつくっておりますが、
大きな懸念が2つ。
1つは、皆がある程度
褒めてはくれるのですが、、、
迷惑じじいになっていないのか、、、、
むかしから、高齢のかんじゃさんが
その昔だったらタバコの箱で
鍋じきを作ったり
細いチューブで犬なんかの
アクセサリーを作ったり
リボンで金魚をつくったり
絵が好きな人は絵なんかを
持ってきてくれたのだが、
職員が褒めるので
(一般的に褒めるのだが、
作っている方は高齢なので
かなり真にうけて
どんどん作ってきて)
患者さんが作ってきてくれるものだから
捨てるわけにもいかず
拒否するわけにもいかず
もらった患者さんに
見える様にかざったり
身に着けたりして
余計に気を使って、
困ってしまう様な事がよくあった。
私のデコレも一応、手抜きをしながら
四季にあわせてなんとか
作ってきているのだが
なんとも同じ様になってきていないかが
心配。。。。。。
裏で、褒めたら
ずっと作ってくると
言われているのではないかという
心配。。。。。。
2つ目は
私、2年前に白内障の手術をうけたのだが、
白内障の手術をたくさん
やっている眼科さんは
それはもう、うちの様な
零細クリニックとちがって
羽振りがよく、
飾りも業者に頼んだような
立派な飾りが玄関においてあった。
それにくらべてなんと
みすぼらしいこと。。。。。。。
結構、忙しなか、夜な夜な
作っても1~2か月ほどかかるのだが、、、
職員には
止めた方がよくなったら
言うようにといっているのだが、、、
、、、、、、、
言えないだろうな、、、、、、、、
ってもう今年で65歳の
高齢者の仲間入をする
私は思っているわけであります。
高齢になるとボケることも必要??
私は掃除が苦手で、、、、
私は、掃除が苦手で
当院の診察室を見るとわかる様に
ごちゃごちゃしているのだ。
まるで私のがさつさを
表している様に。。。
何か月かに一回はきちんと
綺麗にするのだが、
持って数日。。。。
私が以前勤めていた病院の
医局の向側の
Dr.の机は
そうれはもうきちんとしていて
デスクの上には
ほとんど何もなく、
あっても
定規で測った様に
綺麗にキチンと本や書類を置いていた。
それに反して私の机の上は
いつも本とコピー類
が山盛り状態。
一度、それをみかねた
綺麗好きのナース2人がやってきて
掃除をすると言って、
私は、部屋を追い出されて
帰ってきたら
机の上の書類は
直角に置いてあるし、
本棚の本は、きちんと
大きさで区別して
並べているのであった。
私は本棚の本は
内容ごとに並べる人なので
どんなに掃除しても見た目は
でこぼこ
A4はA4,B5はB5
とは並べられないので
なんとも。。。。。
(本当はそういう風に並べたいのは
並べたいのだが。。)
私の心の中には
仕事部屋に対して理想が2つ同居している。
1つは、若いころあこがれた
アインシュタインのデスクや
作家の様にごちゃごちゃ
本や書類が
所せましと山積みにしてある仕事部屋
本の山の中にやっと机がある様な感じ。
そしてもう一つは
今でもよく再放送があっている
名探偵ポアロ(昔のやつ)
その主人公ポアロは綺麗好きで
部屋の中は棚から壁から
定規で測って並べた様に
キチンとしていて、
物という物が整理しており
引き出しの中まですべてを並べている。
ま、、ドラマはドラマで
無理なのであるが、
それでもこれで、
毎日、少しづつポアロを目指して
掃除するのだが
いかんせん、汚す方が上
物を使った後で
元の位置にもどすことがない。
たまに、大事なものを
”特別なところ“
に置いておくと
後でどこに置いたかわからなくなる
ことがしばしばある。
もしかしたら、
いろんなところに
いろんなものを
おいて
ごちゃごちゃにして
それで
仕事をした気分になって
安心しているのかも
しれない。。。。
今週は、久しぶりといっていいほどの
冬の天気と気温である。
讃岐山脈は雪景色で
なんともその
雪景色が私は好きなのである。
讃岐山脈は、
吉野川が流れる
中央構造線のおかげで
地層がギュッと押し縮じめられて
断層がだんだんに
露出した独特の地形で
険しい襞をもつ
堀の深い山並みである。
それが、なんとも独特な
綺麗な陰影をつける。
高松からは、北斜面を見る形に
なるから、私の小さいころは
冬になると少し寒い日は、
大川山から竜王山まで
真っ白な雪山で綺麗だった。
それが、今は、温暖化のおかげで
年に何回かしか見れない風景になってしまった。
その時期が今週なのである。
そんな極寒の空気が澄んだ中を
歩いてその風景を見るのが
なんとも好きなのである。
寒い日に外を歩き回るなぞと
バカと思われるかもしれないが、
何とも切り詰めた
澄んだ空気の中、
流れる雲間から零れ落ちる
陽光が
とても美しく
、、、、、いとおかし。
冬の風景といえば、
大学受験で見た、金沢の海岸の
地響きの様な音をたてる
豪快な冬の日本海の風景や
富山湾の神通川の河口でみた
日本海と夕日にかがやく
雪化粧の能登半島の風景が
40年以上たった今でも
目に焼き付いている。
雪国の人間にとっては
こんなに厄介なものは
ないののだろうが、、、、
南国の人間には、、、、、
それにしても
私のおじが金沢の大学
だったので、
冬の金沢がずっと雲がたれこめて
雪だったといっていた。
兼六園ではいまでも
雪のそなえで雪吊りを縄でしている
のだが、その金沢でさえ
雪に閉ざされることが少なくなっている。
今回の様な大雪が
だんだん、珍しくなって
以前より備えが甘くなっているのか
大雪がふると大混乱になっている
みたいな気がする。
なんだか温暖化というものが
身に染みて怖くなる。
それにしても
子供のころは
休校になるやら
雪で遊べるやらうれしかったが、
じじいは、毎日、毎日、
道路が凍結しないか
水道管が凍らないか
建物に不具合がおこらないか
心配ばかりしなけりゃ
いけなくなってしまった。
でもそのなかでも
少し、子供心が
よみがえることがあるのです。
ああ大阪、、、、
いつもこのブログをみて
いただいている方の中に
久米川病院の時からの患者さんで
丸亀から大阪に移住した方
がいるので
あいさつかたがた、、、、
大阪について私が
勝手に抱いている感情について。。。
私の子供の頃は
夜になるとラジオを聴きながら
すごしていたので、
その中心は、毎日放送や朝日放送の
大阪のラジオ局の番組が
多かったので、
関西弁にはなんの違和感もなかった。
ところが、予備校、大学で
九州に行くとどうも
九州の人間は、関西弁を嫌う
傾向があった。
当初は、私は、関西弁やその
イントネーションに何の
違和感もいだかなかった。
(予備校も大学も
関西出身の人間が少なからずいたので
その人達は、しゃべり方や
イントネーションを全然
変えなかった。。。。。。)
私自体は、両親が徳島の人間であった
こともあって、中途半端な
讃岐弁をしゃべり、
また、他の方言に対しても
何も違和感もなかったか、
あるいは、讃岐弁が
あまりにも田舎っぽかったからか
1年もすればすぐに
九州の言葉を喋る様になった。
(大学の友達が九州一円から
やってきているので
築後弁中心の博多弁やら
熊本弁やら筑豊弁やら
いろいろまじってはいたが、、、)
そうしたら、なんと不思議なことに
だんだん、関西弁に違和感を感じはじめ
最終的には讃岐弁さえ違和感を
感じ始めたのだ。
大学時代に関西にテニスの
試合で遠征にいったとき
かわいい子でも “うち、○○、、、”
なんてしゃべっているのを聞くと
引いてしまう感覚を覚えてしまった。
なぜだろう。。。。。。
そのうち、学会なんかで関西方面に
出かけると
どうも電車の中での
おばちゃんたちの
大きな声で日常会話が
行われていることに
嫌悪感さえ覚える様になったのだ。
電車のドアがあくと
出る前にどかどか人が
入ってくるは、、、、
なんとも、赤面するような
話題の会話が飛び交うわ
エスカレーターは
東京に逆らう様に
右に立つは、、、、
日本橋では
堂々と海賊版のDVDを売っているは
なんだかなーーーーと
思ってしまっていた。
ま、、なんか思い込みが
激しい様には思うが、
そんなこんなで
高松にかえってきたら
徐々にそんな感覚も薄れてきたのだが
なんと
自分の娘が大阪の大学に入るは
結婚して大阪にすむはで
今は、複雑な心境である。。。。
娘にはいわゆる
“おおさかのおばちゃん”
だけにはなってほしくないな~~
あれだけあこがれていたアメリカが、、、
こどもの頃
私、結構、ませがきで、
周りの皆が
仮面ライダーなんかを見ていた時に
私、“奥様は魔女”や
”かわいい魔女ジニー“や
ハリウッドの映画
なんかを見ていた。
それは裏を返せば
アメリカへのあこがれでも
あった。
中流一般家庭と思われる
生活での、広い庭、広いリビング。
広く洗練された、おもちゃにあふれる
子供部屋、
取り揃えられた、電化製品。
進んだ食生活
日本人にはとても似合わない
ファッション。
豊な品物にあふれた生活
広いガレージと
一家に1~2台の車のある生活。
それがすべてあこがれだった。
ディズニーに見る自然、
洗練された都会の雰囲気や
レジャー、遊園地。
どれもこれもが憧れだった。
その上に日本の技術や予算が
足元にも及ばない
宇宙開発という最先端の技術と
開拓精神。
しかも驚くべきことに
そんな中、ベトナム戦争を
戦っていたのだ。
なんと恐るべき国力だと
驚愕したものだ。
しかし、そのアメリカが
あえいでいる。
文化、生活、思想の最先端で
あったはずのアメリカが
過去のものになっている。
それを証明するかの様に
まるでヒトラーの様な大統領が
出現してしまった。
完全に過去の栄光に縋り付いている。
その周囲にはかつての
ロックフェラーのように
大富豪の実業家たちが
コバンザメの様にはりついている
ではないか。
まさしくこれは
アメリカの最後のあがきの様な気がする。
自慢ではないが、
私1980年ごろには21世紀は
中国の世紀になると予言していた。
そのとうりになってしまった。
かつて、
オランダ、ポルトガル、スペイン
そしてイギリスの様に
世界を一度支配して
過去の栄光におぼれ崩れ去った
様にアメリカもまた
その2の前になりそうな気がする。
今ここで言えることは
これだけ、中国、アメリカ、そしてロシア
の様な国がでそろうと
次に世界を支配する国はなく。
おそらく、もうすぐ世界には
抜きんでた国はなくなり
人類の没落が今世紀中ごろから
始まって22世紀はもうないかもしれない。
これが、今の私の予言である。
ま、少なくとも私は
22世紀まで生きていないけどね。。。。
冬の風景
私こう見えて
結構ロマンチスト、、、、、??
冬の風景が好きで、
一人でうろつくことが多い。
おそらく、風貌から
粗暴な人間と思われている
だろうな、、、と想像している
のだが、、、、
澄んだ空気、
特に夕日の街、
朝日の山並み、
青い空の高いところを
飛んでいる飛行機
澄んだ夜空を見るのが
一時の
雑然とした毎日、
ストレスばかりたまる仕事
を吹っ飛ばすのに
最適なのだ。
特、に冬は澄んだ空気が
風景をよりかき立たせる
が、時に、それを邪魔する
やつがいる。
警察の職質に
よく会うのだ。。。。
俺、そんなに怪しいか??
自分では不思議、、、、、
数年前は、朝一人であるいて
いたら、暗かったこともあって
職質にあったのだが、
今週は、夕方、まだ
明るいうちから職質にあったのだ。
完全な職質ではなかったのだが
ミニパトが
一筋離れたところの
右側を通ったと思ったら
次は2筋向こうの正面を
とおって、
気が付いたらやってきて。
“こんばんは~~”
あ、これ、いつもの職質だとおもって
いそいでいたので
“なに!!(少し怒って)”
と返事したら
今回は
若いお巡りさんで
やや
たじろいだのか
完全な職質ではなくて
結局黄色の反射する
布を持ってきて
“最近、交通事故が多いので”
“これつけて歩いてください”だと、
これ、いつもの手。。。。
まだ、明るいわい!!!
ちなみに、きていた
上着は、オレンジ色の
反射板より目立つやつ。
ってなわけで
もう家に4、5本、反射する
(肩から斜めにかける黄色いやつ)
があるのであった。
初めての職質は、
予備校のころ、
朝、暗いうちに歩いていたら
まえからライトをてらされて
“おはようございます”
気が付いたら
後ろに2人、、、、
それから受験で東京にいったとき
皇居の周りをあるいていたら
明らかに2人、
しばらく尾行された。
(おりゃ革マル派じゃないわい)
それから大学生の時
(その時は、軍服、ワークブーツ、
スポーツ刈り)
街をあるいていたら
職質。。。。
しかたないか。。。
医者になっても
病院の周囲で職質
“おりゃこの病院の医者じゃ!!”
って、、ブチ切れたことも。。。
なんでこんなに
怪しまれるのだろうか??
そんなに俺あやしい??
不適切にもほどがある。
最近は、あまりテレビを見ないし
特にドラマを見ることもないのだが、
“不適切にもほどがある”という
テレビが、昨年、年始にあって
安部サダヲと宮藤官九郎の
番組で少し興味があったのだが
全く、見れなくて
それが、
まとめて
年末に放送していたので
録画して年末年始に
いつもの様に
ほぼ倍速で見てみた。
主体は、昭和のおっさんが
現在にタイムスリップして
昭和の社会の理不尽さと
現在の社会の行き過ぎた風潮の
風刺をしたドラマなのだが、
安部サダヲ
の匠な演技と宮藤官九郎の
感性がよくあっていて
まあまあおもしろかった。
(大河ドラマはひどかったが)
昭和のおじさんには
共感するところが
あって、、、、、
昭和の私の発言は、
いたるところ
パワハラ、モラハラ、セクハラの嵐
色っぽい、男っぽい
女々しい、バカ、ブス、
あんぽんたん。
すべてアウト!
しゃべるのも息苦しい。
社会でも
薬屋さんに
〇〇病院に行くなら
これついでに持って行って
もアウト、
あれだけ年末にもらっていた
カレンダーは今はゼロ。
催促したら
アウト。
薬屋さんが
年賀状だすのもアウト。
なんか息苦しくない?
カレンダーやボールペン、タオル
ちょっとした事務用品、
あまり、私もすきではなかったが、
接待。
これ、すべてゼロになったおかげで
その周辺の経済さえ
まわらなくなって
しまった。。。。。
医学部では神様の様な存在だった
教授も、言葉をまちがえれば
パワハラになり
医局員が辞めるどころか
教授がやめさせられる
事例があとを絶たない。
どうしちまったんだろうね、
これでいいのかな、、、、
こういうことが
厳しくない国は
上昇して、厳しい国は
今、伸び悩んでいるのが現状。
こういう規則がらめにすると
日本人の性格上どうしても
キチンとしようとする。
その仇が、
今やってきている様な気がする。
日本はこれからどうなるのかな??
昭和のおじさんは、
息苦しいぞ!!
ありえない!!
29日は当院当番病院だったが、
なんと来院数が142人。
この人数が診療所にとって
どういう数字か、、、、、
今回は、感染症が
かなり増えていると予想し、
いままで、
インフルエンザのピークで
90人診察したことがあるが
それに近い人数を予想して
看護師1名
風邪以外を診る医師を1名
増員してかまえていたが、、、、
大体、事務が2人で、
当番の日は、新患がほとんどなので
保険書やマイナンバーカードを
確認しながらカルテを打ち込んで
その上で会計をするので
新患でなければ
カルテがあるので
10~12人は対処できるものの
新患では頑張っても10人は対処
できない。
その上で、電話の対応
(ほとんどひっきりなしに
かかってきた)
をすれば2人で10人も
カルテ処理できない。
また、最悪なのが、
今、インフルエンザ、コロナ、他の感染症
が入り混じっていて
院内で見ると
この患者さんたちが
混合感染をおこしてしまい、
院内で見ることができないので
自然、駐車場の車の
中で診ることになった。
介護施設から
駐車場の整理の
応援を読んで
(朝1人、昼2人)
電話の対応を
のべ5人、
会計を持ってゆく人間まで
よんで、それでも大変。
それでも普通朝ピークが終わり
昼から患者さんが
減少するのが普通なのだが、
高松や、丸亀の病院が
音を上げたため
昼からもさらに患者さんが
増加して、
もう病院は朝から晩までパニック状態。
職員を落ち着かせるのに
精一杯の状態。
全てが終了して
(診療は8時、
事務はその日にすべての処理が
終了せず翌日1日かかった)
自分がつけていた
万歩計を見ると
なんと3万8000歩
140人という数字
坂出では、
風邪の流行時に
市立病院が、内科、小児科、外科
合わせてそのぐらいの数字で
80人を超すと対応する職員の人数が
決まってゆくので
仕事量は
指数関数的に上がってゆく
おそらく大きな病院で例えるなら
当番で数百人見るような
状態に近い。
3分の2の人は大変さ
をわかってよく我慢して
まっていてくれたが
おらおらいわれる
職員も
もう、当番したくない!!!
。。といつも思うのです。。。
サプリメント、、、、、、
よく患者さんに
以前よりサプリメントの
相談を良くされる。。。。。
○○はのんでいいか。。。
答えは一つ。
そんな高い金はらって
飲まなくてもいい。
本当に効くものなら
“薬”になっている。
なんせ患者さんに
高齢者が多いから
体のあちらこちらがいたい。
一番多いのは膝。
たいていがヒアルロン酸が入っている
という歌い文句、
だいたい平たくいえば
ヒアルロン酸は骨がすれあう関節
の骨を守る膜の栄養。
ヒアルロン酸は、人間体に吸収されるとき
分解されてから吸収されて
それを体の中でヒアルロン酸に
再構築する能力が人間にはない。
〇〇%の人に効きました。。。。
大体、薬は偽薬というものが存在して
例えば、痛み止めを本物と偽薬を
のませた少なくとも30%の人が
偽薬でも効いたという答えが出る。
驚くなかれ、血圧を下げる薬でさえ
30%ほどの人の血圧が下がるのである。
つまり、飲んだことの安心感だけで
痛みや血圧が下がるのである。
それが証拠にサプリをのんで
効いたという人も
ずーと飲み続ける人が少ない
だからサプリの会社は
あの手この手で長期間
飲まそうとする。
また、論文で証明された。。。。
論文というのは
正直いってピンからキリまである。
病気に対する薬やいろいろなことを
検討する時
チャンと実験できているか、
いろいろな思い込みや
先入観、他の影響を受けていないか
を検討し厳選されると
取り上げられる論文は
3分の1にも満たない。
○○博士が推奨。。。。
おれも一応
医学博士じゃ!!
96%の医師が推奨。。。。
どこのだれじゃ!!!
マジメな製品もあるが
人の弱みに付け込んで
商売するのは、、、、、(# ◌゚Д◌゚)
空がどんどん。。。。
最近、SNSで
UFOだ!!って映像がよく
のせられているが、
そのほとんどが、飛行機、ドレーン
風船、風にまったビニールなど、
いろいろだが、
最近、多くなってきたのは
人工衛星。
その粋たるものが
スターリング衛生、
かのイーロンマスク氏が
立ち上げた地球全体を網羅する
1万以上の衛生を打ち上げる予定
もうすでに何千もの衛生が打ちあがっている。
なんせ、一回の打ち上げで60個ほどの
衛生を一ぺんに打ち上げるのだ。
この衛星は肉眼ではみえないのだが、
他の衛生は、肉眼でハッキリ見える
ものも多い。
以前は、国際宇宙ステーションなどの
巨大な比較的低空を飛ぶ
衛生がみえたのだが
(飛ぶ時間、方角が公開されていて
JACSAのホームページからわかる)
いまではやたら数がふえている。
肉眼で見えるのは比較的低空をとぶ
衛星が多く、
低空軌道の衛生は、
地上を観察する軍事衛星や
通信用の衛生が多い
(気象衛星などは静止軌道といって
かなり上空をとんでいる)
それを、今や各国がいろいろ打ち上げるものだから
それが沢山見える様になってきている。
空を見上げると
音もなく光が飛行機の様に
空を横切るのを
しょっちゅう見る様になってしまった。
天体望遠鏡でみれば
さらに多くの衛生がみえるために
最近、アマチュアがとる
天体写真に衛星が
頻繁に映り込む様になってきている。
肉眼で見えないものを
見る電波望遠鏡も
それらの衛生がだす電波に
悩まされている。
天文学者がいくら抗議しても
軍事、経済にかかわるもの
であるから、どの国も
全く相手にしていない。
かなしい、、、、、、
低空で飛ぶ衛星は
比較的早く薄い大気の抵抗で
落ちて来るのだが、
とはいっても
これらの宇宙空間には
宇宙ゴミとしていっぱい漂っている。
ご丁寧なことに
アメリカ(今はしていない)
ロシア、中国(最近警告を無視して
頻繁に行っている)
は、軍事衛星を落とす衛星の実験を
行っていて、それらをミサイルや
衛星自体の体当たりで撃墜するもの
だからバラバラになって
無数の宇宙ゴミを作ってしまう。
ゴミといってもとてつもない
スピードで飛んでいるので
(銃の弾よりはるかに速いスピード)
国際宇宙ステーションには無数の
小さな穴が太陽電池にあいているし
最近衛星どうしの衝突事故もあっている。
今後、宇宙に出てゆくのは
本当の意味で命がけになって行くのだ。
そんなこんなで、宇宙にまで
目の前の事しか考えない
人間のばかさかげんが
露出しているのだ。
医薬業界も今は、、、
医薬業界には
医薬業界にMRという
職業がある。
Medical representation
製薬会社の社員で
かたい言い方でいえば
製薬会社の薬の
情報提供をする人のことを
いう。
私が若いころはプロパー
これはpropagandaの約で
宣伝する人
つまりは
薬のセールスマンである。
この職業
いまや消えゆく運命にある。
今のお寒い医療環境の中で
病院も苦しいが
製薬会社も苦しい。
早くいえば
リストラの嵐である。
年功序列の終身雇用
これが、日本の会社、社会の
やってきたことである。
それが、今や消え去ってしまっているのである。
昔、大学病院で働いていたころ
若いころは給料もでないで
勉強、修行のつもりで
働いていたが、
その中で、
医療の補助の人で
長く勤めている人の一人で
全く、仕事がいい加減な人間がいて、
結局、いろいろな部署に
回っていて、
最終的に
一番、仕事として、
患者さんの生命に直接かかわりのない
仕事場に落ち着いていたのだが、
聞くところによると
長年、働いているもので
給料だけは
教授並みにいいらしく
皆からやっかいがられるやら
やっかみがられるやら。。。。
これが、年功序列の
終身雇用の最悪のケースだが
一方で、能力給というのは
若いものの言えること。
若いうちは体力もあり、
頑張れば、
営業成績も上がるだろうが、
いづれは、それも
年と共に消えてゆくもの。
能力がなくなれば
お払い箱、
また、派遣社員が増えているが、
逆にいえば、会社が守る
必要性のない人員が
増えているのだ。
なにごとも
できるやつはいいが
できない奴は、、、、
(能力の偏差値が高いやつなんて
一握りなのだから)
昔、がんばったので
年をとってもそれなりの
給料をもらって
定年までゆったりと
仕事する方式も
日本らしくていいじゃないかと
いう気もしないではない。
第一、日本の高度成長は
そういう風な社会で
成し遂げてきたという実績がある。
日本の成長がとまったから
欧米式の会社運営にかわったのか
会社運営がかわったから
成長がとまったのかは
わからないが、
決していい方向には向いていない
様な気もしないではない。
以前、いった様に
医者の世界も
医局という巨大組織で
日本の医学を支えてきたものが
医局の崩壊とともに
日本の医療が破壊してる
現実もある。。。。
どちらがいいかはわからないが、
じじいには
日本の成長を支えてきた
年功序列や
医局の時代が
懐かしい。
今年も12月
年賀状を用意しなければいけない
時期となりました。
しかし、それにしても
年賀状を頼むと
高いこと、高いこと。
これでは、年賀状離れが
さらにすすむこと
間違いなし。
私は、結構、年賀状出す派
だから。。。。
昨年もすでに5~6人
年賀状じまいを
してきたのだが、
こう高ければ
今年はさらに増えそう。。。。。
しょっちゅう会う人間は
いいとしても
先ず、合わない人。
特に私は久留米の大学をでて
福岡一圓で働いていたものだから
もう20年以上あってない
人もたくさんいる。
そんな人達と
わずかばかりの手間で
一年に一回、あいさつするのは
意義があると思うのだが。。。。
一時は200枚近く
出していたのだが、
先輩や、高齢の患者さんなんか
だんだん減ってきて、、、
また、以前勤めていた
職場の人たちや
なんか、
若い人なんかは、
職場が変わるとすぐ
出さなくなったりして
今や130枚ほどに減っている。
それに年賀状じまい。
ここでもやっぱり
人と人とのつながりが
薄らいでゆく
現実がある。。。。
スマホやライン、
SNS.
逆に人間関係を
複雑にして、
希薄にしている気かするのだが、、、、
これも昭和のおじさんの
考え方かな。。。。。
数日前、ぼーっとテレビをみてたら
気か付いたら
時々やっている
ただ車をはしらせて
ひたすら前方をとっている
ケーブルテレビの番組を見ていた。
どうも
鹿児島から大分にかけて
走っている前方を映しているだけの
ものだったが、
音楽は大瀧詠一の
曲がながれ、、、
これが、私のチャンネルの選択
だったのだ。
世の中の喧騒を
興味本位でまくし立てている
テレビ番組ではなく、
相も変わらず
高学歴を持ち上げる
クイズ番組ではなく、
お笑い芸人がいっぱいでて
米粒の様なことを
米俵まで引き延ばした番組ではなく、
お金をかけていない
マンネリ化した
ドラマでもなく、
もちろん漫画でもなく
私が選んだのは
その番組だった。
そうしてみているうちに
2つのことが頭をよぎった。
ああ、テレビという媒体は
もう終焉を迎えているな。。。
と
昔の曲は耳障りがいいな。。
と
最近よく、世界中でとられた
面白い映像や珍しい映像を
番組としてよくやっているが、
それは、裏をかえせば
テレビがスマホに自ら
主役の座を明け渡しているようなもの。
以前もいったが、
昭和のテレビ全盛期の時代を
生きた人間としては、
もっとテレビ頑張れといいたい。
もう一方、
大瀧詠一の曲を聞くと
なぜか口ずさめる。
大瀧詠一以外でも
山下達郎やサザンなど
なんか、聞きながら
口ずさめてしまう。
今の若い子たちにとっては
とても古臭い曲なのだろうが、
いいメロディーラインがもう
無くなってきている現在
(もういい音部の組合わせが
なくなってきている)
アレンジにたよっていて
いまの曲は、
なんだか何十年も
頭に残るメロディーではない様な
気がするのだが
これは昭和の人間が思うことだろうか
????
絶対に待てない。
職員が、新車を買おうとして
トヨタに頼もうとしたら
なんと納車に最短で10か月
かかるといわれたらしい。
わたし、絶対に待てない。
実は最近、車を買い替えたのだが、
車検の関係もあって
納期が短い車をかったのだ。
納期が今の様に長くないときでも
前の車は、展示車をかって
その前の車は
ディーラーに輸送途中の
展示車を買った。
とにかく、気が短いというよりは
納車を待っている間に
他の車をみて
あの車がよかったとか
この車がよかったとか
他の色がよかったとか
思うのがいやだし
納車を待っている間に
予定の車を見て、
いまいちと思いたくないし、
その間に新型車がでる予定を
きくのもいやだから、、、、
とにかく早く手に入れたいのだ、
実は、車だけではなくて
服も買うときめたら
すぐ買って
もうその場で店をでて
他の服は見ない。。。。
電化製品もしかり、、
もう一つ悪い性分で
車も電化製品も
かっても説明書を読まない。
めんどくさい!!
特に最近の車や電化製品は、
いろいろな機能がついていて
やたら説明が多い。
めんどくさい!!
だから
いろいろなボタンの機能が
わからないまま
何年もたってからやっと使ったり、
後でそんな機能があったんだ!
と驚いたり、、、、、
機能が上がるというのはこういう事?
と、気の短さと
めんどくさがりで
人生を無駄にしている私です。
だれか、時間を止めてくれ、、
最近、さらに年を感じさせられたこと。
代表を3つ
1.外来で
仕事上、大体患者さんの
年齢を外すことはないのだが、
最近外来で、私より3~4歳は年上
と思っていた患者さんが
実は4歳も年下だったことが
わかって、
ショック。
ああ、私、周囲からは
あの人より老けてみられているんだ。。。。。
2.時間が過ぎるのが早い。
10月まで検診で、
一日ばたばたしていたが、
11月に入ると、
職員の検診や
インフルエンザ、新型コロナの
予防接種でばたばたしていたら
1日がアッという間に終了して
しまう。
気がつけば土曜日になっている
ことが多く、
最近は、日曜日にも
することが山積で
結構ばたばたして
すぐ月曜日を迎えてしまう。
気が付けば11月。
ああ、今年も終わってしまうではないか。
上里医院に来てはや10年。
あっという間だった。
10年といえば
小学校1年生から高校1年生までの時間。
時間の長さの感じ方は、記憶の占める%
という説を適応すると
高校1年生のころの10年は、
一生の記憶の80%から90%
そして今はというと
記憶力の低下を考えると
10%に満たないかもしれない。
それは短く感じるは、、、、
最近の記憶力の低下は
それにさらに拍車をかけているに
ちがいない。
さらに、頭の回転の悪さ。
以前は、診察をしながら、
周囲のナースの声を聴きながら
受付の対応の状態を
耳にしながら、
次やることを考えていたが、
今は、目の前の患者さんを診るのに
精一杯。
そして行動力の低下。
歩行速度、移動速度が低下した
上に、疲れがすぐくるから
一つのことをして
次のことをするまでに
休息が入ってしまう。
だから、一日でできることが
縮小。
やはり、これらのことが
一日の時間を短くする要因か。。。。
そして一年を短くしてしまう。
ああ。
どうしよう。。。。。。
3.体重が落ちない
年と共に
どんどん食事量、摂取カロリーを
落としているのに
体重が落ちない。
カロリーをおとすスピードを
遥かにこえて
基礎代謝が低下している。。。。
つまり、予想をはるかに越えて
新陳代謝が低下しているという訳。。。
がーーーーー
たすけてくれ、、、
だれか、時間を止めてくれ、、
いつからだろう
アメリカの大統領選挙が
おわったが、
まー選挙演説は
相手の攻撃ばかりの様に
聞こえた。
アメリカの大統領選挙は
昔からそういうのが多かった。
しかし、
よく考えると
今回の日本の参議院選挙をみていても
他の党を叩いて(裏金?問題)
国政の内容というより
それが選挙の主たる
結果になった様な気がする。
昔からそういうこともあったが
ではあったが、
最近は、特に小さな党は
そういう風潮が以前より
強い様な気がしてならない。
日本には他人の悪口を
言わない様にするという
文化があった様な気がする。
以前にもいったが
他人をけなすという事は
結局、自分を持ち上げることが
困難なので、
他人を下げて
相対的に自分のことを
上げるという
いわば、
自分の価値を持ち上げる
姑息な手段なのである。
YoutubeやSNSなんかで
他人をけなしてばかりいる人が
たくさんいるが
いかがなものか。。。。
60年代に育った私
には、アメリカの文化や生活が
雲の上の様な存在だったのだが
今は。。。。。。
だけど、最近の日本もその
低落が激しい。
もうすぐ、相対的に
アメリカがまた、上に見えてくるのかも。。。。
って、いろいろなことをけなして
自分を上げようとしている
自分がいるのかも。。。。
栄光はいつか消え去る2
大谷選手が所属するドジャーズが
ワールドシリーズに
優勝して
大変なことになっていた。
私もつい、診療の合間
合間に見てしまい、
それが終了すると
いわゆる“ロス”が生まれる
ほど、大変な盛り上がりだった。
(日本の日本シリーズは
一度も見ていないのに)
じじいはそれを見ながら
その感動をみつつ
うらやましいのかどうか
わからないが、
若者たちが栄光の頂点を
つかんで歓喜している瞬間を見ていて
君たちの頂点はここにある。
明日は頂点から
落ちてゆくのだと。
思ってしまうのだ。
私の好きな映画の一つに
パットン大戦車軍団というのがある。
第2次世界大戦中に活躍した
アメリカのパットン将軍を
描いた映画なのだが、
戦争好きの一人の大胆な
将軍がその栄光をかけて
戦場で英雄的な働きをし
挫折しながら栄光と名声をつかみ
戦争が終結するとともに
消え、戦後すぐ事故で亡くなるのだが
その映画の最後のシーンの
将軍の後ろ姿を映しながら
ナレーションが
“all glory is fleeting”
日本語に訳すと直訳では
“全ての栄誉ははかない”
つまり”栄光はいつか消え去る“
というもの。
オリンピックで金メダルをとって
優勝して歓喜していたり、
ワールドカップ等で
優勝して歓喜している
姿をみるたびに
その言葉が浮かんでしまう。
テレビにかつてヤンキースで
ワールドシリーズを勝ち取った
松井やAロッド、ジータが
映っていたが、
彼らも当時はその歓喜の中心で
あったのだが、
今はもうその輝きはない。
その人達はまだいい方で
日本で金メダルをとった
選手のその後は
光も当たらない人達もいる。
そんな姿を見ていると
今、優勝して歓喜に満ち溢れている
人達をみながら、
うらやましくもあり、
なぜが寂しさを感じてしまう。
ノーベル賞なんかを
とった人達は
その頂点が人生の終盤に
あるのであろうが、
スポーツの世界は特に
若い時に頂点を迎えてしまい。
その後の人生を
生きるのが大変だろうなと
思ってしまう。
これは、平凡なじじいの
ひがみなのだろうか
いいこというな。。。でも
先日、テレビをぼーと
見ていたら。
日本の気象の国家プロジェクトに
携わっている若い科学者が、
自分のモットーとして
”失敗をおそれないこと“
といっていた。
若いのに、いいこというなー
。。とおもいつつ。
自分の人生振り返ると
失敗だらけ、
いろいろ失敗をしながら
改善し、前進し、生きてきている。
小さな子供を見ていると
いろんなことをして
転んだり、痛い目にあったり
しながら、それを糧に成長しているのだ
なということがよくわかる。
以前飼っていた犬でさえ
2階から降りようとして
階段を踏み外して
すっころげてからは
2度と階段で2階から降りようとしなかった。
そうやって
人間、成長してゆくのだ。
だから失敗が多い人間で
それを反省して行く人間ほど
大きくなれるのかもしれない。
(何かい失敗しても、
それを糧にでいないやつもいるが、、、、)
私、結構、臆病で
石橋をたたいて渡どころか
石橋をたたいて
他の人を渡らせてから
安全を確認して
渡るような性格。
それで、つまらない人間になったのかな?
ただ、私の職業、失敗が許されない
何かのドラマで主人公の外科医が
“私、失敗しませんから”
っといっていたが、
“あたりまえだろ!”と
つぶやいてしまう。
失敗して死んじゃいましたは
許されない職業なのだから。
それにしても人生でも
もう、失敗が許されない年になってしまった。
実は人間の死亡率は
20代前後でやや増える。
これは、そのころの人間が、
危ないことを、いろいろ恐れずに
してしまうことに起因している。
それ以後の年齢は、だんだん、
失敗をおそれ、なにに対しても
保守的に変わって行くのだ。
ワクチン、、、、
ワクチン接種の
時期がはじまったのですが、、、、
よく、接種の問い合わせがあるのですが、、、
私見で、すぐ打てますが
まだ早いですよ。。って
言っている。
インフルエンザは昨年は
例年より早く
11月ころに流行ったが、
例年通りであれば1月~2月にかけて
しばらくあまり流行っていない
B型のインフルエンザが流行れば
3月頃から。
効能書きには5か月利くと
いわれているが、
感覚的には3か月ぐらいかなと
感じている。
よって、いろいろ合わせて
11月中旬ごろが打ち時かなと
考えておる所であります。
コロナワクチンに関しては、
今のコロナの症状から考えて
ワクチンの副作用が強い人は
打たなくてもいいかな、、、、
と思っています。
(逆に副作用が少ない人はうっておいて
損はないかな?)
ただし、高齢でいろいろ病気を
持っている人は別。。
やはり下手をすると重症化します。
すくなくとも65歳以下で
高いお金をだして熱を出して
打つ必要はないかなって思っている
所です。。。
8月中旬に流行のピークがあった
ことを考えると
いままでの流行の時期からいえば
冬休み前後から流行するかなって
思っています。
コロナワクチンは
接種して2週間ほどで抗体がピークを
迎えるので
それを考えると
11月下旬から12月上旬が
打ち頃かなって思っています。
くれぐれも、、、
両ワクチンとも
かからないのではなく、
かかっても症状が軽くなるだけなので
悪しからず。。。。。
ただ、39度以上の熱は
経験した人はわかると思いますが
相当きついし、
体がやられますぞ。。。。
チャットGPTで、、、、
昼からは、やや診療が開くので
その間は、いろいろな
資料や論文を読むことが多いのだが。
マー眠い。
英語は睡眠薬か?とおもうほど
良く寝る。
一行読むのに数時間はかかる。
ただでさえ英語がにがてなのに
一行読み始めると
すぐ寝て、
目が覚めるとまた
そこを読み始める
そして数時間が経つ。
運よく数行読めたとしても
とても頭に入ってこない。
そこで最近、気が付いたのが
チャットGPT
もともと英語約は
いろいろな翻訳の
ソフトを使って訳をさせていたのだが、
マーその訳が大事なところほど
ヘンな訳になっているではないか。
下手をすれば、完全に内容を勘違いする様な
訳が出てくる。
それに第一、日本語がややぎこちなく
読みずらい。
そこで、チャットGPTを使って
翻訳させようとしたら、さすがに
無料ではGPTも
長い文章を翻訳してくれない。
そこで
ひとっ飛びに翻訳ではなく、
解説を頼んだらこれがまた
うまく解説してくれるのに
気がついた。
試しに、英語で読んだ論文を
解説してもらったら
私のつたない英語の読解力より
はるかに正確に解説してくれるではないか、
内容も大きく間違っていない。
さすがチャットGPTの本来の
機能というのが、
単語の次にくる言葉を検索することから
開発されているので、
日本語自体も読みやすい。
さらに、さらに
OOについての論文を探してといえば
探してもくれる。
という事は、
論文を探す、論文を読む
英語を訳す
内容を把握するという作業に
数時間。へたをすれば
数日かかるところを
ほんの10分ほどでしてしまう。
これは便利、
。。。。。。。。。。
んんんんんんんん、、、、
これでいいのだろうか、、、、
悩むところではあるが
ももう元には戻れない。
私は常にアウェイ
先日、大学の同期の
同窓会が開かれたのだが
つい失念して
欠席してしまった。
4年に一度、オリンピックの年に
開かれるのだが、
新型コロナや、忙しさもあって
10年ほど出てなかったので
今年は出席しようと思っていたのだが
半年前ぐらいに打診があったので
出席にしていたが、
なんやかやでつい失念して
しまっていた。
まあ、積極的ではなかったのであるが、、、、
その理由は、、、、、、
私、出身は久留米大学なのだが、
なんで、そんなに遠くへ、、、、
という感じだが、
私、小学校のころからずっと
勉強というものをマジメに
したことが一度もなくて、
初めて勉強したのが
浪人2年目。
浪人2年目で、3浪はヤバいと
思い、一念発起、はじめて勉強を始めた
はなから語学が苦手であったのだが、
(特に古文、漢文)
他の理数系やどういうわけか
社会科は以前より
なんとなく、なにもしないでも
出来ていたのだが、
語学だけは大の苦手で
さすがに1年では
医学部レベルに到達するのは難しく、
共通一次試験、いまでいう
センター試験の点数が足りず
国公立は受からず
国語がない私立は受かったのだ。
受かった大學の中でも久留米大学は
旧医学専門学校で伝統があったので
(あまりいい言い方ではないが
格が上だったので当時は
結構、難しい大学だった)
もう一年浪人する気力もなく
入ったのだ。
おやじが九州帝国大学だったこともあり
福岡には縁もあり
はるばる久留米に行ったのだ。
ここからアウェイの生活が始まる
大学入学当時から
同級生はやはり、久留米、福岡の
進学校出身者が多く同じ出身校
を中心にグループを作っていた。
その中に香川県からは一人、
言葉もぜんぜんちがい
アウェー感がばりばりだったのだが
すぐ、周囲に溶け込む性格なので
直ぐ溶け込んではいったが、、、
九州の生活が約20年ほど
高松に帰ってきたら
ここからまたアウェイの生活が始まる。
医療の中でのアウェイはまた
独特なものがある。
他の病院を紹介したり、
病気、あるいは患者さんのことで
紹介するのに
福岡にいた時は、
周囲に
同級生、先輩、後輩がいたので
苦労しなかったのだが、
高松に帰ってきたらそうはいかない。
いわば孤独の中での仕事が
しらない医療環境の中での仕事が
始まったのである。
医療というのは昔から学閥があり、
周囲は、徳島大学、岡山大学
最近は香川大學出身者が中心で
久留米大学出身者は香川県で20~30人
そんな中で何とか仕事をしていたのだが、
その中で存在感を出すのは大変だったのだが
それから約15年
この上里、坂出に来たのだ
この地がまたアウェイ
なんとも特殊な感じもしたのだが
小さなこの坂出のコミュニティー
ここは、昔からの病院が多く
その先代、2世が
他を入れない雰囲気を醸し出している。
そんなアウェイのなか
厚かましい顔をして
やっているのだが、
これがまた疲れる。。。。。
元にもどって同窓会の話だが、
いまでも同窓生はやっぱり
地元でつながっている。
そんな中、20年以上も
離れていると
同窓会でさえも
またアウェイを感じるのである。
017年にオムアウア
と名付けられた奇妙な天体が見つかったのだ
彗星の起源は、もともと
カイパーベルトやオールトの雲
と言われる冥王星よりずっと遠くの
太陽系内の塵交じりの氷の

集団が起源とされているのだが

よって、とてつもなく大きな軌道を
描いて太陽を回っている
(ちなみにハレー彗星は76年で太陽を一周する。
それが、突然
ヘンな方向からとてつもないスピードで
太陽に向かってくる天体が
発見された。
この予想外の出来事に
天文界は大騒ぎになった。
計算すると遥かかなた
つまり太陽系以外から飛んできて
太陽を回ってまた
宇宙のかなたに飛んで行った
物体が発見されたのだ。
いまだかつて太陽系外から飛んできた
物体をとらえたことがなかったので
大変な騒ぎになった。
なんとも今までにない軌道をとり
高速で飛んできて
やや加速して飛んで行ったので
人工物だと
大騒ぎになった。
今までにない天体で宇宙の中では
ちいさく、自分で輝いていないもので
観察が難しく
地球上から宇宙に飛ばしている
望遠鏡で一斉に観察したのだが
はっきりしたデータがえられなく
謎が多い天体となった。
最終的には
色々な観測で長経が長さ200~300m
の前の様な岩石と
推定されたが、
確実なところがわかっていなく
また、
加速したとう所も
始めは説明がつかず
宇宙人が作った天体だと
大騒ぎになった。
だいたい、このような形の
このぐらいの大きさの物体が
太陽系外から飛んでくるという
事に説明ができる人がおらず、
宇宙人が太陽系観測のために
投入した観測衛星だと
いう説が一人歩きした。

結局、いろいろな観測の分析から
太陽系外からやってきた
岩石と結論がでたのだが、
一部の天文学者は
今でも人工物と言っている
人がいる。
その後、もう一個
同自様な軌道の
物体が見つかり、
以外とこういう天体は多いのではないかと
考えられている様になっている。
なんか不思議な現象が
目の前をアッという間に
通り過ぎていった
感じだったのだ。
彗星と流星と未確認の物体
以前、話したこともあるけれど
紫金山・アトラス彗星が近づいて
いるのを期してもう一度
彗星と流星の差について
流星は、宇宙に飛んでいる
岩や石などが
宇宙空間から
物凄いスピードで地球に飛び込んできて
地球の大気で燃え尽きる物
そのスピードはマッハ数十キロにも
達する。(戦闘機でもマッハ1~2)

大きさは1mm以下の物からあり
大きければ燃え尽きないで
隕石となる。
ちなみに
アメリカのバリンジャー隕石孔は
直径1。2kmほどで、10mほどの
隕石が落下したと推定されている。

6500万年前には直径15kmほどの
小惑星が衝突したと考えられており
恐竜をはじめ地上の多くの生き物が
消え去ったという説が今のところ
有力である。
一方彗星は
地球や火星などの惑星と同じ様に
砂交じりの氷が太陽の周りを
図のオレンジ色の様に
超楕円軌道でまわっているのが

太陽に近づいた時
太陽の熱で溶けた氷やガスが
尾を引くように輝いている

だから流星と違って
肉眼で見えても、他の惑星と同じ様に
肉眼で動いているのはわからない
つまり止まって見える。
(流星は一瞬で空を横切る)
日本で肉眼でハッキリ見える彗星は
1997年のヘールボップ彗星以来出現していない。

ちなみにわかりにくくなるのを
覚悟でいうけれど
○○流星群というのは
地球の軌道が重なっている
彗星があり、
毎年その軌道と地球が
クロスするわけ
だが、(2つ前の図)
その軌道上には彗星が
ばらまいて行ったチリが
浮いている。
軌道とクロスするのは
毎年同じ時期になる。
つまり毎年同じ時期
同じ方向でチリの中に
地球が突入するから
その軌道上にあるちり
が地球と衝突して
流星となる。
だから毎年同じ時期に
同じ方向を中心に
流れ星が多い
その方向にある星座の名前で
○○流星群というものが診られる。
うーんむずかしい?
流星は
2001年の深夜中雨の様に
飛び回った
しし座流星群が記憶にあるが、
彗星は
1910年に天空の半分を尾でしめた
ハレー彗星の様な
肉眼で大きく見える彗星には
お目にかかっていない。
(南半球ではあったのだが)
そんな中、数年前に大変な
事件が起こったのだ。。。。
暑さ寒さも彼岸まで
なわけがない!
この暑さ、もう地球が終わってる。
ちなみに
過去の高松のデータを見ると
9月の平均気温 最高気温
2024 29.4 35.8
2014 24.0 33.0
2004 25.3 33.6
1994 25.1 37.0
1984 23.3 36.2
1974 21.8 31.2
1964 23.8 37.3
9月15日は
最高気温 最低気温
2023 32.7 24.7
1984 24.4 19.4
1964 31.4 22.1
9月31日は
2023 29.8 21.8
1984 26.5 19.9
1964 21.5 12.6
2024年の平均気温は、まだ12日時点
なので特に高いが、
他のデーターも軒並み高い。
1度、2度はあまり気にならないかも
しれないが、実際はたいへんなこと
やっぱりもうやばいよねー、、、
記録を見ても、昔は暑さ寒さも
彼岸までというのもわかるが
やっぱり最近は、
彼岸までではないことがよくわかる。
これでは、秋や、春がないはずだ。
この地球規模の気温変化は
二酸化炭素だけでは説明がつかないものがあるが、
人類の危機といっていい。
このままでは、海面上昇、
水害、干ばつが今以上に増加し、
本当に食料危機が始まる。
そのころには生きていない
80代のアメリカ大統領や
自分自身はこまることのない
プーチンや習近平は自国の領土を
増やすことしか考えてないし
目先のことしか考えていない
日本の政治家は、
次の選挙で勝つことしか考えていない。
これでは、どうなることやら、、、
話はかわりますが
久しぶりに肉眼で見える
彗星が来そうです。
数年前からわかっていたのだが
若干予想より暗く
見える時間と位置が
やや良くない状態。
興味がある人は調べてください。
機会があれば
彗星と流星の差から
お話しします。。。
おれには政治のことはわからないが、、、
今、自民党と立憲民主党が
代表選挙を行っているが、
なんなんだろう。。。。
誰が代表になって
誰が後の総理になるのかは
わからないが、
誰になっても
到底、世界で
プーチンや習近平と
立ち向かえる人間には見えない。
なんだか、みんな
総理になりたくて立候補している様な
国民のため、国家のために
命を懸けている観が
どうしても見えてこない。
今の政治家、国内の国民に向けて
いい顔をして選挙に勝つことしか
考えてないようで仕方ない。
また、話の内容が
国内向けにはいい話をして
有権者や支援団体にいい話をして
(金を出す話ばかりするな!
おまえの金じゃねえ!)
対外的な話になると
一期にトーンダウンする。
これからの日本を建て直すための
今の世界情勢を考えるに
言い方はわるいが、
顔にしたたかさがでている
人間でないと対外的には
通用しない様な気がする。
バイデンに頭をなでられ
プーチンや習近平に無視される
様では、日本は本当に沈んでしまいそう。
民主主義の限界なのか
アメリカの選挙をみても
人材不足。
バイデンは、若い時から
大統領になりたくてなりたくて
ずっとこの機をまっていて
この年齢でやっと大統領になれた観がある。
ハリスも中身はなさそうだし
トランプにいたっては、どう見ても
自己顕示欲のかたまり、
アメリカのためではなく、
自分だけのために動いている
としか思えない。
ジョンFケネディーは
神格化はされているが
わかく、指導力はあった様な気はする。
ロバートケネディーの息子は
残念ですが、、、、
オバマはパフォーマンスはよかったが、
結果、アジアでの中国の覇権、
プーチンのわがままを
ゆるしてしまった張本人。
頭のいい、指導力のある人間は、
今の時代は、
政治家にはならないのだろうなー
っとえらそうに言う私でした。
お前はなんぼのもんじゃ。。。。てか
やっぱり弘法大師のおひざ元
台風一過、
今度も
この台風も香川県を
よけるように通った。。。。。
これもやっぱり
弘法大師のおひざ元だから。、、、
香川県民はどこかで
そう思ったはず。
東の方でやや
大雨が降ったようだが
大きなすいがいもなく、、、、、
それともう一つ
早明浦ダムの貯水率が
100%になった。
香川県民はどこかで
かならず早明浦ダムの
貯水率を気にかけている。。。。。
どれもこれも
結局は、香川県が雨が少ないという
地形にあるからに他ならないのだが。
以前に言った様に
香川県は太平洋のしめった空気を
2000mに近い剣山系を
中心とした四国山脈が受け止め
意義に高い
1000mに近い山がある
讃岐山脈がのこりをうけとめる
狭い土地には
大きな川ができる
場所もない。
つまり大雨、水害が
起こりにくくなっているのである。
吉野川は悲しいかな
四国四県の中で、
香川県だけ通過していない。
だから給水制限がすぐかかる。
ああ悲しいかな、、、
実は、土器川は大昔の
吉野川の名残で、
大昔は、讃岐山脈を貫いて
丸亀方面に流れていた。
それがフォッサマグナの
力で讃岐山脈が隆起して
今の流れになっている。
それが証拠に土器川の河原には
吉野川特有のあの青い
石が散見される。
それにしても
最近の気候変動は、
どこにでも大雨を降らせるようになった。
今後、大雨が香川県にも
降る可能性が高くなってきている。
そうなれば
逆に水害にはもろいはず。。。。
アランドロン
アランドロンがなくなった。
っといって
もう、アランドロンを知らない
人が多いのにびっくり。
われわれの世代では
2枚目の代名詞で
特に日本では絶大な人気を誇った。
あの太陽にいっぱいの
ギラギラした
容姿と演技は
アランドロンの魅力を
最高に引き出した。
後にマットデイモンで
ハリウッドで焼き直ししていたが、
彼の演技力をしても
足元にも及ばなかった。
ただし、フランスでは
2枚目から3枚目までこなす
ジャンポールベルモンド
の方が人気があったようだが。。。。

ちなみに左がアランドロンで
右がジャンポールベルモンド
60年代、また
フランスの映画が
ハリウッドと肩をならべるほど
華やかだったころの
トップスターだったのである。
ただ、
40代の人間でさえ
名前は知ってるという
くらいの人が
多いのにはびっくりした。
そういえば、
最近、とあることで
スチーブマックイーンの
話をしたら
だれも知らなかったのにも
驚かされた。
60年代から70年代前半の
トップスターだったのだが。。。。。

逆を言えば、自分が年をとったこと
に衝撃をうけたのである。
ただ、今の世の中、
映像の多様性で
映画自体が、廃れている
ことの象徴であるのかもしれない。
昔の映画を好んで観る人もいないだろう。
昔の映画スターは
テレビ俳優と一線を画しており
主役級の俳優は
決してテレビに出なかった時代だったから。
逆に言うと
当時はとても華があった。
三船敏郎が日本より
海外での名声が高かった様に
今後とも
これだけの映画スターは
出てくることがないだろう。
なんだか寂しいのだが、、、
高松まつりの花火が、、、、
今年に高松まつりの花火は
なんと15分!!
ショボい!!??
年齢的なものか否か
今は、花火を一生懸命に
見に行こうなんておもわなく
なってしまちゃった。
それでいても、ケーブルテレビで
見ていると
なんともショボい!!
毎年、高松まつりの花火のときは
音だけきこえて
うるさいとおもっていたが、
今年はうるさいと思う間もなく
おわってしまった。
お金がないのだから、
これでいいのだろうが、
中と半場は。。。。。。
久留米では、
大学病院から2~3kmの所で
毎年、昔から水天宮の花火大会が
あって、西日本有数の花火大会で
それも、筑後川の対岸で打ち上げる花火を
川岸でみれたから
それはとても見事だった。
しだれ花火の大玉は
頭の上から降ってくる印象があったし、
仕掛け花火もばっちり見えた。
学生の頃は、病院に車をおいて
見にいっていたものだった。
それがあるので、
どうにも今年の高松まつりの
花火はショボい、、、、、、
それにしても
もう、お盆が終わってしまったのだが、
お盆が過ぎると
このくそ熱い夏が
少しずつ後退していって。
日に日に朝日はおそく
夕日は早くなって
なにか寂しい季節がやってくる。
あんなに、熱くてたまらない
夏を嫌がっていても
毎年、お盆がすぎると
なぜだか寂しさを覚える。
山下達郎の
“さよなら夏の日”の曲が
似合う季節となり
もうすこしすると
荒井ゆみの
“挽夏”の曲が
似合う様になる。
私もこの夏
64歳になって
夏どころか
もう人生の秋が終わろうとしている
寂しさがあるのだが、、、、
ブログも盆休み
今回は、ブログも盆休みで
最近作ったものを。。。。
1.夏のすいか




2.夏のよぞら



シャーカステン(昔レントゲンをみていたやつ)
で作ってます。
3.鯉の引っ越し
鯉が大きくなって手狭になったので
緑生(デイサービス)でつかっていた
ヒノキのおふろを捨てるというので
もったいないので、それをもらって
3つ合わせて作りました。



アヒル隊長もいます

これは昔の池。
私、医療をするより
こんなことをする方が
楽しい!!!
職業間違ったかも。。。
パリオリンピック
今、まさにパリで
オリンピックが行われているが、
なぜだろう。
以前ほど
興味がわかないのだ。
これも歳なのだろうか。
64年の東京オリンピックは
さすがに記憶が薄い。
しかし、68年のメキシコ
オリンピックは
食い入る様にみていた。
長く破られなかった
陸上、走り幅跳びの
ビーモン選手の8m90cm
のジャンプは
今でもそれを覚えている。
首を振る独特のフォームのマラソンの
君原の銅メダル。
72年のミュンヘン
森田、横田、猫田、大古の男子バレー
ミュンヘンへの道というテレビ番組まで
あった。、
加藤沢男の体操、田口の水泳
78年のモントリオール
での女子バレーの優勝など
当時は、また学生であったからかも
しれないが、よく見ていた。
しかし、80年のモスクワの
オリンピックのボイコット問題
84年のロサンゼルスオリンピック
も同様で、ボイコット問題。
そこらへんから怪しくなってきて
決定的だったのは
96年のアトランタオリンピックの
商業主義。
なにかそこらから
オリンピックが変な方向へ向いてきた。
それからは商業主義が
前面に出てくる様になって
北京オリンピックをはじめ
その後は、国の威信。
一歩間違えば、
戦前のベルリンオリンピックの
様な国家のプロパガンダ
の大会になりかけている。
今回もそうだが、
プロの出場を許してからというもの
このくそ熱い夏でないと
開催できなくなってもしまった。
巨額の放映権は
この日本でさえすべての映像を
流せない時代になってしまっている。
なにかが変。
競技は増えるし、
その国の事情で
毎回、協議はかわるし、
なにかがおかしい。
(おじさんは、スケボーや
○○、ブレイクダンスにいたっては
点でわからんぞ!!)
私もスポーツを一生懸命
やっていた人間。
スポーツは神格化されているが
決してスポーツマンシップだけでは
できない世界。
もう一度原点に戻って
平和の祭典としてやり直すか、
甲子園の様に
それぞれの競技で
やる場所を固定したら
いかがだろうか。
そしてやはり、
アマチュアだけでやったらどうだろうか
お金にかかわると
人間は卑しくなってしまう。
これは究極のパワハラ?
お上が日本をつぶす
最近、トヨタの会長が
日本の行政のやり方に不満をいだき
このままでは会社自体を
外国にうつすと愚痴を漏らした様だ。
要約すれば
日本の行政は国内の会社に厳しく
外国企業には優しい。
これは、外国の行政の真反対。
外国では、一般的に自国の企業と
方針を共有し、自国の企業が
優位に動く様に保護している。
という事。
これを見ておもったのが
どの業界も同じなのだと。
実は、医療業界も同じ状態で
外国の製薬会社に対しては、
びっくりするほど甘いのに
日本国内の企業に対しては
規則でがんじがらめにして
厳しい。。。。
一方、小林製薬の様なことがおこったら
鬼の首を取った様なありさま。
今回のコロナ騒動の前に
ジェネリック薬を推進しすぎて
本来の製薬会社は体力をなくしてしまい
新薬の開発能力が一期に低下、
そこにコロナ騒動で
もうワクチンも治療薬も
製造する力が残っていなかったところへ
他の国では
国を挙げての開発と
見切り発車の承認がつづいていたのに対し
日本国内ではさまざまな制約が
製造の妨げになってしまった。
そのおかげで
日本は何兆円もの税金を
むだにした。
このことをだれも
とりあげないし、もちろん
だれも責任をとらない。
一方、ジェネリック推進のあまり
ジェネリックの会社には甘く、
不正が次々に表面化し
これらのことで
今、信じられないほどの薬の
供給不足に陥っている。
現在、風邪薬だけではなく、
様々な薬が不足している。
ジェネリックの会社が
手入れで急に薬を作らなくなったら
本家の会社に慌てて増産しろと
命令。
本会社は薬価を下げられているので
増産しても利が出ない。
いろいろな規制はきびしく、
制度がわるくても責任はとらない
手入れは厳しく、
いろいろな物に対しては
強権で命令する。
医療なんて保険制度で
がんじがらめの命令をして
それに歯向かおうものなら
行政指導をちらつかせる。
これは、究極のパワハラではないのかな?
こんなことがどの業界でも
あっていると思うと
日本の未来は。。。。。。。
なんて憤るじじいでした。
これは熱いは、
今週から雨が上って
さすがに暑い。
この暑さ、先週までが
かなり気温が低かったから
余計に暑く感じる。
これは、本当に暑いのか?
暑いとおもっているだけじゃないの?
例えば、
エアコンの温度設定を
23度に設定するとすれば、
夏は寒いが、冬は暖かく感じる。
そこは、人間、
自律神経がうまくコントロールしている。
犬が、季節替わりに
毛が抜け変わる様に
人間も冬用の体と夏用の体があるのか?
いろいろな、要因はあるであろうが、
自立神経が循環動態を
季節にあわせて調節している
のは間違いないだろう。
それが証拠に
北海道の人はとてつもなく寒い日に
私たちとほぼ同じ格好をしてるし、
北欧の人たちなんて
あんなに気温が低い中で夏だといって
めちゃくちゃ軽装でいる。
泳いだりもしている。
よって今年は、余計に暑く感じてるんじゃ
ないか。
でも、それだけか??
昔、中学校の頃、クラブで炎天下に
何時間もたって、水ものまして
もらえなかった。
大学の時も同じ。
あの時はとてつもなく暑かったなー
調べてみると高松では
7月、8月の最高気温は、
1969年 35.4、36.4
1970年 35.0、35.9
1973年34.3、35.0
1984年35.2,35.5
2023年 37.5、36.7
同じく7月8月の平均最高気温は
1970年 30.3、31.4
1971年 31.3、30.7
2022年 33.0、34.3
2023年 32.9、34.2
げー
2度近く高くなってる!
これは熱いは!
やっぱり昔より熱くなってる!
でも、私、高校生まで
夜は、クーラーなどなく、
夜は、廊下のタイルの上で
べったりくっついてねてたり
大学生の時は、
ゴキブリも死ぬ暑さの
部屋で汗をかきながら寝てた。
(以前にもいったが、クラブを
した後は、寝れないので
水風呂で十分体を冷やしてから
ねてはいたのだが。。)
たとえ
気温が昔の気温でも
もうそれは、できない!!
人間、一旦、エアコンの生活に慣れると
年齢もあって、その状態には
到底戻れない。
一旦、生活レベルをあげると
元になかなか戻せないのと一緒!
なんと、今は、
昔より熱いのに
涼しい環境にいようとしている
という矛盾の中にいるのだ。!
そりゃ、電気代かかるわ!
東京ドームって
よくテレビで
ここの広さは東京ドーム○○個分です
っていってるが、
それってどんだけ~~~
私、東京ドームに何度かは
いったことがあるが、
その大きさを東京ドームに
たとえられても
地方の人間には
ピンとこないじゃん!!
おまけに容積も
東京ドーム〇〇個分です!
ますますわかんね~~~
挙句の果てに、ここの広さは
山手線の内側ぐらいとか
東京23区ほどの大きさとか
地方の人間をバカにするのも
いい加減にしろ!!!
そのたとえ全くわからんわい!!
ちなみに東京ドームの大きさは
46755平方メートル
つまり
およそ、200m×200mぐらいの広さ
容積は、124万立方メートル
おおよそ一辺100mちょっとの
立方体の大きさ。
私にはそちらの方が
想像がつくのだけれど。。。。
だてに算数習ったんじゃ無いわい!!
せめて、とこにでもある
400mトラックの内側の面積の
何個分とか
一般的な野球場の外野を含んだ
面積の何個分とかにせい!!
ここまでは一万歩譲って
ゆるしてやるにしても
たまに、やや卑下した言い方で
(小さいことのたとえで)
香川県ほどの面積とか
四国ほどの大きさとか
四国の人間をばかにすな!!!!
と、テレビをみてよく思うのです!!
おれは語学がからっきしだめ!!
私、歴史が比較的好きで
英雄たちの選択というNHKの番組を
時々見ているが、
そのメインキャスターの磯田道史さんという
武士の家計簿とかをかいた
岡山出身の歴史学者が
古文書を目をきらきらさせながら
読んでいるのをみて
心底、尊敬する。
古文書なんか、
先ず、字が読めない。
読めたところで
何を書いているのか
さっぱりわからない。
大体、私、高校時代、
現代国語が嫌いで
漢文なんか、とんでもない。
漢文が読めたとして
内容は古文。
古文がわかったとして
内容は国語
よって私、漢文はいつも0点に近い点数!!
漢文が読めたり
書けたりしたら
かっこいい。。。が
とっくの昔に諦めた。
ドイツの考古学者にハインリッヒ・シュリーマン
といってあのトロイの遺跡を
発掘した人物がいる。
トロイの遺跡を発掘するにあたって、
いろいろな古い文書を解読したり
現地の言葉をマスターしたり
誇張ではあるにしろ
15か国語をマスターしたと
自称しているが、
すくなくとも
かなりの語学力であることは
確からしい。
うらやましい。
私、英語の論文を読むにも
いい睡眠薬になって
昼でもすぐ寝かぶって
1行よむのに1時間かかる。
英語を読めたり、
映画を原語でみれたら
どんなにいいかと思っていたが、
最近youtubeで帰国子女の
話をきいていたら
その国の言語なぞ
その国で生まれ育って
その国の分化を体現していなければ
本当の意味なぞ
分からないことがよく分かった。
英語はあきらめよう。。。
本来、人類は
まだ、言語を使いこなす様にまで
進化は進んでいない。
(文字ができてたかだか3000年!)
大体、最近の翻訳は、
AIのおかげで
各段によくなってきている。
今後、それぞれの国の文化まで
汲み取って
本当に正確な
翻訳ができる様になるだろう。
最近は、いろいろな
国の人が受診に来るようになったが、
なんとかスマホ
の翻訳で診察出来るようになったし、、、、、
あ、、、語学なんか
やめたやめた
と、自分に言い聞かせる毎日です。
テレビの番3
先週、ルマン24時間レースがあった。
ルマン24時間レースといえば
昔、スティーブマックイーンの映画が有名であるが、
結構、自動車レースが好きで
F1やルマンのレースをテレビで
見ていたのだが、
BSを含め、
どこを探してももう無料で
中継をやっていないのである。
今や、いずれも
有料コンテンツでなければ
観れなくなってしまった。
さすがに、金を払ってまで
観ようと思わない。。。。。
最近は、ボクシングなんかも
地上波でしなくなってきている。
主催者側は、有料コンテンツに
放映権を売った方が
収入がいいものだから
最近は、なんでもかんでも
有料で放映する様になっている。
つまり、今、現在は、
趣向が多様化して
コアなファンが金をはらって
それを観る時代になったのである。
だがしかし、
長期的に見れば、
おそらく、今後は私の様な
中途半端なファンが
減少して、そのコアな方面の
興味が薄れ去ってしまう様な気がする。
主催者にとっては、明日でなく、
今、儲かればいいと考えているに違いない。
大谷翔平選手の試合は
いま、何とか、NHKが放映しているが、
もし、これらの試合が
有料コンテンツだけになったら
昨年のWBCの試合が
有料コンテンツだけ放映していたら
大谷フィーバーなど起こっていないだろう。
もうすぐパリオリンピックであるが、
オリンピックも放映権料が
うなぎ上りで、今後有料コンテンツだけが
放映する様になるかもしれない。
そうなるといずれ
オリンピック自体の存在が
人々の興味から消失してしまうだろう。。。
それぞれの世界で生きている
人々は、決して、コアなファンだけに
観てほしいとは思っていないだろうし、
今後、そのジャンルが
世の中から忘れ去られることは望んで
いないだろう。。。。
この現代というのは
主催者側の商業主義と
その中で生きる人間の格差をどんどん広げて
行っている様なきがするのだが、、、、
このままでは
多様性の時代である現代は
稀薄性の未来になるのではないかと
危惧するのである。。。。
と、ルマンが見れなかった
淋しさで、
世の中に
八つ当たりするのであった。
テレビの番2
高齢の患者さんに毎日何している?
って聞いたら。
“草抜き”、”テレビの番“
という答えが圧倒的だったが、
(坂出はそんなに雑草がはえるのか?)
最近、70歳代の人ではあるが、
毎日何してると聞いたら、
YouTubeを見てる
という答えが返ってきた。
私は、以前から
テレビをあまり見ない方で
特にドラマ系統はあまり見ない人だが、
また、観る時間もないので、
日曜日に一週間の番組を確認して
観たいものだけ録画予約して
時間が空いた時に見ることがある。
それでも最近のテレビは見たいものが
激減している。
それもそのはず、
YouTubeを見れば
最近、宣伝がすさまじい。
観たいYoutubeを観るとき
その前に長いときは1分近いコマーシャルがでて
見ている途中でもコマーシャルが入る。
これでは、企業がテレビにお金を
出さなくなってきて、
それにつれて番組の制作費が減って
番組自体の質の低下がおこって
視聴率が減る。
それがもとで
スポンサーが減るという
制作費が減っていい番組が作れない
という
悪循環が止まらない状態だろう。
私も夕飯を食べる時はテレビを見ることが
多いのだが、
最近は、テレビにYoutubeが映る様に
なっているので
大谷のホームランを観るという様な
ことが増えてしまった。
このままでは
毎日何している?という問いに
もうすぐ
“Youtubeの番”
という答えが増えて来るのは間違いない。
。。。。。。。。。。。。
テレビで育ってきた
おじさんは、
もう少しテレビに頑張ってほしいな。
また一つ
もうすぐ私も64歳
毎日の通勤路で、自分が通っていた
小学校の横を通る。
今、住んでいるところが、
もともと子供の頃から住んでいる所
なので、小学校の
通学路にそって通勤している
様なものなのだが。。。。。
60年弱の年月は
周囲をほとんどかえてしまう。
それでも、
通っていた小学校周囲の建物は、
結構、残っていた。。。。
高松の県庁横にある小学校なのだが、
最近、その周囲の、
資生堂のビルと高松信金のたてものが
こわされていた。
その建物の横を通って
通っていたので
毎日、その建物がすこしづつ
壊されているのを見ると
昔の自分の思い出が少しづつ
壊されている様で
それを毎日見るのが
なにかしら、切なかった。
しかし、大きな発見があり、
そのビルが壊されたら、
その奥にあった
昔の中学校の体育館が現れた。
中学校の校舎はもうすでに
40年も前に壊されて
なくなっていたのだが、
体育館だけがそのままだったのだ。

その体育館、実を言うと
1953年に四国国体があった時に建てられたもので
もうすでに70年(私が生まれる前)
たっており、中学校当時には
もうすでに雨漏りがしていた
体育館だった。
それが、昔の思い出と共に
表に現れたのた。
そういえば
丹下健三設計の
県立体育館(1964年)
の解体が決まったらしい
(何か淋しい)

それでも
同じく丹下健三設計の
県庁(1958年)は、
(でかい今の県庁のよこでがんばっている)

他にも
高松文化会館(1965年)
(いろんな建物の間にうまっているが)

そして小学校の校舎(1965年頃)
(耐震強化で鉄枠がはいっているが)
は、いまも頑張って
けなげに立っている。
いまからも、私の思い出と
ともに頑張って立っていてほしいものだ。
だから何?の世界。
だいぶ前に書いたのだが
若いころ、博士号論文の研究をしていたころ
論文のテーマというのは、
研究室から直接与えられるのだが、
形式的には教授から
与えられることになる。
だから、月1回ぐらい
研究している人間は、
研究の進み具合を教授の前で
発表する会があるのだが、
研究内容は基礎の医学で
コアな世界であるから
教授がその内容がわかるわけがない。
私は、特殊な胃がんで進行癌でも
予後が比較的いい胃がんで
その理由を研究していたのだが、
していることは、
胃がん細胞の膜
にあるタンパク質が
免疫をになうリンパ球と接着して
その接着する要因を顕微鏡レベルで
調べていた。。。。。。
一般の人どころか
教授でもその内容はちんぷんかんぷんで、
私だけではなく、他の研究している
人間もほぼ同じ様なコアな世界であるから。
発表を聞いた後の教授の質問は
いつも
“それが臨床でどうやくだつの”だった。
こういう基礎研究というのは
それらの研究が寄り合って
検証していい結果がでたものの
研究がすすんでから
治療法への応用が研究されて
それから動物実験がはじまって
と、臨床への道はとてつもなく遠いのである。
やっている本人も研究の途中で
なんのためにやっているのか
分からなくなるぐらいである。
最近
テレビを見ていたら
蛍の研究をしている研究者が蛍のことを
遺伝子解析までして
詳しくしらべていた。
現在の種類、分布などなど、、、、
私があこがれる
宇宙の研究も、つきつめれば
それがわかって何になる?という
世界である。
宇宙の進化、広がり、物理法則、、、、、
医学はいくらかでも
うまくいけば、病気の治療に役立つかもしれない
のだが、
それらの研究は、人間の生活に
ほとんど役にはたたない。
でも、そんな研究者ほど
眼がらんらんとして
凄く、生き生きとしているのである。
そんな研究者たちに
昔からとてもあこがれるのである。
研究というのは
お金と心に余裕がなければできない。
結局は、
国に余裕がなければできない。
ウクライナの様に戦争中に
そんな研究ができるわけがないし、
金があってもどこぞの国に様に
人殺しの道具の研究ばっかりしている
国もある。
日本は、どんどん
金も心もなくなってきている。
コアな研究が
結局は人の心を豊かにするのだが、、、
それが、どんどんできなくなっている。
と、ふと悲しくなるのです。。
10年はひと昔
10年は早いといえば早いが、、、
最近、愛生苑で
診ている患者さんが亡くなった。
愛生苑では、
入所者とショートステイの
利用者がいるのだが、
(入所者は介護度が高く
ずっといる人で、ショートステイは
名目上は、家と泊まりを繰り返して
いる人なのだが、事実上は
介護度((介護2以下))がひくく入所の規定に
入らない人がおおいのだが、、、)
10年前から入所している
最後の一人だった。
10年前30人ほど入所者を
みていたのだが
この10年で一人また一人と
なくなって
ついにその一人が亡くなってしまった。
よく考えれば、10年前に
90歳の人は100歳になるのだから
入所者は
90歳を越した人が多いのだから
当たり前といえば当たり前なのだが、、、、、
この10年間で外来からショートへ
そして入所して亡くなった方も
いる。
10年前は、認知もなく、
自動車にのってきていて、
いまはショートに入っている
人もいる。
上里医院に来てから
それまで診てきていた人より
ざっと平均で20歳ほど
年齢があがっており
老化という
大病の前に
なすすべもない
自分の無力さに
まじめに
虚無感を感じるのである。
80歳を超えると
いろいろと急激に病気が増えてくる
またその中で
治療に対する
年齢という大きな壁が立ちはだかる。
そんな虚無感を
真面目に考えると
やっぱり鬱になる。。。。。
気を取り直して
老化に対する新しい論文を
読み漁ろうとして
英語という大きな壁にぶちあたり
1行よんだら睡魔が襲ってくる
むなしい毎日に耐える
上里医院10年目の
日々なのです。。。
性善説の崩壊
昔、倫理の授業で?
孟子がとなえた性善説の
話を習った?
最近、日本は、性善説にささえられて
いたので、法律も
それに基づいて作られていたのだが
今の日本は、性善説が崩壊し、
それに法律が追い付いていないという
記事が載っていた。
その通りと思うとともに
日本の性善説の崩壊は
日本の崩壊の様な気がする。
今回、東京での補欠選挙で、
選挙妨害が問題になっていたが、
それを取り締まるちゃんとした法律が
ない様だ。。
それというのも、元々そういうことは
しないという暗黙のルールがあったから
だそうだ。
よく、考えれば、
オレオレ詐欺も
性善説の中で生きていた高齢者が
まさか、そんなことをするとは
思っても見ないことで
だまされている。
色々な記念碑や展示物が
そんなものを故意に
破損させたり、壊したりするやつ
などいないという前提で
展示していたのに
破壊したり、とって行くやつが
いるので
監視カメラやなにかがいる様になっている。
無人の販売所なんか、
全てが性善説の中で
成り立っている典型。
小さいことで言えば
コンビニのごみ捨て。
コンビニ自体は、40年以上前からあって
ゴミ箱もずっと外においてあったのに
20年ほど前から
家庭ごみをすてるヤカラが
どんどんふえて
店内に設置したり、
どうかすれば、おいていないところまである。
街角の空き缶入れまで
最近は、皆、家庭の空き缶やペットボトル
をすてるもんだから
最終的に今は、下らか入れる様に
様式が変化している。
モンスター○○
カスハラ、
全てが性善説の崩壊が
まねいている状態か。。。。。
日本ももう終わりだな、
鬱は突然やってくる
人は、だれしも気分の上下はあるもの。
その波が大きいか小さいかの違いが
あるだけで、
それを病気とするとなると
その線引きが難しい。
毎日、結構、普通にいきていたら
突然、鬱がやってきて
今、その真っただ中。
現在、地下10階といったところかな。
何事もいい方に考えて、常に
上昇思考の人がいいというが、
そういうこと自体が
結構、いろいろ落ち込んでいるのだな
という気がする。
こうなると、毎日、人とむきあって、
話しながらつきあっていかないといけない
仕事は、つらいもの。。。。
気分の落ち込みを
横においといて仕事をしなければいけない。。。。。
私が学生時代に
学籍番号が次のやつが
結構、浮き沈みが激しいやつで
いい時は自分から
いろいろ話してくるが、
落ち込んだ時は、
話しかけても、なにも帰ってこない。
後に精神科の医者になったのだが、、、、
まあ、気持ちが上ずっている時は
あれがしたい、これがしたいと
いろいろおもうのだが、
気分が落ち込んでいる時は
いろいろなことを
あれもしなければいけない、
、これもしなければいけない
となってしまう。
こういう時、無理に気晴らしなぞすると
その後の反動で余計おちこんでしまう。。。
疲れている時に
〇〇などの栄養ドリンクなんかを飲むと
結局興奮剤なので、
一瞬、元気になって動きまわって
そのあと、余計につかれてしまうのと
同じ。。。。様なもの??
人間、気分の上下、感情の上下は
脳内物質、それもごく少量の脳内物質で
左右される。
私なぞ、単純にできている
脊髄反射人間なんで
常に、
脳内のその極少量の物質に支配されている。
ただ、追い込まれると
生体防御反応なのか
突然、楽天的になる。。。。
今度はいつそうなるのかな。。。。
バーガーキング
この連休、いつもの様に
どこにも行かなかったのだが、
散歩がてらに
高松駅にできたオルネに少しよって
以前から、食べてみたかった
バーガーキングに行ってみた。
なかなかボリュームのある
いわゆる
ハンバーガーであったのだが、
それなりにおいしかったのだが、
そこで気が付いたことがある。。。
ハンバーガーといえば
私、どうもマックが苦手で
あまり食べないのだが、
(マックができたころ、
子供の健康に悪いと
あれはミミズの肉だ!!なんていう
誹謗中傷があり、
その誹謗中傷が子供心に
のこったのか??)
家から近くにモスバーガーがあるので
少し高いのだが、
時々食べていた。
今回、バーガーキングのハンバーガー
を食べた時に感じたことは
いわゆるハンバーガーというのは
こういうもので、
モスバーガーというのは
日本生まれの別の食べ物だ
という気がした。
モズバーガーというのは、
もともと日本の会社のチェーン店であり
おそらく、日本人向けに作った
ハンバーガーであり
強いていえば、日本人が思っている
ハンバーガーである。。
話は変わるが、
介護施設に来ている、インドネシアの
人達が、日本のお菓子がおいしいといって
結構、食べているみたい。
日本人は、カステラから始まり
チョコレート、ポテチなど
食べる物を
勝手に解釈してどんどん
独自のものを作り、
良しも悪しも
日本人の口にあったものを作る。
そして気が付けば本来のものとは
別物を作り上げる。
ハンバーガーもその一つの様な
気がした。
ややかさついたバン。
とても調和がとれているとは
言えない中身。。。
一方、いままで食べていた
ハンバーガーは
舌触りのいいパンに
(パンにしても日本独特)
あくまでも味の調和をかんがえた
中身。。。。
よく考えれば、別ものといっていい
かもしれない。
同じ名前の付いた別の食べ物と考えれば、
バーガーキングもモスバーガーも
おいしいのである。
改良は、日本人のいいところでも
あるのだが、下手をすれば
行き過ぎの所がある様に思える。
ただ、最近は、そのいいところも
なくなってきているのだが、、、、。
ああ寸でのところで、、、、
現在、新型コロナの感染が
再び、増加してる。
現在、当院へ来るコロナ感染者は
若い人が中心であるためか
非常に症状が軽いひとが多い。
ただ,高齢者にかかると
どうなるかは確かではない。
それだけに、病院の特殊性で
どうしても自分がかかるわけにはいかない。
クリニックの悲しいところで
私の代わりがいないので
私がコロナにかかると
大変なことになってしまう。
普通、クリニックだけなら
一週間ほど閉鎖するだけなのだが、
(それも大問題だが)
裏の施設があるだけに
(高齢者が多いので、いつなんどき
なにがあるかわからない)
もし、コロナにでもかかったら
見る者がいなくなってしまう。
だから
他のクリニックの医者より
気を付けているのが現状です。
ところが、つい最近
診察室で横についている
看護師さんが、新型コロナに感染して
しまい、さすがに
かかってしまったかと
半ば観念していた。
この狭い診察室で、
2日間、1mぐらいのところにいて
その上、看護師さんは、マスクをしているが
私、N95マスクをクビにかけてはいるが
ほとんど診察中はマスクを外している。
というのも
高齢の人が多く、耳が遠い人が多く
マスクをしていたら声がこもって
声が通らない上に
どうも耳が遠いひとは
口の動きで結構判断しており
口もとを見せなければ
話が通らないことが多く
ほとんどマスクをすることがない。
いままでもクラスターの中に突入して
長時間、患者さんをみていたり、
感染者を防護なしで
診察したりして(あとでわかって)
感染してもおかしくない状況は
多々あって
なんとか切り抜けてきていたが、
さすがに今回はダメかとおもったが
3日間、暇があったらねていたのが
よかったのか
(免疫を上げるため)
感染をまぬがれた。
私も今回はうかつで、
看護師さんが
朝から鼻水がでていたのは
しっていたのだが
もともと花粉症があり、
発熱もなく、つい気を許していた。
これが患者さんであれば、
おそらく、
気づいていたのだが、、、、、
(診察したら、アレルギーか
かぜの症状なのかは、なんとなく
判断でいるし、
大体、雨の日であったから
花粉症がひどいわけがない。
。。。。
今回、私だけでなく、
患者さんにもうつす
こともなく、幸運であったといえば
幸運であったのだが、、、、
灯台もとくらし、
いつまでたっても
コロナにおびえる
私でした。。。。
連休
いよいよ、5月の連休が
迫ってきたのだが、
土曜日が休みではないし
30、1、2は休みではないので
実質6日間ではあるのだが、
正月、盆と
年に3回ある休みの塊である。
今年は当番が当たっていないので
まるまる6日休みがあるのだが、
それでも裏の施設や
デイサービスは休みがないので
毎日、電話対応しなければいけないし、
もし、状態がよくない人がいたら
いつ呼び出されるかわからない。
本当の意味ではゆっくりはできない
のではあります。
私が若いころは、
本当に休みなどなく、
毎日病院へいって、患者さんをみて
急患の対応もしていたし、
休日の当直は若いドクターの
役目であった。
今は働き方改革?
のおかげで、若いドクターは
休んでいるみたい。。。。。
いつものことではあるのだが、
連休が近づくと
何をしようか考えるのだが、
結局、考える暇もなく
休みに突入して、
前半はなにもできず
後半は、
なにかしなければ
とあせって終了する。
結局、いつもできない
掃除とか
読めなかった本(医学の)を
読んだりして、
なにも休みらしいことができなくて
終了して、
これがおわれば、
7月まで祭日が無い上に
6月からは市の検診が始まるものだから
忙しくなってしまうので
あとのことばかり考える様になって憂鬱になってしまう
のが毎年の連休の過ごし方なのである。
いまのままで行けば
例年通り、
なにもしないでというか
なにもできないまま終了しそうです。
ま、それがいちばんいいのかも
しれないが、、、、
“じじい!!”
昨年、私もついに
ほんとに“じじい”になったのだが。。。。
昨年、夏に孫が誕生して
写真館に写真を
取りにいったとき
集合写真を撮るときに
“おじいさんはこちらに”
と写真館の人にいわれて
自分がよばれたことを
認識するのに10秒は
かかったかもしれない。
婦長に孫ができたとき
冗談で“ばばあ”“ばばあ”
と言っていたのだが
気が付けば
自分が
“じじい”になっていた。
最近、娘が孫をつれて
かえってきていたのだが、
その時、自分の親が
自分の娘が小さい時に
言っていたことばを思い出した。
“成長しなければ困るのだけれども
このまま大きくならなければいいのに。。。“
自分の孫をみると
同じ気持ちになってしまった。
人間、
こどものころは
真っ白な紙で
汚れがない。
大きくなればなるほど
苦労をかさね、
悩みを持ち、
いろいろな嵯峨を背負いながら
生きていかなければならなくなって、
気が付けば真っ白な紙は
よごれ、ぼろぼろになって
それでもその紙に
文字を書かなければならなくなる。
真っ白なままで
あればいいのに、、、、と
この年になれば
紙はしわくちゃで
ぼろぼろになり、
それでも、毎日字を書いているのだが
しわくちゃな紙では
きれいな字がかけないし、
書くスペースもどんどん
減ってきている。
それでも一生懸命
紙を伸ばして
余ったスペースに
できるだけ綺麗な字を書こうとしているのだが
どんどん難しくなってきている。
なんて
孫を見て
感傷に浸る“じじい”でした。
毎日、毎日、、、、
おさない頃、おやじが糖尿病で
毎日インシュリンの注射をしている
のを見てあまり痛がっていない様に
見えたし、
歯医者で、泣いている大人を見たことがなかった
ので、勝手に
大人になると痛みをあまり
感じなくなると思っていた。
大人はいいな、、
それと同じく
何の根拠もなく、
大人になれば
悩み事が減ると勝手に思い込んでいた。
もちろん、勝手な思い込みであったのだが、
最近、特に思うのが
年をとればとるほど
悩みが増える。
こういう仕事をしている限り
ストレスと共にいろんなことを
悩んでしまう。
こう見えても、患者さんのことは
引っかかると一日中
というかずーと
頭に抱えてしまう。
その上にさらに
年齢による体の悩みや
あと、どのくらい生きられるか
どのくらい仕事できるか
とか、年々悩みが増加してゆく。
あーしんど。
しかし、子供の頃に悩みが
無かったのかというと
そうではなく、結構、
悩みはあったもの。
それはどういうわけかというと
おそらく
人間10のことを考えられるとすると
悩むと全てそれにつぎ込むから
悩みが小さくても
その人にとっては
かなりのストレスになるのではないかと
思っている。
だから、他人からみれば、
小さな悩みでも
その人にとっては
とてつもないストレスになっている
のだと思う。
と、言うより
10のことに神経を使うのに
楽しいことがあれば
悩みに使う神経を
5とか6とかに減らせて
悩みも減るのかもしれない。
そういえば
最近
毎日楽しいことが
ないからなーーと
でもちょっとやそっとの
楽しいことでは
10使う神経のうち
9.9、せいぜい9.8ぐらいまでしか
下がらないかもしれない
と思う今日この頃でした。
皮膚が薄い!!
関連施設で、デイサービス2つショートステイ、
小規模多機能、特養と多くの
高齢者を抱えているので
まー毎日とは言わないけれど
しょっちゅう
皮膚の皮をはがしてくる。
皮膚が薄い上に
皮下の脂肪組織までへって
クッションまでなくなっているので
ちょっとしたことで
皮膚がベロンとはげる。
まるで服を釘に引っ掛けた様に
かぎ状にさけてくることが
よくある。
皮膚がはげると
皮膚が無くなっていれば
仕方ないので
ハイドロゲルという
皮膚の代わりの物をはって
皮膚が生えてくるのを待つのだが、
皮膚が残っていると
どうにか残っている皮膚を伸ばして
医療用のテープで固定する。
(もちろん、取れてしまった
皮膚は引っ付かないが、
どこかに引っ付いて血行が
のこっていればどうにかひっつく)

(この写真ではまっすぐになっている
のだが、実際はいろんな形んで
皮膚をはがしてくる。)
しかし、人間の体は良くできたもので
高齢でも傷は結構綺麗に
治ってしまう。
ただし、新陳代謝が
ちがうので、若いひととは
格段の治癒のスピードの違いはある。
(子供のころ海にいってその夜には
皮膚がはげていたのが、
年齢がいくとわすれたころに
剥げてくる)
皮膚の厚さとハリでいえば
若い人に注射で針をさすのと
高齢の人に針を刺すのでは
その感触が全然違う。
皮膚の厚さとともに
血管の弾力性がちがうので
皮膚に針をいれるときは
子供では皮膚が一旦へこんでから
入る感触があり
血管に針が入るときは
プツっという感覚があるが、
高齢になると
皮膚に刺した感覚がない上に
血管がもろくて細いので
すぐ突き抜けてしまう。
われわれは、日ごろ
こういう所からも老化というものを
ひしひしと
身に染みて感じているのです。
バカだからいつも空をみている。
私、子供の頃から
眼がいいからかどうかはわからないが、
とにかく空を見るのが好きで、
というか、
昔、バカは空ばかり見ている
風なことをだれかがいっていて
それは、おれのことか?とおもった
ことがある。
先ず、青い空に広がる
常に姿を変えてゆく雲を見るのが
大好きで、ずっとみていても飽きない。
綿の様にちぎれては
現れる。
夏にはもくもくと、刻刻
姿を変えてゆく入道雲
夕方や、朝には、
1秒、1秒色が変わって行く
それが好きで、、、、、
(ロマンチスト!!)
前にも行ったが
小さいときは雲の端々が
人の顔に見えて
死んだら雲になるんだ、、、、て
思っていた。
(かわい!!)
それが講じて、
高い空を飛ぶ、飛行機を眺めるのが
好きになり、
中、高生の時は、
飛行機の時刻表を手にいれて
空を飛んでいる、飛行機が
どこから、どこへ飛んでいる
飛行機なのかを調べるのが
すきだった。
家が忙しくて、旅行などしたこと
がない家庭だったので、
その飛行機をながめて、遠くに
思いをはせていたのかもしれない。
今は、インターネットで
Flightradar24
というホームページで
リアルタイムで今飛んでいる
飛行機の機種、高度、発着空港、
全てわかる。
それを見ながら
飛んでる飛行機を見るのも
結構、楽しい。
一回、そのホームページを
見てください。
世界で飛んでいる飛行機が
全て出ているので
面白い。。。ですよ
(もちろん、定時以外の軍用機などは
乗っていない。)
でも、政府専用機などは
ちゃんと載っている。
それが講じて飛行機の飛ぶ
音を聞いて機種がわかる様になってしまった。
珍しい音をきくと
病院の外にでて空を見上げるので
皆には、やや変人扱いされている。
夜は夜で
真っ暗な空を寝ころんで眺めて、
自分の体が夜空に浮かぶ様な
感触がするのが好きなのである。
しかし、今は、
忙しいやら、休みが少ないやらで
ゆっくり空を見上げることもなくなった。
逆に言うとそれだけ心のゆとりが
なくなったということ。。。
。。。。。。。。。。。
以外なひとこと
私も60台の半ばにはいって
あと何年いきられるだろうか
いつぼけるのだろうか
ということを
毎日の様に考える。
毎日、外来で高齢の人を
診察し、
介護施設で認知症の人を
診ているのだが、
つい最近
90を超えた女性の患者さんから
(結構しっかりした方)
”死ぬのが怖い“
という言葉をきいて
すごく印象に残った。
高齢の人から、
しょっちゅう
毎日することがない、
あるいは、体が思う様に
うごかないから
“わたしゃ、はよ、死しんだ
ほうがましじゃ“
ということはよく言われる。
いろいろな疾患に
薬をのませたり、指導を
しながら、よくその言葉を
かけられるので
なにかしらむなしい気持ちになるのだが、
90にもなると
そういう境地に達するのかと
思っていたが、
結局、その言葉は
裏をかえせば
“死ぬのが怖い”
と、いうことだったのだ。。。。
認知症の人は
自分の歳さえよくわからず
さすがになかなか
その境地にはいかないとおもうが
認知症がない人は
結局、高齢で頭の聡明な人は
毎日そう考えてるのだということに
気づかされた。
よく考えれば、90歳もこえると
重病で、余命いくばくもないと
宣言されているのと
かわらない状態なのだ。
先の院長が
認知症は
神様の贈り物と
よく言っていたそうだが、
年齢がいって
毎日、死への恐怖にさいなまれない
様にするには
認知症が一番と思っていたのかも
しれない。。。。。
と思いながら。
あと何年、元気で生きられるのだろうか
と考える自分でした。
ハリウッドの没落
今年もアメリカの
アカデミー賞の授賞式が行われたが、
映画好きの私としては
なにかしらの
寂しさを感じてやまない
21世紀に入ってから
特にこの10年
アカデミー賞の授賞式に
この映画界の没落を感じて
一抹の不安と
秋風を感じるのであった。
映画が生まれてから
100年余り
この1世紀の間は
娯楽の中心であった。
正月にもなると
映画館は、立ち見状態であった。
マスメディアは多様化し
映像文化自体は
いまだ趨勢なのだが、
その伝達形式としての
映画は、どんどん主役の座から
ころげ落ちている。
ハリウッドをまねて、
日本もアカデミー賞を作ったが、
いかんせん、作品数がすくなく、
特に製作費をかけた作品が
少なく、受賞作品は
予想がつくほど限られていた。
本場のアカデミー賞では
毎年、多彩で優秀な作品が登場して
受賞作や主演男優賞、女優賞も
予想がつかない状態だったのだが、
いまや、ほぼ予想がつくほど
秀作が少ない。
受賞される俳優たちも
いわゆる大スターたちだったのだが
今では、大スターさえ
ほとんど存在しない。
いまでは考えられないが、
10代のころは
映画館にそれほど
見に行けるわけでもなく
(基本、保護者なしでは
見に行くのは禁止されていた)
封切から4~5年たって
テレビで放映されているのを
楽しみに待っていた。
ビデオテープも普及しておらず、
必ずその時間にすべてを合わせ
なければならず、
それもテレビ用に短縮された
吹き替え版だったのだ。
日曜洋画劇場(淀川長治)
月曜ロードショー(荻昌弘)
金曜ロードショー(水野晴夫)
最初は水曜日で後に金曜日へ変更
ゴールデン洋画劇場(高島忠雄)土曜日
他、木曜日もあった。
それが、いまや
レンタルどころか
ネット配信で見る時代。
スクリーンから
スマホで見る時代へと
変遷してしまった。
つまり、本当の意味での
映画ではなくなっているのだ。
技術革新も素晴らしく、
いつか、俳優自体も
VXに置き換わってしまうかも
しれない。
バリバリの
昭和人間の私は
なにか寂しくて
むなしいぞ!!
かなり前に話したけれど
さる40年ほど前、学生であったころ
1年間、各科を2週間ずつまわって
臨床実習をする年があった。
いろんな科があったが、
内科、外科、耳鼻科、、、
内科は4科あるし、外科も2科ある。
脳外科、産婦人科、など
科としては20以上あるので
1年間ずっと病院の中を回っていた。
いろいろいったが、
実践で診て、初めて患者さんに接する。
本で診たものが実際に目の前にあらわれて、
実践の厳しさを体感するとともに
将来、自分がすすむ科、あるいは
医者として自分が進む方向性が
そこで決まるといってもいいだろう。
その中でも
一番衝撃を受けたのは
なんといっても
精神科であった。
2週間ずっと精神科病棟に
詰めっぱなしであった。
(病棟に入るのに鍵がいるので
各人、鍵を持っていた。)
そこで衝撃を受けるのは
患者さんが、
マジメに変なことをしているのである。
もちろん、あばれる様な
重傷者とはあまり接しないのだが、
一応、入院がいるような患者さん
なのである。
いもしない人と真剣にしゃべったり
一日中、意味もなく
うろうろ歩き回ったり、
いろいろな事を反射的にして
食べることはするが
その他は表情もなくじっと一点を
見ていたりとか、
変なことはするが、
しゃべったら
結構まともに喋れたりする。
1週間はまあ、いろいろ
見れて楽しいのだが、
2週目ともなると
どちらが正しいことをしているのかが
分からなくなってしまいだした。
マジメに変なことをしているのを
ずっと見ていると
ひょっとすると患者さんの方が
正常で、自分が変なのではないかと
思い出す。
つまり、正常という中心軸が
ずれ始めるのである。
この科だけは、できない!!
自分が変になる!!
と思ったものだった。
結局、人間の営みは社会共存の中
にあるので、それが
できなく、社会を乱してしまう
というのが基準になっているのだろう。
しかしながら、今の世の中、
正常という中心軸が
どこにあるのかわからない。
今の世の中
おじさんの目から見ると
マジメに変なことをしてる
人達が山ほどいる。
それが、だんだんひどく
なっている様な気がしてきて、、、
個人でいえば、
何でもかんでも自分が正義といわんばかりに
いろいろネットで人を批判したり、
国でいえば、
正当な理由をつけて
戦争、紛争したり、
自分が、中心軸からずれているのか
中心軸がかわってしまったのか、
気がつけば
私が変な人??
なにごともほどほどがよいのです。
これは、たしか
20年ほど前の役所広司が
主役の時代劇 “どら平太” という
映画で、終盤で主役の奉行が
藩の家老たちにいった言葉だった
様な気がする。
役所広司の名演と
力強いその言葉が
妙に頭に残っているのです。
医療の治療や、薬の投与、
ダイエットや、食事療法。
なにごともほどほどがいいのです。
医療では、昔
“low is better”
“低けりゃ低いほどいい“という
言葉が流行ったことがある。
ところがそれは
大きな間違い。。。。
例えば血圧で言えば真ん中が
年齢や疾患で少し違うが
収縮期血圧(高い方の血圧)
120~140が丁度いい
それより高いといろいろな
イベント(脳梗塞やら心筋梗塞)が起こり安い。
グラフで書くと
縦軸がイベントを起こる件数で
横軸が血圧とすると
真ん中に適正血圧がくる。

最近の研究でそういう事がわかってきたのである。
コレステロールなんかもそう。
低ければ低いほどいいかといえば
やはりコレステロールも
必用なもので
あまり低すぎてもよくない。
大体のことがそうなっている。
睡眠時間と認知の関係でもそうで
中心が6時間前後になる。
それより長くても短くても
認知の発生率が高くなるのである。
炭水化物ダイエットで
炭水化物を極端に減らす
ダイエットが流行っているが
決してlow is betterではない。
物事、何事もそうでしょう。
仕事のし過ぎもよくないし
休みすぎもよくない。
運動のし過ぎもよくないし
しなさすぎもよくない。
世の中、なにごともほどほどがよいのです。
これでいいのだろうか
最近、自衛隊で
パワハラで、かなり上の階級の
自衛隊員が処分されたとの
記事を見た。
詳細の内容は、わからないが、
内容的には暴力ではなく、
強くどなられたとか、、、、、、。
患者さんからの話で、
自衛隊の若い隊員が、
強い指導内容のことで
その親から苦情が出ることがある
という事例が結構あるらしい。
私にはわからないが、
ウクライナの状態を見ていると
死と隣合わせの戦場での
ストレスは、とてつもないものに
間違いない。
このままでは自衛隊、使い物に
ならないのではないか?
我々の世界、私の時代の
上からの指導は、
それは強かった。
いま、それをしたら
指導者の方のクビが飛ぶ。
“こんちくしょう”と思いながら、
早く、技術を学びとって
見返してやる。。。。。。
という気持ちを糧に
頑張ってきた記憶がある。
極端な話
ミスをしてすまされる世界ではない。
“マーそんなことをしたら
患者さんが死んでしまいますよ“
”次からは気おつけなさいね~~~“
ではだめだろう。
働き方改革で、長時間の労働が
ゆるされないなら、
時間が来たら手術やめる?
時間が来たら術者交代する?
目の前で担当患者さんが
亡くなりそうなのに、
時間がきたら当直の医師と交代する?
(今は本当にそうなっている)
私の時代は、
技術は、見て、盗んで得るもの
だった。
いろいろ、頑張って患者さんを診て
初めて上が認めて、少しづつ
教えてくれる世界だったが、
自分が医長になって入ってくる
若い医師は
来るなり“なにをおしえてくれるの?”
という者がでてきて、
いまはそれが当たり前。
同級生と切磋琢磨して、
競争していたのだけれども、
運動会のかけっこで
順番を付けない世代。
昔の医局では、
医局員の中には100人に2~3人ほどは
“こいつに人は診せられない”
というやつがいて
丁寧に研究畑につれていったものだったが、、、、
そんなことをすればパワハラ
(だから問題のある変な医者が最近
は多い??)
おそらくどこの世界でも
そうなのだろうが、
これから
この日本社会
いい方向にゆくのだろうか。。。
と思うこと自体が
老害か。。。。な?
おれはホワイトデーには何もせんぞ!!
今年もバレンタインデーに
沢山チョコレートをもらったのだが、
なにやら
おもい返すとなにやら
凄い風習だなと。。。。
丁度、私が中学の後半から
高校にかけて始まった
もちろん日本独自の風習で、
気が付けば、
クリスマス同様
まったく宗教的とはかけ離れた
風習が日本独自の形で広まったのは
日本人らしいといえば
日本人らしい。
お菓子屋さんが中心に作り上げた
風習であろうが、
いいとこをついている。
バカな男どもは、もらって
悪い気はしないのだから。
いまや、ホワイトデーのことで
頭を痛めるまでになってきているおのだから。
昔から、日本人は、どうも
他の国からいいとこどりを
したがる人種らしく
産業もしかり、
外国のいい物を見ると
直ぐ取り入れて
日本風にアレンジしてしまう。
江戸末期にアメリカ人が
蒸気機関車の模型をみせると
日本人は
初日におどろき
2日目にさわり
3日目にはそれを改造することを
考えていたという逸話がある。
この日本人の気質は、
江戸時代から明治、大正にかけての
奇跡的な西洋化、産業化に
帰依し、
戦後のすさまじい
奇跡的な復興から高度成長期を
生み出したことは間違いない。
その気質がこのバレンタインデーの
風習にも出ている様な気がする。
もはや、クリスマスも
バレンタインデーも本来の意味など
日本にはない。
それどころかホワイトデーまで作り上げて
しまった。
しかし、この気質
いまでは消失の一途をたどっている
気がする。
外国のいいところを取り入れるまでは
いまでもある程度できているが、
それを日本風にアレンジする力が
もう日本にはない。
ニュースをみれば政治と金どころか
一般でも、
金もうけや
安易に金を得る犯罪や話ばかり
と、バレンタインデーに
日本の国力の衰退と
人間性の衰退をなげく
ジジイでした。
マイナンバーカード
お国は、強引ですな。。。。
財務省は、
マイナンバーカードを
普及させるために
保険証をむりやりマイナンバーカード
に紐づけしたが。
(おそらく、マイナンバーカード
自体は、税金をくまなくとりたいため
のものだろうが)
今年いっぱいで保険証を廃止
することを決めたみたい。
無理やり紐づけしたものだから
問題がいっぱいある。
カード自体のことでは
リーダー(読み取り機械)が
読み取れなかったら
にっちもさっちもいかない
(保険証なら、目視、手動で
できたのだが。。)
カードの不具合もあるが
機械の不具合もでており
これが壊れるとマー時間と
お金がかかるようで
機械が治るまで保険証の読み取りが
できない。
(ちなみに今不具合がおおくて
1っか月ほどかかるらしい)
発熱外来で院外でみたり
訪問、往診にいったときは
リーダーが使えない。
などなど、いろいろ
問題点が山積みなのだが
お上は、そんなのどうでもいいみたい。
厚生労働省は厚生労働省で
今回、保健点数の改定で
病院の収入が増える様に
報道されているが、
改定内容を見ると、
あきらかにクリニックは減収になる。
またまた、数字のマジックを使って
増収する様に見せたみたい。
病院が買う機材は値上がりするは
その上職員の給料は上げろというは
このままではかなりの病院
が赤字になる。
(どうもそれを狙って、開業医をしめつけて
さらに数を減らすか編成をしたいようだ)
(最終的に人口割で科も含めて病院の件数を
決めたいみたい)
(医者の給料を下げたところで
人数的に職員の給料を十分上げるにはいたらない)
また、これに対して
世論を味方につけるため
報道のコントロールをしている。
前にもいった様に
コロナで病院は増収になったとか
(これも、上手に数字のマジックを使っている)
医者の給料がいいとか
(実際は私が医者になって40年
ほとんど給与は上がっていない。
上がったといえば、ぺいぺいの若い
お医者さんの給料。)
医師会が政治献金しているとか
(特にいままでと同じだが、歯科医師会
や薬剤師会、はたまた他の業界の
方がずっと多いのに今言う?)
しかるに、今、医療業界で一番
問題になっている
ジェネリック薬品のことは
ほとんど報道がない
(保険点数をへらすためジェネリック
薬品を推奨したため
ジェネリックの会社を優遇したもので
最近、不正が横行していることや
薬価を下げすぎて
安い儲けが少ない薬が
とくに風邪に関する薬が
足りなくて困っていることや
ジェネリックの会社に優しく
国内のメーカーに厳しくしている
から、国内メーカーがかなり
厳しい状態になっていること)
まったく報道リークがない。
自分がやっていることの不都合の
隠し方が政治家なみにすばらしい。
前にもいったが
医療は、完全に
社会主義、国家統制下にあるのが
ますます素晴らしくなってきている。
今日は当番日!!
大変な時に当番日が当たってしまった。!!
条件最悪!!
コロナは多いし
依然としてインフルエンザは流行っているし
おまけにB型のインフルエンザまでで出した。
(一般にA型は高熱で勝負がはやいが、
B型はやや微妙に長続きしてしんどい)
さらにさらに、ノロを中心とした胃腸炎が
流行っている。
おまけに
今回は守備範囲が広い!!
ほとんどいつも坂出で内科が
もう一軒あいているのだが、
今回は、当院だけ!
おまけに高松の当番は、遠いし
(国分寺あたりからも患者さんがやってくる。)
丸亀の当番は西の方だし、、、、
大変。。。。。
さらに、当日は丸亀マラソンで
交通規制があるので
患者さんの来方が読めない。。。。。
たすけてくれ~、~、~。
さらにさらにさらに。
発熱の患者さんは、いま院内では見ていない
ので外で診ることになる。
そこに天気予報は、雨!!
最低だ!!!
今、当番病院の周囲はいつも
どこも渋滞しているらしい。
どうしよう。。。。。。
まーいつも来ている患者さんは
早いけど
初めて見る患者さんは、
いろいろ聞かなければならないし
カルテは作らないといけないし
とにかく時間がかかる。
そのうち患者さんは
怒り出すし、、、、、、、
当番というのは大変なのです。
みなさん、2月4日は
当院に近づかない様に。
コロナ、インフル、ノロが
十万していますぞ。。。。
能登半島地震
能登半島地震で
大変な事になっているが。。。。。
能登半島で私の記憶に残っているのは
昔、富山医科薬科大学(現富山大学
医学部)を受験にいった時。
北陸に行くことがなかったので
神通川の河口付近までいって
冬のどんよりとした空のもと
荒波の富山湾ごしに
半島だけ太陽があたって光っている
光景がとても綺麗だったことが
40年以上たった今でも
頭にこびりついている。
能登半島での地震で、あの状態なら
南海トラフの地震が来たらどうなるのだろう。
以前にも一度書いたのだが、
また、あらためて、、、、
能登半島地震の
10倍以上の範囲が
被害を受けるわけであるので
どう考えても救援は十分来るとは
考えにくい。
おそらく今考得られている範囲では
四国であれば南四国、近畿地方では
和歌山、津波がくれば大阪に大きな
被害が及ぶから
とても香川県に全国の
救援が来るとは考えにくい。
他の事はわからないが、
医療、介護でいえば
先ず、高松空港が四国の医療の起点に
なるのだが、(重傷者で県内で扱えないもの
を遠方の病院へ移送する)
おそらく四国中の患者すべてを
こなすことはとてもできないし、
医療施設も遠方の関東以北に運ばなければ
いけないし、そういう事を考えると
絶望的。
県内を考えると
県中は、周囲の道路が液状化で
使用できなくなるし
日赤は街中の渋滞で緊急車両が
頻繁に出入りするのは困難であろうし、
大学はあの立地では無事かどうか。
後は、市立病院と済生会病院か、、、、
これではすぐにキャパオーバー
日本全国で医療チームが結成され
やってくるであろうが、
被害状況を考えると
香川県にどの程度やってこれるか、
来れてもやはり人口が多い
高松中心になろうし、、、、
坂出までとても手が回ると思われない。
そこで、結局、坂出は坂出で
対応しなければいけないのだが、
坂出の医療の欠点は、
中規模病院が数件あるのだが、
その医者、スタッフが
ほとんど市外に住んでいるということ。
私自身も高松に住んでいるのだから
自分の被災状況次第で
動けるかどうか。
だから、夜間等に地震が起これば
市立病院、回生病院、マルチン、、、、
機能不全に陥るのは
間違いない状態。
私自身、動けたとして
高松から車を使うわけにいかないので
自転車でやってくることになる。
何でも屋の私は
坂出の災害時の拠点の
回生病院に来てほしいといわれているが、
おそらく自院の患者と施設の利用者で
手一臂のはず。。。。。。
医療の他のことも同様に手がまわらないと
思われる。
かといって個人レベルで医薬品を備蓄するわけにも
行かず。。。。。。
今回もし、能登ぐらいの揺れが
もっと鳥取から新潟ぐらいまであったら
おそらく能登半島の今の地域は援助の手が
まわらなかったであろう。
南海地震がおきれば、坂出は
ほっとかれる??ことを覚悟しておかないと。
いつも思うのだが、
地震の救援の想定がどうも
局地的で、周辺地域も被災していることが
想定されていない様な気がする。
今の現状では生きているうちに
地震がおこらないことを
いのるだけ???かも。
病み上がりの一週間
今週は病み上がりの一週間で
疲れを心配していたが、
特に心配する様なこともなく
一週間が終了。
今回は、かなり体が
やられてしまったので
結構、心配していたが、
普通に一週間を過ごすことができました。
もともと、感染には弱く、立ち直りは早い
人間であるから体力的にはあまり心配していなかった
のだが、精神的にね。。。。
ま、大体日曜日だけなら、一週間のリズムで
なにも感じないが、
連休などあっただけで
仕事をしたくなくなる。
連休の次の日なんか
疲れ方が半端ない。
それが、今回、4日も休んだのだから
その仕事のしたくなさは半端ない?
疲れ方が半端ない?って
少し怖かった。
と言いながら月曜は仕事が溜まっている
と思っていつもより1時間ほど早く出勤して、
夜は、家にかえって滞在2時間ほどで
愛生苑の入所している人が
私が復帰するのを待っていたかの様に
なくなって呼ばれて
そのまま病院でごろ寝。
そのおかげで、火曜日には溜まっていた仕事が終了
にもかかわらず
以外と精神的なダメージもなく、
一週間が終了した。
というのも
休んでいる時、ふと
仕事を辞めたら私は
どうなるんだろうと考えてしまった。
時間が、あって4日のうち3日間は、
施設から電話や呼び出しの心配もなく
本当の意味で完全休息だったのだが、
いつもできない事(趣味なんか)を
しようと思いながら
なにもしないで、ぼーっとしていた。
同学年の人間には
定年でリタイヤしている者もいるのだが、
自分はここでリタイヤしたら
人間として
腑抜けになるな。。。。。。と
思ってしまったから?
仕事を続けている事に意義?諦め?
を感じて月曜に突入したからかもしれない。
そういえば、以前書いた様に
昔、一番忙しいときに
夜中1時から一時間ほど自分の時間を作り
いろいろしていたので、
暇になったら、あれをしよう、これをしようと
いろいろ、箇条書きにして
考えていたのだが、
暇になったら、なにもしない。
かえって忙しい時の方がしていたりしていた。。。。
どうも、仕事をして
忙しくして緊張しながら生きてゆくのが
私の生きるカテの様だ。
悲しいかな。。。。。。
こんな人間に誰がした?
謎の感染症
今回、水曜日の夜に
謎の感染症にかかり、
3日間、内田先生に代診をおたのみしました。
医者というのは変なもので
病気になりながら、
それに苦しむ自分と
冷静に外から見る自分がいる。
その予兆が水曜日の夕方から
現れていた。。。。。
以前に言った様に
私、野生児であるがために
病気になるとむやみに食べ始めて
寝る。
水曜日の夕方から、どうも
食欲が止まらない。そして、
いつもより早く眠気が襲ってきて
早くとこについた。
そうすると案の定、夜中に
けだるさと寒気が襲ってきて
目がさめてしまった。
状況、症状より判断して、ウイルス性の感染症
と診断。
ウイルス性であるとはいえ
上気道症状がないためインフルエンザ、
コロナではないと判断。
一応、朝一で病院で検査を施行
陰性を確認するも
倦怠感が尋常ではないため
また、この状態を他の人に移すわけにもいかず
診療を断念し、代診を依頼。
同じウイルスでも人によって
細胞との結合しやすさが違うので
(新型コロナでも無症状の人から
亡くなる人までいる様に)
これは、私の細胞にかなり
親和性のあるウイルスである
と判断。
ウイルス性というのは厄介で
基本治療薬が存在しない。
よって家に帰って
木、金と2日間寝続けた。
(おかげで腰、肩、首は
痛くなったけれども)
眠たくなくても睡眠を無理やり行う。
睡眠というのは体の活動を停止し
代謝をおとし、免疫機能を上げる作用が
つよい。おまけにステロイドまで
出してくれる。
だから、寝るのが一番。
とにかく、体のやられ方が尋常ではなく
どうも消化管までやられたようで、
むかつきで、食欲が出ない。
脱水を避けるために
水分のみ接種。
状態の回復は尿で確認
初期は脱水のために
尿が濃くなっており
体が回復し始めると
体にたまったいわゆる腫れが
弾き始めて尿量が回復してくる。
そして、細胞がかなりやられた証拠に
最後にミオグロビン尿といって
かなり血の色が混じった尿が出る。
それで、病勢を確認して、
状態の回復を診断した。
それにしても今回、人生で
1度か2度ほどしか味わったことのない
しんどさであった。
こんな状態でも栄養に
余裕があるのか、2日間ほとんど
カロリーをとっていないのに
土曜日には体がほとんど戻っていたが。
病院の職員からストップが
かかり、土曜日も休むことになってしまった。
40代に熱があるのに
2週間、解熱剤を使いながら
仕事をして、肺炎になってしまった
こともあり、
また、60代という年齢も考えての
行いであったが、
半分自分で苦しみながら
半分医者で診断しながら
薬が効かないと判断して一切
薬ものまないで直した自分に
妙なものを感じてしまった。
毎日、いろんな患者さんを診ているので
なににかかっても仕方がないが
ま、いろいろ感染症は
うようよしているので
おきおつけください。。。。。
昨年暮れ
昨年暮れに用意していて
病院におきわすれた
ブログを
本日は、、、、
年始にあたり書きます。。。。です
とうとう今年も押し迫ってまいりました。
今年は、当院では
1月に裏の特養が新型コロナの
クラスターを作り大変な
年明けであった。
3年間、他のほとんどの施設が
クラスターを作る中
(複数回作るところも多々あったなか)
頑張ってきたが、ついに
クラスターを作り
もちろん、病院に入院させられるわけでもなく
医療に対しては不慣れな
介護者を指導しながら
大変な思いをした。
それを考えると
そのことがかなり前の様におもえるのだが
いろいろ考えるとやはり短い1年だった。
以前もいったのだが
1年のことを考えるのに
歳をとればとるほど
短く感じる様になるのだが、
その一つの理由が、自分の記憶。
10歳の子であれば
6歳からの記憶が残っているとすれば
1年は、人生の5分の1
ところが
私(63歳)であれば
同じ様に6歳からの記憶があるとすれば
1年は、人生の58分の1
さらに記憶力の低下でそれより
短く感じるはず。
ま、しかたないか。
暦は、人間が勝手につくったものだから
別に大晦日や元旦を
普通の一日とかんがえても
いいのだが、
(犬は、大晦日や元旦も
普通の1日)
1年を振り返ることで区切りをつける
ことは悪くないと思っている。
失敗したこと、うまく行かなかった事を
反省することが
大事と考える。
話は、かわるのだが、
介護について、介護に係わる
会が定期的に行われていて
以前、参加していたのだが、
今は足が遠のいている。
その理由が
もちろんコロナが流行って
集会に行きたくないというのもあったのだが、
会での発表が、介護について
上手く行ったことの発表ばっかりだったので、
発言を求められたとき
“失敗したことを発表して
改善することを考えたらどうか“と発言したら、
裏で、”失敗ってなんのこっちゃ“という声が
聞こえてきたので
それだけの会なのかと
いやになったのである。
医療を問わず、社会では、
エラーに学ぶというのは
非常に一般的なことである。
失敗やエラーというのは、
どんなに気を付けてもあること
それに学ばなければ、
決して発展はない。
今後、またコロナに限らず
新興感染症がつぎつぎ出てくると
かんがえられるのだが、
それに対して
末端の病院から政府まで
上に行けば行くほど
反省が無いようなきがしてならない。
結局、事がおきたら
想定外としてバタバタするだけな
様な気がする。
話は、とんだが、
一年、いやではあるのだが
反省するところは反省し、
来年を迎えよう。。。。。
なんて思うのだが。。。。。
63歳になっても進歩がない
私です。
今回、また書いた原稿を
病院に忘れてきてしまった。
と、いうわけで
今回は
年末のごあいさつまで
今年も一年、くだらないブログ
というか私のぐちにお付き合いいただき
ありがとうございました。
また、来年もおつきあい
よろしくお願いします。
年末
ジジイはやっぱり昔のことを思い出す。
年末になったが
やっぱり、季節感が無くなって行く。
クリスチャンでもないのに
町中、サンタがかっ歩していて
必用以上にクリスマスケーキが売られて
中途半端なツリーがいたるところに
飾られていた。
今や、これ見よがしのサンタはへり
(中途半端に店でサンタの帽子を
かぶっているが)
赤い恰好自体がもう
今の風潮には合わないかも、、、
ツリーは、今や冬の電飾に変わり
クリスマスを意識しないものになってきた。
昔、ケーキは贅沢品で、イベント
がなければ、あまり食べることもなかったが、
今は、高いのは高いのだが
イベントで食べるだけの物ではなくなった。
夜は夜で、いたるところで
毎晩
大きな忘年会がひらかれていたし、
どうかしたら、忘年会の
出し物に悩んで
練習していた年末。
コロナの影響と、
最近の若者の会合ぎらいと
忘年会の出し物なんか強制すれば
パワハラといわれる昨今。
忘年会の数も
規模も減ってきた。
年末になると
いたるところに大売出しの
旗がたって
にぎわっていたが、
いまや、中小の店舗が激減して
大きな店舗は
年中大売出しをしていて
年末に限らなくなってきた。
テレビは今や
メディアの中心から
外れようとしていて
番組自体が小規模になってきて
クリスマス用の番組や
年末用の番組は減り
組まれなくなってきている以上に
再放送が増えてきている。
バブルの時代は
この時期になると
皆、背伸びして
着飾って、騒いでいた。
自分のクリスマスプレゼントどころか
子供のクリスマスプレゼントさえ
考えなくていい。
おまけに仕事でも
風邪が増えて来る季節なのだが
コロナのおかげで
年中風邪におびえている。
唯一残っているのは
病院の大掃除と
家の大掃除ぐらい。
おじさんは
なにか寂しいぞ。。。。。
ヒップアップの
島崎俊郎さんがなくなったが
最近亡くなる人の年が以外に
近いことに驚きを隠せない。
40歳ぐらいの職員に
“アダモちゃんが亡くなったね”
って言ったら
?
“ヒップアップの”
??
“ひょうきん族にでていた”
???
“それでは、シャンシャンシャンシャン”
“みなさまシャンシャンシャン。。。。。”
????
で、また年を感じた。
ヒップアップは
その全盛期のころ
久留米の大学祭にやってきていて
(その前々年は松田聖子)
当時、軟庭部のキャプテンだったから
一番前の席で見た覚えがある。
ところで
亡くなった詳細は知らないけれど
心不全と書いていたから
68歳で突然の心不全なら
心筋梗塞かなと考える。
心臓は、血液を押し出すだけでなく
血管で栄養も得ている。
あれだけダイナミックに
筋肉を動かしているのだから
大変なエネルギーが必要である。
大きな血管が2つほどあって
それが枝分かれしているのだが、
枝分かれして、抹消に
行くほどダメージが少ないのだが
根幹に近い太いところが
急に詰まれば、さすがに
一たまりもない。
以前一緒に働いていた50第前半の
同僚も心筋梗塞で亡くなった。
逆に抹消の血管で、
発症してすぐ
ステントという
パイプで血管を開通させれば
ほとんど障害が残らず
治ることもある。
脳梗塞も同じで、
太い血管が詰まれば一たまりもないが
抹消に近い血管で、
条件がそれって、発症から
4.5時間以内なら
血液を熔解する治療があり
これもうまくいけば障害を
ほとんど残さずに治る。
外来ではよく言っているのだが
年を取ると
血管の状態が勝負で
動脈硬化が少なければ
心筋梗塞、脳梗塞、認知症
腎障害、、、などなど、
いわゆる生活習慣病が起こりにくい。
つまりいわゆる血管年齢を
保つことが
元気の秘訣になってくる。
動脈硬化のリスクは
1.糖尿、タバコ
2.高血圧、高脂血症
順に主なリスクになる。
それらに気を付けて
コントロールして
運動などをすることが
血管年齢を維持する
秘訣なのです。
くわしくは外来で、、、、
毎日、毎日。
今は昔。
今年は、クマに襲われる事件が多くて
ニュースをにぎわせているが、
私の子供のころは、
どういう訳か
どの家にもサケを口にくわえた
クマの彫り物が
置いてあったような気がする。
大小さまざまだったが、
なんか結構、
どこの家でも見かけた気がする。
昔は、新婚旅行が
宮崎だった時代だから
北海道の旅行なんて
今でいうハワイより遠いところの
旅行だったに違いない。
今、海外旅行で、おみあげを
もらうがごとく、
北海道旅行したら
くまの彫り物を
おみあげとして
かってかえって周囲に配ったからに
違いない。
以前、人に、なんの職業がいいかと聞かれたら
”サケをくわえたクマの彫り物士をしたい“
と人に行ったことがある。
もちろん、その職業は、大変であるのは
わかっているし、そんな簡単な
商売ではないと思っている。
クマの彫り物というか
何か一人で作って、
それが商売になればいいとおもった
末の話である。
今の職業の
医療は、とにかく毎日
患者さんはもとより
職員との人との接触で成り立っている
職業であるから、
ふと、それに疲れを感じて
しまうことがあるから
そういう発言をしたのである。
医療にたがわず
たいていの職業が人との接触で成り立っている
のだが、
人との接触で、
患者さんでいえば
さまざまな患者さんに合わせながら
結局は治療の誘導や指導をしなければいけないので
診察の間に、患者さんの性格にあわせながら
最終的に自分のペースに乗せなければ
いけない。
患者さんというのは
老若男女、育ちも性格もさまざま
定期的に来ている患者さんは、
だいたい、その人となりを
わかっているのでいいが、
特に疲れるのは新患さん。
先ほど言った、一連の作業を、ほんの5分から10分で
完結しなければいけない。
だから、当番当直の日は
患者さんが少なくても
めちゃくちゃ疲れてしまう。
そして、従業員。
当院は、当院と関連施設で
100人ほどの人がいる。
この、さまざまな人達と
接し、私の立場であれば
まとめ上げていかなければ
いけないのだ。
そんな作業が一日の
精神的疲労の半分とは
いわないが1/3ぐらいは
占めるだろうか。
そんな、毎日をすごしていると
ふと、人と付き合わないでいい
仕事がしたいな。。。。。。って
おもうことがしばしばある。
しかし、人とのふれあいで
悩んだり、苦労したりしながら
喜びも味わえるので
思い直しては
毎日頑張っている次第なのです。
それが証拠に
自分は、上里医院がクリニックが
関連施設をもつ施設でよかった
(たくさんの人がいて)
とおもうし、
若い時研究室で孤独に
実験をしていたときは
そのまま大学の研究室にのこらず
早く臨床に出たいとおもっていたの
だから、
やっぱり人と接したかったのだろう。。。
ところが、
悪いことに
最近の若い人達は
人との付き合いが
苦手な人間が多い。
近しい人間には
親しく接することができるのだが
立場が違えば
それは苦手
特に年の違いがあると
それはもう苦手中の苦手
ということは、
こちらが、かなり気を利かさなければ
いけないということなのである。
そんなことは、若い人達には
思いもよらないだろうが、、、、、
といろいろ考えながら
今日も人と付き合いながら
すごす毎日です。。。。。。
政治家って
政治家って何だろう
政策って何だろう
以前から政治家は当選した
次の日から次の選挙を考えてる
気がしてならない。
何かしら、今の政治家に覇気が
感じられない。
次の選挙が近づくと、
どの政党も浮足立って
金のばらまき方、
足の引っ張り合いをしている様にしか
見えない。
少子化対策に以前から
疑問を感じているのだが、
少子化対策にいくらお金を出しても
対策にならないことは
韓国が十分に証明しているし、
皆、それは、十分感じているだろうに、
金を掛けることに国会で疑問を呈する
人間が野党を含めて一人もいない。
そりゃそうだ、
そんなこと言ったら
次の選挙で落選するかもしれないんだから。
万博だって、一般国民は、
その価値を認めていないのだけれども
それを取り下げると
圧力がかかった団体からの
票や、政治資金が無くなってしまう。
あの、アメリカの大統領にいたっては、
選挙前になると戦争さえいとわない。
それにしても逆に政策を
強引に推し進めようとすると
その誘導がおそろしい。
かなり財務省からの圧力があるのか
いま医療に対して出費を占めようとしている。
(おそらくコロナでお金が医療にいったので
そのため締めにかかったのか)
まず、医療機関が利益を上げている
と報道させた。
このニュースを聞いて目が飛び出るほど
我々はびっくりした。
内容は、数字操作がすごかった。
コロナの補助金は、大病院にいっているし
前もかいたけれども、まじめに
風邪の診療をしていたところは
それだけでかなり、収入がガタ落ちして
だいたい、出費がかなり増えている。
(だって末端のクリニックは補助以上に
出費が多いのだから)
大体、われわれ末端の臨床家からみれば
補助金を、いらんところに使いすぎ。
(詳細は、ひかえておきますが、、、、、)
(だいたい、予算がついたら使い切ろうとうする
風習が凄すぎる)
そりゃ、コロナ騒動が始まってすぐの
一番収支が落ちている時と
今をくらべれば若干上がっているし
また、統計を取るとき
収支がいいところを選んでいる
(この状態でも、整形外科は変わらないし、
風邪のおかげで、医療費がかからない
小児科は患者さんが多くて
地獄を見ている)
医療費が上がらない上に
買う物品が全て値上がりしているので
経営はかなりきつい。
職員の給与を上げるどころか
このままであれば
閉院するところが増える
と予想されている状態。
(実際、年齢的に上で、跡取りが
いないところは、閉院が進んでいる)
もう一つ、ここにきて
医師会なんかの政治資金を
公表する。
マスコミ誘導が凄い。
だいたいあれだけ
初期にマスコミが、医療に感謝とさわぎ
たてていたが、
(以前にも書いたが、迷惑至極とおもっていたが)
いまでは、逆にたたいている。
私なんか、介護施設があるから
いまでも外食はおろか
県外への移動もしていないという
生活が続いているのに、、、、、
ま、一番悪いのは、目の前の金に
眼がくらむ我々国民と
情報操作にうごかされる
我々なんですけどね。
金のばらまきの元は
自分の税金であることを
お忘れなく。
歳はとりたくないもの。
私も60を越してから
朝、起きたらどこか年を取っているのに
気づく様な毎日。
今年は、白内障の手術をして
最近、来院された方は知っているだろうが
右足の調子が1っか月ほど前から
わるくて
杖を突いている次第。
もともと右足は、効き足で、
大学時代から運動で、傷めてはいたのだが、
痛くなっても1日寝たら
すぐ直っていたのが
明らかに、修復能力の低下で
一向に治らない。
(念のためMRIまでとるも
原因不明。原因不明なら治療も
不明!!)
余談ではありますが、
患者さんには痛み止めをだすのだが、
私、痛みが減ったらすぐ無理をするから
痛み止めは飲まない。
それでも痛みがひどいので
自分でブロックをしようと試みるも
自分ではどうしても針を刺すという
自傷行為ができなくて
印をつけて
ナースにうってもらったのだが
あまりに痛みに弱くて
注射をしてもらっている時に
力が入りすぎて逆の足をつってしまって
しこたまナースに笑われた。
(;^ω^)
以前、言った様に
プロ野球の選手が、
入団して、やめる年齢が
28歳前後、32歳前後、36歳前後、
イチロー級の選手でも42歳
今思うとその年の前後に
階段状に体が落ちてきた様な気がする
そして30代、40代と
その階段の幅が短くなり
50代は段がなくなって下り坂に
そして60代はその坂の角度が急になって
いるのが実感できる。
50代はいってみれば
毎日、毎日その日の終わりに
一か所づつ自分の加齢に気づき、
(しわが増えたとか、シミが増えたとか
同じ動作でもゆっくりになったとか)
60代になるとそれが
こうやって、感じ方が強くなってきた感じ。
がが~~~~~
年を取るのを楽しみなさい~~~~
そんなのできるか~~~~~!
自分の年齢と近い患者さんがくると
あー自分もこういう風に見えるんだ
なんて毎日思うしまつ。
自分の親が自分の年のころは、
かなり年寄にみえたもんな~
気お取り直して、
せめて60代は
年にあらがってやる!!
とおもう60代の毎日でした。。。。
このブログ、毎週
仕事の合間に病院で書いて
メモリに入れて家に持って帰るのだが
今回、メモリに入れ忘れて
しまった。!
これも歳なのかな?
年といえば、
最近病院に来た人は
わかると思うのだが、
右ひざの痛くなって
それが取れない!
昔から膝はいい方ではなかったのだが
傷んでもすぐ直っていたのに
今回は、なおらない!
年とともに治癒能力が低下した?
という訳で今回は
お休み。。。。
膝のために
やっぱり体重おとそ。
古い奴だ大思いでしょうが
以前つとめていた病院で、
ミスをして
それを指摘すると
“すいません”といったあと必ず
“けど。。。。”と
自分のミスを認めない職員がいた。
結局は誤っていないし
ミスを認めないで、反省しないため
必ずまたミスを犯す。
最近大手ジェネリックの会社が
製薬の時に
かなりの不正をしていたのが
明らかになり、社長以下
報道陣の前で
“すいません”とあたまを下げていたが
どうみても誤っているとは思えないし、
また、どうせ同じことを繰り返す。
(表にはでていないが、こんなことは
結構見ている)
医療業界でこれはないだろう。
と思わざるを得ないのである。
われわれこんな小さなクリニックで、
こんないい加減な私でも
毎日、緊張の連続なのである。
と、いうのもどんな小さなミスでも
それが不可抗力であれ
死につながることがあるからである。
大きな病院で、
抗がん剤を扱っている時など
薬の投与量を一桁かきまちがったり
単位を書き間違ったり
口頭で指示したことを
聞き間違えただけで
死につながる。
証拠に
チェック体制が厳重になっている
今でも、全国で小さなミスから
患者の命に係わることが起きている。
ミスというのはどうしても
0にはならないのである。
それなのに不正をして
あれはないわ、、、、
と、まじめに怒るのである。
今朝のニュースで
糖尿病の薬の供給が危うくなってきている
というニュースがあった。
詳細は述べていなかったのだが、
これは、実をいうと
糖尿病の薬を、やせ薬として使用している
医療機関があること、
ひどい所をそれを売りにして宣伝までしている
病院があること
(買占めまでしている病院がある!)
それを知りながらその薬を
売っている製薬会社も製薬会社で
一応 “そういう目的では使わないで
下さい“と言っている。
じゃ、売るな!
っていう話。
昔、鶴田浩二(もう知らない人もいるだろうな)
が任侠映画の中で
歌っていた歌の歌詞の中で
”古い奴だとお思いでしょうが。。。“
という、歌を歌って
仁義を通す任侠役をやっていたが、
私、古い奴なんです。
どういうわけか、
親の影響か否か
医療に対する基本の考えが
”医療を商売にしない“
という観念がしみ込んでいる。
(そのおかげで経営は苦しいのだが)
(どういうわけか、同じ親なのに
兄とはちっと違う))
むだな検査、薬は出さない。
わけのわからない要求をする
患者は断る。
(これじゃ患者さん減るは)
(そのくせ、新しい薬や検査には
いいと思えば
すぐ手をだすのだが。。。)
私、今の医療のなかでは
私の様な医者は、だんだん骨頭品になりかけている
古い奴だとお思いでしょうが
私、古いんです。。。。。
ゴジラ
20世紀末には
21世紀の世界はグローバリゼーション
が広がり、世界秩序が保たれると
予測していた人が多かったが
ふたを開けてみれば
ナショナリズムが台頭してきて
さながら20世紀の初頭に戻った様だ。
20世紀初頭にイギリスが
自国の利益のために種をまいた
中東問題はさらに複雑化し
ロシア革命時代からくすぶりつづける
ウクライナ問題は戦争となり
プーチンや習近平はさながら
ヒトラーやムッソリーニの様
20世紀はそれらの問題を
アメリカという新興巨大勢力が
すべてを蹂躙し、あたかもすべてを
沈めた様だが、結局は
その問題をかきまぜただけで
21世紀はそのアメリカの没落により
波乱の様相を呈してきている。
宇宙人が見ればさぞ下等な生物が
温暖化なんかそっちのけで、
私利私欲のため滅亡へと加速している
ことを観察しているだろう。
。。。と近代史好きの所を少しだけ
まじめな話をしたりして。。。。。。
こうなればもうゴジラに登場いただかなければ
いけないのかもしれない。。。。
最初のゴジラ以降はただの
怪獣映画で、
シンゴジラは今の視点でみて
それなりに面白かったが
ハリウッド版は
ゴジラの趣旨が間違っているし
以前も書いたことがあるのだが
最初に登場したゴジラのすごいところは
そのメッセージ性のすごさだと思う
今回、新しく時代設定を戦後にしたゴジラの映画が
でるが、
あの時代、あのタイミングで
あの独創的な映画を
作り出したのが凄いと言わざるを得ない。
原水爆開発が盛んな時
終戦から10年足らずでやっと復興が
順調になり始めた時に
放射能が原因で出現した
得体のしれない怪物が
どんな兵器に対してももろともせず
東京を焼き尽くす。
その当時の日本人にとって
どれほどのインパクトがあっただろうか。
その反核、反戦へのメッセージは
タイミングもあいまって
すさまじい物があったに違いない。
後のゴジラやハリウッドのゴジラは
そのインパクトがないので
どうしても物足りない物にしか
なりえないのである。
この混沌とした時代には
再びゴジラに登場していただくしか
ない様な気がする。
小さい秋見つけた
だーれかさんが
だーれかさんが
みーつけた。
小さい秋、小さい秋、小さい秋
みーつけた。
サトウハチロー作詞の
なんとも言えない童謡の歌詞である。
サトウハチローはひな祭り等の
童謡の作詞をしている
詩人である。
サトウハチローと言わず
昔の童謡の歌詞はその光景が
目に浮かぶ素晴らしい詩が多い。
街で育った私なのに
なぜか田舎の風景が目に浮かび、
子供の頃、そんな自然豊かな
風景の中でそだった錯覚を起こしてしまう。
我々の子供のころは
学校の音楽の時間に歌わされていたので
その歌詞が
頭にこびりついている。
そのおかげで
今でもいろいろな童謡を
口ずさむことができる。
そして、みんなが覚えており
その曲を共有することさえできる。
そういえば、昔
童謡といえば
男性4人のコーラスグループを
思い出す。
ダークダックス
とボニージャックスだろうか。
デュークエイセスというグループもあったな~


実を言うとダークダックスは慶応大学
ボニージャックスは早稲田大学出身の
グループで、
それぞれその大学なりの雰囲気が
あった。
いまでいうゴスペラーズ??
そして
みんなのうた。
この番組は1961年にはじまっており、
私が生まれた次の年から始まっているので
物心ついたころから
この番組を見ていることになる。
5分間の番組で、時間が今一つ
不定期でよく覚えていないが、
ひょっこりひょうたん島
などの人形劇の前
ぐらいにもあった様な気がする。
ほとんどの童謡が流れていた半面
北風こぞおの かん太郎~かんたろ~
や
山口君のつとむくん
ラジャマハラジャー
なんかが、耳に残っているのではないだろうか
たいていは、子供用のうたが
歌われていた。
ペチカ、夏のおもいで、手のひらを太陽に
なんかがうたわれていた中
森山涼子のこの広い野原いっぱいや
驚いたのは
財津和夫がみんなのうたのために
切手のないおくりもの
という曲を作って歌っていたこと。
今は創作ダンスの授業がある時代。
のんびりした当時に
生まれてよかったな~と
ジジイはおもうのである。
秋の訪れ
寒暖差がはげし今日この頃ですが。。。
みなさまいがに
お過ごしでしょうか。。。。
寒暖差のため
風邪をひかない様に。。。。。。。
寒いので暖かくして
風邪をひかない様に。。。。。
とはいうものの、、、、、
医者としてこんなことをいうのは
なんなのだが、、、
寒暖差で風邪をひくのだろうか??
寒暖差やなんやらで
温度刺激性のアレルギー
あるいは神経反射性のアレルギー
というものがあり、
刺激で鼻水や咳、くしゃみが
短時間がでることはある。。。。。。
このコロナの騒動でご存じとおもうが
風邪というのは
ほとんどウイルスに起因している。
だから、人からもらうという条件と
ウイルス感染して
それが増殖して発症するまでに
潜伏期間というのが存在する。
寒さで免疫が低下して
風邪をひく。。。
風邪はウイルスだから
寒暖差や寒さで
免疫が落ちて、ウイルスを運悪くもらって
それが増殖して
数日後に発症する。
絶対タイムラグがあるはずなのだ。
寒さで風邪をひくなら
北海道の人は風邪ひきが多く、
沖縄の人は少ない
なんて聞いたことがない。
だから、風邪薬の宣伝でよくある。
寒そうな外から家に帰ってきて
クシュンというシチュエーションは
どうも考えにくい。
っとこの40年間づっと思い続けている。
こんな人には聞けない
医学的疑問が
いっぱい存在するのだ。
それにしてもほんの2~3週間前まで
クーラーを入れていたのに
もう早朝は、ジャケットが欲しい寒さに
なった。
真夏は、こんなに暑くて冬は
来るんだろうかと思ったり、
冬の極寒の時は、氷をみながら
あの暑い夏は来るのだろうかと
思ったりするのだが、
しっかりやってきそうである。
ネットを見ていると
古い瓦町の写真が見つかって
懐かしかった。

そうそう、こんなだった。
なんせ、家から瓦町まで家から3分ほどだったから
瓦町はしょっちゅう行っていた。
あの、焼け残った六角の駅舎
中は狭く、暗かった。

中では、子供のころ、箱入りのドーナッツを
うっていて、
バサバサでおいしくなかったのに
欲しがった思い出がある。
横には噴水ジュースと
ガムの自動販売機があったっけ。
噴水ジュースは確か10円だった。

まーバス乗り場は
自転車がいっぱい並んでいたわー
端から端まで自転車でいっぱい。
南側にパチンコ屋があって
そこまで自転車がならんでいて
その合間をぬって
バスに乗っていた覚えがある。

そして、何かと待合場所になった
噴水。
どこかの女子高生が
噴水で溺れかかった犬を
入っていって助けたという逸話が
ある噴水。

常盤街にダイエーができるまで
よく行っていた駅舎内の
スーパー
秤り売りのお菓子が
木の枠のガラスケースにならんでいた。
その中のお菓子を
スコップみたいなのですくって
紙の袋にいれて
量り売りしていた。
中央部に改札があって、

確か北側には衣料品も売っていた。

駅の北側にはコンクリートの
線路の下をかいくぐる
地下道があって、
結構、急で自転車でこわごわ
降りていた思いでがある。
その近くに子供の殿堂の
模型屋のオオタ理工社というところがあって
小学生のころから
いっていて、
中学生の時は
学校がえりによく行っていた。

おまけで栗林動物園。
小さな臭い動物園で
きったねープールがあって
泳いだ。。。。。
あーじじいはノスタルジーが好き?
時には昔の町の写真を
ネットでさがして
見とかないと
どんどん記憶がうすれてきますぞ。。。。
白い巨塔
久しぶりにNHKのBSで
昔の田宮二郎の
白い巨塔を見た。
やはり、話自体は、物語的に
面白くするために
極端なところがあるのだが
見ていてやはり面白かった。
以前にも言った様に
田宮二郎のあの内面に含む
人間性の情熱、性格的いやらしさ
が、画面に湧き出て
財前教授を強調して
とても面白く見た。
1966年の映画で
私が医者になる約20年前の映画で
当時でも医学、
社会の風情が残っていた。
(今なら2003年ごろ)
(唐沢寿明の白い巨塔がそのころだったから
今みても医学的には遜色ないところだから
当時の私にしてみれば懐かしいのだ)
それにしても色々なものが懐かしかった。
先ず、皆がタバコをプカプカ
ふかしていた。
病院も診察室、医局、当直室、どこでも
灰皿がおいてあって、
タバコをふかしながら
カルテを書いていたこともしょっちゅう。
肺班のカンファランスでさえタバコの煙で
もうもうとしていた。
医学面では、当時の最先端医療が
垣間見える。
そして以前もいったけれども
レントゲンフィルム。
シャーカステンや窓の明かりをとおして
診たものだ。
(私はそれが好きだった!!)
内視鏡
内視鏡をしている所は写真にはなかったが、
当時はファイバースコープができたばかり
(その前は、硬性鏡といってまっすぐな
カメラをサーカスで剣を飲み込むように
まっすぐ入れるカメラさえあった)
今より太くで硬いファイバーで
かなり苦痛だったはず
そして、カメラは手元に重たい大きな
カメラを付けて撮影した。
フイルムは幅が1cm強の写真に直径1cm
位の丸い画像が映っていて
その画像が現像されると(1週間ぐらいかかる)
皆で幻灯機でスクリーンに映してみたものだった。
当然、今とくらべればはるかに暗くて
あらい画像で、必死に見ていた。
そして、少数の人しか知らないとおもうが
透視写真を撮る前に
付けるサングラス。
昔は、透視をするのに
また、直接患者さんの横で
その画像をみていた。
その画像たるや無茶苦茶暗かったので
透視部屋に入る前にサングラスをかけて
眼を慣らしてしていた。
そして教授の絶大なる権力
当時の教授は、一旦なれば
医局の頂点に立ち、
全ての権力を握り、
いわば、天皇陛下。
下っ端は直接話もできなかった。
医局人事は教授の一声できまる。
(ところが今や、医局は崩壊、
教授はパワハラ、袖の下も許されず、
いまやなり手さえいなくなっている。)
教授回診と古い建物。
昔の病院は廊下がせまく、
いま思えばよくあんな狭い廊下を
ストレチャーや思いベッドを
動かしていたな。と思う。
(いまは消防法なんんかもあって
病院の廊下のはばは無茶苦茶広い。)
狭く暗い病室。
今見たら、陰気で、病気が悪くなりそうな
病室である。
しかし、心のどこかで
おじさんは、当時が
なつかしく、医者としては
悠長でよかった時代を
うらやむのであった。
どうも、今の医療は、
今の世間と同じで
モニター画面の並ぶ診察室を
無機質なものを感じるのであった。。。。。。
彼岸花
私が上里病院にやってきたとき
丁度9年前の9月になる。
9年前の9月1日より働きだして
前病院を辞めて
医者として新な世界に踏み出して、
不安と希望が交錯する
なにかもやもやする心境の中、
疲れを感じだした
9月下旬。
病院や愛生苑の周囲に
一斉に赤と白の彼岸花が
咲き乱れたのである。
病院や老人施設の周りに咲くのは
少し複雑な気もしたのだが、
あとで調べると
なにか暗いイメージがあるが、
実は、彼岸花自体は
決して暗く、忌み嫌うような
ではなく、そういう花ことばがあるわけでもなく
どうも、彼岸に咲くとか
お墓の周りに多く見られるとか
勝手に暗いイメージを持っている
様である。
いずれにしても、私には
上里病院の秋を印象づける
花なのである。
皆も心の中では、
勝手に暗いイメージを持ちながら
暑かった夏が終わる象徴として
どこかで
待ち望んでいる様な気がする。
もちろん私は、
少なくなった季節感に
頑強に抵抗するそのいでたちが
毎年、心のどこかで
待ち望んでいるのである。
さて、
毎年、この時期になると
突然芽がでてきて
咲き始めるのだが、
今年は、9月中旬になっても
病院の周囲のどこにも
うんともすんとも
影形がなくて
毎日心配していた。
今年は、病院の周囲の
雑草の刈込が強すぎたのか
(愛生苑の施設長や、
うちの婦長が
ことしはいつもより
入念に刈っていた?)
暑すぎる夏と
まだ来ない本当の秋が
影響したのか。。。
とほとんどあきらめていた。
ところが!!
先週のはじめころから
突然にょっきり茎が出現し
毎日みるみる成長して
なんと23~26日を中心に咲き乱れた
のであった。
自然というものはすごいもので、
なぜカレンダーを見る様に
出現して開花するものなのか。
調べたがよくわからない様である。
昔、理科でならったごとく
気温の変動で咲く要因と
日照時間で咲く要因が強い様であるが
気温でかんがえれば
今年なぞ、気温が高いままであったので
この時期に咲くわけがないし
日照時間で考えるなら
いつも地上に顔をだしている
植物ならまだしも
地下茎で土の中にうまっていて
突然出てくる
形態をとっている植物なので
日照時間を感知することも
考えにくい。
なにか特殊なカレンダーが
組み込まれているに違いない。
いずれにしろ
私が上里病院にやってきたときの
思い出をもたらし、
私を励ます様な
この彼岸花に
なにかこころが安らぐのである。。。
ため口
最近の若い子はどうも
ため口で話す子が増えてきた。
医者と患者という関係でなく
年齢の差もある相手に
ため口はいかなかな。。。。
ため口がひどい子は
その態度もため口同様の子が多い。
これはどういうものだろうか。。。。
むかしから、体育会系で
私の時代の大学、医局、医療社会は、
1年学年が違えば大違いの世界で
育ってきたものだから
(医学部は、学年が上でも年下という
関係が結構多い世界であるが
同じ大学であれば学年
他の大学であれば卒業年度が
上下関係を決める)
日本語は、尊敬語、丁寧語、謙譲語と
いろいろあるが、
決して日本語だけではない。
英語もそれなりに
尊敬語は存在するのだ。
イギリス英語等は、
もっと悪いことに
社会階層で、いまでも言葉が
違うのである。
私の勝手な考察ではあるが、
どうして、こういう尊敬語が存在
するかといえば
人間は、集団で協力して
はじめて生活できる動物である。
動物も進化するにあたりだんだん
大きな集団を形成して生活できる様になってきている。
つまり、知能が発達するにしたがって
群れを形成し、それぞれが
群れのなかで役目をもって
共同で生活する
様になってきた。
(さすがに集団が大きくなりすぎて
人間の知能ではコントロールできなくなって
来ているが)
どうしても集団をうまく運営して
行くにはどうしてもヒエラルキーが
必用になってきてしまう。
(たとえば、数十二人程度の会社では
どうにかなるかもしれないが、
数百人単位になるとやはり課長、部長
係長という役職が必ようになってくるし
社会でも首相、県知事、市長が必要に
なってくる)
いらないとおもうかもしれないが、
集団ができれば、人が2人いれば
リーダー的人間が出現しなければ
物事がうまく進まなくなってしまう。
そこで、動物はかみつき合ったり
傷つけあったりして
上下を決めているのだが、
そこは、さすがに言語を発明した
人間は、その言語で上下を決めている。
それにより集団の生活を
スムーズに進行させていっている
のだ。
そうすれば集団運営が
良好に行っていけるからだ。
人間は、動物である
動物が、集団生活を営むには
どうしても集団での自分の位置の確率が
必用になってくる。
今の子たちは、集団生活が
非常に苦手になってきている。
おそらく、集団生活がなくても
一人で生きていけると勘違いしている様な気がする。
人間間の関係の構築ができなくなってきている
様な気がする。
他人の気持ちを汲めない
若者が増えてきている気がする。
しかし、以前よりハッキリするのは
髪の色をそめたり、
ちょい悪の髪型、カッコをしたり
そういう態度をとったり
入れ墨をいれたりして
(これらは原始社会で上下を決める
やり方)
自分の優位性を周囲に保とうとしている
つまり表現が下手になってきている
様な気がする。
人とのかかわりを商売にしている
人ならわかるだろうが、
商売していても人間は人間
医者も人間。
人を相手にして好感度を持てる人には
やさしく接するであろうし、
医者もしらずしらずのうちに
念をいれて診る様になってしまう。
自分でいうのもなんだが、
私、外見に見合わず、
物を店で買う時は
妙に腰が低い。
病院で患者さんとの経験が
どうしてもそうしてしまうのかもしれない。
インフルエンザ?
今、ちまたではインフルエンザ
が流行っていて、
学級閉鎖まで出ている。
この時期にインフルエンザ?
コロナは流行るし
これは、なにもかもが
くるっている???
。。。。。
これには裏がある。。。。
実をいうとインフルエンザは
毎年、冬にはやってはいるが
夏も地道に発生していて
冬から夏を通して次の年までつづいたり、
南半球からやってきたりしていたのだ。
これまでなぜそんなに
でなかったのか?
それは、単に検査していなかったから。。。
(実際少し、免疫が落ちて増えている様だが)
今、いろいろな病院で、
仕様している検査キットのなかで、
主流なのは、インフルエンザと
新型コロナを同時にはかるキットで、
結果、毎年、測定していなかった
インフルエンザが検出される様になったのだ。
昨年までは、コロナだけのキットを
仕様することが多かったのだが、
今年の冬のインフルエンザの流行で
同時キットを使用する施設が
増えてしまったのだ。
しかし、こちらとしては
びっくりするというか
なんというか
複雑なのは、
発熱の人の検査をしたとき
インフルエンザがでたら
コロナじゃなくてよかった
という反応を見せる人が
多いことだ。
インフルエンザは
決してバカに指定はいけない病気。
今はA型が多く
高熱が出るのだが、
B型のインフルエンザなどは、
結構、熱が続き
体力を消耗して
高齢者なんかは、これを
きっかけになくなる方も少なくないのだ。
(だから毎年ワクチンをしているのに。。。。)
鳥インフルエンザなど、
毎年、日本のどこかの養鶏場ではっせいしてい
鶏の大虐殺があるのだが、
それだけしなければいけないほど
高毒性のインフルエンザなどは
新型コロナの初期のB1タイプより
はるかに死亡率が高い。
現時点で把握できている
だけでも死亡率は50%を超える
と考えられている。
だから、
なんか、複雑な心境でもある。
乗ってみたい車を
ネットで見ていたら
1千万を下らない
車ばかりで、
その中でふと500万の
車がでてくると
500万もするのに
安いと思う様な
錯覚というか勘違いを
皆している??
ああ、また
コロナとインフルエンザの
ワクチン接種が始まる。。。。。
。。
結構、これがまた
我々にはかなりのストレスなのです。
(当院の様にほそぼそと
やっているところは
それでは、もうけにはなってな
いですからね!!!!
高齢者施設と
いつも見ている患者さんのために
しているのです!!)
いいすぎ
あしからず。。。
当番病院はきつい
先週の日曜日は当番病院だった。
当番病院というのは
それはそれは嫌なものなのです。
先ず、第一に休みが無くなる。
今回は、8月28日より9月9日まで
13日の連続勤務。
大きな病院とちがって、医者はひとりだから
まーしんどい。
当番明けの月曜日には
疲れがたまった上での月曜日で
結構うんざり。
若いうちはいいけれども
年よりにはきつい。
第2に
来る人、来る人、新患ばかり、
とにかく、新患というのは、
全く、いままでの背景がわからないので
現在かかっている病気やその状態
その人の性格まで
見てから診療することになるので
日ごろ見ている人とは
手間が違う。
特に日ごろくる患者さんは、
どこにもかかってない人が多いのだが、
当番病院の時は、
何らかの病気で他院にかかっている人が多く
それは大変。
いつも診ている患者さんの
数倍の労力を必要とする。
第3にコロナ(インフルエンザ)
毎年、冬のインフルエンザ時期の当番は
それはインフルエンザの患者さんで
ごった返すのだが、
今は、コロナ。
悪いことに今は、インフルエンザの人まで
いる。
以前、正月(正月は特に多いのだが)
に当番病院をしたときに
90人ほど来院したことがある。
朝、あけてから夕方しめるまで
休みなしで、
診療中は忙しすぎて
なにも考えなく、
バタバタ動いていたが
終了時には職員一同クタクタになって
しまった。
今回は、30人ほどの
患者さんですんだが、
住所が綾川の人が多かった。
当番病院というのは
周囲との病院との関連で、
当日の他の病院の当番病院が
気になる。
先ず、坂出市内
必ずもう一軒内科系列が
一緒に当番をするのだが、
今回は、小林胃腸科であったが、
大体、位置関係から、
小林胃腸科が一緒にすると
宇多津、丸亀方面の西からくる
患者さんを受け止めてくれる。
また、当院が坂出の東側になるので
中心部の人も小林胃腸科に行ってくれる。
今回は綾川で内科当番がなかったので
綾川からの患者さんがやってきた。
高松もいつも
国分寺で当番があると高松からの患者さんが
少ないのだが、
高松の当番が中心部から
東よりであれば
国分寺、香川町あたりから
患者さんがくる。
後は、小児科、
周囲に小児科の当番がなければ
小児科の問い合わせが多くなる
だから、いつもはあまり見ない
小学校の高学年ぐらいまでは
受け入れる様になってしまう。
だから、同じ日に当番をする病院を
ついつい調べて、忙しさを
事前に予想してしまうのだ。
なんて、いつも皆みみっちいこと
ばかり考えて。。。。。。
あと、大きな声ではいえないけれど。。。。。。
(おこられる?)
結構、便利的にただ、日曜日に開いている
から来る人も多い。
(今日来る?って人)
(月曜日からしんどいのだけれど
点滴してくれとか。。)
でも皆さま気をつけて下さい。
新患で、日曜日に受診すると
それだけで結構かかりますよ。
学会
(以前もお話ししたのだが。。)
医学の学会といえば
外部から見ればなにか
とてもアカデミックな響きがいいもの
かもしれないが、
?????
医学界かいわいには山ほど学会がある。
教授の数ほど学会があるといわれている。
言われているというのは
それほど多いのだ。
名のある学会だけでも
軽く100は超す。
私も最高時には15個ほど学会に
入っていた。
学会は、もちろん
元来、その学問を究め、発展させる
ためにできたのだが、
どんどんその軌道が外れている
様な気がする。
例えば、私が若いとき研究していた
胃がんに関係する主な学会だけでも
日本胃癌学会、日本癌学会、日本癌治療学会、
日本外科学会、日本病理学会、
日本外科学会、日本消化器外科学会、
日本消化器病学会、
これは、あくまでも日本医学会という組織に
入っている学会だけで、
他にも関連する学会はいろいろある。
たとえば、日本内視鏡学会、日本超音波学会
日本ヘリコバクター学会、、、
最近は、いろいろ抗体治療もあるので
まだまだ関連する学会がある。
自分も研究室にいた時は、
1っか月に1回ほどいろいろな学会
にほとんど同じネタで発表していた。
それぞれの学会で
それぞれ数百の演題がでて
治療は、これが利くとか
こうすれば再発が少ないとか
すぐわかるとか、
毎年、毎年、それぞれの学会で、
それだけ成果があるのなら
胃がんなんてとっくの昔に
なくなっとるわい!!
なんて、、、、
言っちゃいけないのかな。。。
若い時は、真剣に胃がんの制圧の
糸口を何とか見つけようと
いろいろマウスやラットを虐殺しながら
実験して顕微鏡をのぞいていたが、
私が研究していた一部は
見事にヘリコバクターという
発見に崩れてしまった。
(一部の研究は延々とつづいているのだが)
大体、学会が増えた原因は
専門医を作ろうとしたことにもある。
昔、たとえばベテランの医者が
手術したのとベイべいの医者が
手術するのに同じ値段はないだろうとか、
ベテランの医者が内視鏡するのと
あまり内視鏡を特異としていない
者が同じ値段はないだろう。。。
という、みみっちいものから始まり
専門の医者という資格をつくって
それを保険点数とか給料に
反映させようというものだった。
(いまだにうまく
反映されていないのだが)
それが講じて、
内科専門医から、それだけではいけないと
糖尿、呼吸器、感染症、血液、消化器、
消化器にいたっては食道、胃、大腸、肝臓、、、、
と際限なく分かれて行った。
それがまたいけないことに
その学会の権威というか威厳というか
存在というか、それを保つために
○○治療ガイドラインというのを作る。
マーそれがいろいろあって、
肝臓だけでも、肝炎、脂肪肝、肝がん、、、
そんな細分化されてそれぞれの
診断や治療方針が書かれている。
それがまた、数年に一回改定される。
大きな病院で、それに特化した
お医者さんは、いいけれど(たとえば
肝臓とか、糖尿とか)
((だから大きな病院に行くといろいろな
科をまわされる!!))
町医者はそうはいかない。
脳外科から産婦人科まで
おおよその事は頭に常に入れておかなければ
いけない。
。。。。。。無理、!!
AIにさせろ!!
一つの学会の年会費は
数千円から1万5円ぐらい、
年に一回の学会に参加するには
これまた1万から2万円。
認定医、専門医をとるには
認定料だけで1万から2万
(たまらんじぇ)
この学会の多さ、細分化は
結局の所まわりまわって
自分の首を絞めることになっている。
かといって、もう戻れない状態。。。
これからどうなるんだろう。
余談ではあるが、大きな学会があると
全国から数千人の人達が集まる。
その一人一人が、宿にとまり
飯をくい、お土産を買って帰るとなると
それだけでその土地に対して経済効果がある。
コロナ禍で今はウェブ開催になっているのだが、
、、、、、、、
そうか、学会は、
日本の経済の為にいっぱいあるんだ!!
なんてほざいたら
いっぱい叱られるか。。。。
講演会
私が所属していた医局も
教授が定年でかわったが、
母校の教授ももう年下ばかり
よくよく考えると私も63歳
教授の定年が65歳だから
教授が年下ばかりなのも当然と
いえば当然。
入局したてのころは、
教授どころか助教授、講師連中も
かなり年配に思えたのだが、気が付けば
もう年下ばかり、
たとえは極端であるのだが、
中学校に入学したとき
3年生がかなり大人に見えたのが、
今みれば、かわいい子供ばかり
と同じ気分だ。
よく、講演会で、薬やさんが
○○先生の講演があるので
ぜひお聞きくださいと
いわれるのだが、
薬やさんは、○○先生のことを
偉い先生と思っているのかもしれないが、
私の年代になると
なにも響かない
薬やさんの講演会というのは、
薬に関連した講演会で、
たとえば、糖尿の薬をだしている
薬やさんだとすると
糖尿病に対する最近の見地と
の講演なのであるが、
最終的にはその薬の宣伝という事になる。
そんな講演が、香川県だけでも
1日1件ほど
全国でウェブ放送している講演会は
一日2~3個ある。
大体、1日仕事につかれて
やっとおわって薬の宣伝を見に行く?
最近は、昼休みの時間をねらって
あるウエブの講演会もある
そんな束の間の休みに
薬の宣伝を見に行く?
薬やさんによく言うのだが、
新車の宣伝ならまだしも
中古車の宣伝を
自分から身に行く??
自分としてはやはり
最新の情報を仕入れたいので
できるだけ宣伝の色がないものを
時々見るのだが、
なんで講演会がそんなにあるか、、、、
それにはからくりがある。
実際に会場で開催される講演会には
点数というものがあって、
ある程度、講演会に出ないと
点数がもらえなく、
それが診療の点数(収益)にかかわってくるのだ。
また、その他多数の講演会、
ウエブ講演会は、
それを見ると病院に来ている
MR(いろいろ病院と薬やさんとを
つないでいる人たち)さんの
営業成績になるのだ。
だから、よく顔をだすMRさんの
講演にはどうしても顔を
だすというパターンがあるのである。
この他にも
公の研修会というのが多数あり
その研修会にいろいろでていないと
さっきいった
診療の点数にかかわってくるのである。
研修会にいたっては、
日曜日一日かかるものも多数ある。
これだけ働き方改革という時代に
時間外にやらなければいけないものが
どんどん増えてきているのが現状で、
いろんな役所の部署がそれぞれ
一生懸命やっているのかどうかは
わからないが、
全体の整合性は全然取れていない!!
これを統括して
コントロールできる
役所もなければ、医師会の力もない。
まだ、医者には他にやることがあって
学会という厄介な組織がある。
これはこれでまた
今度、お話し
いや、
ぼやくことにします。
あれはどこいったんだろう。
盆に久しぶりに実家にいった。
実家の一室を
我が家の物置にしているのだが
。。。。。
子供のおもちゃや、本を
すてれないでそのまま置いている。
一部は、自分の子供のころの
ものも置いているのだが、、、、
子供のころというのは、
たわいもないものを大事にしていた
もので、
何かのおまけの小さな飛行機の
おもちゃや
昔アッピングボールといっていた
弾むゴム製のボール
そして、友達の家に遊びに行ったときに
かった小さなジープのおもちゃ。
いろいろあったのだけれども
いまはもうない。
子供のころから実家を建て直すときに
仮の住まいに引っ越して、
それからまた
新しい住まいに移った時に
結構すてられたり
大学にいって、実家から離れて、
すこしずつ捨てられるか
なくなったか、
そして極めつけは
再び
実家を建て直すときに
大半は捨てられた。
過去を顧みず
今を生きるというのは
かっこいいのかもしれないが、
かっこわるくても
たまには
たのしかった昔のことを思い出したいものだ。
そんな思いがあったのと
昔、永六輔が
子供のものを置いておくのは
親のつとめだ。といっていた言葉が
ずっと頭にのこっていて
できるだけ、子供の持ち物は
残していて今の家にはいりきらないものは
実家に置いている。
だいぶ、以前の話だが、
子供が小さい時
一緒に自転車にのっていて、
子供が横断歩道で大事にしていた
ケンタッキーのカーネルサンダースの
キーホルダーを横断歩道におとした
信号がかわって車に敷かれそうになったのを
泣きそうな顔でみていたので
親バカの私は、
一生懸命、頭をさげて車にとまってもらって
それを拾った覚えがある。
子供が大きくなって
たまたま、その場所を通りかかったとき
そのことを話すと
なんと、子供はそのことを
全く覚えていなかった。
また、家を建てて、引っ越した時に
子供がごみ袋をもって
これすててっていわれて
もってきたものが
マクドナルドの
ハッピーセットのおまけを積めた
ごみ袋だった。
子供が小さいときに
私は、好きでもないハッピーセットを
一生懸命食べて集めた
おまけがそこに詰まっていた。
親バカとはこういうもの
子供のものを一生懸命
とっていてもむだになるのかも
しれないが、
それでもおいておく
バカなおやが
ここに存在するのだった。
おもちゃ屋がない!!
わたくし、8月生まれで
63歳になってしまいました。
誕生日といっても
特段、思い出があるわけではないが、
子供のころは、
誕生日だからといって、
親に金をせびって
その金を持っておもちゃ屋にいった
思い出が、唯一楽しかったことぐらいか。。。。
その思い出が残っているのか
63歳のジジイになっても
金をもっておもちゃ屋にいって
子供のころを思い出したい気持ちに
なることがある。。。。
金を握って、いろいろ見渡して、
選ぶ わくわく感、
高くて買えないものに対する
あこがれ感。
なんだろう。。
子供時分の特別な
わくわく感があった。
ところが、今、玩具屋がないのである。。。
高松の町の中で住んでいたので
(へへへ、、、、)
お金握っていったのは
近くの
玩具屋が
常盤街に2軒、片原町に1軒、確かライオン通りに1軒
駄菓子屋は
瓦町に1軒、藤塚町に1軒
駄菓子屋+おもちゃ屋+文房具屋が花園に1軒
模型屋は
瓦町に1軒、フェリー通りに1軒
一高前に1軒その近くにもう1軒
といろいろ行っていた。
ところが今言ったおもちゃ屋、駄菓子屋、模型屋は
全て今閉店してないのである!!
玩具屋や駄菓子屋は
ゆめタウンやヤマダ電機
なんかにあるにはあるが
何か違う。。。。。。
そこに行っても当時のわくわく感は
なにも帰ってこない。
何だろう。
わが子が、家にある玩具でも
玩具屋でみたら、触って
動かしてあそびたがっていたが
あれは何だろう。
今、唯一、近くに松屋という
もともとの問屋さんがのこっていて
問屋さんだったので
以前は、いってなかったが、
今は、そこしかないので
たまに行っている
そこには、駄菓子、玩具、模型があるのではあるが
そこでさえ、最近は、だんだん品数が
減ってきている。
それでも結構みんな昔のにおいを
かぎに集ってきている。
少子化と
小売店の経営の厳しさ、
そして、ネット販売
ゲームを中心に遊ぶ子供たち
小売店が生き残れる場所がなくなって
来ている。
玩具にかぎらず
電気屋にしかり、お菓子屋にしかり、
八百屋さん、魚屋さんしかり
そして病院も
小さな小売店は生き残れなくなってきている。
どの業界も一緒だが、
小売店には大規模店舗にはない
独特の雰囲気とわくわく感があった。
どれがどんどんなくなって行くのは
昭和のおじさんは
さみしいのです。
街をあるくと、サルのおもちゃが
シンバルをたたいたり、
太鼓をたたいたり
犬のおもちゃがワンワン鳴いていた
近くの商店街の
あの賑わいが懐かしい。
やっぱり見捨てられた。
ま、また、
施設の一つにコロナの感染者がでた
今回も十二分には気をつけていたのだが、
複数人でてしまった。。。。
ここで、一人、
感染後に重症化してしまった人がでて
いままで、全てコロナの患者さんは
施設内で、私が診ていたのだが、
さすがに、初期からかなり危険な状態に
なったため、
他院へ送ろうとした。。。。
状態が重症であるため
紹介病院が限られる。
(中等症以下を受け入れるところは
あるのだが、中等症以下は
施設内で私が診るほうが
ましだから。。。。。。なんてね)
その限られた病院全て断られた。
断り方は様々であるのだが
実の所、認知症の高齢者は、
いろいろな理由をつけて断られるのだ。
これは、コロナだけではなく、
他の病気でも同じ、
こちらとしては、
施設というのは基本、“おうち”なのだから
“おうち”で見れない患者さんは、
入院させてくれないと。。。。。。
でも、認知症をもった高齢者は
たびたび断られるのだ。。。
ちなみに、先ほどの重症の患者さんは、
私、ブチ切れて、いろいろ治療したら
上空2万メートルぐらい
まで上がっていってしまっていたのですが
やっと地上10mほどのところまで
戻ってきてくれました。
(めでたし、めでたし)
これは、野戦病院での経験が多い
何でも屋の私にとっては
微妙なところなのである。。。。
第1に、野戦病院でなんでもしていた私の様な
野蛮な医者は、色んな疾患を
治療してきたので、たいていのことは
対処する。
こういう場面では、
ブチ切れて”若い、てめえらより
上手い治療をしてやるわ!(# ◌゚Д◌゚)“
となってしまうのです。。
第2に。大学病院からどんどん
規模が小さな病院を経験して
今、クリニックを経験し、
おまけに、介護施設まで見ているので、
紹介をしたときの電話の
向こうの状態が見えてしまう。
(逆に向こうはこっちの状況が
把握できていないとおもう)
第3に、自分が若いころは
どんなに無理をしても、
入院が必要な患者を引き取っていた。
(今ではゆるされないが、
昔は、4人部屋を6人部屋にしたり
倉庫を病室にしたりして
入院させていた。)
畜生!!!今のやつらは!!!
となってしまう。
私が上里医院にくるまで
裏の施設にいる人で
常に入院している人が10人ほどいた。
今は、おそらく平均したら
1人切るぐらいの人数しがいない。
その理由は、
入院させても治療に身が入っていないのが
眼にみえる時が多々あるので、
それなら自分で診た方がましと私が
紹介することが減ったことと、
単純に最初から認知症の高齢者を
とらない病院が増えてきたからである。
そんなに、認知症の高齢者の命を
かんたんにすてていいのか!!!
てめえだって
気が付いたら高齢者だぜ!!
テレビでは、毎日、
ここへ行け、あそこがいい、
あそこの何がうまい。。。。
という話ばっかり
あれだけ不安をあおっていた
奴らは、どこへいったのか?
今でも、どこもいかず
コロナ感染に気をつけている
我々は、、、、、
(特に私が感染すると
病院だけでなく、高齢者施設を
見る人間がいなくなるので
私だけは感染できないのです!!)
あまり、過度に気を付けていたら
逆に変人扱いされる日々になってきている
のです。
マスコミはこわいですな
(医学系ではむかし、むかしから
マスゴミといっていましたが、、、)
と憤慨している私でした。。。。
夏休みの自由研究
私、子供のころ自由研究というものを
しっかりやったことがなくて、、、、、
なんせ末っ子で、
親は仕事でいそがしく
子供のあいてなぞする暇なぞなく、、、
(もちろん夏休みに旅行なんぞ
いったこともない。
せいぜい脇町のいとこの家に
1週間ほどあずけられて
田舎の生活を満喫していたぐらい)
まーイー加減なことを
百科事典なんかをみて
1日でテキトーに
自由研究ということにして
毎年、提出していた覚えがある。。。。
そこで、今回は、小自由研究。
めちゃくちゃ暑い日がつづくけど
むかしも暑かったけどなー
こんな暑い中、テニスやってたけどなー
とおもって
昔の気温を調べてみた
その月の最高気温と()内はその月の平均気温
1967年(小学校1年生)
7月35.1(30.3)8月36.1(32.8)
1972年(札幌オリンピックの年)
7月33.5(29.4)8月34.7(30.7)
1973年(高松砂漠といわれた大渇水の年)
7月34.4(31.7)8月35.0(32.2)
1980年
7月34.4(28.4)8月32.6(28.0)
1994年(再び大渇水の年)
7月38.2(34.3)8月37.2(34.4)
2000年
7月37.6(33.6)8月37.0(34.0)
2022年
7月37.3(33.0)8月36.9(34.3)
ん-確かに2000年ころからは
かなり暑くなってしまったみたい。。。
子供のころは
いまよりあつくなかったのだ。。。。。
ただ、大学生のころ金沢の大会で
フェーン現象で40度の気温の中
なんと風邪をひいて38度の熱をだしながら
ふらふらになりながら試合をした
思い出がある。。。。
しかし、子供のころは、夏ともなれば
夜は、クーラーもなかったので
開けっ放しの部屋で、どうかしたら
廊下で犬の様に寝た思い出がある。
また、大学生のころは、風通しの悪い部屋で
だらだら汗をかきながら、それでも
ぐっすいりねた思い出もある。
それもそのはず
大学生のころは7月になると
試合もちかづき、朝9時から
夜の7時までずっと炎天下で、
練習していた。
(水も飲ましてくれない中)
朝の体重と夜の体重では4kgほどちがっていて。
(汗のために)
練習がおわって2リットルのスポーツドリンクと
1リットルの牛乳をのんで
夕飯をくうと
プラス1kgになっていた。
体が熱くて水の風呂にはいって
体を冷やしてから寝ていた
そりゃ暑かろうが
疲れはててぐっすり寝るしかなかった。。。。
1っか月の練習で体重が10kg
近く減って、ひきしまっていた。
ああ、わかかったんだなーーーー。
最近の子供たちの弱点は、
熱中症になりやすいのだが、
その一つの原因として考えられるのが、
赤ん坊の時から夏はクーラーがきいた
部屋で過ごしているので
汗腺の発達が悪い。
汗をかきにくいので体から
体温がにげにくい傾向があるのではないかな。。
と思うのであります。
8月生まれで、
熱い中で生まれ、
子供から青春時代をそういう風に
そだってきた私は、
生まれてこの方
夏バテをしたことがなく、
どちらかといえば
いつも夏太りをしていたのであります。。。
ちなみに
1月の気温は
1967年 -4.7(0.3)
1972年 -2.2(2.3)
1980年 -3.4(0.5)
2000年 -2.3(2.7)
2022年 -1.5(1.6)
2023年 -2.0(2.3)
確実に暖かくなっている。
昔は年に幾度かは
雪がつもっていたし、
厚い氷もはっていたが今はない。
しかし、
年とともに、寒さだけは
身に染みるのです。
映画のポスターのきらめき
だいぶ前に
プラモデルの箱絵の話をしたことがあるが。
プラモデルの箱の絵は
中身のプラモデルを欲しいと
思わせるだけの力があり、
中身がその箱絵に劣るものが多々あるのだが、
その箱絵でもって、その売り上げは
決まるといっても過言ではない。
それと同じで映画のポスターがある。
私のすきなのは
写真のポスターではなく
絵でかかれたポスター
もちろん、字だけのものや、
写真を組み合わせたものも
素晴らしいものがたくさんあるのだが
私は、絵でかかれたものが
映画と同様に好きなのである。
今では、映画のポスターが
絵であることは非常に珍しくなったのだが、
その絵のすばらしさは
絵画以上のものがある。
絵画をする人間は、
絵画が高尚なもので
映画のポスターの絵やましてや
プラモデルの箱絵など
取るに足らぬものと
いう風潮があるが、
私は、
素晴らしい芸術の一つと考えている。
その最高傑作が
ティファニーで朝食をだろう。

これが、1961年の映画で
その当時での
このセンスは何だろうと思わせる。
もちろん、オードリーの美しさを
強調したこのスタイル
ジバンシーの黒のドレス
この色と文字の配置。
完璧といっていいだろう。
もう一つ


これに至っては1939年の映画なのだが
どこまでも強い女のスカーレットオハラ(ビビアンリー)と
たくましい男レッドバトラー(クラークゲーブル)と
燃える様な激しい物語を
これほどまで表現したポスターも
ないのではなかろうか
個人的に好きなポスターは
あまり有名ではないが
TRAIN(邦題=大列車作戦)
実は、白黒映画なのだが
このポスターのおかげで
この映画を思いだすときはカラー作品で
あった錯覚もする。

もう一つ
これは女王陛下の007といって
007シリーズで、ショーンコネリーが
降りて2代目のジェームスポンドの
ジョージレイゼンビーという役者が
出た映画。
映画自体は007の中では駄作で、
ジョージレイゼンビーという役者は
これが映画が初めての素人役者で、
素行が悪くてこの一作で終了した
というややいわくつきの映画なのだが
ポスターは素晴らしい。

実は、前3つの映画のポスターは
額にいれて家に飾っている。。。。。
一目見るだけで、映画のすべてを思い出す
この映画のポスターというものは
一種の芸術であると思う。
そういえば、
昭和の人間としては
映画館に映画公開時に
でていた大きな
絵でかかれていた
少し、本の絵とはちがった
違和感のある絵が懐かしい。

あの頃は2本立てが普通だったなーーー
映画館に行くことが
一つのイベントだった時代
娯楽の中心だった映画。
それがテレビと競い合って
テレビではできない
スケールを画面で描くことで
いきのこっていたのだが、
CGの発達と
マルチメディアの発達は
ついに映画どころか
テレビドラマさえ
どこかスケールの小さな
ものにしてしまっている。
映画もドラマも
どこか人間性をうしなってきて
輝きがどんどん失われてきている
気がする。。。。。
おじさんは、寂しいよ。
としとるわけだね。
先週につづいて
テレビの話を
大体、前回の火野正平の番組みたいに
時計代わりに時々
つけてみることはあるが、
時間がなくて、じっくり見ることは少ない
一週間、このブログを乗せた後くらいに
番組表をみて
1週間で見たい番組を
予約して、時間があるときに
早回しで見ることが多い。
それでもいっぱい積み残しがあって
ハードディスクがパンパン。
ま、そうしてみていると
ときどきドラマの番宣が入っているのだが、
風吹ジュン(71歳)や
竹下景子(69歳)がしっかり
ばあさん役ででているではないか。
風吹ジュンといえば70年代に
アイドル系からいろいろあって
セクシー系でいろいろでていたし
竹下景子70年代に
お嫁さんにした女優No1と
いわれ人気を博していた。
びっくり、びっくり
おれも歳をとるわけだ。。。。
と思ってしまう。
いろいろ同時期に
人気を博した女優はいるが
他の女優は、どこかに、自分は、
若さを保っているんだということを
ひそめている役をしている感じがするのだが
ドラマを見たわけではないのだが
番宣の2人は、
ばあさん役になりきっていた。
2人とも特に好きな女優さんではないが
(わたくし昔から偶像崇拝しない人で
この人が好きというのがあまりない人)
(ただし、この人は嫌いというのは
けっこうあるが。。。)
男優は、
特に
見た目より演技力が
売りの男優は、
歳と共に、その歳なりの役をこなし
長い間、ずっと
消えない男優がいたり
また、
松重豊の様に、脇役から
年輪を重ねてブレイクする
人もいるが、
女優というのは、悲しいかな
世間が、若い時にはどうしても
かわいさや美しさを求められているので
ある程度年齢を重ねると
役がなくなる人が多い
(特にハリウッドなんか)
丁度、男優でも
アイドル系で売っていた人達が
年齢を重ねて役がなくなってしまう様に。
(それを考えると
塩沢ときさん や あき竹城さんは
すごい女優だったな。。。)
しかし、しかし
よくよく考えると
一般のわれわれでもそれは
いえるかもしれない
いつまでたっても
自分の歳に気が付かず
若ぶっている人をみると
。。。。。ん。。。いたいたしく
見える????
ことがよくある。。??
んん。。ん
気おつけよと
もうすぐ63歳のおっさんは
思うのでした。
(無駄な抵抗は結構しているが。)
とうちゃこ
毎週日曜日にこのブログを掲載する
日曜の朝、NHKのBSで
火野正平の“にっぽん縦断 こころ旅”
という番組があって
よく見ている。
視聴者のさまざまな思い出の
場所を自転車で訪問して
思い出の手紙をよんで語るという
単純といえば単純な番組であるのに
それが10年以上も続いている。
“とうちゃこ”というのは
その場所についたときの
ことば
我々の世代では、
火野正平といえば
数々の女性遍歴が
語られる、浮世を生きてきた
様な印象で、
NHKにでれるの???
っていう印象しかない。
番組の視聴者の手紙のなかでも
”握手をしたら妊娠してしまうような
正平さんの様な人ではなく、、、、、“
という文章が出てくるぐらいの
印象しかない俳優なのである。
でも番組の中での
火野正平は、とても味があって
いい空気を漂わせているのだ。
昔の印象なぞ
軽くどこかにふっとんでしまう
背中があるのだ。
人間、それまでの人生経験が
味をだしているのか
それを感じさせる一人だ。
おもってみれば
決して2枚目でもないのに
あれだけ女性にもてたというのも
どこかにそれだけの魅力を
持っていたともいえるし、
あれだけ問題をおこしても
芸能界で生き続けているというのも
どこかにその人間性があったのかも
しれない。
いろいろ艱難辛苦をのりこえて
来た人間には
独特の味があるような気がする。
考えてみても
典型的な2枚目のアイドルとして
登場した芸能人が
そのまますんなり
人気をもったまま
生き抜いているのを
あまり見たことがない。
としをとって何か
背中に漂わせないと
人間性に厚みを感じず
消えて行っている気がする。
見た目のカッコよさは
すぐピークを過ぎてしまうのだから。
社会の中では
人は見た目が一番というのも事実だが
見た目の中にはそのオーラが
一つの要素となっている
のも間違いない。
(怒る人もいるかもしれないが
おしさんは、木村○○がどうしても
好きになれない。
アイドル時代から
いまにいたるまで
周囲につくられたものが
そのまま今でものこっていて
魅力を感じない)
(むしろ他のメンバーの方に
魅力を感じてしまう)
自分の背中は見えないが
人は
私の背中が
どう見えているのだろう??
としをとって
おじさんは
時々そんなことを思うのです。
大谷は、すごすぎる
エンゼルスの大谷選手が
今週、先発で7回途中まで
(爪が割れて降板)投げて
好投し、打者では2本のホームランを
打っている。
あの大リーグのごつい外国人のなかで
ひときわ抜きんでた存在である。
あの、恵まれすぎたフィジカルに
ストイックなまでの生活が
今の成績を作り上げている様だ。
徹底した栄養管理、アルコールからお菓子まで
管理している様だ。
恐ろしい位の筋トレ。
睡眠時間も長く、外食もままならない状態だそうだ。
24時間全てを野球に投入しているのだ。
落合(三冠王)と中畑(元巨人の4番)との掛け合いで、
“大谷の何がすごいか”ときかれて落合は
“すべて野球にかけているところが凄い”といい
中畑が“俺も野球にかけてたんだけどな~”
というと
”かけ方が違う“と落合に言い放たれていた。
あの落合にそれだけのことを言わせるほど凄いのだろう。
話は変わるが、
私が昔あこがれていたアインシュタインをはじめ
天才的な物理学者たち、そして現代でも
いろんな新説や素晴らしい理論を打ち出している
物理学者や天文学者たちは、
一日中、頭に数式が飛び交っている。
いいかえれば
“すべてを物理にかけている”
それらに並んでいうのはおこがましいが
私も九州で医長をしていたころは
365日24時間、医療に
打ち込んでいた。
そうやって自分の患者だけでなく
時分の科の全部の患者さんをなんとか維持していた。
いま、働き方改革で、
MRさん(薬やさん)なんかに聞くと、
休日中にパソコンを開いてもチェックが入り
禁止されているそうだ。
医者もだんだん時間外勤務の時間がかぎられてきて
市立病院なんか6時をすぎて病棟に行くと
がらんとしている(どうせその間アルバイトにいっているのに!!)
働き方改革がすすめば
大谷選手は、時間外の筋トレは禁止。
物理学者は、研究所からでたら、物を考えるのを禁止
医者は時間外勤務制限
(昔、時間外勤務の手当が一定だったため
事務に理由を聞いたら、私の時間外勤務は、
ナースがついでにだしてくれていて、
“先生は、毎月3日で時間外勤務の上限をこえますから
っていわれたことがある)
になるのだろうか。
極端な話をするようだが
働き方改革を厳守すると
大谷選手や天才科学者はでないのだ。
日本人は、元来、規則を馬鹿丁寧に
守る人種。
話をおとして
一般的な話をすると
このままでいけば
特別優秀な社員や技術者。
病棟をひたすら守る医者
伝説の巧は日本から消えてしまうのではないか。
なんて極端に
考えてしまう。。。。
(裏話をするが、このコロナ禍で
いろんな薬がふそくした。
いろいろな要因があるのだが、
その一因に、あまりもうからない薬を
世間のために、24時間工場を動かして作ろうという
企業がなくなってしまったのもあるということを聞く)
ああ悲しや日本人。
どうしてこんなになったんだろうね。
じじいは去るべし
今、世界中で地球の温暖化が
問題になっているにもかかわらず
どうしても
この問題を世界は
本気で着手しない。
CO2が直接これに反映しているのか
どうかは確かではないが、
すくなくとも
CO2の排出が
一因であることは間違いない。
この地球規模のできごとが
1動物の私の半生で
それを感じられるというのは
まことに異常なことである。
(明らかに、気温が
上昇している。)
それどころか
ロシアは戦争するは、
中国は戦争しようとしているは
もう、目も当てられない。
地球温暖化というできごとは、
いろいろ今後の予想がでているが、
おそらく、予想より早く
気温は上昇している。
というのも気温の上昇が、
いろいろな副作用をおこして
(永久凍土の融解、北極の氷の融解
快音の上昇などなど、)
相乗効果がでて
実はもういまからCo2を減らしても
間に合わない可能性が出ているのだ。
この気温の上昇は、海面上昇を
きたし、食糧危機は目の前に来ている。
(食料自給率の悪に日本は
もうすぐ餓死してしまう?)
大げさなことを言うようだが、
今のままでは人類は滅びる
可能性がると考える
科学者も少なくないのだ。
ま、私が生きているあいだは
まだ大丈夫とおもうが。。。。。。
。。。。。と、どうしても
じじいは考えてしまうのだ。。
どうにもこうにも
世界の指導者が高齢化しすぎ!
歳がいくと
必ず心の底に
私とおなじで、私の生きている一はまだ
大丈夫。
災いは、次の世代がどうにかする
だろうという心がどこにあるはず。
特に権力をもっているものだから
すくなくとも自分はちょっとや
そっととのことでは
死ぬまで苦労しないというこころが
どこかに潜んでいるはず。
バイデン大統領なんか
あの滅びゆくアメリカの象徴のような
気がする。
ケネディーが43歳で大統領になり
オバマは47歳(アジア政策は失敗したが)
あのブッシュでも54歳。で
大統領になっているのに
ところがバイデンは今、80歳なのだ。
若く見せようとすればするほど
じじいに見えてくる。
じじいのバイデンとトランプが
アメリカの大統領選挙をしているのをみていて
アメリカの終焉を感じてしまった。
プーチンや習近平は70歳で
世界はもとより自国の国民の命や生活より
自分が
歴史に名をのこしたいだけなのか??
死んで名を遺すことに何の意味があるのかな???
自分の国を強国にすることが、
歴史に名を残し、国民を豊にすると
思いこんでいるようだ。
(人類が滅びるより)
歴史をみれば
もしそうなってもよくつづいて100年だよ!
世界の指導者が
じじいばかりでは
もう明日の世界はないものと
思われる。
(日本もOOという80を
越した妖怪のような政治家が
何人か、力をもっているが)
そこで、私の提言
指導者は、
大統領、首相にかぎらず
会社の社長、医師会の会長を含め
60歳定年!!
そのまま一兵卒で
働いていいから
全ての実験は60で終了
ってなものはどうだろう。
もちろん、すべての利権は
はく奪。
そうすりゃ、ばらまいて
票稼ぎで、実のない
少子化対策もなくなろうし、
利権だけの政治もチートは
減るだろう。
本気で明日の世界を
もうちーとは考えて
未来志向の世界ができるのでは
ないかな。
なんて、。。。
あ、しまった、
私も60こしたから
院長やめなきゃ!
叱ることはいけないのか
今、叱ること良しとすると
そのとたん
世間からたたかれまくる
という風潮にあるが、
果たしてどうなんだか
私にはわからない。
何でも、褒めて育てる時代。
今の子供を含め若い世代は
叱られることに馴れていない。
叱られると、潰れるか、逆切れする。
水曜日にあった自衛隊の銃撃事件も
詳細は知らないが、
上官を狙ったところを見ると
ひょっとして、、、、、、、
叱られると
高齢者もよく切れるといわれるが
逆切れと言う点だけでいえば、
やはり若者が多い様な気もする。
(実際怒らなくても、
行動が逆切れするのも入れて
最近の子は仕事でなにかあると
すぐやめる。これも逆切れの一種??)
医学的に言えば、
人間、感情を抑える脳の場所として
前頭野という部位があるが、
高齢になると機能が低下する。
また、最近の研究で、ゲーム、スマホの
依存でこの前頭野の発達が未熟になると
いうデーターが出ている。
大体、人間だけでなく、動物も
怒りという感情が存在する。
これは何かというと
本来は、自分の生命をまもるための
防衛本能的に身についたといわれている。
この怒りの感情を無理やり抑えていたら
それこそ爆発しそうだし、
むしろ怒られることで、人間、対人関係で相手をおもいやり
どうやったら相手を怒らせないか、
あるいは、怒られても我慢するということが
身についてくる本能の様な気がする。
最近は、その対人関係自体が崩壊し、
他人の気持ちを思いやる気持ちが
失せてきていることに
多いなる問題がある様な気がする。
日本人は、特に島国で育ってきているので
その対人関係を文化的に重視してきたきらいがあり
その粋たるものが
日本人がすきなことばの
おもてなし
の様な気もする。
九州でいたころ
私の上司が
私の物まねをすると
“ちくしょう”の連発をしていた。
私は育ちがいいもんで
口癖が ちくしょう だったらしい。
中学と大学と軟式庭球に没頭してたから
当時は、いまで言ったらいじめの世界
医者になってからは
ぼけ、カス、死ねの世界
そんな中で、”ちくしょう“が
口癖になったのだろう。
若い人は知らないとおもうが
最近なくなった
中西 太さん
(高松一校出身で西鉄ライオンズの
全盛期の中心打者)の口癖が
なにくそ
だったらしい。
偉人と比べるのはおこがましいが
この”ちくしょう“と”なにくそ“は
ほとんど同じ意味の様な気がする。
そんな中西太さんは、
褒めて育てるタイプであったらしいが、
本人は、いやというほど
怒こられて育ってきたに違いない。
学術的にいえば
褒めて育って成功した人の例がたくさん挙げられるが、
怒られて、我慢して、なにくそと
おもって育って成功した人もたくさん
いるに違いないし、
褒めて育ってダメになった人達、
怒られてダメになった人達の
具体的な症例数がしりたいものだ。
しかし、一つ言えることは
怒られ慣れてない
今の若い者を叱ると
ダメになることだけは
間違いない様だ。
先週のつづき
UHFをコンバーターをつけて見ていたが
これがチャンネルじゃなくて
ラジオみたいに
微妙な調整をする機械だったが
このコンバーターが
テレビについて
チャンネルが2つついていたテレビ
が出てきた。

当時の電化製品というものは
今考えるとやたらに高級感があって
場所をとっていた。
(実際高かったのだが)
高級な電化製品といえばステレオ
ソノシートで聞いていたのと段違いだった。

スピーカーがでかく
各段に音はよかったが
高かった。

兄がねばって親に買ってもらい
こんな感じのステレオが
家にやってきた。
このステレオも後に4チャンネルステレオが
出現し、(スピーカーが4つ)
家にはなかったが、
音楽が好きで、お金持ちの
いとこの家に
あって
おじさんに見せてもらって
初めて聞かされた音楽が
なんと
美空ひばりで
ん。。。。。。。。。
4チャンネルステレオは美空ひばりを
聞くためのもんなんだ。。。。。
って思った記憶がある。
(げっそり)
話はテレビにもどり
それからボタン式になって
ボタンを押して
チャンネルを変えられる様になった

皆、1mのものさしで
遠くから押して
リモコンだ、なんてみんな
やっていたのじゃないのかな。
当時、小さな14型のテレビが出始めて

2台目のテレビが持てる様になって
こんなアンテナをテレビの上にのせて
一所懸命映りがいい方向をさがしていた
様な。
それが、自分の自身の位置がかわると
また、移りがわるくなったりして
大変だった。
それから本当のラジコンができて
はじめのころは一方向だけしかうごかなくて
ボタンを押すたびに
がチャンがちゃんとチャンネルが
動いていた。。。。

それからきがついたら
ラジコンだけになって
テレビからチャンネルや
ボタンが消えちまった。
皆、座ったままで動かなくなって、
どうかしたら、ベッドからテレビをみながら
おうちゃくする様になった
つまりは
人間が動かなくなってしまった。
動くときはラジコンを探すときだけ。
その間に出てきたのがビデオテープ

なんと最初はこんなにバカでかかった。
電化製品にあまりお金を使わない
おやじが、
夜もいろんな会でいそがしくて
大好きなプロレスを見逃さないために
結構早くからビデオテープを買っていたが。
当時、馬場や猪木の
ビデオを見るときは必ずといっていいほど
眠りこけていた。
当時、四国はベータ(ソニー系列)
それがソニー系がまけてVHFに変わってしまって
βのビデオがみれなくなってしまって
困惑したおぼえが。。。。。。
仕事で忙しく
テレビ番組もろくに見れなくなった間に
置き場所を選ばないといけない
厚いテレビが
いつの間にか
薄くなってしまった。
ビデオテープは
CD、DVD
そしてBD
それから大容量のバードディスクへ、
電化製品の変遷は、
とてつもなく
はやい。
おじさんは、もうそろそろついていけないかも。。。。。
次いでにテレビ
前回、ラジカセの話をしたので
今週は、ついでにテレビの話で
子供のころ最初に見た覚えのあるテレビは
こんな風に観音開きだった。
結構、今から思えばかなり
画面が暗くて
太陽が当たる明るい部屋では
醜くて、
夜や、やや暗い方が見やすかった。

これで、お母さんと一緒を見たような。
その次に覚えがあるのは
とにかく、大事な高価なものだったから
よく布をかぶせていた。

ブラウンで、スイッチを消すと
画面が小さな
明るい点になって消えた。
また、映りがいいわけでなく、
アンテナの具合で、
よく走査線がでて
上下に動いていて

真空管の影響か否か
ホンと叩くと治ったりした。
いまから思うと、
2重に移ったり、砂嵐がうつったり
台風がくるとアンテナの方向がかわったり
それでも、やっぱりメディアの中心だった。
そういえばそのころ
NHKで4時5分になると
♪よじごふん、よじごふん、たのしくてれびをみるために~
なんて受診相談というテレビ番組があったぐらい
なんでなのか音楽がよく耳に残っていた。
それからしばらくして
カラー放送が始まったのだが
最初は、白黒テレビだったので

こんな風に画面にカラーってでて
カラー放送されているんだなって
白黒の画面を見て
思ったものだ
ブーフーウー三匹の子豚は
白黒でみた覚えがある。

ひょっこりひょうたん島も
カラーという表示が出ている画面を白黒で
見た覚えがある。

鉄腕アトムも白黒だったな~

それから時がすぎて
カラーテレビが家にやってきて
なんがバカでかく
重厚でいかにも高価であった。イメージがある。

札幌オリンピックはカラーで
見た覚えがある。

飛び出せ青春はカラーだったな
“君は何を今見つめているの”
青い三角定規

は、確実にカラーだったな
その頃は、
NHKと教育テレビ
山陽放送と西日本放送だけで
信じられないだろうが、
ドラマなんか東京の一週間おくれで
放映されていたものがある。
(ちなみに映画は、東京の2か月おくれで
高松で上映、その2か月おくれで丸亀
観音寺では半年遅れはざらだった。)
そうしているうちに瀬戸内海放送ができて
これがまた、初めてしったUHFで
普通のテレビでは見れなくて
コンバーターなるものをつけて
テレビの上に乗っけていた
覚えがある。

こんな機械をテレビの上において調節していた。
当時は、テレビは
街の電気屋さんに
たのんで持ってきてもらっていたが
いつも頼む電気屋さんとは
電気工事、アンテナの設置なんか
なんでもたのんでいたので
おなじみの人だった。
テレビを運んできて
アンテナをつないで
調節をしていたのを子供ながらに覚えている。
ちなみに初めてUHFで映った番組は
かわいい魔女ジニーだった。

今と比べれば
安売りではなかったのであるし
家に来ていた電気屋さんが
サンヨーだったので
なんでも電化製品はサンヨーだったが、
商売に人を感じられるアナログで
いい時代だったのかもしれない。

(尚、写真の電気屋さんはヤマダ電機)
つづく
電気屋さんでびっくり
最近電気屋さんをうろうろしてたら
なんとラジカセがいっぱい並んでいて
びっくり。。。。。
今、カセットがまたブーム?
前にシティーポップが
流行っているといっていたけど
それに、伴ってか何だかしらないけど
ラジカセが静かなブームらしい。
(なにがいいのかわからないが、
ただし、最近のラジカセで多くでているのは
音自体は昔のものよりむしろ落ちるらしい)
大体、
大体、私の子供のころは
オープンリールといって
もろにテープが出ていたタイプで
大きくて、重くて高価なものであった。

テープも結構からまるは、
よく切れるはで、
セロテープで張ったりなんかして、苦労した、
今おもうと大変な代物だった。
この後には、かなり高品質なオープンリールの
レコーダーがでて

高嶺の花だった。
それが、小学校高学年になると
カセットテープが出現。

ラジカセができて
何とか親に勝ってもらって

中学生にもなると
ラジオを一生懸命録音していた。
当時、FMがNHKぐらいで、
他のFMは受信状態があまりよくなく
好きな音楽を聴くとなるとAMで
これも
NHKは、よく聞こえたが、
雑音があまり入らないのは
西日本放送ぐらいで、
好きな放送といえば大阪の
毎日放送や朝日放送で、
まー雑音が多かった。
朝日放送にいたっては
韓国の放送と周波数が近くて
それは聞きにくかった。
いまと違って、いつ
自分の好きな音楽が流れるのかも
なかなかわからず、音楽を
録音するのに苦労した覚えがある。
それも、DJの声入りが多かった。
初期のころは、テレビの歌番組の
音をとるのに、
テレビのスピーカーに近づけて
マイクで
とったりしていたので、
家族の声がはいったり、犬の声が入ったり
大変だった。。。。。(-_-;)
テープもテープで
よく機械に挟まったり、
車で聞くと音はとぶは
機械にとられるはで苦労した覚えがある。
ゆるんだカセットテープに
鉛筆を突っ込んでくるくる回した
ことがある人もたくさんいるのではないか
車に至っては、カセットテープのデッキが
車につけれる様になって
(初期のころは少し前のカーナビの様に
後付けしていた)
しかし、車の暑さで、テープはのびるは
ゆがむわで大変だった覚えがある。
カセットのテープがデッキに巻き込まれて
困った人も多いだろう。
その上、初期のころは、車の振動で、結構
音が飛んでいた。
それでもその時代のラジカセは
手軽に音楽とラジオを聞けて、
録音までできるという手軽さで、
非常に活気的なものだった。
ダビングができるダブルラジカセなんかもあったなー

音楽が本当に生活に密着し始めた
時代だった。
次第にあんな小さなテープでも
音がどんどん良くなり、
イン、アウトのジャックもできてきて
レコードに針を初めて落とすとき
カセットテープに録音したりしていた。
時代とともにだんだんスピーカーが
でかくなって

大音量で、外で集団で聞くということも
多くなった。
いわば、バブルの象徴だったのかもしれない。
それが、
ウォークマン、MD,CDの
出現でどんどん衰退していった。
記憶がある。
この衰退は、みんなで音楽を聴く時代から
今の様に個人で音楽を楽しむ時代への
変遷の始まりだったのかもしれない。
いまや音源は、記憶媒体に
入れる時代になって、
音質も格段に良くなっている。
今思ってみると
このCDの最大の世間への功労は、
子供のころから身近に
音楽に慣れ親しみ、
昔いたみないな
とてつもない音痴の人間なんて
もう、みたことも、きいたこともない
時代にしたことかもしれない。。。。。
うふふ。。。。
人類はとうとう大変な世界に足を踏み入れた
人類は、ついに踏み入ってはいけない
世界に足を踏み入れたのかもしれない。
AIつまり人工知能は、
いままで、未熟で
とても人間の知能を脅かすものでは
なかったのだが、
ついに、もう超えてはいけない
一線を越え始めたのかもしれない。
以前から、チェス、将棋、碁は
片っ端から人が負けていたのだが、
医療の分野では、
例えば、内視鏡の画像を
AIに分析させれば
その読みは、ベテランの
内視鏡医のレベルに達してしまっている。
レントゲンの画像診断では
公に明らかにされてはいないのだが
もう人の読影能力を超えている。
おそらく医師の診療さえ
もうすぐ人間を凌駕するのは間違いない。
医師の診療は、
我々世代の医師と今の世代の医師では
根本的に診断するタイプがちがう。
わかりやすく
極端に言えば、
我々の世代の医師は待合から診療室
にはいってくるまでの、
そのしぐさ、行動、全身の状態
表情、最終的にはにおいで
経験というコンピューターをもって
短時間の全身の観察で
診断をつけてしまう。
今のドクターは、
とりあえず、考えられる
あらゆる検査を行い
そのテータを処理しながら
疾患を選別してゆく。
前者いいところは
検査という手間をする前に
ほとんど診断できるが1割ほどは、
とてつもなく間違った診断をしてしまう。
後者では、検査という手間と費用と時間が
かかるが、間違った診断が少ない。
ところが、AIがもう少し進めば
その双方の利点を網羅できてしまう。
もうすでに医師国家試験を
chatGPTにとかせたら
合格レベルにたっしているし
医学論文を多量に読み込んで
分析させて薬の開発をさせたりしている。
大体、人が読むのに1年ほどかかる
文献の数を数分で読み
その上、適格な分析もできる。
これでは
人間は太刀打ちできるはずもない。。
このまま進めば
いろいろなものの開発は
人の知能をはるかにこえるAIが
行うし、音楽でさえ、人が好む
音楽を作りだせる様になるだろう。
私の好きな物理の分野でも
人間が考える能力を
越えるのは時間の問題と思われるし、
現在物理学が抱えている問題もAIが
解いてしまうかもしれないし、
その先を行くかもしれない。
つまり、AIが思考してゆくもの
に対して、人間の能力は
はるかに及ばなくなってしまって。
AIがなにをしているのかがわからなくなってしまう
のである。
以前、AI同士を通信させたら
理解不能な交信がはじまり
おそろしくなって
電源をきったことがあるらしい。
かつて、
ネットの開発が専門の
工学部の教授の友達に
開発することによって
それが悪用されないかと
たずねたら、
便利さと悪用は表裏一体で
悪用されるのはしかたがないという
恐ろしい答えが
平然と出てきた。
人間は、
鉄器という
便利な道具を開発して
生活が向上したが、
一方武器として戦争の道具となり
火薬は、いろいろな
土木工事に利用はされたが、
主力は大量殺りくの道具
と化している。
かの原子力にいたっては
核汚染という途轍もない問題を
もちながら利用しているが、
もちろん大量破壊兵器としての
存在が大きい。
この様にいままで
人類は自分が作り出したものを
決して制御できていない。
AIはこのままでは
原子力より
恐ろしいものになるかもしれない。
ああ、AIに人類が支配されるまで
生きていないであろう
じじいは、早くうまれてよかったと
つくづくおもうのであった。
5月病というけれど
以前は、翌4月に介護職員が
やってきて
5月にはやめて行くというパターンが
多かったが、
いまやその4月に来る介護職員さえ少ない。
裏の愛生苑も
外国人の介護職員の
人数が増えてきている。
それだけ介護職は大変なのである。
最近、介護士が
利用者に対して暴力、等々の
話がよく出ているが、
暴力は、天地がひっくりかえっても
してはいけないことであるが、、、、、
私にはとてもできる職業である。
介護施設は
テレビドラマに出てくる様な
生易しい施設ではない。
特に特養は大変である。
以前、偶然、施設の外に座っていて
聞いていた場面では
どうも、高齢の利用者が、おむつの中に
便をしたようで
そのおむつを介護士が変えようとしてる
場面の様で、
利用者は、怒りまくってどうしても
変えさそうとしない。
あまり、むりに言うとすぐ手が出る人で
それを辛抱つよく20~30分かけて
交換していた。
(すごい!!)(わたしにはできない!)
特養では、
昼行くと
“トイレ、トイレ”の大合唱である。
利用者自体、年齢的にかなり頻尿の状態
の上に
トイレに行ったことをすぐ忘れてしまう。
もちろん、おむつやリハパンをしているのだが
そんなことはお構いなし。
トイレに誘導して、
支えながらトイレをさせて
その上でやっと元にもどしたと思うと
直ぐトイレ、トイレである。
こういう人が何人もいるのだから
たまらない。
それに手をとられていたら
立てることさえおぼつかない
人が突然
歩こうとする。
あわてて取りつかなければいけない。
食事は食事で拒否やどうかしたら
吐き出す人が続出
食事で遊ぶ人
口からダラーと流れ出る人
もう大変である。
そして、奇声を発する人、
気に入らなかったら平気で手が出てくる
もちろん、指示は通らない。
言ったことは数秒後には忘れている。
それは、それは、介護職は地獄である。
いうことを聞かない
大きな体の3歳児が
大勢いるようなもので、
(3歳児ならまだ我慢できようが、、、、)
(私が介護士なら暴力事件をおこすこと
間違いなし???)
大体、初めて介護をする人間は
(職をかわって)
5人に4人は1っか月もたない。
介護保険には限りがあり
もうこれ以上
介護士の給料を上げることもできないし
大体、一時、介護施設の
建設ラッシュで、建物が建っているのを
みれば介護施設だったり、
経営自体を、小泉改革で
建設会社がするところが多くなって、、、
(介護保険は、建設会社の為のものなんだ
。。。。。ておもったりして)
今後さらに、ベビーブームの人間が
年をとって
介護される者の方が
介護する方をはるかに上回ってしまう。
介護士がたりないのだが、
今の若者は、仕事がなくても
きつい仕事はしないし、、、、
どうするの?これから?
なやましい
第6回のコロナワクチン接種
今回、65歳以上と医療関係者
に対してコロナのワクチン接種の
接種券が送られてきている。
一応、今回も当院で
ワクチン接種は予定はしている。
基本的な実施の状態は
今、国にあるワクチンの
在庫一掃セールといった感じ?
ワクチンは、冬ごろにした
オミクロン株のB4,5に対する
2価ワクチン(2種類入っている)
とその前のオミクロン株に対する1価
ワクチンがあるが、
現在、残っているワクチンは、
ファイザーは、2価がほとんどなく、
ほとんどの人が1価ワクチンを打つことになる
一方のモデルナワクチンは2価が残っている。
これから流行るであろうコロナウイルスは
XBB1.5というタイプが
主流になると
言われており、
これに対し、1価、2価とも効きがかなり
低下しており、2価ワクチンの方が
まだ効くといわれている。
ただし、これらのワクチンの効果に対する
詳しい情報がとうしてもなく、
国立感染症センターでさえ
効かないことはない
程度のことしか発表していない。
当院では、そのため
モデルナワクチンを
接種しようと用意しているのだが、
なんとも効かない
副作用のあるワクチンを
患者さんに推奨するのは抵抗がある。
モデルナワクチン
の利点は、
ファイザーワクチンより、やや
効果が強いといわれており、
5回目接種は、
厚生労働省の発表ではそれにより
直接死亡した症例はないことになっている。
(統計上ファイザー、モデルナとも
100万回接種で2人ほど死亡した
ことになっている)
(ただし、直接、、、、だ)
しかし、いかんせん副反応が強い。
反面、高齢者に数百人接種したなかで
強い反応が出現した人が
非常に少ない。
(年齢が若いほと強い人がいたが)
確かに、高齢者にとっては
コロナウイルスの感染は
生命を脅かす感染症である。
これからの感染者の予想は、
A!の予想では8月にやや低い
ピークを迎えると予想しているが、
バカな私の予想では
6月下旬にその従来のピークより
やや低めのピークがやってくると
予想している。
いろいろなことを考え合わせると
なかなか
悩ましい判断になってしまう。
(いろいろ知っているだけに
悩ましい。。。。のだ)
ん。。。。。。。。。。。
私にどうすればいいか
効かないで。。。!!!!
といいながら
毎日、どうすればいいか
最低でも5人ぐらいには
聞かれていて。
毎日、苦悩するのでした。
ゴールデンウイーク
ゴールデンウイークが
今回始まりますが、
昔から、あまり、ゴールデンウイークなんて
思ったことがない。
大体、子供の頃は、
3日の祭日のうちの
どれかが日曜に重なっていたので
およそ休みが2日ほど増えるだけ
の様な一週間だった覚えがある。
だから特別なにをした記憶もない。
連休がふえたのは振り替え休日ができてから?
(1973年より)
ただ、大学生の時は
その一週間は連休で、
九州山口の医学部の運動系の大会が
あっていたので
ほとんどその大会に費やしていた
(いい時代。。。。)
医者になるころには週休2日制やら
4日が休みになったりして
長期の連休になったが、
仕事がらほとんど関係なかった。
(若い時は当直が多くて逆にいそがしかったりして。。。)
それにしても
子供のころは元気だったのか
短い休みでも
遊び回っていた気がする。
大体、当時は、
大人になったら試験もないし、
おおよそ悩み事など
減って行くだろうと
気楽にかんがえていたが、
あにはからんや!
仕事への重圧は、試験の重圧より
遥かに重いし
悩み事は年とともに増えるし
まったくもっていいことはない。
いまに思えば、無邪気に
遊んでいたころが。。。。。
子供の頃は、なにをしても
目新しいし、頭はいまより回転していたし
行動は俊敏だし、疲れはしらないし、
だから なにをしても楽しいし
一日は長かった。
今に至っては目新しいことはないし
頭の回転は落ちるし
体はいう事を聞かないし、疲れやすいし、
1日は短く、気が付いたら
何もしない間に
一週間すぎて
病院にいって働いている。。。。。
あれがしたい、これがしたいより
あれをしなければいけない、
これをしとかなければいけない
の方が多い?
と、連休を前に
もうすでに鬱っぽくなっている
私でした。
私の医者としての欠点2
こまった薬ができたもんだ
今週、新しい注射の糖尿病薬が
発売された。
原理的には以前よりあり
現在までに、飲み薬と注射薬があったのだが、
これにさらに新しい成分が
追加された注射薬が発売された。
詳しい内容は、
ややこしいので省略するが、
結果、
この薬を使用すると
明らかに食欲が低下するのである。
つまり、痩せるのである。
簡単に言えば、食欲と
消化管の動きを抑えて
食事量が減ってしまうのである。
そして
いままでの薬より
より食欲を抑える効果が
高くなるのである。
これは、決してこの薬の主作用ではない。
しかるに、いままでも
これらの薬がやせぐすりとして
処方されてきているのだが、
今回、この薬が発売されたことによって
さらに
やせ薬としての処方が増えてしまうことは
間違いない。
元来は、その他の効果を
使って糖尿の治療を行う
予定であったが、、、、、
この薬は外国で作られたのであるが
そもそも
欧米の白人と東洋人
には糖尿病において
決定的な違いがある。
外国人は、インシュリン(糖分を
代謝するホルモン)
の分泌が比較的いい人が多く
われわれから見て
とてつもない肥満で糖尿病
になる人が多いのだが、
東洋人は、基本的に
インシュリンの分泌が少ない。
よって、欧米でやせ薬の効果もある
こういう薬が効果がつよく
開発された。
ところが、東洋人には
この薬は基本的には、
少し意味合いが少しちがう
(詳し原理を説明するとわかりにくくなるので
省略するが、)
この薬を糖尿病の治療薬
使用するには基本的に
インシュリンの分泌する
力が必要なのである。
よって、この薬を日本人につかうということは
やせ薬としての意味合いが強いのだ。
先週もいったが、
私の父は医者であったのだが、
戦中に医者になった医者で、
いわゆる昔堅気の医者で
医業に対する誇りが
非常に強かった。
基本的に
医業で儲けをすることを
非常に嫌った。
おやじは仕事が忙しく
ほとんど話をすることもなかった。
子供のころから
ずっと一日会う時間と
いえば10分あればいい方で、
ほとんど話をすることは
なかったのだが、
どういうわけか
こういうところだけ
似てしまった。
(兄は、父親ともっと接する
時間があったのであるが
それのためか、まったくタイプが
おやじや私とちがう医者になってしまった?)
というわけで
どうしてもこの薬を
本来の目的以外で
使う気にはなれないのである
(儲けや、人気とりには、なるのであろうが)
また、どうしても新しい薬は
あとでいろいろ問題がでてきたりするので、
クリニックレベルでは
一般に処方されてしばらく
情報を得てから使うことが多い。
(実際、まだ使用が始まってから時間が
たっていないので長期の実績が不明で
糖尿病学会もガイドラインにのせていない)
もちろん必要な人には出すのだが、、、
それでも、、、
いつも見ている患者さんが
糖尿で、どうしてもといわれると、、、、
感情としがらみの板挟みになることは
間違いない。
ああ、こまった薬ができたものだ。
私の医者としての欠点
私の医者としての最大の欠点は、
病院に受診することが
ほとんどないこと。
つまりは、病院にかかる患者さんの
本当の気持ちがなかなかわからないこと。
と感じている。
私、子供の頃から
家が病院でることもあって
ほとんど病院へ
正式にかかったことがない。
医者になってからというもの
自分が、なんでも屋なもんで
自分の診断と治療でことたりる
ことが多く
他の病院に行くことが
めったにない。
(もう一つの理由としては、
だいたい他の病院も当院とシフトが
同じで、行くとしたら休診にしなければ
いけない。
また、一つ、自分がなんでも屋である
だけに、他院で検査をするとその
結果を見ていろいろ考えることに
なるので、恐い!!)
5~6年前にひどい眩暈が発生して
ナースに所見をとらせて
自分で診断して、治療した。
最近、年のせいか
いろいろ起こす。
この1っか月で
階段からすべりおち、足を
たましこ打って、夜中ねむれないぐらい痛かった。
次の日にレントゲンをとって
骨折していないことを確認
(おそらく不全骨折)
自分で固定して何とか治った。
(完全に折れてたら整形受診!!)
先の土曜日には
突然、腰痛が出現
尿路系の結石と判断して
痛み止めをのんでひたすら我慢
(疝痛発作は痛み止めが利かん!)
(痛みが止まらなかったら
あきらめて泌尿器科を受診!!)
なんとか数時間で
消失。
しかしながら
右の眼の白内障があって
どうも限界がきている。
さすがに眼科は
自分でどうしようもないので
受診の予約をとった。
ま、病院にかかるのは
予約を取ってから
なんか落ち着かない。。。
患者さんの受診する時の気持ちは
分かっているつもりなのだが、
自分が病院を受診するとなると
こういう気持ちになるのだということを
おもい知らされる。。。。。。
ちなみに、医者は、自分で自分を
保険診療できないので、
(風邪をひいても自分で処方できない!)
自分で自分を診断するのは
自費になります。。。。
なんかヘンでしょ。
今回、今週のブログの原稿を
病院のコンピュータの中に忘れてしまちゃった!
ので、いまから考える気力もなく、
一回お休みにします。
なお、来月、私、
歳のせいで
白内障の手術を予定しましたので、
時々、内田先生に代診をお願いしたり
お休みしたりする予定です。
あしからず。
シティーポップだって。
なんだか、今
私の若いころの曲が流行っているらしい。
大瀧詠一、竹内まりあなんか、、、、
私が若いころ、よく流れていた音楽だ。
どうやら、you tubeの時代。
いままで、閉鎖的で外国には
あまり進出していない時代の曲が、
アメリカのマニアの中で発掘されて
それが東南アジアまで波及して
日本に逆輸入されて
それがある程度のブームになっているらしい。
それが、意外と当時それほど流行ってない
曲が人気が出ているらしい。
松原みきの“真夜中のドア”
竹内まりやの“プラスディック・ラブ”
なんかが流行っているみたいだが
“真夜中のドア”は聞き覚えがあるが、
“プラスディック・ラブ”は???
インドネシアの歌手が日本語で
真夜中のドアを歌っているのは
一見の価値がある。
専門家がなんやら分析していたが、
リズムや音階が今の曲にくらべて
リラックス効果があるらしい。。。
とのこと
おじさんは、だいたい
今の曲がやや耳障りで、
どうもメロディーラインが頭に入ってこず
覚えずらかったし、
やはり、昔の曲の方が、耳障りがいいので
幾分同意したのだが。。。
私は、当時どちらかというと
フュージョン系を聞くことが多く
高中正義や、伊藤たけしのスクエアなんかを
聞くことが多かったので馴染みはないけれど
それでも
大瀧詠一や、大貫妙子、杉山清貴なんかは
何枚もレコードを持っている。
山下達郎は、車のハードの中にはいっていて
時々聞くこともある。
私にしてみれば、
これらの曲が流行ったころは
本当に20代の多感なころだったので、
曲をきけば当時を思い出して
懐かしさに浸るのだが、
今の子たちは新鮮な音楽として
聴くわけで、
なんだか不思議な感じがする。
この楽曲は今から40年ほど前お曲で
私が25歳当時それから40年前というと
終戦の年になってしまうので、
25歳当時に
終戦の近辺の曲を好んで聞くことなんかありえないし
聴くとしたら”思い出のメロディー”的な番組
だけだったので、
今の子たちが
当時の曲を新鮮な面持ちで
聴くというのはなんだかうれしい気もする。
それにしても当時きいていた
大瀧詠一、加藤和彦、高橋幸宏
ついでに
村下孝蔵、河島英五、鮎川誠
皆、死んじまった
よく考えれば
10歳前後しかかわらないのに。。。。
げー
おれも年をとったな。。。。。。
持っている。
大谷はすごかった。
以前、斎藤佑樹といって
いわゆる“ハンカチ王子”といって
甲子園をわかして
日本ハムファイターズにいって
鳴かず飛ばすでおわった選手がいた。
(ニューヨークヤンキースに行った
田中将大と投げ合った投手)
その斎藤佑樹が
ことあるごとに
“自分は、持っている”という言葉を
口にしていた。
当時からどこが “持っている”
なのだろうかと思っていたし、
そういう、精神的ないわゆる
神がかり的なものを
信じない私だったので
気にも留めていなかったし、
端から見てどこが“もっている”なのだろうか
と思っていた。
その後もいろんな人がこの
“もっている”
という言葉をつかっていたが、
そういう風には決して思わなかった。
ところが、今回の
ワールドクラッシックベースボールの
大谷選手を見て
この“持っている”という言葉を
信じざるを得ないような
出来事を見た様な気がする。
あまり、野球に関心がない人には
分からないだろうが、
今大会で、というか、今の世界の野球界では、
アメリカのトラウトという選手と
大谷選手は、トップ2
といっていい存在なのである。
その2人が
決勝戦の最終打席で
相対して
その奇跡的出来事の中で、
大谷選手が三振にとって
大会が終了したのである。
これこそ、大谷が
“もっている”としか言いようのない
出来事であったのである。
よくよく考えると
この大会、大会側が、
あわよくば決勝戦で
日本とアメリカが対戦できるように
途中で、組み合わせを変更していたし、
大谷の日本チームの役割の中で、
最後に投げさすしかない
状態ではあった。
しかし、結局は、日本のチームの中で
とびぬけた力を持っていたから
そうなったことではあるし、
彼の飛びぬけた実力が起こした
必然といえは必然なのであるが、
それにしても
トラウトと当たる確率は
1/9である上に
1点差のシーソーゲームで
最終回を迎えたことは
奇跡的としか言いようがない。
人にオーラがあるというが、
おそらく大谷を
近くでみたら
まばゆいばかりのオーラが漂っている
のだろう。
(身長が194cmもあったら
それだけでオーラがありそうだが)
話は、かわるが、、、、
日本人のにわかぶりには驚かされる。
今回、なにを一番びっくりしたかというと
日ごろ視聴率がとれない
野球中継が
視聴率40%を超え、
その中継の画面の左上に
超といっていいほど
簡単なルール説明があっていた。
“え?そこまで知らない人がいるの?”
というほどのルールだった。
“え?そこまで知らない人が
見るほど日本人ってミーハーなんだ“
さ?次はサッカー?、ラグビー?、テニス?
アカデミー賞がなんだか変
もちろん日本でも
そうなのであるが、
海の向こうではさらに
人種差別やジェンダーの問題は
著しいものがある。
そういう事の影響が
最近は色濃くでていて、
映画業界が以前に比べて
落ち込んでゆく中、
アカデミー賞はなにか
おかしくなっている様な気もしないではない。
アカデミー賞は、
以前より、選考委員のほとんどが
白人であるという理由で、
以前より有色人種に対する
受賞が少ないという批判にさらされていた。
元々、ハリウッドは
ユダヤ人支配が強く、
白人の中でもユダヤ人の監督
スタッフ、俳優が多い世界
だったのだが、。。。。
とにかく、先ずは、黒人が
賞に選ばれないということで、
セレモニーに黒人を多く起用したり
また、近年は、
???とおもわれる
黒人俳優が賞をもらうことが
あったりしたのだが、
それと同時にアジア系の映画人への
受賞が少ないという批判がでて、
2019年には韓国映画のパラサイトが作品賞を
受賞したり、
2021年には、日本映画のドライブマイカーが
ノミネートされたり、監督賞をもらったり
そして今年の作品賞は、エブエブ
主演女優賞はミシェル、ヨーと
(中華系)
と、賞の発表前から
非白人系の映画として
受賞が有力視されていた
作品と女優が受賞した。
ちなみに、男優賞はブレンダン。フレイザー
(色々騒動があってしばらくハリウッドから
遠ざかっていた白人俳優)
が受賞した。
これも、いろいろあって受賞が
有力視されていた。
この直前にあった
イギリスのアカデミー賞が
白人ばかりだったので、
かなり批判されていたので
この結果が予想通りだったのだ。
これは、なにかがおかしい
賞の在り方が、平等という名のもとに
不平等になってきている様な
気がしてならない。
白人系の映画が圧倒的に多いハリウッドで
非常に奇妙な現象が起こっている。
このアカデミー賞では、
毎年、賞の後半で、
この1年間になくなった
映画人の紹介の
インメモリアムという
10分ほどのコーナー
があるのだが、
以前は、俳優と有名映画監督が
中心で、見ごたえがあって
あーこの人が無くなったのか、、、なんて
感動していたのだが、
これも撮影者、編集者、美術等からの
批判がでて、
今では、コーナーは
他の映画関係者(私もよく知らない)
が中心で、さらにこれも有色人種を
特に強調して出すものだから
だれがだれだかわからない上に
出てくる人たちの人数が増えて
感動がなくなってしまった。
おそらくこのままでは
アカデミー賞自体の存在意義
というか威厳自体が
映画産業とともに消滅してしまい
そうな気がする。
さすが、多くの人種が集い、
一応、自由ということを前面に出す国である。
それが、何かを失いかけている。
今の日本の政治もそうであるが、
今のネット時代、世間の批判は、
特に、辛辣な批判や
よく考えると
根本をまちがえている批判は、
まかり通り、
それにおびえながら
物事がすすんでいる。
まるで、
自分の行動に自信のない小さな子供が
周囲の意見に翻弄されて
行動している見たい。。。。。
今回は真面目に子宮頸がんワクチンについて
今、日本は大慌てで
子宮頸がんワクチンを促進している。
子宮頸がんは、比較的若年で発症することもあり
きわめて厄介な病気の一つである。
その発症のリスクとして
ヒトパピローマウイルスの感染が一番に
考えられており(以後HPV)、
これを発見した人はノーベル賞までもらっている
2001年にこれを
強力に阻止できるワクチンが開発され
それから、先進国を中心に定期摂取が
始まった。
ワクチン接種の効果は
どんどん現れており、
子宮頸がんの発生率が
徐々に低下しているというのが
現状である。
日本でも2011年より公費負担で
摂取が始まったのだが
その後に問題になった
機能性身体症状といわれる
疼痛や自律神経系の症状が問題となり
一機に接種数が減少した。
他の先進国では、副反応は
自然発生数と変わらないという
データをすぐ提供し
(ワクチンを打ってないひとでも
出現する人口比率がかわらない)
そのままワクチンを施行したおかげで
子宮頸がんの発生率が減少を続けている。
それに反し、発病数が増加している国、
特に
先進国といわれる国では
日本ぐらいである。
4月から
9価ワクチンというのが
使用可能になっているが
結構、優れものである。
価というのは、
種類の話で、
例えば今使用している
インフルエンザワクチンは
4価で、4種類のインフルエンザに
対応したワクチンである。
現在HPVの中で
人に発がん性を持つものには
16種類あるといわれているが、
以前は2価ワクチンをつかっていて
それからこれまでは4価ワクチン
さらに4月からは9価ワクチンが使用される。
このHPV(ヒトパピローマウイルス)は、
子宮頸がんだけではなく、肛門癌、咽頭がんや
陰茎がんの原因にもなるといわれており
9価ワクチンは男性の適応もある
(日本では自費であるが)
また、9価ワクチンが普及すると
集団効果でかなりの抑制力がでるのは
確実で、海外のデーターも出始めている。
日本人は、民族的に
非常に神経質なところがあり
(こわがり?)
ワクチンに対するアレルギーが強い。
また、最近は、根拠のない
都市伝説をすぐ信じてしまい、
真実の声が埋もれてしまう。という
非常に-な国民でもある。
しかし、そのおかげで、このワクチンだけでなく、
ワクチン開発にも遅れをとって
結局、今回のコロナウイルスの
ワクチンも何兆円もはらって
ワクチンを外国から購入してしまった。
今後もっと恐ろしい
鳥インフルエンザに備えなければならないのに
この国民性のおかげで、
ワクチン開発、製造の
備えはできそうもない。
NNNNNN????
ただし、1つだけ、
このウイルスは、性交で拡大されるので
性交渉開始前、感染前でなければ
効果がほとんど認められない。
残念ながら、。。。。
しかし、大事な若い命を守るには
かなり有効なワクチンと
私は考えております。
名探偵ポアロ
水曜日の夜に
NHKのBSで毎週
名探偵ポアロをやっていて
何回も見たことのある
ドラマであるが、
録画して暇な時に見ている。
このドラマの主人公のポアロは
潔癖症というか
几帳面な設定で、
いつも身なりや部屋を
こぎれいにしている。
私、どうやら
性格がその反対らしく
身なりはいい加減で、
部屋も、(診察室も)ぐちゃぐちゃである。
どうも、そのためなのか
ポアロの様にきちんとした
身なりと、きれいな部屋にあこがれる。
どうも、
自分の内面に2面制があるのか
きれいな部屋にあこがれる反面
アインシュタインの様な
物理学者が部屋の中に本を乱雑に積んで、
いかにも仕事をしている
様な部屋にもあこがれるし、
映画の様に、仕事場に乱雑に書類が散乱している
オフィスにもあこがれる。
以前、久米川病院にいたときに
自分の部屋があまりにも、ぐちゃぐちゃで
几帳面なナースが2人、
いたたまれなくなって
部屋を掃除してくれたことがあるが、
本を並べるにあたって、
同じ高さの本でそろえて
きちんと本棚にならべて、
机の上は物差しで測った様に直角に物が
ならべてあった。
うー―――ん
居心地が悪い。
(すぐ元にもどったのだが)
大体が、ルーズな性格なので、
本なんか、一度取り出したら
元に戻さない。。。
ボールペンは使用した後に
もとに戻さない。
書類は見た後せいりしない。
これでは、すぐぐちゃぐちゃになるわ。
(ご存じの様に診察室はごちゃごちゃしている)
(美しい診察室にしたいのだが。。。。。。。)
言い訳をすると
機能優先してしまうので
本の高さがそろわなくても
分野別に並べてしまうところがあって、
ノートパソコンや、テレビなんかも
全て、自分の方向に斜めに向けてしまう。
家の自分の部屋は
気が付けば、自分が座っている椅子
を中心に360度に物が散乱している。
(床にまで)
年に1回か2回は綺麗に掃除するのだが、
数日で元通りになってしまう。
ぐちゃぐちゃになってもそれなりに
物を分けておいてあるので
苦労はしなかったのだが、
さすがに年齢的に記憶力が低下してきて
よく、物を探す様になってきてしまった。
ん~~~
残念ながら
記憶力と
性格は直せない。
前回、臨終の話をしたのだが
臨終の場にはいろいろ
思い出があるものだが、
30代後半の時、
40代半ばの癌の末期の人を
看取ったことがあるのだが
最後の方は、麻薬をつかっていた
こともあり、
ほとんど、ぼんやり寝ていることが
多かったのだが、
ある日の朝、その患者さんが
私を呼んでいるというので
病室にいったら
意識が朦朧としていたその患者さんが
ぱっと目を見開いて
私の肩をゆすって
ありがとう、ありがとう
といって、それ以後また、意識が朦朧として
その午後になくなったことがある。
また、30代で若い女の人が
癌でなくなったときは
小さな子供が
おかあさん、おかあさん
といって泣きついていたのを見て
せつなかった思い出がある。
そんな時は、本当に自分の無力さ、
医学の無力さを感じたものである。
あと、若い時に
夜中に亡くなった方の家族が
数人。しばらく、家族だけにしてもらえますか
といわれて
しばらくしたら
大きな声でみんなでお経をあげられて
静まり返った夜の病棟中に
お経の声が鳴り響いて
困惑した思い出もある。
東京の病院なんかでは、
入院してから亡くなるまで
身寄りを探してもいなくて
(警察にしらべてもらっても)
淋しくなくなった
症例が何例もあった。
そんな、いろいろな臨終の場を経験してきたのだが、
時折、
識者らしき人が
病気は平等だと
いうことを聞くことがあるが
決して私はそうは思わない。
いろいろ健康のために
酒もたばこもしないで
運動もしている人が
病気になったり
また、
逆の例も多々経験する。
あるとき、
ベンツにのって自宅の門に
自損事故でつっこんで
(土地成金の人)
腸に穴があいて緊急手術して
腸を何か所か切除した人が
術後は、そのおかげで
栄養の吸収が落ちて
糖尿、高血圧、高脂血症が
なおった人がいた。
入院中は特別室で、
飲み屋のお姉ちゃんは見舞いに来るは
入院中に、廃車になったベンツを
買い替えるために
ベンツのカタログをみるは
とんでもない奴もいた。
そんな、いろいろな
人間模様を経験してきたが、
せめて、医療だけは
平等であってほしいと
マジメに考えるのです。
御臨終です
職業柄というか
医者の中でも
そういう臨床の場にたつことが
多い科を渡り歩いてきたので
“御臨終です”という場面に立つことが
比較的多い医者の一人である。
昔ながらの医者であるので、
自分の患者は自分が見るという
考えが強く、
特にいままで自分が担当した患者さん
で、自分で看取ったことのない人は
この長い医者の人生のなかで
2度だけである。
(遠くに学会に行っていた時に
急変した)
基本、
患者さんがなくなったら
いつでも駆け付けるスタイルを
貫いているので、
まあ、状態が悪い患者さんがいると
日曜日でも家の周囲から離れれない。
そして、重症の患者さんを
持っていた時なぞは、急変に備えて
夜なんか
いつでも家を出れるように
寝床の近くから
準にズボンや上着を
準において置いたりする。
今は、医療というより
高齢者の看取りが多くなったので
そこまではなかなかしないが、
それはそれで、全身状態が悪化すると
いつなくなるか
分からないので
臨終がのびればのびるほど
夜や、日曜日は気が休まらない。
夜中に亡くなっても
朝までそのままの状態で
置いておく施設もあるが、私はどうも
賛同できない。
こんなことができるのも
基本、私が酒を飲まないからで、
家で晩酌をする様な医者は、
そういうことはできないと思う。
(酒を飲む人が多い九州で医者をやっていた
もので、酒を飲まないという
理由で、医者になってからすぐから、
生涯の急患係が決定!)
そんな厳粛な臨終の場でも
長くやっていたら
憲淑な場であるからこそ
いろいろエピソードもある。
若い時、自分の上司の患者さんが
夜、急変して
上司を読んだら
べろべろに酔っぱらって
やってきて
患者さんの家族に
“もう、だめです”といって
寝込んだことがある。
あわてて私がかわって処置をして
臨終まで私がみとったことがある。
そして臨終の時の
最後の一言
“O時O分”おなくなりになりました
ということばがいるのだが、
いそいで駆け付けるもので、
時計をつけわすれてくることがある。
皆、最近は、一般的に
スマホで時間を確認することが多くて
だれも時計をしていないことが多く、
いざ借りようと思っても、周囲にだれも時計を
持っていなかったりすることが
多々ある。
どうしようもなくて
看護師の女性用の時計で
臨終時間を言ったこともあるし、
一度なんかは、
最終的に病室にあった患者さんの置時計で
臨終時間をいったこともある。
(さすがにスマホで時間をいうのは
さまにならないのでできない!)
あとは、セレモニーの様におこなう
眼での神経反射の確認
(最近はあまりしないが)
ペンライトで、瞳孔をみるのだが、
私、大体、ペンライトどころか
聴診器やボールペンさえ
あまり携帯しない人だから
臨終の場でペンライトなんぞ
出せない。
看護師が普通もってくるのであるが
あるとき、誰も持ってきていなくて
周囲にだれか持っていないかと
催促したら
ディズニーのキャラクターの
ドナルドダックがついた
ペンライトが裏から
ひっそりと差し出された
ことがある。
これはまずいと思ったが、
どうしようもなかったので
ドナルドダックの所を
しっかり握って
見えないようにして反射をみたことがある。
臨終の場というのは
いくらやっても
嫌なもので、
昔では、医学の限界の無力感、
今は、老衰の方を看取ることが多いので
人生の虚無感を感じて
しまうものなのです。。。。
風船爆弾
最近、中国の気球が
アメリカ上空にあらわれて
アメリカ軍が撃墜した様だ。
軍事偵察用にしては
気球というのは何とも
向かない代物だから
それほど戦略的意味が強い
ものではないと思われる。
それを数百億する最新鋭戦闘機で
数千万円するミサイルで
撃墜した様だ。
大体、以前より飛来して来ていたものを
(日本にもしょっちゅう飛んでくる)
今回、撃墜したのには、
政治的意味合いが大きいのか??
太平洋戦争中
日本軍は、風船爆弾という
和紙とこんにゃくの原料ののりで作った
気球を作ってジェット気流にのせて
爆弾をのせて爆撃しようと
したことがある。
(爆弾というか焼夷弾といって
火事を起こすようにしていたもの)
成果は子供があやまって
触れて亡くなったのと
数件の山火事が起こった。
これに対して当時のアメリカ軍は
徹底調査して、
製造の原料から
製造工場を割り出し
(千葉県)
工場を爆撃するにいたった。
このことは、当時のアメリカの本土が
爆撃を受けたことに対する
威信を傷つけたためと
思われがちだが、
実は、アメリカが恐れていたのは
この風船爆弾で
細菌戦を仕掛けられるのを
恐れていたのだ。
はなから、日本軍も爆弾で空襲する
ほど効率が悪いことは考えておらず
この気球に細菌をのせて
アメリカ本土に
破れかぶれの細菌戦を仕掛けようと
考えていたのだ。
不名誉なことであるが、
当時、細菌兵器の研究は、日本が
一番進んでいたのだ。
結局、上空の超低温の問題や
それを察知したアメリカの
細菌戦への報復の脅しがあり
細菌兵器は使用しなかったのだが、、、、
なんとも
愚かな人間は、
戦争のことや
金儲けのことになると
眼の色を変えて
力を投入する。
(戦争のほとんどが利益の
ためにしているのだが)
なんと、バカな動物か。
世の中に戦争がなければ、
これほどの文明は
発展しなかったのも事実であるが。
(どの時代も最新の科学技術は
人殺しの道具、戦争のために発達している)
そんな、努力があれば
今の人類の最大の問題というか
敵である
病気に対する医学や、
温暖化などの地球環境の安定化に
全知力を投入すればいいのに。。。。。。
と、ふとマジメに思うのでした。
ああ、大変だった。2
先週のつづきで、、、、、
そんな大変なコロナ騒動の中で、
やはり、高齢者といえども
目の前でなくなると
それはきついものである。。。
私、医者としてはいろいろ
なことをして来た方なので、
患者さんの死は
いやというほど見てきた。
しかし、何人看取ってきたといえども
自分が見てきた患者さんの
死は、いやなものである。
自分の目の前で手から
一人の命がこぼれ落ちる様で
なんともいえない虚無感におそわれる。
政治家や評論家がなんと言い訳しようとも
どんな言い分があろうとも
“ 高齢者を守りながら社会を回す ”
なんてきれいごとをいえばいうほど
腹が立つ。
どんなに、われわれが頑張ろうとも
感染がふえれば
結局、高齢者の感染は増える一方で
現場で診ていない者の言いぐさとしか
思えないのである。
”高齢者や弱った人はきりすてて
これからの経済、これからの人を守りましょう!“
といえば納得するかな??
直接の現場にたずさわっている者と
その他の者の感覚の差は開く一方。
高齢のハイリスクの患者には
抗体といういわゆる治療薬を使うのだが、
国と薬品会社が管理しているものだから
現場で朝10時までに頼んだら
その日に届いて使用することができるのだが
それをすぎたら15時までにたのむと
次の日に届く。
しかし、問題は、土日。
なんと金曜の15時を過ぎると
薬が届くのは月曜日になるのだ!
はやく使えば使うほど効果がある
薬がなんと48時間以上届かないのである。
(現物が近くにあるのに)
理不尽!!(お国が決めたことだと一点張りで)
(今回実は、土曜日の朝たのんだ薬が届かない
ので、会社におねがいして、((正確には
無茶苦茶文句をいって))その日にとどけさせたのだが)
現場でも直接かかわりのない
人達はこんなもの。
今回、前回話した様に、一旦回復した
人が急変した
そのとき
観察期間が過ぎた直後の人なので
感染者扱いになるので、
保険所に連絡して入院先をさがしてもらったのだが、
一旦は、観察期間が過ぎたので
決まり事なので、
こちらで探してくれとのことだったのだが
(土曜日の夜で時間的にも最悪!)
それから、やはり動議的に
探してくれて
救急車を手配してくれた。
救急車が同着したとき
いよいよ状態が悪化して
もう移動できない状態にまでなったのだが
いつもは(いつもは冷たい?)救急隊が
移せる様になるまで待ちます
と言ってくれた。
私もナースも
必死で処置をしていたので
自分への感染はまぬがれないと
思っていた
(結局かからなかったが)
この2週間というもの
感染者を診ていた
介護者も何人も感染した。
(普通の患者さん以上に、
認知症の人を診るには
致し方ないとおもう)
ここまで、現場は大変だし
どうしてもこういう事があると
現場はいつまでも緊張が続いている。
(まったく、もう、意に関していない
施設や病院もあるけれども。。。。。。。(# ◌゚Д◌゚)
そういう所ほど周囲にわからない。。。。(;^ω^)
職員には行動制限をいまだに
強いているのだが、
やはり人の死に接すると。
インフルエンザでも
5類になっても
緩めるわけにはいかないと
私は、思うのです。。。。。
(まじめすぎ??)
ああ、大変だった。1
3年前に新型コロナが発生してから
当院でも400人たらずの
人を診断し、フォローして来た。
100歳弱の人をはじめ
90代の人もたくさん見てきたが
一人も亡くなった人はいなかったし、
そのことが
私にとっての慰みであり
私にとってのささえだった。
(肺炎をおこしたり、感染終了後
体力を落として亡くなりかけた人はいたが)
また、ほとんどの介護施設で
クラスターが発生するなか
特養に感染をもちこまなかったことが
奇跡的とはいえ
若干の誇りであった。
ところが、ついに
特養に患者がでてしまった。
たった1人発熱が認められたため
すぐさま周囲を全部洗いだしたら
もうすでに10人以上の利用者と
3人の介護士に陽性者がみつかり
利用者はその時点では無症状で(次の日に全員発熱)
介護士にいたっては、
終止ほとんど無症状。
それからというもの
あらゆる手段を講じて
拡大を防ぎ、治療をしたのだが
さらに感染者がでるは
感染者を診させていた介護士や看護師には
感染するはで
完全収束まで2週間も費やしてしまった。
そしてその間。
一旦、感染から解熱、症状消失して
回復した人が、
急に全身状態が悪くなり
残念ながら無くなってしまった。
世間一般が
新型コロナを軽視する一方
逆にその恐ろしさを
思い知らされてしまった。
とにかく、感染力が強いのと
無症状者から重傷者まで
いるのが非常にきつい。
今回、たった一人の
発熱に気づいたときには
特養などの施設では
すでに周囲に感染してしまっているという事態。
認知症の人を介護するには
密着することを免れないので
介護するものがつぎつぎと
感染してしまう。
また、
今はやっている新型コロナのタイプは
肺炎を起こす人は少ないが、
若い人には気管支症状として
爪後をのこし、
高齢者には
なにかしらの臓器障害をのこす
(心筋がやられやすい気がした)
これが、臓器自体の予備能力がない人や、
回復能力がない人では
かなりきつい感染症でることをおもいしらされた。
(おそらく、若い人たちでも臓器障害が
でているのだが気づいてないのでは
なかろうか?)
もう一つ、
この感染のさわぎの中で、
感染した人はもとより
感染しなかった施設の人達も
運動を減らし、刺激が減ってだけで
かなり弱ってしまった人もでた。
これからそれらの人を元に
もどさなければいけない
という大仕事が待っている。
ああしんど
私、国語苦手なので、、、
子供の名前に
キラキラネームや
当て字的命名や
難しい漢字はやめてくれ!!
私、元来、国語が苦手で
漢字も苦手。
最近は、医療もすべてが
コンピューター化されており、
いろいろ、入力が全て
パソコンで行われている。
そんなところに、コロナ騒動がこの
3年間ぽっぱつして、
やはり、コロナ感染や
今年はインフルエンザも流行りだして
若い10代の子の新患が
増えて、いろいろなことで
名前をパソコンに打ち込まなければいけない
機会が増えてしまった。
そこで困るのが
名前を入れる段階で、
漢字変換ができない!!
ことである。
極端な話、
見たことがないような漢字が
出てきて、読み方がわからない!
読み方がわからないということは
漢字変換ができない!
という事である。
私の名前の“浩”なんて
よく名前で使われる漢字だから
皆すぐ“ひろし”と読めるし、
漢字も、“ひろし”あるいは“こう”で
すぐでてくる。
だから最近は、
よく、パソコンをしながら
大きな声で回りの人間に
“この字なんてよむんや!”
っていったり、
“この字なんてうったら変換できるんや!”
ってしょっちゅう
言う様になってしまった。
これが、連続して名前を入れる暖に
なるとまたこれが
結構、時間はとるし
苦痛になってしまう。
学校の先生なんて大変だろうな。。。。
なんて考えたりする。
やはり自分も人から
“くめがわ”ではなくて“くめかわ”
と呼ばれると
自分のことを言われているのは
分かるけどなにか
強い違和感をかんじていたので。
やはり、正しい呼び方でよんでほしい。
(ちなみに国語的には“が”の前が
子音の“め”だから“か”の方が正しいのだが)
今は、銀行やお店
病院(うちではしていないが)
名前を呼ばれることが
少なくはなったが(個人情報うんぬんで。。)
それでもなんかの機会には
名前を呼ばれることもある。
そんな、こんなで
今から名前を付ける
若い人達には
読みにくい名前はやめてほしいな。。。。。
あまり若々しいかわいい名前は
年齢がいって本人きつくない?
前もいったけど
難しい漢字は
テストなんかで急いで名前を書くとき
きつくない?
私、いま一日、十数回以上は
名前を書かなければいけないから
今、字が崩れて
浩のサンズイが一直線になってしまっている!
ちなみに私の生まれた年で
一番多い名前は “浩”
昨年は
男が “蒼” 〝凪“
女が “陽葵”
やめてくれ!!
すぐ読めん!!
今週は、コロナのため
とてつもなく忙しく
今週のブログはお休みにします。
ああ、大変ですぞ!!
インフルエンザもふえてますぞ!!
久しぶりの連休
悲しいかな。
久しぶりの連休が終了してしまった。
とにかく最近は、忙しくて
休みという休みがなかった。
休日といっても
施設からよばれて一日つぶれたり、
研修会があったり
休日の当番が当たっていたり
とにかく休日がないうえに、連休が
ほとんどない状態だった。
今回も、いろいろ用事ができるのでは
ないかと思って、
12月に入ってから、
家の掃除やなんかを
早々に済ましていたが、
めづらしく、今回は、5日間
施設からよばれることなく
(コロナの影響もあって、
毎日、毎日、施設やら、
患者さんやらから電話での用事はいろいろ
あったが、、、、、、)
結構、時間がとれた。
しかし、
日頃、忙しくしているものの
悲しさというかなんというかなんというか
いざ、
時間があったら
なにをすればよいのか
わからない。
休みの日にしかできないことを
探しているうちに
5日間が過ぎてしまったのだ。
そして、
なかなか、はた目にはわからない
かもしれないが、
仕事に対する毎日の重圧、ストレスは
大変なものがあり、
1日でも休みがあったら
次の日は仕事したくないのに
5日も休みがあると
ひたすら仕事がしたくなくなる。
と思いながら、
1月4日の朝は、
いつもより早く家をでて
たまった仕事をはじめてしまった。
ああ悲しい嵯峨。。。
なんせ、時間を
ボーと過ごすのが
いやな損な性格で、
(つい時間がもったいなくなって)
いつもできない
部屋の掃除をはじめたり、
いつもできない趣味を
したりしてみたのだが、
なんだか違う。
結局、気が付いたら
時間がなくて読めなかった
医学の本を読んだり
ああ、これも違う。
結局、一番、
有意義であったのは、
何も考えずに
毎日、家を中心に何kmも歩いて
冬の変わりゆく風景を見ることであった。
よく考えると
朝、昼、夕の風景を見ることなど
毎日、忙しい中なくて
たまの休みには
次の日を考えて
疲れるほど長い距離は歩けない。
冬の風景は、
空気が澄んで、
空の色や
太陽の光があたる山々、
家並みが
刻々とその色合いを変え
非常に美しい。
よく考えると
自然の光を見るのが
ボーとしていることであり、
一番、休ませるのかもしれない。
休みの日には究極の暇つぶしである
趣味をするより
ボーとして自然の中にはいりこむことが
一番大切なのかもしれない
(ボーと一日テレビを見るのではなく、
ボーとゲームなんかをするのではなく)
実は、脳科学的にいうと
ボーとしている時間帯は
いろいろしている
脳神経は活発にうごいているらしい。
と、いろいろ考えて、
結局は休みが
本当には休めない
損な性格をなげくのでした。
あけましておめでとうございます
今年も、コロナで大変なことで
年があけております。
言っておきますが、今、心筋梗塞やら
脳梗塞、事故による重傷など
緊急を要するものは
受け入れるところがなく
十分が治療ができない状態
ですので、御気おつけください。
マスコミは、
感染者が少ない時は
コロナで客足がへって
経営が大変なことを報道して
コロナが増えた時は
病院の惨状を報道する。
この3年間繰り返している
それが、いまの
報道姿勢である。
これで、政府のコロナ政策の
不備を報道するのだから
どれだけ顔の面の皮があついのか。
。。。。。なんて、
新年そうそうぼやいておる次第であります。
よく、インフルエンザぐらいという
言葉を耳にするが、
インフルエンザよりはるかに致死率は高いし、
大体、インフルエンザをなめてはいけませんぞ。
インフルエンザの直接死だけでも
全国で3000人ほどいる
それ以外の関連死をいれると
遥かにそれを上回る人達が死んでいるのです。
つまり、香川県で物いうと毎年
インフルエンザでも数百人しんで
いることになるのですぞ。。。
て、年明けが大変そうなので
愚痴をひとこと。
日本人は、とういうわけか
元旦の日の出を見て
今年一年のお祈りをする。
日本人は、もともと自然に
神々が宿る神道を
信仰していたので、
これもまた、一年の区切りでいいの
かもしれない。
丁度1月1日ころは、日の出も7時10分ころと
一年で一番遅い。
それでも、若いころは
その時間より早くおきたことはなかったが、
最近は、ジジイになって
朝、早く起きることが多いから
うまく行けば歩いて
レインボー通りの
ヤマダ電機の近くの
野田池の土手にいって
初日の出をみたりする。
結構、同じ気持ちの人がいるのか
沢山の人が集まってくる。
この池土手がやや高いのと
周囲の際に大きな建物が隣接していないので
なかなか眺めがいい。
丁度一周1Kmの土手の道を
一周すると
讃岐山脈、前田山、八栗、屋島、女木島、紫雲山、五色台、
遠くは象頭山までゆっくり一望することができて
夕方なんかはとても美しく
気持ちがいい。
これぞため池が多く
平で、山がポコポコしてる
讃岐の醍醐味。
この子供のころから慣れ親しんだ風景をみると
なんだか心が落ち着く。
ま、私、初日の出だけではなく
毎日、いまいちの日々を過ごしているので、、
毎朝、日の出を見ては
今日からは、、、、とおもって
もう62年もすぎとえいるのだが、、、、。
もうどうなってんだか
私の感じるところこのコロナ禍で
今が一番やばそうなのだが、、、、、、
最近のコロナの患者さんを診ていると
明らかに症状が重くなっている。
発熱はするし、気管支の症状が
とても強くなっている。
また、最近の死亡例をみていると
年代がどんどん若くなっている。
ウイルスにはレセプターといって
ウイルスが結合しやすい細胞がある。
コロナは当初は、肺の細胞に
結合しやすかった様で
肺炎をおこしやすかったのだが、
どうもそれがオミクロン株になってから
咽頭の方にあがってきたのか
肺炎がへって咽頭痛が強くなってきた。
全体的にはかるくなったのだが
それがどうもまた
下方に下がってきて
気管支に結合しやすく
なったのではないのかな
という様な症状に代わってきた様名気がする。
最近の研究では
最新の変異株は、
重症度率、死亡率は変わらないが
免疫逃避しやすくなって、
さらに感染力が強くなっているらしい。
それよりなにより
今、病気にかかっても
病院で見れなくなってきてる
それが、一番、コロナが流行っていた
時より悪化している
気がする。
先日、私が不在の夜間に
介護施設の患者さんが
吐血をして、
結局どこの病院も受け入れできなくて
香川大学まで搬送された。
もっとすごい
症例では、大歩危で、
腰痛の人が徳島の病院で受け入れてもらえず
香川県の西の病院でも受け入れられず
結局。香川県立の中央病院まで
運ばれたそうだ。
世間一般では
かなり規制がゆるんでいて
もう流行を抑えようがない。
いたるところで
大忘年会までも開かれたようだ。
マスクが効果ないとかいろいろ
言っている人がいる様だが、
コロナ感染をしている人を
毎日見ているが、
明らかに会食での感染が多いし
マスクは正しく使用していたら
効果は十分ある。
世間がコロナを普通の風邪と
解釈してもいいのだが、
依然として
インフルエンザより
はるかに高い死亡率があり、
特別養護老人ホームなんかは、
ただの風邪でさえ
かかると何人もなくなってしまい
そうな人がたくさんいるのに、
インフルエンザがはいれば
それより多く、
また、コロナなんて
はやれば
目も当てられない惨状になるのは
目に見えている。
一般の人には
ボケた高齢者が
どうなろうとも構わないのかもしれないが
当事者としてはそうはいかない。
たとえ
認知の高齢者といえども
どんなに世間が経済に走ったり
自分たちの自由にはしろうとも
それらの人たちを
守るのが私の義務であると
まじめに考えている
自分がそこに残っている。
私の目の前で、
コロナの犠牲者は
出さないと
真面目に思っている自分が
まだ、残っている。
自分の中にそれがなくなってしまったら
幾人もの人達が
亡くなってしまうのだろうな
と今年も押し迫って
真面目に考えているのでした。
(職員にはまだまだ苦労をかけるが)
もう、普通にしている施設や
クラスターにならない様に
検査をしない施設が
たくさんでてきたが
認知症の人や高齢者、
基礎疾患がある人は
亡くなってもなんとも思わないんだなって
思うだけけで
世間から何と思われようと
がんばろう。
なんてね。。。。。。
以前、レントゲンは、
フィルムに焼き落として
それをシャーカステンという
裏から電気を充てる器具でみて
いたのですが、
いまやデジタルの時代で
レントゲンは、画像で見る時代
上里医院の倉庫にその
シャーカステンが眠っていたので
ついそれを使って
また
性懲りもなく待合の
飾りをつくってしまいました。





このコロナ禍で
今年は得にクリスマスやら年末の雰囲気が
消失していますが、
もともと、キリスト教徒が少ない
日本人が変な方向で
クリスマスを騒いでいたのだが
あまり騒がなくなっても
寂しい気もする。
特に高度成長期に
子供時代を過ごした
私には特にそう感じるのかも
しれない。
しかし、今は、ハロウィンをはじめ
フェスや、若者を中心に
年中なんか行事を騒いでいるし、
昔より休暇がふえたので
正月やクリスマスは
昔ほど特別なものではないのかもしれない。
私の子供のころは
特別な日は
小遣いをもらう正月、
おもちゃを買ってくれるなら
誕生日とクリスマスぐらいで
そんな、少ない特別な日
だったのかもしれない。
最近ジョブチューンという番組の
批判ががでていたが、
最近、一般ピープル?
(いろいろ言いたがりのひと?)が
SNSを使ってすぐいろいろ批判する
のだが、
それによってこの番組の存在があやうくなっている
らしい。
この番組、何回かみたことがあるのだが、
いつもこの番組を見ている人、
特にじっくり見ている人が
投稿したのだろうけれども、
なんとも、番組のいわばファンが
この番組を結果的になくしてしまう
ことになる。
この番組にかかわらず、結構、
こういうことが時々起こっている
みたいだ。
こういう批判をしている人は
結果、自分の行為が好きで見ている
番組が無くなってしまうという
結果がわかってしているのだろうか?
(当人は、番組を良くしようとして
批判したと言い訳をするだろうが)
逆にいえば、ライバル局が
この番組を消滅させようと思って
思いっきりSNSで批判すると
番組を消滅させることができるということだ。
しかしそんなことをすれば
結果的にテレビ自体が
衰退する結果を招くことになる。
こんな浅はかな短絡的行為が
どんどんまかり通っている
時代になってきている
様な気がする。
たとえば職場、
いじめではないが、
人間性は悪くないが
仕事がいまいち遅い人間に
周囲がつらくあたったりすると
結果的にその人間がやめてしまう
(病院や介護施設では結構見かける)
そうすると人手がへって
結果的に仕事が増えてしまう。
そういう短絡的な行為が
結局は自分に戻ってくる。
今の社会、
年功序列から
能力主義への変換されている。
若い、体力も精力もある時期に
自分より年配の人間をおしのけて
仕事をし、能力主義を推進する
(単なる年功序列はいいとは思わないが)
結果、自分が年齢をとった時に
逆に若い者に押し出される。
このコロナ禍の中、
人との付き合いが
皆どんどん下手になってきている。
その上SNSがどんどん手軽になって
どんどん皆が言いたいことを
軽く言う様になっている。
人間、どんどん、考えが短絡的に
なってきている。
大丈夫なんだろうか。
そういえば、なんか
日本の政治も。。。。。。。
サッカーを見ていて感じた一末の寂しさ
今回、日本代表が、
ワールドカップのサッカーで
超強豪のドイツとスペインに
勝って、大変な偉業を成し遂げた。
世界ランキングの上位10チーム
は他に比べて群をぬいており
10チームの力は競合している
と言われている。
その中の2チームになんと
勝ったのである。
野球で言えばとりわけ
四国アイランドリーグの
オリーブガイナーズが
巨人に勝った後に
社会人リーグのチームに負け
その後に阪神に勝ったようなものだろう。
これは、大変な出来事。
とは言え、
私、いつもの通り
気をもむのが嫌なのと
自己中で、世界が自分を中心に回っているので
見たら敗けそうで、中継はみていなくて
その後の映像を何回もみたのだが、、、、、
とても喜ばしい出来事で
この憂鬱な世のなかで
日本人に大いなる勇気と活力を
与えただろう。
あの金まみれの
東京オリンピックなんて
一発で
はるかかなたに
ふっとんでしまった。
しかし、今回この偉業をみながら
どこか少し、一末の寂しさを感じたのである。
まず、第一に
これでまた、
少年たちは野球からサッカーへと
流れてゆく。
私の時代は野球、野球で、
男はほとんど野球をしていたし
キャッチボールをしていた。
野球で連想されるのは、
巨人の星の様な
根性、根性、の泥臭さ。
偏見ではあるが、
一流の野球選手といえば
金のジャラジャラした
ネックレスに腕輪
ロレックスにベンツ
という印象がある。???
サッカー選手は
フェラーリにアルマーニ
というスマートな印象の偏見を持ってしまう。
すごい偏見!!!
私、ロレックス、ベンツは
きらいだが、
決してスマートな人種ではないことを自覚している。
つまり、この出来事は、われわれ
おじさんの時代の終焉を感じさせられたのだ。
第2に
2試合とも逆転勝ちしたこと。
これは、以前の日本チームでは
考えられなかったことといっていい。
それだけレベルが上がったのであろうが、
以前の世代のメンタリティーでは
決して勝てなかったと思う。
この、恐い物知らずのメンタリティーに
今の若者を見た様な気がした。
この若者たちのメンタリティーには
とても勝てないという
思いがしたのだ。
つまりまとめていえば
このサッカーの結果を見て
なにか、おじさんたちの時代の
終焉を決定づけられた様なきがして
なにか直に喜べない
自分が存在したのである。。。
今年の大河ドラマは面白い
私、なんでかわからないが
大河ドラマを見るのが
若いときから日曜日の
日課になっていて、
ほとんどの大河ドラマを見ている。
中にははっきり言って駄作
と思われるものもあるが
もう、終盤になったが、
今年の大河ドラマの
鎌倉殿の13人はなかなか見ごたえがある。
さすが三谷幸喜が最後の大河ドラマと
意気込んだだけあってなかなか
よくできている気がする。
(新選組、真田丸に次ぐ3作目)
私は、高校の時に世界史を
取っていたものだから。
(私の時代、高校は、世界史と日本史と地理
、政経、倫理社会が選択で、
理科系の人間は世界史と日本史の両方を
先行するものなぞいなかった)
(共通一次試験で点が取りにくかったから)
日本史がほとんど中学校の教科書程度の
知識しかなかったのだが、
大河ドラマを見ていたおかげで
大体の重要な流れは理解できるようになった。
もちろん大河ドラマはあくまでも
ドラマであるから、歴史事実をもとにした
フィクションなので
いろいろ実際とは違いう所はあるが、
歴史フェチでない私には
全然気にならない。
大河ドラマというのは、基本的に
あらゆる年齢層が対象であるから、
演出や内容がやや
劇場的に大げさなところはあるし、
言い換えれば
芝居がかっている。
主人公が、それはないだろうというほど
いろいろな人と交流があったり
親しかったりする。
この人はこの場面では登場しないだろう
とか、、、、
また、徳川家康や徳川慶喜などは、
ある大河では大悪人であったり
ある大河では戦乱の世を収めようとした
人徳の人だったりする。
徳川慶喜もある大河では
頭の切れすぎる人物だったり
ある大河ではどうしようもない人物
だったりする。
また、芝居も年配の人にわかりやすい様に
舞台の様に大げさにふるまったりする。
(水戸黄門的なあるいは歌舞伎的な要素がはいる?)
BSでときどき、以前の大河を
みるが、
まー演技は大げさで臭いし、
ドラマの内容もあまりにも
稚拙だったりする。
ただ、今回の大河は
北条時康という人物が
あまり、歴史にその即席をかかれていないこと
もあり、かなり自由にかかれており、
出演者の演技も映画レベルに抑えられており
なかなかその点では見ごたえがある。
また、今回は三谷幸喜ということで、
所々に笑いの要素をとりいれているところが
にくい。
大河ドラマはどうも
予算のかけ方がすごいようで
(最近、予算がかかる時代劇は激減している)
なかなか民放では作れない。
また、役者も大河ドラマに出ると
拍が付くみたいでかなり
力がはいっている。
(緒形拳、渡辺謙、西田敏行なんか
大河ドラマの主演で一級の俳優になっている)
他にも役所広司なんか、主役でなくても
大河ドラマに出ることで
有名になっている。)
主役ではなくても
“せごどん”の渡辺謙と鹿賀丈史の1対1の芝居
なんか役者が乗っているのがわかって
かなり見ごたえがあった。
今回も、最初は、雰囲気が合わないとおもった
大泉洋とか、そんなに上手とおもわなかった
小栗旬が、かなり熱演しており
ドラマに伯を付けている。
ただ、一つ残念なことに
大河ドラマは約1年おきに
力が入っている年と
やや力を抜く年がある???
来年はやや期待薄?????
先日、年賀状を注文した。
昔からの感触で、
できるまでに2週間ぐらい考えて
日曜日の朝にネットで注文したら
なんと月曜日の朝すりあがって
郵便でとどいた。
びっくり!!!
年賀状、、、、、
スーパーアナログ。
この年中行事の
めんどくささが、
消滅の危機を迎えようとしている。
昔は、
1. 年賀状を買いに行く
2. 裏書の文字、デザインを考える。
3. 裏書の挨拶などを書く
4. だれに出すか考える。
5. あて名を書く
6. 投函する。
今は、
1. デザインをネットで選ぶ
2. だれに出すかを考える
3. あて名を印刷する。
4. 投函する。
と、言う風に以前よりはるかに
簡単になった。
先週、はなした様に
人間、一旦、楽すれば、
もとには戻れない。
どころか、もっと楽したくなる。
年賀状に関していえば、
さらに、簡単さを求め、
簡単になったことを
それでさえ、煩わしくなってしまっている
のか年賀状自体が消滅の危機にある。
話は変わるが、
私の世代の医者は、診療中に
電話をされるのを嫌う。
なぜなら、診療というのは
やはり、波があるからそれを途中で
中断されるから。特に
外科系であれば手術中であれば
一旦、手術を中断したり、
下手をすれば手洗いと着替えを
しなければいけないから。
(とった電話がセールスだったら
ぶちきれる!!)
とても失礼にあたる。
普通は、手紙でやりとりしたり
急ぐ時は、診療が暇な時間を
ねらって電話して
診療中ならなんどもかけなおす
それが、いまや普通に電話はかかるは
さらに若いドクターは
メールのやり取りになってしまう。
以前は、お薬やさんも用事があるときは、
診療が切れるまで
来院して、ずっとまっていた。
それが今やメールやダイレクトメール
電話をかけてくるやつまでいる。
おじさんには
なんだか寂しい時代になってきた。
年賀状にしろ医者とのやりとりにしろ
その手間をかける行為で
その人となりがわかり、
信頼関係がきずかれる面がある。
相手に対して
手間をかけるということ
相手を考えて行動することで、
その人の人間性や
その人が自分に対してどういう
扱いをしているかが判断されて
それか人間関係、しいては社会を支えている。
手間をかけないということは
そういう意味を持つことで
なんだか、淋しいというか、
恐ろしささえ感じる。
手間というものは、
自分に手間がかかっているのではなく、
相手に対して、手間をかけていることなのだから。
おじさんはめんどくさいね。。。。。。
人間一度、、、、
あまり大きい声ではいえないが、、、、
人間は、一度、楽を覚えると
元の状態には戻りにくい。
たとえば、一か月50万の生活をしていて
一か月20万の生活になるのはきつい
たとえが悪いかもしれないが、
プロ野球選手が、高い契約金をもらって
現役時代は高い年棒をもらっていて
引退後に急に収入が減少して
生活に困り
ヘンになる人間もいる。
人間、一旦あまえると
元にはもどるのがむづかしいのである。
連日ニュースで
コロナや、円安、物価高で
補助の話ばかりでているが
一旦補助をだすと、、、、、
日本の国の財布は遠の昔から
空っぽなのに、借金してまで
金をばらまいている。
与党も野党も
選挙に勝ちたくて、
金のばらまきの話ばかり。
いずれこれは、重税となって帰ってくる。
大体、補助金なんて、出す官僚の
人達は、御育ちがいいのか
皆、性善説で
金をばらまく。
日本人、もはや性善説では
語れないほど
道徳感の欠如は著しい。
補助金なんか、
悪い奴ほどよく眠る
じゃないが、
悪い奴ほどうまく利用する。
日本だけでなく、世界的にも
社会保障費の増大は
加速していくばかり。
OO費が、一旦ただになったり
減額になると
もとには戻せない。
話は若干かわるが、
介護施設。
介護保険ができてからというもの
当初は、
高齢者をあずかってもらっているから
最近は、
極端な人など
高齢者を預けてやっている
という感じになってきている面がある。
サービスという商売は、
預かる側が低姿勢になればなるほど
どんどん大変になるのがどこの
世界でも同じだと思う。
又、話がかわるが
以前、言っていた様に
よくできる頭のいい
東大系列の病院が
患者さんに対して
患者さまという様に変えた。
当時から、私はそれには反対であったのだが、
そういう風になってから
医者と患者の立場が逆転してしまった。
いくらサービス業(医療はサービス業に分類される)
といえども
患者さんの立場が、医者と逆転すれば、
いろいろなことで
ちゃんと、ほぼ命令的に指導をしなければいけない
場面が多々あるのに
それが完全にやりにくくなって
しまったのだ。
それがわかって
先の東大系列の病院も
様というのを中止した。
学校もしかり、
もう、学校側の立場が弱くなってしまって
教育現場は、悪循環の繰り返しで
どんどん悪くなっている
様なきがする。
主役ばかりの学芸会
順位のつかないかけっこ
子供に挑発される教師
今は世論が、ますます
極端な意見が
一人歩きしている様な気もする。
いろいろ政策をおこなうのなら
人間、一旦、楽すると
もとにはもどれないことと
いまの日本人は性善説では
動いていないことを
よー―――く
考えてやってやってほしいなー―――。
無機質な造形
最近、コトデンの三条駅の近くをあるいていたら
古い、アパートが
つたがからまり、朽ち果てて
廃墟になって
何とか建っているのを見かけた。
昔、子供のころよく建っていた
3階建ての集合住宅である。
そこは、小学校のころ友達が
住んでいて、あそびにいった
思い出があるところだった。
芋焼酎の“いいちこ”のCMの様な
ノスタルジーを感じた。
こんな、廃墟に限らず、
歩いていて昔からの家波が残っている
場所を歩いていたら
心の安心感を得る。
というのも、高松市は、
マンションラッシュで、
(どうも、他の県庁所在地より
土地が割安で、県外の業者が多数
参入しているらしい)
どこをむいても
マンションとその建設
マンションは、違いがある様でない
単調な無機質なマッチ箱にしか見えない
それもまた、無秩序に
乱立している感触がある。
私の家の隣にも10回建ての
独身用のアパートが
建ったが、いかにも無機質。
家の北側に立ったので
日差し等に影響はなかったが、
市内のマンションは
周囲の住宅を
影で飲み込んでいる。
大体、建設業者というのは
そんなのはお構いなし。?
あるところであるいていると
7階建てのマンションがたって
数年してその南に10階建てのマンションが
建っていた。
もとのマンションの価値はどうなるの??
高校を卒業してすぐ高松をでて、
45年ほど、
その時に立っていた家は
もうほとんど存在しない。
古いそのころにあった家を見ると
なんだかホットするのである。
なんだか、昔の温かみ、住人のぬくもりを
感じる。
マンションにはその建物と同じで
住民のぬくもりを感じない。
つい最近も子供のころに行っていた
模型屋さんの建物が
(模型屋さん自体はずっと前にやめていたが)
平地になっていた。
常盤街や南新町もどんどん
再開発が始まっている。
小さな店が連なっていて
にぎやかだった常盤街も
もう今は昔。
こういう風景を見るたびに
自分の思い出がひとつずつ削られている様で
何か淋しい。
最近は、いろいろと
不満をぶち込んでいたので
今日は、ちがった話で、
私、私の世代に多い様に宇宙に興味がある
(アポロ11号の月着陸の制で)
この11月8日には久しぶりに
皆既月食がある。
月食とは、
月と太陽の間に地球が入る現象。

こういう風な図を見ると毎回
月が地球の反対側になると
起こりそうだが、本当は、
太陽、地球、月はもっと離れているので
そんなに毎回起こらない。
せいぜい年に2~3回。
以前、日食は、なぜ満月なのかときかれた
ことがあるが、

この位置関係で分かると思うけれども
地球からみればいつも
月食が起こるときは満月の夜だけ、
常に太陽の反対側の時だから
だから三日月の日食とか
半月の日食はない
ちなみに満月が東の空に見えるときは
日が西に沈んですぐ、
夜の0時頃見えるときは、ちょうど南
朝見えるときは、満月は西の空に
東から太陽が出る前というわけで、
月食もその方向に見える。
今回は、夕方に、東の空を中心に
見えるようだ。
(高松では、始まりが18時14分頃で
最大が19時38分頃
終了が21時59分頃)
また、先の図をみてわかるように、この日に
月の上に立っていたら地球が太陽を隠す
日食になる。
又、今回は、皆既月食で、
皆既というのは全部隠れる時を
いうので、部分的に欠ける時との違いは、
地球の影にすっぽり月が入る時が皆既月食
その他は部分月食という事になる。

つまり
上段がいつもの状態で、
中段が部分月食で
下段が皆既月食の状態
今回は、しばらく赤い月がみえるはず。
(赤く見える理由は長くなるから
今回は省略)
子供の頃に中秋の名月の皆既月食が
あって、
まるで軟式のテニスボールガ赤土に汚れた
様な月が空に浮かんでいたことを
今でも覚えている。
ま、11月8日の夕方は
浮世をわすれ、空をみていてください。
ただし、
日本人は、どうも
日ごろの行いが悪いのか
天文ショーがあるときは
天気が悪い。
今回はどうなんでしょうか。
たいへんですぞ
今、世の中、感染が急激に増加している。
新規感染者の数を見て
安心しているかもしれないが、
実は、9月26日から
制度がかわって、
中学生以上、65歳未満の
人達は、自分で診断キットをかって
自己診断して、病院に行かなくても
良くなってしまった。
つまり、元気な人達の過半数は、
自分で診断キットをかって、
薬局で、解熱剤をかって
自宅療養している様になってしまったのだ。
いままでは、保健の支払いや
会社のとどけでやなんかで
みんな病院に来ていたので、
病院にくれば
保健所に報告義務があったから
陽性者を報告していたのだが、
みんな、こなくなってしまったのだ。
あきらかに9月26日以降、
発熱外来の人たちが減ってしまったのだ。
自分で自己診断して、薬局で解熱剤を買った人たちが
わざわさ、“私コロナです”って
保健所に連絡する人がどのくらい
いるだろうか。
つまり、今の新規感染者の数字は
病院に来て、診断した人だけだから
おそらく、その倍以上の感染者がいると
思われる。
なんどもいうのだが、
当院では、高齢者施設をあつかっているので
新型コロナをふつうの風邪として
どうしても処理できないのだ。
毎日、職員の周囲の人の発熱の報告があるが、
職員の家族の発熱の報告が
急増しているところを見ると
今、大変な勢いで感染者数が増えていると思われる
国は、定点観測で全数を把握するといっているが、
定点観測は一定の病院の患者数で
決まるので、病院に来ない陽性者が
おおいと、本当の数はわからない。
これでは、インフルエンザの
方が感染者数を把握できる
(ある程度の治療薬があるので
インフルエンザの人は病院に来るから)
またまた、悪いことに今RSウイルスをはじめ
コロナとほとんど症状が変わらない
いわゆる風邪が流行っている。
こりゃもう、わけがわからん状態ですぞ
話は変わって、
今、またまた、ワクチンが始まったが、
コロナワクチンは、10月から
B1対応ワクチンがはじまったが、
11月からは(坂出)B45対応ワクチンが始まる。
また、5回目のワクチンが始まる
それも前倒しで
間隔が3か月になる。
そりゃ皆、新しいB4、5のワクチンで
ファイザー制のものを
打ちたいでしょうよ。
だいたいB1ワクチンはどうするの。。。。。。。。?
それと
インフルエンザ
現時点で全国の定点観測で、若干昨年より
多い状態。
この2年間流行っていないので
皆が抗体をもっていないから
流行しだしたら
急激な流行もかんがえられなくはない。
大きい声ではいえないが、
インフルエンザワクチンの有効期間は、
5か月といわれているが、
5か月は若干きついかも
打ってから2週間ほどで
効き始めるから。
ここ10年、流行が一番早い時で
12月からだから
11月中旬から下旬にうつ予定にしいて、
かりに、いろんなところででだしたら
すぐ打つということにしていたら
いいのではないか。
ちなみに今年は、ワクチン自体は
量的には余裕があるようです。
ま、この冬はいろいろ
大変ですぞ。。。。。。。。。
人間ばかだから
子供のころ、
21世紀になったら
世界はグローバル化し、
世界はほとんど一つに
まとまれるという、あわい
期待があった。
ところが、いまのロシアや中国
をみてわかるように、
世界は、どんどん民族主義化
している。
よく考えればあたりまえで、
人間はバカだから
多くの人間がだばねられる
能力はないのだ。
つまり、やっぱり人間=動物
というより
人間=バカな動物なのだ。
身近な動物を見るに
猫はほぼ、単独行動で生活しており
単独で、餌をとってきて
それを食べている。
マウスなんかもそう。
ほぼ、単独で行動している。
言い方にはやや語弊を伴うかもしれないが、
やや知能が上の犬は、
野生では集団で行動する(もともとが狼だから)
集団で協力して獲物を捕り、
そして集団の中で序列をつくり
生活している。
集団行動で、助け合いながら
生活している動物は
やや知能が、発達してると
一般に考えられている。
実は、類人猿は
もともと、
単独行動していたらしい。
ところが知能の発達とともに
集団で協力し、
獲物をとることにより
大型動物(マンモスなんか)を
とらえることができる様になり
さらにそれによって
栄養を得て体が大きくなり
集団も大きくしていった
と考えられている。
また、その集団によって、相互互助が
発達していって寿命ものびた
と考えられている。
そして、農耕が始まると
さらに集団は大きくなっていった。
しかし、人類の能力では、その集団の限界は
100人程度であったという研究がある。
つまり、100人程度の群れをつくしか
能力、知力がなかったといわれている。
しかし、そこから
現在にいたるまで、
人類の進化からいうと
ほんの僅かであるため
今の人類でも
多くみつもって300人程度の集団生活
を行うのが人間の知力の限界だろう。
つまり、人間は、世界ところか
国家単位で共同生活する
ほどの能力、知力さえ
もつほど
まだ進化していないのである。
昔、よく、
なぜ、こんなせまい地球上で、
言語が生まれたはいいが、
こんなに言語があるのかが不思議だった。
周囲の集団と交流があるのに
様々な言語が存在する。
最近、
その理由がなんとなく
わかってきた。
つまり、
人類はこれだけの
大人数の集団で暮らすのは無理があるのだ。
特に情報化社会において
情報伝達は
大集団にできる様になったのだが
それを束ねるだけの能力が人間にはないのだ。
だから、この21世紀に
民族主義化が20世紀よりすすみ
今でも土地や財産をめぐって
戦争や紛争が絶えないのは
うなずける。
話は、変わるが、
今、敬語や尊敬語が
世の中なくなってきている。
いままで、特に日本では
敬語や尊敬語が発達したのだが、
それは、集団をスムーズに
運営するために
必要アイテムであったのである。
つまり、人の上下、年の上下を
はっきりさせることによって
集団生活をスムーズになりたたせていたのだ。
この地域社会が崩壊し、
周囲の人間とコミュニケーションを
とらなくてもいい社会では、
もう、敬語や尊敬語は
必要ではなくなってきたのだ。
そういうことで、
人間は、孤立化し、
集団生活がさらにできにくくなってきている。
こうやって、時代はさらに
個人化、民族主義化が進み
ますます、グローバル化どころか
民族主義化
戦争、紛争は増えるであろう。
なんせ人間は
大人数はまとめられないほど
バカなのだから。
だから、これからも
遠いヨーロッパでも
日本の御近所でも
紛争の火種は尽きない。
なお、ネアンデルタール人が
絶滅した要因の一つには
(正確には今年ノーベル賞を
受賞した科学者が唱える様に
遺伝子は今の人間にも残っている)
われわれ人類の方が
ネアンデルタール人より
狂暴で、他のホモサピエンス
を力で絶滅させたという説さえある。
あー何とも
くわばら、くわばら。
おじさんは、納得しない
9月に入ると坂出の広報誌に
長寿番付がでる。
90歳以上の人の名前がずらっと並ぶ
私の目標としては、当院と
愛生苑関連の人達が
トップ10人の半分を占めること
残念ながら今年は0人。
以前2人入っていたのだが、、、、
私が医者になったころは、医者は、
どうあっても、医者は人を生かしておく
のが使命という時代で、
その人の死を考えるのは医者の仕事ではない
という時代。
鼻に管をつっこもうが、胃に穴をあけようが、
人工呼吸器につけようが、
どうにでも長生きさせるという
概念がまかり通っていた時代。
だだ、時代のながれと、
自分の経験、年齢が立ってゆくと
無理をしない。
身体的なものだけでなく、
人間として苦しめないということに
傾倒していっている。
だから、100歳をこえて、長寿番付には
乗ってほしいのだが、
無理やり生かさないというのが信条。
はたから見れば、あきらめが早いのかもしれない。
だから、今は、そういう状態にならない様
に、心がけて診ている。
それにしても、
毎日、新型コロナの死者の数が
香川県でもたくさん出ているが、
どうも社会の風潮で、
90代、80代なら仕方ない
という風潮があって
それが私にはとても嫌悪感を感じる。
(だいたい人間なんで20代半ばをすぎると
老化するし、ぼけはじめてしまうのだから)
90代、80代なら亡くなってもいい
というなら、私の受け持っている
患者さんは、3分の1近く亡くなっても
仕方がないということになってしまう。
いまの所
施設でも残念ながら
感染者は、何人かでたが、
全て、施設内隔離で(今、どの病院も
見てくれない!!)治療して
全員、ほとんど元通りに回復
しているし、
やりすぎと思われるほどの検査で、
最低限で防御できている
(クラスターにはさせない!)
外来でも、他院にかかっている
高齢者でもどうにか治療が
うまくいって、
皆、回復している。
毎日、そんな、こんなで、
どうにか抑え込んでいるのだが、
高齢者なら亡くなっても仕方ない
という風潮は、いかにもいかにも遺憾である。!!!
だいたい、
野党も含め政治家たちは、
すずしい顔をして、
高齢者を守り、社会を回す!
ということを言っているが、
今見ている高齢の感染者は、
ほとんど家人の
特に孫なんかからもらっているし、
病院も、介護施設も
働いているのは若い人たち
職員の行動制限は
せざるを得ない
それでもコロナはすり寄ってくる。
どうやって高齢者だけ守れっていうんかい
口だけのやつらは大嫌いだ。
大学の教授がえらいことになっている。
今、医学部では大学の教授のなり手が
いなくなって大変なことになっている。。。
それもそうだろう。。。。。
なぜならば、∵(昔こんな記号が
数学であった!!)
私の時代は、教授といえば
医局では天皇陛下で
ぺいぺいの若い医者は
直に話ができなかった(秘書を通して)
1.今、大体大学の医局というものは、
以前に話した様に、
文部省と厚生労働省の争いで
文部省が負けて、縮小傾向にあり
医局員が少なくなってしまった。
つまりピラミッドの頂点の教授は
大きい山の大将から、小さい山の大将になってしまった。
(文部省管轄の大学の
医局が医学界に
力を持つことを嫌い、
医局員が激減する
研修医制度を作り上げて医局へはいる
医者を減らしてしまった。)
医局員が減るということは
それだけ、いろいろ力がなくなったということ
(いろいろな病院へ医局員を派遣できなくなって)
地域の医療の頂点ではなくなってしまった。
いろいろ、研究等の本来の大学の
やるべき仕事ができなくなってきている
という事。
2.教授といえば、医局員を指導するもの
力を堅持する役職。
以前は、バカ、アホ、と指導し、
教授に気に入らなければ、いい役職にはつけないし
嫌われたら、左遷。
今そんなことをすれば、
パワハラ、アカハラで教授の方がやめなければ
いけない。
学会に行くときは必ず
カバン持ちといって
世話をする人間がついていた。
大きな医局や、有名教授は、
飛行機、ホテル、現地の食事などなど、
医局員や製薬会社、いろいろな業者が
全て世話をしていた。
”お殿様“
いまは昔の話
ってなわけで、本来の名誉職が
名誉も威張ることもできなくなった。
3.収入が減った。
大学教授といえばたくさん給料がある様におもうであろうが
だいたいが、給料だけなら
世間の人が目を疑うほど少ない。
会社であれば、
一柳機業の重役なのであるが、
今でも50万もらっている人は
まず、いないと思われる。(昔は30万ほど)
昔は大きな医局ほど、臨時収入がたくさん入ってきて
a. 結婚式の仲人
大きな医局なら毎年10人以上結婚式があり
必ず、仲人は教授
だから10×〇万円の申告ナシのお金が入り
(ところが、今は仲人の制度自体が消滅)
b. 博士号取得のお礼
一応、かりにも私も医学博士なのだが、
研究論文のテーマは一応、教授からもらって
研究して、認可するのは教授。
よって、博士になるとお礼がいる
これが大体5人×〇万円
他にも、他の医局の博士号の認可に
10人×〇万円
(ところが、今はこの慣例は、ほぼ廃止)
だから、大きな医局ほど税金がかからない
お金がはいっていた。
c. 講演料の減少
有名な教授になればなるほど教育講演の
依頼があるのだが、1度の講演料が
いろいろな制約がついて減少してしまった。
他、これは推定にすぎないが、
いろいろな病院に医局員を派遣してくれ
とか、○○を使ってくれだのと
袖の下がはいっていた。
(今、それがばれれば即、クビ)
4.有名教授になると
定年後もいろいろ天下り先があって
仕事は終生事欠かなかったが
これも今は減少。
そんなこんなで
教授になっても
特別いいことがあるわけでもない。
そりゃ教授なんてなりたがる
人が減るわけで。。。。。
ただ、問題はそこにあるのではなく、
大学が、研究機関、教育機関としての
役割が減少してきているわけで、
そこには日本の医療の崩壊が見えてきてる
ところにある。
(研究ができなくなってきている
教育機関がよわって、
変な医者が増えてきている。
医局の派遣医がへって
医師の偏在が加速している。)
ってなことで、
お先真っ暗でさ、、、、
今週は手抜きで、、
この金曜日は当番で
いろいろ
忙しかったので
今週はスーパー手抜きで、
写真だけ、、、、
このくそ熱いのに
だれも見ないのに
医院の玄関に飾る
秋の飾りをつくってしまいました。
昨年の秋の分は、



の本から飛び出す
秋とトトロというところで、
今回は、

紅葉のやまやま

そして月
次いでに
LEDを入れて




てなことになりました。
医院においでの際は見てやってください。
ヒューマンエラー
また、園児を送迎バスの中で
熱中症で死なせるという
痛ましい事故がおこった。
ニュースを聞いていて、
心が張り裂ける様な思いに駆られる。
そんな中、どこかの若い
幼稚園の経営者が、
国にこういう事故の防止装置の
設置を要望していた。
”ヒューマンエラーは起こるものだから
それを防ぐには防止装置の設置が
必要だと。“
そのニュースにとても
違和感を感じた。
どこが、どうという
説明はつかないが、
何かが心に引っかかった。
いうことはわからんでもないが、
なにか根本的に間違っている
気がしてならないのだ。
われわれ医療の世界は
毎日がヒューマンエラーとの
戦いといっていい。
毎日、毎日が、
エラーとの勝負なのだ。
医療では、とんでもなく
小さなことが
人の死を招く世界である。
それは、命を扱う医療の世界の宿命と
いっていい。
日本全国で毎日、医療が
とてつもない人数で行われている中
死につながるミスは
残念ながら多々ある。
やはり、死に至るまでの
医療事故は
どうしても大病院に多い。
それは、危険な処置や手術。
あるいは危険な疾患を扱うというのもあるのだが、
やはり、多くの患者さんをあつかうから
おこる事故が多い。
たとえば患者さんを取り違えて
手術をしたという事故。
中小の病院で
1日1件や2件の手術数では
とうてい起こりようのない
ミスである。
異型輸血(血液型を間違えて投与すること)
や抗がん剤を間違えて投与することは
中小の病院で
輸血件数が少ない病院や
抗がん剤を投与する件数が
少ない病院では起こり様のない
ミスである。
(輸血の血液が病院内に一つしかなかったり
抗がん剤を投与する患者さんの人数が
少ないと、間違えようがない。
職員も患者さん一人、一人を認知しているから
人を間違えることもまずない)
今は、患者さんは、アームバンドを
つけられ、完全に
コンピューターの支配下に
おかれて、昔に比べて格段に
間違いのない様なシステムになっている
にもかかわらず、
さほど、死に至る事故が
私の若いころに比べて減ったとは
思えないのである。
ヒューマンエラーとは
それをはるかに越えたエラーなのである。
機械を導入したところで
ヒューマンエラーは起こる。
それどころか
我々からすれば機械に頼ることでの
エラーが怖い。
機械が正しいと信じ込む
最終的には
指さし確認と、職員との
応対返答である。
若いころは
システムコンピューターなどなく
さらに、パワハラくそくらえの時代で
今より個人個人の教育が徹底して、厳しく、
輸血は、主治医が直接、確認して行ったり
抗がん剤を投与するときは
自分で調合したり
横で見ていたあるいは、
自分で投与する
様に徹底、教育されていたし、
手術には
必ず一緒に手術室にはいり
手術室で麻酔をかける前に
本人と話しをするという
教育が厳しく行われていた。
つまり、患者さんとの
つながり、コミュニケーションを
するようにしっかり教育されていたのである。
だから、
じじいの医者、
危険な場面を潜り抜けてきた
医者としては、
老婆心ながらいいたい。
機械やシステムに頼るな。
主治医は患者に(その主治医精度が薄れている)
責任をもて
事故は必ず起こる、
ミスは必ず起こる。
それを死に至らしめないのは
人の行動。人の責任感
だけなのだ。
もう一度原点にもどって
人と人とのぬくもりを感じる
仕事をしないと
機械に頼っていたのでは
かならずまた同じ
ことがおこりますぞ。
例えば、
荷物を運ぶのに
発送する人が
直接、受け手のことを熟知して
(たとえば友達なんかに)
受け手の所まで持ってゆくと
間違いはないだろうが、
大量の荷物を
それを何人もの他人の手を通し、
機械にいわれるまま配達したら
どこかげミスが起こるのは間違いない。
と、小さな子供が
亡くなったいたましい事故に対して
真面目に真剣におもったのでした。
秋の夜はつるべおとし
秋の夜はつるべおとし
というが、
これは、夕方日が暮れるのが早い
ことを言うことわざであるが、
もし、これが、本来の意味であるなら
冬の夜はつるべ落としとなってしまう。
大体、高松でいえば、
日の入りが一番遅いのは6月の30日前後で
19時20分。
日の入りが一番早いのは12月の3日前後で
16時54分である。
秋の夜はつるべおとしと
感じるのは、
その、日の入り時刻だけでなく
毎日の日の入りの時刻の変化が大きいことが
理由になっていると思われる。
日の入り時刻の差は、地球の回転軸が
太陽の方向とずれていることから
起こるのだが、
そのおかげで、
(詳しく話すと大変なので省略)
日没時刻の変化が秋のこの時期になると
大きくなってしまうのだ。
たとえば、6月下旬の日没時刻は、
6月15日には19時18分
6月19日に19時19分
6月23日に19時20分
そして
19時19分になるのは7月7日と
日没時間の変化が非常にゆっくりなのである。
しかし、秋分の日近くになると
3日で2分ほど変化するのである。
つまり9月10日には
日没が、5時43分なのだが
2週間後の9月24日には
5時53分と
2週間で、10分も日没時間が変わってしまう。
その、毎日毎日、日が暮れる時間が早くなってしまう
ので、人間の心理的に
秋の夜、日が暮れるのが
早くなってしまうと感じるのである。
暑けりゃ暑いで、
涼しくならないかと
まち焦がれる秋ではあるが。
なったらなったで、
淋しいものである。
別に夏に特別いいことがあるわけでもなく
秋に特別わるいことがあるわけでもないのに
なにか物悲しい。
(大学受験の時には1月の共通一次試験に
むけて、秒読みに入るじきで
あせりこくっていたが。。。。)
これは、寒い冬、
食べ物が減ってしまう冬に向かうという
とおい祖先があじわった
動物としての本能が
遺伝子の中に組み込まれてい
いるからに違いない。
それにしてもこの時期は
MRさん(訪問してくるお薬やさん)が
よく転勤になる季節
どういうわけか、医療業界は
4月と10月に移動があるのだが
10月は特に多い。
私も若い時は、9月になれば
転勤の命令が(あえて命令というが)
でる時期でそわそわしていた。
最近は、MRさんの回転が速く
馴染みになる前に
転勤になってしまう。
転勤になって淋しくなるというよりは
医療業界が苦しくなって、
MRさんの回転が速くなったり
人数自体がへる
医療業界の秋の方が
淋しくて、ものがなしい。
HER-SYS
今、問題になっている
新型コロナの全数把握。
当初から、HER-SYSという
厚生労働省が立ち上げたシステムなのだが
今、問題になっているのは
これ。
ただ、全国の知事がいきり立って
これをやめさそうとしているが、
個人的には
どうしてそこまでうるさく
いっているのかがやや不思議な
感じもする。
HER-SYSというのは
どういうものかといえば
病院で、陽性者がいれば
それに登録する。
住所、氏名、年齢、電話番号
の個人情報を入れた上に
現在の症状、その人のリスク
(年齢、既往歴など)
血液の酸素濃度、
ワクチン接種の回数、種類
想定される感染の場所や形式。
確かにわずらわしさはあるが、
自分としてはそこまで、、という感がある
当院でも一番多い時は8人の陽性者がでたが、
登録するのに一人1分ほどですむ
(若干いい加減なので、重症度が高くない人は
若干適当にいれているところもあるが、、、)
実のところ一番厄介なのは
発熱の患者さんをみることで、
一人の患者さんを診るのに
かなりの時間と労力を費やすこと。
防護の恰好をして、
そのまま、診察をして、
検査をして、また防護をして
話を聞き、処方をする。
それに他の患者さんの数倍の労力を費やすのだ。
もう一つは、経過観察。
患者さんの状態を
保健所が忙しくて後追いができない
ので、
いつも、診ている患者さんを中心に後追い
の観察をしていたが、
それが、1日に2回、電話で熱や体の状態を
聞いてそれを記録して、
HER-SYSにいれていたのだが、
これも最大13人ほどみていたので、
この聞き取りと対処、
HER=SYSへの入力に朝、夕1時間づつぐらい
時間をとられていた。
これらの事にかなりの時間をとられていただけであり
後は、保健所との連絡、
一般の回線と同じであるから、
なかなかつながらない
これらの事に時間を費やすのであって
最初の今、問題になっている
HAR-SYSの
最初の入力に対してはそこまで
不自由を感じたことはない。
テレビで知事たちがいきりたって
全数把握をやめようとしているのは、
保健所の仕事を減らすことと
全数把握で、
日々、数字がでることで、
自分たちの政策を責められるからではないだろうか。
本当の現状を知らない知事たちが、
誰かに言わされている感が強くでいけない
それを、医療現場が困っていると
いつものことながら
医療現場の負担という
ことにして
医療現場という言葉で、われわれが、
また利用されている感が
強くてならない。
大体、がこういうこと自体が
本末転倒で、
感染者数が少ない時は何も言わなかったのに
感染者数が増えたらこういうことを言い出す。
決して、悪いシステムではないのに
数がふえて困りだしたのでこういう風になる。
なんだか、本末転倒で、
先ず、感染者を減らせ!!
というのが、私の言いたいことで、
このままの感染者数では、
コロナ対策に金がかかりすぎる。
社会を回すために
結局莫大な税金を投入しているのだ。
(コロナ対策には莫大な
金がかかっています。
それも底が尽きたから、
金を減らせるところを減らし始めているのだが)
結局、HER-SYSも
この費用減らしの一環かもしれないが、
このままの感染者数では
いろんなことを中止しないと
あとあと、莫大な増税の
波がやってきそうな気がする。。。。。。
秋の気配
コロナコロナで毎日毎日
。。。。。。。。へとへと
今、発熱の患者さんを
1人見ると、一般の患者さんの
5倍以上の労力を要する。
。。。。。。。。。。
また、裏の施設にコロナが
入らない様にするために
労力を費やしてやっとふせいでいる
てなわけで、今回は
ブログを1回休みにしようと思ったのですが
せっかく毎週書いているので
今回はハーフサイズで、
盆がすぎるてからというもの
空をみあげると
やっと、秋の気配をかんじられる
様になった。。。。。
朝の気温が少しさがり、
湿度が若干下がってきている。
今年の厚さは、この年にはこたえた。。。
元気がありあまっている子供の頃は、
感受性も強く
いまよりずっと感覚もするどかった上に
ずっと実家にいたものであるから
ちょっとした日差しの窓からの
入り方や
その柔らかさに季節を感じたものだった。
また、甲子園の閉会式の
“くーもは、わーき、光あふれてー――”
を聞くと夏が終わりにちかづいていることを
感じたものだった。
夏休みが終わりに近づくことを
感じるものは、
なんだか、いやというか淋しいものを
感じたものだった。
だいたい、
見上げた雲に秋を感じるのは
秋に特有の雲が見えるから。
秋になるとどうしても
上空に入りこむ(かなり上)
空気の温度が下がるものだから
高層雲がでてくる様になる。
また、湿度が低下してきて
空の清み方が強くなってきて
より青く見え、高い雲も見える様になってくる。
また、暑い地上からの上昇気流によってできる
入道雲の様な雲も減って、
上空の雲が見える様になる。
だから、

。。とか(鱗雲)

とか(筋雲)が
見える様になってくる。
もう少し立つと
上空に寒気がながれこんだら
飛行機雲がたくさん見える様になってくる。
暑さが過ぎるのはいいけれども
もう1年の2/3が過ぎたとおもうと
なんだかむなしくなってくる。
秋の気配。。。。。。。オフコース
サヨナラ夏の日。山下達郎
晩夏。。。。。。。。。荒井由実
なんか聞いて暗くなろうかな。。。。。
晩夏のたわごと
最近は、夏というのにやや
不安定な天気が続いている。
しかし、8月も19日になって
朝、ややすずしく、空の雲は秋の雲がでていて
やっと暑さが少しやわらぐという
安心感と
もう、秋がやってくるのかという
さみしさが入り混じる今日このごろ
皆さんは、いかがお過ごしでしょうか
今、空では雷がなっているが、
最近はやや雷が多い。
最近あるいていて雷が
なってびっくりして
恐怖も感じたが、
遠くで光っている分には
壮大な花火を見る様で、、、、
大体、雷というのは
雲の中の静電気で発生するといわれているが、
実のところ、
詳細なところは分かっておらず
今でもいろいろ新し発見があるらしい。
音速は約330m/秒だから
光ってから10秒ほど
音がきこえたら3Kmぐらいのところ
で落ちたのだなとか
光の方向を見て
今、丸亀は嵐なだとか、塩江は嵐だな
とか悠長にみている。
自分がいる。
天気の移り変わりが激しいもんだから
以前より天気予報を見る様になったが、
ぼんやり、ニュースの天気予報を見ていたら
各地の天気予報がでていた。
那覇、鹿児島、福岡、高知、広島、大阪、、、、、
どこの天気を見たらいいんじゃ!!
広島は、太平洋から豊後水道を通って
風邪がふくから気候が独特だし
近畿地方も地形上独特な天気になる
四国の人間なら、高知と高松では
気候が全然違うのを知っている
最近は、ゲリラ的な豪雨がおおく
時々
明日24時までの降水量が
九州北部、山陰で○○mm
四国で○○mm
近畿地方で○○mm
の大雨の予想が予想されています。。。。
四国を一つにするな!!
四国山脈の太平洋側と
瀬戸内側では
全然天気がちがうんじゃ!!!
九州を南北にわけるなら
四国もせめて2つに分けろ!!
関東地方の人間には
四国の天気なんてどうでもいいのだろうが
四国には四国の意地がある。!!
早明浦ダムの水が減少したとき
四国の水がめがひやがっています。
というニュースがながれていたが、
どうも耳障りな感じがした。
まるで、四国には真ん中に
早明浦ダムの治水地があって
四国の人間がみんな
そこから、ひしゃくで水をくんで
飲んでいる様ないいかた!!
(ちょっと卑屈すぎる?)
所詮、四国の人口は、360万ほど
全国の1/30程度
香川県の人口なぞ
東京の1/10程度で
世田谷区程度
どうせ、、、、、、、、、
と、このコロナ下卑屈になってしまう。
毎日、5人以上コロナの陽性患者を
見ていて、毎日、へとへとに
なっているなか
高松まつり、
阿波おどりでのクラスター
そしてモンスターバッシュの開催
けれどお年寄りは、きおつけてください。
どないせーちゅんや!!
とさらに卑屈になる毎日でございます。
医療崩壊は今の方が凄い。
2年前、あれだけ医療崩壊を
さけんでいたマスコミは
それに対しては沈黙。。。。。
今、コロナ陽性者を見たら
保健所にれんらくして
Her sysという厚生省のシステムに
入力するのだが、
まず、保健所に連絡するのに
なかなか電話がつながらない。
電話がつながって
“上里の院長です”というと
電話の向こうの声がホットした
声になる。
苦情の電話が多すぎて
苦情の電話ではないとわかると
ホットするのだ。。。。
確かに2年前は、
保健所がまったく危機感がなく、
病院側がいだいている危機感が
伝わらず、悠長にかまえていて
激怒したことがあったが、
今は、かわいそう。。。。。
実は、保健所だけではない。
今、当時より恐ろしいぐらい
医療崩壊が起こっているのである。
まず、
患者さんを送れないのである。
それどころか通常の
患者さんさえ診れなくなっている
最近は、消化管出血の患者さんを
送るのに5つの病院に
断られてやっと送れた次第。
それは、なによりも
従業員の不足にある。
どこの病院も
職員の休みが増えている。
当院や介護施設でも濃厚接触者はいないが、
病院なので、濃厚接触者の
接触者も数日状況が判断できるまで
休ませている。
(そんなのお構いなしにやっている
病院もあるが、、、、)
当院に限って言えば、5人の
職員の1人でも欠ければ
もう大変。
100人の従業員の会社なら
20人休むことと同じなのである。
そのうえ発熱患者さんの増加で
もう、くたくたである。
(発熱患者さんが来ると
防御したり、検査したりで
そのうえ陽性者であれば
保健所への報告や
先にいったhersysという
システムに入れるのやらで
10倍の労力と時間がいる)
当院は、介護施設を見ている関係で、
当初からコロナの検査をしている
のだが、最近は、保健所からの依頼も
ふえて、手が回らない状態。
末端の診療所がこの状態であるから
もう完全な医療崩壊といっていい。
その上で、医療関係者の思いは
世間が、こんなに
行動規制していないのに、
我々は、以前よりまして、
行動規制している。。。。。。。
近所の飲食店が
満員だったり、
ホテルに県外ナンバーの車
がたくさんとまっているのを
みると無茶苦茶複雑。。。。
当院では、かかりつけの人
のワクチンまで
引き受けてしまったので
もう限界を通り越している状態。
当時から、
無茶苦茶、疑問に思っていた
医療関係者に感謝という
われわれからみれば
なにか、妙な押し付けの様な
感謝が、今、一番頑張っている
時に、非難の様に変わってきている
のが、私にしてみれば
思っていた通り。。。。
という今週も愚痴の
ブログでしたが、、、、、
今、本当に病気にはなれない
状態ですから。。。。
お気をつけあそばせ。
猛暑のおり皆さまいかがお過ごしでしょうか
今年は、暑いとおもっていたが
おそらく、年の制で余計、暑く感じているので
あろうと思いきや、
実際に今年は暑いみたい。
これじゃ、世界の氷河がとけるはず。
このままじゃ、冬は来ないな。。。
っておもっていたら
やっぱり冬はくる。
しかし、以前から言っていた様に
春や秋が少ない。
あつい、あつい、あつい、といっていたら
急に寒い、寒い、寒いになってしまって
丁度よい季節がどんどん少なくなって
しまっている様な気がする。
世の中、どんどんコロナに対して
緩んできてるし、
(え?高松まつり?)
保健所はお手上げしたし、
あらゆる介護施設にコロナが入っている中、
奇跡的にコロナを防御していたが、
ついに防衛線を突破されるし
(速攻でクラスターになる前に制圧しましたが、、、)
もう、こちらの負担は増えるばかり
大体一人、発熱患者さんをみたり、
特にコロナの患者さんをみたら
てつづきやら、健康観察で大変。
患者さんは、少ないのにやることは増えるばかりで、、、
そんな中、ニュースで高松市長が、
うち水 の行事をしているのを見て
????????
タメ息。。。。。。
と、愚痴はここまでにしておいて。
事務の子が
“天の川をみたことがない”というので。。
。。。
基本的には夏は条件が悪い。
夏は水蒸気が多くて
シーイングといって
見通しが悪い。
(冬の寒い日が見えやすい)
さらに、街中は、街の明かりが
水蒸気に反射して
非常に☆が見にくい。
(田舎の空がいい)
最大の見えない理由は、
実は、想像しているものと見えるものが
違うとこにある。
おそらく、初めて見る人は、写真や絵の様な
ものを想像して、空を見上げるかもしれないが、
街でみえる天の川は、そこに
天の川があるということをしって
じーとみつめていればなんとなく
ぼんやり見えるぐらいのものである。
ただし、夏のそらには夏の大三角形という
非常にいい目印があるから
位置を確認しやすい時期ではある。
天の川というのは、
銀河系の沢山ある☆を
星の円盤の中から
周囲をみて見える星々である。


大体、こんなにハッキリと見えるはずがない。
とにかく見ようとするなら、
1.風がやや強い日(台風の後がえやすい)
遠くの山がくっきりと見える日
(できれば朝に近い方が見えやすい)
2.できるだけ周囲が暗い場所で
(しばらく目を暗さに慣らしておく)
そして
3.夏の大三角形の
白鳥座のお尻の星から
彦星と織姫の星の間を
じっとみていると、周囲の黒い空より
やや薄雲がかかった様な
帯が見えてくる。

これがみえなかったら
オリオンが上がってくる
冬まで待ちましょう。
今日も、朝病院にきていたら
讃岐山脈の向こうに
大きな入道雲がでていて
早速、病院についてからしらべたら
高知市近くの入道雲だった。
へーー――――
と、朝から、
小さな幸せをかんじているのでした。
7月の上旬に、
病院で ”今年はセミの鳴き声がすくないなー“
といったとたん
一斉にセミが鳴き始めた。
“あんなこと言わなきゃよかった。。”
“あつい”
暑さを倍増する鳴き声である。
シャーシャーシャーシャー
と明らかにクマゼミ

朝になく習性なので
とにかく、朝がうるさい
家の庭の一本の木に
取りつき
多いときには10匹以上
止まっていることがあるから、
とにかく朝は、まどを開けれないほど
うるさく鳴いている
シャーシャーシャーシャーと
暑さ倍増!。
こどもの頃は、いとこのところへいって(脇町)
毎日、かごいっぱいになるまでセミを捕まえていた。
あのころはアブラゼミが多かった気がする。

そういえば
鳴き声をきいていると
アブラゼミが減ったような気がするが
調べてみたら、原因はよくわからないが
西日本、特に瀬戸内地方では激減してるらしい。
また、セミの代表の
ミンミンゼミの
声も聞かなくなったような気がする
(東北地方が主力で生息しているらしい)
あと、前の3種類ほどはでではないが、
昼間にニーニーゼミがいる
この年になれば、
セミの鳴き声か
耳鳴りかがわからないような
鳴き方をする。
ご存じの様にセミは
成虫になるまで数年間かかり
成虫になると2週間ほどで死んでしまう。
それを考えると
地球上の生命というのは、
やはり、偶然の産物で、
生きているというより
生かされているのだという
悲哀を感じてしまう。
悲哀といえば、
セミの鳴き声も、
暑さがすぎれば
盆のころより
そして、夏の終わりをかんじさせる
ツクツクボウシ
(やや発現が他のセミよりおそい)
そして夕方を感じさせる
ヒグラシ
(夕方近くになく習性があるようだ)
の声を聴くと
夏の夕方や、夏の終わりを
感じさせる悲哀を感じる。
この暑さは、早く過ぎてほしいものの
時間はもっとゆっくりすぎてほ
検診での透視はいつまでするのだろう。
今年も検診が6月から
あっているのだが、今年も
胃の検診で透視を時々やっている。
当院で、透視を希望される方には
説明しているのだが
胃の透視はとても細かいところまでは
分からない。
私が若いころは、まだ、透視が
重要視されていた。
と、いうのも、一つは、内視鏡が
いまほど普及していなくて、
内視鏡をできる医師もすくなかった
また、一般的な開業医では
透視の装置すらないところが沢山あった。
そんな中で胃がんを見つける方法は、
透視に頼るしかなかった。
私、若いころ胃班にいたものだから
透視の当番が当たると一日中透視
レントゲンを浴びすぎて昼過ぎには
気分が悪くなっていた。。。。
そんな時代。
当時は、小さな病変をだすために
精密透視といって、鼻からチューブを入れて
造影剤や空気を出し入れしてまでして
小さい病変を透視で見つけていた。
そんな、時代に生きていたので
上手いとはいわないが、下手な方ではないと
思っている。(私よりまだ上の人は私より上手かも
しれない。)
また、検診を中心にしている病院は、レントゲン技師の
人が透視をして、医者がその結果を読んでいる。
透視は、結果を見るより
やりながらおかしいところを見つけて、
そこを中心にいろんな角度から見ることが多い。
それでも大きな病変を見逃すことが
多々あった。
(丁度、胃を見るのが透視から内視鏡に
うつりつつある時代に
両方検査して比べる機会が結構あったので
結構大きな病変もうつらないことが
あることが経験的にわかってきた)
それよりもなによりも
内視鏡の制度の上昇である。
もともと、
内視鏡は、光ファイバーをつかって
手元でその像を見る装置であったのだが、
ICDカメラの進歩は目覚ましく
さらに、今は偏光技術の進歩で
ほとんど今までにはとても見えなかった
病変が見える様になった。
極端な話、
透視では描出不可能な平坦な
病変の色調変化だけで
病変を見つけることができる様に
なったのだ。
さらに、さらに、
専門的なことを言えば
今、胃のピロリ菌感染率が
激減して、今、胃の病変で最大の問題は
ピロリ未感染の胃の病変や
ピロリ除菌後の胃の病変の検出なのだが、
こともあろうに
これらの病変は、非常にわかりにくい
病変が多いのである。
さらに付け加えて
小さな病変であれば条件がそろえば
おなかを開けずに内視鏡で切除できる。
そんなこんなで、
検診で透視をする意味が
だんだん薄れてきている。。。。
最大の問題は、お金
内視鏡の機械をかえば高級外車が十分帰る
また、内視鏡一本買うと国産の普通車が買える。
つまり、内視鏡室には
高級外車と国産普通車が
並べてあるようなもの。
だからどうしても内視鏡をすると
お値段が高くなってしまう
(透視の機械も高級外車が買えるけどね)
だから、内視鏡をしたいわけではないけれど
どうせ、胃の検査をするなら
内視鏡をおすすめします。
だって箱の中のものを
外から見るのと
中から見るのでは大違いでしょ。
中途半端な夏がやってきた
なかなか変な天気がつづきますが
皆さまいかがお過ごしでしょうか
最近は、そのおかげで、
大気が不安定で、
病院の窓から周囲を見渡すと
ドッカン、ドッカンと
入道雲がでているのが見える様に
なりました。
入道雲の思い出といえば
子供の頃
讃岐山脈の上に湧き上がる大きな
入道雲や
岡山の方向に出る
入道雲が上空で高松まで伸びて来たり
夜に岡山方向に稲妻が光るのが見えるのを
思いだす。
雷の直下にいると大変だけれども
遠くの雲間に光る稲光はなんとも美しい。
この季節の入道雲を見る私の小さな小さな楽しみは、
入道雲を見て、どこに発生しているかを
確かめること。。。。。。
私、基本的にバカなので
遠くを見ることが好きで、
讃岐山脈の間から見える遠くの山を見て
どこの山が見えるのか、をよく調べていた
高松は、どうかしたら
讃岐山脈の間から剣山が見えるところがある。
この坂出からは場所によっては
石鎚山が見えるところがある。。。。。。
ということをこそっと楽しんでいる
湿度が低くてカラットした腫れた日には
それらを探してしまう。
同じ様に
入道雲がでたら
ネットで雨雲レーダーを見て
どこで発生しているか見る。
医院からいえば
五色台方向のかなたに出ているのがみえると
神戸だったり大阪だったり
基山方向に見えると
綾川だったり、遠くは、脇町だったり
岡山方向に見えたときは
岡山上空だったりどうかすれば
鳥取の上空うでできた入道雲だったりする。
久米川病院にいたころは、和歌山や奈良、
高知で出来ている入道雲なんかが見えて、
今頃、神戸や奈良は大雨だな~なんておもって
かってに楽しんでいた。
というか、遠くに見える入道雲の下は
京都だなんておもうと
あんなに行くのに時間がかかる場所が
あの雲の下にあるんだと思うと
なにかしら旅愁を覚えるのである。
こんなバカなことで楽しんでいるのは
私だけかとおもいきや
山に関しては、カシミールという
有名なソフトがあり、
どの地点からどこまで見えるかという
ソフトがあって
富士山が北は福島から見えるとか
西は和歌山から見えるとか
ソフトでさがして写真を撮っている
人までいる。
究極でいえば、天文観測もそうかもしれない
あの空に見えるかすかな光が、
とてつもなく遠くからやってきているんだ
とおもったり
何十年、何百年前に
その星から発せられた光だとおもうと
なんとも不思議な
感触をえるのである。
日常の忙しい日々のなか、
コロナで陰鬱となった雰囲気のなか
入道雲をみたら
ネットの雨雲レーダーを見て
そういう楽しみをしてみるのもいかがかな。
追伸。。。。。。。。
空をながめて
飛行機がとんでいたら
ネットで、(フライトレーダー24)
何の、どこの会社のどこからどこまで飛ぶ
飛行機がすぐリアルタイムで検索できる。
それもまた
いとおかし。
今週は、大変な事件が
今週は、安部元総理の殺害事件という
あまりにもショッキングな
事件が起こりました。
いろいろな思いや、意見があろうかとは
おもいますが、
一個人としてではなく、
医者として感じたこと。。。。。
(救急にたづさわったことがある
医者としての冷静な目でいえば)
あの状態で血液を多量に輸血しながら
手術して
もとにもどそうとしたこと
に驚きを隠せなかった。
医者の目からすれば
倒れた写真をみると
ほぼ即死状態。
“AED”という声が
とんだといいますが、
以前にもいったとおり
AEDは魔法の道具ではありません。
ある、一定の不整脈の状態に
反応する機会であって
決して心臓が止まっているのを
動かす魔法の機械ではないのです。
心臓が止まっていたらこそ
通電できないのです。
それを通電できるのは
カウンターショックという機械で
AEDでは無理です。
そのうえ、あの状態では、
おそらく心破裂か大血管の損傷による
大量出血による心停止がおこっている
のでAEDが無効であるどころか
心マッサージもおそらく
ほとんど効果がない状態と
かんがえます。
(ながれる血液がない状態で
心臓マッサージをしても
頭に血がいかない)
(下手をすれば止まりかけの
心臓、傷んだ心臓を破裂させて
しまいます)
そこで即、脳への循環が
たたれているために、
奈良県立医大に到着した
ころには、どうあがいても
脳死状態なのです。
それを無理やり大切な
血液を大量に使いながら
心、血管の損傷を治そうとした
というのがとても信じられなかった。
まちがいなく、一般の人では
しないことなのです。
おそらく上からの至上命令で
しかたなくしたのだとは
思いますが、、、、、、
おそらく銃撃が手術室でおこっても
たすけることは不可能だったと
推測されます。
医者というのは
現場の真ん中でいたら
興奮状態になって
目の前の患者をわき目もふらず
どうにかしようとすることがある。
こういう事件を見ると若いころの
経験が走馬灯の様に頭に浮かんでくる。
若いころ、麻酔科にいたとき
出血の緊急手術で麻酔をかけていて
出血のために心停止して
なにをしても心臓が動かなくなった
ことがある。
術者に心停止をつたえても
ずっと手術をつづけていて
手術をやめさせたことがある。
ほかにも自殺で
下大静脈を17cm切ってきて
(おなかの中の大きな血管)
緊急で手術をして
その時は助手だったので
いろいろしていたが、
出血が多すぎて
血がまにあわなくて
普通の点滴をどんどんいれていっていたら
ほとんど出てくる血が
水の様になって
どうしようもなくなって
術者にもうあきらめるように
手術を止めさせたこともある。
それもこれも
また、医者になって1年目の時に
自分の持ち患者さんが
手術中に大出血を起こし
その時はなんとか命をとりとめたが
ほとんど脳死状態になってしまって
忘れがたい経験があったからかも
知れない。
命の大切さと
救命の引き際は
医者として
永遠の葛藤の様な気がします。。。
と今週は真面目にかんがえたりして。
干ばつがやってきた
香川県人のあるあるで
毎日、この時期になると
早明浦ダムの貯水率を見てしまう。
だいたい、新聞に毎日ダムの貯水率が
のっていたり、
ローカルニュースで
毎日ダムの貯水率を流したりするのは
香川県だけではなかろうか。。。。
家にポリタンクが常備されている
県も珍しいのではなかろうか。
また、庭の木への水まきや
洗車を周囲の目を気にしながら
する地方もこの地方
独特のものかもしれない。
昔、高松砂漠といわれた
1974年、
大変な断水の状態であったのだが、
実をいうと、私の家は断水しなかった。
というのも、私が住んでいる藤塚町の3丁目は
もともと沼地で周囲より土地が低い
(そのおかげで大雨ですぐ冠水するのだが)
その上に病院だったので
地下に貯水タンクがあったおかげで
断水になっても周囲の水道管の
水が流れ込み
断水にならなかった。
(井戸水は赤さびが強く使えない)
そのおかげであまり苦労しなかった。
今思うと、高松市民は
あの小さな内場ダム
(郷東川の上流、塩江の奥)
に頼っていたのだから、
心もとなかったのだ。
1975年に香川用水が
完成して、
安心した香川県人は
どんどんため池を埋めて行ったのだが、
いざ、水不足になると
唯一吉野川がながれていない
香川県にはすぐ取水制限をされてしまう。
あさはか、あさはか。。。。
早明浦ダム、池田ダムができると
子供のころの吉野川の水量が
おちて、なんだか寂しかった覚えがある。
今では大きな堤防ができているが。
脇町はその昔は、
洪水の時は、あのうだつの
街並み付近まで水がきていたらしい。
その次の
1994年の渇水は
大変だったらしいが、
私は、九州にいたため
経験していない。
そのおかげで、2005年の渇水の
時は、なにをどう用意したらいいのか
わからなかったので、
ポリタンク、大型のポリバケツ、
ひしゃく、紙のさら、サランラップ
水、そして風呂の水くみのポンプ
なんかを人に聞いていち早く用意したら
確か、その直ぐ後で台風がきて
一機に水不足が解消した。
ことしは1994年より悪いペースらしいが
どうなるのだろうか。
本当の渇水を経験していない私は
やや心配なのである。。。。。。。
そろそろ水を買おうかな。。。
そうすれば雨が降るという
ジンクスがあるのだが、
今回はどうだろうか。。。。
滝宮で雨ごい祭りでも
してくれないかな。。。。
記憶の連想ゲーム
かの魯山人が
いろいろな料理を食べた上で
最終的に行き着いたのが
たまかけごはんだったようだ。
今でも時々食べることがあるのだが、
みんなしているとおもうのだが、
卵に醤油と味の素をかけて食う。
これが、はらが減っている時にたべると
うまい。
味の素といえば
昔(今でもある様だが)いの一番
という味の素のまがい物の様な
ものがあった。
これがまた、似て非なるもので
玉掛けに味の素のかわりに

かけるとおいしくない!!
つまり味がいまいちであった。
そういえばいの一番は
武田のマークがついていたが、

かの武田薬品工業。
今や当時の勢いはなくなっているが
昔は“タケダ、タケダ、タケダ、、、、、、”
とテレビでよく宣伝があっていた。
タケダ食品といえば
プラッシ―

お米屋さんが持ってくる
って売っていた。
今では見かけないが
そこに何か黄色い者がたまっていて
振ってから飲んでいた。
プラッシ―といえば
バヤリースや
リボンシトロン


これがまた、独特な
味で、すきだったのだが
どこにでもはなく、
私の思いちがい
かもしれないが
ヘルスセンター、ドライブイン
的なところでしか
見かけなかった。
調べたらなんと
“チクロ”
(合成甘味料で毒性が指摘されて中止)
のためになくなったらしい。
ドライブインといえば

見たいなところが
道沿いにたくさんあったが、
今は廃墟になっていることが多い
今は、皆コンビニにはいるのだろうか?
昔のコンビニといえば
雑貨屋さん
子供の頃斜め前が
もともと酒屋さんであったが、
小さな店だが
なんでも売っていて
酒から野菜、お菓子、洗剤、
小型のスーパーといったところだろうか
私はそこで売っていた
あんこの櫛団子が好きで
時々買っていた。
朝早くから夕がた遅くまであいていたので
昔は、こういう店がコンビニとして
街にいっぱいあったのに。
幼いころに高松の田町に
マルナカができて
常盤街にダイエーができて
こういう店が減っていった。
私はこうやって、時々
昔のことをおもいだして
ボケる前に
書き留めて残している。
せっかくの記憶が減ってくるのを
ふせぐため
ぼけ防止のために
つばめがすぐいなくなっちゃった。
3週間前に燕のことをかいたのだが、
卵から雛がかえって
大きくなったら
直ぐいなくなってしまった。
2週間といったところだろうか。
だいたい巣立ったらどうしているのだろうか
調べてみたら、どうも
集団でいる様だ。
産卵期間は4月から7月
年2回産卵するものもいるらしいが
ほぼ一回
卵を抱く期間はぼぼ2週間
雛から巣立ちまでは
ほぼ3週間らしい。
寿命は3年~16年らしいのですが
(天敵にやられて1年でしんでしまう
個体が多いらしい)
巣立ったらどこにいるのだろうと
おもうのだが、
水辺なんかに
集団で、数千匹から数万羽で
集団をつくって生活している
らしい。(みたことがない!!)
以前よりずいぶん減ったような気がしたのだが
やはり個体数は減少している様で
水田の減少や(虫がへった)
先ほど述べた水辺の居住地が減少した
ためと言われている。
また、都市の中では天敵とも言える
カラスの増加もその一員となっている様だ。
基本は、渡り鳥で
2月下旬から3月に鹿児島県につき
徐々に北上し、
繁殖をすると8月から10月になると
越冬地にわたって行くらしい。
越冬地は、台湾やマレーシア、
果てはボルネオやオーストラリア
まで飛んで行くらしい
越冬つばめということばがあるが、
はたして、越冬していうのか、
北の方からやってきて冬を過ごすのかは
分からないらしい。
ただし温暖化の影響で、燕に限らず
渡をやめてしまう鳥が増えてきているらしい。
だいたいなぜ、命をかけて
渡をするのかわかっておらず
越冬地では、繁殖期エサ取りの他の競争相手が多すぎて
競争相手が比較的少ないところに
わたってくるとか、
氷河期の餌のない時代から徐々にはじまったとか
はたまた、大陸が1つだった時から
分裂するになるまで
徐々にそうなったとか
かなり壮大な説があるが、
ハッキリしたところは不明である。
また、燕は他の鳥と違って、
なんと単独で
渡りを行うらしい。
また、鳥目なのに
夜飛ぶときは星をたよりに飛ぶらしい
尚、燕の巣に卵があったり
ヒナがいるときに壊したら
(中にいないときはよい)
鳥獣保護法で罰せられ、
1年以下の懲役か100万円以下の
罰金になります。
(実は、燕の雛が育っている時
こそっとBB弾で当たらない様に
カラスを追い払った)
当たって傷ついたら懲役刑だ!!
やば!
ついに体重が
ついに体重が最高記録に達した。
私、顎が小さいので
見た目より体重がない様に見えるのですが
かなり体重が重いのです。
時々、同じぐらいの身長の人で
体重を測定すると
ときどき“わーこの人より重いんだ”って
おもい知らされます。
食事の指導をしているのにこれはまずい。。。。
以前にも体重のことはしゃべりましたが、
もう一度。
外国のセレブでも
日本の俳優でも
この年になるとみんなふっくら。
それだけ年とともに
基礎代謝がおちるのです。
60歳をこすと予想以上に激しい。
1kg太るのには
約7000カロリー必要です。
しかし、基礎代謝が1日50カロリー減っただけで
計算上は、120日で1キロ
1年で3キロ太るのです。
同じ生活をしていれば1年で3kg
太ってしまう。
若い時にがりがりだった人が
ずっと同じ食べ方をしていると
20歳まではカロリーをどんどん
体を作るのに使用していて
やせていたのが、
20代になると
なんとかその活動性の多さで
体重を維持し、
20代後半になると
基礎代謝が落ち始めて
太ってきて
30代はもう大変。
そのうえ、結婚なんかしたら
しっかり食べるようになって
激増。。。。
というのはよくあるパターン。
いろんな宣伝で
1か月で5kgやせた!!
なんて理論的にいけば
ほぼありえない。
1日平均で毎日1200カロリーは
マイナスでないといけないので
ほとんど絶食状態。
ありえない。!!
毎日体重で一喜一憂しても
ほとんど水分量で、
人間の体は60%は水分でできていますから
毎日体重変化はほとんど水分量です。
若い時、熱い夏の日に1日練習を
していたら5kg近く体重が減ったことがあります
(ただし練習がおわって水分や食事をとると
ほとんど元にもどっている)
人間は、エネルギーを脂肪にして
いざというときのために
大事に蓄えています。
腹をすかして血糖値をおとして
はじめて
“しかたない貯金をつかうか”
ということになります。
だから結局はおなかをすかしていなければ
いけない。
人類は幾多の飢餓に耐え抜いた
遺伝子をもった者が
生存競争に勝って生き残っているので
太りやすいのはあたりまえ。
健康状態にあると
基本太ってしまうのが普通です。
いろいろ薬で体重をおとしたり
サプリメントで体重をおとしたり
仕様としているあなた。
基本体に悪いことをしていると
思ってくださいな。
基本、健康にやせるのはむずかいしい。
(最近、糖尿の薬で体重を落とす
ことが流行っているようですが、
理論上は1年で1~2kgの
体重低下を見るのみで、それ以上
体重が減っているのは、
薬を飲むことで、そのことに加えて
気合で頑張るからです)
(他のサプリも同様)
人間、頑張ると必ず
達成した時点で終了する。
だからダイエットは
必ずリバウンドがくる。
だから一生できることを
コツコツやらなければ
ずっとやせることはできません。
リバウンドが一番体に悪いのです。
ここまで言ったので
自分で実証しなければ。。。。。
人に指導できない。。。。。
頑張ろう!
あ、頑張ってはいけなかった(-_-
コロナの4回目接種は60歳以上
私も、もうすぐ62歳
コロナの4回目接種では、
とうとう高齢者の部類にはいってしまった。
自分の同級生をみわたせば
60歳定年で、すでに正規雇用では
なくなっているものが大多数。
体はどんどんゆう事を
効かなくなってきている。。。。。。。
あ。。。。。。。。。。。
私、あまりテレビ、特にドラマは
見ないのだが、
最近テレビをつけたら
“今度生まれたら”
というドラマがやっていた。
内容はよく知らないが、
出演者が、松坂慶子、
風間杜夫、平田満
これは、蒲田行進曲ではないか。。。。
3人ともあの
若々しい、エネルギッシュな姿は
ほとんど見ることができない。




おまけに
風吹ジュンまででている。
そういえば、
最近は、
風吹ジュンや竹下景子なんかが
おばあちゃん役で
ドラマに出ているのをよく見る様に
なった。
私も年をとるはずだ。。。。。
うまく年をとるのは
むずかしいな。。。。
でも、この人達は、うまく
年をとっている人達で、
上手く年をとれていない人達は
もうテレビから消えて行っているに
違いない。
そういえば
NHKの他のドラマで出ていた
萩尾みどりには
驚いて2度見してしまった。


自分も、年をとるはずだ。。。。。。
そういえば、ハリウッドスターは
年をとるたびに
整形して
顔がどんどんつりあがっていったり
膨らんだりしている。。。。
でもオートリーヘップバーンは
顔をいじらなかった。

彼女も自分の歳をうまくうけいれた
一人だったのだろうか
私の中では、いまだに
若い時分と老いた自分が
同居している。。。
これからうまく同居してくれればいいのだが、、、、
つばめが巣を作って
最近めっきり燕がへっているが、
今年も、医院の一角に
燕が巣をつくって
せっせと子育てをしている。
昨年は、残念ながら
カラスやすずめに邪魔されて
ひながみんな巣から落とされてしまった。
いま、巣の中には5匹のひながいて
せっせと餌をとって
かわいく口をあける雛にやっている。
今日なんかは、
スズメの群れを1匹で必死に
追い払ったり、
カラスに果敢にいどんでゆく
燕の姿が見られて、
それがとてもいとおしい。
どこかで、子供を虐待したり、
捨てたりする人間よりずっと立派な
親だ。。。
しかし、ふと思うのだが、
私がやっていることって何だろう。
病院って燕で言えばなんだろう。
燕が仲間の羽についた寄生虫をとったり
毛づくろいしたりしている様なもの??
それはまだ、少し想像できる。
介護施設など
飛べなくなって餌をとれなくなった
燕に若い燕が餌をとってきて
やっている様なもの。??
ありえない。。。。。
他の仲間の世話をして
飛べなくなるまで生かして
(寿命をのばして)
飛べなくなる燕を増やして
それを世話する
人間も動物なのだが、
よくよくかんがえる と
動物でいえばありえないことをしている
のだな~というのを
痛感する。
よくよく考えると
人間は、非生産的なことをしているのだ。。
それが、偉いことなのか
いいことなのか、
よくわからなくなってしまう。
それどころか集団をつくって
餌をめぐって
その集団同士で
殺し合いをしている
(ウクライナのように)
燕が他の燕の世話や
飛べない燕の世話をしていたり
挙句のはては群れ同士で
殺し合いをしていたら、
なんとバカな生き物だろうと
思うだろう。
宇宙人からみたら人間なんて
そんなバカな動物としか
見えないだろう。。。。。
燕のいとなみを見て
そこまで考える
今週は鬱気味の私でした。
鎌倉殿の13人
今、NHKの大河ドラマで
鎌倉殿の13人をしているが
三谷幸喜が力を入れて脚本をかいているだけに
なかなか面白い。
なんでだか知らないが、
子供の頃よりほとんどの大河ドラマを
見ている。
私、完全な理科系の人間で、
英語も国語もてんでだめだが、
どういうわけか歴史、地理は
文系の者より得意科目であった。
高校の時は、世界史と日本史が選択で
世界史をとったために
日本史は全然していない。
私の日本史の知識はほとんどこの大河ドラマで
得ている。
ドラマ仕立てであるので
真実とはかけ離れた部分はあるが、
それでも歴史の大筋を見るのには
苦労していない。
かつて歴史小説家の大家である
海音寺潮五郎が、
日本の歴史は、
源平の物語と
武田信玄と上杉謙信の戦い
信長、秀吉、家康の3人を中心とした戦国自体
そして明治維新と
この4つが日本史のドラマの中心であると
いったことがあったが、
さすがに60年近くしている大河ドラマも
もうネタがとっくに切れている。
最近は、これらの人物からそれて
北条時政や明智光秀、そして真田幸村など
の人物が中心の大河がえがかれているが、
俳優や脚本家、今の時代解釈
それにこの見る側の時代の変遷
があるから、
同じ人物を何度取り上げても
いいのではないかと思う。
さすがに、このジェンダーの時代、
女性を主人公にしたり、
ドラマ性が乏しい時代をテーマにしたり
することもあるが、
さすがに面白さに欠ける。
最近は合戦シーンも減ってきたが、
やはり合戦が中心のドラマでなければ
歴史ドラマとしては
迫力がなさすぎるといったところだろうか。
時々、アーカイブ的に
古い大河ドラマを再放送してるが、
(実は、70年代以前のものは
この大河ドラマさえ、ビデオテープの値段が
高かったため、映像がほとんど残っていない)
実に、今みたらセリフや
演技が藤善である。
以前の大河ドラマは、
高齢者までわかる様に
大げさな演技と大声でのセリフが
強調されていたらしいが、
それを加味しても
なかなか、不自然である。
やはり舞台を意識させる様な芝居に
かなり今見ると違和感を感じる。
これも時代の変遷である。
あの世界的な俳優である三船敏郎は
映画でみると
その絵はすさまじいほどのオーラがある。
しかし、テレビにでると
なにか、無骨さが前面にでて
オーラが消える。
逆にあの、舞台ではとびぬけた
名優の仲代達矢が、映画やテレビでは
いかにもすべてが大げさすぎる。
昔、二百三高地という映画で、
仲代達矢と丹波哲郎が共演していたが、
テレビでは大げさとおもわれた丹波哲郎の演技が
映画では群をぬいて自然体でよかった。
仲代達也は映画でさえ
大げさすぎている感が否めない。
そういえば、
3年前の大河の
せごどんで
鹿賀丈史と渡辺謙が2人で向き合い
熱延をふるうシーンがあったが、
渡邊謙より鹿賀丈史の
熟練の演技のほうがすばらしかった。
それからすれば、最近の大河は
技術的な向上もあり
(マイクの性能や照明の性能など)
自然体に近い演技になっていて、
それも面白い。
そういえば、
使っているカツラが、
映像能力が上がってくると
カツラの毛穴がどんどん気になってくる
様になっていたが、
最近は、されにその映像技術の向上と
ともにカツラの技術を上がってきたのか
あまりカツラの毛穴や額の境界、襟足が
気にならなくなってきた。
これはこれで凄いと思わざるを得ない。
最近、テレビの視聴率がへって
番組に金をかけられなくなって
金のかかる時代劇ものは
急激にへってしまった。
その中で、資金力とネームバリューがある
NHKは、
今後も贅沢な俳優陣と
セットで頑張ってほしいものだ。。。。。
4回目のワクチン??
4回目のワクチン接種で世間が
なんだかざわついて来た。
皆さんもそうであるだろうが、
正直、われわれはもっと
うんざりしてきた。
さすがに、4回目をするかどうかは
躊躇する様になってきた。
それも今回60歳以上と18歳以上の
基礎疾患等がある人に限られてきている。
医療関係者さえ、そのくくりがなくなってきている。
個人的な3回接種の感想ではあるが、
3回目のワクチン接種は、
発熱、だるさ等は少なくなる人が多かったが、
腋窩のリンパ節の腫脹などの
副作用というか、反応が強くなってきている。
やはり、モデルナのワクチンは
副反応が強い。
ワクチン接種した人が
帯状疱疹ヘルペスになりやすいという
都市伝説的な噂があるが、
確かに、それらしい症例を経験した。
しかし、現在コロナの陽性者の症状は、概して軽い人が多い。
インフルエンザの方が症状が強い印象がある。
これが3回のワクチンのおかげであると
判断するか否かは、正直わからない。
世界的にみれば4回接種を行った
イスラエルのデータでの抗体の維持期間が短い。
ただ、他国のデータは
国全体の感染率が高すぎて
あまり、参考にはならない。
これらのことを考えるとあまりにも悩ましい。
しかとした、データを提示されていない状態で
これを判断するのは非常にむづかしい。
今回は、人身御供(ひとみごくう)である
医療関係者の先行接種がないので、
国内での参考案件がない。
また、現在、ワクチンの在庫がモデルナワクチンが
腐るほど余っていて、ファイザーのワクチンが
少ないため、接種はモデルナになりそう。
これらのことを考えると
私でも非常に判断に苦しむ。
3回目のワクチンの接種率が低い上に
4回目のワクチンの接種率がさらに低いのは間違いない。
私自身は、個人的なことだけ考えると
打たないと思うが、
毎日患者さんと接して、
さらに高齢者施設へ毎日行っている限りは
せざるを得ないのかな~~~。と思っている。
いやだな~~~
3回うってもかかるのはかかる。
予防接種自体、私自身は、3回ともどうもなかった
(利いていない?)
現状では、一般の人は、予防注射より
本チャンのコロナの方が症状がかるい。
ああ悩ましい。悩ましい。
讃岐弁でいえば
“もうえんちゃん”
と、捨て鉢(すてばち)的に言いたくなってしまう。
ユーチューブ見てたら
ユーチューブ見てたら
つい、昔の(若いころの)曲を
聞いてしまうことがある。
前にわたせせいぞうの
絵の事を話たが、
どうもわたせせいぞうの絵をみていたら
どういうわけか大瀧詠一(故人)の曲を
思い出してしまう
“A面で恋をしてウインクのマシンガンで”
A面、B面ってレコードの話!!
“夜明けまで長電話して
受話器持つ手がしびれたね~~~“
受話器!!!
“机のはしのポラロイド、写真に話しかけてたら~”
最近少し復活したやつ!!
と歌詞を聞いていたら
時代の流れに悲しくなってしまう。
こうなりゃ思いっきり昔のことを思い出してやる!!!
と思ってpinterestで拾ってきた
文具部門


どちらも色がたくさんあって
楽しかったが、使えたもんじゃない!
おもちゃ部門

失敗すると手が痛かった!!

これを知ってたらかなり年!
お菓子部門

こんなのあったけど高かった。

給食ででたけどまずかった。
他。。。

こんなのどこの喫茶店にもあった。

ユリゲラーじゃないよ!!
他、いろいろあったけど、、、
昔のことを思い出しても仕方ない
と思う人、明日だけを考えるのが人生
という人がいるけれど、、
私は、自分がボケる前に
自分が一生懸命生きた証の
心のアルバムを
時々見ていたい。。。
変な映画の見方。。。。
時々映画やドラマを見ていたら
ふと、変な世界にはいってしまうことがある。
時代劇で主人公が、
ばった、バッタと、
片っ端から悪人の家来を切って行くのを見ると
ひょっとして今切られてしまった
侍は、
実は、いい人で、
長い間、浪人生活が続き
貧乏な生活をしていたら
やっと士官の道ができて
家来になったところが、
そこの仕えた殿様が悪人で、
しかし、自分の家族を養うために
そうと分かっていながら、
いやいや家来でいたところに
主人公にきられてしまった
実は苦労人のいい人ではないか。。。。
スタローンや、シュワルツネッガーに
虫けらの様に殺されている
平の兵隊は、
実は、マジメで、誠実な性格で、
年老いた両親を養うために
軍隊に入り、
マジメでだまされやすい、直な人で
悪人の将軍にだまされて
自分はいいことをしていると思いながら
兵隊として、誠実にはたらいている
所へ、主人公がやってきて
虫けらの様に殺されたのではないか。。。。。
(今の若い徴兵されたロシア兵も??)
主人公を光らせるためには
その他の人間は、どんなにいい人でも
虫けらの様に死ななければいけないんだ。。。。。。
なんて、変な考えというか
変な空想をすることがある。
人間は、だれしも主人公であり、
生きている限りは
その人にとっては
周りがわき役である。
しかし、わき役はわき役で、それぞれにとっては
主人公なのである。
映画やドラマでは
その、登場人物の一人一人を
詳しく描くことができないが、
実生活はそうはいけない。
それぞれ、主人公たる人々が
自分の周りにわき役として
存在しているのだ。
ちょっとニアンスは違うが、
ウクライナや、知床での事故を聞いて
悲しみ、心が痛むのは
それぞれ亡くなった人にそれぞれの人生が
あったであろうことを想像するからである。
マジメな話になってしまうが、
誰かが輝いて見えるとき
誰かが、映画の主人公の様に
キラメイテいる時には
必ず、そのわき役がいて、
その主人公を輝かすために
切られたり、打たれてりしている
やつが必ずいる
。。。。。。なんて変な空想を抱くときがある。
いつも、土曜日までに書いて
日曜日の朝載せてたのだが、
今回は、コロナの患者さんの経過観察や
施設の人の容態が悪いやらで
完全に忘れてた!
ということで、
ゴールデンウィークの思い出という題で、、、、
ゴールデンウイークの思い出、、、、
ない!!
出入りの業者の中には
10連休の所もあるようだが、
当院はカレンダー通りで、
もちろん土曜日もなければ
へたをすれば、私、後ろの施設を見回りに
休み中も来なければいけない時がある。
大体、子供のころそんなに休みがあったわけではなく
たとえば1970年のカレンダーでいくと
日 月 火 水 木 金 土
24 25
26 27 28 29 30 1 2
3 4 5 6 7 8 9
という様に 土曜日は休みではないし、
3日は日曜日とかさなり振り替え休日はないし
2週間にわたり2日休みが増えただけなので
なんとも、特別に休みが多い感がない。
皆さん、昔は土曜日は仕事だったのをおぼえてます??
ちゃんと、朝起きて学校に行ってましたでしょう??
また、振り替え休日がなく、
年末になると次の年のカレンダーを見て、
休日と日曜日や、土曜日がいくつ重なっているか
数えて、損得を考えていたころがある。
高校生までそんな感じであった上、
大学生になると
この期間にデニスの大会があり
疲れ果ててしまう1週間。
医者として働きだすと
丁稚だった若い時は
だいたい、日曜日でさえ、休めないか、
逆に当直をしなければならない。
状態であったので、
どうにもこうにも
休みなぞない。
子供ができれば、混雑のなか
いろいろ連れて行かなければいけない
ウィークで、疲れをとる状態
いまでは、歳をとったのもあり
疲れて、わざわざ混雑の中に突入して
疲れを倍増させる気力もなく。
なんともかんとも。。。。
というわけで、ゴールデンウィークなど
特別な思い出もない。
もちろん、今回の休みも外にはでられないのだが、
それよりこのコロナ下で
疲れ果てているところに
休み明けのコロナの流行が怖い。
大体、規制を緩めるのはいいが、
旅行などに行くことに
金をだして(税金をつかって)後押しする
のはどんなもんだろうか??
お国に始末書かかされた。
当院では、ワクチンの接収を関連の
高齢者施設と
3回目は当院へのかかりつけ患者さんに
接種していたのだが、
できるだけ潤滑に多くの人に接種せよ
というお国の意向をうけ
また、行政のできるだけ多く接種をという
意向をうけて
1バイアル(1本のこと)通常では
6人分のところ
ワクチン用の注射器を使い慎重に
ひいて7人分ひいて、
多いときは2バイアルで15人分
ひいて使用していた。
(それでも十分な量あるのですが)
薬が無駄にならないように
毎日、人数をきっちりきめて、
たとえ
突然、中止になったときでも(発熱や
コロナにかかったりして)
予備の人を用意して
きっちり、打っていた。
これだけ努力していたのだが
なんと、約2か月間ワクチン接種を行っていて、
最終日に突然、一人、本人が接種を
希望しなくなり、
最終日だけに予備の人ももうおらず
1本(一人分あまってしまった。)
当院では、保健所から受け取った
バイアル数からいうと合計で
十二分な数の人に接種していたのだが、
捨てるのにはあまりにも
もったいない!!
一旦注射器にひくと6時間以内に打たなければ
いけないという規則があり
どうにもこうにも
ならないところへ
偶然、出入りの業者の人で
あと2日で6か月という規定の日がやってきて
且つ、まだ予約していない
人がきたもので、
私の独断で、その人に接種することにした。
ところが、ところが、
2日早く打ったということが、
規定違反ということで、
国から始末書を
書かされるはめになってしまった。
また、その始末書ときたら
エクセルで提出し、わずか1行。
文言も指定してあり
1, 期日を守らず売ってしまいました。
2, 日にちの確認ができていませんでした。
3, これからは日にちを確認して
気をつけます。
なんて、感じで言葉を選択させて、
あやまらせる。
もちろん、どういう理由で打ったのかや、
いままで、どれだけ苦労して
接種をして来たかや
(公的に接種したり、もう少しだけ
接種人数を増やせば結構なお金をくれるのだが。。)
そういうこともしていない。
形だけの様な形式ではあるが、
始末書をかかすにしては。。。。。。。
あまりにも理不尽の様な気がする。
大した始末書ではないが、
いままで一生懸命やって来たことが
一瞬で、消えてしまった様なきがして
気が抜けてしまった。
お国というのは、
いわゆるスーパー
お役所仕事なのだ。
一旦6か月と決めれば6っか月以上過ぎなければいけないし
(そのくせ2月の28日という日数は
まったく考慮に入らない)
今回は、結構、市のワクチン担当の
人にいろいろ世話になって
結構、融通をきかしてもらったのだが、
(おそらく、お互い、苦労してがんばっている
のが分かっているので結構
いろいろうまくいっていた)
ので、その点は、救われるのだが、
保健所もしょっちゅう
連絡するので、(お互い、苦労しているので
いろいろ助け合ってきたのだが)
いろいろなれているのだが、
その、市役所も保健所も
この4月に一斉に配置転換があって
いままでの関係性
が、一からやり直し感がある。
あーお上というものは、、、、、、
と愚痴をこぼしつつ
お上には逆らえないのでした。
テレビの番
診察にくる高齢者に
“毎日なにをしてる?”
ってきいたら2人に1人は
“テレビの番”
という答えが返ってくる。
しかるにまたその半分の人は
“最近のテレビは面白くない”
という答えが返ってくる。
たしかに面白くない。
私は、以前からテレビを見る時間がないので
だいたい、一週間分番組表を見て
見たい番組があったら
録画予約して、
時間があるとき録画を見る
ということをしている
(それも時間がなくて無茶苦茶たまっているのだが)
それにしてもテレビは面白くなくなってきている
感がある。
今後ともテレビは
ますます、面白くなくなって
行くのだろう。。。。。。。?か。
今のメディアは好きな番組を
好きな時間に、好きなところで見る。
若者などを見ていると
映画やドラマでさえ電車の中で見ている。
私も、今は、テレビが
ネットにつながっているものだから
ぼーとしている時間帯にテレビをつけると
ついついネットの動画をみてしまう
時間が増えてきた。
こういうことがあるから
民放のコマーシャルから
企業が撤退し、
ネットでの広告を重視し
民放は予算の削減を迫られ
ますます、番組に出すお金が減ってきて
民放の番組が面白くなくなる。
受診料に風当たりが強い
NHKもこのままでは
お金がなくなって
番組が面白くなくなってしまう。
私自身、歳をとってきている自体で
テレビが面白くなくなってきている上に
こういうことでますます
テレビへの興味が薄らいで行くことが
加速しているのだろう。。。。
世の中、ラジオや映画が
テレビの影響で、
どんどん衰退していった様に
今後、テレビも衰退してゆくのだろうか
そういえば、ロシアでも
テレビを見る比較的高齢の
年代はロシアのプロパガンダを信じ
若い世代はSNS等を通して
あまり、プロパガンダを信用していない
様だが、
今、問題になっているのは
そのSNSが逆のプロパガンダに
なっていないか否かで、
情報というのはおそろしい、、、、、
最近は、ニュースを
新聞どころかテレビでさえ見なくなって
ネットから見ている。
その方が、診たいニュースは見れるし
とにかくリアルタイムで見れる。
これでは新聞屋さんがなくなってしまう。
レンタルビデオも
もう古い時代になってきている。
ネットで借りる時代。
レンタル屋さんがなくなってしまう。
そういえば、写真は、
スマホで、さらに動画でとって
そのままハードの中に置いておくものだから
写真をプリントすることも減ってしまった。
さらに写真機も売り上げがおち
これでは写真屋さんがなくなってしまう。
本でさえ、みんな情報をスマホで
得たり、スマホで読む様になって
これでは本屋さんがなくなってしまう。
いろいろ時代が変わるのを見てきたが
これは結構、大きな時代の流れの波かもしれない
おじさんは、今は何とかしがみついているが
もう時代にのるのも限界かも・・・・・・
ふと思うと。。、。。
私、毎日スクラブで
診療していて、
年齢的に学会もほとんど行かない
正式な会にもほとんど出ない生活
をしている上に
コロナの状態で、
もともと背広を着ない生活を送っている
のに、ますます着なくなってしまった。
もともと、冬用、夏用、合い用の
3着を10年以上そのままにしているので
太ってどれもきれなくなってしまったかもしれない。
しかし、以前から素朴な疑問があったのだが
背広って何だろう。
ジーっとながめていると
この、襟のついた前開きのボタンがたくさん
あるシャツを着た上で
色をつけた紐で首を縛って
前があいた、防寒にもならない
上着って
なんか変な感じがしてくる
それがどういうわけか
世界中どこでも正式な服ということになっている。
なんで??
それがまた、プーチンも
昔は人民服だった習近平も
バイデンも、
岸田総理も紋付ではなく背広を着ている
よく考えたら面白いというか
宇宙人がみれば笑ってしまうのではないか。
人間ってへんな生き物だと、、、



世界中どこでも
人種の壁、
宗教の壁さえこえて
正式な服があることは
便利であるとは思うが、
背広さえきていれば、世界中どこにいっても
叱られない。。。。
正式な恰好。
おそらく、人種や体系に関わらず
なんとなく様になる恰好だったので
世界中に広まったのかもしれない
さすがにタキシードは
日本人、東洋人の体系にはにあわないが、、、
最近なくなった
宝田あきらや岡田真澄が
昔、ミスユニバースの司会なんかをしていたが
あれだけの 上背があったら
タキシードもにあっていたが、
大体、着物は、日本人にあった格好で
短い足をごまかすには
いいものだったのだ。
しかし、世界の民族の
それぞれの体系や肌の色や気候に
あった、長い年月かけて作られた
民族衣装を100年足らずで
世界的な正式衣装にしたのは
すごいとおもうし
一方で、不思議な感じもする。
以前、話たとおもうが、
私が若いころは、
若い医者は、給料が安くて、
背広も、いわゆる青山や、はるやまで
ぶら下がりを買ったと一見でわかるほどの
背広を着て学会に行っていたし、
(何か、つんつるてん)
偉い、先生たちが、いい背広を着ているのを見て
うらやましがったものだが、
今や若いドクターも
それなりの給料をもらう様になり
(昔は、若いドクターは丁稚奉公で、
勉強させてもらっていたという風潮があった。)
いい背広をきている。
100年足らずでひろまった背広の様に
すぐれた言語や宗教があれば
直ぐに世界中のスタンダードになって
今のウクライナの戦争もおこらなかった
だろうに。。。。。。
なんて真面目にかんがえたりして。
わたせせいぞう
私の仕事用のメールに
Pinterestが入り込んでいる。
世界中のいろんな人が投稿した
写真が送られてくるのだが、
自動的に私がよく見るものを中心に
送られてくる。
面白くない、仕事のメールを読んでいると
ふとそちらの方に意識がいって
気が付けば、仕事のメールより
熱心に見たりする。。。。
そんななか、
わたせせいぞうのイラストが
紛れ込んでいた。
最近はあまりみなくなったので
わたせせいぞうと言っても
ピントこないかもしれないが、
ハートカクテルという題や
独特の画風をみれば皆思い出すと思う

この独特な世界感
男女を中心としたいきいきとした世界感が
流行った当時のバブルの時代とあいまって
非常にカラフルな
愛情と未来への幸福感を
みごとに表現していた。

雲を中心とした抽象的な表現は
抽象画とは違う微妙な描写と
淡い色を中心とした明るさが、
何とも言えず美しく表現されていた。

この色といい、デザインといい
男女の表現といい
当時のバブルの世界
明日に希望がもてた時代には
ピッタリだったのかもしれない。
今の明日に明るさが見えないどころか
闇しか見えない世界では
受け入れられないのかもしれない。
だから、今は、あまり見なくなったのだろうか
??????

シリーズ自体ではあまり見ないのだが、
学生時代に
大学の広い講堂の後ろの方に
たむろしていたグルーブの一人の
私は、講義中に
グループの中で回し読みしていた
”モーニング“という雑誌の中に
間欠的にはいっていた連載の
“菜”が気に入って
最終的には単行本までかってしまった。
ただし内容的にはできた嫁と
だらしない旦那の設定で、
どうも男の科って目線で書かれていたのだが、、、、
私は、絵画とイラストを区別するのが好きではないが
最近のいわゆるイラストは、
コンピューターで感が強く
味気ない。
そんな中、
わたせせいぞうの絵には
なにか、江戸時代の浮世絵の様な
手作りの版画の様な線と淡い色合いと
一枚で上限する物語が
心を揺さぶるのである。
学生の時にいろいろな科の
病棟をまわって、各診療科の
臨床研修をするのだが、
精神科では、鍵をわたされほぼ2週間
精神科病棟にいた。
精神科の患者さんというものは、
もちろん自分がすることは
間違っていないとおもうから
こちらから見れば、変なことを
大真面目にやっている。
つまり、言い方をかえると
我々と違う世界を生きているといっていい。
顔をあらってから
必ず不潔な雑巾で顔をふく人
いるはずのない人と真剣に話す人
どうやっても動かないのに
ゴミが落ちていたら素早く拾う人
2週間もそういう人達の中で
いたら、
だんだん、自分の方が正常ではない
様な気がしてくる。
つまり、自分の世界の方がおかしいのでは
ないか?という思いが芽生えてくる。
あるいは
いったい正常って何だろうと
考える様になってしまう。
自分のしていることこそ異常なのではないか
洗脳なんてそんなものかもしれない
最初は怪しいと思いながら
その世界だけで生きてゆくことで
最終的に他の世界がおかしいと
思いだすようになってしまうのだろう。
先日、東京のワクチンの会場で、
コロナのワクチンを
打ってはいけないという
団体がワクチン接種を妨害にはいって
もめたらしい。
非ワクチン論者は、
我々からみれば、荒唐無稽なデータ
を見て、信じ、
(こういう人達の見るデータは
出所不明かあるいはバイアスの
かかったデータが多い)
そこまででは、都市伝説を信じる
いわゆる陰謀論者であるのだが、
(ここまででは、ただ自分が
ワクチンを頑なにしない人)
そういうことを信じる人達だけの
コミュニティーの中に
浸かっていると自分の主張の方がただしく
大多数の考えが間違っていると
真剣に思う様になるのであろう。
(ここまで来ると、他人のワクチンを
妨害するにまでに至るのだろう)
新興宗教はこれの粋たるものの様な気がする。
今をときめくプーチンも
ソ連の再興を目指しているうちに
イェスマンばかりの環境の中で
正常な世界が見えなくなってしまったに違いない。
そういうことを考えているうちに
また、自分は正常なのだろうか??
正常ってなんだろうか??
と思い込んでしまったりして。
俺っておかしい??
情報戦の怖さよ。。。。
今、ロシアがウクライナに進行しているが
いろいろな情報が飛び交っている。
西側諸国をはじめ日本人は
ウクライナの悲惨な状態を見て
ウクライナにどうにか頑張って
ほしいいと思い、
逆にプーチンを見ると
ヒトラーを連想させる。
この戦争は、
いまだかつてないほどの
情報戦の形態を様している。
我々は、かつてない通信網と
情報網の中で生きているが
情報が多くなるにつれて
どんどん、真実がすぐに
分かる様になってくると
信じこんでいたが、
実はこの戦争で
そうではなく、情報があふれるということは
真実がどんどん見えなく
なってきているという事が
確認された。
実際に、われわれは西側諸国の一員で
少なくともロシアほど情報統制が
ない世界で生きているので
今、流れている情報が真実と
信じ込んでウクライナ側に立っているが、
実際のところは、どこまでが
真実なのかが判断できない。
真実というものは、実際に見て、聞いて
確かめるべきものであるが、
なんせ、極東の地で
馴染みのうすい東欧
のことを判断するには
なかなか厳しいものがある。
太平洋戦争中日本は、
戦意高揚のため
嘘をならべて、日本の正当性、戦争の正当性
誇大された戦果、を新聞や映画をつかって
流していた。
(アメリカでさえ同様のことをやっていた)
それを信じて日本全国民が悲惨な目に
あったのである。
ロシア、ウクライナでは
かつてないほどの
お互い、フェイクニュースの情報戦を
仕掛けているものだから、
どこからどこまでを信じてよいのか。
まったくわからない
北京オリンピックの時に
ウクライナ情勢のことを話し合う
情報番組で
いわゆる専門家の中で、
ウクライナ進行を予想した人間は
6~7人いた中でたった1人だった。
専門家でさえ、わからなかったのだ。
しかし、
こんなことは、身近でもたくさん起こっている。
いまの情報があふれる時代。
たとえば
食べ物やさんを(病院でもいい)
さがす時に
ネットで検索し、店の宣伝をみて、
口コミをみて、選んでいると思うが、
ネットの検索で出てくる順番はもうすでに
操作されている。
つまりその時点で誘導されているのである。
店のホームページは
お金をかけているほどその店を
魅力的なものにして、
口コミは、いまや、その書き込みは
商売にもなっているほど
雇われた人が書いている。
そんな、情報戦の中で今
私たちは生きいるのである。
なにを見て、なにを信じていいのか
分からない時代。
眼で見て確かめたいのだが
それさえもフェイクの可能性さえある。
人間は、現代
入ってくる洪水の様な情報を
処理できるほど
おりこうさんではない。
かといって、その情報を取得しなければ、
不安になる
スマホを家に忘れて出かけた時の様に
おじさんは、やっぱり。。。。。
年をとって、老眼鏡が合わなくなってきて
ついでに壊れたので
久しぶりにメガネ屋さんに行ってきた。
なにせ、昔から眼がいい私は、
(左はいまだに2.0,
右は白内障にて視力低下)
メガネ屋というものに大体
縁がない。
色々さがして入った店で
入って、しばらくしたら
やっと店員がやってきて
画面タッチをして、
今日、なにをしに来たかとか
希望、とかの情報を自分で入れた上で
それが終わると
待ち時間に会員のアプリを入れる様にいわれて
座って、アプリを入れていたのだが、
なにか、自分の中で違和感が
生じて、その店を出てしまった。
思えば、最初に店に入った時に
今風の髪型や服装をした、今風の
しゃべり方でやってきた店員たちに
もうすでに違和感を感じていたのだった。
おじさんは、着いていけない。
その後、普通に対応してくれる
店でかったのだが、、、、、
話は変わるが、
先日、ずっと来ている高齢の患者さんが、
薬が切れているはずなので
連絡を取っていたが、どうしても
電話がつながらず(携帯電話)
心配していたら
突然、やってきて、
原因は、携帯電話をスマホに変えて
電話が鳴っても取り方がわからず
履歴もどうやって見ていいかわからず
電話にでれなかったとのこと。
当院から電話していたのもわからなかったらしい。
そこで、ナースがほとんどドコモショップの
様に電話の使い方をおしえていた。
丁度、他に患者さんがいなかったので
電話の話と、世間話をしていた。
そんな、ほっこりした雰囲気が
とても心地よかった。
思えば、
私の医者としての理想は、
若い時はしゃにむに
医者をして、
最終的には今の歳では、
目くじらを立てて商売をしたり
恐い顔をして、最新の医学をしたりするのではなく
田舎の田舎の診療所で
自転車にのって往診したり、
患者さんとお茶のんだりする
半農半医が理想だったので
(めちゃくちゃ経営は苦しいけど)
今、コロナで
バタバタしている中で
そんな思いが蘇ってきた。
またまた、話が変わるが
うちのクリニックの入り口に
金魚と横の溝にいたメダカとなんかわからん
魚を飼っている。
しゃれたクリニックなら熱帯魚と
いうところなんだが
どうにも熱帯魚は
飼う気になれない。
(家では飼ったことあるのだが)
デ、なにがいいたいかというと
おじさんは、やっぱり
見栄じゃなくて
心がこもったものがいい。
ということを
言いたかったのです。
人間は、やっぱり
人の心を触れながら生きていくのが
いいと思うのです。
プーチンや習近平は隣にいる
プーチンはかつてのソビエト連邦の強大な
国家の再建を目指している。
それは、何のため、だれのためなのか
習近平は、第2の毛沢東を目指している
台湾をはじめ南シナ海を中国に
組み入れることによって
偉大な指導者として
第2の毛沢東として
後世に名を残したいのか
この人類がもし、あと1000年
生き残れていたら
その時、人類の歴史書があったら
歴史書として壮大な
1000ページ10冊の
歴史書があったら
21世紀はの歴史書では
100ページほどに
収まるだろうが、
その中には2人とも名前が出て来るかもしれない
しかし、これが10万年続くと
(続かないとは思うか)
20世紀は1ページほどになり
せいぜい、人名ではヒトラーとアインシュタイン
ぐらいがでてくるだけだろう。
21世紀の1ページには
ヒトラーぐらいのことをしなければ
名前は載らないに違いない。
人間、死ねば、テレビのコンセントを
引き抜く様に終わるのだが、
その名声を残すのに何の意味があるのだろうか
本当に国家、人民のためだけを
考えて行動しているのだろうか。
われわれの業界も
もちろん、いろいろな人々が
いるが、
医者というより商売人という人達もいる
なりふり構わず
商売して(あえて商売というが)
どんどん施設を大きくして行く。
お金持ちになりたいのか
(確かに贅沢している)
名声が欲しいのか
(確かに態度がでかい)
周りに圧力をかけて
気分よくなりたいのか
(名誉欲なんてその典型)
他の業界も同様だろうと
思われる。
商売に限らず、
いろんなことで
名声や富を追求する人達が
周りにいるでしょう??
あー、だんだん
その人達がプーチンや習近平に
見えてきた。。。!!
あーいきぐるしい。
私がまだ、若く、いまでいう
研修医の時代
私の指導医的な先生が
病棟で
朝のナースへの挨拶で
“おはよー”といって
ナースのお尻を触っていた。
その指導医に指導されたことは
“ナースのお尻を触りたかったら
婦長から順番にみんな平等にさわりなさい“
今なら即刻“クビ”
悠長な時代だったけれども
当時から
何でもかんでも許されるのではなく
それをする人の
人がらが大切であって
触っても許される人と
許されない人というものがあって
同じ様に婦長から
触っていてもその時点でアウト
の人はアウトだった。
今はそんなことをしていたら
当事者でない人の告げ口で
アウトになってしまう。
お尻を触るのは論外として
今は、差別的な発言や
セクハラ的な発言、
高圧的な発言をしたら
その時点てアウト
大体
今は、“男らいい”
とか“女々しい”
とかと言ってもアウト
これらの言葉はもうすでに
語源から意味が解離して
本来のジェンダーを
指す意味が薄れているのに
使えなくなってきている。
もちろん
“デブ、ブス。。。はアウト
“〇〇ちゃん”
もアウト
“このくそぼっこが!”
もアウト??
ばかなことをしても
“お前は馬鹿か!!”
“あほ!”
もアウト
”ボケ、カス、“
なんてもってのほか。
いくらブチ切れても
やさしく
“だめだよーー”
“今度から気おつけなさいよ__“
って言わないと。。。。。
んなことできるか!!
言語能力が低くて
まーまともな言葉を喋れなく
瞬間湯沸かし器の
私なぞ、
1日もたたないで
クビは間違いない。
久米川病院の新しい経営者が
この私の性格を逆手にとって
発言力をなくそうとしてたので
即刻やめてやったわ!!
生意気な生徒が
教師に
“手が出せないだろう”
といって挑発する時代。
同じ様なことが
職場でも
大なり小なり発生している
このままでは
仕事するのが
息苦しくない??
うつ、憂鬱、、、
はっきりいって、もうお手上げ。
コロナもここまで流行ったら
もうどうしようもない!!
もう、われわれも
手の打ちようがないというのが
本音。
当院でも何人もコロナ陽性者を
確認したが、
確かに症状が軽い人が多い。
診た感触ではB型のインフルエンザという
感じ。
私が診た人達は、結構、軽症者が
多い(ただしみんなワクチンを2回うっていたが。)
B型インフルエンザぐらいの感触を受ける。
しかしながら、
われわれは、毎日頑張らなくてはならないのです。
私が、上里医院にきてから7年半。
私が診ている患者さんのなかで
インフルエンザで亡くなった方はいないが。
1人だけ、インフルエンザに罹った後に
体力が回復せずに1っか月後に
なくなってしまった。
正直のところ、施設に入所している
利用者の人達は、ちょっとした風邪や
嘔吐下痢で亡くなるほど
高齢で、弱っている人達が多く
たとえインフルエンザといえども
ほおってはおけないのです。
皆さんは、コロナでマスクをしたり
外での食事をしなかったり
濃厚接触したら仕事を
休むことになって、もう
飽き飽きしているでしょうが、
実は、我々は、インフルエンザが
流行っても今と
同じことをしていたのです。
(正確にいえば、させていたのです)
だから、我々がやっていることは
インフルエンザの流行時期に
少し毛のはえたことをしているといって
いい状態なのです。
毎年、インフルエンザで関連してなくなる
方は、少なく見積もって約1万人
坂出の人口で考えると
毎年平均で5人ほどは、なくなっている
勘定です。(関連死は私見ではその5倍)
ここからは愚痴、、、、
風邪の外来を引き受けて、
施設、自院のかかりつけの人の
ワクチン接種を受け
施設の医療管理をしているため
毎日、朝、職員の仕事にでていいか否か
の判断をして、
そうしているうちに
毎日、お役所や、厚生省から
メールが容赦なくとどき
何十ページも書類を読み、
常に最前線のコロナの医学情報
(メディアの脚色がないもの)
を読み。
それだけでも仕事が山の様。
あー―――――――
がぁー――――――
って感じ。
我々は、小さいころから
映画や漫画で、
宇宙人がやってくると
人類はかならず
一致団結して地球防衛軍を結成して
これを撃退すると
こころのどこかで信じていいる。
んーなわけないやん!!
ってことがこの世界のコロナ騒動で
確認されたといっていい。
全世界にこれだけ脅威をもたらした
コロナは、地球防衛軍を結成するどころか
人類をばらばらにしてしまった。
この人類の英知をはるかに越えた
外的侵入者は、この2年でほぼ人類を
全滅に追い込んでしまった。
と言っていいのではないだろうか
各国は、必死に自国の防衛に奔走するが
しいて言えば、
国どころか1個人の防衛に
奔走している。
そんな混乱のなかで、
別の宇宙人の来襲といっていい
地球温暖化や、核兵器根絶は
そっちのけで、
ウクライナ情勢は悪化するわ
台湾情勢は悪化するは、
アフリカの食糧危機はおこるは
もう無茶苦茶。。。
会社はこの機に乗じて
人員整理を開始するは
(関係ないところで)
個人は、このコロナで
儲けようとするやつはでるは、
(反ワクチン運動で儲けようと
するやつさえいる)
○○しろ!といわれれば
意味不明の反対するやつはでるわ
こんなバカな生き物を
宇宙人が相手にするわけがない!!
あ、よかった。
昔はよかった。。。。。。??
昔のことを懐かしくおもったり
いろいろ昔のことを回顧することが、
悪いことで、今を大切に
するということが
正しく、それがスマートという
風潮があるが、
今の自分は、過去の上に成り立っているのだし
決して昔をなくして
生きてはいけないのだから
昔を回顧することは決して
悪いことではないと思っている
しかし、故意に昔をおもいだすと
悪いことしか頭に浮かばないのだが。。。。。。
それにしても、いい思い出は、
とても、いいものとして
記憶に残っている。
昔、八神純子の曲に
“思い出は美しすぎて”という
曲があったのだが、
それなりの理由がある。
私、最近、寒いせいか、歳をとったせいか
はわからないが、
よく、夢を見る。
人間は、寝ている間に
記憶の整理をしている様で、
この小さな頭で全てを記憶させることは
不可能なので、
寝ている間に
コンピューターでいえば
記憶の圧縮をしている様だ。
よって夢の中の出来事は、
よく考えるとその日の出来事や
その日に見たものが出てくるはずだ。
一時的な記憶は、海馬という所で
固定されずに残っているのだが
それを夜間にタンパク質に変えて
長期保存しているという話だ。
そこで記憶を圧縮して
出来事を簡略化して固定させる。
そこで人間の生存の本能で、
いいところをかいつまんで
覚えさせるから、
いいことはよりよく記憶させているきらいがある。
旅行に行って綺麗な風景を見たことは
強くおぼえていて
その時の旅程がきつかったことは
軽く覚えさせていることが
多い。
だから
”思い出は美しすぎて“になってしまう。
しかし、下手をすると
悪い思い出はより悪く覚えこんでしまう。
PTSD(心的外傷性ストレス障害)
になってしまうことさえある。
一旦固定されると
いつまでも記憶は残っているもので
外来で、診察をしていたら
高齢者の人が
毎回同じ話
“あの時はよかった”とか
“あの時は苦労した”とか
(それもう5回目)
“戦後の食糧難の時に生き抜いたから
食料難がきてもなんでも食べて大丈夫“とか
“昔はわしは、陸上の選手だったから
〇〇しようと思えば今でもできる“
なんてゆう話をよく聞く。
(むりむり!!)
そうならないにしよーーー
やばいか?
人は見た目が一番
今、とめどもなくコロナが流行っているが、
私を知っている人やほかの医師会の会員に
私は、弱いから、
一番にコロナにかかりそうで怖い
という話をすると
私が弱いというところで
??????となってしまう。
実際に私は弱いんだって!!
どういうわけか見た目と雰囲気で
最後まで生き残る雰囲気がある
みたい。
実際、周りがインフルエンザに
かかってないのに私だけかかった
こともあるし、
だいたい、男の方がかかりやすい!!
(ただし、回復は確かに早いのだが。。。)
私は、40代のころに肺炎にかかったことがある
(弱いでしょー)
その時はやや強めの風邪をひいていたのに
毎日強力な解熱剤を仕事前と仕事中で投与して
(本当は使ってはいけないのだけれども、、、)
毎日仕事していたら
ついに2週間目にダウンした。
しかし、以前にも行ったのだけれども
私、基本的に野生に近くて
突然、食欲がとめどもなくやってきて
同時に眠気がとめどもなくやってくる。
その後で軽い風邪の症状がでて、
からだが、危険を察知して
勝手に食欲と睡眠を誘導することが
よくある。
それが、回復を早めている様だ。
どうも私を見るとみんな
間違ったイメージを持つようで、
人は私を見たら昔した
スポーツは柔道ですか、ラグビーですか
と聞く。
(軟庭じゃ!!)
また、昔、患者さんからよく
酒をいただいた
(ほとんどゲコじゃ!!)
あまりにも酒をくれるので
病棟中に私は酒が飲めない
といってまわると
さらにビール券をいっぱいもらってしまった
(みんな飲みたいと言っていると
勘違いしたみたい)
はたしてこの風貌が
私に得をさしているのか
損をさせているのか。。。。。「
しかし、話は変わるが
パンダは、あの見た目としぐさで
人気があるが、
見た目が悪いとどうだろう??
ゴマアザラシの赤ちゃんは
しろくてかわいいので
乱獲が禁止されたが
これも見た目が悪いとどうだろうか。。
すくなくとも
若いスタイルがいい女の子が
タイヤがパンクして
道にとまっていたら
絶対すぐ、おじさんたちが
集まって修理してくれるに
ちがいない。
やっぱり
人は見た目が第一。
私は、手相は信じないが
結構、人相はあたるかも。。。。
とうとう一番寒い季節となりましたが
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ことしも年賀はがきを整理する
時期となりましたが、
この年賀はがきという制度は、
一機に衰退してきている。
(以前一度とりあげた話なのだが
もう一度)
最近の若者はメールのやり取りで
全てが終了している様だ。
わたし自体は、筆無精なもので
年賀はがき自体は
お世辞にも好きな方ではないが、
年を取るにつれて
そんなに悪い者でもないと
思っている。
私の場合は、高校を卒業してから
約20年ほど九州ですごしていたため
今ではほとんど会うことも
連絡を取ることもめったにない
大学生時代の友達や
医者になってからの
同僚、先輩、後輩、
あるいは患者さんの現状を
知るにはいい機会なのである。
しかし、毎年、職場での出会いが
多いためどんどん増えて行っていたものが
最近は、頭打ちかやや減少しているのが
現状である。一時は200枚近くの
やりとりがあったのだが、今では
150枚程度に収まっている。
しかし、毎年、結構困ることもある。
一つには皆さんも経験しているとおもうが、
中途半端にだしだした年賀状の相手が
来ない年があったら
それを契機に次ぎの年に出さないのだが
前の年に自分が出したものだから
次の年にはまた、年賀状がまたやってくる
という一年おきのやりとりを
してしまう相手がいること。
もう一つには
医者に特有の悩みかもしれないが
以前いた病院でみていた患者さんとの
やりとりで、
年齢や、病気を考えると
そろそろ。。。。。。。。。
と思うのだが、
前の病院に聞くわけもいかず
毎年、おそるおそる
出すこと。
それにしても自分も数年前から
そうしているのだが、
あて名をコンピューターに
おぼえさせて打たせていることは
なにか味気ない。
スピードと手間と
下手な字をさらけ出さないでいいと
いう最高の利点があるのだが、、
昔は、子供にプリントゴッコで
作らせていたのが、
コンビニに印刷を頼むようになり
あて名を印刷する様になり
ますます
薄っぺらいものになってしまっている。
悲しいのは、いまでも病院に
上里先生あてに年賀状がとどくことの
虚しさよ。
さすがに、企業やら、病院からの
判で押したような年賀はがきは
これまた味気ない。
しかしながら、
それにしても
長年あってない友達や後輩からの
はがきはうれしもので、
ずっとつづいてはがきを送ってくる
者は、それなりのその人物の
こころの暖かさを感じ、
毎日顔を合わしている者でも
その人物の人となりが感じられるものである。
その当時の思い出が思いだされたり
一年を共に苦労してきた同僚のひとことが
仲間意識を上げる
年に1回の一瞬の至福の時が
おとずれるのもいいものではないかと
おもうのだが、、、、、、、
エッセンシャルワーカーってなんや!!
まーこのコロナで、
外来語の嵐
河野前大臣ではないが、
ここまで多様すると、さすがに
もっと日本語つかったら?
って思ってしまう。
あと、1万年もすれば、
日本語が消滅しそう。
話は、かわるが、
外国の人間が、日本人のノーベル賞受賞者が、
時として、英語を話せない人がいることに
驚かれることがあったようだ。
日本ほど、いろんな分野で、
各専門書が、すぐ日本語に訳される
国はないようで、
外国人は、知識を得るために
原書を読んで理解する。
だいたい、医学の分野では、以前から、
最新の論文は、
英語を読むことが多いのだが、
逆にいえば、日本語に訳されたり、
日本で、原文を元に日本国内で議論されるまで
の時間がかかる様になったり
あるいは、日本は、いろんな分野で
もう、第1線ではないということだ。
かつては、江戸時代から明治時代にかけて
いろいろ新しいものが流入したのだが、
蒸気機関車をスチームロコモーティブとは言わないし
民主主義をデモクラシーとは言わない
日本語は、漢字という表意文字をつかうため
それ自体ですぐに意味が分かるという
便利な機能を持っている。
だから、蒸気機関車=蒸気で走る機械の車
民主主義=人民中心の考え方と
わかるわけだ。
エッセンシャルワーカー、
ロックダウン、
ソーシャルディスタンス
何じゃそりゃ?
それは、得たいの知れないものへの
畏敬の念が強い様なきがする。
いいかえれば、
やはり、どこかに白人社会に対する
畏敬、あこがれの念が
根強く残っているのではないだろうか
これは差別だぜ!
ツイート、SNS、いろいろ使っているが、
ツイート=つぶやきだし
SNSにいたっては=ソーシャルネットワーキングサービス
で、余計わからなくなってしまう。
これでいいのかな????
とジジイはおもう。
外人が(あえて外国人とは言わないが)
日本人が英語を喋れないことを
バカにする風潮がある。
(てめえは、生まれてからしゃべっているんだろうが!!)
さらに言えば、ビジネス、インテリの中でさえ
そういう風潮がある。
このさい、どんどん全てを
英語の単語に変えて行って、
日本語をどんどん英語化すれば
1万年をまたずに
日本語が英語になって
便利になりそうなのだがね。。。。
褒めて伸ばす
今は、昔とちがって
子供の教育を中心に褒めて伸ばす時代。
子供の教育自体だけではなく、
いまは、成人に対しても
決して強い指導は許されない。
子供のころ褒めて伸ばすことがいいのかもしれない。
しかし、それは、叱ることをしては
いけないという意味ではないのでは
なかろうか。
叱る、怒る、という行為が太古の昔から
存在しているのは、
それなりの意味があるはずなのだから。
成功した人。。。は
子供のころ〇〇を褒められて
今、それがもとで成功しているとう
話をもとに、褒めるて育てることが
素晴らしいという風潮が、
行き過ぎで叱ってはいけない
という風潮になっている気がする。
医学の論文でいえば、
褒めて育てられて成功した人
褒めて育てられてダメになった人
叱られて育てられて成功した人
叱られて育てられてダメになった人
を全ての統計を取って
有意差を計算した上で
有意にほめて育てられて成功した人
あるいは叱られて育てられて
ダメになった人が多ければ
ものが言えるのだが
ま、世間やマスコミは
そこまでは調べてはいないだろう
子供のころにそうやって育った若い世代は
社会でも叱ってはいけないという
状況になってきて、
いまや、なんでもかんでもが
パワハラという時代。
叱られて当然の行為をしても
叱った上肢が罰せられるという
理不尽な事例が医療現場でも数々
出てきている。
これでいいのだろうか、、、、、
わたしの時代、は
ぼけ、カス、死ね、バカ
といわれながら、
今に見とれ!!と思いながら
生きてきたものだから
今、うだつのあがらない町医者
なのだろうか。。。。。。
今、コロナ騒ぎで
政府の行いが、ことごとく
マスコミを中心にたたかれている。
まったく、わけのわからないもの
に対しての対策であるのであって
やりすぎや、方針の誤りはあって
当然と思うのだが、、、、、、
かなり、結果論で行政をたたいている
のが現状だ。
まてよ、、、、
褒めて育てるのなら
政府も褒めて育てなけれはいけないのではないか??
結局、政府の政策を
批判するということは
叱る、行為と同じなのだから、、
そうか、政府や政策をよくするのなら
決して批判をせず、褒めなければいけないのだ。
。。。。。。。
年末年始?
年々、ますます年末年始を
感じなくなってしまっている。
ふとしたことに、また、一つ
それを感じてしまった。
というお話し。
年末の新聞のテレビ欄をみて
思ったこと。。。。
年末年始の深夜に流れる
映画が少ない!!!
映画好きの私は
子供の頃から
年末年始に放送される
深夜の映画をよく見ていた
記憶がある。
年末年始になると、
ほとんどの放送局が、深夜に
映画を流していた。
(多いところは2本だて、
遅いところは、朝4時過ぎまで。)
毎日5~6本あっていたので、
結構毎日、見る映画があった。
あまり有名でない映画でも
見たりして、
結構、いい出会いがあった。
また、遅い時間までテレビをやっているという
年末感があったものだ。
レンタルや、ビデオさえ
なかった時代には、
日頃の“○曜映画劇場”
なんかの映画放送を心待ちに
していた。
いまや、24時間、
いつでも、どこでも映画や
ドラマを見れる時代は、
逆にそんな小さな楽しみも
奪ってしまった要な気がする。
変なもので、
時間を決められて
テレビで流れる映画を見るときと
いつでも見始めれて、
途中で止めれる映画を
見る時の気持ちは
どこかちがう。
それが、何であるかは、分からないが、
その時間に合わせて途中の
中断なく見るということは、
集中力が違うのだろうか。
感動の仕方なのだろうか、
思い入れなのだろうか
なにかが違う。
最近は、もちろん映画館にゆく
時間もなく、テレビをゆっくり見る
時間さえないもので、
とにかく、BSの宣伝が入らない
映画を予約して、時間があるときに
見る様にしているのだが、
その中にほとんど、無名の映画で
結構、面白い映画に出会う。
むしろ、世間で評価が高い映画なんかを
見なかったりする。
(結構、面白くないものがおおかったりして)
今の時代、若者を中心に、
映画やドラマを見るときは、
☆☆☆☆☆の映画やドラマを
抽出して好きな時に
マルチメディアで見ることが
増えている。
飛躍した考えではあるが、
これは、ものい対して
他人の☆☆☆を信じて
集中しないで物事を
してしまう。現代の風潮を
感じてしまう。
病院でもそうなのだが、
☆☆には、かなり情報操作や
偏ったものがある。
☆が多い店に長蛇の列ができて
実際、行ってみると
自分の評価は、☆一つも
なかったりする。
いろんなことや、
いろんなところに足を
運んで、経験し、
いい出会いを見つけ、集中するということが
激減している。
これが、今の世の中なのか???
しいては、それが、私の好きな
町の小さな店がなくなってきている
原因かもしれない。
と、たわいもない、
年末年始のできことから
思いを馳せるジジイであった。
ああ、こんな小さなことの
積み重ねが、
年末年始をなくしているのだろうな。。。。。
年末に大阪で悲惨な事件があったが
その建物の前に花束が山住されている
写真をみてさらに心いたむものだが。。。
若い時に
ちょうどクリスマスイブに予備校の
同級生がもともと心臓に疾患があったのだが
家に帰った時に亡くなった
私もそれを聞いて花をかって
その同級生のいつも座っていた
机に花をそえた覚えがある。
たまに、道をあるいていたら
歩道に枯れた花や
品物がおいてあって
ここでだれか交通事故で亡くなった
のだろうなーと思う時もある。
10数年前になるだろうか
高松の病院の近くで、
若者が車で何人もなくなった
いたましい事故があったのだが、
しばらく花がたえなかった。
しかし、その時事故で
車が突っ込んできた家の人の話
を伝聞で聞いたのだが、
その家の人は、
家に車は突っ込まれて壊れるは
そこで人が幾人も亡くなったという
事実はのこるは
いやな思いばかりで
大変だったと聞いている。
その上にそえられた
花や品物をそのつど
処分しなければいけないし
いつまでも周囲の人にそういう目で
その場所をみられるし
とても嫌だった
という話を聞いたことがある。
その時初めて
花を添えるという行為は
そういう事なのかと分かった。
そういえば、なかなか
添え物をあとで添えた人が
かたずけに来たことは
あまり聞いたことがないし、
そこの場所で毎日生活している
人のことを考えたこともなかった。
おそらくそこに住んでいる人に
とっては、突然降ってわいたいやな出来事で
早く忘れ去りたいことなのだと思うのだが、
それを、花が添えてあるたびに
いやな過去を思い出しながら
片付けをするなどと考えると
忍びない。
一見、美しいと思われる行為も
よくよく考えると
当事者周囲の人にとっては
とても迷惑なことになっている
ということまで考えて
行動しなければならないことを
思いしらされた。
そえられた花見るたびに
どういう気持ちになるのである。
この12月8日は。。。。。
今日は、若干、硬い話。
12月8日は、太平洋戦争の
真珠湾攻撃の日なのだが
もうだれが、これを思い出すだろう。
今年でちょうど80年。
ある年代ではジョンレノンの
撃たれて死んだ日と考える
人も少なくないが、
それでさえも思い出す人は
少なくなっている。
驚いたことに太平洋戦争で、
日本がアメリカと戦ったことさえ
しらない若者さえ少なくない。
太平洋戦争がなぜおこったが
それは諸説、また、いろんな考え方が
あるだろうが、
一種の集団パニックが起こしてしまったことが
一因となっていることは否定できない。
このコロナ渦の様に。。。。。
若干、私独自の視点ではあるが、
太平洋戦争の事の起こりは、
大陸に権益を求めて行ったことから
始まり、それがもとで、
ソビエトや中国が脅威となり
いつ、権益を取られるかわからない
という疑心暗鬼からはじまって
満州国を成立させ、
国際社会からの孤立がはじまり
さらに中国と泥沼の戦争を始めてしまった。
それがもともとの原因なのである。
そこで、中国、東アジアで
権益をイギリス、アメリカと
せめぎ合う羽目になってしまったのである。
結局は、各国の権益、利益の取り合い
(今の世界もかわらないが)
日本は、当時アメリカから80%
石油を輸入していたが、
これを輸出停止して日本の中国からの撤退を
せまってきた。
ここで、日本は中国から撤退すれば
ことはここで終わったのであるが、
当初はアメリカは、満州国を認めるとまで
譲歩していた。
しかし、陸軍は中国から撤退はできない。
なにを隠そうそれをできなくしたのは
軍部というより国民の世論だったのである。
軍部と政府は年間の国費の8倍の巨額を
投じ、国民から大量の徴兵と
戦死者をだしているものだから
当然プロパガンダで
日中戦争と日本の行為を正当化しているし
日本の軍隊は無敵で、不敗神話を
まきちらしていた。
そこで国民の世論は、どんどん
激しくなり、いまさら中国からの
撤退など言い出せなくなっていた節がある。
それができないならアメリカも譲れない。
となるとドイツがフランスを降伏させ
イギリスを追い詰めているこの時
南方へ進出して石油資源を確保するしか
ないとかんがえたのである。
さすがの陸軍でさえも
まともに戦ってアメリカに勝つとは
思っていなかったわけで
南方へ進むなら今しかないと考えただけで、
また、海軍も
アメリカとの実力差は承知のうえで、
これ以上、期をのばしたら
戦力比、石油備蓄のことを考えると
この時しかないと考えたのである。
ただもとをただせば、
自分たちの嘘で固めた
プロパガンダのおかげで
最強不敗の日本軍が中国から撤退し
アメリカに譲歩するなそ
いいだせなかったのである。
しかし、国民の個々の心のなかでは
戦争はしたくなかった。
この個人と集団の思考のギャップが
集団のパニックへと引きずられていった。
戦争がはじまったらさらに悪循環が
生じ、とうとう原爆投下までに至って
しまったのである。
というのが私の考えるところ。
このコロナの中、同じようなことが
起こっている様な気がする。
もっと悪いことに
SNSの発達により
誰か少数の人間がつくりあげた
世論が独り歩きして
妙な世論になって、国政まで動かしている
様なきがして、、、、
なんだか怖い。
お菓子のおまけ
最近、スーパーで
動物の森のチョコがあったので
何気なくかってみた。
どういうものでもないが、
どんなおまけが入っているのか
見たくてちょっと買ってしまった。
ま、チョコレートがおまけみたいな
ものなのだが、
そういえば、子供が小さい時に
チョコエッグが流行って
子供に見せるために
何個もかった記憶がある


このころから
お菓子とおまけが
逆転した様な気がする。
実は、おじさんが当時
一番かった食玩は
ワールドタンクミュージアムという
戦車がおまけについてくるもので
そのお菓子たるや
小さなガムが入っているだけで
食べることもなく。。。。。。

なんでお菓子が入っているのかは
なぞだったのだが、
どうも店、特にコンビニやスーパー
に置くために
そうしていたらしい。
いまは昔
そういえば、おまけといえば
グリコのおまけが一番い思い出す。

あんなたわいもない
おまけを目的にして
よくもまあ買ったものだ。
気が付けば、
おまけの箱が大きくなったのを覚えている
(なかなか買ってくれなかったが)
古いところで
それから私が好きだったのは
マーブルチョコ
この中に鉄腕アトムのシールが
はいっていて
それを窓ガラスにべたべた張っていた。
(その前はチロリン村のシールだったが
鉄腕アトムの他にジャングル大帝も
あった様な気がする。)


その中でも一番好きだったのは
シスコーンのおまけ

お菓子とおまけが逆転したのは
ビッグワンガム。

お菓子だけではなく、
おまけ
というものに弱いのは
人間の嵯峨なのだろうか
電子化の波が当院にもやってきた
私の目の黒いうちは電子カルテ
を使わないでおこうと思っていたのだが、
世の中の激流には勝てず
電子カルテを導入する羽目になった。
患者さんは、電子カルテを導入すると
どうしても医者が
画面にくぎ付けになるから
嫌がる。。。。。。。
当院の様にほとんど私一人で
切り盛りする様なところは
アナログの方な絶対的に
便利だし、なにごともスムーズに
運ぶのだ。
だけれども、時代の流れと政府の強引な方針には
逆らえないのが現実だ。。。。。。
電子カルテというと
普通のカルテに書くことを
コンピューターに入れるだけと
思われるかもしれないが、
実は、医者の仕事量が
圧倒的に増えるのである。
先ず、いままでカルテに書いていた
ことを書く。
(結構、キーボードを打つのは早い方であるが、
誤字、変換を考えると手で書くのが圧倒的にはやい。
その上絵や図を書くのにはやはり
手書きの方が早いし、書きたいことが
すぐかける)
次に薬の処方を入れる。
(いままで、口で、事務や看護師に
指示していたこと)
(細かな錠剤の種類をいちいち探して
入力し、日数なども入力しなければいけない。)
そして、検査のオーダーをだす
(これも口で看護師に指示していたこと)
(外の検査会社にだすために伝票がいるが
それもいちいち探してチェックしなければ
いけないのだ)
そしてレセプト
レセプトというのは何をいくらでした
のかを私が考えていちいち入れなくては
いけないのだ。
(細かいものがあってこれがまた面倒)
これだけのことを
患者さんを診ながらするので
患者さんの方を向く時間が激減し、
皆さんが言う、いわゆる
“最近、医者は画面の方ばっかり
むいて全然こっちを見ない“
という状態が発生するのである。
じゃ、これだけすれば
他の人間は、することが減るのかというと
事務は事務、看護師は看護師で
それぞれしなければいけないことが
あり、仕事量が減るわけではない。
昔、電子カルテが出来た時
人員がへり、人件費が減少しますと
いううたい文句で登場したが、
実際は、それどころか、クラークという
入力を肩代わりする人員を
雇わなければいけないこともあり
逆に人件費がかさんだりすることがある
のである。
確かに総合病院では
各科のカルテがなくなり
カルテが共有されるので
患者さんが、他の科でなにをしているのか
どんな検査をしているのか
どんな治療をしているのかが
わかり便利といえば便利
ただし、カルテの中身以外は
いままでも見れていたし
検査も見れてはいた。
昔だったら、患者さんの〇〇科の
カルテをとってきて、、、
なんてね。。。。。。
よって、クリニックでは、この点では
利点にならない。
最終的にマイナンバーカードを利用して
その人の全国のカルテ、検査、処方が
すぐわかる様にしたいという
壮大な計画があるが、
実現には程遠い状態なのが現状。
さいきんNHKのクローズアップ現代に
香川県の電子化のことがでていたが、
実際は問題が山積みで
なかなかうまく行っていないのが
現状だ。
だいたい、電子カルテというのは
会社ごとに違っていて、
他の病院にいっても使い方が
すぐにはわからない。
スマホのエクスペリアとiPhoneの
違いの様なもので、大変なのだ。
厚生省もソフトを基本を統一かすれば大変
普及が早くなるのに、
利権がからんでくるので
これもできない。
(韓国は、サムソンが強く
ほぼ統一しているらしい)
最終的に医療費の削減になると
結論づけていたが、
そうは問屋が卸さないのが
この世の大人の世界。
実際の今の医療の現状は、
保険財政という財源に
いろんな業者が介入し、ぶら下がって
いる状態。
以前は、保険財政に医療関係者だけ
がぶら下がっていたものが、
建築業、機械屋さんなどなどが
搬入し、
さらに小泉改革のおかげで、
一般の企業がどんどん経営に
参入し、利益追求をする様になり
さらに財源がなくなるや
介護保険という新しい財源を生み出し
いまではその財源の分捕り合いが
あっている状態。
医療をマイナンバーカードで行おうとしているが、
だいたい、保険書をリンクしようとしたのは
マイナンバーカードの普及をさせるための
生贄????
マイナンバーカードは
だれがいつ、どこで、金を出し入れしている
のを知って、くまなく税金をとり
だれが、いつ、どこで、病院にいって
健康状態を把握する。
いずれは、すべてのことで
だれが、いつ、なにをしているのかが
分かる様になるのであろう。
キャー、大人の世界はいやだねーーー
そういえば、最近、徳島の
半田病院にランサムウエアが侵入し
数万人分のカルテ、データを
持って行ってしまった。
身代金の要求があったのかどうかはしらないが
これの改修に2億円かかり、
データの復旧はのぞめない。
また、坂出のとある病院では、
データが消失してしまう
事故があり、膨大なデータが
消失されてしまった。
あー怖い怖い。
時代の流れというのは
本当に怖い。
当院は、患者さんの年齢層が高い
こともあって、毎日、毎日
睡眠薬をだしてくれという
要望が多い。
私、寝ることにかけては病的で
ま、、、、、寝付けないことがなかなかない。
子供のころこそ
遠足や運動家の前の晩は興奮して寝つきが
悪かったり、
大學の頃であれば
試合の前日には次の日の試合のことが
頭に受かんで寝付けなかったことがあるが、
今はほとんどそういうこともない。
(昼間、チョー頭にきてムカムカして
布団の中に入るときは別だが、、、)
それどころか、最近は
つかれて床に入る前に
机で寝落ちしてしまうことが度々ある。
睡眠障害には
入眠障害(寝付けない)
中途覚醒(途中で目がさめる)
早期覚醒(早く目がさめる)
熟眠障害(深い眠りができない)
がある。
入眠障害の人は、結構定時に
床に入る人が多い。
人間、いくら毎日同じ行動をしても
眠い日と眠くない日があるわけで、
同じ時間に布団に入ると
眠気がないのに布団に入ることになって
それ自体、眠れないという行為に対して
焦りがでて眠れないという意識が強くなる。
これが、頻回につづくと
条件反射が形成されて
(梅干しを見ただけでつばがでてくるというやつ)
布団に入る行為=眠れないという
意識になってしまうらしい。
もともと夜型の人を早く寝させること自体が
むづかしい。
睡眠薬もテレビに出てくる様に
直ぐねむるほど強い物は珍しく
基本、眠気が来ないと効かない。
多くは、精神依存性で、
飲んだら眠る、飲んだら眠るを続けているうちに
飲まなければ寝れないと変わってくる人が多い。
とにかく、時間を決めて床にはいらないこと
眠気がなければ基本、起きていることが大事。
(スマホ、パソコンなんかをしたら
余計にねむれないが)
(私の最大の睡眠薬は英語の論文を
読むこと。。。一行で寝てしまう)
中途覚醒は高齢者に多く
尿回数が増えて尿意で
目が覚めてしまう。
それでトイレに行くとその行為で
完全に目が覚めてしまう。
(アルコールを夜飲む人にも多い
アルコールには利尿作用がありますので)
アルコールをさけて電気をつけて
寝るなど外部からの刺激をできるだけ
遮断する。)
早期覚醒も高齢者に多く
大体、よく聞くのが
9時頃寝て3時に目が覚めて
それから寝られないという風なことを
よく聞く。
(特に高齢者はすることがないので
早く床に入るという人が多い。)
大体、高齢者は必要とする睡眠時間が
すでに6時間を切っていることが多く
早く寝ると早くおきても仕方がいことが多い。
そういう人は寝る時間を遅くすることを勧めている。
熟眠障害は、基本的に昼間につかれるほど
活動していない人が多い。
(肉体的にも精神的にも)
また、寝酒をする人は、
寝入ることはできても
(眠くなるほと飲むという事は結構な量)
熟眠障害が来やすい。
睡眠のリズムがアルコールでくずれて
回復するのに1っか月ほと断酒しなければいけないと
言われている。
また、昼寝は1時間以内では
した方がよいといわれている。
スペインなどは、昼寝の習慣が
いまでもあるぐらいである。
しかし、1時間以上なると夜なられなくなる。
とかく、現代人は、朝、起きて日光を
十分浴びることもなく、
夜間に光度の高い電気の下で生活し
最近は、寝る前までスマホにかじりついている
人が多い。
これでは睡眠障害がふえるばかりなのである。
とはいえ、仕事をしている人間は、
夜更かししたり、朝寝坊することはできない。
今、私、
5時30分に起きていて
慢性の睡眠不足で
このコロナ渦で仕事もふえて
年齢も重ね、
疲れやすくなり、
このブログを書きながらも
2度ほど寝落ちしている。
背伸びの時代
去年も話題にしたのだが、
おじさんは、やっぱりこの季節になると
頭の中に山下達郎のクリスマスイブの音楽と
JR東海のクリスマスエキスプレスの
画像が頭に浮かんでしまう。
思えば、思い切り皆が背伸びしていた時代
60年代から高度経済成長が始まり
日本が急成長をはじめ
70年代社会の成長が鈍りはじめたのに
それがわからず日本人は、
自分自身をどんどん背伸びさせてしまう
80年代には社会の成長の鈍化にもかかわらず
自分自身の見栄をはって背伸びしすぎてしまい
90年代はその矛盾から
社会も人間もバブルが崩壊してしまう。
幸か不幸か
60年生まれの私はそのど真ん中で
生まれ育ち、青春時代から
意気盛んな時代をすごしてしまった。
あのJRの宣伝からわかる様に
みんな見栄をはって
着飾って無理しながら生きていた。
でも、それが楽しく、なつかしい。
昔を懐かしむなんて
なんと、じじいか。
そういえばJRの宣伝、
今の人達には当時の雰囲気が決して
伝わらないと思う。
なぜなら、当時は、携帯電話がなかったのだから。。。
今は、遠く離れていても
携帯やメールで常にリアルタイムで
連絡を取り合えるし、
スマホで、リアルタイムで
顔をみながら会話もできる。
つまり、当時の距離感、
会えることの感動は
今とは比べ物にならないから。
医者になってしばらくすると
ポケットベルを持たされて
ベルがなると、あわてて
電話を探して病院に電話するという
状態で、なんだか病院に鎖を付けられた
感があり、いやな気がしたもんだ。

また、特に当時、東京では公衆電話が
いつも長蛇の列だったので
電話するのが大変だったし、
田舎の病院では公衆電話が
周囲になくて
どちらもあわてて病院にかえった
覚えがある。
個人でポケベルを持っていた時は
最初は、ベルがなるだけで
病院にかけて違ったら
家にかけるという手間もあった。
それからしばらくして
電話番号がでたり
数字が入る様になって
数字を入れることになって
暗号化してどこからかかってくるか
分かる様になった。

それから数字がたくさん入れれる
様になって、ちまたでは、
数字で会話をするのが流行った
(たとえば14106=愛してる
の様な感じで)
それからすぐにカナが入れれるようになり

それから一機に、携帯電話に駆逐される。
それと共に次第に
病院や家にどんどん
がんじがらめになってしまった。
そんなことを考えると
便利な反面
なにかをなくしていいっているようで
寂しい。。。。
口がこえるのは怖いこと
顔に似合わず甘党のわたし。
今、コンビニのスイーツは
どう考えても
そんじょそこらのケーキ屋よりおいしい。
(関係者の方はすいません)
以前に比べれば格段の差がある
(洋物はいいが、和はいまいちか?)
特にロー〇ンのスイーツは他の
コンビニより一段抜けている様な気がする。
坂出では、か〇どのケーキが
今でも町の本流だが、
それより。。。。。。。。。。
そういえば、
昔、高松でケーキといえば春風堂。
いまでは、小さなパン屋さんになっているが
子供のころには結構店舗があって、
ケーキといえば春風堂だった。
ケーキ自体が高級品であった当時
春風堂のケーキを食べることは
特別な日であった。

ネットで見つけた春風堂の包装紙
今の高松でいえばルー〇なのであるが、
それも今では、老舗となって
以前ほどのネームバリューはなくなってきている
気がする。
結局人間、口が肥えるのと
味に飽きがでてしまうのだ。
特に讃岐人は、
新しもの好きなのだが
飽きやすい(田舎人の特徴?)
私の私見ではあるが、
スイーツの味ももうすでに頂点に
達しており、その店の人気は、味に飽きられる
かどうかで収束するのではないかと
思っている。
そういえば、サティーに20年ぐらい前に
新しくシュークリーム店がはいって
いつも行列ができていたが、
3か月後には行列がなくなり
1年もたたずに店をしまった。
ゆめタウンでも
パブ〇という店が出店して
2~3か月は行列ができていたが、
今は店舗縮小
最近では南新町に
メロンパンの店ができて
行列がすぐなくなって
今は閉店。
タピオカの店も一機に出店して
今は、ある???
(パン屋さんはまだつづいているが。。)
(流行を狙ってちょっとヤバ目の人達が
儲けを狙って一時的に出すこともあるので
ご注意を)
そういえば、
コンビニ自体も、サンクスや、ポプラはどこに行ったのだろう


東京でよく見ていたampmは今いずこ?

今の社会はSNSの発達で
若者を中心に情報伝達がはやく
それにつれて盛衰もはやい。
昔、店の宣伝をするなら
人をやとって銭湯で大きな声で
“あの店はいい”としゃべってもらったり、
町のいわゆるスピーカーといわれる
おばちゃんに
いわゆるスピーカーになってもらったり
する宣伝方法があったが、
いまではSNSにかなわない。
今後も栄枯盛衰は激しさをますのだろう。
それにしても
子供のころにみた
ちいさな店のガラスケースの中にならんでいた
様なケーキがなつかしく

時々たべたくなったりする。
先日、朝、衣料品店のウインドを
開店前にのぞいていたら、
若い帽子を横にかぶった店員の
おにいちゃんが掃除をしながら
“接客はできんけど、見るだけなら見て行って
いいよ”っていわれた。
ん。。。。。。。。
日本は、“おもてなし”の文化というが
今は死語??
大体、“おもてなし”というのは、
来た人を歓迎し、接待するということ
つまり相手の気持ちを考慮して
相手をいい気持ちにさせて、歓迎の意をみせるということ。
これは私の独断ではあるが、
日本は、おそらく、小さな島国で、
人口密度も高く、なかなか、海の向こうからの
大きな外敵とたたかうこともなく
歴史と積み重ねていったため、
集団を温和に維持し、内輪もめ、をおこさないことを
主眼として生活してきたと思われる。
そこで言葉は、敬語が発達し、
おもてなしという単なる接待とは違う
文化が発達したのだろう。
それだからか、妙に他人の目を気にする。
自分のことを、他人はどう見ているだろうか
ということを考えがちで
国家でさえ、日本がしていることに対して
外国はどう見ているのかを気にしすぎる
気にする。
大陸国家の大国中国はその真反対
中国は、さすがだと思うところは
自分のやっていることを他国が批判すれば
他国が悪いと公然ということ。
少しは、日本もみならうべきなのか???
話は、変わるが
私、基本的にレジ袋の有料化には
最初から反対で、
〇泉さんのパフォーマンスに
近いものだと思っている。
だいたい本末転倒で、レジ袋を有料にする前に
高価でも環境に適合したものに
変えるとか、するのが先であり
思い付きをコロナ渦で強行した上に
この選挙では自画自賛している。
やっぱり世間知らずのお坊ちゃまという気がする。
それよりなにより
失ったものの方が大きい
レジ袋がなくなったためかどうかは
わからないが、
レジでの対応さえ悪くなった様な気がする。
ちょっとした心づかいが減った様な気がする。。
自動レジの導入もあいまって
すくなくとも店員と客との接点がへって
おもてなしどころか
人と人とのぬくもりが減ってしまった。
香川県唯一の〇越デパートでも
以前なら小さな袋をいくつも抱えていたら
すかさず大きな袋に入れ替えてくれたのだが
売り場で袋を要求すると
いちいち“有料です”といわれるは
受け付で袋を要求すると
もちものを“当店で購入したものですか”
と聞かれるは
これにはまいった。
デパートでさえもう
おもてなしどころか気遣いさえ
できなくなっているのだ。
結局、ほとんどビニール袋の
減少にはつながらなかったのだが
〇泉さんは
“国民への啓蒙にはなった”と言い張っていた。
しかし、
人と人とのつながりという
絶対に失ったものの方が大きい様な気がする
それにしても
“おもてなし”の文化は
もともと幻想の様な気がするが、、、
いま、ほとんど
休みがない日々を過ごしているのだが
唯一の休日が日曜日(今日は当番なのだが)
やはり、土曜日に仕事が終わるとホットする。
その時間帯にボーとテレビを見るとことが
一週間で一番安らかな時間かもしれない。
(子供のころに土曜日の昼に
吉本新喜劇を見ていたように??)
最近まで、土曜日の夕方NHKで
名探偵ポアロを見ていたのだが
(録画して、帰ってから見る)
それが終わってがっかりしていたのだが、
今は、
刑事コロンボがあっている
1970年代に作られた
傑作テレビドラマである。
傑作であるが故、なんども再放送が
あっている。
殺人の種明かしをしてから
見栄えのわるい刑事が
セレブを追い詰めてゆくという
ストーリー展開が当時は、新鮮で、
それまでは、
2枚目の刑事が、いつも
その給料では買えないであろう
高そうなスーツを着て
高級車にのり、綺麗なお姉ちゃんと
イチャツキ(なぜか独身が多い)
日本では、ありえない拳銃をうちまわし、
スーパーマンの様に犯人を捕まえると
いうものが多かったのに
日本の刑事ドラマはこれを
境に一変してしまった。
古畑任三郎はまさに
刑事コロンボそのものであった。
当時のアメリカのテレビは
まだ、映画との差が厳しく
出演俳優は、映画ではわき役か
主役級の俳優が、年齢的に準主役に
なってしまった様な俳優が出ていた。
主役のピーターフォークも
映画ではパットした役がなかったが
このテレビシリーズで、
その演技のうまさから、一機に
スターダムにのし上がった。

右眼は子供のころの病気のために義眼で
動かないのだが、それを気づかされない
演技がすごかった。
また、出演者がピーターフォーク
の人脈でかなり有名俳優で、実力派
の俳優が多く、とても素晴らしい。
シリーズ制で毎週する作品でなく
時間も1時間30分前後の
1話完結で、丁寧につくられていて
ストーリー展開が面白く、
また、初期は、当時はまだ駆け出しの
スピルバーグなどが監督をしており
画面構成も秀逸なものが多い。
今見ても、決して色あせない。
さらに、当時日本語版を担当していた
小池朝雄が(これもまたわき役級の俳優で)
秀逸であった(声優でなく俳優であったのが
よかったのかもしれない)
それをまねた日本の刑事ものは
見るに堪えないものがおおい。
(実際ほとんどみていないのだが)
個人的にいえば、
1.忘れられたスター(32作目)
2.別れのワイン(19作目)
3.ルーサン警部の犯罪(38作目)
4.2枚のドガの絵(6作目)
5,溶ける糸(15作目)
が面白い
1971年から78年までつくられて一旦
終了していたのだが、
89年より再開したのだが
さすがにそれからはいまいち(46作目以降)
今、日本でも海外でも
粗雑なテレビ番組や映画が
どんどん増えてきて見るに堪えないものが
多くなっている
こういう古い番組を見ると
なぜかほっとする。
来週選挙
あ、来週は、当番病院、、選挙にイケナイ
記述前投票。最近、毎日仕事が
おそくて行けない。。。。
なんて。。。。
以前、書いた様に選挙のたびに
いいことばかりいって
選挙のたびに社会福祉費が増える。
あとで、大変なのに、、、、
という議論がやっと
ニュースになり始めて
うれしい限り。
人間楽をすれば、後には戻れない。
社会福祉費があがれば
減らすことはほぼ不可能。
この少子化で今後だれが払うの?
目の前のあまい選挙公約は
いつか増税、年金の減少、医療費の割合の値上げ、
介護費の値上げとかならず帰ってくることを
わすれずにいてほしいというのが
私の思い。
少子化対策も金のバラマキの話ばかり、
それで少子化が止めれるはずがない。
などなど、、、、
人間は、やはり弱いもの
どうしても目の前の今の生活が
少しでも楽になったり、
自分の商売が楽になったり
あるいは、地元にとりあえず
利をもたらしてくれそうな人に
投票する。
それでいいの??
私の町医者のプロ
政治家は政治のプロでなくちゃ。
選挙で行っている医療、コロナのことなんぞ
われわれから聞いたらどの政党も
行っていることがピンと外れ。
なんで、もっと現場の声を反映できないのか???
どこかの政治家がコロナの流行の予測がはずれて
バカにしていたが、
てめえの財政政策や予想は大外れしてないか?
議員というのは
特に首相なんか、
結局は仕事でいえば上司や
社長を選ぶこと
自分より年がわかくても
仕事の上司を選ぶのと
かわらないわけだから
どの人が自分の上司に
なっても働けるか考えたらおのづと
選ぶ人は決まってくるはず。
あ!大変だ、
どこにもいないぞ。。。。
なんてね。
大体選挙公約なんて
すぐにやった試しがないし
やったところで
成功したこともない。
選挙公約なんて
やめちまえ。。。。
詳細はいわないが
どこかの党が政権を握ったとき
とりあえず自分の党の
票をふやすため公約外の政策を通そうとしたときには
(うまくいかなかったが)
本当にびっくりした。
今の政治家は
与党と野党も
どうも選挙のための政治を
やっている様な気がしてならない。
だってアメリカの大統領選挙でさえ
そうしているし、
今の大統領は、あれだけ期待されながら
開けてみれば失敗ばかり。
これは民主主義の限界か???
与党も野党もどうかんがえても
政治家が一般民の本当の
ところの気持を分かっているとは
おもえない。
これでいいのかな。。。。
昔みたいに
選挙に負けてもいいから
後、後のことをかんがえて
政策をむりに通した
本当の政治家がほしいものだ
コロナの対策だって
本当は、挙国一致で全ての党が
参加して、党派や
選挙の票を考えずに
対策をしてほしいところが国民の願いだが
日本の政治や政治家に
それだけの度量はない。
あくまでもゆうけど
来週は、当番業員で
選挙にイカナイではなく
選挙にイケナイ。。。。。いろんな意味で、、、
今週は、スーパー手抜き
今週は、衆議院も解散となり。。
政治には疎いので
選挙のことはほっといて
今週のブログはスーパー手抜きで、
最近つくった病院の
秋バージョンの置物を
写真で、。。。

一見、本にみえて。。。



本のなかからトトロが

本の中から秋が、

イチョウ並木が
よくみると小トトロが

というばかな
ものを
このくそ忙しいなか
つくってしまいました。
へへへ。。。。
10月といえば運動会
われわれの世代では運動会といえば
10月10日は
東京オリンピックが開催された日で
それ以来、日本で体育の日、
運動会といえば10月10日
いまでは暑くなってしまったが、
子供のころは丁度いい季節だった。
クシコスポスト、道化師のギャロップ、トランペット吹きの休日
の音楽がながれると
どうも気持ちがウキウキしてくる
(懐かしいからyoutubeで聞いてみて)
オリンピックで、100mや
リレーなど陸上凶器の時この音楽がながれていたなら
きっと好成績だったにちがいない。
自分の子供の時代になると
トトロの音楽が中心になっていたが、、、、
私は、小学校のころは小太りで
体も弱く(??)
運動神経もなかったので
決して、運動会で活躍する方ではなかったが、
それでもなんだか楽しかった思い出がある。
私は、中学校になって体格が
よくなって、軟式テニスのクラブに
打ち込むようになると
走るのも若干早くなり
逆にバカチンになったので
運動部系としては
運動会は自分の表現の場に
なる様になった。。。。???
小学校、中学校といえば、1年1年
成長がはやくて
上級生をみると体格の差に圧倒され、
はやく上級生になりたいと
おもった覚えがある。
中学校にいたっては
入ったばかりの時
3年生といえばスーパー大人に見えた
いまではスーパー子供にしか見えないのだが、
(高校生の時はそうでもなかったが、
大學生になると。医学部は6年生で
浪人して入ってくるにんげんもたくさんいたので
おっさんたちにみえた)
(それも、いまでは子供にしか見えないが)
今はどうだかわからないが、
わが子のころは
徒競走などで順番を決めなかったり
リレーが選抜でなく全員競技であったり
クラス対抗で点数もつけなかったり
なんだかとんでもない様な気がする。
(運動部系はどこで自分を
表現したらええんじゃい!)
小学校のころは、5年6年になると
相撲体操といって
皆、ふんどしを閉めて
しこを踏んだり、していた。
組み立て体操は、
学年が上がって行くほどだんだん
高度になってピラミッドの段も
だんだん高くなっていた。
また、他の学校のやからが
冷やかしに来るのを阻止するために
運動系が警備していたりしていた。
内気な私は???
フォークダンスなんかで
ドキドキしていた??
また、棒倒し、騎馬戦は
必ずけが人がでるほど
激しくやっていた。
いまや、いろんな制約で、
ふんどしをしは人権侵害?
組み立て体操のピラミッドは危険
とか制約がついて
なんだか寂しさを感じるのである。
それにしても、
中学校の運動部の花といえば
サッカー、野球、テニス、、、
だったのだが、
この10年でサッカー部のキャプテン、
野球部のキャプテンが病気で死んで
次はテニス部のキャプテン???
それ俺やん!
平等という名の不平等
7時のNHKのニュースをみていたら
天気予報の場面で、
男のアナウンサーと
男の予報士がしゃべっていた。
なんか違和感。。。。。。。
予報士が男なら聞き手は
女性のほうかなんかすっきり来る。
予報士が女性なら
聞き手は男性の方がなんかすっきり
する様なきがする。
これ、私だけ???
自民党の総裁選挙で今回
4人立候補した中で2人女性だったのだが、
組閣でもどうにか女性を多く
入れようという機運がある。
なにか、最近、色々なことで
無理やり女性を起用することで
世の中に平等感を誇示しようとしている
面があるみたいでなにか
違和感を感じるのである。
日本という国は、外国の評価を気にする
民族であるから
どうも、急に、無理やり、平等感を出そうと
して必死な様な気がしてならない。
その日本が気にする外国、特にアメリカ
こそ、その無理やり感が強い。
特にハリウッド。
最終的にはやめたらしいが
あの007が黒人の女性に
なるという噂があった。
007は、白人のスマートな
男性がするから007の話が通るので
あって。。。。。
そもそも昔から主題歌を男性と女性を交互にしたり
黒人と白人を交互にしたりする
平等感を出そうという風潮があった。
アカデミー自体も
平等に対しては非常にナーバスで
黒人の受賞が少ないと
批判がでると次の年は
オールとは言わないが黒人の映画や
受賞が突然多くなったり、
アジア系への配慮がないといわれれば
作品賞、監督賞が韓国の映画になったり
なにか、ぶれまくる。
しかしその実は、
黒人やアジア系へのギャラが
少なかったり、扱いが悪かったり
するのである。
もともと、ハリウッドは、ユダヤ系
の白人が主体となってできた
ところであるので、
映画がユダヤ系からの目線が強い
しかし、社会ではユダヤ系に対する偏見は強い。
このコロナ騒動でもわかる様に
黒人は白人に対する差別をうったえながら
アジア系に対しては攻撃する
(もともと、白人、黒人、アジア系
という社会的ヒエラルキーが存在するから)
何か、全てが無理やり感があって
息苦しささえ感じるのである。
男女だけでなく、
今はドランスジェンダーに対して
も考慮しなければならない。
もう、大分前になるが、
小泉首相が
“男らしい、女らしい”
という表現を使って責められた
ことがある。
能力があれば、性差、人種を問わない
というのが本来の平等であって、
運動でいえば、
女性で、男性より早く走る者は
いくらでもいる。
だからといって、男女のスポーツを一緒に
するわけにはいかない。
(いまトランスジェンダーに対する対処が
問題になってきている)
パラリンピックの様に
将来的には男女、障害の程度を数値化して
(あるいは年齢も考慮して)
アドバンテージを数値化し
皆、一緒にやるのだろうか??
実際、医学的にいえば
身体、病気で、歴然とした差が
男女にはある。
もっと、社会に応用性が
効かなければ
無理な平等は、
本当に息苦しい世界になってしまう。
特に男尊女卑の文化が強かった
日本では。。。。
と思うのですが、、、、
おじさんのイライラ
おじさんになれば、どうも、
今の人達の振る舞いにいらいらする。
大体、日本語は、敬語が発達している。
これは、なにか、目上の者、年上のものを
敬う。その文化が強いから、
敬語だけではなく、おじぎや、
席の位置、行動の順番、いろいろな
振る舞いが年上の者、目上の者を決めている。
大体、これらがなぜ、発達したかといえば、
ここからは、完全に私の私説であるが、
狭い島国で人々の生活はうまく、
潤滑に集団生活するには、
この言葉、振る舞いが発達するしかなかった。
つまり、集団生活を円滑に進めるためには
非常に大切なものなのである。
ところが、最近は、
集団生活を嫌い、集団行動を嫌い、
誤った意味で個人を重要視し、
スマホを中心とした
人とのふれあいを嫌う文化へ
変化しているものだから、
おじさんは、イライラすることが
多いのである。
コンビニ
女の子の店員さんに多いのだが、
レジに行くまで、ずっと一緒にいる子と
ニコニコ話していて
レジに行くとたんムスっとした顔で応対する。
(俺の風体がわるいのかもしれないが)
外国人の店員さんに多いのだが
人が買ったものを
まあ乱雑に扱う。
ファストフードの店で多いのだが
どう見ても作った笑顔で
応対し、しゃべりはマニュアル通り
態度は、顔としゃべりとは全く関係ない
行動をとる
顔で笑って、丁寧にしゃべって
やることは雑。。。。
歩道では
自転車を2列並列で走っていて
ジジイである歩行者をよけよう
しない。
大体、男は私の風体を見て
よけるのだが、女子高生なんか
はよける技量が
ないのかなんなのかよけないし
並列を崩そうとしないので
ぶつかりそうになる上に
迷惑そうな顔をしてゆく。
商店街を砂利どもが
3~4人並列で歩いていると
まあ、同様のことが起きる。
以前は、ど真ん中を通っていたのだが、
今は感染が怖いのでしおらしく
よけてしまう。
(残念)
路上では、
車を運転していて
まあ、ウインカーを出すのが遅いこと
片側2車線で道路の真ん中で右に曲がるのに
突然ウインカーをだしやがる。
片側1車線なら
後ろは渋滞。
(私、そうなるのが嫌なので、
右折しないでいい様な道を通って
行くことにしている。
(すごいでしょ)
前から思っていたのだが、
介護の施設の前で
歩道で車を何台もとめて
高齢者の昇降を行っているのだが、
これあり?
高齢者を立てにした道路交通法違反じゃないの?
だいたい、こういう施設を作るときは
そういう昇降の場所を作らなければ
いけないはずだし、
認可するな!!
とコロナ渦で
さらにイライラするジジイでした。
あーまた朝がやってきた。
私、一応、水曜日と土曜日は
半ドンになっているが、
実質的には今は、コロナの接種会場にいったり
訪問や裏の施設を診たりで
実質は半ドンでは、、、、、、(労基に引っかかる。。
しーーーーー“
なんとも最近、一日が早い。
朝、起きて気づけば夕方。
政府お上は、
コロナの流行を抑えるのに
医療崩壊と、医療の体制の制にしている。
医療崩壊が起こるから
皆、外出を控えてください??
なんだかね。。。。
われわれにしてみれば、
責めるとこはそこ???
って感じ。
その上、ワクチン、PCR検査がうまく行かなければ
今度は、医師会の制???
病床がたりないのも医師会の制??
医師会という組織は、所詮同業者組合で
(すいません、父と兄は香川県の医師会長で。。。)
開業医を中心に入っている。
医者が全員、医師会員なんてことはない。
医者の約半分強が医師会に入会しているが、
A会員といって実質の医師会員は
1/3ほどで、
決して医師会がうごいても
医者が全員動くわけではない。
それもクリニック中心なので、
やれ、ワクチンだ、PCRだといっても
なかなか小さなクリニックの
人員と設備でするのは難しい。
(それでもほぼ使命感でやっていると
いろいろ苦労の連続である。)
もちろん入院がある施設といっても
整形外科や療養型の入院が多く
そこは、むづかしいもの。
設備的にも人員的にも難しいい。
精神科の病院でコロナを受け入れます
なんてできないのが当たり前で
他の病院でもそれに近い。
医師会は政治家を動かしている
というバカなことをいう評論家もいるようだが
以前もいった様にもう医師会にそんな力はない。
それが証拠に今、入院施設、特に
一般の病床をもった病院は
圧倒的に減らされて、クリニックが
増えている。これは政府の圧力で
こういう風になってしまったのだが、
元厚生官僚なる人達はそれを知りながら
抵抗してい来た医師会に恨みがあるのか
医師会が悪い風に平気で言っている。
それでも地方はどうにかやっている
所が多いのだが
(当坂出でも医師会員は交代でフルに
ワクチン接種会場にいってPCR
センターに行っている。)
(ワクチン接種の最大の問題は
ワクチンの量がないことであって
PCRができる施設が少ないのも
圧倒的に機械が少ないこと。決して
医師会員が個々にできることではない)
(コロナ患者の在宅も個々の病院では人員的に
不可能にちかいのでいま療養ホテルの新設を
申請してるところだが、できるかどうか)
医師会に対してそんなにいい風に
思っていない私でさえそう思うのです。
問題は首都圏や大阪。
だいたい、どこにも属さない
フリーの医者が多く、
いわゆる派遣で生活している
医者も多い。。。。。
そりゃ動かんわ。
金を吊り上げてやっとワクチン会場に
医療関係者が集まるなんて。。。。
われわれの若い時代であれば
医局に人員がわんさかいたので
(以前、言った様に厚生省につぶされた)
おそらく若いドクターは
“お前なんか、病院にいたって
役に立たんのだから、コロナの病院にいってこい!!
と命令されていたのは間違いない。(もちろん、ただで)
(今そんなことやっていたら
パワハラで教授や講師の首がとぶ)
当時なら、どうにかうまく行った
様な気がする。
大げさだけれども、まだ当時は、
戦争とまではいかないが、災害なんかが
あって医局に命令されれば
出動する医者としての
使命感は教育されていた。
こんなことが、医療だけではなく
他の職業の世界でも起こっているので
今回のコロナがうまく行かないで
人に責任を押し付けてばかりなのだろう。
今の日本では、、、、、
昔なら、うまく行ったかもしれない。。。
1964年の東京オリンピックの様に、、、、
それにしても、この窮地で
自民党の総裁選挙と
衆議院選挙があるということは
みんな、こんなところにお金をだしますとか
支援しますとかいってまたいい顔して
後でお金がいるんだろうな。。。。
てめえらの金じゃねえぞ!!
虹
昨今、天候不順で
8月は特に太陽が照っているのに
雨が降っているという状態が
多く見られ、虹がでることが多かったが、
今回は、虹についての解説を
虹は、下の図の様に
太陽の光が反射して見えるので
必ず太陽が照っている反対側に出現しまる。

(幼稚園児の絵のようですが、)
よって夕方に見える虹は
東に見えるし
朝見える虹は
西に見える。
詳しく言えば、
太陽が雨粒に当たってプリズムの様に
光を屈折させるためにできる。

だから見える角度もきまっていて、

の様になる。
だから日が高い昼間は低い位置にみえて
日が沈む夕方や、出たばっかりの朝は
高い位置に見える。
これまでの事をまとめると
雨粒で太陽の光が屈折反射して
プリズムの様になるから
(水槽に当たった太陽の光が
虹色になる様に)
基本的には
太陽が出て、雨が降っている時に、
太陽の反対側に見える。
ただし日が今いる場所に照っていなくても
遠くで太陽があたっていたら見える。

よく虹のでるところに行きたいというが、
虹は、基本、雨の降っているところにでるため
図の様に近いところに雨がふっていれば
虹がぐっと近くに見える

虹のふもとに行きたいなら
ホースで水をまけば手元に
見えますよ!!
2重の虹はやや原理が難しいが
雨粒の中で2回屈折反射した状態
になれば見えるので
結構雨のカーテンがしっかりしていて
かつ太陽の光が強くあたっていたら2重に見えることが
あります。
よく見たら色の順番が逆になっているはずです。

これは8月に帰る途中で高松方面に見えた
2重の虹。

虹が見えるといいことがあるというけれども
私、どちらかといえば逆の経験が多い。
虹といまいちの記憶がつながっていることが
多いのである。
今回は、いいことも悪いこともなかったので
よしとしよう。
大混乱、、、
Covid19で、医療業界は大混乱に
陥っている。。。。。。。
いろいろ自分の立場で言う人が
いるけれども結局のところは
責任のなすり合い。
私もその一人???
ただ言えるのは
今回のアフガニスタンの救出が
遅れたのも、日本は何をさせても
一歩遅い。。。。。
手続きと、行政間の争いと
手順を守る日本人の性格
なにをさせても時間がかかる。
やはり、韓国の様に常に
戦時体制で物事を運ぶところは
こういう危機管理は強い。
今回も、この中讃地区でも
コロナワクチンの会場を作れといわれて
急遽用意したのだが、結局
最終的にはお上(国)の会場の認可を
まっていて遅れた。。
昨日ニュースを見ていたら
来年度の概算要求の中にコロナのワクチン開発に
65億円の予算が提出されていたが、
いまさら???
あんなに他にいろいろ無駄に金を使っているのに
それだけ??
という感が強い。。。。。
(現在の薬の研究には100億単位の金がかかる)
ああああ!!!
があああああ!!!
ワオー!!!って感じ。
大体日本人の性格も性格で
身のまわりのルールは平気で
破るくせに
皆が注目するとおりこうさんになる。
サッカーの試合で
負傷者がでて選手交代する
時に、負傷者がフィールドから
でるまで待たなければいけないのだが
試合がストップしてなくて、
点が入りそうな時に、
外国はルールを無視して選手が入って
行ってしまうらしいが
(点を取られるぐらいなら
ファールを取られる方がいいというか考え)
日本は、律儀に試合がストップするまで
待つらしい。
ここが日本人
平和ボケの日本は危機管理が弱い。
政治でも野党がとやかく言うが、
誰が指揮をしても
官僚が物事を動かしている以上
コロナ対策がうまく行ったとは思われない。
野党も菅総理がやめるなら
責め立てないで、やり方はよくなかったが
彼なりに頑張ったぐらい言う
ぐらい度量があれば
政権交代もできるのであろうが
非難するだけの姿をみるに
これでは政権交代も無理だろう。。。)
人間、大きな人間に敬意を示す。
いちいち政府の政策に
チャアチャアいわず
(いやになるわ。。。。。
最近のマスコミも。。。。)
時には、この点は敵ながらよくやっている
なんていったら
政権交代も簡単にできるだろうに
(日本人は、敵に塩をおくるという
行為がすきなのだから)
それとコロナについて。。。
今、世界では飛沫感染ではなく
空気感染が言われているのに、
いまだに日本は飛沫感染ということを
前提に物事を進めている。
そうしなければ全ての対策の根底がくつがえされる
からだろう。。。。
空気感染というのは各段に感染力が強い
飛沫感染は、つばとかが、直接とんだり
ものに付着して感染することだが、
空気感染となると、空中に浮遊した
ウイルスが感染源になるため
1. アクリル板ではあまり役に立たない。
感染者がいると部屋全体にウイルスが散らばる。
2. だから、1時間2回程度の空気の入れ替えでは
感染は防げない。
3. 日本では、はっきり言う人が少ないが、
ウレタンのマスクでは防御できない。
不織体のマスクでなければ。。。
以前から、われわれは、外食産業や
その他の店で行われている
防御ではなにも約にたたないことは
わかっていたのだが、
それを大きな声で言うと何もできなくなる
からか、その声はもみ消される。
自宅で感染者を見るなんぞは
この変異株では一家全滅の自殺行為としか
いい様がない。
で、もちろんワクチン自体の効き目も
どこまで効くか不透明なために
われわれはおそらく一般の方より
毎日、戦々恐々、どこでかかってしまうか
わからないとしかいいようがない状態である。
まてども、まてども、我々は
しなければいけないことが増えるばかりで
。。。。。。。
がおーーーーー
と思うのだが、
今日も高松の人ではいつも通りだし
学校ははじまるし。。。。。
どないすんねん!!
追伸
昨日のニュースで2回のワクチン接種をしたら
いろいろ、旅行、会食にOKを出す。
なんてとんでもないことをいいだしているが、
分科会の尾身会長や他の委員も
ワクチンをしたからといって感染しないという
わけではない
とか、こういうことを早期に発信したら
ワクチンをしたら大丈夫という
誤った考えを発信してしまうと
行っているのだが
その声は、
経済の前に完全にかき消されている。
あーあー
知の探究
若いころ研究室にいたころ
月に一回、研究の過程を報告する会があり
教授や助教授、講師や研究員の前で
現在やっている研究の内容や
その過程を発表する会があった。
もちろん当時は教授が天皇陛下ぐらい偉くて
教室員もたくさんいた時代で
結構、緊張する会であったのだが、
研究というのは非常に細かいことをするので
臨床とは一見無関係なことをするので、なかなか
大変であった。
私の研究は、がんのリンパ球への反応と
そのリンパ球と癌細胞がくっつくための
細胞膜表面の因子を調べていた。
(もちろん、よくわからないでしょうが。。。。)
皆分からないどころか、こんなことは
教授にもさっぱりわからない分野なのである。
それを説明するのであるため
一苦労するのである。
研究内容が理解されないと研究が
打ち切りになる可能性もあるのだから。
皆、汗だくで説明するのだが、
研究課程の発表がおわると
教授の得意のひとこと
“で、その研究は臨床にどう役立つの?”
基礎研究というのは大体直接臨床に直結しない
ことが多く、いろいろ結果を出したところで
なかなか臨床にはつながらない。
臨床までの階段が10あるとれば
1段目かせいぜい2~3段目
途中で成果が出ないことが多く、
10段まで行ける研究なんて
ほんの一握りなのである。
話は、かわって、
私は昔から宇宙や物理に興味があるのだが、
宇宙や物理学で、
ここ最近のニュースといえば
ヒッグス粒子の検出、重力波の検出
それからブラックホールの撮影である。
どれもノーベル賞を受賞したりこれから
受賞する成果であるが、
どれもこれもそれが見つかったところで
今のわれわれの生活には何も関係がない。
ところが、我々はそれらを見つけるために
莫大なお金をかけて調べている。
あのニュートリノの検出を行っている
カミオカンデもそうである。
われわれ人類はすぐに生活に直結しない
ものを膨大な資金と膨大な人力を投入して
研究している。
超電導や、核融合などはいつか
生活に関係してくる研究かもしれないが
ハワイのマウナケア山の山頂に直径8m
のすばる望遠鏡を設置して宇宙を眺めたり
維持費でさえ大変なハッブル宇宙望遠鏡
をして宇宙の成り立ちや宇宙の始まりを追求しても
“それが、生活の何に役立つの?”
といわれれば終了する世界なのである。
しかし、人間の好奇心はすごいもので、
見えないものが見たいという欲望
分からないものを調べたいという欲望は
はかりしれない。
人間の知力というものでは、未だに宇宙の構成成分の
4%ほどしか解明していないほど
まだ幼稚でわからないものが
たくさんある。
しかし、それが
人間の嵯峨であり、
それがいいとこかもしれない。
ちなみにハッブル宇宙望遠鏡のすごさが
わかる映像。

有名なオリオン座のベルトの右下の部分を
地上の望遠鏡で拡大すると

この部分を拡大する
紫色に見える部分を拡大すうと

その真ん中の部分を拡大すると

馬の頭の様に見える
馬頭星雲というものが見える
これをハッブル望遠鏡の
特殊な撮影で合成すると

こういうふうになり
この写真を始めに
見たときは度肝をぬかれた。
小惑星にいった探査機の
はやぶさも
結局
だから
の世界
私、あまり音楽に対して思い入れはないが
この季節になると
聞きたくなる曲がある。
荒井由実の“晩夏”
荒井由実の曲の中では決して
メジャーな曲ではないが、
なんとも今の季節をしみじみと
思わせる曲なのである。
ゆく夏に名残る暑さは
夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭(はげいとう)
秋風の心細さはコスモス
何もかも捨てたい恋があったのに
不安な夢があったのに
いつかしら時のどこかへ置き去り
空色は水色に
茜は紅に
やがて来る淋しい季節が恋人なの
丘の上 銀河の降りるグラウンドに
子供の声は犬の名をくりかえし
ふもとの町へ帰る。
藍色は郡青(ぐんじょう)に
薄暮は紫に
ふるさとは深いしじまに輝きだす。。
あまり音楽や、文学に造詣がない
私ではあるが、聞いただけで
情景が浮かびその季節のうつろいと
心の寂しさを色で表現するという所が
素晴らしと感じるのである。
そういえば
海を見ていた午後という曲でも
“ソーダ水の中に貨物船が通る”
というくだりも情景が素晴らしく目に浮かぶ
詩の内容で歌を聞かせるのはすごいと
思うのです。。。
ユーチューブでこの
“晩夏”“
“海を見ていた午後”
を聞いてみて下さい。
悲しいかな、歌唱力は、やや落ちるので
山本潤子の方が聞きやすい。。。。のが。。。
それにしても
30年~40年も
第一線の曲を作り続けられたのは
荒井由実と井上陽水ぐらいだから
とてつもない才能だろう。
小田和正や桑田佳祐でさえ
第一線のヒットを作れたのは
10年~20年なのだから
。。。。。。。。。
それにしても、おじさんは、
昔の曲がいいと思うのだが、
曲といい、詩といい、
どうも今の曲は。。。。。。。。
今の曲はどれも同じに聞こえ、
耳に残らない。詩にいたっては、
なんと歌っているか聞き取れない。
あ。。。。じじい。。。。。。
若い子にとっては、
昔、親が“思い出のメロディー”を
聞いていたのと同じなのだろうか。。。。
ああ、悲しや。。。。。。。。
AIが支配する世界へ
私も昨年還暦を迎えて
つい先日61歳をむかえて
典型的なジジイの仲間入りをしてしまった。
アハハハハは。。。。。。
私、昔から、NHKで昔からやっている
アガサクリスティー原作の
ポアロやシャーロックホームズが
好きで、再放送があると
何度も見てしまう。
(ポアロは土曜日の夕方、
シャーロックホームズは
水曜夜に始まったばかり)
アガサクリスティーが好きという
わけではなく、一昔前のイギリスの
テレビ番組と2昔前のイギリス
のジメジメした情景が
どうも好きらしい。
アメリカのテレビドラマの様な爽快感が
なく、動きや華々しさもないが
歴史を感じ、なにかしらの陰鬱さを
感じる。。。。???
その中で、ポアロやシャーロックホームズは
天才的な観察力と洞察力で
手がかりを得て事件を解決する。
犯人の靴一つで、汚れ方や
擦り切れ方などで、犯人の
生い立ちから、事件までの行動まで
読み取る。 などなど。。。
私、彼らの様な天才ではないが、
典型的な昔のタイプの医者であるから
患者さんが診察室にはいって
数分話すことで、ほぼ80%診断してしまう。
例えば、お腹が痛いという主訴でも
歩き方、顔色、訴え方、
あるいは服装、話方で、
ほぼ3分ほどで全てを推察する。
(詳細は企業秘密なのであえて割愛)
たとえば、事情があって
お腹が痛いという仮病に近いものから
精神的なもので痛いといっているものまで
すべて判断する。
それが経験というものであるし、
すぐに検査ができたり、CTやMRI
などがあるわけではない町医者には
必要不可欠なテクニックというものである。
(自分で言うのもなにだが、観察眼は
人より強いらしい。。???)
(実をいうとまだコロナが香川県でほとんど
出ていないときに、まったく、県外や濃厚接触の
可能性がない人間を見て
直感で、一人患者さんを見つけてしまった。)
(保険所や症会病院になかなか信じて
もらえなかったのだが)
じまんすな!!!
前もいったけれど10%ほど大外れする。
ただ、今のお医者さんをみていると
電子カルテに向かっていて
患者さんが入ってくるところを見なかったり
話を電子カルテに向かいながらしているのを
よく見る。
そして、触診、聴診をして
すぐ検査。(検査の結果がすぐでたり
CT、MRIがあるところはうらやましい)
ここになにの違いがあるのか。
やや偏見もあるのだが
昔のタイプの医者は、3分で診断を絞り込んで
それから絞り込んだ中でその診断を確実
にするために検査を行う。
最近のお医者さんの仕方は、触診、聴診、
病歴も含めて、検査のデータを
膨大に集めてその中から
コンピューターの様に診断を進める。
それに慣れているのである。
われわれの欠点はいわゆる感が
外れたら、診断に時間がかかること
今のお医者さんの欠点は
診断するのにたくさんの検査データがいること
これでは、データーを集めれば
機械でいいではないか。
データさえあればAIの方がはるかに
上だ。!!
この感覚、第6感が、大事。。。。。??
といっていたら。
最近のAIはさらに上をいっている。
われわれが詳細に観察していたことを
学習できるようになって来たのだ。
つまり、患者さんの顔や状態、会話
あるいはその声の緊張度まで
即座に判断できる様になってきている。
話はかわるが
内視鏡の診断は、その画面を見て
診断する能力が
最近まで熟練医のほうが上だったのだが
ついに
AIが追いついてしまった。
(もうすぐ内視鏡医はカメラを患者さんに
挿入し、AIの指示で観察する機械になる??かも??)
チェスや将棋は以前から
コンピューターのプログラムを
対戦することでプロに勝つようになったが
最後の砦の囲碁(ファジーな部分が多いので
なかなかコンピューターには
難しとかんがえられていた)
もAIの出現によって
人間より遥かに強くなってしまった。
もうすぐ医者もいらなくなりそう。
。。。。。。
これを読んでいる人も実を
いうとAIに動かされはじめている。。。
仕事の能率や仕分け、配達や仕入れ。
いまやAIが行い始めている。
つまり、機械に指示されだしているの
ですぞ。
もうすぐ、医者もAIに指示されるだけの
単なる末端になるかも。
SF映画の世界は
思ったよりはやく来るかも
ただ、還暦を越した
ジジイはそうなったら
引退するという手が
あるのでした。。。。
ははははは。。。。
栄光はいつか消え去る
これは、こころに残った映画のセリフの
一つ
原文はしらないが、
1970年のアメリカ映画
パットン大戦車軍団
の最後のセリフを
最初にテレビ放映したときの最後のセリフの
日本語訳である。
(栄光はうつろいやすいと訳しているものもある)
相当、意訳しているとおもわれるが
何十年もテレビで見た映画のセリフが
今も心にのこっている。
第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で
活躍したアメリカの将軍、パットン大将の
半生を描いた映画で、
実際に戦争が好きだ
ということをはばからない猛将であったが、
戦争が終了するとともに軍人としての
仕事が終わり、その活躍と栄光は
終わってしまう。
史実でも終戦の年に交通事故でなくなってしまう。
いま、オリンピックをみていると
このセリフが頭に上ってくる。
長年の練習、努力、苦しみ、プレッシャーに
耐え勝ち取った勝利を満面の笑みで
喜ぶ姿に感動するとともに
日本国中が祝福をして
うらやましいほど輝いて見える。
ただ、
おじさんは、その人生の頂点に
20歳前後で、たったことを
心配するのである。
(妬み???、嫉妬??)
今まで、夏、冬を通して
いろいろなメダリストがいるが、
皆が決して、以降の人生を過ごしている
とは思えないからである。
右も左もわからない20歳前後の年で
さらに、一生懸命、スポーツの世界で
生きてきて、周りの社会をしらない
人間が、人生の頂点に立ち、周囲からちやほやされて、
へたをすれば利用され、その後の人生を見失っても
仕方がない気もする。
高校野球で活躍した選手が
急に大金をもらいプロ野球にはいって
ダメになって行く選手がいる様に
スポーツ界でなくても
我々の世界でも教授が定年で終了すれば
一部の教授をのぞけば
もう、学会でもただの人になってしまう。
学会に名もなく出ている元教授を見ていると
その姿に寂しさを感じるのである。
外来で高齢者も
わしゃー若いときは〇〇〇という言葉をよく聞く。
人間だれしも、いいときを引きずって歩き
それにしがみついて生きていきがちだが、
オリンピックのアスリートたちの頂点は
凡人にはとてもわからないほど高いところに
あるだけに、その頂点への思いは
想像を絶する。
大した頂点を持たない私でも小さな頂点に
しがみつきたくなり、引きずって生きている
しかし、頂点というのはそれを越したら
坂を下って行く。
いわば、オリンピックでいうと
勝利を得て歓喜のおたけびを上げた瞬間が頂点で
その瞬間から頂点から降り始めているのである。
オリンピックは一種のお祭り
お祭りが終われば
反動の寂しさが残るのが
世の常
あーさみし
映画好きは、1968年の冬のグルノーブルオリンピックの
記録映画の“白い恋人たち”のラストシーンを
思い出すのではないだろうか。
栄光はいつか消え去る
おじさん鬱??暗い?素直じゃない?
最近の天気は
とうとう夏になったという感じ
大体、夏は強い方で、
夏痩せどころか夏太りをする方で
この炎天下に外にでると
信じられないかもしれないが、
この暑い中で、クラブを一日中していた
夏を思い出し、なつかしく、
あの若いころに戻ってあの暑い夏を
過ごしたいとおもうのである。
特に大学のころは、7月の終わりに
大会があったので、7月になれば
朝からボールが見えなくなるまで
熱中症になりながらデニスをしていた。
あのキツさが懐かしいのである。
馬鹿か!
思えば、仕事、患者さんを守る、
職員をふくめて介護施設を守り、
家族を守るという重責もなく
自分を守るだけという
幸せといえば幸せな時代だった。
子供のころでいえば
夏休み。
親が忙しくて
旅行も外食もしたことがなく、
なにをしていたのでもないが
とにかく夏休みといえば夏休みの宿題。
子供の頃、なにもしなかったのに、
夏休みの工作の様なものをつくってしまった。

はじめはこんなにメルヘンチックな物ではなかったが、
職員がひまわり畑がいい
という事をいうから
途中からこんなものになってしまった。

夏休みの宿題の思いでといえば
自分の宿題と子供の宿題の手伝い
1. 学習
とにかくしなかった。
いつも8月の最後の週にまとめてした。
中学のときなんぞ、
9月1日が土曜日だったので
友達に宿題をかりて9月2日の日曜日
にほぼ徹夜で写して3日月曜日に提出
したこともある。
小学校の時は学習帳に天気を
かかなければいけなかったが、
今みたいにネットはないし、
新聞にもまとめて天気を出してくれることもなかった。
で、適当に。
とにかく高松は、8月に雨がふることもなく、
晴れさえ書いときゃ間違いない。
何日かに一回は、はれ時々曇りにしたりして。
まったくいいかげん。
2. 自由研究。
最後の週に適当にしたと思うのだが
なにをしたかさえお覚えていない。
我が子が小学校の時は、どうせ
しないだろうと思って、
7月に構想をねって8月に
医学論文で培った方法で、
ほぼ私がつくっていたら、毎年、
学校代表で、市の会館にはられていた。。。。
やばい。。。。。
3. 工作
なにそれ。
そんなのあったっけ。。。。
押入れにあった兄の工作に
壊れたおもちゃをひっつけて
出した覚えがある。。。そのくらい。
我が子の工作は
人にほとんど親がつくつと聞いていたので
暇な時にわざわざ手抜きをして
つくったのだが(結構器用なので)
夏休みの宿題の展示会を見に行って
びっくり。
ダントツに上手にできていた
やばい・・・
4習字
1時間ほどかけて10枚ぐらいかいた
もののうちで一番よくかけたもの
を選んで、出していた。
大体下手くそなので
2文字あったら2字ともうまく
書けることがなかなかないので
大変だった。
さらに、偶然上手くかけたとしても
自分の名前を書くのが下手くそで
苦労した。
しかし、習字が好きな人に
聞いたら、夏休みに何回も練習して
最終的に清書していたと
聞いてビックした。
5絵
小学校の時は、1枚1時間ほとで
買いて、足していたが
中学校の時に一度
真剣に絵を書こうして
夏休み中悩んて何枚も下書きした上で
気に入ったものができずに
完成せずに挙句のはてに提出しなかった
思い出がある。
しかし、中学校の時の美術の先生が
私の絵を評価してくれていて
宿題を提出していなかった
にも関わらず
2学期の美術の評価が
5段階評価の4であって
びっくりした覚えがある。
そうか、宿題はださなくていいんだ!
ああ、夏休みがほしい。。。。
とうとうオリンピックが始まった。
いろいろな意見があるが
やっぱりいろいろな試合があると見てしまう。
私、実は、スポーツを見るのが昔から好きで、
結構、マイナーなスポーツもなぜだか
ルールや内情を知っている。
自分かマイナーな軟式庭球をしていたから??
特に中学校から大学生のころまでは
教育テレビでたまにやっていた
マイナーなスポーツの中継や
スポーツ教室を
よく見ていたし、
高校の時の詳しい教科書で、ルールを
覚えていた。。。。
昨日やっていたグランドホッケーなんかも
その一つ。(昔はインド、パキスタンが強かった)
オリンピック以外の競技を含めていえば
カヌー、スラローム、エアライフル、クレー射撃
冬の競技でいえばバイアスロン、陸上でいえば
円盤投げ、3000m障害。
馬術障害、自転車競技、近代5腫
今では日本ではメジャーだが当時はまだめずらしい
アメリカンフットボールやラグビー
いろいろ見ていた。
オリンピックは、いつも中継がない
スポーツが見れて楽しいものだ。
一番よくテレビに齧り付いて見ていた
オリンピックは1968年のメキシコ
1972年のミュンヘン
1976年のモントリオール
1980年のモスクワがいろいろ騒動があって
イマイチだったが1984年のロサンゼルスまで
じっくり見ていた
(それ以後は医者になって
じっくりは見れていない)
しかし以前から、私
非常に利己的ところがあって、
大事な試合を見ない。
見たら負けてしまいそうで
見れないのだ。
野球のWBCの決勝や、ワールドカップの
サッカーやラグビーの日本の試合。
どっちが勝ってもいい試合はよく見るのだが
日本がからむ国際試合は、勝つのが
決定的になってから見る。
見れば負ける??
私の行動で、世間が決まるという
もっとも利己的な考えではないか。
あれだけ選手が頑張ってきて試合をしていて
国民の多くが応援しているというのに
私一人の行動で試合の結果が決まるというのは
なんとも利己的で、自己中心的ではないか
そうはいいながらも
これを読んでいる人も
もしかして、OOしたら日本が勝つとか
今日の自分の運勢がOOだから日本が負けるとか
利己的な考えで試合を見ていないか??
私のスポーツに関して
変なところとしては、
これだけ超自然的なことを信じないと
いいながら、
大学の時にテニスの試合をするときは、
コートに入るとき白線を踏まないとか
サーブの時にボールを2個持たないとか
大事な試合の時は
ユニフォームを一つに決めていた
なんか馬鹿なタイプ。
しかし、仕事には
ジンクスを持ち込まない人で、
昔、手術や麻酔、大きな検査
なんかをするときでも
まったくジンクスを持ち込まなかった。
変な感じ??
大学生の時にテニスの試合前や
試合中は緊張してあがりまくっていたので
仕事でも手術や検査の時にあがらないか
非常に心配していたが、
それに反して仕事で緊張して
あがったことはほとんどない。
(学会発表では緊張するが。。。)
緊張することと
ジンクスをもつことは
なにか関係しているのかもしれない。
なぜなのか、???
自分でもよくわからない。。。。
厄年とはよくいったもの
以下、このブログをよく読んでいる
40代のお薬やさんと話した内容。
私、迷信等々は信用しない人だが
厄年の中の男の42歳の厄年だけは
そうかもしれないと感じている。
なかなか、昔の人は
その健康状態をよく
観察してたのだなと
関心することがある。
女性の体調は、男性よりホルモンに
依存することが多いため
成長の度合いや妊娠、出産の
状態で、かなり昔とは変わっていると
おもわれるが、
いろいろな人を診ていると
男性の42歳周辺というのは
かなり体の変調がある様で、
中性脂肪やコレステロール、
尿酸の値が急に上昇したり
糖尿が出現したりすることを
よく経験する。
前にも書いたが、イチローの様な
一流選手でもいかに頑張っても
この周囲の年齢になると引退を余儀なくされる。
20代後半から30代は
このままいけるかと思っていたら
ドスンと体の状態がドスンと落ちる時が
何度か来る。
つまり下り階段のように何年か一度
体が落ちる感じがする
40代になるとその階段の1段が高くなる。
そして50代になると階段ではなく、
滑り台の様になる。
60代からはジェットコースター
の様になっている気がする。。。。。
あーいやだいやだ。
先に話していたお薬やさんが
最近、太ってきたと話している
太るのにはいろいろなファクターが
はいってくるが、
人間、おおよそ7000カロリーで
1kg太ることになっている。
10歳年をとると50~100カロリー
基礎代謝(なにもしないでも使うカロリー)
つまるところ、
30代に体重を維持して
その生活、食事量を維持していても
40代には基礎代謝が70カロリー落ちたとして
7000÷70で約100日で1kg太ることになる
ということは1年で3kg以上ふとってしまうことになる。
まー大変だ!!
その上、活動量も年と共に落ちてゆくので
“こんなに食べていないのに太る!!”
と感じてしまうのです。
だいたい、結婚して、家庭をもつと
男も女も以前より規則的に食べる様になるし
残るともったいないから
知らず知らずのうちに食べ過ぎてしまう。
人類は、いつ食べれるかわからない
生活をしていたので、
食べた時に脂肪にためやすい
人種が生き残ってきたと考えられており
特に黄色人種はその傾向がつよく
糖尿病になりやすい。
昔、太平洋戦争時にアメリカ軍が
日本軍は、あれだけの粗食で
よく動くまわると感心していたのも
その点にある。(実際は、戦死者には
餓死者や病死者が多かったのだが)
原理的には今、少しづつ太っている人も
毎日200カロリーだけ
食べるのをへらすか
余計に運動すれば(1時間ぐらい歩かなければいけないが)
体重は少しずづ減るはずなのだが、
それができないのも人間。。
また、同じカロリーもうまくとらなければ
体重はへらない。
ためた脂肪は、腹がへって
血糖値が落ちて初めて
“そろそろためていた脂肪を使うか”
と、脂肪を分解しはじめるので
腹を減る時間をつくらなければ
体重なんておちない。
ま。なかなかむつかしいですな。
ワクチンが足りない。
とりあえず
ひとこと、 ぐち
国が、ワクチンをやれ打て、これ打て、
早く打て、
皆のペースが遅いだの、打ち手が少ないだの
医師会が協力しない、地方自治体の対応
が悪いだのいっていたら、
予想以上のペースで打ち出して、
供給が間に合わなくなってしまった。
お国のすることなんてこんなもの。
感染が広がるからはよ打て!はよ打て!
と言われて、必死で準備して、打ちまくっていたら
皆そんなに打つ様になったの?
ちょっと待って(;^ω^)。。。。
って感じ。
平井デジタル相の肩を持つわけではないが、
NECを干せというより
ワクチン接種の登録(接種をした分を地方自治体
が一つ一つ登録する様になっている)
が遅い自治体はワクチンを送らないぞ
と、一般市民を人質に
地方自治体を脅した
河野大臣の方がよっぽど、たちが悪い。
(なぜだか、それは
マスコミが脅しとはとらない)
大体、お上は常に我々を脅して
食べて、いるのに
いまさら何をという感じ。
我々の業界でいえば
保健所の指導を聞かなければ、、、、、
(、、、、、医療の認可を取り消すぞ。。。)
保健指導ではいう事を聞かなければ。。。
(。。。。。レセプト請求を切るぞ・・・)
(カッコの中は言わないが)
前も言ったが、保険請求を握るのは
お上で、それに従わなければ、
赤字になる様に仕向ける。
だから方針に従わなければ仕方がない。
テレビで元厚生省の官僚というお方が
今これだけのベッドでコロナに対応できない
のはいかにも開業医や医師会の制だと
いっていたが、そうか???
以前のブログで話たことだが、
今の医師の偏在、小児科、婦人科が
減るのは厚生省と文部省の力のせめぎあい
がもとで、
皆がこうなることを予想して反対
したにも関わらず
今の制度にしてしまった。
(詳細は省略)
私は、この業界のことしかしらないが
おおよそ、他の業界も同じ様になっている
に違いない。と思うのだが、、、、、
だから、〇〇の業界は
お金にまかせて
政治家や官僚を抱き込む。
皆、知っているのだが、
表に出てくる献金、接待うんぬんの話は
ホントに氷山の一角で、
おそらく、何かの見せしめか
敵対勢力の陰謀。
ああ、大人の世界はいやだね。。。
もう一つ大人の世界の話。。。。
昔、雪印の牛乳で中毒騒ぎがあった時、
他の会社があわてて消毒を
入念にしはじめて、
中には消毒のし過ぎで消毒くさいと
苦情がでたことがあったが、
実は、ある大手のジェネリック薬品の
会社が、製造工程に不備があって
最近事件になったのだが、
その会社が大手だったので
他の薬も製造をストップしたため
薬業界が混乱していたが、
それに加えて、その後に他のジェネリックの会社も
製造を自主的にストップしたり、
(どうしてかな。。。。。。。?)
厚生省の監査で製造がストップした
薬が続出して
今、ジェネリック薬品は大混乱に
なっている。
(みなさまのためにと宣伝していた
会社も)
(大体、薬、医薬品、医薬機器、保険
の会社の宣伝をみると、私は腹が立っていけない
宣伝は、儲けるためにしているのだから、、、、
人のため???宣伝する???)
国は、ジェネリック薬品を推進していたもの
だから、これまでその業界に甘かったところ
が露点した状態となった。
なんとも、、、、、
医療業界というものは。。。。。。
こんなものです。。。。。。
最近見なくなったもの
昔、梅雨といえば、紫陽花とカタツムリ
がセットになっていたが、
最近はとんとカタツムリを見ることがない。

医学的には寄生虫がいるので
あまり触らない方がいい虫なのだが、
この時期になるとどこにでもいて
角を触って引っ込ましたり
大小、いろいろ集めて
遊んでいたのに。。。
どこに行ったのだろう。。。。。。
そういえば、秋になると木々に
ミノムシが釣り下がっていたのに
今はどこにも見ない。

子供のころは気にもとめてなかったが、
どちらかといえば、気持ち悪いもの
だったが、消えてしまうと寂しいものである。
イモムシが消えてしまったわけは
90年代から西日本中心に
発生し始めた外来種のミノムシに
寄生するハエのためにどんどん消滅
したらしい。
だったら、カタツムリもと考えたのであるが、
ナースに聞くと、“たくさんいるよ”
とのこと
どうも、これは環境の変化によるもので
落ち葉がなくなって、湿気がある
環境がなくなったり、
農薬やナメクジ退治の薬のために
減ったらしい
(ナメクジはカタツムリより
殻がないだけ強いらしい)
ということで、田舎にいけば
今でも、結構いるということだ。
なんせ、私、町の子なんで、、、、、
蛍やカブトムシも
子供のころでも郊外に出なければ
見れなかった。。。。。。。
蛍は、学生の時に、九州の八女というところ
の郊外で(お茶で有名なところ、黒木 瞳の
出身地)
あふれんばかりの蛍を見たことがあるが、
いまは、塩江にいっても(実は、三木町の
山奥でとってきて放している)
“あ、いた!”。。。“1匹、2匹。。。”
ぐらいしかみられなくなった。
カブトムシの雄はなかなか見つからなかったが
クワガタは、塩江にいって
クヌギの木をけったら
ばらばら落ちてきていた。。。。
そんな、季節を感じる虫さえも今は
少なくなってきている。
(全くの余談ですが、
虫の話でついでに、、、、、
ムカデにかまれたら先ず、することは、
病院に行く前に43度ぐらいのお湯を
できるだけ流しながらあたためて
下さい。毒が分解されますから。。。。。
ついでに、今からの季節は
クラゲやオコゼに刺されても
45度ぐらいで
温めてください。
ただし、やけどしない様に。。。)
それどころか
最近は、春と秋という季節さえ
感じなくなってきている。
冬から
寒い、寒い、寒いといっていたら
急に暑い、暑い。
夏がおわれば、
暑い、暑い、暑いといっていたら
急に寒い、寒い
と言っている様なきがする。
つまり、ちょうどいい季節の
春や秋が短くなっている気がするのです。
そういえば、子供の頃
衣替えが6月と10月で
合服がなかったのだが、
コロナワクチンに対する私見
今回は、真面目に
コロナワクチンの接種について
の私見。
あくまでも私見。。。。。
現状での厚生省の発表を見ていると
ワクチンでの死亡報告は355例
発表の中身を見てみると
因果関係ははっきりしない。。。
(無責任!!)
という報告。
(実は、昔、自分が投与した薬がもとで
20年ほど前
亡くなったかもしれない方があって
いろいろ調べた上で考慮し、
最終的に厚生省に判断を迫られたとき
自分の報告で日本中のその
薬の使用が左右されるとおもったら
かなり判断に迷って、
因果関係はかなり強いと考えられるが
断定はできないとしてしまった!
それほど断定は難しい)
現在打っている人たちのほとんどが高齢者
ということもあって、その
ほとんどが高齢者
状況を判断すると
半数がワクチンを打たなくても
亡くなられた方が半数ぐらいいると判断。
(たまたま何もしないでもその日になくなってしまった人。
統計的にも自然死の方はそのぐらい出てくる。
老衰という死因の方も数に入っている)
残りの半数は、ワクチンを打つことによって
かなり弱っている人が
ワクチン接種の熱とかて
死期を早めてしまったものが半数。
かなと判断している。
(ワクチンの副反応の代わりに他の風邪を
ひいたり、ひどい下痢をしたりすることで
もなくなってしまった方)
結構、死因に、血管系。
脳梗塞、心筋梗塞、脳出血とかが
多いのは確か。
よって、高齢者の方で、脳梗塞になりかけていたり
血管が弱くなっている人が
ワクチン特有の性質で血管系の
病気が出現してしまった人もいるのも確かなと思う。
(コロナ自体が血栓等を作りやすいと
の報告が多いので、これはそういう
関係なのかもしれない)
(アストラゼネカのワクチンでは若い人も
血栓でなくなったりしている。
ただし、コロナ感染でもそういう事例が多い)
これらの人達を除いて
やはり10数人は、ワクチンが関連して
いる様な気もする。
一方、ワクチン接種時のアレルギー反応で
は、4526例の報告があるが
実際に重篤なアレルギー(いわゆるアナフィラキシー)
(救急の薬剤投与などがすぐ必要になって
入院などが必要なのは。。)
そのうちの100~200例
といったところと考える。
アレルギー自体は、特定の物質に対して
起こるので、他のアレルギーがあるから
といってワクチンに対して
反応があるかといえば、
その可能性はそうでもない。
(ソバのアレルギーがあるからといって
ワクチンでアレルギーがおこり
安いかといえばそうでもない)
ただ、喘息の既往がある人は
確かに反応が強い様だ。
(喘息では気管、空気の通り道が
狭くなっている人がおおいので
症状がでやすいのかも??)
また、確かに20~40代の女の人に多い。
(アナフィラキシーは起こると普通
焦る!!
私の様に麻酔から救急から経験している
にんげんでも厄介で、恐い!)
(会場はそういう対処が
できそうな医師を少なくとも一人は
分けて配置している
ので、個人的には各個人病院で接種するより
大きな病院や会場で接種するのが
いいと思っている)
当院でも裏の高齢者施設の
高齢者と職員に接種を行っているが、
確かに発熱やだるさなどの
副反応が多いのは若い女性がおおい
印象がある。
発熱や倦怠感は、1日~数日まで
の反応が多く、
ただし、普通の病気の発熱と違って
いわゆる反応熱であるから、
それが終わったら
何もなかった様に体が回復する
ことが多い様である。
結論
確かに急に作ったワクチンであり
いままでとは違う原理をもとに
作成したワクチンである
ので、出たとこ勝負のとこがあったが、
世界で億単位で接種したことによって
全容がわかってきた。。。。。
このコロナの状況がまだまだつづくし
所を変え品を変え何年も
コロナの流行は続くと考えられる
いずれは、ワクチンを打つか
コロナにかかるかして抗体を
持つことになるであろうことが
考えられる。。
であればワクチンを接種した方が
よさそうというのが私の考え。
危険性でいえばインフルエンザワクチンを
打つのや、やや副作用が多い
薬を飲むのと同じぐらいと
考えているのが今の状態です。
(ファイザーとモデルナのワクチンでは
ファイザーの方がやや効きがいいが
モデルナワクチンの方が
副反応は少ない様子)
医者というのは、
実のところ非情なところが
必要なところで、
どんな薬を使う時も、治療をする時も
常に副作用と天秤にかけながら
治療をしてゆかなければならないし
時にはその副作用や治療が致死的でも
天秤にかけなければいけない時が多々ある。
ま、私の私見はこういうもの。
いろいろな意見を聞くのはいいが、
くれぐれも近所のおっさん、おばちゃんの意見と
とんでもない宗教じみた意見は
(たとえば、東北地震はアメリカの仕業だとか
アポロ宇宙船は月にいってないだとか)
参考にせぬ様に。
ああ、80年代
当院は、40歳前後の職員が
多いが、
最近、つい知っていると思って
“おれたちひょうきん族”の
話をしてしまったら、
てんで知らない。
それもそのはず当時は
幼稚園。。。。(;´д`)
今、思えば人生で一番、テレビや
映画をみた時代かもしれない。
(その以前はまがりなりにも受験生、
医者になってからは
テレビなぞみる時間はなくなって。。)
当時は、大学生で
バブルの真っ只中!
ひょうきん族を見ないと
周囲と話ができない様な時代。

片岡鶴太郎は、
また、“マッチでーす”とか
“小森のおばちゃま”なんか
また、若いお笑い芸人だった。


また、うちの職員も島崎の
アダモちゃんだけは
どうしてだかしっていた。
思えば、
今やれば放送事故の様な
番組だったが、
それが、まだ許された時代でもあった。
思えば、大学時代には
1982年はET
が世界的に爆発的な興行成績を残した。

そして、日本映画を見ない私が
見た、蒲田行進曲

若々しい、風間杜夫、
まだおばちゃんじゃない松坂慶子
たどたどしい平田満が光っていた。
1983年には
登場してくる俳優のほとんどが
むちゃくちゃ下手くそなのに
それがまた、この映画の良さなのか
時をかける少女
以外に、思春期の葛藤を描いていた。

1984年にナウシカ
1985年バックトゥーザフューチャー
とテレビも映画も私も
バブルだったのかもしれない。
当時のバブルの時代は、
なにもかもが爆発的で
自由でかつ素直だった。
今のなにかとうるさい世の中では
ひょうきん族の内容は、
さっき言った様に放送事故そのもので
今なら
いじめだの、差別だのと
批判されてすぐ終了しただろう。
蒲田行進曲の内容は
今の時代では、内容が
攻めどころ満載だし、
時をかける少女もナウシカも
今の世の中の汚れ方では
十分にはウケないだろう。
当時を生きた人間としては
表現が自由になったといいつつ
男女の平等に扱わないと
差別表現と責められたり、
いろいろなことに
あまりにも、いらぬ雑音が、ありすぎて
なにか息苦しい。
表現の自由と言いながら、
ある意味、いまの方が
表現が制限されている様なきもする。
少しでも不平等的なことをしゃべると
袋叩きに合う世界。
ああ面倒な世界
世界的にも同様で
007の主役が
黒人の女性になるという
噂があるが、
なにかが間違っている感じがする。
ボンドは、白人のスマートな
男性が主役で、ありえない
スーパーマンで
モテモテのところが
魅力で成り立っていたのであって
ここにまでくると、平等に対する
息苦しさと、やりすぎを感じるのである。
今思えば天真爛漫な80年代を
ちょうど20代で
迎えた私は、幸せだったのかも
しれない。
ああ、昔話をしたらじじいじゃ!
そういえば、最近、年を感じたことを一つ。
流行りの服を着込んで
街を歩いていたり、
思い切りいろんな意味で
自分を飾っている
若者たちや
あるいは、もっと上の年代の人
たちをみて
羨ましかったり、ウザく感じて
いたのが、
可愛く感じてきたこと。。。。
本当に年をとったのだなと
感じてしまった。(;´д`)
耳鳴りはつづく。
今週は、当県を代表する大臣が
企業への恫喝でニュースになっている。。。
この大臣、実をいうと私の小、中学校の2級上の
一応、先輩に当たる。
ちなみに弟の〇〇新聞社長は
(けっこう、兄弟そっくり)
小中の同級生。
昔から
いろいろ知ってはいるが、
ニュースを見ておそらく何も感じなかったのは
私だけ??
というか、この大臣に限らず、
政治どころか行政は恫喝だらけ
口にださなくても、実際は圧力のかけっぱなし
こんな小さなクリニックでも
お上に逆らおうものなら
手厚い指導が待っている。
それは、どの業種もおそらく
変わらないのではなかろうか。
こんなニュースに驚く方が驚く??
もう一つの耳鳴りは
竹〇平蔵
あれだけ弱肉強食の世界をつくって
一般民が住みにくい世界をつくりだして
恫喝の世界で自分の考えを
通して、自分が住みよい世界に
変えてきた人間が
また、表に出てきた。
(裏では暗躍しているが)
面の皮の厚いことをいいことに
いろいろ批判して、
こともあろうに医師会にまで、
かみついた。
(医師会自体は個人的にはあまり
好きではないのだが)
よほど医師会が自分の考えに対して
抵抗勢力であったことがよくわかる。
(ちなみに、おやじと兄は香川県の
医師会長なのですが。。。。。)
今の医療に一般企業を入れた張本人で、
一般企業の参入を許せば
医療が利益誘導になるが目に見えていたので
皆が非常に警戒した。
介護関係はその代表。
企業が一斉にとびこんだ。
これに抵抗したのが医師会なのだが、
悲しいかな、医師会にかつての力はない。
(昔は、病院の院長の号令一つで
職員が議員に投票していたから
医師一人で数十票の票が稼げたから)
(ところが今はそういう時代ではないので
医師一人でほぼ1票しか見込めないので
圧力団体としての力がなくなった)
(いまは人数が多い看護協会の方が強い?)
一般企業が介入で医療が利益誘導に
どんどんなりつつある。
いまや、医療などお上のいうがままで
いうことを聞かなければ
保険料を落とすことをちらつかせる。
ああ、いやだいやだ。
それにしても最近、耳鳴りがすごい。。。。
子供には褒めて育てろというが
この世の中褒めて育てるどころか
けなして潰しているみたい。
私が、若い時
あほ、ばか、ぼけ、かす、しねと、言われながら
蹴りとずずきで、ていねいな指導を
受けてきた様な世界。。。と似ている?
(笑)
13日連続勤務
労働基準法なんて
クロクラエ!
~~お下劣
久しぶりの休みなし。
先週は日曜日が当番病院で
半ドンの日はワクチンの接種会場へ
その上昼休みはもともと
裏の施設を見ていたが、
今は、施設の人達のワクチン接種で
いつもに増して、というか
通常の時間帯より緊張。。。。。
6月からは、コロナお構いなしで
一般検診の開始。
さすがに疲れた。
ぐち、ぐち、ぐち
この日曜日も施設に危ない人が。。。。
がーーーー
ぐちぐち。
30代は、365日24時間
毎日5時間睡眠で、
働いていて、何も感じなかったが、
60代のジジイには
さすがにきつい。
高齢の患者さんが、
筋肉ほそほそのヨレヨレなのに
“わしは、昔、陸上していたから大丈夫”
だとか
ヘビースモーカーで肺がぼろぼろの人が
“わしは、昔、水泳をしていたからダイジョブ”
だとか
“わしは、戦時中、戦後すぐの食料難で
生きてきたから、災害がきても
耐えられる“だとか
よく聞くが、
(皆もそんな人が回りにわんさかいると思うが)
昔は昔、今は今。
今は、十分な睡眠と休暇がないと
精神的にも肉体的にもとても耐えれない。
が~~~
若いとき、忙しい時に
仕事に余裕ができたら
色々なことをしようと
箇条書きにしていたが、仕事に余裕ができたら
てんでしない。
むしろ、忙しい合間でちょこちょこ
いろいろした方が充実していた様な気がする。
(当時は、朝8時から夜1時まで仕事
中心で、2時までの1時間が自由時間)
(今は、朝6時から6時まで仕事して
夜の9時から1~2時間が自由時間)
あまり変わらないか、、、、)
そういえば、今週の水曜日に
やっと時間ができたら、
寝てばかりいた。
やっとのことで散髪にいったら
そこでも寝落ちして
半日、なにも考えない様にして
寝てばかり。。
案外、人間その方が幸せなのかも。。。。
30代の一番いそがしくて、
苦しいい時も睡眠に落ちる直前の
5分ほどだけ、人間をとりもどしていた
気がする。。。。。
この日曜日、
車も洗わなければいけないし、
庭の手入れもしなければいけないし
部屋の掃除もしなければいけないし
裏の施設から呼び出されるかもしれないし、
気が付けば月曜日に
診察室に座っているのだろうな。。。。
と愚痴る私でした。
よのなかジジイが世間を動かしている?
今日、ネットを見ていると
かつて剛腕といわれた小〇が
でていた。
マーこの怪物はいまだに
力を持っているのだなーと感心した。
過去の自分のして来たことを
見事なまでに横において
よくそんなことが言えるなーという感想
それにしても毎日、毎日、三階さんが
テレビにでているが、80も超える
この人が日本を動かしていると
思うとぞっとするし
テレビに映る時に周囲にいる
コバンザメさんたちにも
うんざり。。。。。。
なんとも、この人達の首に
鈴をつける人がいないどころか
コバンザメさんたちがそれをささえている
そういう所が日本の象徴
日本医師会も会長さんが
これだけ医師会の信頼度を
落としたにも関わらず
めげずに辞めない。。。。。。。
日本の組織というものは
ドンがいたらそのドンの力で
その周囲には自分の手下、
自分の派閥を配置するという構造になっており
その派閥からドンが次のドンを指名するという
いやな構造ができており、
一旦、ドンになるとなかなかそれに
歯向かって
その首に鈴をつけるものが出てこない。
鈴をつけようものなら
永久追放???
私も60を超えてしまったが、
組織というもの、
せめて政治というもぐらいは
50歳までにしてほしいもの
60を超えたら
その人達の暴走を止める
アドバイザーでいいと思うのですが。。。
残りの人生の事を考えると
絶対今後のことに対する考え方が違うと
思うのだが、、、
80にもなるとおそらく10年後のことは
考えるかもしれないが、
どうしてもその後のことは
次の者にということになってしまうし
今していることの成果が20年後、30年後
ということになるとその
正否がわかるときはこの世にはいない。
となると、やはり、、、、
ただ、山本〇〇見たいな過激な
自分の主張が必ず正しいと
柔軟性がない人間も力をもたせば
独裁者になりそうで。。。
あーむすかし。
それにしても今のネット社会
情報社会は
うるさくて仕方ない。
まるで、うるさい耳鳴りが毎日なっているみたい。
気にしなかったら聞こえないのに
このコロナ渦でどんどん大きくなってくる
耳鳴りは
聞こえない様に
耳栓をしても聞こえるし、
むしろ強くなる。
あーいやだいやだ。
ちなみに、耳鳴りに聞く薬や治療法
ましてやサプリなど
いまだにありませんので。
夢はなにをしているか
睡眠の根本は、いまだに解明されていない。
実は、ほ乳類から鳥類に至るまでどころか
ごく小さな虫にも睡眠があることが
証明されている。
それにもかかわらず
睡眠の本質は解明されていないのである。
非常に社会化されており
犬の様に人が横を通っただけで
眼がさめて、臨戦状態になる
なんてできず、
熟睡時は触れれても起きない。
(危険性が少ない飼い犬はそうでもないが。。。)
あの渡鳥たちは、
何日も飛び続けて大陸から渡ってくるのだが
実は、長距離を飛んでいるときは
右脳と左脳を器用に半分ずつねむらせている
ということが分かっている。
(たまに、眠り込んでしまって
急速に落下しそうになる鳥もあるようだが)
睡眠の本質がわかっていないなら
夢の本質などさらにわからない。
ただ、少なくとも記憶の整理、再構成を
しているのは確からしい。
大体、膨大な記憶を
人間すべて覚えるわけにはいかない
コンピューターでいうと
ビット数を落として記憶させる。
決まった要領の記憶装置に覚えさせるために
圧縮という機能はつかわずに
ビット数を落として記憶させる。
8K画像から昔の白黒テレビまで落とす様なもの
(実際はもっと荒い画像に)
だから、記憶というものは
実は非常に不確かで、
かなり、時間がたってしまうと
事件の目撃情報などはかなり怪しいものに
なってしまう様だ。
ただ、夢では、どうも記憶の再合成を
する様で、画素数を落とすどころか
自分で絵をかいてしまう。
だから、どうかすれば九州への旅行の
思い出の一部が北海道への旅行の一部に組み込まれて
しまう事さえある。
さっきのたとえでいえば、8K画像を
昔の映りの悪い白黒テレビまでおとして
されにそれを見て自分で絵をかいて
それを記憶として残す様なもの。
よく考えると夢の中身は
ほとんどその日の出来事に関係している
ことに気づくだろう。
関係ない様に見えて関係していることが多い。
おそらく今まで書いた記憶の絵の一部に
上手くはめ込むために
他のエピソードとともに夢にでてくるのであろう。
また、どうも寝ている時に
水で体の一部を濡らすと
水に関した夢をみたりするらしい。
水に限らず、寝ながら感覚を味わうこと
が出来る物は、それに関連した夢を見るらしい。
以前は、レム睡眠時にのみ夢を見ると
いわれていたが、(眠りが浅い時期)
今は、ノンレム睡眠でも(深い眠りの時)
夢を見ることが分かっている。
今、一番興味があるのは、
どうして夢を忘れてしまうかなのだが、
今のところよくわかっていないらしい。
私、以前は、眠りをあまりとらない
人であったのだが、
年の性かどうも睡眠不足が
身に応えるので、できる限り
睡眠時間を長くしている。
そうすると時間がもったいないので
夢の中のことを第2の人生と考えて
寝床にノートをおいておいて
眼が覚めたらできうる限り
覚えている夢をノートに書くことにして
夢を楽しんでいる。
前回、書いた試験の夢も起きているときは
それほど苦にならないので書き留めている。
それをあとで書き直して
また、読み返してみるとなかなか面白い。
一度やってみてはいかがかな。。。
前回、私がどれだけ勉強しなかったかを
話をしたが、
それだけに、今でも試験の夢を見る。
現役から1浪、2浪と
沢山大学受験をして来たのだが、
その夢ではなく、
とにかく大学での試験の夢を見る。
ほとんどが、次の日の試験や当日の試験を
受けるに当たって、
勉強していない。。。やばい!
という夢である。
一日、唯一の楽しみで、安らぎの場の
睡眠が
こんな苦しい夢で苦しめられるとは。。。。
あーもったいない。
私、ほとほと勉強というものが
どういうものかも知らないほど
勉強していなくて
大學1~3年までてんで勉強しておらず、
毎年20個以上ある単位を
本試でおとして、再試三昧。
しかし、その上で要領だけよかったので
なんとか留年ラインが私の背中で通ってきた
大体、毎年20~30の講義があり
まず、出席(医学部は結構厳しい)
出席が足りれば
まず、本試験
(レポート提出などをちゃんとしていたら)
本試験で60点あればいいが
60点以下なら再試験
再試験で1つでも60点なければ
留年。
留年すればもう一度、
一度、パスした講義ももう一度受けなおさなければ
ならない。
結構、きついもの。
毎年10個くらい再試をうけて
(結構10個も再試があると
日程的にも全て通るのはきつい)
毎年、要領だけで通ってきた。
1学年120人ほどいるが、
毎回試験で10人から多い科目は40~50人
程再試験になる。
その上で毎年20人ほど留年生がでる。
(私の学年、できが悪いといわれながら
留年生が毎年数人しかでない
変な学年だった)
留年ともなれば、
もう一度、同じことをしなければいけないは
下の下級生と同じになるは
そもそももう一年、親に学費と生活費を
いただかなければならない。
かなりのプレッシャーである。
それだからなのか、
あの40年も前の本試験の前に
勉強をしていなかった焦りが
いまでも夢にでてくるのだろう。
眼が覚めてほっとする。
このままでは一生そういう夢を見るのだろ
それまでが苦しかったのか
心を入れ替えてというか
なんというか
4年生から以後は
(医学部は6年)国家試験まで
結構普通に勉強する様になって
あれだけ再試を受けていたのに、
以後奇跡的に1度も試験を落としていない。
しかし、医者になってからというもの
今まで、ずっと勉強のしっぱなし。
60点取ればよかった試験とは
違って、実際の社会では
100点に近い勉強が求められる。
よく、考えれば、
今、曲りなりにも、院長をしていて
毎日、毎日、いろんなことの
締切ばかり。
やれ、コロナのこと、やれ、病院に導入する
機械のこと、やれ、次の日に見る患者さんの
珍しい疾患のこと、
毎日、患者さんを見て疑問に思ったことを
調べる。
しまいには、医療制度がかわると
それに対する勉強。
毎日、毎日が試験の様に、
期限付きで待ったなし。
こんな事をしているから、
試験の夢を見るのだろうか。
あーやだやだ
そもそも夢というものは、、、
記憶の整理をしているもので、
。。。。長くなるから来週にしよっと。
たまには、いい夢みたいな。。
親不孝通り
以前にも言ったことがあるが
私、大変優等生だったもので
勉強というものをほとんどしたことがなく
(嘘だとおもわれるかもしれないが
本当に、塾にもかよわず、
教科書、問題集はほとんどさらの状態)
当然現役で、大学に受かるわけもなく
受験している段階で予備校を探して
いたのだが、
高松だけからは出たくて
いろいろ東京や、大阪で、予備校をさがしていたのだが、
結局、おやじもさすがに
このドラ息子がやばいとおもったのか
福岡のおやじの知り合いが関わっている
予備校に行くなら金を出すということで
福岡に行くことになった。
(おやじが九州大学だったので)
博多は、マー高松に比べると
都会だし、親元からはなれた
解放感もあり1年間パチンコで稼いでは
天神で買い物をするという
典型的なダメ浪人生。
人生で、初めて勉強したのは予備校の2年目
突然、3浪したくないという思いと
このままだと、人生ダメになるという
思いが出現して突然
予備校の2年目より勉強を始めた。
さすがに1年の勉強で九州大学の医学部は
無理だったのだが、
その年に受かった大學で一番の伝統校が
福岡の久留米大学だったのでそこにいったのだが。。
(我が家はどうもいろいろ福岡に縁が
あるみたい。。。。他にもいろいろ)
話は若干それるのだが、
当時は、予備校生はおおよそ半分は
ダメ浪人生。
(おいでみなさん聞いとくれ、ぼくは
かなしい受験生♪♪~((高石ともや))の
少し後の時代)
福岡に以前、大きな予備校が2校あって
そこと天神の駅を結ぶ道路を
“親不孝通り”と呼ばれていた
まさしく、その通りとおもっていたのだが、
いろいろな批判や情勢で
廃止になった(予備校もなくなり)
この“親不孝通り”の呼び名はいかにも
昭和のハイセンスと人々の
暖かさが感じられるいい愛称で
予備校生自体が自分の境遇を思い知らされる
いい呼び名だったと思うのだが、
その廃止に平成の時代の
人間の余裕のなさを感じる
それがまた周囲の商店が
廃れた人通りを復活させるために
もう一度“親不孝通り”が復活
した様だが
これもまた逆に令和の時代の
世知辛(せちがらさ)さを感じるのである。
医学部は他の学部と比べて
やはり部活をする時間が圧倒的に
少ないのだが、
当時は、各大学、各部活に結構
全学の選手がいて
(もちろん結構その人達は代返で
講義にもあまり出てない。。??)
また、その人達が結構医者に
なって学を修めたりしている。
なんともおおらかな時代だったし
当時の人間性の余裕さえ感じる。
こんなたわいもないことにさえ
時代や社会、人の心の余裕のなさや
窮屈さ、世知辛さを感じるのである。
お上のやることは。。。。
突然、ワクチンを打つ医者が
すくないので、金をだす???
こちらは青天の霹靂(へきれき)
ワクチン接種の律速段階(打つスピードを
決定しているのは)
ワクチンのこちらにやってくる量で
決まっている。
どちらかといえばワクチン待ち。
当院でも裏の施設に打つために
国に認可を提出しているが、
この認可が来るのがいつになるか
わからないくらい遅い。
大体、金の事なんか考えずにワクチンの接種や
PCRセンターに協力しているのに
逆に頭にくる。
国はいかにも一生懸命してるのに、
地方自治体や医師会がだめなので
ワクチンを打つのが遅いと言わんばかりで
こういうやり方に対して
頭にくるというか
もう、あきれるしかない。
っと、一通りボヤキ。
私にとって本当に久しぶりの連休。
いろいろ考えていたが、
結局何もしないで終わりそう。
大体、この60年、5月の連休に
何をしたという記憶がほとんどない人。
子供の頃は親が忙しくて
旅行どころか行楽にも言ったことがない。
強いていえば、
大学生の時に連休にいつも
テニスの大会があって移動も含めて
大変だったことぐらい。
医者になってからは、
休まず仕事をしていたことが
多かった。。。。。。
ああ、悲しや。。。。。。
でも何もしないというのが大事なのかも
4日間ボーとしとこかな。
5月は、ワクチンの接種やら、PCRセンターやら
当番やら休みがなさそう。
ゾッとするわ。!
話は変わるのですが、
私、空港へ行く度に売店で
飛行機のマグネットを買っては

診察室の壁に引っ付けていたのだが、
(買う時は子供や孫に買ってやるという
顔をして)
最近空港にいったら、なんと
発着便の大幅な減便で
受付カウンターに人はいないは
さらに売店が半分しまっていて
びっくりした。
(最近、県外の友人がそれを聞いて
何個か送ってきてくれて
こんなに増えてしまった)


こんなにたくさんあるのに
結構みんな気が付かないもので
何年も前から貼り付けているのに
最近になって気が付く人がいたりする。
こんど来たら見てやってください。
珍しいものがあったら
下さい。。。
あーあーあー
冒頭、いつものボヤキ
国は、病院にこの医療危機にコロナの病床数を
増やしなさい。。。。
一般の人はなんでできないの。。。???
われわれにとっては、とても無理な
話。。。。。
だいたい、国は、高齢化社会に備えて
介護施設を増やして、その変わり病床数を
減らして行っている最中だった。
そこにもって、たとえて言えば
極端な話、急にお産の数がいつもの10倍になったから
病院は、産科の病床数を増やしなさいと言っている
様なもの。。。
お産を見れる医者も看護師も病棟もない。
小売り店にコンビニが足りないから
一時的にコンビニにしなさいという様なもの
仕入れは違うは、扱う品物は違うは
24時間働く人間はいないは
デパート(大病院)は何とか
人員を確保できたり品物を仕入れたり
出来るかもしれないが
小売店(中小の病院)はそうはいかない。
日本に日本料理店が少ないから
一時的に洋食屋さん、中華料理屋さんに
一時的に日本料理店にしなさい。
道路工事をしている業者に
家が少ないから一時的に家を建てなさい
というような物。
無理でしょ?
さらに言えば、住むとこが
ない人が急に増えたから
部屋を一つあけて
他の人を住まわせてください。。。。。
無理でしょう。
それを医師会(同業者組合にすぎない!!)
の制にするやら、病院の制にするやら。
いままでのコロナの対処が
自粛してくださいとか
外出を控えてくださいとか
国民の良心に任せているのと同じで、
いままでも医療に対する使命感のみ
でやってきている人にとって
とても無茶なことを言っている
(こんな時に招魂たくましく
コロナの流行を商売にしているヤカラも
いる様だが。。。)
(コロナを怖がって離職している
医療関係者もおおいし。、、、(;^ω^))
結構、根は真面目??な私は
コロナ治療の真っただ中にいないのがはがいい
(もっと若くて、大きな病院にいれば。。。。)
なんて。
コロナ疲れという人達が多いが、
実のところ治療の真っただ中にいる人間たちは
皆が始める前から
外出、外食は控えているし
移動もしていない。
皆からばい菌扱いされるは
そんな中、診ているコロナ感染者の中には
感染しても仕方ない行動をしている人もいる。
その疲れ方は半端ないと思うのだけど。。。。。
なにか、政府だけでなく、
全ての人の根本がおかしい???
と、ボヤク毎日です。。。。。
いやな言い方だけれども
以前に書いた様にワクチンの問題しかり
マスコミの対処の問題しかり
今の現状は
人それそれの生活がしていたことが
ブーメランになって帰ってきているのですぞ。。
と、今回も他の事を書こうとして
ボヤキで終わっちまった。
最近、見なくなったもの
いつもの様にコロナに対すボヤキから
だいたい、オリンピックは、昨年の2月の時点で
1年後では無理で、最低2年は延期しなければ
いけないと思っていたし、
今回の大阪は、緊急事態宣言を解除した時点で
現状が予測できたし、
我々医療関係者と一般の人との認識の違いなのか
政治家のしがらみかわからないが
もどかしい。(マスクや会食、予防接種に対する
認識の違いも著しい)
あーーーーー
ということで、本題。
最近、勅使町の橋爪というバス停の
前を通った時、
小学校の頃に友達がそこらに住んでいて
その頃そこにあった文房具屋で
ちょっとしたおもちゃを買って
遊んだことを思い出した。
たわいもないことがその当時は
とても楽しかった。
そういえば、学校の近くには
必ず、一件は文房具屋とも駄菓子屋とも
区別のつかない店が必ず一件あったのに
今は、すべてなくなっている。

こんな感じで
店には必ずと言っていいほど
ビニール製の縄跳びがつってあっていて

おもちゃのボールやバットが
軒先につるしてあった。
もちろん
学校で使うノートや消しゴム
縄跳びなんかが売っていて
学校帰りに寄っていた。
自分がよくいっていたところといえば
花園小学校の近くや
県庁の近くや亀岡町学校の近く、
徳島の脇町の脇町高校前とか
(さすがに高校の前ともなると
本屋さんに近く、参考書まで
おいていたが、それでも
しっかり模型をたくさん売っていた。)
もちろん、縄跳びや鉛筆もかっていた
のだが、
小学校のころは、
駄菓子屋の様なたわいもないおもちゃ
を買ったり、小学校の頃は
どういうわけか小さな
千代紙が流行っていて

買ったり、コマやめんこ
まで買っていた。
いろいろな形をした
消えもしない消しゴム

中学校のころはそこで
ジュースやお菓子もかって
食べていた。
(安いジュースやお菓子が多く
口の中はオレンジ色やグレープの
色にそまっていた!)
店ごとに少しずつ売っているものが
違って、友達と学校帰りなんかに行って
楽しかった思い出がある。
時代の流れでなくなってしまったのだろうが
今の社会の流れで小さな店ではやってけない
のだろう。。。。
子供自体のニーズも変わってしまったので
あろうか。。。。。
今でもその楽しかった
思い出を味わいたいのか
文房具や(今は小さな文房具屋がないので
自然文具生活の様な大きなとこにゆく)
夢屋(駄菓子屋専門店)、
松屋(おもちゃ問屋)に行くが
なにか違う。
店の雰囲気の制か
おじさんの心が汚れてしまったのか
あーあの頃にもどりたい。
デジタル化の波が、、、、、
当院は、いまでもカルテを手書きでやっている
のだが、今や、ほとんどの
病院で電子カルテを採用している。
ただし、事務の方は計算を
コンピューターでしているのだが。
そもそも何をしているのかというと
全てを電子化して、
結局、カルテをデジタル化することが
目的ではなく、
診療で、カルテを書きながら
おれを元に直接
保険点数をいれて
(医療というのはいろいろな行為が全て点数化
されておりいろいろな行為、例えば診療が〇点
点滴が〇点とかそれを計算してお金を計算する。)
処方箋をだしたり、
レントゲンをレントゲン室でとったら
それをすぐ診察室の画面でみたり
他の科とカルテが共有なので
(基本一つ)
すぐ他の科でなにをしているかもわかる。
そして、診療が終わったら計算が出来ている。
つまり情報をすぐとれたり、
(過去のカルテやレントゲンを
わざわざ出さなくてもすむ)
(以前は、各科ごとに複数カルテを持っていた。)
計算が早くできたり処方箋が早くできたり
その人の過去の記録がすぐ診れたり
するというものである。
こういう風に大きな病院で
検査の場所がはなれていたり、いろんな科があったり
一度にたくさんの患者さんがくる
ところでは有用なシステムである。
最近、患者さんが先生がこちらを見なくて
画面ばかり見ているというのは
そのため(入力が大変なため)である。
逆に言えば、今のところ当院の様な
クリニックではあまり有用性がないのが現実である。
当初は、機械自体が高価なため、
その分人件費が減るというのが売りであったが、
実際は削減どころか
人員を増やさなけらばいけない羽目に
陥っているところもある。
非常に高価な機械であるし、
私自信がまた、仕事が増えるだけで
入れたくないのが現状なのです。
ところが、最近、顔認証しすてむとか
マイナンバーとか、いろいろ
電子カルテありきでの話が多くあり
(強引に電子カルテ化しようとしている)
そろそろ導入を考えなければいけなくなっている。
(私の目の黒いうちは、そのままにしようと
おもっていたのだが。。。。)
(なにか裏で何か強い力を感じる)
究極的には全国で1人1冊のカルテに
したいのである。
つまり、日本全国でカルテを一つにしたいの
です。(ああーこわや)
しかし、なんとも最大の問題は、
電子カルテごとの
ソフトが一つではなく、会社ごとにばらばらで
病院ごとに入力の仕方や形式がちがう。
統一などできるわけがないことである。
つまり、病院が変われば
入力、使い方が違うのである。
実は、機械よりソフトの方が値段が高く、
使いやすくして統一したいのなら
厚生省が統一ソフトをつくって
安くすればすむことで
それならば、全国での導入も早い。
そこは、ホレ!
どの職種でも同じで
根本の当たり前のところで
大人の事情がはたらくのが世の中である。
どこかの企業が、自分たちの企業は、
患者さんのためにいろいろな病院をつなぐ
ネットワークの開発をして
皆様のために
頑張っています的な宣伝をしている会社があるが
営利企業がそういう言い方をすると
正直、いい加減にせいとおもわざるを得ない。
しかし、政策の波は大きく
こんな小さなクリニックでも
その波をかぶらなければならない
羽目に陥っている。
あー、金がないのに。。。。
(# ◌゚Д◌゚)(# ◌゚Д◌゚)(# ◌゚Д◌゚)。
現場は大混乱。
自慢でも何でもないが、
昨年の今ごろ発熱患者が来て
保健所に連絡してPCR検査を依頼したら、
担当者はまるで検査をする気がなく
気の長い私は激怒し
お育ちがいいことばで
“てめえ、なにを今しなければいけないのが
わかっとるのか、
ワクチンが打てる様になるまで
流行を抑えて、それまで我慢しなければ
いかんのだろうが、、、、おら“ と
丁寧に怒った。
今、まさにやっていることが
そのことなのだが、
あと2か月ほど我慢すれば
なんとかなりそうなのに
その2か月が我慢できなかったのだ。
緊急事態宣言は、早くやめるは、
あろうことにgotoで初期対応を誤った。
大体、政府は個人行動まかせで、
初期に流行らなかったのは
志村けんさんが無くなって
国民がビビったに他ならないと
思っている。
、
現在、コロナのワクチンの接種が
始まったのであるが、
現場は大混乱。
ワクチン業務はだいたい
国な直接地方自治体に委託し
それを地方自治体が医師会に
委託して行うものだから、
自治体の違う高松と坂出では
方法が違う。
患者さんは、毎日、毎日
われわれにいろいろ聞くが、
国でもワクチンの供給量が
予想がたたないので
地方自治体は予定がたたない。
医師会は用意は進めているが
地方自治体自体が予定がたたないので
手も足もでない。
そんな状態です。。。。。とほほ。
日本人は、極度にワクチンに対して
警戒観があるが、
本来ならいづれは近い将来は
いろんな病気に対して
ワクチン接種がなされる様になってくるはずである。
なぜなら、今の医学では病気を事前に
かからない様にできる唯一の方法なのであるから。
いまこのワクチンで狙っているのは
何年かかるかわからないが
このコロナウイルスを
最終的にはインフルエンザの様にすること
あやうくば普通の風邪にすることである。
その可能性はある。
というのも、このコロナウイルスの
初期感染(初めて感染すること)で
10歳以下はほとんど症状が出ないこと。
ということは、
コロナが蔓延しても幼い時に感染していれば
症状が軽く、それ以上の年になれば
ワクチンを打ったのと同様に
抗体を持っているから、
(抗体:一度感染したりワクチン接種を
すればそのウイルスを攻撃する物質が
できやすくなる。)
感染しなかったり、
軽症で済む様になるからである。
そこで、つねに世の中に
そのウイルスがうようよいたら
毎年、生のワクチンを打つのと
同じ様になる。
であるから、今、現在の成人は
(かかると大変になる人達)できるだけはやく
抗体を持たせる様に
どんどんワクチンを打ったら
それだけ、このコロナ自体が軽い病気になる
可能性があるのである。
(10歳以下の子供と同じ状態にする)
でも、この状態では、、、、、、
と、トホホがつづく現状を
一人の町医者として
嘆く今日このごろであった。
ほめて伸ばすのは本当なのか
なにかいいことないかな~
これ私の口癖。
毎日、毎日、仕事をしていると
ストレスになることばかり、
10のストレスも1いいことが
あればなんとか気も晴れるのに
仕事に意欲がでるのに、
という私の考え。
いいことがあったら他人には教えず
自分だけでする。
これも私の口癖。
あーしんど
毎日、の仕事をどうにかこなしているものも
周囲の人間が私のすることに対して
共感してもらって、やっているから。。。。。
決してみんなにほめてもらおうと
頑張っているのではないが
自分がやっていることに
共感してもらうということは
究極的にはほめてもらっている
のと同じなのかもしれない。
しかし、今の社会。
特に若い世代は、ほめてもらう事に
なれすぎて、ほめられいと、
あるいは他人に先に
認めてもらわないと
前に進まなくなってきている様な気もしないでもない。
われわれの時代は
怒られて、けなされて
畜生、今にみていろ
という糧で生きてきたところがある。
医者になってからすぐというもの
アホ、馬鹿、間抜け、といわれ
畜生、今に見てろと思ってやってきた感があり、
結構、周囲でもそういう人間が成功していた。
いろいろな負の部分を糧にして
直接褒められるのではなく、
間接的に褒められることで
がんばってきた様なきがする。
今の社会、昔より個々の競争や
生き残りが試されているなか
教育自体が成績の順番どころか
徒競走の順位さえつけさせない
教育で育っている若者に
怒ろうものならとんでもないことになる。
昔でいうなら、
国民、総おボッチャマの状態に
なってきている様な気がする。
とても今の若者が
自分の老後を養ってくれるとは
思えないのである。
つまり、昔より生き残ることが
大変になって来た世のなかで
昔よりおボッチャまになった
若者が突然その世のなかに放りだされて
さまよっている様な気がするのである。
日本人の悪い癖で
なんでも過剰反応して
過ぎてしまって本質をとりちがえる
自由や平等そして褒めて育てる。
それが証拠にこのコロナの世界で
好き勝手放題して、自分の不利益
ばかり強調している。
褒められないことで他人を
けなすことで相対的に
自分を持ち上げ
自分の行為を褒めてもらおうとは
していないだろうか
世界に目を向けると、日本という
おボッチャマ国家は
以前にもまして
この大変な世界のなかで、
さまよい出して潰れて
いる気がするのである。
中国やロシアの方針は間違っているが
自由を履き違えた自由主義国家は
確実に自滅している。
なんて、雨の日の日曜日
さらに欝になってしまう
私なのである。。。。。
地球防衛軍はできない
邪悪な宇宙人が地球を
征服にやってくると
われわれ人類は一致団結し
地球防衛軍を結成し
最後にはこれをやっつける。
隕石が地球へ向かってやって来ることが
分かって、地球人はその英知を結集して
一致団結してこれを回避する。
めでたし、めでたし。
われわれ、幼稚な人類は、
インディペンデンスデイや
宇宙戦艦ヤマトを
あるいはアルマゲドンやメテオ
などの映画のストーリーを
信じてやまなかった。
人類の危機が迫ると
バラバラな国家やイデオロギーを超えて
団結して、戦うと信じていた。
そう思わなくても
心のどこかで、そうなることを願っていrた。
ところがこのコロナでその
全てが夢であったことを思い知らされた。
人類は一体となって
このコロナという人類との敵と
戦うどころか
それぞれの国家が争って
ばらばらにその対応をした
これが映画であったら
その原因を突き止め、
一体となってワクチンを作り
一体となってこれを全世界に配布し
この人類の危機を制圧する。
そうなるはずだった。
それが、人々がどこかに潜めていた
人類への希望でもあった。
ところが、実際は
国はあらそって、バラバラに
その対応にあたり、
その起源について国家間で罵り合い。
国家がバラバラにワクチンを作ることを
競い、これを金で買いあさり、
いち早く、他の国より立ち直りを
競いあう。どの国も人の命より経済を優先し、
それだけではない。
こんな中でも国家内で対応に
分裂し、人種間の差別もさらにあらわに
なってしまった。
国家どころか個人、個人でさえ
罵り合い、
感染者どころか
その治療に携わる人間に対する
差別さえ出現し、
表では、医療関係者への
感謝という虚栄を打ち出し
自分を納得させるための偽善を打ち出す。
社会は社会で、これを景気に
ウェブによる遠隔社会にしようとし、
未だ、不安定でセキュリティーが
実証もされていないデジタル化を
強力に推し進めようとする。
(この急がれるワクチンでさえ
作るより検証に時間がかかるというのに)
いくら日本のネット環境が遅れているといえども
コロナを利用して便乗しようと
しているとしか思えない。
だいたい、このネット社会への
急変は、コロナでただでさえ
打ちひしがれている
旅行、飲食、交通境涯を
コロナ下で援助しながら
気が付けば強力に
潰しにかかっている様なものである。
(長距離の移動、宿泊、そこにおける
飲食がへってしまうから
コロナの影響が終了しても
そこには本当の打撃がやってくる)
製薬業界には
病院を回るMRという職があるが、
このコロナ騒ぎを利用して
一気にその職を抹殺使用としている。
会社的にはコロナのために
収益が落ちたことにして
(実はコロナのために
収益が落ちたのではないし
コロナの影響だけではそれほど
収益が落ちたわけではない)
また、病院への訪問が
悪影響を及ぼすという名目で、
首を飛ばしまくっている。
つまり、もう世界、国家、人種
どころか個人個人でさえ
この未曾有の危機に
地球防衛軍をつくるどころか
バラバラになってしまって
これを利用して自分の利益にしようとしている。
つまり、人類は未曾有の危機がくれば
実は、一致団結するのではなく。
個々にバラバラになってしまう
ということが今回のコロナであらわになった。
これでは
ガミラスが来ても
宇宙戦艦ヤマトさえ作れずに
人類は消滅してしまう。
ああ
人類という動物の
愚かさよ
痛そう
だんだん、コロナの予防接種が
行われる様になっているが、
テレビで接種の様子を
見ていると、
我々が見ても
“いたそー”
日本は、インフルエンザなど、
皮下注が中心だが
今回のコロナは筋肉注射
深いところまでさすので、
直角に近い角度で肩にうつ。
斜めに小さな針で打ち込むのと
直角に長い針で打ち込む違いがある。
まだ打っていないので
どれぐらい痛いかがわからないが
注射の痛みは、
その注射液の内容で決まることがおおい。
浸透圧、分子量等で決まる。
つまり、染みやすさと液の内容の粒の大きさ等
あとは、針
当院では、インフルエンザを打つ時に
バイアル(瓶)からとる針と
打つ針を変えている
(バイアルのゴムに針を刺すときに
針の先が金属といえども
小さく曲がるから
切れが落ちる)
このコロナの摂取では刺す針と
打つ針を変えていない
(お金がかかるから)
痛そーーーーー
次は、痛点。
皮膚は、どこでも痛みを感じるわけでなく
痛みを感じるところや
熱を感じるところや
圧を感じるところがある。
そこで、どこに針が当たるかで
痛みが違う。
これは、運。
よく、注射の上手、下手といわれる
ことはあるが、偶然のことが多い
しかし、静脈に注射するときや
血管より血液を採るときは、
やや違う。
悲しいかな、子供に注射する時は、
まず、皮膚の感覚か高齢者の
感覚と全然ちがう。
(年齢が行くと皮膚が薄くなってゆく
へたをすれば高齢者は皮膚がにげて
なかなか刺さらない時もある。)
また、血管に刺す時は子供は
血管に弾力があり“プツ”という感覚がある。
(高齢者はいつ入ったかわからない)
血管自体に入る、入らないより
問題は、入りやすい血管を見つけられるか
どうかにかかっていて、
血管がない人やもろい人はだれがやっても
入らない。
(皮下脂肪が多い人や病気で体がからからの
人はそれはもう大変である)
しかし、最大のコツは、
注射を打つ相手が痛いと思って
打っているかどうか。
注射をするとき、注射をされる側の
痛みを考える人間は
なかなか上手くは注射できない。
むしろ、相手を人間と思ってない人ほど上手なのである。
試しに痛がったり、恐がってみてください。
なかなか入りませんから
それでも普通に注射できる人は
スーパー上級者です。
ここのところ
高齢者施設での見取りが
つづいていて
さすがに、疲れてきた。
体力的にもきついが
たとえ看取り状態の人でも
毎日診ている人が
精神的につらい。
そんな中で、
テレビで毎日コロナの
話をしているが、
私なんかは、気になる点が
一杯ある。
先ず、一つに医療現場のひっ迫を
理由にみんなに自粛を呼びかけること
なにかおかしくない??
これでは、医療現場の人間の
ために自粛させているみたいに
なっているではないか。
政府や報道の策略かもしれないが、
これは完全な責任や、憎悪の対象の据替です。
そうではないでしょう。
人が死んだらいけないからでしょう。
毎日病床数の利用率の報告でことを決めるのではなく
毎日の死者数や感染にかかって
後遺症で苦しんでいる人の
数でものをいうべきでしょう。
重傷者の数を時々協調するが、
重傷者が減ったら
医療のひっ迫度が減ったでも
の言い方だが、
重傷者が減ったということは
それだけ死者数がふえただけでしょう。
(重傷者とは呼吸器管理していなければ
いけないので、中等症の中では
本来重症なのに、家人が呼吸器までつけて
積極的に治療をのぞまない人がいるので
重傷者から飛んで死者になる人が
多数いる)
これだけ毎日死んでいるから
これだけ毎日後遺症で苦しんでいる
人がでているから
自粛してくださいでしょう。
その上で医療現場自体へも攻撃する。
このままでは医療現場が崩壊する。。。。。
外国では崩壊していないのに
日本ではなんで、、、、、、
日本の医療体勢がもともと悪い
という言い方。
一つ、医療現場の崩壊??
どの業界も同じであるが、
通常と異なることがあればすぐ
その世界は崩壊します。
東北の地震のときは
医療現場だけでなく、
あらゆる分野で崩壊が起こっています。
どの業界でもどの分野でも
とてつもない異常に対処しながら
物事をまわしてはいません。
そんなとてつもない異常に対処して
物事を動かす余裕がある
世界はありません。
医療も含め、一応東南海地震を
想定して準備していますが、
私に言わせれば、医療現場は
地震発生直後から全く機能しません。
また外国ではなかなか崩壊していない
といいますが、
外国でも発生当初から
すでに医療現場は崩壊状態です。
その上で、
この病気に対する死者への軽視が気になる
毎日日本で100人以上が
無くなっているのに
それに対する感覚が
あまりにも軽い。
高齢者やリスクを持っている人
は、死んでもしかたない
という風潮は、許せない。
それでは、私が毎日
診ている人たちは
大半が65歳以上だし
大半が何等かの病気をもつリスクのある
人たちである。
そういう人達は
死んでも仕方ないというのか??
とつかれた心がさけぶのです。
あーつかれたつかれた。
追伸
そのどさくさにまぎれて
コロナに便乗して
レジ袋の有料化や
マイナンバーカード、キャッシュレス
を強引に導入するな。
コロナが終わってからにせい。。。
もう、手一杯じゃ。。。。
なんて思うのは私だけ???
渋沢栄一 ??
今回、大河ドラマの主人公である
渋沢栄一。
正直、何で大河ドラマの主人公になったり
1万円札の顔になるのかが
よくわからない。。。。。。
大河ドラマ見てみよっと。
そういえば、1000円札の野口英生
われわれ医師の間では、
もう一つ偉人という
感覚が無い。
なぜならば、医学的な功績が
残っていないからである。
一般の人には
驚くべきことかもしれないが、
医学部で6年間、講義を受けて
野口英生の名前が出てくることがない。
野口英夫は黄熱病の研究で有名なのだが
黄熱病はウイルスが原因の疾患で、
当時、光学顕微鏡しかない時代に
ウイルスを見る方法がなく
(電子顕微鏡なら見える)
結局、結果が得られなかったのである。
唯一の功績は野口培地という
梅毒の純粋培養の培地を作ったのだが
今ではこれも否定的。
当時は、梅毒の研究を中心に
ノーベル賞の候補にも名前が上がったのだが
今では、研究手法や論文の内容に
対して、批判的な者が多い。
(今ではとても認められない)
(医学者としては
志賀潔や、北里柴三郎の方が
業績を残しており、
ノーベル賞をもらっても
おかしくなかったが、医学賞は
当時、やや人種的偏見があったようだ。)
野口英生は、当時から日本だけでなく
世界的に有名な医学者であり
人種差別の中で、大変な努力を
したことは間違いない
しかし、
冷たい様だが、科学というのは
それだけ厳しい世界なのである。
実をいうと山中教授が
ノーベル賞をもらったときにも
われわれの間では首を
かしげる物が多かった。
なぜならば、ノーベル賞は
この部門では、研究の成果だけではなく
その成果が後にどれだけ社会に貢献したかが
受賞のハードルになっており、
例えば、今では有名になっている
ピロリ菌だが
(胃がんの原因の一つと考えられている)
受賞は、ピロリ菌の除菌で
胃がんの発生率が低下したことが
確認されてから受賞している。
(それでも早いといわれていた)
IPS細胞は医学的に貢献して
行くことは間違いないのだが
いずれノーベル賞をもらうことは
間違いないであろうが、
早すぎるのではないかというのが
われわれの中では
一般的なのである。
それだけ科学というのは厳しい世界なのである。
理科系の人間は、
皆、一度は、アインシュタインの様な
スーパースターに憧れる
のであるが、そこには
なみなみなる努力以外に、
運、トピックス性、世間でのウケ
など、いろいろな要素が絡んでくる
日が当たらないところで
大変な努力をしている人達は
沢山いるのだが、
有名人はピラミットの
ほんの先端にある砂粒ほどの
人間といっていい
渋沢栄一か、、、、
大河ドラマはやっぱり明治以前がいいな。。。
と思いつつ
今年1年、見る予定。
人類のなぞ
毎日、みなさんから
コロナワクチンのことを聞かれるけれど
何にもわからない。
お国が決めて
それを地方自治体に丸投げして
それを医師会に相談して
それからこちらに話が来るので、
大体お国自体で、入荷量等が十分決まっていないので
地方自治体も医師会もいろいろ
想定はしているが、決めれていないし、
おそらく、地方の状態でやり方が変わるから
東京や大阪と坂出ではやり方が
違う様になる可能性が高い。
つまり、なにもまだ
私にはわからない。。。。。。のです
話はガラリとかわって、
人類の謎の一つ
なんで皆だいたい若くて、“綺麗”とか
“ハンサム”とか思う人がだいたい同じなのか
ひと昔の映画で主演になる様な女優さんたちは、
一般にみんなが綺麗と思う人が多かったが、
(今は、個性派の人や。。。。)
また、昔のハリウッドの俳優は、背が高くて
2枚目が多かった。
なんで、同じ人間を
綺麗とかハンサムとか思うのか、?
動物的にいうと
異性に求めるのは子孫を残すために
相手を求めるのであって
それなら
相手が女性なら、子供をたくさん産めて安産で、
かつ
元気に子供を育てられる女性をえらんだり、
相手が男だったらできた子が
元気にたくましく生きていける様な相手を
選ぶはずである。
つまり、容姿は関係ないし、
細くて色白の女性とか
ひょろひょろっとしたどこか頼りなさそうな
男性なんて、もっての他である。
また、そんなに綺麗やハンサムでもないが
皆が同じ男性や女性に惹かれる
という現象をみることがるが、
これは微妙なフェロモン的なものが
影響していることは確実とおもうが、
テレビを通じてはこれはない。
平安時代は、ちょっと、しもぶくれの
女性がもてたというが
これはなら がてんがいく。
(食べ物が少ないときややぽっちゃりの人
が健康で、安産タイプだったにちがいない)
一説にはいろいろな人の顔をサイズ的に
平均して合わせると
みんなが綺麗とかハンサムとか
思える顔になるという説がある。
じゃ子孫を
平均的な人間にしたいのか??
なんで??
大体、木村拓哉が人気がでて
来たころから、中性的な
男性の人気が出てきたといわれている。
他の話だが、
人口密度が高くなるとホモセクシャル
な人間が増えてくることは
どうも確実らしい、
動物的な本能的に人口密度を減らそうとしているのか
そうであれば、
今の傾向は人口が増えすぎて
それを減らそうという動物の本能か?
これ以上書くと
森元首相の様になってはいけないので
ここらへんで、、、、
あーしんど
私は、意外と思うかもしれないが、
買い物にいって、物を買う時は
ほとんど内容について
店員の人と話さず、素人として
話して物をかう。
たとえば、電気屋さんでパソコンを
買う時、全く”素人ですですので“と
いってから話を聞いて買う
(一般平均よりは知っていると思うが)
(もちろん、高い物、売りたい物を
売りつけようとする時は警戒するが)
なぜ、そうする様になったかというと。
日常の診療からである。
最近は、患者さんがネットでいろいろ
調べて来たり、お年寄りは
テレビや
近所の人達から、いろいろ
情報を聞いて、私に診察室で
講義をしてくれる人がいるが。
テレビやネットは極端な話が多いし
不確かな情報が多い。
近所の人の話や
テレビの宣伝(こんなに膝がよくなりました等)
は論外。
これをさらに間違った方向から
捉えていることが多い。
また、例えば、便秘一つでさえ、
いろんな原因があって、
これがいいというものは、
人それぞれで、
結構、その人にいい方法を探すのに
一苦労する。
それを、テレビであれがいいと聞いた
とか、友達があの薬を使ってよくなった
とか言われても、困ってしまう。
それを信じて来る人の考えを
変えるのは大変。。。。
結局負けたりして、。。。。
なんせ、私の話より、
テレビで話している教授や、
はたまた、近所の人の話の方が、
断然、上なのだから。
例えば、高血圧にこの薬がいいとか
この食べ物がいいとかという事を
人に聞いて、変えてくれと言ってくる人がいる。
ところが、高血圧というのは
原因が複雑で、薬も様々な薬があり、
その中で、原因、薬の作用、
他の持病との関連性、
その人が元気で長生きするためには
どの薬がいいか、
はたまた、その人の性格
(薬をちゃんと飲む人か、時々
忘れる人か、仕事や性格上、3回ちゃんと
飲む人か、一回だけならちゃんと
飲む人か)
仕事上、低血圧だけにはさせれないとか
最終的には経済的にどれがいいか。
といろいろ考えて処方している。
(ホントに)。
いくらいろいろ知識を得てきても
やはり、腐っても40年間
医学に携わっている。
テレビやネットの情報を聞いても
正面より捉えることができるけれども
あまり知識がないと必ずといって
間違った知識になっている。
テレビにOO教授といって出ていても
結構偏った考えを言っている人や
テレビ局の思惑で、変に編集していることが
多い。
もし、商売をしてる人なら
自分が、ずっとやって来ていることで、
いろいろ調べてきて、いろいろ
話をされても、結構とんでもない
事を言っている人に
遭遇すると思う。。。。
それと同じ。。。です。。。
あと、加えて言うと、
自分の患者さんが、他の病院に行ったり
して(特に大きな病院や若い先生)
急に薬が変わってくることがある。
よく、高い薬や、新しい薬や治療法
に変わってくることがある。
先に話した様にいろいろ考えて
出している処方を急に変えられると
涙がでてしまう。。。
医者は、それぞれ考え方がある。
特に自分の専門分野では
いろいろ自分の考えから
自分独自の治療は持っているが、
治療というのは、大学病院で試験をしている
のではないので、
一般に広く認められて初めて
するべきものと考えているので、
決して自分独自だけの考えての治療は
基本的にしない。
それが、一般の病院がするべきことと
考えている。
余談。
まー、自分も年齢を重ねてくると
有名な教授たちも
年下が多くて、なにをいっても
ほとんど“くそくらえ”って
思っている。。。。。。。へへ
あー心がすさむ
このコロナ禍は、まだまだ続きそうだが、
この一連の出来事は、
ことごとく日本人の、いや人間の
浅はかさと動物としての未熟さを暴露する。
また、このネット社会は
その馬鹿さ加減を倍増する。
毎日、毎日、
口々に思い思いの考えをいい
思い思いの行動をする。
あーいやだいやだ。
まるで小学校の低学年の教室で
おさない生徒たちが
教室で、がやがやとしゃべって
あげくの果てに
思い思いに行動し始めて
大混乱の教室になっている様。
正しいことを言う生徒は責められ、
おもしろいことを言う生徒の言葉に
みなが耳を傾ける。
皆が自分の言っていることは正解と思っている。
先生の声はうるさくて通らず
また、だれも先生を信用していない。
どうしてこんな社会になっちまったのか
やっぱり人間はあさはかな
幼稚な動物としかおもえない。
という話はさておいて、
最近、気が付いたのだが、
街に映画の宣伝の看板がほとんどなくなってしまった。
映画がまだ華やかなりしころ
街中に映画のポスターがあった。

そう、あの荒井由実の
いちご白書をもう一度の詩の一部
“雨に破れかけた、街角のポスターに~”を
ほとんど見なくなったのである。
以前、話した模型の箱絵と同じように
映画のポスターの魅力で
映画を見に行ったものだった
(がっかりさせるものも多々あったが)

私はやはり
絵がきれいなものが好きたっだが

外国にはそれ専門の絵を書いて
有名になった人達もたくさんいる。


大げさなことをいえば、
絵とタイトルとを書いた上に
簡単な映画の内容とキャスティングを
入れる総合芸術で、

このティファニーで朝食と

風と共に去りぬ
のポスターは最高。
また、
映画館に行けば、
ちょっと似てない
看板屋さんが書いた絵も
今となっては懐かしい


アナログなおじさんは、
こんな街の風物詩
がなくなって行くのが
なんか寂しい。
眠い眠い
今年にはいって、日中も眠いし、
家に帰ってからも眠い。
日中は、14時頃になると
無茶苦茶眠くなるし、
夜は夜で10時を過ぎるころに寝落ちする。
いつも英語の論文を読むと
眠くなるのだが、
その時間帯になるとまず1行読めない。
なんでだろうか???
と思ったら、最近原因が判明した。
今年に入って水曜日が休みでないのである。
いままで、水曜日は休みなので
いつもより長く寝ていたし、
ついでに昼寝までした。
ところが、今年に入って水曜日は
いつもの様に早く起きて病院に来て
帰ったら、ウィークデーにしかできないこと
(郵便局、銀行、日曜日に開いていない店
に行ったりすること)をして、
また、日曜日には、その分しなければいけない
事が増えて(家事、、、)日中の
開いた時間が減ってしまった。
だからその分、1週間のトータルの睡眠時間が
減ったのだ。
そういえば、昨年も第1週の
水曜日が出勤の週は、ウィークエンドの
体のだるさが異常であった。
。。。。。。。。。(年の制だと思ってた)
つまり休みの日には日常の睡眠不足の
寝だめをしていたのだ。
医者として、寝だめなんて
あるわけないと思っていたら。
実は、実験的に寝だめは
証明されていたことを最近知った。
睡眠は今でもその科学的な
解明が遅れている分野で、
いまだに睡眠がなぜ必要かが解明されていない。
ただ、研究で、その重要性だけは
どんどん証明されている。
このコロナ禍の中、睡眠を十分とらないと
免疫機能の低下が起こってしまう。
(睡眠をとらないと免疫機能が落ちることは
証明されています)
また、最近いろいろな研究で、
睡眠中に脳内の要らない排泄物を
排泄しているというのがわかり、
熟眠障害がでる高齢者は
認知機能の低下が起こるという説もある。
ただ、寝すぎもよくなくて
統計的に5時間~7時間の睡眠が
疾患にかかる率や死亡率が低いといわれている。
(他の機能的には成人は8時間がいい
という説もある)
高齢になって認知機能の進行が少ないのは
6時間という論文が多い。
ただし、睡眠時間で、途中でトイレに起きれば
-30分ほど考えなければいけないし
睡眠といっても、熟眠時間が重要で、
ここに個人差が大きく出てくる。
話は変わるが、これも信じていなかったのだが
人間には朝型、夜型の人が存在して、
これは遺伝的に決まっている様で、
朝型の人を夜型の生活をさせたり
その逆をさせるのは
能率的に悪いようだ。
(サマータイム制度は朝型の人間には
大変迷惑なことらしい)
またまた、話は変わるが、最近の説で、
夜、寝つきが悪くて
不眠を訴える人の中で、
眠くないのに決まった時間に
床に入るのは良くないことは
知られていたのだが、
それが、条件反射で余計眠れない状態を
招いているという論文がでていた。
つまり、レモンなんか酸っぱいものを
頭にうかべるとよだれが出るのと
同じで、
床に入るイコール眠れないという
ことが、条件的にしみついてしまうという
説で、眠くなって床にはいっても
逆に目が覚めてしまうという
厄介な条件反射が出来てしまうと
いう説である。
ああ、私はどうも
英語を読むと眠くなるという
条件反射がついているようだ。
人類が滅びる。。。
最近のニュースでマスクを拒否して
飛行機の運行を妨げ飛行機から下ろされて
逮捕されたり
共通試験の会場で
マスクの付け方を注意されても直さないで
トイレに閉じこもって
警察に補導されたりしたことが
(これに影響された受験生もいることだろう)
ニュースになったりしているが
それをまたこれを擁護する
様な発現をする有名人もいる。
以前、マスクや集会に対して持論を展開し、
それを強行しようとした
堀○モンなんかが話題になっていたが、
どうなんだろう。
周囲の迷惑を考えずに持論をとおすか、
この規則的なことをファシズム的なことと考えるか??
話は大きくそれるが
ネアンデルタール人は人類と同時代に
生存していて、脳も発達していたのに
4万年~4万5千年前に絶滅してしまった。
(一部遺伝子は現在の人類の中に残っているが)
絶滅の原因は、最新の研究では
彼らが大きな群れで生活できなかった
からではないかというのが
有力な説になってきている。
(ちいさな集団で交配することで
遺伝的に弱くなって絶滅したという説)
ということは逆にいえば
人類は大きな集団で
共同生活を営めたために生き延びてきたのであって
集団の中で集団をよりよく動かしてゆく
規則を守るのは人間の本能で、
それによって人類は生き延びてきたのだ。
だから集団生活を守るためには
ある程度の規則が必要であると思うのである。
また、それが人間の本能なのである。
大きな規則は法律であり、小さな規則が
道徳で、それが今の人間の社会生活を
維持しているとおもうのだ。
逆にOO警察とかいう極端に
マスクをしろだのなんだの言う人もいるが
これも逆の意味で共同生活を破壊する行為だ。
この両極端な人達ほと詭弁が立つ。
あーめんどくさい。
もし、世の中にこの両極端のめんどくさい人達と
普通に規則を守る人の3つの世界があるなら
私は普通に規則にそって普通の世界で生きたい。。。
さらに、コロナに感染して入院を拒否したり
隔離を拒否したりする人に
罰則を作るという話がでて問題になっているが、
結局そこまでしなければ、規則に従わない
人間が多く出ていることが
今の社会の問題とおもう。
弁護士会が罰則を作ることに対して
人権の侵害だといっているが
もし、その感染者に自分の大事な人が
コロナをうつされて死のうことがあるなら
私は、その人を許さないだろう。
髪を切りたい。。。
コロナの流行で、
髪を切りに行くのを躊躇していたら
患者数が増えて
ますます行きづらくなってしまった。
大体、カットでなくて
昔ながらに、理髪店へ
行くもので、髭剃りなんか
とても心配。。。で。。。。
その上、いつも水曜日にいっていたのが
今年から水曜日が仕事になった
もので、、、どうしよう。。。。
髪型といえば、
最近、テレビをちょっとつけたら
昔の映画に吉川晃司と浅野ゆう子が
出ていて、

学生時代にはやっていた
髪型やファッションが
懐かしいというか
今、思えばへんな感じ。
私、どうも人間的にカットというのが
性格的に合わず、床屋さんにいっているが、
床屋さんというもの
お任せにしていたら、
その時のはやりのカットをしてくれる。
70年代~90年代のはやりといえば
70年代

80年代


90年代


こんなもの???
なんか懐かしく思うが、
いまでは、なんでもありな時代で
結構、みんなそれぞれ
思い思いの髪型をしている様な気がする。
ちなみに
吉川晃司の変遷を見ると

こんな感じ。
ま、女性も
70年代は

が流行っていたし
バブルの時代は
とさか、すだれが流行っていた

ファッションも
肩パットはいっていた

今思うとほほえましいが
当時は当時で一生懸命、、、、
流行ってなんだろうか
異性を引くための
動物の本能??
(とさかや孔雀の羽の様なもの??)
なんだか
昔の写真を見てみるのも
楽しい、、、
それにしてもどうしよう。
自分で刈り上げようか??
このコロナの爆発的増加は、
年末年始の人の動きであることは
まちがいないのに
成人式をするところが多い。
私には狂気の沙汰としか思えない。
無症状の若者が都会からかえってきて
家族や皆に写し広げるのは
まちがいない。
どうして、これを延期できないのか。
何で、明日のことしか考えられないのか
明後日はどうするつもりなのか
私には理解不能
コロナの話は
話すとだんだん腹が立ってくるので
おいといて
この数日、雪が積もる積もると
言いながら、予想通り積もらなかったのだが
、、、、、、、
だいたい香川県は、
夏は太平洋側から湿った空気が四国山地を
越える時に乾燥して
冬は日本海側からの湿った空気が中国山地を
越える時に乾燥して
どちらにしても雨や雪は降りにくい
場所。
(たしか、沖縄が返還されるまで、高松の気象台が
降雪量が日本で最も少なかった。)
ちょっと難しいことを言うと
高松に雪が積もるには
今回の様な日本海側に大雪が降る
典型的な冬型の天気ではなく
低気圧が西から東へ移動し
その時、シベリアから寒気が下りてきた時に
雪が積もるほと降るという感じで
なかなか、チャンスがない。
ちなみに、私が生まれて以後
結構、雪が高松に積もった記録は、
1964年(昭和39年)
2月24日 11cm
1965年(昭和40年)
3月16日 7cm
1968年(昭和43年)
2月15日 14cm
1969年(昭和44年)
3月12日 19cm
その後も結構降っている。
1972年(昭和47年)
2月10日 7cm
1984年(昭和59年)
1月19日 10cm
1月31日 19cm
2月12日 8cm
2011年(平成23年)
2月11日 5cm
他の年も数センチづつのありますが、
さっきいった様に2月から3月と
やや遅い時期が
多い。それにしても、どんどん
積雪がへ得ている。のが
怖い気もする。
1964年の時は、クリスマスだったので
小さかったが覚えているし、
1968年
は、家が工事中で工事の人が大きな
雪だるまをつくっていてお覚えている。
1969年は
小さなかまくらを作り、
1984年に至っては、
大学生の時で、九州も大雪で
時期的に講義の出席日数が足りなくて
必死で雪の中を大学にいった
覚えがある。
皆もそれぞれ記憶を思いだして
みたら楽しいいですよ、
ちなみに気象庁のホームページに
その記録がありますので
見ていたら、雪だけではなく
大雨や、台風の記憶もおもいだしますよ
気象庁、過去の気象データ検索
でいろいろ出てきます。
あけましておめでとうございます
当院は、12月30日より休診
にさせていただいておりますが。
私自身は、毎日働いている
状態で。。。。。。。
私、愛生苑等の施設を
一緒に診させてもらっている
関係上、(一部在宅もしているので)
時間外でも働いております。
。。。。。(愚痴)
クリニックだけで診ていたら
時間外はほとんど休息になるのですが
当院ではそういうわけには
まいりませんので、
今年も1月1日早々に
(早朝)見取りをしている
施設の方がなくなって
仕事をしておりました。
(ここまでは、、休みでも休んでないんだぞ!
という、皆様への主張でした)
だいたい、見取りで、なくなりそうな方がいると
いつ呼ばれるかわからないので
夜でも、
休みの日でも家から出れない。
いつでも、すぐに出て行ける用意をしている。
(寝ていても)
しかし、逆にいえば、
クリニックだけで毎日働いていたのであれば
せいぜい5人ほどの職員とだけ
毎日顔をあわせているだけなのだが、
ここで働くせいで100人以上の職員や
200人以上の利用者と
(特に男の職員がいるのがありがたい)
毎日、顔を合わせ、仕事をしているわけで
働く面白さ、やりがいは
普通のクリニックよりあるだろうと
思っている。
(そのかわり仕事量は2倍以上あるのだが)
それでもさすがに夜中に呼ばれると
きついものがある。。。。
私は、夜中に呼ばれても
すぐ高松から駆け付けるのだが、
だいたいそれが、いつもできるのは
私が酒がのめないから
(私の風貌をみてだれも信用しないが、、、、)
いつ呼ばれても酒をのんで
かけつけられないことが
ほとんどない。
医者になってからというもの
以前にも書いたが
夜、酒を飲まない人間は
非常に貴重な存在で、
夜、急患や急変があると
いつ呼ばれても、診れる医者がいる
ということは、同僚にとっては、大変便利で、
医者になってからは
この30数年ずっと急患係り
といっていい状態なのである。
ちなみに、酒を飲むと
顔が赤くなって気分が
悪くなるのは、
アルコールが分解されて
アセトアルデヒドという体に毒が
できるのだが、
私は、それを分解できる酵素がない
ようだ。(実は、日本人には多いのだが)
アルコールはそれを分解する酵素が
アセトアルデヒドにして
そのアセトアルデヒドを分解する酵素が
酢酸に変えて解毒する。
私は、おそらく両方ともほとんどうまく
分解できないタイプで、どうしようもなく
酒に弱い。
しかし、医師として言わしてもらうと
この毒であるアセトアルデヒドがあまり良く
分解できないのに、いろいろな
代謝や酵素の関係で酒は飲める人が
存在する。
そういう人に食道がんや、肝障害など
健康被害が出る人がいる。
酒が飲めない人の負け惜しみなのだが
そういう人は
おきおつけあそばせ。
まーいつもに増して
最近は、年々季節感がなくなってきていたが、
コロナのおかげで、今年は
いつも以上に季節感が消失してる。
だいたい、クリスマスで騒ぐのは
日本人で、いかがなものかと
思う方ではあるが、
ないと寂しいい、、、、、
あまのじゃく!!!!!
やっぱり、心が汚れてないころ
クリスマスがなんであるかも
わからないのに、
その雰囲気を味わっていた当時が
なつかしい
(また昔の話かい!)
商店街で山積みになったケーキ
を綿で髭をつけた
いかにものサンタ。

(古い写真がなかった)
なんとも今ではとても食べれない
ねっとりとしたバタークリーム
その上にのった
プラスチックのサンタ、クリスマスツリー
紙でできたもみの葉と
砂糖をまぶしたゼリー
当時はそれでも、おいしい?と思って食べていた。

(昔のバタークリームの写真がなかった)
高級品であまり食べたことはなかったが、
カチンカシンのアイスクリームケーキ

甘いもの好きの私は、
大学生の時
26日にたたき売りしている
チョコレートケーキを買って
一人で食べた思い出がある。
以前、書いた様に
私は、早くから、
心優しい兄から。。。。。
サンタはおやじだぜ、、、と
教えてくれたせいで信じてはいなかったが、
当院の事務の子がまだ
サンタを信じているというのを聞いて
なんか、ほんわかした、気分になった。
(兄が教えてくれる前からプレゼントが
お願いしたものよりスケールダウンしたものが
とどいたのでやや懐疑心はもっていたが、)
令和の時代となっては
ケーキは予約制
忘年会は、若い子が嫌うので
少人数のなかまうちだけ
(大がかりな、上司が喜ぶような
忘年会は消失)
クリスマスが終わると
正月になるのだが、昔の様に
元旦を祝う風潮もなくなったし、
毎日、ネットで大売出しがあっているので
商店街が年末ににぎわうこともない。
(高松ではウーバーイーツが行き交っているが)

大体今は、元旦から店は開いているし
(昔はどの店も3が日は開いていなかった)
(だから、おせちの意味もだんだんなくなってきている)
そんなこんなで、昔は、商店街自体が
活気があったし、その上で
年末のにぎやかさがあった。
なんやかんやで
子供のころは仕事をしているわけでも
大掃除をするでもなく
冬休みに突入したという
うれしさで、
この騒々しい年末の
年中行事が楽しかった
記憶として残っている。
正月あけても同じだろうが、
コロナの制もあって
今の子供たちはかわいそう
な気もする。
てなわけで、大変な一年でありましたが、
来年はどうなることやら
懐かしのメロディー
コロナのことを書くと
鬱になるので今週もやめます。
今は、そうでもないが、以前は
年末になると懐かしのメロディー
なる番組がよくあっていた。
10代の頃の懐かしのメロディーといえば
淡谷のり子、ディックミネ、藤島一郎、
笠置シズ子(香川県の人だよー)、三波春夫
村田英雄。
誰も知らないか、、、、、、( ̄∇ ̄)
(-_-;)(;^_^A
ハッハッハ
当時、(1975年ごろ)をだったのだが
懐かしのメロディーは、その当時から
10年~30年前の歌である。
めちゃくちゃ古臭く感じて
もちろん当時そんな番組を見るなんて
ありえない。(親がみているのを
古臭いと感じて覗いていた)
しかし、しかし、しかし
自分がよく音楽を聴いていた時代は
1980年前後で、
チューリップ、オフコース、荒井由実
井上陽水、大瀧詠一、、、、、、
なんともう40年前なのだ。
今の若い世代がそんな歌を聴くと
当時の私が懐かしのメロディーを
古臭く、感じていたのと同じ様に
古臭くかんじるのか、、、、、、????
げー、、、、、恐い!!!!
年は取りたくないもの!!!
昔の曲の方が詩に内容があって
よかった様な気がするんだけどなーーーー
荒井由実の”海を見ていた午後“
の”ソーダ水の中を貨物船が通る“なんて
詩を聞いた時はその情景描写にぶっ飛んだものだ。
あまり有名ではないが、
荒井由実の“晩夏”の詩なんて
夏の終わりの物悲しさの情景描写が
視覚に訴えられて物凄い(youtubeで聞いてみて!)
卒業写真しかり、イチゴ白書しかり、
荒井由実以外の曲の詩も
今の曲より断然いい気がするんだがなー
しかし、大瀧詠一の曲をよく聞くと
“夜明けまで長電話して、受話器持つ手がしびれたねー”
とか、”机のはしのポラロイドー“
とか、“A面で恋をして、ウインクのマシンガンを”
とか、詩の内容が今はありえない。。。。。
(-_-;)、(;^_^A、(;^ω^)
な所もある。。。。。。
洋楽なんか、エリッククラプトン(レイラ)や
T.レックス(20世紀少年の音楽)
が今でも流れているじゃないか、、、、、と
思ったりする。。。。
ああ年は取りたくないもの
しかし、音楽も映画と一緒で
聞いていた当時の思い出が
重なって記憶に残っている。
人生で一番多感な時代に聞いたり
観たりしたものは、
自分にとっては永遠の
宝物ではないか。。。。
なんて
あーいやだいやだ
今年もインフルエンザの予防接種を
終了した。
昨年より増えることを予想して
200人分ほど多めに用意していて
1300人分を摂取した。
正直、あきた、あきた、あきた。
今年は、なんと
初めて摂取する人がかなりいて
予想をはるかに超えて
もう終了してしまった。
実をいうと
インフルエンザお金は
任意なので、それぞれの病院で
値段を決めている。
一律の値段を病院間で決めると
逆に独占禁止法に違反してしまうので
個々でまちまち。
悲しいことに坂出市の病院での
相場が高松よりかなり安いので
当院でも3000円で摂取していた。
(儲けはがほとんどないんです)。
でも、当院では高齢者が多いし
いつも診ている人には打ちたいし
高い値段でやりたくないし
、、、、、、、
で、一所懸命打っている!!
あまり、積極的に打ちたくない病院は
極端に高い値段で
接種している。
(公立病院の○○病院は高い値段でしているが
小児が多いので×2で暴利だ!!)
また、予防接種も注射なので
看護婦さんが打ってもいいのだが、
(高松でいたときは自分で打ったことが
ほとんどなかった)
どういうわけか、坂出では
医者が打つ風潮があって
上里先生も自分で打っていたので
全部私が打っている
(職員へはナースに打たしている)
で、
あきた、あきた、あきた。
正直、今年は、コロナの影響で
大混乱で、
いつもより接種に来る人が
早いは、多いはで、
世間にワクチンが不足してる。
目一杯取り寄せたが
もう、手に入らないみたい。
これではコロナの予防接種はどうなることやら
大体、医療関係者からなんて
やめてほしい
(実は、職業別に打つ順番が
新型インフルエンザの事例があったので
マニュアルが以前より作られている)
しかし、われわれの気持ちは全国民分用意して
一斉に接種してほしい。。。。
大体、ワクチンに期待をかけすぎ、
細かいことは言わないがRNAワクチンは
作るのが困難なうえ不安定。
どのくらい効くかは疑わしいところ。
インフルエンザの注射をしても
はやるものは、はやる!!
一緒で、かかる時はかかる。
ワクチンの接種は以前から言っている
様に主力は集団接種による
集団の抗体の保持の力であるから
インフルエンザの注射と一緒で
これをはじめら、コロナが
世の中から消えてしまうという様な
幻想はくれぐれも起こさない様に。
がーーーーーー
久しぶりに10日連続で出勤した。
ボケてきたのか
毎日仕事しても
なにも感じなくなってしまった。。。。。
(どうせ最近、休みは家のことを
バタバタしてすぐ終わっちゃうし。。。)
そんな時こんな写真が目に留まった。

コロナの高齢の患者さんが
感謝祭の日に家に帰りたいと
外に出ようとして泣いているのを
医師が抱きしめてなだめている写真
思わず涙が出そうだった。
おそらく、みなさんとは
少し、違った意味で灌漑深さを
感じたのかもしれないが。
この今、第一線でいられない悔しさ
(ある意味では今も第一線なのだが)
365日24時間働いていたころの
自分の思い出。
その時、自分の力のなさ、医療の無力さを
感じていた日々の事。
若いものが、重症化しないと思って
行動することへの怒り。
経済重視で高齢者を犠牲にしている政策。
軽くしか考えていない者が感染して、それを治療しなければ
いけないやるせなさ。
そんな中、医者が安全地帯にいて看護師だけが
危険なことをしているという
わけのわからないことを平気で
書いている心無い記事
今でもある意味では第一線で働いてはいるが、
若い時に休みなしに働いていた時
純粋に目の前の患者さんの病気と
戦っている感があった
(これでいて私まじめなの)
記事の中にあったが
毎日が戦場だと思って働いていた。
(最後にはノイローゼ気味になって
高松に帰って来たのだが)
その頃の思いが蘇って来るのだった。
その中で、30代の母親が子供を
2人の残して、亡くなって行くのを
どうしようもなく看取ったことや
40代前半の男性が大腸癌で
亡くなって行くの看取る時
意識がもうろうとしている中
突然本人に呼び出され“ありがとう、
先生ありがとう“と言って手を握りしめられて
その日になくなった時
その無力さを悔しくて涙がでたことが
思いだされた。
我々の世代は年上の者は大事にする
という教育を徹底されていたのに、
今は、高齢者を平気で、切り捨てる。
gotoで、高齢者は控える様に
と、いっているが、
逆にいえば若者は大丈夫だから
どんどん外へ出ろといっている様なもの。
本当は、無症状に近い若者や軽症の若者が
ばらまいているので、若者がじっとしている
方が広がらないのはわかっているのに。。。。
経済のことはわからないが
医師として徹底して命を守ることを
教育されてきた世代として
今の政策はやるせなく、じれったい。
そんな中、医師が安全地帯にいて
看護婦が危険なことをしている
というバカな記事を書くやつがいる。
お前はどうしたいのか
最近、コロナの入院の治療をしている
医師と他の事で電話で話をしたが
声は疲れ果てていた。
こんな記事を読んだらもうやる気もなにもなくなるだろう。
われわれでさえ、高齢者施設や自分の
患者さんたちにうつさないために
発熱の人達は、防御してみるのだが
中には、“ただの風邪でなんでそんな恰好をして
見るの、おおげさな“と言わんばかりの態度をとられる
(若者がおおい)
(県外や会食にいつも行っているやつは
そうせざるを得ないんだよ!!)
若者が、旅行に行こうとも会食しようとも
われわれは、この騒動が収まるまで
会食どころか大阪にいる娘にも
あえないのである。
このやるせなさ。。。。。。
そんないろんな思いが
あの一枚の写真で
駆け巡った。
日の出が遅い
私、実を言うと朝5時30分ころ家をでて
6時頃には病院についているのだが、
今は、朝出るときも、着くときも
あたりは真っ暗。。。。
それだけで、憂鬱。
人間、日照時間が短いと
(日照時間は、昼の長さだけではなく、
曇りや雨などの天候にもかかわってくるが)
鬱になりやすいという研究がある。
鬱、鬱、鬱。
あー人生、歳をとると鬱ばっかり。
12月21日には冬至になるのだが、
以前、NHKのローカルニュースの
天気予報士が当時の付近で、
冬至になると一年で一番日の出がおそく
日の入りが早いと堂々と言っていた。
大間違い!!
気泡予報士が!!!!
(次の日には視聴者から文句がでたのか
すぐ訂正していた)
実は、冬至は、日の出から日の入りの時間が
一番短い時をいい、夏至は一番長いときを言う
だけで、日の入りと日の出の時間ではない。
むつかしい説明はしないが
(地軸の傾きと太陽との公転軌道の関係でそうなっている。)
高松では大体
1月7日頃日の出が
7時11分頃で一番遅く
12月4日ごろが日の入りが
16時54分頃で一番早い。
また、逆に
6月10日頃、4時51分頃が
日の出で一番早く
6月の29日頃、19時20分頃に
日の入りで一番遅い
だから、もうすぐすると日の入りが
一番早くなる。
残念ながら、朝は1月にならないと
日の出が早くならない。
また、その時間は等間隔で
長くなったり短くなったりするのではなく、
この一番早かったり遅かったりする頃は
日の入り日の出の時間は毎日秒単位でしか変わらない。
つまり今年でいえば12月1日の日の入りは16時54分で
12月31日でも17時4分と
一か月で、10分ほとしか
変わらない。
逆に9月は、9月1日に18時30分
9月30日には17時50分と
1っか月で40分も早くなる。
だから秋の夜はつるべ落とし
というのは、急に日の入りの時間が
早くなってゆくので
そういう風に感じるのである。
ちなみに
東京に住んでいた時は夏は、朝が早いと感じでいたし
九州に住んでいた時は夏に日の暮れるのが遅い
と感じていたのだが、
東京で、一番早い日の出は、
4時25分(福岡は5時8分)
福岡で一番遅い日の入りは
19時33分(東京は19時1分)
と大分違う。
(これも原理は省略)
ま、コロナもあって
しばらく鬱でいましょうかね。。。。。
朝、起きて、寝ぼけざまに
しこたま横の棚に膝を打ち付けて
膝が痛い!!
ああ!!
コロナはコロナで、
政府は、税金を使ってまでgo toで
感染を広げ、高齢者の○○を行っている。
その端から、皆さんは、しらないと思うが、
医療関係や、介護関係には、
気を付けろ、気をつけろ!!と
自分たちは、警告をして、責任を果たしている
と言わんばかりのメールを
行政がどんどん送り付けてくる。
(お役所はえらいもので県、国、
内閣府、厚生省、保健所、行政から
丁寧にばらばらに送ってくる!!)
いちいち読めるか!!
こっちは、赤字でコロナ以外の仕事を
なんとかこなしとんじゃ!!
我々の世代の医者は、何が何でも目の前の人命を
大事にするという教育を徹底的に受けているので
なんだか、毎日、違和感がすごい。
と起き立ちに、ひとしきり
怒りを覚えて目をさます。
ぼやきはここまでにして。
先日、子供のころ遊びに行っていた
友達の家の近くを通ったのだが、
50年もたつと風変りして
どこだったか全くわからない。
そこで、国土交通省の
地図、空中写真閲覧サービスで
当時の航空写真を見て、探してみた。
(国土地理院、航空写真で検索するとでてくる)
結局は、わからなかったのだが、
この国土地理院の航空写真は
戦後を中心に全国の航空写真を
撮り続けており、昔から最近までの
航空写真がいろいろ見れる。
高松なんかはかなりいろいろ
写真が鮮明にとらえられており
子供のころの家が映っていたり
古い学校の校舎や、よく行っていた
場所の航空写真が、拡大すれば結構見える。
もう、記憶が確かでないところがいっぱいあり、
当時の状態を鮮明に思いださせてくれる。
もちろん、人までは映っていないが
写真をみながら、当時は
この写真のどこかで自分が生きていたと思うと
懐かしく、また、不思議な感情がわいてくる。
結構面白いので
暇な時に見てみてください。
国土地理院の地図、空中写真閲覧サービス
国土地理院、航空写真で検索するか
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
をコピペしてみて!
コロナはもう手が付けられなくなっている
のでコロナの話はやめて
まじめに
痔の話をひとつ。
いままで沢山の人のお尻の穴を
診てきたが、
痔を持ってない人をほとんど
見たことがない。
幼児でも見ることがある。
痔というものは
肛門からイボみたいなのが
出ているのを痔と思っているかもしれないが
本来、痔というものは肛門の内側にある
もので(内痔核)外からは
触ることも見ることもできない。

内痔核は、足にできる静脈瘤と同じで、
肛門の内側にできた
静脈瘤の様なもので
大小あわせるとほとんどみんな持っている。
これが炎症などで大きく腫れたり
ひどくなって外にまでできたら
外痔核となり
肛門のそとから触れたり
痛みが出たりする。
肛門の内側は基本、腸なので
痛みがないが、
肛門の外側は皮膚なので
痛みが出現する。
だから内側の静脈瘤が
硬い便や下痢の刺激でやぶれると
痛くないのに出血することがある。
だいたい痔があるのは人間だけで
他の動物ではみられない。
これは直立して生活する
人間の嵯峨で、
下腹部から肛門に圧がかかってしまい
痔核が出来るのである。
だから、下腹部に圧がかかる
妊娠は、大変、お尻には悪い。
また、便秘や下痢の刺激、
硬い便でいきんだりすることも
非常に悪い。
また、長時間すわっている仕事も
きつい。
(いままで、ひどい痔を見るのは
運転手の人がおおい)
(吹奏楽の人や、重量挙げの人も
心配だな)
何か、お尻がむずむずしてきたら
1. 便秘、下痢をしない様に気を付ける
2. アルコールを控える
3. 香辛料を控える
4. お尻はウォシュレットを使い、
ごしごし拭かずに軽くたたく様にする。
5. 下腹部に力が入る様なことをしない
(激し運動も)
大体これらのことをすれば
だいたい治りますが
痔のほかにも、裂肛、血栓性の痔核
痔瘻といろいろありますから
早めに受診してください。
と、今日は、めずらしく
真面目な話でした。。。。
アメリカの終焉
今回、毎日、アメリカ大統領選挙の
ことを、ニュースのトップで毎日やっているが、
なんでトップニュースなのか
まるで、毎日、学級委員長選挙
せいぜい、生徒会長選挙をみているようで
。。。。。。。。。
これで21世紀が中国の時代になった
ことが確実になった様な気がする。
ひょんなことから大統領になった人間と
30年も前から大統領の座を夢見た人間の
一騎打ち。。。。。。
コロナそっちのけでそれに興じる
アメリカ人たち。。。。。。。
これが、日本人が夢見ていたアメリカなのか
奥様は魔女なんかを見ていたら
広い家、広い台所、広い庭
大きなカラーテレビや大きな冷蔵庫
日本ではまだあまりない電化製品の
かずかず。
大きなガレージに何台もの車
洗練された生活スタイルや職場
60年代はすべてがあこがれの的だった
アメリカ
それがここまで落ちぶれたか?
単なる自慢なんだけと
私は高校生の時に(1976年頃)
21世紀は中国の時代になると
吹聴していた。。。。。
ローマ、ペルシャ、中国
そして、ヨーロッパの各国が、
一時は世界をリードした時代がある。
スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ
そして、20世紀はヨーロッパが
バカな戦争をしている間にアメリカが台頭し、
そして、今世紀はアメリカがバカなことをしている間に
中国は確実に世界を支配する。
これが、狡猾な世界なのである。
その間、日本といえば、
アメリカの生徒会長選挙を横目でみながら
学術会議???でもめている
学級院長どころか
図書係や清掃係をきめるのに
その決め方を国会の争点にしている
(こちらもコロナをそっちのけで)
国が6人を任命しなかったのは問題だが、
学会というものは、
一般の人が思うほどきれいなものではない。
この学会の中でも
会長や、委員を選ぶのに、
学閥や、しがらみの中で選挙が行われているのも事実で
学会自体があまり、大きなことは言えないのが
事実である。
この世の中、どんどん
世界が、日本が
バカで、幼稚になっている。
ああ、憂鬱。
こんなことを考えるのも
コロナ鬱か。。。。。。。
それにしても、これから
この冬は大変なことになりますぞ!
土曜日のうれしさ。
上里医院に来てから、
忙しいことと、水曜日が休みなことがあって、
どうも休日は、バタバタして
十分に休みを満喫することがなくなった。
特に水曜日は、病院や施設が開いていて
世間も休みではないし、
水曜日に休みの店がおおくて
半分仕事、半分は郵便局や銀行、歯医者
なんてウィークデーにしか
できないことをしていたら一日終わる。
さりとて日曜日は疲れ果てて寝てばかり。
一番、こころが休んでいるのは
土曜日の夜の数時間。
次の日が休みという
安心感が唯一数時間味わえる。
そういえば、私が子供のころは
土曜日は半ドン
日曜日になると次の日のことを考えて
憂鬱になるので
土曜日の昼からの解放感は
格別だった気がする。
子供のころは、ウィークデーでも
学校が終わってから長く感じたので
土曜の昼からは
本当に、格別な日だった様な気がする。
いつもより長く
友達と遊ぶことができたし、
、、、、、、
学校からかえってから
吉本の花月劇場で
岡八郎や、船場太郎、その後は
木村進や間寛平
あの、人を馬鹿にしたような
音楽を聴いて
(予備校時代はラジオの
宮川博のコーセー化粧品
歌謡ベストテン)
しばらくして
コアなところでで
西日本の各地の中継をしていた
伊丹十三がしていた
ワイドショーの走りの
ワイドサタデー
夜は、
学生の時は
俺たちひょうきん族
(実は、8時だよ全員集合は
ときどきしか見てなかった)
夜は夜更かしをして、
ローカルなところで
ラジオで、タマル(丸亀町のレコード店)
の番組やオールナイトニッポン
今と違ってテレビも早く終わっていたが
土曜の夜中は、特別に
2時ごろまで映画があった。
日曜日は朝寝坊して、、、
朝の萩本欽一のスター誕生や
ラジオでは
キューピーのバックグランドミュージック
昼の
目方でドン(コア)(レッツゴー三匹の)
古いところでは
ナショナルのズバリ当てましょう
を見るころにはだんだん
憂鬱になってきて
ついに夕方の
笑点、
淀川長治のサヨナラ、サヨナラ、サヨナラ
を聞くと超憂鬱になったものだ。
どちらにしろ
社会的にも家庭的にも
責任もない時代は
気楽で、よかった。。。。
。。。。。。と昔は良かったという
初老のお決まりの昔話でした。
きわめて不都合な真実
この日本は、残念なことに
世界に先駆けて少子高齢化社会の
先端を走っている。
実は、世界がこれにたいして
日本がどういう風に対策をして
失敗をするのかじっくりと観察している途中である。
日本は、幸か不幸か、経済とかいろいろな
ことで世界的な問題の先端をいっており
世界は日本の対策の失敗を見て
自国の政策を作っている。
政治家や官僚は、一生懸命に
子供に対する給付金や、いろいろなことへの
無料化、育児に対する休暇や、男性に対する
育児休暇などと対策を打ち出しているが、
おそらくほとんど
焼け石に水。
彼らも、おそらく原因の根本がどこにあるのか
わかっているが、
その不都合な真実に対して
決して声をあげれない状態であるに違いない。
少子化の根本は、女性の社会進出による
女性の晩婚化あるいは、未婚女性の
減少が根底にあるのである。
(おそらく、みんなもわかっているが
それを声にだせない今の社会)
女性の社会進出は、結婚年齢を
著しくおくらせてしまった。
つまり第1子を産む年齢を低下させてしまった
のである。
加えて、男性も含めて大学への進学率が
高くなったので
(必要か?)
就職年齢を遅らせて、全体に結婚年齢を
遅らせてしまった。
夫婦で、子供2人では
人口が減っていってしまう。
(人のことは言えないが、)
でも、
もう周囲で3人以上の兄弟がいる家庭は
見かけなくなっているでしょう?
お金や育児のことだけなら
おそらく昔の方が大変だったはず。
それを知っていろいろやっているのは
国が対策をやっている感を出すためなのか???
これは世界的なできごとで
実は、もっともっと
不都合な真実があって
結婚しない女性が増えたおかげで
先進国では子供たちのIQ
つまり知能指数が低下しているという
研究がある。
原因は、
能力がある、女性がどんどん
社会に進出して、晩婚になったり、子供をうまなくなった
からと結論づけている。
(決して公には広まらないが)
結局は、人間という動物が
この文明の進化に対して
体や、社会生活の進化がついていっていない
ということ。。。。
まだまだまた、先の話だが、
人間の男性の性染色体はXY
女性はXX
そのY染色体はだんだん退化して
いるのが確認されている。
いつか遠い日にはもしかしたら男性は消失してしまう
かもしれない。
という予想がある。
ああ、やっぱり人類は
女性が全てを左右している。。。。?
おやじの血をひいたのか
このコロナの騒ぎの中、
9月は、検診、10月はそれに加え
インフルエンザと
くそ忙しいのに、
昨年に比べ収入は激減!!
(コロナのおかげでいらん仕事が増えた!!)
そんな中、インフルエンザワクチンが
なくなるという噂や
肺炎球菌ワクチンの突然の
供給不足。
それをいちいち患者さんに説明。
もう
疲れるわ!!
他の職業と一緒で、
こんな中でもこの期に乗じて
儲けようというやからまでいる。
高額なコロナのPCR検査の証明
プラセンタ、にんにく注射、
いらん検査、いらん在宅診療
患者の取り合い。
俺には、とうてい
いろいろして儲けようとできない!!
ある薬関係の人間に
“育ちがいいけんじゃわ”といわれたが
そうなのかな??
自分なりに考えるに
一つは、雇われて直接的に経営してないことと
一つはおやじの影響の様な気もする。
私のおやじは、医者で
大正生まれのどちらかといえば
昔気質の医者
子供のころ、
“あの病院ではあまり薬を出してくれない”
と噂されるほど、
商売を嫌う昔気質の医者だった。
(昔は、医薬分業でなかったから
薬をだすほど儲かった時代)
朝、起きてから寝るまで一日中仕事。
最後は、県の医師会長を長くして
結局、医師会長のまま死んだ
半生、いわゆる“医師”として
生きていた。
仕事が忙しくて、おやじとは、
ほとんど話をすることもなかったが、
(一日5分顔を見たらいい方)
当時の医療の愚痴ともいえる
裏話はいろいろ聞いて、頭に残っている。
しかし、そんな、おやじの子である
兄(現、県医師会長)と
私との医療に対する考え方も、反対といっていいほど違う。
おそらく、昔の考え方の跡取りとしての
長男として育った兄と
おやじがいそがしくていた頃に
ほとんど接触もなく
育った私との違いか?
私は次男で、特別医者になる必要もなく、
当時、医者は余ってくるといわれていたし
それとともに給料も減ってくると
おやじから聞かされていたし、
おやじを見ていると一旦、医者になったら
一生、休むひまなどないと考えていたし
医療の裏の大変さを熟知していたから
かなり、躊躇していたが、
憧れていた宇宙工学に進む
頭もなく、
他のしらない世界に飛び込む
勇気もなく、
とにかく手に職をもつ
医者になることにした。
今やっている一般の検診で、
異常値が出ても
治療して、寿命が延びたり
健康年齢が延びたりしないと
思ったら治療もしない。
基本、自分が飲まない様な
薬はださない。
いらん検査はしない。
んんんん。
これでは儲からんわ。
と思いつつ、そのことを根底から変えられない。
どこか医療にこだわってしまう。
還暦の今、考えるとどこか
おやじの影が見え隠れしている気がする
今の若いドクターは
テレビドラマの様な医者を
頭に描いて医者になっているし
儲けようと医者になっている者まで
増えている。
どうもやるせない。
本当は、今の年齢の時には
もう山の中の診療所で、
自転車に乗りながら
年寄りの家を回っている田舎の医者を
していたいと思っていたのだが、、、、、、
(もちろん儲からないし、今はそういう時代ではない。)
言い過ぎた、言い過ぎた
皆を敵にまわしてしまう!!
医療関係者はよまないでね。。。。
当院の事務の制服が
結構くたびれてきたので
変えることにした。
そこで、事務の人間と私のコンピューターで
服の形や種類を調べることにした。
いろいろ調べていたら
結構、いろいろな種類の制服を
事務の人間と見ていた
こういう風にいろいろ調べるのには今の時代、
ネット、コンピューターは
非常に便利になったと
痛感される場面であった。
ところが、次の日
ネットをあけてニュース、天気等をみていたら
横に出てくる広告が
ほとんど事務の服なのである。
ゲー、
なんか恐い!
前の日にいろいろ見ていた時に
ワコールのユニフォームの型が
きれいでいろいろ見ていたが
間違ってもう少しのところで
ワコール,スクラブ(私がいつも来ている様な半そでの軽装)
ところで、ワコール、下着を押しそうになった。

間違って押していたら
しばらくネットを開けるたびに
下着がでてきたのではないかと
おもうとぞっとする。
人にみられたら
“お前はいつも何を見ているのだ!!”
って思われるところだった。
便利なのか何なのか
そういえば、車を買う時に
しばらく車の検索をしていたら
しばらく車の広告がでていたが、
決めてしまってからも広告がでるから
他のにしらたよかったのかなー
と思ったりするから
非常に目障りだった。
また、医療情報をネットで詳しく見るとき
医師で登録しなければならないので
医療関係の広告もでることがよくある。
そんな時はなんか人の情報が
筒抜けなのが暴露されて
恐ろしい。
この世の中、こんな風にネットを
操る人間が金儲けをして
勝者になって行くのだろうな
と思うとなんだか
気持ちがどんよりする。
人の顔がどんどん見えなくなっていっている。
ンーーーーーー
ま、少なくとも
還暦のおっさんには
ついていけない世界。。。。。
いままでは、物を買ったり、いろいろ
なことを決めるときは
相手の顔が見えて、相手の汗の
かきかた、努力の仕方を見て決めていたのに
もう、そんな汗は見えないし、
商売は、機械的に、汗が見えないとこで
されている。
んーーーーーー
やっぱりおじさんは
アナログの世界がいいなーーーー。
泣く子
最近、変な夢を見た。
我が子が小さい時の小学校で
ちいさな女の子が大泣きしていたのだ
どうしてそんなに大泣きしている
のかわからなかったのだが
とても辛そうで可愛そうだった。
あとで考えたらそれは私自身だったのか。
子供は、よく見ると
例えば転んでもすぐにはなかない。
転んで痛かったら
周囲を見渡して親を探して親を見つけて
それから大泣きする。
つまり、自分の悲しさを誰かに
訴えたいのだ。
私は、よく見かけで勘違いされる
勝手に、強くて剛胆な人間だと
思われている。
もちろんそうではない。
人間は、強い人間なんか
世の中いやしない。
そう周りに見せていないだけ。
逆に強い人間は、その周囲の感覚と
自分とのギャップにひどく疲れている
はずである。
(あるいはよっぽど馬鹿でなにも考えていない人)
(本当に強い人間はそれしかないかもしれない。)
若い時は、年を取ると
悩みや、苦労が減るであろうと
勝手に思っていたが、
自分が年をとってわかったことは
その逆で、
年を取る度に
悩みが増えるもの。
今は、仕事を中心に背負うものが
どんどん増えて
その反面、年とともに
体力は衰えてくるは、
人生の残された時間は減ってくるは
どんどん大変になってくる。
上里での仕事も6年を超えるが
年々増えてきていて、
このコロナ騒動もあいまって
どんどん大変になってきている。
もう、泣きたくて仕方がない。
でも立場上泣けないし、
私が転んで泣いても誰が助けてくれるわけでもなく
泣いても意味がないし
逆に周囲に不安を募らせるだけなのだ。
ああ、くそったれ
泣いてやる。!!11
それか、誰かコピーロボットをくれ!
(パーマンで出てきたやつ)
だれかしばらく変わって
おれのきつい部分だけ
変わってやってくれ!!
その間、私は楽するから!!

今度診察室の私が
赤い鼻をしてたらコピーロボットだと
思ってください。
やー連休がすぐ終わった!
今週は、4日も連休があったのに
何もせずに終わった!
それどころか
連休が終わって、この木、金、土は
忙しすぎて、今日は、9時間も寝てしまった。
30代のころ、あまりにも忙しすぎて
一日中仕事をしていたものだから、
仕事以外のなにもできなかった。
それでも、若かったので
寝る時間を削って、
夜中の1時から2時ぐらいまで
の一時間ぐらいを自分の時間として
使っていた記憶がある。
そのころ、いつか時間ができたら
いろいろしたいことをしようと
おもって、箇条書きにしていたが
いざ、40代に高松に帰って来て
時間ができたら、何一つしなかった。
(結局毎日、時間があったら、家のこと
と子供のことばかりしていた?)
今回は、それ以下?
今、また、上里医院に来て、
一日、忙しくて、時間もなく、
還暦を迎えて体力もなく
寝る時間を惜しんで、したいこともできず
したいことさえ考えつかない。
連休に入る前から、
何をしようかと考えてばかり
結局、なにも思いつかず
4日間、何かしなければいけない
何をしようと考えるだけで
毎日、焦って、結局なにもできなかった次第。
情けないというかなんというか。
(逆にしたいことが多すぎて
どれを中心にしたらいいかわからないのかも)
ああ、仕事人生?
このまま年をとる?
それにしても連休中
びっくりしたのは、うどん屋さん
車で走っていたら
あまり有名ではない?うどん屋に
凄い行列ができていて
止まっている車が、オール県外ナンバー
少し離れたうどん屋の前を通ると
行列もなく、オール香川県ナンバー
大体、香川の人間は、長く待って
110点のうどん屋で
たべるより近くの90点のうどん屋で
食べることでべつに構わない。
なんか変な感じ
それにしても
近くのホテルには観光バスもやって来てたし。
町には観光に来たと思われる
若者であふれていた。
若者はコロナにかかっても大丈夫と
ほぼインフルエンザ感覚。
やばいですぞ。。。。
今、ひそかに、感染は増加中ですぞ。
だいたい、なぜ、感染の増減があるのかも
わかっていない状態なのだが、
感染を本当に本当に減らしたいと思っているのは
われわれ医療、介護の人間。
だって、旅行どころか
外に食べにさえ出られない
県外の家族にも会えない。
私に至っては、鼻風邪さえひけない。
(コロナじゃなくても
可能性がある限りは皆の前には
でれない)
やはり、インフルエンザを広げたくないなら
予防接種は
高齢者からではなく
無防備な若者からが
いいんじゃないの??
すいませんでした。
最近、スマートフォンを
iPhoneに変えたが、
結局のところほとんどが
電話だけしか使ってないので
あまり意味がない???
(みんなが使っているので
iPhoneにかえた???)
(あさはか。。。)
おじさんは、どうしても
支払いをスマホで行ったり、
携帯から買い物をすることに
抵抗があるアナログの人間なのだ。
最近、ドコモの支払いで
不正な引出しがあったとのことで
また、何人かの関係者が
テレビの前で頭をさげていたが
皆の思うとことは一つ
ただ、テレビの前で
頭を下げただけでいいの??
やれ、顧客情報がもれたとか
やれ、不正な取引があったとか
そのつど
わけのわからないやつらが
雁首そろえて
頭をさげるだけ
昔、同級生で、ネット関係の開発の
中心人物と話をしたのだが、
開発の人間は、悪用されることは
仕方がないと思っている様だ。
われわれの感覚では、悪用されない様に
十分、開発段階で吟味してから世の中に
出すと思いきや、そうではないらしい。
マイナンバーカードの普及を急いでいるのだが
もともとのマイナンバーカードの目的は
全ての国民の財産を管理して
隅々まで税金をとることにあるのだが、
今後、マイナンバーで
医療も管理することになり、
全国民の医療の受診、病気の状態は
すべてこれで把握できる様にさせたいらしい。
つまり、今後、これだけ大事な
個人情報がどこからも
筒抜けになるということである。
これが悪用されて
被害がでたら
だれかわからない、責任ももたない役人が
何人かそろって頭を下げるのが
目に見える。
どうせ、損害がおこったら
国の税金で支払って、
裁判がおこれば、国が対象になるのだから
一度、テレビの前で頭をさげれば
いいだけなのだから。
これでいいの??
あなたの個人情報は、
もうすぐ、日本だけでなく、アメリカや
中国、北朝鮮に一瞬で、
持ち去られる
これでいいの?
ゲーム
ゲームって何だろう
今、将棋界では、藤井翔太棋士が
話題になっているのだが、
私は、将棋は究極のテレビゲームの
一つではないかと思っている。
これは決して将棋を愚弄しているのではない。
将棋、やチェス、囲碁は
伝統があり、鍛え抜かれてきた
究極のテレビゲームであると
考えているのである。
もし、インベーダーゲームが
何百年もつづいていたら、
そらく将棋やチェスの様になっていたのではない
かとふと考えるのである。
いかんせん、
テレビゲームは、どんどん進化しており
毎年、その内容が変わる。
だから、一つのテレビゲームが
長年、持続することがない。
だから、囲碁、チェス、将棋は、
何百年の間にその内容が成熟し、
その形態がその後何百年もつづいて
いるので、今の様に世間で
認められる存在になっているのでは
ないかと考えているのである。
逆にいま一つのテレビゲームが
何年も成熟してその内容が以後
変わらなかったら、
何百年後には将棋の様に
社会に認められているのでは
ないだろうか。。。。
ただし、今コンピューターとAI
の発達のおかげで、
オセロが人間の能力を超え
それより複雑なチェスの王者が
コンピューターに勝てなくなった。
取った駒を打てる将棋はチェスよりかなり
複雑なのだが、
これも、もう人間は勝てない。
それどころか、あのファジーな感覚が
必要な囲碁でさえ、
囲碁の世界王者がコンピューターに
負けてしまったのである。
このことは、これらのゲームの価値観を
大きく下げたのではないかと
思う。
ところで、私は、テレビゲームをすることが
ほとんどない。
一旦、これにハマると
睡眠時間はへり、日ごろの勉強時間が
なくなり、日常生活に障害がでることが
分かっているので、わざと遠ざけている。
今は、仕事でゲームをしないが、
リタイアして時間ができたらどうしよう。
いろんな趣味があっても
以前言った様に趣味は
究極の暇つぶしだとおもっているし、
テレビゲームを将棋や囲碁と
それほど変わらないと思っている
人だから、
(趣味の内容に上下はない!!)
(別に絵をかくことなんかが
良い趣味ではない。
趣味のことで周囲の目を考えるの
はおかしい。)
(興味があって、没頭できるものこそ
究極の暇つぶしなのだ!!)
テレビゲームでもやろうかな??
絶対、目で見て頭をつかって
指を動かす動作は
最高のボケ防止だから!!
讃岐は弘法大師さんのおひざ元
今、結構、大きな台風がやってきているが、
香川県人は妙にいつも落ち着いている。
香川県人は、心の奥底で
香川県には災害がやってこないと
心の底で信じている
それを象徴する言葉が
“ 讃岐は弘法大師さんのおひざ元だから。”
そんなわけがない!!
どこからそんな自信がやってくるのか?
おそらく雨に関して、水害が少ないからであろう。
知っての通り
讃岐は降水量が少ない地方である。
雨はたいてい太平洋からの湿った空気が
南から北へやってくるものだから
比較的高い山並みがつづく
四国山地のおかげと、もう一つ
讃岐山脈のおかげで
雨が高知や徳島で降って
香川県にはあまり降らない様になっている
そのおかげで台風が来ても
かなり勢力が弱まっている状態でやってくることが
多い。
昔、渇水でどれだけ苦労したかを
もう忘れているのか?
香川用水が出来てからというもの
断水することがほとんどなくなった。
(その割にはいつも早明浦ダムの貯水率を
気にしている。)
この平和ボケの日本人の中の
トップを行く人種ではなかろうか。
そんなことが、コロナや、地震に
通用するわけがない。
だから、逆にいえば
非常に災害や、緊急事態に弱い県といえる
のではなかろうか。
まあ、このコロナ騒動でも
行政の動きの遅さ、のんきさ、
財政の出し惜しみがすごい。
南海トラフの地震が起きた時の想定が
甘すぎて、いざ、起きたら
大変なことになることは
想像に難くない。
”今度の台風は大丈夫だろう“
いかん!!
私も、九州からこの地にもどって
25年足らず
だんだんこの雰囲気にのまれていっている
気がする
医者として一人の人として
安倍首相が健康を理由に辞任した
本人がして来た政治に対しては
専門家ではないので言及しないし
わからないが、
医者として、この病気の患者さんを
治療している者として
この難病を患った人間としての安倍総理
の大変さを気遣うばかりである。
潰瘍性大腸炎という病気は慢性的で難病
この病気を患っている人にとっては
大変な病気である。
ストレスを受けるとかなり悪化するとともに
長期間罹病していると大腸癌も発生する。
おそらく大腸癌が見つかったか
かなり病状の進行があったかと思われる。
本人の無念さが目に見える
父親の安倍晋太郎が胆道系の癌になった時、
テレビで顔を見ただけでそれとわかった。
晋三と違い、
戦争体験者で平和主義者であった
父親が首相にあと一歩というときに
道半ばで倒れた無念さとともに
病気に対していろいろ考えさせられる。
医療関係者でも
やめるのが、遅すぎるとか
コロナに対する
失策を指摘する人間がいるが、
医者が、それと病気を関連させるのは言語道断と
言わざるを得ない。
そんな中
野党が首相の健康状態を責める場面が
みられていたが、
非常に違和感を覚えていたところに
“大事な時に体を壊す癖がある
危機管理能力のない人物“
と激しく攻撃した野党の議員がいたようだが
なんとも政治家として失格と言わざるを得ない。
それをしっかりと叱らない野党の執行部
もどうであろうか
この難局に一国の首相のストレスが
どれだけのものかも考えていない。
これでは
コロナになった人をなじるのと
なんら変わらない。
以前にもいったが、自分の価値を上げる
方法の一つとして、人の価値を下げて
相対的に自分の価値を上げるという
人として、姑息な手段である。
だれもこれを良しとは思わないだろう
これでいいのか???
野党が本当に頑張らないと日本の政治
はよくならない
日本人の心の根底には
“敵に塩を送る”という
ある意味作られたものではあるが
武士道精神が流れている。
こう言う風なことをやっていたのでは
どうしても人間として
信頼できないものがあるのではないか
野党が、こういう状態である限り
こういう発言をしている限り
いつまでも野党のまま、合併をしても
烏合の衆になるだけではないか、
(特に今回、野党の合併の裏で動く小沢一郎が
綺麗ごとをいうのは、今まで裏で、何をしてきたか
知っている物としてはどうも。。。。。。)
敵に塩をおくることぐらい
出来る野党になれば
すぐ政権は取れるだろうに。
と、潰瘍性大腸炎の患者さんと
歩んできたことのある一人の医者として
時に、真面目に思うこともあるのである。
暑い、熱い、暑い?
毎日暑いのには違いないが、、
テレビで暑い、暑いというな!
暑いのはわかっとるから。。。。。
余計に暑いわ!!!
同じ様にコロナで世間が
不況なのはわかっているから
テレビで不況、不況というな!!!
余計に気が滅入るわ!!!
と思う昨今。
皆さまお元気ですか
以前テレビで、高齢者施設の
高齢者と介護士の密を避けるために
ロボットを使うというテレビがあったが、
こんなもの何の役にもたたんわ!!
現場を知れ!!
高齢者との会話でまず気をつけておかないと
いけないのは、
耳が遠いために聞こえたふりをすること
上手に聞こえたふりをするから
それを見破らなければならない。
診察室でも
まず、話をして、聞こえてないと
ひどいときは、
1回目1m、2回目50cm
3回目30cm、4回目耳元
それでもだめなら、結局マスクをはずして
大声で耳元で話す。
(結構、勝手つんぼの人もいて
都合が悪いことは聞こえないふりをする強者もいるが)
これではどうやっても密を避けれない。
補聴器を勧めたいのだが
困ったことに
気軽に勧められない。
なんせ高い!!
安いものでも10万
高いものでは50万円平気でする。
(安いものは聞こえが悪い)
年金暮らしの高齢者が買えるものではない。
その上、やっと購入しても
電池がすぐきれて
電池の交換を店にまで行かなければいけないので
足がない高齢者にはこれがまた大変。
さらに金もかかる。
電池がきれた補聴器をはめて耳栓になっている
人も多数見る。
最近、もうかるからか
眼鏡屋さんでも扱うことが多くなっている。
どうにか安くできんものか、
ソニーなんか開発させれば小さくてもっと安いものが
できそうなものの。
いろいろ裏事情があるんだろう。。。
耳が遠いということは
耳からの情報が落ちるということで、
痴呆にもなりやすい。
下らんもんに保険の点数を使わずに
これを保険を通せばいいのに
と暑いのとコロナで
いらいらする今日このごろであります。
私にとっては、久しぶりの3連休
これからはグチ
世間の皆様は、
3日も休んでというかも知れない
だって、大きな病院はやっているのに、、、と
だって大きな病院の先生は、2週間づつ
交代で休んでいるんだもん。
(私の時代はせいぜい3日だった)
休みといっても電話は持っていなければいけないので
病院にかかってきた電話は
対応しなければいけないし、
特に私の場合は、施設を見ているので
それを見なければいけない。
現にいつなくなるかわからない
利用者の方がいて、
いつでも出れる用意をしている。
(家から離れることができない)
実際は、ゆっくり休む暇もないのが
現状なのです。
一人で全てをしなければいけないと
いうのは大変で、、、、、、、、
それでも昔の開業の先生よりは
ましかもしれない。。。。
昨今は、一般の病院でも、主治医の制度が薄れてきていて
患者さんを一人の人間が最初から最後まで
責任を持ってみることがなくなってきている。
現に糖尿、高血圧のある患者さんを外科の手術のために
症会すると糖尿は、糖尿の先生、高血圧は循環器の先生
外科は外科の先生が分業してみる。
その主な外科もどうかすれば2~3人が
分担で見ている。
退院するときなんか3つも4つも返事が
くる(各科ごとに)
そしてしばらく患者さんも各科ごとに
違う日に受診しなければいけない。
(面倒!!)(せめて同じ日にしてくれ!!)
後日、その患者さんが違う病気で
その病院に受診させるときは、
例えば消化器の受診をさせるときは
また新しく紹介し直さなければならず
また新しい先生が付く。
私が大きな病院に勤めていたころは
主治医になったらその患者さんの全てを
責任をもって診て(他のわからないことは
院内で専門の先生に相談して主治医が治療する。)
退院後もその患者さんが他の病気で
来ると、先ず自分がみて自分の手に余る
患者さんは、そこから直接その日に
他の先生に診てもらって治療をしてもらっていた。
一旦主治医になったら、死ぬまで面倒をみていた。
診る医者側は大変だったのだが、
それが患者さんにとっては良かったのではなかろうか
(最近は、入院中に急変してなくなってさえも当直医が
見取りをすることさえしばしばになってきた)
最近。○○病院の肝臓専門の先生に
患者さんを紹介しようと思ったら
○○先生の外来がその日はいっぱいなので
他の先生(肝臓専門ではない)で
いかがでしょうかと聞かれた。
当院はチーム医療ですからと。。。。。
カチン!!!
チーム医療というのは
医者だけでなく、ナース、薬剤師、リハビリ等々
いろんな職種の人間が一人の患者さんを
チームで診るということで
何人もの先生が一人の患者さんを診る
ということではない。!!!
(そんなことも分かっていない)
完全に間違っている。
直接の担当が他の先生になるのは
あたり前であって、それを
何人もの医者が検討するのは昔から
あたり前のことで、
いまの時代、専門が分かれているのであるからこそ
初診の窓口は専門が診るべきではないか!!
で、どこの病院もそうしている
(この病院は皆で一人の患者さんをみている
というより、一人の医者が責任んをもって
患者さんを診ることはないのだな。。。と
即座に感じ取ってしまった。)
この一言で、その病院の欠点が
浮き彫りになってしまって
他の病院に紹介した。
今の社会と一緒で、機能を重視するあまり
医療でも人間味がうすれている。
これでいいのか
と還暦のじじいは思うのである。
(違うことを書こうとおもったのに
またグチに変わってしまった!!)
年金生活者を減らす政策にでた
日々の中、
皆さまお元気ですか
若者が大丈夫で、高齢者が危ないとみると
そういう政策にでたか!!!!!
ところで
終戦の日が近づくとやはり
やはり戦争のテレビやドラマが
いろいろ出ているが、
子供のころは、また、戦後20年
程のころで、ゼロ戦や戦艦大和の華々しい
話が、子供用にもいろいろあった。
しかし、実際のところは
ゼロ戦は、軽量化を進めるがあまり
防弾性、耐久性が弱く、また
無理な改造で、
初戦は活躍したが、後半は見るも無残に
撃墜されていった。
戦艦大和も時代遅れの兵器は
戦場にほとんど出ることなく沖縄への特攻で
あっけなく沈んでしまった。
また、当時は戦時体験者が多くおり
華々しい話と対して、悲惨な話もいろいろ
聞いて来た。
実際自分の親や親せきも戦時体験者であったため
いろいろ聞かされて育った。
人類は、大体、他の動物の様に
女性が妊娠をはじめ日常のほとんどのことをして
男性は、群れを他の群れから守ったり、
狩をすることが仕事で、
(日常はあそんでばかり)
おそらく本能的に戦闘の道具に興味をもつ
刀からはじまって銃
そして兵器。。。
それにあこがれるのは本能的なものかもしれない。
しかし、自分の時代の人間は
その華々し兵器と逆に戦争の悲惨さを
叩き込まれて育ってきた。
太平洋戦争での兵隊の死者は
戦闘で死ぬより病死、餓死の方が
多かったのをご存じであろうか。
また、それを上回る民間人の死者が
出たのもご存じであろうか。
しかし、最近びっくりするというか
どうも許しがたいものを見るのである。
女の子が戦車や戦艦に乗って?
ゲームをする?
(詳しくは知らないが)
様な漫画が散見されるのである。


これはさすがに許されるものではない
気がする。
戦車の様な悲惨な兵器
(銃弾が当たれば中の兵士は
肉片になったり焼け死んだり)
船は強そうに見えるが、中では
跳弾といって弾や破片が飛び回る。
砲弾が当たれば周囲一帯は地獄絵図の様に
なるのである。
そんなものに女の子がゲーム感覚で乗る様な漫画
があっていいのだろうか。
私はどうも許すことができない。
戦争の悲惨さを実体験した人間が
減ってきた今、
平和ボケの日本人は
どこに行くのか。
前にもいったことがあるが、
戦争で、生きるか死ぬかの時代を
生き抜いてきた強い人間が
今の日本をつくり、
その子供の世代がその遺産を食いつぶし
その次の世代が壊してゆく
その現実がこのコロナの対応で
はっきり見えたようで
恐ろしい。
今週こそコロナをすてて
今週、看護婦さん(間違い看護師さん)が
フィンガーチョコを買って、懐かしいとともに
いろいろな当時のお菓子が走馬灯の様に
浮かんできた。

駄菓子屋のお菓子は
もう一つ小さいころの思い出で、
小学校後半より中学校ぐらいからの
お菓子が頭によみがえってきた。
どうしてすぎだったかわからない
鯛あられ、

決してさいころとしてつかえなかった
さいころキャラメル

アポロ11号が月に行ったころの
アポロちょこ

大したおまけでもないのに
ほしかったおもちゃの缶詰があたる
チョコボール、

今一つおいしくなかった
ベビーチョコ

本当にやめられなかった
かっぱえびせん

岡山のお菓子会社って知らなかった
カバヤジューシー

最高級チョコだった
ハイクラウンチョコ、

手がべとべとになった
チョコフレーク

だんだんおまけが大きくなった
グリコのキャラメル。。。。

一つ一つの包み紙で折り紙をした
ハイソフト

初めて、わけのわからない
モンドセレクションをしったココナツサブレ

などなど、、、、、、、
記憶というのは非常にあやふやなのだが
結構味の記憶は残っているもの。。。。
たまには、食べた当時のことを思い出すこと
もたのしいものですぞ。。。。。
コロナのコンビニスーパーで
だいぶ前に、コンビニの店員が
人の手に触りたくないために
お釣りを滝の様に
私の手の上の方(20cmぐらい)
から落とす奴がいて
腹が立つといっていたが、
コロナ騒動の中、最近それが常識化している。
それどころか
手袋をはめた店員が、キャッシュトレイを
これ見よがしに差し出し
(ここにオケ!と命令か?)
お釣りをキャッシュトレイの上に
無造作に置いて差し出す。
これがまた、金が取りにくい。
本来、キャッシュトレイの上に金を出して、
出す方がそれを確認し、
お釣りを渡す方は、
相手がしまい安い様に
お札からだし、その後小銭と伝票を渡すのに、、、
自分は、手袋をして、いろいろな物をさわって
(品物から金まで!!)
買い手は、皆がさわった
キャッシュトレイとお金を
素手で取る。
片手が空いてなかったら
なかなかお金を取るのに時間が
かかり、気が付けば
次の人のレジを打ち込み始めている。
おまけにレジ袋がいるとなると
想定外の様な顔をする。
なんだかおかしくないかい??
おまけに昨日は、
今さっきまで、他の店員と
楽しそうに談笑していた
わかいお姉ちゃんの店員が、
私との対応になったとたん
無表情で、ぶあいそな
声で、いままでいった
金銭の対応をする。
ムカつくわ!!!
コロナは心がすさむ!!
ちなみに、go to キャンペーンが
あっているが、
われわれ、医療関係者、介護関係者は
コロナが流行っているかぎり
会食、旅行どころか
県外から来る人にもやすやすと会えない
という状況を続けなければいけない
のですが、。。。。
街はこんな状態で、平気で
会食、ライブ、旅行を行っている。
(なにが医療に感謝じゃい!)
(それほど毎日、気をつかっている)
(にも関わらず、病院や、介護施設が
クラスターになろうものなら
マスク一つしていない やからから
むちゃくちゃ責められる。)
本当にむかつくわ!!!!
やっぱりコロナは心がすさむ。
コロナが本格的にはやりだしましたが、
皆さんおかがおすごしでしょうか、
この調子でゆけば、盆明けの10日後ぐらいから
香川県は、かなり危険な状況となることが考えられます。
。。。。。。。。。(だからいっただろう!)
皆さん、ワクチンや治療薬を期待している
と思いますが、
以前に言った様に
インフルエンザでは、予防接種をした
30%の人が感染しなければ
よく効いたというもので、
コロナもワクチンが出来たからと
いって、それ以上のものが出来るとは
考えにくい。
(接種した人は症状が軽くなるというが
なかなか実感しにくい)
だいたい、こういる予防接種は
集団免疫を得るためにやるもので
決して一個人の効果をうんぬんするものではない。
(みんな免疫を持ったら広がりにくいというもの)
(以前いったが、昔は、高齢者のために
子供に集団接種していたが、いまは、
時代がかわって、孫のために高齢者が
打たされている傾向がある)
そして、薬なんだが
原則、ウイルスに対して
皆さんが考えている様な
特効薬的な治療薬は期待できない。
インフルエンザの薬はあるが、
どうにか症状を若干やわらげたり
死亡率を若干へらしたり
それも早期に投与しなければ効かない。
(インフルエンザの薬は
世界の2分の1ぐらい日本が使っている)
だからコロナの危険性は
来年になってもかわらない
よ!!!
われわれ医療関係者は、
とにかく命中心に考えることを
教育されているので、
特に介護施設のことを考えると
どうも経済中心の政策には
違和感がある。
医療機関もやっと患者さんが
戻ってきたのに、
木曜日ぐらいからまた
元通り少なくなってしまった。
これでは、医療機関が先に
潰れてしまいそう。
こんな、見かけが
図々しそうな私も
最近は胃がいたい!!!
この秋からは
コロナかインフルエンザか
他の風邪かわからない人だらけに
なって、どうしたらいいのだろう
というのが我々の
今の恐怖の的である。
コロナのことはかかないで
おこうと思ったのに。。。。
またぐちった。。。。!
あーコンピューター
当院は、まだ、電子カルテを採用していないが
やっぱり、いろいろな事務を処理する上で
コンピューターはよく使う。
先週、メインで診察室で
使っていたコンピューターが
ぶち壊れてしまった。
決して、コンピューター(以後PC)に
強いわけではないが、いろいろ
操作をしてみたが、結局戻らない
単純な動物の私は、結局
このPCに対して、この無機物の
機械に対して怒り心頭で、ぶち壊れてしまった。
データーは、一目によらず毎週、外部に
記憶させていたので、問題はないのだが、
この私の言うことを全く無視する
機械に切れまくって
機械にバカ、あほ、間抜けを
連呼する。
これが、動かないと診察がスムーズに動かない
(電カルを採用している病院などは
メインのPCが壊れると無茶苦茶大変!)
いろいろしたが、元通りには動かない
ので、仕方なく、新しのを
大金をはたいて買ってきた。
(コンピューターって高くない??
何年ももたないくせに!)
それがまた、苦労で、
PC自体はすぐ動くのだが、
いろいろなアプリを入れていたため
それを入れなおすのに一苦労
いちいち、人の生命、生年月日を
聞いてくるは、メールアドレスは聞いてくるは、
ユーザー名、パスワードをいちいち
きいてくるは、
6年前に使った名前やパスワード、
設定を覚えているわけがない。
そこで再設定
ここでまた、腹を立てる。
バカ、アホ、マヌケ!!!
結局、バカな私は、この1週間
怒りながら、機械にいいように
使われて、振り回されておりました。
みなさま買ったときの
設定、アプリ取得時の設定は
いちいち紙にかいて
コンピューターに貼っておきましょう。
それにしても、
知らず知らずのうちに
スマホといいPCといい
我々は、機械の奴隷にされている。
医療もそうだが、荷物の配送は
完全にコンピューターの指示に
従っている。
厚生省の指示や医務課の指示は
メールで送ってきて
そのメールを見てホームページを
開かなければいけない。
買い物に行くと店ごとにカードが
あるわ、
電子決済はうながされるわ、
ATMで入金する時、少し押し間違えたら
機械の指示で最初からやり直すは
問い合わせの電話をかけると
○○の方は1を。○○の方は2を
押してください、、、、、と
いろいろやった上で、
つながらないは
おじさんには不便なんだよ!!
おじさんは、やっぱりアナログがいい!
ボケるならかわいい爺さんになりたい
当院は、デイサービスを併設し
関連施設として介護施設がある。
介護保険を使っている患者さんをたくさん見る
というか、坂出市の平均年齢自体が
高いので。。。。
認知症を持った人をたくさん見ている。
厳密にいえば、人間20歳を超えると
記銘力を中心にどんどん
能力は衰えてくるから
認知症、認知症といいながら
そう言っている本人が、
すこしづつ、認知症が入っているのである。
というのが私の基本的な考え方。
昨日も104歳の方を看取らせてもらったが、
私の目標は、坂出のトップ10の
半分を私が診ている患者さんで
占めること。
とはいえ無理やりいろいろして
永らえさせたくはない。
自然な形で見取りをしたい。
話は変わるが、
診るほうも人間だから
認知症の人でも診やすい人と
診にくい人がある。
(つまり頭にくるやつと
かわいいやつがいる!!)
一番われわれが困るのは
認知が入っていても、
人間的にプライドが高く
絶対に自分が認知症であると認めない人
例えば、家人や周囲の人が認知症で
困っているので、介護施設を使わせようとすると
きまって、“なんでボケてもないのにそんなところ
を使わないといけないんじゃ!!“と
拒否する。
一人暮らしで、周囲がどう見ても一人で
生活できないにも関わらず介護施設を使うことを
”自分は一人で何でもできる!!“と拒否したり
あげくの果ては“ぼけとらんけん介護保険はいらん”
という人が多々いるのである。
こちらも強制力はないので、ほとほと
困ってしまうことが多々ある。
それと認知があろうが、
動けないで介護に手がかかろうが
“かわいい”人と“そうでない??”人が
存在するのも確かである。
職業上、差別扱いすることはないが、
きまってどういうわけか皆が
同じ人に同じ感情をもつ。
小さい子で、かわいい子と憎たらしい子
がいるのとおなじ??
かもしれない。
けして扱いがかわる訳ではないが
介護側も人間であるから。。。。
ちなみに私はボケたら
プライドが高く、憎たらしい、エロじじい
になる自信がある。
こまったものだ。どうしよう
あー疲れるわ
このご時世、発熱患者さんを診るには
細心の注意がいる。
どこの病院でもそうだとは思うが
当院も発熱の患者さんは、
特別な扱いでみている。
ほとんど可能性がない状態でも
このコロナ感染症は特に特別な
症状がないから、症状だけでは
完全に否定はできない。
特に当院は介護施設を抱えているがために
特に注意を払っている。
例え、コロナごっこになろうとも
感染防御を怠るわけにはいかないのである。
大体、いつもなら何もなく
見ている人を防御して、
病院の外で(病院の中に入れるわけにはゆかず
当院では隣の建物で見ている)
診るなんて、自分たちがちゃんちゃらおかしいが
そうせざるを得ないのが現状なのである。
そこにきて、くる患者さんは
他院で、発熱だということで断られて来るか、
保健所で、時間をかけていろいろ聞かれた上に
コロナではないから近くの病院に行けと
いわれたとかでやってきて
その時点でかなり
イライラしている人が多い。
また、来院の時に自分は熱やいろいろ
症状があるけれでもコロナのはずがない
と思ってやってくる人もいる。
イライラの上にそれだから
“保健所でコロナじゃないといわれたのに
こんな診方をするのか“とか
“おれはコロナじゃなきゃいかんのか”と
言われたこともある。
そのたびにどうして、そうしているかを
話さなければいけない(ほとんど聞いては
くれないが)
発熱の患者さんが来るとわかって
準備をしてまって
手間をかけて診察をして
結局一人診るのに30分以上かかって
待ち時間をいれると小一時間かかる。
挙句のはては、
診察室に入ってから
初めて実は昨日より微熱があって
咳が出るなんて言う強者まで
現れることもあり、
毎日が心労の連続である。
自分たちが一番、コロナごっこを
やっている可能性が高いと思っているのに
、、、、、、、、、、、、。
今、この状態で、どこの病院も
患者さんが減っている上で
この状態である。
逆に病院がクラスターになろうものなら
現状では、
以前、どこかのキャスターが言った様に
”病院は専門家なのにどうして?“って
いわれるのはわかっているので。。。。。
香川県内に感染者や保菌者が
0のわけがない!!!
また、感染経路も複雑な状態で
思いもよらないところがから
感染している。
結構、日常が結構いい加減な私は
危険度が高い。
しかるに、今、発熱どころか
鼻風邪さえひけない状態。
ほんとに疲れるわ
と、愚痴をこぼすのでありました。
もうすぐ60
還暦がちかづいてくるに
従って、
自分の年に驚いて、いままでの60年を
振り返って、最近は、鬱気味。
人生、昨日のことを考えず、
今日、のことを考えて前向きに
なんて、いうが、
人間、過去を引きずって、生きて、今が
あるものだから、
過去の自分の行動が今の自分を作っているのであり
人々の中の自分の位置決めをしているのであるのだから
過去を振り返るのは当然と思う。
嫌な記憶も数々あるが、それを考えると
鬱になるので、
そんな記憶は強制的においといて
振り返ってみる。
やっぱり、幼いころの
青い時代は、いろいろ恥ずかしくも
なつかしい。
目の前で起こることが初めてのことばかりで
目くるめく、驚きと感動が入り乱れる。
特に中ぐらい以上の経験は、人間いい様に
記憶させるものだから、実際よりいいように
記憶させている。
その時は必至で汗を流した経験でさえ、
今は、いい思い出として残している。
それだけに、過去がよかったと思うのである。
特に幼いころや若いころの感動や
経験の大きさは、
腐った、今の心では
味わえないぐらい大きな感動や喜びが
あった。
見るもの、聞くもの、することが新鮮で
わくわくして、
あの、青臭くも純粋な経験と気持ちには
汚れた心と疲れて、へたった体では
戻ることはできないのだが、
それでももう一度、あのころの
感動を味わいたい。
初めての色、味、匂い、
初めての感触、感動、
その中で経験の無さと
責任の無さから起こる
後先を考えることなく
起こす、大胆な行動。
あの青い匂いとともに
もう一度、味わいたい。
なんて思う
還暦前の鬱のおっさんでした。
日本史は大河ドラマで
梅雨とコロナで頭が湿って
今週は、なにも考えられない
ということで、大河ドラマの話を
あまりドラマを続けてみることがない
私ではあるが、
今年の大河ドラマだけは見ていた。
今年は明智光秀を主人公とした
麒麟がくる
これがまた、コロナの影響で、
前半のクライマックスの桶狭間の戦い
は、戦闘シーンが縮小されて
しょぼくなるし、
ついには、今週からしばらく
休みになってしまった。
結構、おもしろく作られていたので
今週からわたしは、なにを楽しみに
日曜日を過ごしたらいいのだろうか????
なんて
今は、どういう風になっているかはしらないが
私の当時、高校では社会は、日本史と地理と世界史が
3つのうち2つが選択性であったため、
何だか知らないけれど
なにも勉強しないでも何となく
できた地理と
映画を見ることで覚えた世界史を
とったため
日本史はほとんどしらない。
だいたい国語が苦手で、
古典が大嫌い、
漢文なんて何者?と
思っていた私が日本史の授業を
受けるわけがない。
ところが、平安時代より以後の
日本は、なんとなく詳しい
どうしてか、、、、、、
そんな私だが、どういうわけか
昔から、NHKの大河ドラマは
ほとんど毎年欠かさず見ていた。
NHKの大河ドラマは俳優達にも
別格であるようで、
若い俳優を中心に(下手くそ、あるいは
高齢者にもわかるように大げさな
演技をさせられる様だが)
気合をいれて熱演しているのが楽しい
ドラマを見ると結局その周辺のことを
調べるのでいろいろ覚えてしまう。
ただし、ドラマになった、源平から
鎌倉、室町から戦国、明治維新だけだが
(近代史は、戦記好きが講じて特にくわしい)
歴史小説家の海音寺潮五郎は
日本の歴史で面白いのは4つ
源平の盛衰と武田信玄と上杉健診の攻防
と信長、秀吉、家康の変遷、
そして明治維新といっている。
もちろんドラマ仕立てで、すこし
歴史を無視しているところもあるが
そうでなければ、テレビとしては面白くはない。
もう一つ、これもまたNHKの
(なんと善良な市民)
英雄たちの選択といる歴史番組が面白い
岡山県出身の磯田道史という
めちゃくちゃ歴史好きの先生が
(好きも、ここまで来たら羨ましい
ぐらいの人)
やっている番組でこれもまた
日本史を知る上で面白い。
理科系を自負する私で、
勉強なんぞしたことのない私が
社会だけは、自然にできた経緯でもある。
とりとめもない話になったが、、
と、言うことで、
日本史は、大河ドラマで自然に
覚えよう???
というブログでした。
OOOはくそじゃ!
普通にブログを書こうとしたが、
やっぱりコロナのことが頭にうかぶ
コロナのことが浮かぶと、
頭にくることばかり、、、、、
私の知っている若い温厚な
医者が、(感染症が専門)
コロナのことでOOO(中讃地区の統括機関)
に電話して、切った後
OOOはくぞじゃ!って言い放った。
ということで、温厚な先生でもこれだから
私など考えるだけで。。。。。。。
というわけでコロナは書かない
ことにしよう。
こんな騒動の中で、
アメリカ軍がUFOを戦闘機が追跡している
画像を公開した。
(以前から出回ってはいたのだが)
異星人が外部から来ているがどうかは
分からないが、
もし、かりに居たら、とてつもなく
分化、知識レベルがちがうはず。
宇宙ができて137憶年といわれていて、
地球上で生命ができてきてから
30億年
その中で、人類が文明
と呼べるようなもの
ができて5千年ほど
この100年だけでも
目まぐるしい技術が発達しているのに
数億年前から文明を持っている宇宙人が
いるとすれば、けた違いの科学技術を持っている
はず。
インディペンデンスデイの様に
宇宙人相手に立ち回れるはずがない。
(素手で対抗すれば力は強いかもしれないが)
UFOに核爆弾を打ち込むことなぞ
戦闘機に吹き矢を打つ程度の物に違いない。
私が以前より思っていることは
地球の生命は、
宇宙人の子供が、夏休みの宿題
で、実験しているのじゃないかと
(時間も超越するぐらいの文明)
想像している
そして実験は失敗?
こんな、馬鹿な人間という動物が
できてしまった。。。。。。。
コロナという課題を与えたら
世界のグローバル化を進めるかと
思いきや
ナショナリズム化するは、
国の中では暴動をおこすは
みんな個人主義に走るは
完全な 実験の失敗???
宇宙人の子供は、夏休みも終わって、
そろそろ実験を終了しようと思っている
かもしれない。
(そういえば、昔、アリの巣を
造らせて観察するキットがあったなー)
宿題も終わってうまく行かなかったから
捨てよ、なんて思っているかも。
医療関係者に感謝?
私はどうもひねくれ者の医者らしい
金曜日に医療関係者に感謝とか
いって、ブルーインパルスが東京の空を
飛んだようだ。
最近、医療関係者に感謝という
言葉があちこちから聞こえてくる。
ひねくれ者の医者は、どうも
この言葉に違和感を感じるのである。
私も若くて、大きな病院で働いていたら
このコロナ騒動の真っただ中で
働いていただろう。。。
今は、上里医院に勤務している以上、
高齢者施設をいくつも診ている関係上
どうしてもコロナの侵入阻止に必死な状態である。
若いころは、救急や、重症患者を沢山診ていた
私としては、ほんとうは、血沸き肉躍る
若いころの体力、気力があり、仕事自体の
しがらみがない状態ならこの騒動の
真っただ中に突入しただろう。
そんな中、
第一の違和感は、
なにか、働いている側が感謝を求めている
感がしてならないこと。
私の当時の医者は(やや教育が古めなのだが)
医者の免許をもらったからには
地位、役職がない若い医者は、
なにかあったら最前線で働くことが当然
のことであり、
安月給で、365日24時間働いていても
それが、医者になったからには
当然だと思っていた。
ひっきりなしに急患が来ようとも、
他の病院の理不尽な紹介があろうとも
その地域の主力病院として
黙々と仕事をしていた。
それが、地域の主力病院の若い
医者の当然の仕事と思っていたからである。
(忙しくて、潰瘍から出血する人間も多々いた)
(私はもちろんないが。。。。。。。)
(私の一つ前の世代の医者は、戦争になって軍医で戦場に
行けといわれれば行くことさえ覚悟していた世代)
決してそれをだれかに褒めてもらおうなんて
思って仕事をしているわけではなかった。
もちろん、今の医療関係者もそうであろうが
どうも、若干
褒めて、褒めて、と心のどこかで
言っている様な気がしてならない。
これぞ、ゆとり世代の
いわゆる
褒めて伸ばす世代が
中心になったための世の流れの様な
気がするのである。
もう一つは
どうも見せかけの感謝を感じること
(いいすぎ)
なにかツイッターで
“いいね” を押す様な
軽い気持ちで感謝と言っている
感が否めないこと。
また、外国で、そうしているから
日本でも、という感も否めない
(外国の医療機関は日本の比ではない状態!)
おそらく現場の人間は
感謝する前に
“用もないのにうろうろするな!”
”関係者をばい菌扱いして
差別するな!“だろう。
報道番組の司会者が
“専門家なのになんで病院で広がるのだろう”とか
厚生大臣が
“37.5度といったのは単なる目安です”
という言葉は
感謝の前に
現場の人間をいかに愚弄(ぐろう)する言葉か
このコロナ騒動の中で
いまの若い世代、いまの世の中に
なにか違和感を感じる
初老の医者であった。
マスクがいまだに少ない中
当院は、介護施設を併設しているせいもあって
以前よりマスクは多めに備蓄していたために
現時点で病院でのマスクはまだ
ある状態
(個人的なマスクは足りていないが)
そんな中、患者さんが
手作りの布のマスクを
私を始め、職員にくれたのだが、
顔の大きな私にはピッタリのサイズ
なのだが、
なんとも顔の小さな職員は
顔全体が隠れてしまう。。。。。。
(同じ人間でこうも顔の大きさがちがうか?)
大体、私、
以前よりマスクをするのが
めんどくさい人で、
その上、先ほど言った様に
顔のつくりがでかいので、
普通のマスクを長時間していたら
耳が痛くなってしまう。
(顔の大きな人はわかるとおもうが
同じ大きさのマスクでは耳が引っ張られて
痛くなる)
そこで、以前より耳にかけるタイプではなく
上下に紐がついていて
首と頭の上にかける手術用の
マスクを愛用していた。
そうすれば、耳も痛くならないし
頭の部分を外せば、首にかかったままで
すぐまたつけれるので、便利で
それを愛用していた。
ところが、流石に
そんな特殊なマスクは手に入らない。
そこで、なんと職員が
手作りでマスクを改造してくれたのである。
(ありがたや、ありがたや)
つまり

の状態のマスクはあるので、
耳の部分をとり外して
上下に付ける紐をつくって

取り付ける
(この紐の材料は、なんと車をおおう
巨大なカバーをきって
おって作ったものである。)
(凄い!まめ!)
それを上下につけると

こうなります。

いまでは
仙台の七夕まつりの用に沢山
棚においてあります。

コロナウイルスのおかげで、
現在、患者さんの
数が少ないので
そういう時間もあったのだが、
それにしてもありがたい。
しかし、このマスクもこもまま
コロナ騒動がつづけば
1ヶ月で30枚ほど使ってしまうので
すぐなくなってしまう。。。。。。
この状態がいつまでつづくのか。。。。。
断捨離ができない
5月の連休に少し
家の掃除をして断捨離をしようと思ったのだが
これがうまく行かない。
片付いたのか、乱雑になったのか
不明。。。。。
どうしても、ものが捨てれないのが
最大の原因とは思うが、、、、、
性格なのか、教育なのか
なかなか物が捨てれない。
私の両親は、いわゆる
戦中派で、(戦争の時代を潜りぬけて
きた人達)
とにかく物を捨てない人で、
家には、物をくるんでいた紐、
いろいろな包装紙、空箱、空き缶
なんでもあった。
(春風堂の包み紙や三越の包み紙は
遠足の時に弁当を包むのに使われていた)
あるとき薄いプラスティックの容器が
積み重ねて戸棚にあったので
よく見てみると
イチゴがはいってあった
プラスティックのケースだった。
(こんなもの、何に使うのか???)
たまに、九州から家に帰ってくる度に
家にあるいらないと思うものをすてたものである。
だけれども、今はそれを
自分ができない。
物をみたら、いつかなにかの役にたつ
様な気がするし、
心がときめかないものを見ると
捨てろというが、なにかしら
いろいろな物に思い入れがある。
掃除をしていたら、懐かしい本なんかがでてきたり
したら読んだりして結局、捨てないどころか
散らかってしまったりして。。。。
テレビの様に生活感がない様な部屋に
憧れるが、できやしない。
私が上里医院にきて5年がすぎたが、
そこででもどんどん物が溜まっている。
だいたい今は10年たつと、論文や本も
役にたたないのだが、それさえ捨てれない。
どうしよう????
身に付いた貧乏性か?
そういえば、話は、変わるけれども
一昨年に
裏の特養の愛生苑で、古くなった棚を沢山
捨てているのをみて、もったいなくて
それを20個ばかりいただいて
裏の倉庫の中に収納用の倉庫を屋根付きで
作ってしまった。
最近は、クリニックも建物がちょこちょこ痛んできて
それを見たら、つい自分で修理してしまう。
つい最近は、雨漏りを自分で修理してしまった。
なんだか、この身についた
貧乏性は治らないかも知れない。
このコロナ騒動の中で
いろいろな人間がいろいろ発現を
ネットでしているようだが
なかに、どうも自分が頭がいいといわんばかり
の発現をするやからがいて
どうも気にかかる。
他人のことをバカバカと発言する
(もと○○ドアの社長)
テレビでも東大や京大を出た
人間がそれだけでもてはやされている
(先の人は中退だが)
どうも気にかかる。
??????
(東大にいっていないひがみ?)
今、群馬県の知事をしている〇〇氏が
国会議員をしてる時
東大出の国会議員と“さんま”(お笑いの)
とどちらが頭がいいと思います?
とテレビで発言したことを
いまでも覚えている。
その時私はすかさず頭の中で
“さんま”と叫んだ。
人間がもっている頭の能力など
知れたもの
(それが証拠にチェス、将棋、とうとう
囲碁にいたってもAIに勝てなくなった)
その頭の力をどこにどれだけ使っているか
というだけだと思う。
映画の”レインマン“のダスディンホフマン
の元になった人物は、
何年何月何日は何曜日と聞くと
○○曜日と即答し、電話帳1ページの
電話番号を瞬時に記憶する。
しかし、コミュニケーションがとれず
どうして曜日が言えるのか
(計算しているのか覚えているのか)
解明できなかった。
つまり、そのことに対しては
凄い能力を発揮するが他は全くだめ。
以前紹介した、イギリスの一瞬で風景を
全て隅々まで覚えてしまう画家や
原爆の製造を牽引した
物理学者オペンハイマーも同様。
アインシュタインでさえ、、、、、
(医学ではサバン症候群という)
つまり、多かれ少なかれ
人間は、100の脳の力を
どこにどれだけ使っているのかということ
東大に合格した人間は学習、記憶という能力に
90%使用して、“さんま”は会話という
部分に90%使用し、イチローは野球に対して
90%使用し、
レインマンは記憶ということに99%使用している
だけのことだと思っている。
それぞれ人間には得て不得手があり、
いろいろ、人それぞれ使っている
部分が違うだけで
結構、均等に脳を使っている人は
逆に目立たないかもしれない。
もちろんその器の大きさには
多少の違いがあるかもしれないが、
以前に書いた様に
とてつもなく進んだ宇宙人から見たら
人間の個々の能力など違いはないと
思っているに違いない。
人間が天才のアリと普通のアリに
違いを見いだせないのと同じ様に
“馬鹿というやつが馬鹿”はなかなか正論?
それにしても私の脳力はどこにあるのかな・・・・・?
コロナ、コロナ、コロナ
毎日、毎日、毎日
当院では、発熱等の風邪症状が
ある患者さんは、事前に電話するか
病院のインターホンをならしてもらう
様にしているので
いまは、病院の電話が鳴ったり、
インターホンが鳴ると
病院内に緊張が走るという
ピリピリした毎日が続いている。
。。。。。。。。。疲れるわ。
もし、本当に県の発表の様に新規感染者が
いないのであれば、いつもは普通に
診察室で診ている患者さんを
予防着をきてマスクをして
こわごわ見ているのは、コロナごっこを
しているだけになってしまう。
県全体で休みにして、みんなマスクをかけて
゛ゴホン“と咳払いした人をみんなで睨み、
受付やレジにビニールシートをかけて
家に閉じこもっているのは
こっけいなことになってしまう。
医療関係者の私でも、もっと抗原、抗体
検査を気軽に盛んにして、市中でどれだけ
本当は感染が進んでいるか
早く進めたらよいと
おおもってしまう。
(抗原、抗体の差を話すと長くなるので省略)
ところで、病院は、通常通りあけているので
今日からは久しぶりの連休。
こんな状態が続いているのもあって
私も、日、水、の休みは
ただ、ボーと本当に休んでいるだけ。
いつも連休があると何をしようと
考えるが、結局なにもせずに連休があける。
今回もそうかなーーーーー?
病院によく来る薬関係の人が
無類のモーター好きで、
(自動車、バイク)
暇さえあれば、車やバイクをいじっている。
車の話をすれば終わらない。。。。
そんな人がうらやましい。
以前にもいったが、
私の理想は“釣りバカ日誌”の浜ちゃん
の様につりのために仕事をした
(仕事中もつりのことばかり考えている???)
生活をしたいし、そんな趣味を持ちたい。
(それができないのは、心の底で趣味は究極の暇つぶしと
思っているからかもしれない)
人生でいいえば30代のころは
24時間365日働いていたので
時間に余裕ができれば、
いろいろしたいことをしようと
箇条書きにしていたが、
時間ができたときでも
ただの1つもしていない。
結構、何かを根を詰めてしたら
後で、むなしさが出たりしたりするので
(ゲームをコンプリートした後にくるむなしさの様に)
以外といそがしい時にいろいろ考える
ことの方が楽しいのかもしれない。
若いことはすばらしい
このコロナ騒ぎで、よしも
悪しも、大阪や北海道の若い知事が
テレビで前面に出てくることが多い。
やっている政策がいいか悪いかは
よくわからないところもあるが、
フットワークの良さ、
物事に対する真剣さ
なによりも新しいことへの導入の
思い切りの良さが伝わってくる。
これを見ていると
わかい指導者の素晴らしさが
伝わってくる。
平均年齢や労働の年齢は上がっているが
やはり、指導者は若い方がいいような
気がする。
あまり大きな声では言えない?が
この小さなコミュニティーでの
医師会でも、私は、飲み会で
50代前半の医者に
会長にならないかと勧めたことがある。
それだけ、若い力が今の日本の社会には
必要と思っている。
私の兄が香川県の医師会長をしているが、
66歳で医師会長としては、若い方ではあるが、
それでももっと若いものがすべきと思っている。
自分も、もうすぐ還暦なのだが
やはり、年をとればとるほど
今のことに対する変化に対して臆病になってしまうし、
しがらみがどんどん増えてくる。
これから社会やコミュニティーを
考えるうえで
たとえば40代の人間は
自分の今後の生活がかかっているし
今の社会をうまく進行させなければ
自分の子供が苦労することを考えるだろう
つまり今後の50年後のことを
かんがえて行動するだろう。
自分の年代になると
どうしても老後の安定を考えるし、
自分の子の世代は成人しているし、
これでは変化を考えない。
せいぜい30年先のことしか
考えれないだろう。
それでは変化を求めるはずがない。
決して、それが自分の年より上の人間の
今後の生活を切り捨てよという
わけではなく、そこを
うまく、若い知恵ですすめてほしいのだ。
他国、アメリカを見るに
現、大統領、次期大統領候補とも
70代後半
今後の世界を動かすことになる指導者が
そんな高齢でいいのだろうか。
ケネディーやオバマなんかの若い
力が世界を動かす方がよかったのでは
なかろうか。
実際、今の日本には若い
実力のある政治家は見当たらないが
それを、見出して、作り上げるのが
コロナコロナコロナ
前にも書いたことなのだが
もう一度。。。。。。。。。。。
安倍首相の現在の政策が決して
いいとは思わないし、
むしろ失敗しているとおもうが、
首相は、いろいろな決断をするのは
大変の様な思いがあると思う。
というのも、このコロナ騒動で、
この小さなクリニックや介護施設を
切り盛りするのに、小さな決断と
状況判断をするのが大変で、
最近は胃が痛いのに
国家のことを決断することは
大変なことだと思う。
もちろん命が第一で決断しなければいけないのだが
経済も潰してしまえば
後々国民に苦しい生活をしいらなければいけない。
多方面のことを考慮して
決断する責任のある人間の心労は
想像に難くない。
いろいろネットやテレビで
発言している
(ときどき偽善者ともおもわれる人間もいるが)
人間は、あくまでも自分の周囲のことや
自分の立場、専門の立場で、
発言をしているのであって、
自分の発現で、だれに責任をおうこともなく
一方向を向いて喋るのとは
わけが違う
首相から、県知事、市長まで行くと
責任の量が落ちるのか
フットワークがよくなる。
これも背負うものの大きさの
違いが出ている様な気がする。
それより最近気になるのは
我々一般の人間。
昔よりいろいろな情報が
溢れすぎで、
1億総評論家になり
行動が無責任でバラバラに
なっていること。
ほとんど利己主義になっていること
東北の震災の時は、
直接、被害を被ってない人間は
余裕で、被災地のこと
を考え支援し、協力もしていたが、
今や自分に災いが降りかかると
そういうわけには行かない。
皆、身勝手に行動して
極端に状況を怖がっている人から
大丈夫と高をくくって行動している人まで
バラバラで結局
パニック状態、ヒステリック状態になっている。
日本人はこんなものだったのか
(他国の国民の方が立派な様なきがしてくる)
と、がっかりさせられる。
日本の悪いところばかりが露点している
気がする。
日本人、大丈夫か?????
もう一つ気になること。
毎日、医療崩壊のニュースとともに
ガンバッテくれいている
医療者に感謝をというテレビや風潮があるし
やっている側もそれを
求めている風潮がみられる。
医療関係者としてこれは本来
当たり前のことであって、医療に携わるもの
こういう時も想定して医療にとびこんでいる
のだから、、、、、(少なくとも自分の時代は)
これも、ほめて伸ばす世代が
中心になっているからなのか。。。。。
たとえは悪いが
軍人は、かりに戦争になった時は
戦場に行くのが仕事なのだから
それを感謝し褒めるというのも
違和感を感じるのである。
このコロナ騒動がおわった時
日本人は、真の意味で立ち直れるのだろうか。
残念
コロナコロナで暗いなか、また、残念なお話。
前々回にはなした
アトラス彗星は空中分解して
明るさを増すことなく消滅しそうな
勢いです。。。。。。。。。
最近出現する彗星は、のきなみ
予想(期待?)をはずれ、消えてしまう。。。。
残念といえば、大林信彦監督がなくなったこと
私は、大の映画好きなのだが、
日本映画をほとんど見ない人
。。。。なぜだかわからないが、
どうも出演者の演技等の稚拙さに
我慢ができないところがあって。。。。。。
そんななか、これまたどういうわけか
時をかける少女は
よく見た映画。。。。。。。。
あの、ハチャメチャな筒井康隆の小説とは
信じがたい原作で、
出演者の演技の稚拙さがきわだつ
大林監督の映画の中で、
(時をかける少女はその代表作品?)
何回も見た映画。
青春期の心の不安定性と葛藤が映しだされ
それに、素人同然の出演者の
へたな演技のぎこちなさがマッチしてか
独特な雰囲気を醸し出した映画であった。
それに、公開当時まだ、23歳であった
自分の不安定性がさらに加わったのかもしれない。
日本映画で、よく見る映画は
精密な画像と構成の黒沢明監督の映画や
以前書いた様に
緊張感が全編にただよう
岡本喜八監督の
にほんで一番長い日
などが多いのだが、
最近では
堺雅人の南極料理人や
どこがいいのかわからないぐらいナンセンスな
阿部サダヲの
“舞妓Haaaan!!! ”
が気になる映画。
南極料理人は、日本映画にはない
ホンワカさが前面に出た
なんとなく、楽しい映画だった。
一方、舞妓Haaaan!!は
とてつもなく、ばかげた内容の
コメディー映画。
どこがいいか聞かれても
言い様がない映画である。
ただ、一つ言えるのは
両方とも、演技力がある俳優が
でているコメディータッチの映画は
結構おもしろい。
そういえば、洋画も
ロビンウイリアムスやジャックレモン
(古くてわからないか。。。。)
のコメディーはいい映画が多い。
暗い話ばかりで、家にこもって映画でも
見ましょうか。
世の中、コロナウイルスの話ばかりだけれど
ウイルスのことの基本を少し話ます。
これから戦わなければならない
敵であるウイルスのことを少しだけ
しっておこう
風邪の原因には細菌によるものと
ウイルスによるものがあるが、
(90%はウイルスによるものと
考えられている。)
細菌やウイルスって何だろうか
だいたい、ウイルスというのは
厳密にいえば生物ではない。
(生物の定義を自力で増殖できる
と定義すると、ウイルスは自分だけの
力では増殖できないため
生物ではなくなってしまう。)
大体、昔、学校で習った細胞

これがなんと37兆個集まって共同で働いている
のが人間です。
この細胞一個は、もちろん目に見えない。
色々な大きさがあるけれども
平均的に10マイクロメートル
(0.01mm)
つまり1mmの100分の1ほど、
そんな小さなものが何兆個も共同で
動いて人間は生活している。
細菌は、これもいろいろあるが
普通はこの細胞一個で成り立っている
大体の基本的には構造が一緒で、
進化の過程で単細胞が形成されて
それが単細胞で生きる様に進化したのが
細菌で、
単細胞があつまって共同で
作業し始めたのが人間のような
多細胞生物である。

中心にあるもじゃもちゃしたものが
遺伝子で、遺伝子は有名なDNAが連なったもので
ある。
進化の、元が同じだから
細菌と人間のDNAを比べると
同一の部位の部分がいろんなところに
見られる。
宇宙人から見たら細菌も人間も兄弟なのだ。
細菌も人間も自分の力で細胞分裂を
おこし増える。

細菌は一般に普通の細胞よりさらに
10分の1ぐらいのおおきさで
ある。
ウイルスといえば、実をいうとこの
DNA(あるいはRNA)だけをもって
うろうろしている厄介なやつで

遺伝子をいわば寄生した細胞に入れて
その寄生した細胞のDNAの中に
自分のDNA(あるいはRNA)を組み込んで
その寄生した細胞に自分の分身を作らせる。
大きさは細胞よりさらに100~1000分の1ほど小さい
それゆえ、自分だけの力では増殖できないので
厳密な意味では生物にはならない。
それゆえ治療薬を作るのは至難の技なのである。
人間の遺伝子の中には実を言うと
人類がウイルスと戦った跡がたくさんあり
遺伝子の中にそれが組み込まれている
(ほとんど機能していない部分)
また、人類の進化、生き物の進化には
突然変異が繰り返されており、
それはウイルスの感染に依存するものが
あるという説もある。
今回もウイルスと戦っているのだが
太古の原始人から
その戦い方は
自力で治すという点で(効く薬がない)
同じなのかもしれない。
今回のコロナとの戦いは
人間がまだまだ知性のない
未熟な生き物であるということ
をいやがうえでも
再確認さされている
(精神的にも)
コロナはまたまた少しおいといて
コロナコロナで、うっとうしい日々が
つづいておりますが、皆さんはいかが
お過ごしでしょうか、
われわれ医療機関は、周囲で流行する
前から世間の皆さまより
疲弊しております。
くそ野郎どもがいろいろ批判している間に
また、優雅に構えている地方自治体が
ぐずぐずしている間にコロナは隣にやってくる。
これが現実でうすぞ
で、今回は違う話。
今、久しぶりに肉眼で見えるかも
しれない彗星が接近している。
アトラス彗星という昨年見つかったばかりの
彗星で、うまくいけば4月下旬から
5月上旬に肉眼で見えるかもしれない。
おそらくこれを読んでいる人の半数は、
彗星と流星の差がよくわからないと
思うので、、、、、
流星は、宇宙に漂うチリや石が地球の大気圏に突入して
燃えて光るもの。
1mmに満たないものから、
大きな岩石まで、さまざまで、
だから、数秒間そらを駆ける光の筋が見える
(3回願い事をするやつ)

小さいと写真の様に見えるが、
やや大きくなると火球といってかなり大きな
光の筋として見える

それより大きくなったら
隕石となる。
2013年のロシアのチェルビンスク州の
隕石落下は記憶に新しい。

さらに大きくなるとクレーターを形成し、

これは有名なアリゾナのバリンジャー隕石孔。
直径1.2キロメートルで、隕石の大きさは30メートルほど
と予測されている。
さらに大きくなると
恐竜を絶滅させたのではないかといわれる
隕石の様になる。

一方、彗星は、氷やチリの塊といわれており
地球と同じく太陽の周りをまわっている

地球は、1年で太陽の周りをまわっているが
彗星は、いろんな周期で回っている
あの有名なハレー彗星は75年
(だから75年に一回しか見えない)
氷を中心とした塊だから太陽に近づいたら
時に太陽の光の力でイオンとチリの尾っぽが出来る。

尾っぽは太陽の反対側にできて
太陽に近いほどイオンの力で大きな尾っぽが出来る。
いつもはほとんど見えないのだけれども
太陽に近づいたら見えてくる。
ハレー彗星は周期が75年と分かっているが、
そのうち見えるのは数か月、肉眼で見える期間は
もっと少ないが、ちなみに前回太陽に近づいた
1986年にはほとんど見えず、もうすでに
かなり元の氷の塊が小さくなっている様だ。
他の彗星は、周期がとてつもなく長かったりする
ので、ほとんど一回ほどしか見えない。
だから、流星とちがい、太陽に近づけば、
大きなものは、星の様に毎日、見える
(少しずつうごくけれど)
これは1997年にあやしく光った
ヘールボップ彗星

これは日本からはみえなかったが
きれいに光ったウエスト彗星

今回、予定では金星ぐらいに見えるはずだが
いつも、最近の彗星は、予想より
輝かず、がっかりすることが
多いのであまり期待しない様に。。。。
ちなみに難しくなるが、この彗星が
ばらまいたチリの中に地球が突入すると
流星群といって、(〇〇座流星群のような)
ある時期に流星が一方向を中心に
たくさん現れる。。。。
難しいか。。。。。。。
政治家って、、、
この世界の大事にいたって、
トランプは、このウイルスは“中国ウイルス”
じゃーーって言い、
中国は中国で、アメリカが持ち込んだウイルスだ
――――って
大国同士がこの世界の非常時に
子供のけんかかい!!!!!!
日本も日本で、国民の
心のさけびは、
政党は自民でも立憲でも
どうでもいいから
この状態を良くしてくれ、、、だろう。
(おそらく、東日本大震災のとき
民主党政権がうまく危機管理が
できなかったのと同じで、
政治家や政党がどうであれ、
直接立案するのは官僚であり、
とにかく日本は、平和ボケで
緊急の危機管理体制がうまく働かない。)
先ごろ、国会に緊急事態宣言が出来る法案が
野党も賛成で通過したが、
それを通過させるときに
立憲の幹事長が
“この法案は通します、わが党(民主党)が
こういう時のために作った法案ですから“
といっていたが、
その一言いる???
他の党もなんやかや、自分の党がいいと
言わんばかりの話をしていた。
“この非常時にその一言いる??”
香川県にいたっては、
学校を休校にして、子供たちに家で
おとなしく待機する様に言っている今
“ゲーム規制条例”を可決した。
日本で一番のりをめざしたのだろうが
“今、それする???”
(この非常時に香川県は、もし感染者が
多く出た時のための病院、施設の用意が
全くできていないし、やる雰囲気がない)
平和ボケの日本の中のトップを行く県?
先週のブログも含めて、
上から下まで、
政治家や官僚のやることは浅はかなこと。
今、われわれが、一番してほしいのは
挙国一致でこの国難をのりきってほしいこと。
われわれもわれわれで、
淡路の震災や、東日本の震災の時は、
“がんばろう神戸”とか“絆”とかいって
自身にあまり、被害が及んでいない状態
では、余裕をもって
被害者に対していろいろ救済の行動??
をしていたが、
今回の様に自分に降りかかってきたら
マスクが消失し、挙句の果てに
トイレットペーパーやティッシュペーパーを
いつもより余計に買う、相互協力、思いやりの
心は突然消失する。
それどころか、感染者を暴き、差別的行為をしたり
挙句のはては、マスクなしで咳をしただけで
白い目で見る。
これらのことを考えると
政治家って、、、というより人間って、、
といった方が正解かもしれない。
最近の残念な話を2つ
現在、われわれ末端のクリニックにおいても
コロナ疲れはかなり大変なものになってきている。
実際、もう軽症の人たちは
かなり存在してると考えるのが普通で
そういう人達がやってくるのが
町医者である。
今の現状では、もし陽性の患者さんが
病因にやってきたら休診にしなければならない。
陽性の患者さんがいっぱい出て、病院をまわると
どんどん、休診の施設が増えてくるし
いわゆる医療崩壊になってしまう。
(パンデミックになり、検査の数が増えると、
今後、一般の病院でも診ることが予想され、
規制が徐々に緩くなってきてる。)
そのため、薬屋さん等、医院に入るのは極力
減らしているのが現状である。
(特に薬屋さんは病院をまわるので、
回っている人間が陽性になれば
何件も病院を閉めなければならないから)
もちろんこれは行政指導なので
従わざるをえないことなのである。
また、
政府の指導で、一般の会社側も
活動を出来るだけ自粛している。
そんな中、信じられない出来事があった。
市の広報が、くらしの便利帳というのを作る
ために、業者を病院一件、一件回させていたのである。
締め切り上、今そうしたのであろうが、
もし、行政が回させている業者が
コロナ陽性でもあろうものなら
坂出の病院は片っ端から休診になってしまう。
そのことを市にただして、出た結論が
訪問前にコンタクトをとって
から訪問する様にであった。
結局、もしそういう事故があれば、
責任は、訪問をOKした側にあるということ
にしたのである。(ただの責任のがれだけが
結論かい!)
(医師会も同様な反応)
この時期、 行政が、厳しい指導をしながら
一方でこのざまである。
(自分たちの指導の時は
それはそれは、鬼の様に厳しいのだが。。。。)
もう一つ残念な話を
いま、この時期なので関連の施設
の職員全てに、人が集まって空気がよどむ様な
所は行かない様に指導している。
高齢者を相手にしているので、厳重にしても
しかたがないところと思っているが、
言い方は、“長時間人が集まる様なところ
外食等は控える様に“ と指導した。
この指導でみんな、外食等を控えるようになった
し、もちろんほとんどの職員が
映画館やジム等もいくのを
控える様になったのだが、
一人、若くてやや頼りない職員がいるので
まさかと思って聞いてみた
“最近パチンコ行ってないだろうな?”
答えは“。。。。。。。。。。。”
信じられない。。。。。。。
それぐらい考えろよ!!!
もし、これで何かあれば
皆の苦労が水のあわじゃん!!
と、いらんストレスが
かかっている毎日なのです
コロナコロナで、疲れたので
もうその話はやめて、
(われわれの様な末端の医療現場でも
警戒と検査等ができない現状に
疲弊している)
とういうことで違う話を
最近の読解力の低下の話
最近、テレビを見ていたら、
現在は、いろいろなマニュアルを作成するのに
紙ベースでななく、動画でする傾向がある
という話をしていた。
若い人にはそれが一番理解できるそうだ。
テレビでは、スーパーの新人店員の教育に
(接客の仕方から、レジの打ち方や
おつりの渡し方まで)
画像でのマニュアルが作られていた。
確かに、一目瞭然、すぐ理解できるとは
思うのだが、。。。。。。。
若者の読解力の低下はこういう所に出てきている
見たいである。
そういえば、以前は、マニュアルを
文書にしていたら理解できない人が
増えたために
漫画のマニュアルがはやった時期がある。
本を読まず、漫画ならかなり読む世代が
増えたために。。。。。
今はそれから考えると時代が、
2世代進んだのかもしれない。
大学の講義でさえ映像を増やして学生の
注意を引いているようだ。
以前、漫画と本の差のことを書いたことがあるが
本と漫画の差は、本を読むことによって
その本の内容を膨らますことができる。
つまり、1つの小説でも
10人が読むと違うものが出来上がる。
言い換えれば
読む人が映画監督となり
同じ脚本でありながら
それぞれのキャスト、それぞれのセット
それぞれのカットわりを作って
それぞれの映画を作る。
ところが漫画では、キャストが同じ、
セットが同じ、カット割りがおなじ映画
になってしまう。
動画にいたっては脚本は読まず
なにも考えずに
映画を直接見るのである。
これでは人の創造性が低下するのが
目に見えている様な気がする。
先ほどのスーパーの話でいえば
みなが同じ動きをして、同じ喋りをする
店員が短期間で完成する。
逆にいえば個性がない店員が
すぐさまたくさんできる。
これでいいのだろうか。。。。。
よく行く近くのスーパーでも
レジで、みな同じ動き、同じ喋りをする。
外国人の店員でさえも、同じ動き
同じ喋りをして、確かに卒はない。
しかし、声をかける店員や
レジに並びやすい店員は
同じ動きをしても、同じ喋りをしても
どこか心がこもって、すこし
違う動き、喋りをする人店員だ。
どんどん画一化されてゆく
寂しい社会が今後とも進むのだろうか。
と、2世代前のおじさんは
さみしく思うのである。
ぐちぐちぐち
私は、まがりなりにも上里医院の院長で、
特にデイサービスなどの介護施設も
併設されているために
外目に見るより
なかなが責任がかかってきて大変なのである。
(やや責任感が強い性格なので、、、、、、
なんちゃって)
時に院長の仕事を放りだしたくなってしまう。
しかるに、大げさにいえば
私の肩には、100人以上の職員と
150人以上の利用者
そして何百人の患者さん
が、のしかかっている。
時々に結構な決断を即決しなければ
ならないことも多い。
特に、コロナウイルスが騒がれている
変化のあるご時世は、特にきつい。
安倍首相の肩を持つわけではないが、
いろいろな、しがらみや、外郭団体や
さらには周辺国の圧力を感じながら
さらには、出来の悪い官僚からの
いい加減な報告を聞きながら
1億2千万のかじとりをするのは
並大抵のことではないと思う。
責任のない人間がそとからやいのやいの
というのはたやすいが、(特に個人が)
現状の日本ではだれがやっても
似たり寄ったりのことしかできないのでは
あるまいか。
いまの日本は、
政治家や、官僚、しいて言えば国民の
一人一人の危機管理ができていない
日本では、これが精いっぱいか。。。。
やはり、韓国などを見ていると
常に臨戦状態にある国であるので
(未だに戦争中であることをしっていますか?
朝鮮戦争は休戦中で終戦はしていません!)
危機管理に対しては日本より
数段上の様な気がする。
いろいろ偽善者的に、不平不満を
言っている人、、、、マスクやトイレットペーパーを
必要以上に買っていませんか?
手前みそではあるけれど、
一か月前に書いた通りに
コロナウイルスは広がっている。
専門家が口々にいまでも
パンデミックを抑える瀬戸際だと
いっていることが不思議
専門家でない我々の方が一般の患者さんや
世間のことを
把握しているのか、テレビで、ほんとのことを
言えばパニックになるとかんがえているのか
一般臨床医の方が、感染を抑えることが
できないと前から思っている。
おそらく重症になる率はそれほど高くない
と考えるけれども、感染力は抜群に強く
かのハーバード大学の教授も来年には
人類の70%以上が感染しているでしょう
と発表している。
今、一番大切なのは、いろいろ把握して
体制が整うまでの時間稼ぎ、
こうなった以上、
みんな、私と一緒に
よく食って寝て(太るじゃねーかー)
免疫力をつけて開き直りましょう。
追伸
コロナの患者さんは今は当院に来ないでね。
病院を閉めなければならなくなるし
介護施設にコロナが入れば
大変なことになるから。。。。。
追追伸
コロナウイルスの犠牲者が
80歳以上の高齢者だの
合併症をもっているだの
しかたがない風な言い方をするな!!!
俺の患者さんは半分以上
高齢でいろいろ病気をもっているんじゃ!
おれの周囲で犠牲者はださせねえぜ。。。
(なんて。。。。)
最近は、コロナウイルスのことばかり
がニュースになっているから、
してたから、今回は、まったく、違うことを。
私はあまりゲームというものをしないのですが
(やりだしたら止まらないのを知っているから、
そして、昔、ゲームをして、ある程度
終了したら、達成感より虚しさを感じる
ことが多かったから
やらない様に自制している)
ちょっとピンボールマシーンの
ゲームを久しぶりに少しした。
今のゲームは、自分がしたゲームの得点が
すぐさまネットと繋がっていて
日本?世界?の順位まで出てくる。
でもやっていて、なにか違う
やっぱり昭和の人間は、
アナログの感触が心地よくて懐かしい。

手に響いてくる感触、音、
昔のゲームセンターの空気
なんとも懐かしい。
(やや、やんちゃなことをしているという気分も)
懐かしいといえば
子供のころは
デパートの屋上や小さな遊園地の片隅、
古びた旅館の片隅で、
写真の様なゲームで遊んだ思い出が
蘇った。

ハンドルを操作して車を動かすたわいもないゲームで
車が動くのではなく、
道路側がローラーで動くだけのゲーム
ただこれだけのことが嬉しかったのだ
それからこの電動の遊具
コインをいれてただ前後に動くだけ

それにのりながら
10円?で、コップにはいった
飲んだらしたがオレンジ色になるジュース
を飲む

ここまで、わかれば
あなたはいいお年。。。。。
こんなたわいもないことさえ
楽しかったのだ。
それ自体より雰囲気や
周囲のシチュエーション
親にせがんでやっとできたる
という状況と周囲への優越感?
これらが、今でも蘇る
思い出となっているのだろう。
そういえば、わが子が
小さい時
家にあるおもちゃでも
おもちゃ屋で並んでまでしたがる
ことがよくあった。
親にとっては、いつもやりたがっていたから
せっかく買ってやったのに
おもちゃ屋でしたがることが理解できなかったのだが
おもちゃ屋で皆にまじってやるという
シチュエーションが
楽しかったのだろう。
おもちゃもゲームも食べ物も
どんどん品質が上がって来て
アナログな単純なおもちゃや
甘ったるいジュースじゃ
だれも満足しない世の中というか
そういう人間にそだってしまった。
食べ物にいたっては
どんどん舌が肥えてきている。
そういえばアイスクリーム
といえばホームランバーや風船のアイスを
食べてたとき


森永のカップのラクトアイスガ
高級で美味しくて
食べたかった思い出があるが、

昔とデザインが少しちがうが
やや大きくなった時レディーボーデンの
アイスクリームがでて、
なんとうまいアイスだろうと
思った思い出がある。

それが、いまでは
ハーゲンダッツでさえ
飽きてきた感がある。
人間は、目新しさに面白みを感じ
それに面白みを感じたら
さらにその上を求めてしまう。
そして飽きる。
それは、それは
物のない時代、
ピュアな子供時代は何でも面白かったはず
よく考えると、もうこの年になると
いろいろなことに面白みを感じなるはずだ。
あーピュアになりたい。。。。
日本人の幻想
今回のコロナウイルスの騒ぎを見てわかる
と思うが、日本の対応は非常に悪い。
2週間前のブログに書いた通りに
なってきていると思います。
(これは、自慢ではなくて普通の医者なら
そういうことは考えていたと思います)
この対応の悪さは、とても厚生省の医官が
(厚生省専属の医者)が悪いとは考えにくい。
おそらく、各省庁間の融通の悪さ、
強力な権限をもった指揮官の不在
などが、こういう結果をまねいている
と思われる。
勝手な想像であるが、クルーズ船の対策が動きだしたのは
いままで、官邸に甘く報告していた役人の
いうことを聞いていたところ
自体が悪化しているのをしって
官邸が主導で動き出したのだろう
(もう遅い)
先週も書いた様に日本の医療が
優秀と思ったら大間違い。
決して今、メードインジャパンは
よいものではない。
そろそろみんな幻想から覚める頃だと
思う。
一つ、一つを丁寧に作っていた物作りの
職人はもう引退し、
時間がかかってもうからない職人の
後継者はいない。
そんな、しんどいことを自らする
若者はもう少ない。
高くても、精巧なものを買う人間も少ない。
合理的な大量生産にたよってきて、
零細企業を軽視してきた日本に
もう物作りの良さは残っていない。
アカデミー賞で韓国の映画が作品賞をとった
ことでもわかる様に
日本の今の映画は決して
いい作品ができていない。
映画自体がもう物作りの時代ではなくなって
いるのだから。
もう、アジアから取り残されている
物作りなぞ、
労働改革、パワハラなどといっていたら
出来るわけがない。
物作りに関しては、昔から
ヨーロッパの方が上であるし、
現代の技術は資本力の注入力がある
アメリカや中国にかてるわけがない。
(コロナウイルスで騒いでいる陰で
NECや、三菱のデータが流出したこと
の大ニュースが消えている)
少ない技術さえ、日本のセキュリティー
では外につつ抜けである。
一連の、コロナウイルスの事件で
わかる様にもう、日本人の力の衰退は
凄まじい。
もうそろそろ、
日本人もその幻想から目覚め
1から考え直し
1からやり直すことが必要であると
おもう。
(でも、アメリカの物まねだけはやめてくれ!!
あれは、失敗の最大の例だ!)
追伸
今年もバレンタインデーがやってきて
院長という地位のために
いろいろいただきました。
私が、若い時ぐらい
から、盛んになってきた行事?で、
その当時、
昔、後輩の医者が
(今でいうチャラ男くん)
ホワイトデーに袋を一杯もって
いろいろなものを
お返しに配っているのを見て
この風習は日本男児のすることではない!!
と思ったし、
こんなのは、企業の戦略に
やられている、バカな習慣だ。
(当時、結婚して急に
もらうチョコの数も減ったのも
あって?)
と、基本的にはずっと思っている。
でも、やっぱり
チョコをもらったら
うれしい
バカなおじさんでした。
ちなみに、ホワイトデーは
基本的にしません。
(勝手なやつ!!)
コロナウイルスの病原性は、
いまのところ
先週、私が予測した通り
季節性のインフルエンザより少し
強いぐらいという予想です。
そうはいっても季節性の
インフルエンザでアメリカでは
1万人を超える人がなくなっている
のも事実。
若い人にはあまり影響がないが
介護施設で流行ったら
やはり致死的病気になるのも事実。
このところのコロナウイルスの
騒動の影響で、インフルエンザの
人が例年に比べて少ない気がする。
(この冬がとてつもなく暖冬である
ことも手伝っているが、
みなが、人ごみに行くのを差し控えたり
いつもより、手を洗うなど、
気を付けているからではないか)
あまり、過剰に反応しない様に
してください。
それが社会にとって、一番です。
(とはいいながら、なんだが自分も
いつもより、街に出ていない気がするが)
ちなみに
よく、私は、血液型がOOだから
風邪をひきにくいとか
いままで一度もインフルエンザに
かかったことがないとかいう
人がいるが
あまり、あてにしない様に。
以前、ヨーロッパにO型が多いのは
昔、ペストや腸チフスが流行って
A型の人が弱くて多く死んで
日本ではそれほどはやらなかったから
A型の人が多いなどと、まこと
しやかに話されていたが
全くの迷信です。
血液型でいろいろいう方もいますが
(医学論文もいくつかあるが)
これもあまり、あてにしない様に
病気を貰うときはもらう。
とにかくいろいろ病気が流行ったら
一番にやられるのは医療関係者です。
(医療関係者も人ですから)
あと、日本の医療が優れているから
大丈夫と思っている人もいるかもしれせんが
決してそれはありません。
国民皆保険制度が優れているのであって
決して日本の医療は優れていませんから。
これまたあてにしない様に。
先週もいいましたが、
よく食って、よく寝るのが一番です。
追伸
私を知っている人はその風貌をみて
この人は病気にかからないと思っている人
が多々いますが、
基本的に私は感染症なんかには非常に
弱い人ですから、
風貌で勝手に決めるな!!
コロナウイルス大変だ!
私は、感染症が専門ではないので
なんとも言えないが、
おそらく中国では何十万人規模で
広がっているし、
日本でも何千人単位で広がっている
のではないかな。。。。。。
病気自体の重症度は、新型インフルエンザ
ぐらい???
おそらく、抑え込むことは不可能。
それより、パニックの方が怖い?
もう、世間からマスクが消えてしまった。
群衆心理と、利己主義
の恐怖を感じる。
私の世代なら70年代の
オイルショックの時の
トイレットペーパー騒ぎを思い出してしまう。
(1973年に第4次中東戦争で石油供給が低下
することと、トイレットペーパーが不足するという
ことが、どういうわけか、結びついて
世の中からトイレットペーパーがなくなった)
言わしてもらうと、
マスクの効果なんて、いかほどあるか
わからない。防御の意味より
感染している人がつけてくれないと。。。。
(ちなみに、うがいはほとんど効果ありませんよ!
特にイソジンなんかでうがいすると
逆効果になりますよ!)
(うがいをするなら5分おきにしなければ
効果がないと言われているし、
イソジンは、口の中のいい常在菌まで
死滅させてしまうおそれがあるので
逆に感染しやすくなってしまう
おそれがある)
ウイルスは皆が想像している以上に
小さなものです。
網を擦りぬける小魚のようなものです。
マスクは使い方次第で、
余計感染の危険性をましてしまいます
一番は、
こまめなアルコールによる
手洗いの方がいいと思います。
(手が荒れるけど)
また、気になるのは
特効薬や、ワクチンがすぐできると
いう期待。
ハリウッド映画は楽天主義だから
アウトブレイクの映画の様にすぐ
特効薬やワクチンは、できない
あれは、映画の中だけのことで、、、、
もしできたとしても
半年以上かかるし、
それから大量に製造するのに1年
それも、製造時点で効くがとうかの
保障はない。(少なくとの日本では)
私は、野生児なので、
どうも、体調が悪い時は、
自分で体調が悪いと感じる前に
異常に食べだして
異常に寝始める。
カルチャーショックイン坂出 その3
8. 坂出で“かまど”は公式なお菓子
患者さんが、時々、いろいろな場面で
お菓子をもってきていただけるのは
坂出では圧倒的に“かまど”のお菓子が多い。
高松でも時々“かまど”をいただくことはあるのだが、
坂出では“かまど”公式なお菓子の象徴
となっている。
つまり、“かまど”を持ってゆくことで
どういう場面でも失礼がない。。。
という感じである。
地元という面と
他に店がすくない???(失礼)
9. 三越最強説
三越、最強説。大体、田舎の香川県には
三越しかデパートがないのだが、
もっとも、坂出だけではなく
高松でもそういう傾向はあるのだが、
三越の包装紙に包まれているものは
高級品というわけのわからない
伝説に近い感覚がある。
それが坂出ではより強い。
決して高いものでもないのに、
三越の包装紙につつまれていれば
勝手に高級品とおもってくれる。
昔、自分の子供が小さい時、
“同じもので、三越で買ったものと
コープでかったものだったらどちらがいい?”
と聞くと、“三越”と迷わず答えていた。
だから、坂出の人に物を買って持ってゆく時は
極力三越で買うことにしている。
10.駅前のサティーは高齢者のたまり場?
あまり行くこともないのだが、
駅前のイオンに行くと
(高松でいえばゆめタウン?)
まばらな店舗に、
広場のベンチには
高齢者がたまっている
(たまたま?)
一般的にこういうところは
若い輩がたまっているのだが
高齢者の輩?が集まっている。
と、おもいついたカルチャーショックを10個ほど列記してみました。
私の子供のころは、香川県第3の街で、
川崎重工も景気がよかって
にぎやかだったのだけれども、
丸亀ともどももう見る影がなくなってきている。
(実は、高松の人間は、五色台より西のことを
あまり知らなかった)
これが香川県の、言い換えれば地方の現実なので
あろうが、、、、、、、
介護保険も坂出は、他の地域に比べて
厳しい。それだけ財政が厳しいの
であろうが、
職員となにか夜食べに行こうとしても
坂出には飲食店がすくなく、
つい、宇多津や丸亀まで出かけることに
なってしまう。
これでは、坂出に税金が落ちない。
私も含め、病院や介護施設の職員は、
特に若い人は坂出市以外の人間がおおい。
患者さんをみていても若い人は
逆に、職場が坂出以外の人が多い。
人口は、どんどん減少している
しかし、私も坂出に縁ができた限りは
少しでも坂出の復興に役に立ちたいと
本当におもうのです。
注:これらは、決して坂出を卑下したものではありません。あしからず。
カルチャーショックイン坂出2
前回の続きで、箇条書きの4から
4.道路の表示が不親切
坂出在住の人間にはなんとも感じないだろうが
道路標識が不親切。
坂出から宇多津に行くのにみんなは
何も思わないかもしれないが、
慣れてない人間にとってあの道路は恐怖。
先ず、坂出グランドホテル辺りをはしっていたら、
気が付いたら高速に乗りそうになる。
(高速の表示が遅い)
その難関を超えてゆっくり左にまがったら、
またどの路線にはいっていいか全くわからない。
(指示がない)
私は、3度ほど瀬戸大橋の下にいってしまった。
極めつけは、コメリをでて
坂出インターにのって高松方面に帰ろうとおもったら
坂出北インターの周囲を2周した。
(坂出インターへの表示がおかしい)
やっと坂出インター周辺にたどりついたら
19号線から11号線に曲がるところがわかりにくい
そこで、また通りすぎてしまった。。。。
それからというもの、
坂出から高速に乗ることがない。
5. 高齢社会
上里医院では、施設上特に高齢者の患者さんが多い
とは言え、それを差し引いても
患者さんの平均年齢が高い。
私は抗凝固剤を上里先生が使用していた
〇〇だけしか出していなかったのだが、
その○○の会社の人から、
“先生、ほかの会社の薬に変えたのですか”
と聞かれたことがある。
自分は、特に他の薬を出した覚えがなかったので
、どうしてそんなことを聞くのか聞いたら、
最近、薬の出が減っているというのである。
不思議だったのだが、
よく考えれば服用している方が
自然減していることに気が付いた。
そういえば、診ている患者さんが、
1年間で何人もなくなっているのだ。
上里医院の師長は、
前の病院から一緒にきている師長なのだが、
ある日、
80歳の患者さんがきて、“まだ若い”
と言ったことにびっくりした。
前の病院では、
超高齢者に入る部類であったから。
6、雨の日
上里医院にくる患者さんは、農家の方が多い。
そうなると患者さんの出足が読めない。
いままで、結構田舎でも、
雨の日は患者さんがやや少ない
傾向にあったのだが、
農繁期の上里医院では、
雨の日の方が患者さんが多い。
つまり、雨の日の方が、
仕事にならないから病院に
くる方が多いのである。
7.点滴神話
どこにいっても、点滴と抗生剤はよく
求められる医療行為であるが、
坂出はそれが激しい。
なにかにつけ、点滴をしてくれと言ってくる。
坂出に来てから初めの内は
“点滴にはほとんど栄養がない”とか、
“水であるから脱水しか効果がない”
ということをいちいち説明していたのだが
これまた、最近はいちいち言うのがめんどくさくなって
激減していた点滴が徐々に増えてきているのも事実。
気は心、一部の患者さんにとっては、
他のなにの薬より効果があることも確か。
それに加えてビタミン剤神話もあり、
よく入れてくれといわれる。
これも最初は“普通に食べていたら十分”とか、
“ビタミン剤を入れてもほとんど尿に出る”とか、
“保険がきかない”とかいろいろ説明していたが
、ある日、ひょんなことで、
ビタメジンを点滴の中にいれて、
しゃべらなくなって、食べさせるにも口もあけない
高齢者に投与すると、
それから元気を取り戻し、
口を開けて食べる様になった人がいた。。
計算上十分ビタミンは経口ではいっていたし、
水溶性ビタミンが経静脈的にしが、
吸収しないわけがない。。。。。
しかるに、これに気をよくして
何症例か試してみたら半分ぐらいの人に
確かに効果がある。
これらのことを考えると昔、
保険が甘かった時に点滴にビタミン剤を
投与していたのは意外にも
日本人を元気にしていたのかも
しれないと思ったりして。
To be continue
カルチャーショックイン坂出
坂出医師会誌への投稿の依頼があり、
坂出に来てからの感想などを書いてくれと
言われて、この5年間の感想について書いたので
今回は、手抜きで、それを
ブログにしました。
(坂出以外の人には少しわかりにくいかも)
坂出の上里医院にお世話になって
もう5年となります。
この5年間は、毎日がいろいろ
カルチャーショックの連続でもありました。
今回はその一旦を、箇条書きで書いてみました。
高松で生まれ、九州で長く過ごした私にとって、
坂出はほとんどなじみのない街で
それだけになにもかもが珍しい?
ものであり、カルチャーショックの連続でも
ありました。
医者としても九州の各地で診療もして、
東京から、マムシ噛傷が頻繁にやってくる
田舎まで勤めていましたが、
坂出にはまた独特の雰囲気があります。
1. 道路がせまい
先ず、上里医院に勤める前に
坂出を一周したのだが、
道路が狭いことに驚いた。
家に看取りに行ったり、在宅も
ちょこちょこする様になったが、
なんと車で行くことにストレスがかかる街か!
空襲がなかったためかとは思うが、
狭い上に曲がりくねっているではないが、
いくら軽4で行くといえども
車1台がギリギリの道がいっぱいある。
どうかすればミラーを倒して
走行しなければならない。
介護施設の送迎の仕事だけはしたくない。。。。。。
というのが本音。
2. 建物が古い
坂出にきたころは、丁度
建築バブルというほど高松では
新しい建物が建っていたが、坂出にくると
駅周辺こそ少し新しいマンションが
たってはいるが、
街並みのたたずまいがなんとも昭和。
建て替え前の市立病院とマルチン病院
にいたっては、言語道断。
まだ、こんな古い病院があったのかという印象。。。。。。
廊下を歩いていたら摘出標本が出てきそうな
たたずまいであった。
3. 道が古くて暗い。
私は、一時、自転車で高松からきていた
時期があったのだが、自転車の通る場所は
道でも左の端っこで、
国分寺を超えると自転車のハンドルが
がたがたととられる。それぐらい
路肩に近い部分は舗装が痛んでいる。
その上、秋や春先は、来る時、帰る時は
ライトをつけないと暗い。
自転車のライトなぞ知れたもので、
タイヤの通過する部分はライトだけではなかなか
確認できないのだが、
これも、国分寺をこえたところから、
なにも見えなくなってしまう。
極めつけは、夜。特に雨の夜の浜街道
講演会に丸亀に行って、高松に帰るとなると、
まあ浜街道が暗くて白線は薄いは、
雨で道路はひかるは、
道路ががたがたでわだちに
水がたまっていて、
トラックの横を通るときは前が見えなくなる
ぐらい水を飛ばしてくれるはと、
なんとも恐怖の道か。
雨の夜の浜街道は死のロードといっておこう。
To be continue
還暦
今年は、鼠年、
年男です。
よく考えれば、還暦、
昔風に、数えで言えば、1月1日より還暦です。
赤いちゃんちゃんこです。
私だけではないと思うが、自分の
年に、
気づいていない!
自分が子供のころといえば、
定年は55歳で、還暦のちゃんちゃんこを
着るのは結構なジジイと思っていた。
この2カ月ほどインフルエンザの接種をしていたが
自分の年齢に近い人を見ると
“えー、俺、こんなに老けているんだ”
“この人、おれより若いの?”
って思うことがしばしばだった。
(自分の年を忘れている証拠)
そういえば、自分のおやじが60歳のころ、
かなり高齢に見えて(自分がおやじが42歳ごろ
の子なので、18~9歳のころだったから
よけいに)、大丈夫かな、、、おやじが死んだら
大学の学費、生活費は、どうしようなんて
おもっていた。
一緒にずっといればあまり、わからないが、
県外の大学にいったり、県外に働きにいって
時々帰ってくることがあった人ならわかるだろうが、
親が還暦をこすと、
この時期、、年末年始に家に帰ってきたりすると、
その度に自分の親が年をとったと
感じたものだった。
見た目だけではなく、
ほんのちょっとしたこと、
たとえば、風呂の掃除が以前より甘くなっていること
に気づいたり、以前より食後によく寝ているのを見たり
以前よりもの覚えが悪くなったり、耳の聞こえが
悪くなったりとかで、
娘からすると
自分もそう見えているなんだろうと思うと
とても悲しくなってきた。
還暦は昔の習慣であるから、
還暦祝いの風習ができたころはおそらく
世の中の平均年齢が50歳以下の状態で
あったころで、いまでいうと
90歳ぐらいのお祝いといったところだろうか
と自分をなぐさめながら
ま、今の年齢を自覚して
今年は生きてゆこーっと。
と思う年始であった。
毎年毎年、年末気分がなくなってしまう。
毎年、毎年、年末であるという
雰囲気が薄らいでゆく。
これが、これが最近は、本当に加速している
感じがする。
専ら、これは、自分の年のためと思っていたが、
そうでもない様に感じてきた。
昨日が、今年最後の診療日になったのだが、
なんだか普通の土曜日の様な気がした。
一つは、気候。
今年は、特に暖かい。
昔、子供のころ冬の自由研究が宿題で
あったころがあったが、氷を作って、
その厚さを計った覚えがある。
また、クリスマスイブに雪がふった
記憶もあり、年末の商店街へは手袋をはめて
いった記憶もある。
商店街といえば、当時は、この時期になると
年末大売り出しの旗が町中にあふれていた。
小さな商店は、どんどんなくなり、
個々に大売り出しの旗を出すこともなくなったし、
そもそも、大売り出しは、年中あっている。
クリスマスイブにはサンタの恰好をした
売り子がうろうろして、
ケーキが店の前に山積みになり、
なにか、にぎやかであったが、
それもない。最近の町のクリスマスツリーも
どこかひっそりと飾っている。
また、昔は、年始は、結構店が閉まっていたが、
最近は、いろいろな店が元旦がからあいてる。
(予備校のころ冬休みに寮が閉まって、ホテル
に宿泊して正月三が日は、食べ物屋さん、スーパーは
閉まっていて、コンビニはまだ存在せず、
困った覚えがる。)
夜は夜で、
忘年会で酔った人が町にあふれていたが、
最近の若者は、会社の忘年会などの、大きな忘年会を
望まずそれ自体が縮小してる。
年賀状、お歳暮もどんどん縮小している。
個々の個人主義的傾向が強まって、
最近は、クリスマスや年末の飲み会なども
少人数で家でする傾向にあるようだ。
個人的にいえば、
病院では取引業者の挨拶が以前より減り、
以前いったように薬屋さんは、
カレンダーさえ持ってくることもない。
紅白は視聴率が落ち、これを家族で見ることもないし、
毎年こうれいの
スターかくし芸大会のテレビもない。
特番のドラマや放送は、年中やっている。
チャンネルは増え、
個々の視聴率は落ち、
テレビを見る人口さえスマホが押されて
減少している。
もちろん、晴れ着で正月にうろうろする人
も減少し、正月だからといって、
着飾ることも昔ほどない。
また、今年は、5月と8月に長い連休があった
ことも、拍車をかけたにちがいない。
これも時代といえば時代なのだろし、
無駄がなく、便利になったといえば
そうなのだろうが、
無駄がなくなったことで
風情(ふぜい)が無くなっていることも
たしかである。
人生風情がなくなると
面白くなくなるのではあるまいか。
なにはともかく、
今年も皆様、いろいろありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
年賀状
今年も年賀状を必死で書いているが。。。
最近の、若い人は年賀状を書かない様で
。。。。。。
若い人はメールでやり取りする様だが、
それは、それで合理的だとは思う。
私は、毎年、徐々に年賀状が増えてしまう
人で、今は、160枚ぐらい
年賀状が来る人には必ず返すから
増えてしまう。
もう、何十年もあってない人にも
ずっと書いている状態で、
それはそれで面倒なのだけれども
何十年もあってない、同窓生とか
同級生、なんかを一年に一回思い出すのも
わるくないとおもっている。
おそらくメールのやり取りでは
そんな何十年も会ってない人とは
やり取りしないんじゃないかと思うのだが、
職場をやめた人や、以前の職場の人間でも
やり取りしている人もいる。
職場で、外交儀礼で、年賀状を出している
人は、すぐに消滅する。
カッコつけているみたいだけど
職場での人間関係でも、人と人の付き合い
と思ってやっている自分としては
それはそれで、なんだか寂しいし、
と、いうか、。。。。
おそらく、人と人との付き合いと
思っている人は、つづけて
年賀状を出してくれているのでは
ないかなと
勝手に思っている次第で。。
そうやって、付き合っていた人は
患者さんでもずっと年賀状がやってくる。
(扱っていた疾患が疾患で、高齢の方
が多かったので残念ながら、減ってしまうが)
人と人との出会いは
一期一会。
人生、過去に囚われずに明日を生きてい
行くと言うのもカッコイイかもしれないが、
人間は、過去を背負って生きている
社会性の動物。
会ってない、人を思いだし、
1年に一回は過去を憂うるのも
必要な様な気がする。
若い人達は、人と人と付き合いが
なんか希薄な気がする。
特に横との繋がりはいいのかもしれないが
上下との付き合いが希薄というか
下手というか、大事にしていない
様なきがする。
さっき述べた様に人間は、
社会性の強い動物。
この社会性がどんどん失われてゆく
寂しさが、近年の年賀状の減少傾向に
出ている様な気がする。
どうしてもう復帰の話?
沢尻エリカが麻薬の使用で
逮捕されて、
もう復帰の話が出ているようだが、
あまり、感心もないので、
よく、みてもいないが、
芸能界というのは、こう言う犯罪には
甘い世界の様だ。
杉村太臓がある番組で
復帰を許すのはおかしいといったら
芸能界や、いろんな人間から
叩かれたようだが、
芸能界とか、表の華やかな世界というのは
どうも麻薬づけになっているのか
麻薬を完全否定でもしようものなら
こう言う世界は大変になるのだろう。
杉村太臓はまだ、芸能界に犯されていないの
かもしれないとおもうのである。
われわれ医療の世界は、
麻薬を使用すれば、もちろん
永久追放、免許取り上げである。
一生復帰は不可能である。
他の一般社会でも然りである。
芸能界は、影の一つで、
こういうことには、甘い世界であると
つくづく思う。
それだけ、麻薬に寛容な世界なのは、
それだけ、麻薬づけになっている
世界なのだなと思うわけである。
麻薬を常習している人は、なれていれば
一目でわかる。
周囲が気づかなかったと
驚きのコメントを出すが、そんな
わけがない。
厚生したらチャンスを与えるべきと言う
声が多いが、麻薬は
一度やるとこれを切ることは難しい。
ご存知の様に再犯が非常におおい。
まことしやかに
昔、禁酒政策をとったアメリカで
犯罪が多発したことをうけて
麻薬を解禁すべきととう
私の出身大学の付属高校出身の
起業家がいるが、
麻薬によって、どれだけの人間が
死に、大変な世界になるか。。。。
アルコールでさえも、どれだけの善良な市民がきずつき
また、その中毒でどれだけの人間が医療費を使い
死んでいっているのか。
タバコの規制では、そんな話がでないのはなぜか
大麻をしたくてしたくてたまらないで、
捕まってもなお大麻の使用の正当性、
を声だかに歌っている元芸能人もいるが、
医療用に大麻の必要性はない。
私は、終末期医療に携わって来た人間だが
大麻の必要性を感じたことは
全くない。
やはり、もう一度やりたくてたまらないのである。
外国で、容認している国の話がよくでているが、
現在、外国の医療現場では、麻薬の医療での使用が
甘くなったことによる弊害が多くでてきて
大問題になってきている。
麻薬を容認している国は
こんなにいい状態だという報道があるが
本当か???
麻薬を容認すれば、南米の麻薬組織はなくなるのか
とてもそうは思えない。
人間は、単なる動物である。
一度快楽を覚えれば、やめられない
動物に快楽を与えると死ぬまでする。
動物である人間もおなじ。
それを使用したら、もうそれを忘れることはできない。
そもそも根本的なことが忘れられている。
薬を容認すれば、この人間という動物社会の
社会性がまた一つ失われる。
それでいいのだろうか。
やはり、人間は単なる動物の一つ
なのだと感じさせるニュース
だと思うのである。
クリスマスが近づいてくるとどこかから
山下達郎のクリスマスイブの音楽が聞こえてくる。
山下達郎のクリスマスイブといえば
私の世代から少し、若い世代は
JR東海のコマーシャルを思い出す
人もいるのではないだろうか
a.jpg
この牧瀬里穂のコマーシャルは、実は
第2弾で、第1弾は真っ白な顔の深津絵里
b.jpg
1988年から1992年にかけて
5作あった。
c.jpg
d.jpg
e.jpg
Youtubeでさがせばすぐ見つかり
とても懐かしい。
今見てもとても新鮮で、素晴らしい。
珍しく、コマーシャルとしては
毎年、この時期だけのシリーズ化された
人気のCMだった。
しかし、1992年で終了する。
それは、なにを意味するか。
それは、バブルの崩壊の時期と一致する。
当時は、みんな、若者でも着飾り
お金をかけて、いろいろなことをする
クリスマスイブは、若者の日であった。
そんな時代を象徴するCMであり
バブルの終焉とともに
このCMも時代に合わなくなり
終わってしまう。
宗教も違う日本人の若者が
クリスマスの意味もよくわからず
過ごしていた当時のクリスマスイブは
今おもえば、若者が輝き、
日本が輝いていた時代かもしれない。
バブルの崩壊とともに若者の夢も消え
日本の夢さえ消えたようなきもする。
日本が苦難の時代を迎えるとともに
中年に突入していったおじさんは、
この時期になると
このCMを思い出し、
そのCMとともに生きた
バブルの時代の
自分を思い出すのである。
昔、ジーンハックマンの映画で盗聴という映画が
あった。
詳細は割愛するが、
大筋は、盗聴を専門とする探偵が、最後には
自分が盗聴されているのではないかという
猜疑心にかかって、ノイローゼになるという映画であった。
話は変わるが、以前、勤めていた病院で、新しい経営陣が、
1人の人間を辞めさせたいために、
その部下の若い人間2人に、何か変な行動をすれば
すぐ経営側に密告するようにさせていた。
私は、その若い2人に密告しない様にいっていたが、
結局、いろいろ報告して、標的の人間を辞めさせた。
(私は、対象の人間を辞めさせたくないために
忠告していたのではなく、その若い2人のために
忠告していたのだが、。。。。。。)
先週まで、
薬屋さんのセールスをする人たちが、
接待が厳しく制限されているのから、
かたや、ボールぺんやカレンダーまで
厳しく制限され、
喋る内容さえ制限されているという話を
していたが、ここまで、厳しくなったのも
密告の世界が出来上がったのである。
もし、規則を守らない様なことが、他社に密告されて
発覚したら、大変なことになるためである。
若い人たちが中心にそうしている、
そうさせられている様だが、
その行為は、結局のところ、
薬屋さんのセールス(MRという)の人たちの
存在価値をさげてしまい、
結局のところMRさんの数は
急速に減少(会社側から削減)されているのである。
いまの社会、パワハラ、○○ハラ、、、いろいろ
ハラスメントを密告する世界が
広がっている。
もちろん過度なものは排除する必要性が
あるのだが、
その行き過ぎが目に余る様になってきている
様な気がする。
学校で子供たちが、教師が手が出せないこと
をいいことに挑発する行為がよくある様だが、
そんな子供たちが社会にでて、
おなじ様なことをハラスメントを盾に
しているいまの社会が出来上がろうとしている。
年をとり、いろいろな経験をしてくると、
そういう行き過ぎは、
まわり回って自分に帰ってくることを
知っている。
昔の共産圏、戦前の日本は、密告社会であった
ことはご存知とおもうが、
さぞ息苦しい世界であったにちがいない。
その昔の共産圏、戦前の日本が
どういう道をたどったか
歴史が示している通りである。
少し、方向性が変わるが、
いま、桜の会とかなんとかいう首相主催の会が
槍玉に挙がっているが、
これもある種の密告社会の現象の一つの様なきがする。
戦前の日本の逆で、国民が
密告で、政府を追求する。。。
昔と逆の構造である。
もちろんとても良いことをやっている
とは決して思えないが
そのそのやり過ぎはいかがなものか
シュレッダーにかけたの云々
そこまで行くと攻撃側も防御側も
国民の目からみれば、いかにも滑稽
(もっと政権を倒したいのであれば
そんなことはマスコミにまかせて、ほろび行く
日本を立て直す様な最重要事項の政策で
対抗していただきたい)
いま、個人の情報がすぐ、ネットで飛び交う
社会になったが、密告社会、それもデマの
密告社会が形成されそうで、
こわい。
労働時間まで厳しく制限されて
したいこと、したい仕事さえ制限される。
なにかいまの社会、そうやって
自分で自分の首をしめて
息苦しくしてないか。
もう少し遊びがある世界が
必要なのではないか
って、真面目に考えてみたりして。
前回のつづきで一言
製薬会社の接待は、
1、 倫理的な理由
2、 製薬会社の経営の理由
3、 厚生省の役人の医者に圧力
4.外資系企業の進出
5.他いろいろ
(いろいろあって、
いろいろさしさわりが多い
ことなので詳細は割愛)
まあ、一つだけ、言えるのは、末端の開業医には
ほとんどなにもなくなっている。
ただ、日本の社会の風習としての
年末の挨拶としてのカレンダーや
年始の挨拶としてのタオルまで
制限したのでは、味も素っ気もなくなってしまった。
これはやり過ぎだろう。。。
実は、最近はひましにこの状態が厳しくなって
病院で話す内容さえ制限されているのである。
いまでは、自社の製品の内容のみしか
しゃべってはいけない状態になってしまった。
(正直いうと、製薬会社の訪問に薬の製品の
内容を求めているわけではない。
製品の内容は、読めばわかるし、
訪問にきて自社の製品を悪くいう奴はいない。
ここがいいという話をきいて鵜呑みにする
するほど医者もうぶではない。)
まがりなりにもしゃべっている人間より
専門家なのであるから。
じゃ、なにが必要なのか、
開業でひとりいると周囲の医療環境から
隔絶してしまっているので、現在の医療社会の
情報が欲しいだけだといっても過言ではない。
おおきな病院にいると自然に
いろいろな話が耳にはいってくる。
しかし、開業で、ひとりでいると
そういうわけにはいかない。
現在の医療業界の状況、しいては
周辺の医療機関の状態を知りたいのである。
つまり、いろいろな裏話が知りたいのである。
訪問して来た会社の人達と打ち解け会える様
になったら、やっと
お互いギブ アンド テイクで
いろいろな裏話をするのである。
会社側もそれで、いまの個々のニーズ
や情報を得てマーケティングにもちいて
いたのである。
(もちろん、薬は会社別にほとんど
おなじ作用、効果の薬があるから
そうすれば、
その会社の薬を使うことになるのだが)
例えば、昔〇〇製薬という会社があったが、
どうも、うさん臭い会社であったが、
その情報はいろいろな方面から情報として
得ていたのであるが、薬の内容を病院側で
こっそり調べたら、やはり内容に不整が見つかった。
結局その会社は、いろいろ発覚して、
消滅したのだが、
同じ様にその製薬会社がどういう会社で
商売のみの会社なのか否かを判断したり
また、○○病院の裏情報など、耳に入れ、
大事な自分の患者を紹介するか否かを
決めている。
そんな、情報が入りにくくなっているのである。
そして、薬の内容しか話すことが出来なくなった
MRという職業は、今、消滅の危機にあるのである。
(それだけなら、紙ベース、ネットベースで
十分)
しかし、私が言いたいことは、
他にある。
次回につづく
遊びのない世の中
皆さんも、病院では、そこら中に
ボールペンが転がっているのを見るだろう。
これは、ほとんど薬屋さんがくれた
ボールペンで、
医者になってから、ボールペンを
買うことなど考えられないことだった。
それが、今、様変わりしている。
ボールペンには薬の製品の名前が
入っているのだが、
これが、今禁止されてしまったのだ。
(会社名だけのボールペンは
かろうじて許されている。)
当院の診察室に入った人は、わかるだろうが、
診察室のかべに薬の名前が入った
マグネットがベタベタ張っている。
もちろんこれも、もう作られてはいない。
結局、販促品(販売促進品)が小物でも
禁止されたのだ。
また、よく見てみたらわかると思うが、
以前、病院には製薬会社のカレンダーが
いろいろかかっていたのだが、
今はこれがない。
こんなこまごましたことまで、
今は、規制されている。
もともと
製薬会社といえば、医者への接待が
その昔はすごかった時期があった。
(私自身、それはあまりいいこととはおもっていなかったが)
全盛期は、毎晩、繁華街で
製薬会社と医者との
会食が行われていた時期がある。
(この会食が禁止されて
繁華街は一気に不景気になったぐらい)
はたまた、新薬の宣伝に大々的に
大きい会を大都市(どうかしたら観光
ついでで沖縄で)開催して、
招待した者たちの旅費、宿泊代まで
全て製薬会社がもっていた。
(莫大な費用が掛かっていたはず)
医療と製薬会社との癒着を問題視され、
さらには、外資系の製薬会社を中心に
日本的な習わしを良しと思わない風潮と、
製薬会社の経営がだんだん苦しくなってきて
いったことなど、いろいろあって、
いまや、ボールペン一つにまで
制限されている。
(これだけでも、小物うや、カレンダーなど
をつくっていた会社は影響をかなり
受けたんじゃないかな)
つまり、接待は、それだけで、かなり
日本経済を活性化させていたのである。
個人的な意見としては、
接待がなくなるのは、別になにも思わないが、
ボールペンなどの小物まで制限するのは
やり過ぎとおもっている。
(ボールペンや、カレンダーで、
薬の使い方が変わるわけがない)
綺麗ごとをいってもうしわけないが、
私は、飲まないこともあって、あまり飲食を
製薬会社としなかった方で、
昔は上司に連れてられてついていったが。
自分が上になると、
基本、行かなかったが、自分がいいとおもって
使い込んでいる薬の薬屋さんに
どうしてもと頼まれたりしたら行くぐらいだった。
(自分からせびる、やから、も
いるようだが)
どんどん、いろんなことが
縮小されてきて、
いまは、行き過ぎの徴候がすごい。
なにが行き過ぎなのかは、次回。
(どの業界もいっしょだが、
医療業界にももっともっと
闇の部分がある。がもうここまで)
ストレス、ストレス、ストレス
最近、患者さんのお孫さんが
体調の不良でいろいろな病院に行き
ストレス性の胃腸炎の
診断を受けて、いろいろ薬を
もらっても良くならないので
診てくれないかと言われて、
“おれは、そういう精神的なものは
苦手ですよ“と言ったのだが
来院した。
中学3年生で受験を中心に
ストレスがあって、胃腸の調子が
悪い様子であった。
いろいろ話を聞いて、
自分の体験談を話して、
胃腸の調子と友達になれ
風な話をして薬を少しだしたら
どうも調子よくなって、
不登校気味なのもなくなってしまった
様だ。
“名医”。。。。。。。。。
なんちゃって。。。。。。。
私は、どうも、外見から?
ストレスとは遠い人間に見られがちで
そんな人間もストレスと
戦っているといることを聞いて
勇気が出た?風だった。
大体、周囲の人間もそんな小さいことで
ストレスを感じるなんてと
おもって、いろいろ言っていた節がある。
ストレスはどんなに小さくても
その人間にとって100%のものであるから
例えば10ぐらいのストレスと
5ぐらいと2ぐらいのストレスを
もっていたら
そのストレスは17ではなく
全部で100%になり
10と5のストレスがなくなってしまっても
2のストレスがその人には
100%のストレスになる。
それが私の考え。
いまになったら、子供のころ
小さなことに悩んでいたことを
思い出すが、
そのときは100%のストレスなのであったのだ。
だから、他人が小さなことを
悩んでいても、
そんなことぐらいで悩むなんてと
思わないで、
その人にとっては100%のストレス
であることを認識するのが
いいと思う。
なんて偉そうなことを
言っちゃった。。。。。
ちなみに、私の外見を見て
ストレスなんか吹っ飛ばして
生きている風にみんなおもっている
かもしれないが。
俺も1人部屋の中でいるときは
泣いているんだよ!!!!
今日は、少し変な人の話で、
10月の30日は、ハロインで、
病院のナースが、いつも面白がって、
私の小さな部屋を飾り付けする。
今年は、いろいろな飾り付けの中に
コーモリの風船にヘリウムガスをいれて
病院の中でふわふわ浮かせて遊んでいた。
それが、病院からデイサービスの中を
すっとんきょうな顔をして生き物の様にふわふわ
漂って、ぐるぐる回っていた。
まるで、生き物の様で、
一日のきつい仕事のなかで、
ずいぶん癒されていた。
11月2日の朝も病院の中で浮かしていたら
1~2分目を放していたら
行方不明になり、気が付いたら
空を飛んでいた。
本当に偶然に、自動ドアの前に漂い
それから空に旅立ってしまったのだ。
自由になりたかったのか、
気持ちよさそうに快晴の空をただよって
いたのだ。
人が見たらUFOと思われたかもしれない。
話は、変わるが、
皆さんは、UFOを見たことがあるだろうか。。。
私、以前から話ている様に天文が好きで、
克、飛行機が好きで、
空や雲を見るのが大好きで、
人の10倍以上空を見ている人間である。
それだけに、宇宙船、飛行機、流星
など、さまざまなものを見てきている
それだけみていて、
妙なものを見たのは1回だけでなのである。
たいていのものが、これを見たらみんな
UFOと思うのだろうなと思われるものは
いろいろ見てきた。
妙なものを見た
その一回もプラズマ現象か何かなと、
(気象現象)化学的に思っている
人なのである。
昔から、妙なものに対して科学的に証明しようとする人で、
子供のころから、夜、妙な音がしたら
その音源を調べたり、
(のら猫だったり、いろいろ)
怖さを感じる前にそれが何かという
あるいは、物事には
なにか原因があるという
頭の固い
好奇心が先に立つ人間である。
高校生の時に金縛りにあったら、
絶対に動くはずだと、信念をもって
体を動かしたり、
一番、不思議な体験は、
部屋の中に本の小さな蛍の様な光が
漂い、タンスの後ろに入っていったのをみて
タンスをはじめ、そこら中の家具を
壁から引っぺがして
その光源をしらべたり
(原因不明なまま)
とにかく、好奇心の強い人間である。
生まれてこのかた、病院で
生まれ育ったこともあって、
人生の半分以上を病院で過ごしている
そんなこともあってか、
全く霊感のない、つまらない
好奇心の強い、ちょいと変な
人間にそだってしまったのだ。
(病院でのいろいろ妙な話は
たくさん知っているけれども)
。。。。。。
神や霊は信じないのに
患者さんがなくなったら
お清めに塩を振ったり、
お祈りをしたり
朝一番、上里先生の神棚に
“今日も一日、悪いことがありませんように
病院をお守りください“と
お祈りをしたり
妙な人間なのである。
便利なのかなんなのか
以前から、パソコンで
ネットを見ていると、横に
楽天の商品や、ヤフオクの商品が
出現する。
自動的にそのユーザーが、検索して
興味を持っているものが現れるのだが、、
カメラに興味を持ってネットで調べたら
しばらくいろいろなカメラの商品が
でてくるし、
最近は、ヘッドホンを調べていたら
しばらくヘッドホンの商品がしばらく
でていた。
どうもすれば、医師の求人広告さえ出てくる。
物を調べたい時は確かに便利な様な気もする。
しかし、しかし、しかし、
私、物を買う時、
性格的に、感性で、良いと思ったものを
即決する習慣性があり、
そのくせ、後で、他のものが
良かった様な気がして
うじうじする、しみったれの
性格がある私が、
特に、やや値段が張るものを買う時は
例えば、ジャケットなんかを買ったら
もう、一目散にその場を立ち去り、
他の服や他の店も見ず、帰る。
これが、自分がした買い物が正解と
思わせる。私にとっての最高の仕方!!!
ここ最近、車を買い替える時期になって
結構、迷って車を決めた。
高い買い物である。
半面
車というのは納車されるまで時間が
かかる。うじうじさせられる時間が十分ある。
なのに、ネットでいろいろ調べていた
から、最近ずーと車の宣伝やら何かが、
画面に表示される。
最低!!!
選ぶのにさんざん悩んだのに
選んだあとも、あれやこれやと
悩まされる。
よく考えれば、この商法、
よくできてはいるが、
他人の行動を監視、見透かしている
様で、おじさんには、何か気にかかる
いやな、感じがする、機能である。
そういえば、前、お見合いの
情報が出ていたが、
なんでや!!!!!
丁度、先週台風19号が
関東から東北にかけて、通過した。
超大型の台風で、事前から
気象庁をはじめ、多くの機関が注意を促していた。
通過後、東北地方の被害がまだ、はっきりしていなかった
こともあってか
自民党の大物が “この程度の被害でよかった”という
発言をしてしまった。
これは、大いなる失言であるし、
例え、心の中に思っていても決って
口にしてはいけない言葉である。
案の定、この言葉に野党が食いついた。
実にこれは、東京の首都圏機能を考えると
実際の気持ちであったに違いない。
事前の警告を考えると
首都圏で、大変な数の死者と、地下鉄、新幹線を中心とした
鉄道網の寸断。
地下を中心として発達している都市機能のマヒ
首都圏の大規模停電による産業、民間の大損害
と政治機能のマヒ、それによる、東京、あるいは
日本の災害による弱さの露天と
それによる、日本経済の低下。
などなど、さまざまなことを心配していたのであろう。
実は、それに対して非常に本気で心配していたから
こそでてしまった言葉なのかもしれない。
決して口にしてはいけない言葉ではあるが、
日本全体の経済を思う人間だからこそ
そう思ったのかもしれない。
おそらく、直接被害を受けてない
日本人の8割近い人間が心のなかでそう思ったに違いない。
それが人間のこころの嵯峨といっても
大きな間違いはないと考える。
東北の大震災、熊本の地震、、
少なからず、人間のこころの底には
自分のところではなくてよかったと
思う気持ちがあるに違いない。
もし、自分の家の横にゴルフ場の
鉄骨が倒れてきたら、
自分の家でなくてよかった
という気持ちが、心の片隅ででる
のは間違いないし。
決して自分の家に倒れ込んだらよかった
と思う人間はいないだろう。
この辺に人間の人を思う気持ちの
限界を見るのである。
もし、北朝鮮からミサイルが、
東京や、大阪をめがけて
飛んできて、機動がはずれて
四国におちて、四国が全滅したら
四国以外の日本の国民は
心の底で、
四国に落ちて被害が少なくてよかった。
四国ぐらいの損失でよかった。
(日本全体に及ぼす影響もすくなくてよかった)
と思うに違いない。
お前の行動で世界は変わらない。
連休で、すっかりブロクを亢進するのを
忘れてた。
昨日、ラグビーで日本が
スコットランドを破ったのだが、
先々週のブログで、
ラグビーが以前からすきだった
ことを書いたが、
昨日の試合をほとんど見ていないのである。
最近、としをとったのか
なんなのか、興奮する試合は、
ラグビーでも、サッカーでも野球でも
あまり見ない傾向がある。
ラグビーの試合でも、日本が関係しない
試合は、見るのに、
日本が関係する試合や、
高校野球で言えば香川県の高校が
出ている試合は、ほとんど見ない。
見ていてはらはらドキドキするのが
スポーツ観戦のいいところなのに、、、、、、
昨日も、私が見ているときは、
スコットランドがトライして、、、、
次みたときは、日本が、トライしたのだが、
すぐ、スコットランドがトライしたもの
だから、
私が見ていると負ける、、、
なんておもって、結局後半は、
ほとんど見ていない。
(前回大会の南アフリカ戦は、絶対に
勝てないと思っていたから見ていた。)
元来の負けず嫌いが、講じて
見ないのか、
年をとって興奮するのが、
怖くなったのか。
しかし、私がみてると
負けるから、見ないというのは、
なんとも、自分勝手な考えで、
この試合は、私の行動で、勝負が決まるのか!
この世の中は、私の行動で決まるのか!
あんなに多くの人が、見ていて、
あんなに一所懸命、選手がプレーしているのに
私の行動で勝負がきまるのか!!!
なんて、自分勝手な思いだろう。。。
世間でも○○が見ていたら勝つとか
○○が応援したら勝つとか、
少なからず、あなたも、
○○の試合は、自分が○○していたら
勝つとか、あるはず
まあ、なんて、自分中心のの
考えだろう。
決して、テレビの前の
あなたの行動で、
勝負は決まらないから。
。。。!!!!!
あー今日も終わっちまう。
なんと一日が短いことか。
子供の頃は一日が長かったのに。。。。。。
なんて、みんなが思うことだと思うが、、、、
子供の頃は、学校から帰ってきて
それから友達のところに遊びにいって
夕飯をくって、
まだ時間が余っていた様なきがするのだが、、、
これはどうしてか、
どうしてこんなにも時間が短く感じられる様になったのか。
諸説あるが、私の説も含めて、
1. 一日、特に1年が短く感じるのは
その時間を自分の記憶の中でわるからだと言われている。
例えば、7才の子供は自分の一生は
5才ぐらいから記憶があると考えると
一年は、一生の3分の1
ところが60才の私には1年が
一生の56分の1の出来事でしかないから。
短く感じる。。。という説
2、思考スピードの低下
子供の頃は頭の回転が早く、
今の何倍ものスピートで物事を考えていた。
だから同じ時間でもいろいろな思考が
目まぐるしく頭の中を駆け巡った。という説
(なんだか納得)
3. 行動が遅くなった。
同じことをするにも集中力、行動力が
にぶった。
(これも納得)
4. 体験の新鮮さがない。
子供のころは見ることやることが
新鮮で、新しい。
故に全てが記憶に鮮明に残る。
また、記憶力の差もあり、
1日の出来事の興奮、鮮明度、記憶量
ともに今と比べ物にならない。
(これまた納得)
ま、これらが全てあわさって
一日の長さが短く感じられるのであろうが、
なんとも、悔しいというか、虚しいではないか。
ちなみに、ドッペルゲンガー(今見ている場面が
以前に経験した場面の様な錯覚を起こすこと)
は、なぜおこるかというと。
人は、記憶を平面的にしか覚えられないから
だと言われている。
つまり、今の記憶と昔の記憶の識別は、
その記憶の鮮明度とその記憶の周囲の状況の
風景(出てくる登場人物の年とか、建物の古さとか)
また、自分のそのときの年とかで判断している
と言われている。
だから “ぼーと生きているいると
さっき見た風景が、今さっき見たのに
ずっと前にみたと勘違いしてしまう。
人間は、記憶を再構築して覚えるから
いい様におぼえてしまって
周囲の詳細は覚えていない。
どうかすれば、いいように記憶しまい。
間違った記憶を植え付けていることさえある。
犯罪を犯してもしていないと記憶の
中で再構築する例さえあり、
私はやっていないと記憶のなかで
思っている例もある。
記憶を悪く再構築すると
どんどん欝になってしまう。
昔はよかったと思えるあなたは
幸せかもしれない。。。。。。よ
昨日、ラグビーのワールドカップで
日本がアイルランドに勝利した。
これが、一大ニュースになって流れているが、
この勝利の本当の意味を分かっている人が
いかほどいるのだろう。。。。。と思ってしまう。
(前回大会の南アに勝った衝撃ほどではないが)
私、実をいうと、かくれラグビーファンで、
大学の時もラグビー部に入ろうかと思っていた。
(性格的に接触スポーツは危険と判断したり、
その他いろいろの理由でやめたのだが、、、)
サッカーの時もそうだが、こういうこと
があると熱狂する人が突然増える。。。。。
しかるに、おそらくこれがおわれば
また、ラグビーなど忘れられてしまう。
なんだかな~~~
日本人、??人間??の嵯峨なのであろうか。?
話が変わるけども
日本人?香川県人(田舎者)は、熱狂して冷めやすい。。?
昔、高松のサティーの一階に、シュークリーム屋さんが
できて、毎日、人が並んでいた。。。。。
しかし、半年ほどしたら行列はば無くなり、
1年ほどでなくなってしまった。
ゆめタウンの一階にあるパブロミニしかり、
レインボー通りのいきなりステーキしかり
南新町のメロンパン屋さんしかり、
最近は、特にこのサイクルが早い気がする。
私の家の近くに
マリオンクレープができていて
毎日ならんでいるけどこれもそうなのかなーーー
そういえば、私の世代なら
ボーリングがそう。。。。
中山律子さん。。。。。。
私が小学生から中学生の時に
一大ブームとなり、
ボーリング場は何時間待ちになって
いたるところにボーリング場ができていた。
しかしそのブームもすぐ過ぎ去り、
乱立したボーリング場や拡張工事をした
ボーリング場はすぐ閉鎖になっていった。
予備校や大学時代の福岡にはもうすでに
大きなピンがそのままのスーパーなんか
がいたるところにあった。
私自身がその中にいるのではあるが、
この人間のミーハーな性格は
どうにかならないだろうか。
男の背中
だいぶ前になるが、
ダブルジョバティーという映画をみていて
出演していたトリーミージョーンズの背中
をみていて、男の哀愁を感じた。
トリーミージョーンズといえば、
ボズの缶コーヒーのおっさんである。
どこから見てもカッコ良いとは言えず
映画の中の役も決してカッコイイ役ではなかった
にも関わらずそこに
男くささというか、男の哀愁を感じた。
男くささというのを同表現していいのかは
わからないが、
とにかくカッコイイのである。

そういえば60年代から70年代のトップスターである
スチーブマックイーンは、
どこから見ても2枚目ではないのだが、
男くささ、男が憧れる男くささで
トップスターにのし上がったスターである。

男くささとはとこから出ているのだろうか
トリーミージョーンズは、ボスの宣伝
に変な約ででているが、
実は、バーバード大学で
後のアメリカ大統領になるクリントンの
ルームメイトであった秀才である。
しかし、役どころはその顔つきから悪役が
多かったのだが、その個性的な演技と
背中が見せる哀愁で、いまでは
ハリウッドトップのトップスターの一人になっている。
ちなみにマックイーンはその正反対で、
若いときからやんちゃ坊主で
そのままが背中にあらわれている様な
スターである。
俳優というのは若い時に
2枚目でもてはやされても
何かのオーラがなければ
やがて消えてゆく。
(怒られるかもしれないが
私、木村〇×は2枚目でもてはやされていたが
以前から薄っぺらさしか感じず
なんにも感じなかったが
やはり、
いまやそういう評価しかうけなくなってきている???)
40を超えたら自分の顔に責任を持て
という昔の言葉があるが、
人間くささというか、人間の魅力というのは
どこかそれまで背負ってきたのもが
出てくる様な気がする。
若い特はわからないが
自分が年をとって
いろいろ経験すると
どうしても人間をその内面性で判断するように
なってくる。
私の背中は人にはどう見てているのだろうか。
。。。。。。。。?????
前々回映画のポスターの話をしたが、
ポスターの話で外せないのが
ノーマンロックウェル。
絵を見れば、だれもが見覚えがあるだろう。

ロックウェルの代表的な絵は
週刊誌の表紙の絵として書かれたものが多く
これらの細密な風刺や、世俗を
いれた絵が週に一度書かれていたことを思うと
よほど絵が好きな人に違いない。
(この短いブログを1週間に一度書くのも大変なのに。。。)

プロの画家というのはプライドが高く、
こう言う商業絵師や、有名な芸術学校
を卒業して基礎からしていない人を嫌う。
消して画家とはいわない。
どうして、そうなのかがわからないが
とかくプロというのはプライドが高い。
(美術界、音楽界というのはいまでも東京芸大
を出ないと認められない風潮がある。一つには
売れ筋の人脈というものがおるのだが、
どの世界も東大出が幅をきかせているのと同じである。
才能を才能と認めない世界はいまだに存在する。)
話が横道にそれてしまったけれども
何枚か載せるので
ネットとかで見てみてみて。。。
絵一枚で、小説を
一冊読むぐらいの
物語の中の世界を語り、
誇張された写実の世界
が、写実より写実性を感じさせる。
これを絵画といわなければ
なにものであろう。
同じ値段のイミテーションの
絵がうってあったら
シャガールやゴッホをかうより
ロックウェルを買うのは間違いない。


白衣のこと
いま、私は、白衣ならぬテレビでよく
見かける青い、半袖の上下を来ているのだが、

私が、いつも着ていた白衣は、
白の上下、で上はケーシーそして
ジャケットの白の白衣。


見て、わかる様に以前から服装は、いい加減。。。。
青の上下を着だしたのは、
一度、大きな病院に患者さんを救急車でおくったとき、
当直の医者が着ていた青の服をみて、
これいいな。。。。。とおもって買って、着たら、
楽だったため、(安易!!!!!)
いま、ケーシーを着ないのは
一番、数を持っている白衣であるにも関わらず
上里医院に来てから太ってしまったので、
着れないだけ、、、、、、、、、(なさけない!!!)
なのである。
白衣というものは、服の上に来て、
汚れが目立って、羽織って、それでいて、
医者というものがわかる服装で
普段着の私をみてもだれもが
そこらへんのおっさんとしか思えないのだが、
白衣を着ることで、ありがたいことに
医者と認識してくれる。ありがたい
魔法の服なのである。
昔、大学病院で、医者のふりをして
白衣をきてウロウロして、患者さんの
床頭台(病室の戸棚)からコソ泥する
やからがいたが、
きっと医者より医者らしかったにちがいない。
今のお医者さんは、結構、
着るものに固執しているみたいだが、
医者になった当時
私の服装は、普段着に
踵を潰した運動靴か、つっかけ、
その上に大学から支給された
汚れた、ヨレヨレの白衣を羽織っていただけ、
(だいたい忙し過ぎて、格好なんて気にも
かけていなかった)
ずっとそんなカッコをしていたら、
公立病院に勤めていたとき
その病院の医局長に呼ばれて
ちゃんとしたカッコをしなさい。
と、叱られて。。。。
頭にきて、当時最先端であった。
山本寛斎の上下の白衣(ケーシーで
いまでも売っている)と
ブレザータイプの白衣にしたのだった。
ちなみに、今ブレザータイプの白衣はあまり
流行っていないのだが、一旦ブレザータイプを着ると
裾が以外と邪魔な長い丈の白衣は
着にくいもの。。。。
ま、いずれにしても白衣は、なにがついているか
わからないもので汚い。。。。
痰、よだれ、血、胃液、うん○、なにがついている
かわからない。
医者でも看護師でも
自慢げに白衣を着て外をうろついている奴
をみたら、
(私なんか、素性をかくしたいのに。。。)
遠ざかろう。。。。!!!
映画のポスターと模型の箱絵
私は、映画ファンのひとりであるが、
私の年代の男に違わず、プラモデル好きでもある。
最近は、プラモデルは作る気力もないが、
それでも時々模型を買う。
それも結構昔の模型を探して買うのだが、
つくりもしない模型を買う意味が
私自身も最近までよく分かっていなかった。
ある日、家にある沢山の模型をながめていて
(実は、作ってない模型が200個ほどある)
ふと気がついた。
模型が好きというより模型の箱の絵が
好きなのだ。
子供のころ小遣いをもって模型屋にいって
いろいろ探して買う模型は
その箱の絵を見て魅力的なものをかったものだ。
家にかえっていざ作ろうとすると
箱絵の様な魅力がなくがっかりしたりする。
この箱絵がその模型の売上を左右する
重要なものだったのである。
おどろくなかれ、箱絵を専門にした画家が
おり、有名な人はその画集さえある。
一方、私は、部屋に映画のポスターをいくつか
張っているが、
よく考えると映画のポスターも同じ様なもので
あるような気がする。
今では、レンタル中心になっているが、
その昔は、街のいたるところに
映画のポスターが張っていて、
その魅力的なポスターを見て
映画館に足を運んだものだった。
(ポスターが立派で内容がないものも
いくつもあった。)
ここで、絵を書く事と映画が好きなことと
プラモデルが好きなことの接点に
気がつき、自分なりに密かに
自分自身をなっとくして
ほくそ笑む 馬鹿なじぶんがいた。。。。
また、今後いろいろ紹介してゆこうと
おもうが、代表的なものをいくつか。



ああ太っちまった。
なんとも今、上里医院に来て、
最大に太ってしまった。。。。
糖尿病の患者さんや高血圧の患者さんを
指導するうえで、情けないやら何やら。
人間には基礎代謝という基本的な消費カロリー
があるのだが、これが悲しいことに
年とともに急激に減ってくる。
20前後を境に減ってくる。
もうあと1年で60になる私は
情けないことにこの基礎代謝の
減少が激しい。
20代の時、やせてた人でも
同じ食べ方を30代につづけていれば
どんどん太ってしまうのはそのせいなのである。
そして、今の生活。
上里医院にきてから。
4時30分頃におきて、5時半には家を出て、
家に帰るのが7時半ごろで、
それから夕飯をたべて
11時ごろには疲れはてて寝るものだから
夕飯の接種カロリーを消費する間もなくねて
しまっているのでそれはそれは太りやすい生活をしている。
大体、1kgの体重を減らすのには7000カロリーの
消費がいる。
よく、患者さんが、運動の話をするが、
運動なんて、1時間あるいても300カロリー
位しか消費しない。
つまるところ摂取カロリーをへらさなければ
体重を減らすことなどできないのだ。
しかるに、頑張って摂取カロリーをへらして体重を
減らしたのでは、必ずリバウンドが
やってくる。
人間、頑張るというのは、なにか目標があったり、
なにか、自分なりにご褒美をつくっていて、
達成するとやめてしまうのだから
頑張ればかならずリバウンドはやってくる。
つまり、頑張らない様に体重をへらさなければ
ならないのである。
もし、仮に、いま、体重を維持しているのであれば、
毎日ほんの100カロリー平均で、
へらせば、計算でいけば
70日で1kg体重がへる。
一年で5kg減るのだ。。。
100カロリーなら、ほんの少し。
間食に食べているお菓子を
一つまみやめたり、20分ほど歩けば
いいのである。
なんとかんたんなことではないか。。。。。
。。。。しかるにそれができない。
それが、人間の弱さの本質なのである。
間食を100カロリーやめたら
夕食が200カロリー分増えて、
運動を100カロリーぶんすると
200カロリー食べる量が増える
それが人間の弱いところであり、
かわいいところなのかもしれない。
でも、もう患者さんを指導するのに
これ以上太れない。。。。
今回の台風に思う
今回の台風は、来るかなり前から
気象庁から警戒の会見はあるは、
いつもより大型というは、スピードが
いつもより遅いというは、
大変な前ぶりがあった。
8月15日の日には朝から新幹線はとまるは
四国のJRは始発から止まるは
コトデンはとまるは、
三越はしまるは
あげくの果ては13日の花火大会は
中止になるは、、大変なことになっていた。
ただ蓋を開けて見ると
特に香川県においては四国山脈と讃岐山脈の
おかげで、雨はほとんどふることもなく、
(いつもは雨のふらない四国の瀬戸内側でも
大雨になるという予報)
急速な台風の弱り方のおかげで
風もほとんどふかないし
(春一番の方が断然とよかった)
夜になって高潮警報がけたたましく
携帯電話からなったが、
予想よりはるかに低い状態であった。
今回は、この予報のために病院の周りの飛びそうなもの
倒れそうなものはすべて撤去し、
家では木の枝を切ったり
14日には食料を蓄えたり、
万全の備えで構えていた。
ところが、、、、、
私は、15日の昼にはあまりにも静かなので
傘も持たずに街へでてしまった。
(商店街はほとんどシャッターをしめていて
街をあるく人は半分が旅行中の外国人!!)
8月16日にみんなに合うと
昨日は何もなかって良かったね
といいつつ
みんななにか妙な心境であることを隠せなかった。
今の風潮といえば風潮かもしれない。。。
何かあったら責任問題がすごい。。。。
無理に店でも開いて従業員になにかあってもいけない。
こういう風潮の塊の様な気がする。
以前だったらJRは、お盆のUターンの時期だから
ぎりぎりまで動かして、すこしでも乗客を
はこぶ。
お店は、ぎりぎりまであけて
あるいは頑張って店を守る。
これが以前の姿だったような気がする。
風もほとんどない絶好の花火日和の
13日の夜に家の周りをぞろぞろと
家路につく人々を見るとなにか
かわいそうな気さえした。
(私は毎年見に行かないので静かでよかったのだが)
決して、今の風潮をいけないといっているわけでは
ない。
たしかに、今年の夏は、異常なまでに
熱中症への警戒と対処法を毎日
テレビで流していたためか
熱中症で訪れる人がほとんどいない。
しかし、なにか違和感を感じるのはなぜだろうか
このままでは“おおかみがきた”になりはしないだろうか
と心配になってもしまう。
何度もいうが、
たしかに、なにもなくてよかったのではあるが
なにか変な気持ちになった今回の台風である。
追伸
やっぱり、天気予報をするときは、
四国をひとまとめにするな!!
すくなくとも九州の様に
北と南にわけろ!!!!
四国はお前たちがおもっているより
おおきんじゃ!!!
本日は、なんと私の59回目の誕生日
あと1年で赤いちゃんちゃんこである!!!
なんともはや、こんな年になるとは。。。
50代というのは大変な年代で、
40代までは、段階的に年をとって
いたのだが、、
20代から、年をとっては
しばらくこのままかなーと
おもって、しばらくすぎたら
ある日突然年をとって、
また、しばらくその状態がつづく
感じがしたて、年を取るのは
階段をゆっくり降りてゆく様に
だんだんに落ちてゆくのだと感じていた。
周囲を見れば、野球選手が、28、32、36周辺で
やめてゆく選手がおおく、それを越したら
40歳、43歳だんだんにやめてゆく選手が
おおく、そういうものだと思っていた。
ところが、
50代というのは、一夜明ければ
昨日よりとしをとっているのがわかるのだ。
つまり、日々としをとっているのがわかって
ついつい、生きることに焦ってしまう。
患者さんたちの話を聞いていると
この落ち方が、さらに今後
加速してゆくらしい。
60代になると1時間1時間としを
とるのを感じるのか???????
わかいときは、誕生日が、なんだか
少し嬉しかったのだが、
今は、誕生日ぐらい、それをわすれて
仕事をしていたい。。。
と思っていたら
政府がそれをおもってか
わざわさ
山の日なんぞという
わけのわからん祭日をつくりおって
いい迷惑じゃ!!!!
先、先、先週のつづきで、
よく見た古い昭和のテレビで
学園ものがある。
意外と、みていた。
若干古い話だが、
高校学園ものというのは高校生活の憧れがあるのか
中学校までで見なくなってしまった。。。。。。
一番よく見たのは
飛び出せ青春

青い三角定規の太陽がくれた季節がヒットした
“きみはなにお今、みつめているの~~♫”

主役は村野武範で相手役が酒井和歌子

常連の校長役の有島一郎

へんな教頭の穂積隆信、太鼓持ちの様な教師の 柳生博


何年たっても生徒役で出ている
剛達人、穂積ぺぺ、頭師佳孝



(お前ら何年留年するんじゃ!)
たわいもない物語が当時小学生の私には高校生活の
あこがれになったものだ。
そしてどういうわけか森田健作の出ていた
学園ものは見ていなくて
次に見たのは
われら青春
主演が中村雅俊でマドンナ役が島田陽子


ヒットした飛び出せ青春の続編的な
意味合いが強く、ドラマの内容もよく似ていた。
中村雅俊の演技がクソ下手で、
当時の私でもよくわかった。。。。
それ以降は、武田鉄矢のテレビ、などなど
いろいろあったが、自分の年齢的なものか
一切みていない。
ちなみに
大変
古いところでは
青春とはなんだ(主演 夏木陽介)

これが青春だ (主演 竜雷太)

でっかい青春
進め青春(主演 浜畑賢吉)

なんかがあったがだれも知らないだろうから
詳しくはかかない。
ちなみにこれが青春だの主題歌は
布施明が歌ってヒットしたので
聞けば聞き覚えがあるかもしれない。
まだ、小学生から中学生にかけて
見たこともあるのか、結構おもしろく見ていた。
内容も当時の時代を反映する様な
すがすがしいものが多かった。
当時の時代は、テレビが
高校生の問題提示をしたりする時代ではなかったし
われわれもどうちらかというと
テレビという娯楽に
そういうものをもとめてはいなかったのかも
しれない。
先日7月20日はアポロ11号で
船長のニールアームストロングが
月面に降り立って丁度50年の
日であった。
私の年代では、子供の頃で、一番の
センセーショナルな出来事であった。
(以前いった様にポルノグラフィティー
が歌ったみたいに、
僕らが生まれてくるずっとずっと前ではない)
当時、高度成長期であったこともあって
私は、(みんなそうであったと思うが)
宇宙開発にすごく興味を抱いていたし
1960年ころから
どんどんロケットが打ち上げられたわけであるが
全てしっかりかじりついてみていたし、
アポロ、ジェミニ、ソユーズなど
全て、何号にだれが乗って何をしたかまで
全て覚えていた。
アポロ8号からというもの、
当時は、画像もない中継番組が
あって、全て見ていた
(同時通訳のひとが((西山さん))が
宇宙飛行士と管制センターとの
交信を通訳するだけ)
アポロ11号からは映像もあったため
(月着陸なんかは非常に不鮮明)
本当にかじりついて、打ち上げから、
船外活動、着陸まで夜中から早朝まで
みていた。
アポロ13号の事故もリアルタイムで
中継を見ていた。
当時は、医者じゃなくて、
宇宙開発への道を考えていた。
そんな時代に生きてた幸福感を
いまでも思う。
何事も、バカな話はあるもので
捏造説がいまでも
まことしやかに話される。
当時の技術で
(コンピューターに至っては
今の計算機程度)
よく行けたとは思うが、
詳細の内容を知っている人間にとっては
捏造の話自体がばかばかしい。
逆にいうと、
当時の映像や写真を見てみて
当時の技術、(今の技術でも)
で、あそこまで正確に綺麗な写真や画像を
捏造するだけの技術と手間暇、金は
どこにもないし、
何万人もかかわったアポロ計画が捏造であること
を隠しきれるはずがないのである。
それにしても、あの当時の
宇宙開発のスピードと
技術開発のスピードがつづいていたら
いまごろ私は、
宇宙ステーションか、
月面で診療所をしていたはずなのだが、、、、
結局は、当時の宇宙開発は、
米ソ冷戦のお互いの意地だけで
莫大な費用と労力をかけた
だけで、アポロ11号が月着陸した途端
お金がいる宇宙開発が
一機にトーンダウンしてしまった。
。。。。。。。残念
今の社会。
今の社会に不安を感じることは多い。
働き方改革という名のおかしな改革は、
医療現場だけでなく、他の社会現場も
混乱の渦に巻き込まれている気がする。
なにかが、おかしい、この改革でいいのだろうか
これは、皆が思っていることだと思う。
今週も凄惨な事件が起こったわけだが、
(むちゃくちゃな事件が多すぎる)
なにかが変な方向に螺旋階段の様に、
強烈な台風の様に渦巻いて、
どんどん巻き込んでいって
もう、後戻りができなくなっている様な
そんな不安を、みんなが持っていると思う。
以前、書いたとは思うが、
私の子供が小学校の時、運動会の徒競走で
順位を付けないことに驚かされた。
何事も順位をつけない、競争させない
教育をしているではないか。
社会に出ればその時点で、競争の渦の中に巻き込まれるのに
こどもの時に競争を禁止していたのでは、
社会に出たとたん、適応できない若者が
溢れるのはあたり前ではないか。
マスコミは、マスコミで、知らず知らずの内に
金持ちを賞賛し、楽して儲けることを
賞賛している。
名探偵コナンは、子供に毎週、凄惨な殺人事件を見せる。
これでは、社会に適応できない若者が
増えてあたり前ではないか。
高松では、クーラーがない小学校は
早く夏休みが始まるそうだ。
今の子供は私のころと違って
子供のころからエアコンの中で育っている。
十分な汗腺が発達しないままに育ち
汗をかけない厚さに弱い子供が増えている。
私の時代は、運動部では、炎天下の中に
何時間もたたされ、水さえ飲ませてくれなかった
のに、熱中症が問題になることなど
ほとんどなかった。
こんな温室でそだってしまった若者を
夏休みを早く始める様なごとく
まもる様な働き方改革の様で(残業、パワハラ、
医療における無休医師問題、、などなど、、、、、)
なにか、社会は
マリグナントスパイラル(悪い方向へどんどん
とめどなく進んでいる)に陥ってしまっている
様な気がしてならない。
とおじさんはブツブツ言ってしまうのである。
最近、医学の雑誌を見ていると
とある慶応元教授が77歳でなくなった
ことが書いてあった。
その教授は、結構わかくして
教授になられて、めきめきと
頭角を表わせて、学会の頂点にたち
教授を退官してからもいろいろ
学会には力を振るっていた教授である
その世界ではブイブイ言わせていた。
言い方は悪いけれども、教授といえども
星の数ほどいらっしゃるから、
その中でもトップクラスの人である。
(最近は教授自体が美味しくないから
なりてが減ってきているが、、、、、)
そのニュースで思ったのが
人間死ねば一緒だな~~
というのと結構若くして死んだんだな~~
こう言う有名人がなくなっても
学会は結局なにもなかったように進んでゆくし
もちろん、医学会も何もなかったように進んでゆく
そして、時間とともに過去のもの
過去の人になってしまう。
そこになにかしら寂しさを感じる。。。。。
どんなに、有名でも無名でも
死ねば同じだな~と。
実は、私の親父も77歳で死んだ。
親父は、現役の香川県の医師会長で、16年間
やってきた医師会長の任期を1ヶ月あまり残して
死んでしまった。
当時の医師会長は、今とは比べ物にならないぐらい
いろいろ力をもっていた。
無論、日本医師会の中でも一目おかれる存在
だった上に、
議員でもないのにい香川県の自民党の副会長までしていた。
葬儀には日本医師会の各会長がやってきて
当時の香川県県知事やら各市長、
自民党の香川県選出の代議士がみんな
やってきた。
息子の私が言うのもなんだが、
裏表ぶいぶいいわせていた大きな人間だった。
しかし、実際は、いろいろ苦労もしていたし、、、
引退もしたかったであろう。
そんな父がしんでも、もちろん医師会をはじめ、
周囲は、何もなかったように進んでいったし
それが世の中である。
あの香川県が生んだ大平総理も然り
どんな大人物も現役でなくなっても
世の中は、何もなかったように進んでゆくし、
時間とともに忘れ去られる。
ばりばりの現役でしんでもそうなのである。
大物になる、有名人になるということの
意味はなんなのか。
いろいろな人間が
“小山の大将”“白い小塔”になりたがって
あくせくしているが、
その努力はその人の人生にとって
どんな意味があるのだろうか。
なんて真面目に考えてしまったりして。。。。。
昔のテレビが好き。その1
今、ケーブルテレビで時々
古いテレビをみることがある。。。。。
自分が若かったのか、
時代がよかったのか。。。。。。???
その一つに石立鉄男が出ていた
テレビを懐かしく見ることがある。

俳優自身は、あまり評判がよくなかった
様だが。。。。(もうなくなった。。。。)
一番、最初に印象に残っているのは
奥様は18歳

主演は、岡崎由紀(そんな人いたなー)
で、石立鉄男はその相手役
(これを覚えている人はかなり年配)
ちなみにその続編が
なんたって18歳で
主演の岡崎由紀の相手役が
若いころの平泉成

そして1971年よりはじまる
ユニオン映画シリーズ
第一弾 おひかえあそばせ
第2弾 気になる嫁さん
第3弾 パパと呼ばないで
第4弾 雑居時代
第5弾 水漏れ甲介
第6弾 気まぐれ天使
第7弾 気まぐれ本格派
さすがにお控えあそばせはよく覚えていないが。。
気になる嫁さんは、

榊原るみが相手役で、
今見たら当時のミニスカートがういういしい。。。
パパとよばないでは、

あの杉田かおるを有名にした番組。
石立鉄男が杉田かおるを呼ぶ
チー坊 が有名になった
(昔、竹中直人がよく物まねをしていた。)
その次が雑居時代

相手約が大原麗子で、
そのういういしさが懐かしい。
そして水もれ甲介

原田大二郎が
ごくまともで、まじめな石館鉄男の
弟役で出ていた。
そして私が一番好きな
気まぐれ天使

ひきつづき
大原麗子が相手役だったのだが、
いろいろあって突然鋼板
そのあとが
酒井和歌子が代役
森田健作、樹木希林、秋野陽子も
でていた。
最後は、気まぐれ本格派だが、

さすがに飽きてあまり見ていなかった。。。。。
内容の話はまた今度。。。
私は、大学が久留米大学なので
20年ほど九州に住んでいたが、
今日は、四国地方は、大雨で。。。。。。。
各地に被害がでています。
なんてニュースが流れると
九州の友達から大丈夫か。。。
なんて電話がかかったりしてくる。
四国地方が大雨といっても
ほとんど高知や徳島のことが多い。
湿った空気が太平洋側からやってきて
四国山地にあたって雨を降らし
かつ、讃岐山脈がこれまた遮って
香川県に大雨が降ることがめったに、ないのである。
このことを四国の人間は、よくわかっているのだが、
九州の人間は、
大体四国を、
沖縄と淡路島を足して2で割ったぐらいにしか考えて
いない。
島の真ん中にせいぜい300~500m級の山が
あって、(五色台ぐらい)
そのてっぺんにのぼると
四国の海岸が全部見渡せるぐらい
しか考えていないもんだから
四国に大雨というニュースがながれると
全域に大雨がふって被害が出ていると
思ってしまう。
人間というのは悲しい嵯峨があって、
どうしても自分より下のものを作りたがり
日本では、四国は九州の下と思いこんでいるきらいがある。
実は、四国の真ん中には2000mに近い山々が連なっており
結構これが深い。
九州の山々より高いし、深い。
さらに、うまく連なった1000m級の
讃岐山脈なんか想像さえできない。
川の長さでさえ四国の川の方が長い
(九州の人間は、筑後川が長いと思っているが、
四国の人間も以外であろうが、一番長い
川は、四万十川で、吉野川ではない。)
また、九州の人間は、四国なんて
海岸の一般道路を車でまわったら
半日で回れるぐらいにしか考えていない。
大学生のころ同級生が
自転車で四国一周するといって
高松にやってきた。
私の家に泊まって出発したのだが、。。。
次の日に連絡があって、
“四国は広い”
といって、
どうも徳島までなんとかいって、そこで一泊して
自転車をたたんで
国鉄(当時)で高知までいって
自転車でどうにか
中村方面まで
いって、そこから、結局汽車を乗りついて
九州に帰ったことがある。
また、大学の時に連絡船にのって
宇野から高松についたとき(当時瀬戸大橋はなかった)
一緒に乗っていた乗客が、
高松に上陸したとたん
“四国なのに暖かくないね”
1時間船にのったぐらいで、、たかだか
20kmぐらいしか離れとらんのに
気温が変わるわけがあるかい。。。。。。。
まあ、九州人ならずとも日本人の四国感は
こんなもんですぜ。。。皆さん。
私は、前より歯がボロボロで、
よく歯科に行くが、
麻酔をする時は、
“痛いですよ”というか言わないかのうちに
針が刺さっている。
よくよく考えたら、私も同じことをしている。
おそらく、注射をする時は
“イタイデスヨ”の“イタ”ぐらいで
針が刺さっている。。。。。。。すいません。
一回さしたらもう容赦ない。。。。。。。まことにすいません。
途中で、痛いですね
“ごめんなさいね。。。。”
といいながら、ごめんなさいなんて
思っていない????
大体、昔はよく
医師の教育で”患者さんの気持ちになって、、、“
と、よく習ったものだ。
はっきり言ってなれるわけがない。
大体、“痛い”なんておもっていると
医療ができるわけがない。
(特に傷の処置や注射なんか)
傷の手当なんかは、思い切り
しないと治りが悪い
痛そうだから、これぐらいで、、、、、
なんて思っていたら、なおるものも治らないのである。
以前書いたかもしれないけれど、
患者さんに針を刺すとき
痛いなんておもっていたら
絶対といって失敗する。
針を刺すことに対して
なんとも思わない、、、、
しいて言えば、
生身の人間に針をさしていることを
忘れることによって
針を刺す行為に集中できる。
同じ血管なら
痛がる人には、入りにくいのである
それは、針を刺す行為が痛い
ということを思い出してしまうから。
(あと、入りにくい人は、
怖がる人、やばげな人、
OOの看護婦さんは一回で刺した
なんて、プレッシャーをかける人)
((単に緊張するから))
あと、よく、
“痛くなかった、、、”
“看護婦さん上手だね、、、”とかいうのを
時々きくが、、、、
同じ針だったら
(もちろん太い針はいたいし、留置針といって
長く持たせる針は痛い
また、体から遠い部分ほどいたい)
それは偶然に近い
皮膚には痛点といって痛みを感じる部分
が点在しているが、偶然
その部分から外れたからか
あなたが鈍いから。。。。。???
少し、過激な話はおいといて、絵の話を一つ。
私は、一応絵を書いてはいるが、
とても上手いとは言えない。
公平な目で見て、私の絵は
小学生高学年の上手な方ぐらいの絵。
ほんの2~3年小学校の時に絵画教室
に行っていたが、先生に言われた題材
の絵を書いてそれを横から先生が
少し手直しするだけで、
基本的なことから、絵のかきかたなんか
一つも習ってないし、
当時、早く帰りたかったので
早く絵を書く技術は習得したかもしれない。
とても、そこで絵のセンスが養われたとは思わない。
ただ、中学校の時に美術の先生が
私の絵をどういうわけか気に入り
どんなに筆記試験で赤点を取ろうが、
夏休みの絵の宿題をかかないでいようが、
最低通信簿で最低でも4がついていた!!
それと高校生の時に親父がいろいろ
しがらみで、絵を買わされそうになったとき
その絵を見て一瞬で偽物だと見破ったことぐらい。
大体、絵なんて
人がなんといおうと
自分がいいとおもえばいい絵だし
嫌いと思えは価値がないのだ。
以前、三越で、有名な画家の絵を
何枚も売っていいたが(高い!!)
見た瞬間に商業的な絵で
げんなりした。
画家は、売る絵と発表会に出す絵では
かきかたが違う。
売る絵は、いかにも大量に描ける
様にしている。
その有名画家も複雑そうな絵に見えて
実は、絵の構図も色もワンパターンで、
素早く描ける様なかきかたをしていた。
。。。。。。。。。
結論
私なりの絵の評価の仕方は、
いい絵というのは
迫力がある。
見た瞬間に後ろに“のけぞる”るような
圧力を感じる。。。。。。。。
イマイチの絵は、見れば見るほど
見たくなくなってしまう
これが私の絵の評価の仕方。。
付けたし
わけのわからないことの
代名詞になっているピカソの絵
わたしも
わけがわからないし
好きでもない。
でも一枚だけ感心した絵がある
泣く女

この絵を見たときにピカソの凄さを
始めて知った。
この絵のどこに感心したかというと
この、むちゃくちゃな絵が
どんなに写実に書くより
悲しさを感じさせるから、、
そう思いません??
最近、お上(厚生支局)
が、薬の使い方に対して厳しくなってきている
感がある。
薬は、御存じの様に保険でまかなわれている。
薬というのは、薬それぞれに
適応症というのがあって、
それ以外に使用してはいけないこと
になっている。
例えば糖尿病に高血圧の薬を出しては
いけないのである。
当然といえば当然かもしれないが、
実は、いろいろな薬に色々な効果があって、
たとえ、糖尿病しか使えない薬も
糖尿病による血管障害や心、腎機能を障害
を守るために高血圧や高脂血症の薬を
使った方が効果的な場合がある。
以前は、こういうことは医療の中では当然
であったので、そういう風な使い方
をしてもお上は(厚生局)お目こぼしをしていた。
ところが、最近これらに対して
厳しく取り締まるようになってきた。
一つは、コンピューターのせいの様なきがする
これらの保険を請求すると
コンピューターが薬と適応症をはじき出し
適応症が逸脱していれば(先ほど言った様に
糖尿の薬を高血圧につかったりしたら)
すぐピンとはじきだす。
そこには人の情は入らない。
(アナログがよかったな)
もう一つは、世間を騒がせている高価な
薬のせいの様なきがする。
これらの高価なお薬をふんふんだんに使うためには、
いろいろな薬を厳正に
削っていかなければいけないのだ。
(一個100万円の薬を1万人につかうには
100円の薬を1億個切ればいいだけ。
。。。。。トホホ)
だいたい、お上(厚生省)が
率先してジェネリック、ジェネリックといって
いるが、これは、足りない
保険点数をすこしでも
やすくするためで、
(目先??)
結局のところ、予想通り、
悪影響が出てきている。
一つの薬を製薬会社が創るのには
膨大な費用と手間暇がかかる。
いろいろな試行錯誤を行って
それが終了すれば
臨床試験が始まる。
一つの薬が販売されるまでに
10年や20年はざらにかかる。
それから、宣伝しで販売するまで
されに数年かかる。
しかるに、薬の特許は、大抵の場合
10年で終了し、ジェネリックが
販売される。
販売を開始して、5年ぐらいで
やっと医療業界で評価されて
使われ始めて数年で
ジェネリックが登場する。
こうなると、製薬会社は、
高価な薬や、抗体なんか、製造が簡単には
困難な薬しか作らなくなる
のはあたり前の話である。
予想されていたことだが、
現実になってしまっている事実がここにある。
先生、全然食べてないのに太るんですよ
これは、よく診察室で行われている会話
高齢者と会話でよくあるのだが、
最近は、自分も実感している。。。。。。。
体重というのは
摂取カロリーが変わらなくても
悲しいかな、基礎代謝が減ると
太ってしまう。
もう60近くもなると
基礎代謝の減り方が激しいみたいで
とても太りやすい。
私より年配の人はもっと大変なはずである。
だいたい、30代になると急に
ふとってしまう人が多いが、
20代と同じ食べ方をすると
基礎代謝の低下で見事に太ってしまう。
よく、運動しないから、、
という話になるが、運動なんか
1時間歩いてもせいぜい300カロリー
ローソンで甘いものを買えばすぐ取り戻せる。
最近実感しているのだが、
腹をすかしている時間が少ない。。。。
腹がすきにくくなったのと
ちょこちょこ食べが多いこと。
よく考えれば、血糖値がへって、
胃になにもなくなったじてんで、
体は、
“しかたがない、体を動かすのに
蓄えた脂肪を使うことにするか。。。。“
となるのだから
空腹の時間が減れば、やせる
わけがない。
“やせるには、空腹の時間をつくること”
これがやせる秘訣かな。。。。
困った、、、、、、
自分が太ったら
患者さんに
生活指導ができない。。。。。。
やばい、。。。
やせるとしよう。。。。。
やせれたらいい方法を
またおしえます。。。。。
前回までの話がちょっとわかりにくかった
と思うので補足。
インフルエンザのウイルスはとてつもなく小さく
これを1mmぐらいとすると
人間は、身長が富士山の5倍ぐらい
エベレストの2倍ぐらいのおおきさになってしまうが
人間をンフルエンザウイルスほどの大きさに
すると
人は、5000億Kmほどの銀河系(光の速さで2日ほど)
の9000Kmほどの太陽系(地球の直径より少し小さいぐらい)
の中心にある60mほどの太陽を回る
60cmほどの地球にへばりついている
一個のインフルエンザほどの存在なのである。
人間が小さくて銀河系が大きいというしかわからないか
。。。。。。。。でも宇宙はさらに大きいのだ。
ちなみに一番近い恒星(太陽のように燃え?
太陽系の様に回りに惑星を引き連れている星)
は、ケンタウルスαという星で、4.2光年の
距離にある。
太陽をテニスボールほどの大きさにしても
香川県に太陽があったら
隣にあるテニスボールは東京近くにある様な
状態です。
さらに話を進めると
宇宙はさらに広い
あの有名なアンドロメダ星雲は、われわれの
銀河系によく似た小宇宙なのである。
(南半球でしかみれないマゼラン星雲も
銀河系の外にある。)
つまり太陽の様な恒星が4000億個もあつまって
できた銀河系の様な星の集団が
ほかにもいっぱいあるのです。

これは縮尺を分かりやすくするためにかえているが、
お隣のアンドロメダ銀河は、銀河系の約2倍の直径があり
その距離は、250万光年離れているといわれている。
われわれの銀河系の周囲には
他にも小宇宙(銀河系やアンドロメダの様な星の集団)
があるが、便宜的に周辺を局部銀河団といっている。
つまりいままでのまとめはこうなる。

まだまだ宇宙はひろいのだけれども
面白くないと思うから
ここらでやめとこ~と。
かなり前からの続きで宇宙の大きさについてい
銀河系の話をしていたのですが、
そのつ続き

これは、実際の小宇宙銀河の写真で、
天の川銀河に近いと思われる形のものを
丁度横からみた様な感じ
で、

ちなみに天の川は、
ドーナッツ盤の様な星々を
太陽系の位置からぐるりと見た時に
円盤の方向にはたくさん星が見えて
その他の方向には星がないから
そう見えるのである。
実際の天の川(無茶苦茶綺麗な空で写真を
撮ったもの)

これを比べると
いまの銀河のなかから周囲をのぞいたら
こういう風に見えるというのが
なんとなくわかるだろう。
それにしても我々がいる太陽系は、
この銀河系では
星の数では、4000億分の1の存在であり、
つまりは、世界の人口を70億とかんがえても
太陽という存在でさえ
人類に対する1人より
さらに60分の1ほどの存在であり
地球はさらにその太陽系の一家のなかでは
小さな存在なのである。
大きさでいえば
10万光年であるから
(10万光年とうのは
光の速さで10万年かかるということ)
つまり銀河系の大きさは、
10万×365×24×3600×30万Km
おさらいすると
私の計算でゆくと
あの地球の100倍ほどある太陽を0.14mm
としても銀河系の大きさは、9万4000km
ある。地球の10倍ほどになる。
とてつもなく大きいのであるが、
宇宙はさらにもっととてつもなく大きい。
連休中にあるいていると
小さな子供をみて
真っ白い画用紙の様な
純粋さというか、綺麗さを
感じた。
この年になると
一張羅(いっちょうら)を着て
張り切って歩いている若者たちをみると
なにか可愛さを感じるようになった。
絵の具で絵をかくとき
油絵は乾けば上から色を幾重にも
ぬれるが、
水彩画はそうはいかない。
一度、シミがついたり濁った色を
つかうとどうしても
その濁りがとれない。
無理にそれを隠そうとすると
ますます色がくすんでくる。
消そうとすれば
紙が痛んだり、破れたりする。
人生、真っ白な画用紙が
いつしかくすんで、
それを消そうとして
どんどん汚くなってくる。
シミや汚れを上手に使える人や
それを隠さず利用できている人は
大成している人なのかもしれない。
。。。。。。。。
なんちゃって。
蛇足ではあるが、
まえ、テレビを見ていたら
また“大奥をやっていた”
これは究極のいじめの物語である。
いじめがこれだけ
世間で問題になっているにもかかわらず
一方で、いじめの物語で
視聴率を稼ぐ。
また、チャンネルを変えると
まだコナンの漫画が続いているのに
驚かされた。
わが子が子供のころからやっているのだが
以前からこの漫画に対して
大きな疑問があった。
子供に毎回殺人事件を見せていいのか??
殺人事件を毎週子供に見せていいのか??
放送している側はなにも思っていないに
違いない。
大奥の物語をしようが、
殺人の漫画を流そうが、
なにも悪いことをしているなんぞ
かけらも思っていないに違いない。
人間自分のやっていることを
遠くから眺めることができないが、
社会も同様ではなかろうか。
自分のやっていることの矛盾を
決して外から冷静に見れない。
そして自分自身には
あまい
蛇足にはなるけれども
昔から、非現実的な悲劇的な
昼ドラの視聴率がいい。
これは、私より悲劇的な人がいるのだ
と思い、自分を慰めている
人間の変な嵯峨が
こうしている様な気がする。
気が付けば、悲劇的なニュースをみて
他人ごとと捕らえて
自分を慰めている
なさけない自分に
ふと気が付くときがある。。。。。。
こんな話を書いていると
報道に対して怒りがわいてきた。
われわれ病院での出来事で
医療ミスに対しての報道は
非情に厳しい。
命に係わるものではるが、
ミスは非常に軽微なものから
重大事故につながる。
それは、医療従事者が一番しっている
ことであり、それは常に
警戒していることである。
しかしながら、ヒューマンエラーは
必ず起こる。
どんなに厳重に管理していても
ミスというのはその厳重な監視の
すきまを縫うようにおこり
医療現場ではそれが
即、死に直結する。
それは、現場の人間が一番知っている。
しかるに、そんな事故が起これば
報道は無茶苦茶厳しい。
しかしその報道番組ではその端から
“さきほどテロップにあやまりがありました
訂正してお詫びいたします。“
ってしょっちゅう
やっている。
医療現場でその程度のミスが
重大事故につながることを
知ってのことだろうか。
報道のミスは、下手をすれば、
間違った情報を流せば
多くの人が被害をうけ、
下手をすると、死ぬ人まで出る可能性が
あることを分かっているのであろうか。
こういう、報道の在り方に
私は、常に違和感と怒りを
感じるのである。
それに対して、決して反省している
ものを見るどころか、
私の言っていることは世の中の正解で
あるという様に報道している
番組が増えている昨今の
様な気がするのである。
昨今の報道に思う。
昨今、高齢者の自動車事故に対しての報道が
いかんせん厳しい。
しかし、これでいいのだろうかという気がする。
実は、高齢者の運転事故より
10代20代の人間の事故の方がはるかに
多いのである。
当院に来ている患者さんは、高齢者が多く
毎年、免許の返納者が増えていて
当院にやってくるのも苦労している
状況である。
都会は、交通網が網羅されていて移動に
不便しないかもしれないが、
(交通手段はおおいが、駅の構内を
移動するのは大変)
田舎は、移動手段がないのである。
毎回、高価なタクシーを使うわけには
いけないし(近くへ移動するのは
嫌がられるし)
報道は、視聴率がとれれば
それでいいのであろうが、
注目される報道があれば
いいのであろうが、
それでいいのだろうか、
結局は、高齢者の免許の返納のすすめ
の話になるのだが、
自分たちも気が付けば高齢者になることに
気づいているのだろうか。
高齢者の事故にまきこまれてなくなった
人の年齢ばかりを強調する。
確かに、もし、大規模災害で、
トリアージをしなければならなかったら。
どうしても自然に若い人を優先しそうな
気はするが、
ただ単に高齢者、特に認知症の
高齢者の切り捨てにかかっている様で
ならない。
そんな報道の一方で、
高齢者が、いろいろ活動する番組や
高齢者の介護の番組も多数存在する。
結局は視聴率がとれればどうでもいい
報道をしている気がしてならない。
ある意味こんな報道は、
認知高齢者の切り捨てを扇動しているに
過ぎない様な気がしてならない。
高齢者事故の話と同じだけ 若者の事故の
話があってもいいのではないか。
高齢者の事故の解決法は
免許返納の話ばかりでいいのだろうか
解説者が簡単に家族どうしでもっと
話すべきだとか
(もう、みんなやっとるわい!!)
タクシーに補助を出せとか
(どこにそんな財源があるのか
そういうやつに限って増税に反対する。)
そうではなくて、どうちらかというと
それこそ、自動運転や、AIによる
危険防止の自動車の開発の
促進の話になぜならないのだろうか。
私には不思議でならない。
さて、 かなり前の話の続きで、
人間は、自分中心で動いているという話
から、宇宙の大きさの話を1つ
自分の位置をやっと中心から外した
人類であるが、
ざっとその大きさを考えて見ると
地球の直径は、約1万2000km
太陽は、約140万km
一番大きな惑星である木星が
約14万km
つまり太陽を直径14cmほどのボールに例えると
木星が1.4cm、地球に至っては1.2mm
ほどしかない。

大きさでいうと
太陽系というのは、実は、太陽の重力が及ぶ天体が
ある場所まででをいい、
太陽からの距離でいうと約120天文単位
(約180億km)
先ほどの14cmの太陽を中心におくと
1.2mmの地球は、太陽から150m離れたところにあり
一番遠い惑星の海王星は4.5Km
太陽系の果ては、18kmほどはなれたところと
なる。
ちなみに光の速さでいうと
太陽から地球で、8分20秒ほど
(つまり太陽のいま見ている光は
8分20秒ほど前の光)
太陽系の端までは16時間ほどかかる
さらに、ちなみに、最近ボイジャーという
探査機が人類ではじめてここに到達した
打ち上げられたのは1977年である。
われわれの住むところを太陽系と呼ぶと
その周囲には
この太陽系と同様な系
が多数存在することがわかってきて
それを詳しくしらべると
それらが集団になっていることが
わかってきた。
18~19世紀の天文学者のウィリアム、ハーシェル
という天文学者が星を一つ一つ
距離をはかって考えたのが
この図である。

この絵では見事に中心が太陽系である。
時とともに詳しいことがわかり
この集団が銀河系という星の集団であるということが
わかった。
最初にその中心に地球を置いたのだが、どうしても
うまく説明できなくて
ついにその中心から外してしまった。
この銀河系というのは、直径が10万光年ほど
ありこの中には太陽の様な恒星が
4000億個ほどあると考えられている。

実に太陽系の大きさを考えると
地球は小さいが、銀河系を考えると
太陽系さえ小さい存在である。
レジのおつり
だいぶ前に、コンビニのレジで、
人の手に触れたくないために
滝の様にお釣りを上から落とす
店員の話をしたが、

最近は、新手が続々と出現し、
よくあるのは、レシートの上に
お釣りを乗せて渡す方法!!

おじさんにとっては
とても不快!!
また、最近、
アルバイトの店員のやる気のなさが
とにかく気にかかる。
おじさんの年齢では、
特に医者という商売は、
アルバイトといえども
気が抜けないし、雇ってもらっている
病院に迷惑をかけれないと
思いながらやっていたので、、、、、
先日、店にはいるとレジの
アルバイトの店員が、無言で、
不機嫌そうな顔をして立っていた。
レジにゆくと案の定、、、、
買い物かごをカウンターと自分の体に
はさんで、荒い手つきで、
商品を流し込んで、ほうり込んでいる。
お育ちのいいおじさんは一言
“てめえ、なんか文句あるんか!!”って言ってしまいました。
。。。。。
到底、この年代の若者が私の
年金を稼いでくれるとは思えない。。。。。。
もっとも不都合な真実
いま、出生率が急激に低下している。
政府は、育児のための制度や、
手当、出産、育児のための制度を
変えてこれに対応しようとしていうが、
これが、焼け石に水であることは、
皆が知っている。
それは、皆がわかっているにも関わらず
だれもが表立って言わない。
政治家は、育児に対して社会保障を
充実することさえ歌えば票が取れるとおもって
言っているのであろうか。
育てる側も育児に補助や、休暇が出るのであれば
だれも文句は言わない。
しかし、
最大の問題は、女性の社会進出と
核家族化である。
(みんな知っていて、口に出さない
のであろうが、)
そんなことを現代の社会で
口にしようものなら、どれだけ批判を浴びる
かわからない。
(これは決してそのことが
ダメだと言っているのではなく、
淡々と真実を述べているだけ)
わかい女性が、社会進出して、
重要なポストに付き、
結婚が遅くなったり、あるいは
結婚しなかったりする事例が増え
少なくとも3人子供を産むことが
非常に珍しくなった。
(2人では人口が減少してしまう。)
さらに、核家族化がこれに拍車を掛ける。
(爺いちゃん、ばあちゃんんが子供をみる
ことが、都会では少ない。)
また、女性の社会進出は、夫婦間のすれ違い
にも関わって、離婚率が高くなっている。
いくら、育児に補助をだそうが、
保育所を増やそうが、人口減少を
ほんの少し緩めるに過ぎないにちがいない。
(みんな口には出さないだけでわかっている
と思うが、)
最も不都合な真実の話をすると
先進国では、平均のIQが低下している。
これは、能力が高い女性が
社会進出して、晩婚になったり
(これだけで出産数はへる)
あるいは結婚に意味を感じずに
結婚しない女性が増えているからである。
実は、このことは、私の意見ではなくて
実際に調査した人がいて論文にもなっており、
そう結論づけている。
社会にこの話は、広がらない。
というか、広げられない社会なのである。
自分の作り出した文明に、進化が追いつけない
人類。
動物であることを忘れた人類は
この先、どういう方向に
進んで行くのであろうか。
いまの世の中では、言いたいことを言える
様で、言えない。
何かを言おうものなら、道徳性に欠けることなど
言おうものなら、善良な市民?から、袋叩きにあう。
不都合な真実をいえば、袋叩きにあう。
こんなことを書くと袋叩きに合う?
最近、男性が子供をそだてて、
休暇を取ることも出てきたようだし、
NHKの番組では、お父さんと一緒という番組がある。
世間の風潮で、これをよしとする世の中になったのだが、
みんな、実は、なにかしら違和感を感じている
に違いない。(でも口には出せない)
それもその筈である。
人間は、単なる動物であのだから。
他の霊長類いや哺乳類と遺伝子の数
は驚く程違わない。
最初に遺伝子数うを算定した研究者は、
それを信じなかったくらいなのだ。
動物番組をみてわかる様に、哺乳類の
ほとんどは、母親が子供を育てている。
それは、当然のことと言える。
なぜなら授乳できるのが母親だけ
なのだから。
つまり、体も脳も子育てをする能力を持ち合わせるのは
母親だけなのだ。
当然、子供も母親に育てられることで
成長しやすい様にできている。
今の社会がそれを許さないし、
女性の社会進出のためには、当然の
方向性なのかもしれないが、
今の社会は、明らかに進化のスピードを
超えている。
動物の番組をみても
動物の子供は、母親だけが育てている。
父親は、子育てはせず、
勢力争いや、メスの取り合いだけを行っていること
が多い。(その代わり勢力争いに負けたものには
悲惨な運命が待っている)
今でも太古の生活を維持している部族が
いまでも世界には存在する。
そこでは、おどろくなかれ、
母親が、子を育て、水を汲み、
食べ物をとってきている。
父親は、遊んでばかりで、たまに狩りをする。
(そのかわり、周囲との部族や、外敵から
家族や部落を守るのに命をかけなければいけない)
いまの世界
育てる側だけの都合で、この様になって
いいのだろうか。???
主役は、育てられる側の子供にある。
かつて戦争で、死んでいゆく戦士たちは、
“天皇陛下万歳”“お父さん”ではなく
すべからく“お母さん”といって
死んでいったという。
それだけは母親というのは
大切なのである。
育てられる子供も
育てる男性も、女性以上に
ストレスになる様な気がする。
これらは、決して女性を蔑視
して言っているのではない。
逆に医療関係者ならすごく感じている
様に、女性は、肉体的にも精神的にも
男性よりはるかに優れている。
はたして、なにか、もっと、いい方法はないのだろうか。
不都合すぎる信実
大学の不正入試の問題が
いろいろ話題になっていたのだが、
医学部で男子に
下駄(点数を上げること)
をはかしていたり、
浪人生が入試に不利であったりする
ことは、暗黙の事実であった。。。。。
このニュースで不思議なのは
最初は、厚生省の役人の
息子が不整入試ではいったことが
問題の発端であったのに
いつの間にか問題がすり替えられている。
マスコミというのは、
入試の男女の問題の方が
視聴者の食いつきがいいと
思うや否や、
そちらの方ばかり報道しているようだが。。。。。
話をもどすと。。。
実は、このことは以前から暗黙の
事実となっいたのである。
(さすがに公立大学ではないと思うが)
これはどうしてかというと、
一つ目の問題は、このままでは女医さんが
増えること
2つ目は、なぜ女医さんが増えるとまずいのか
ということ
誰がなんと言おうととも外科医系統が減ってしまうこと
こういうことをいうとすぐ
男女の差別だというやからがいるが、
そんな綺麗ごとを言う前に、
実際の現場を調べてからいうといい。
実際、今でも女性の医師は、
後のことを考えて、皮膚科や麻酔科など
夜勤や当直が少ない科へ進むことが多いし、
当直自体を免除される女医は、実際多い。
外科、産婦人科、小児科と
いま、医師の偏在で困っている科はどうしても
男の医師が多いのは事実で、
このままでは、偏在が進みこれらの科の
医局、あるいは病院の科が存続できなくなっている
のは事実なのである。
これを知っての男子への優遇なのは
以前から暗黙の事実であった。
これが、なぜどんどん進んでいったのかと
いうと、医学部は、もともと理数系の
各部であった。
理数系は、男女のできイカンに関われず
以前は圧倒的に男子がおおく専攻していた。
しかし、センター試験は、理数系の者に
言わせるとあれは文系の試験で、
理科系の人間に不利な試験で、
医学部もセンター試験を重視して、
2次試験さえ、論文だけの大学も
多数出てきた。
理科系の女子が増えて、男子が減っている
状況も加えて、
また、進路指導が成績が良ければ
医学部を進めるというバカなことを
するから
どうしても
このままでは女子の方が医者になる数が
増えてしまうのは
目に見えていたので、
どんどん、こう言う風になっててしまった
のだとおもわれる。
これが、男子に下駄を履かせていて
我々の中では暗黙の了解になっていた
事実の一つである。
(まだまだ、実際はいろいろ不都合な
真実はあるのだが、、、、、、)
実の所、わが娘も
一時医学部を目指したのだが、
入学できなかった。
その時、ひしひしと、
いろいろな不都合な真実を感じたのであるが、
現状の医療現場を知っている人間として、どうしてもこれを
問題にしようとは思えなかった。。。。
インフルエンザの予防接種を
高齢の人が、
“孫にうつしたらいかんから
打てと言われて打ちにきた“
という人が毎年、かなりの数いる。
そもそも、昔は、高齢者にインフルエンザを
かけると肺炎で重症化するので
子供たちに集団接種させていたのだが、、、、
これも時代の変化というかなんというか。。。。。
報道では、OO病院でインフルエンザに感染した
高齢者が亡くなったという報道を
たびたび見る。
我々にとっては、とてつもなく複雑な
心境になってしまう。
だいたい、インフルエンザは
若い人にはいわゆる風邪なのだが、
高齢者にとっては、重症感染症なので
ある。
だから、インフルエンザにかかるという
こと自体が、重大な出来事なのである。
報道は、職員がかかることで、
患者にかかることを問題視している
のであろうが、
これらの報道のために、
重症のインフルエンザ肺炎の人を
病院が入院させなくなってしまった。
高齢者施設なんかでは、
一旦、インフルエンザにかかった
人がでると、大変なことになって、
病院にも入院させれず、施設で重症者
を対処しなければならないという
大変な事態になってきている。
先生でも風邪にかかるんですね
と、よく言われるが、
医療関係者といえども人間であるし、
風邪やインフルエンザの人に
一般の人よりはるかに多く接書している
ので、どんなに注意していても
かかるときはかかるにきまっとる。。。。わい。。
インフルエンザは、さておき、
麻疹、風疹が一部で流行ってきていので、
若い者にとっては、大変。。。。
インフルエンザよりはるかに
感染力が強く、(空気感染する!!)
(空気感染は、空中に浮いたウイルスを
吸収するだけで感染が成立する。。。
インフルエンザにはほとんどないと
言われている。)
私の年代では、ほとんどかかっているのだが、
風疹も麻疹も(はしかと三日ばしか)
は、終生免疫と言われているが、
(一度かかったら一生かからない)
どうも、これが怪しい。
やっぱり免疫は、時間がたてば弱まってくる。
一度かかったからといって、バカな私の
からだ(リンパ球)が50年もこれを
おぼえているわけがない。
(医者の言うことではないが)
以前は、一度かかったら、免疫をもって
弱る前に、周囲にたくさん風疹、麻疹の人
がいたから、免疫がその都度、免疫が、つよまったのではないか
という説がある。
確かに今回の麻疹でも、子供の頃に
予防接種をしていたのにかかっている人もいる。
(一応、私がかかるわけにはいかないので
検査をしたらバカみたいに抗体があった。)
4月からは、一部の年代で
無料で、検査、予防接種ができる様になるので、
そういうニュースには気を付けて
該当したら、利用していください。
(さもなければ、検査も注射も高いですぞ!!)
今年もやっとインフエンザが下火に
なってきた。
病院としては、正直な話、
流行っても困るが、流行らなくても困る。
(本音!!!)
今年も、インフルエンザに罹った患者さんが、
“予防接種を受けていたのに。。。。”
という場面によく出くわした。
実際、今年の予防接種は、今一つ聞いていなかった
気がするが、、、、、
そもそも予防接種というのは、
一般の人は、驚愕するかもしれないが、
30%ほど効いていたらOKなのである。
それというのも、全国的に考えると
予防接種を受けた人の30%がインフルエンザに
かからないことで、格段に罹患する人の
人数が、減るのである。
ちなみに細かい数字は覚えていないが、
昨年は、40~50%ほど効いており、
かなりの成功率であったと厚生省は言っていた。
だだ、その前の年は、30%ほどであった
様な記憶がある。
予防接種は、大体夏前にその次のシーズンに
なにが流行るか予想して、型を決める。
だから予想が外れることが多々ある。
一昨年、A型を2種類、B型を1種類のものをつくったが、
B型がはやったことで
昨年は、A型を2種類、B型を2種類まぜてあった。
今年は、A型の新型と香港型の2種類と、
B型の2種類をまぜてあるので、
型的には、あっている。
但し、ワクチンを作る過程で、
抗原性というものが変化して、
作用が、弱まることがあり、型があっていても
決して効くというものではない。
最近は、会社が、費用対効果を考えて
(インフルエンザにかかられて
会社で流行って、会社がまわらなくなる
損害よりインフルエンザの予防接種に金を
払った方が、会社全体には特だという
考えか方)
予防接種に補助をして奨励する会社が
増えてきたが、はたしてどれほどの
費用対効果があるのかはわからない。
また、予防投与というものがあるが、
老人施設があるので、いろいろやってはいるものの
実際の効き目は未知数であると
考えている。
(大体、インフルエンザの薬が、ウイルスに
かかってからそのウイルスが増殖するのを
抑える原理であるから本当に
未知数である。。。。)
前回のプラセボ効果の話の続き
(偽薬の話)
プラセボ効果ななんて
日常いたるところにある。
香川県の田舎では、
伝統的に三越のデパートでは
高くていいものが売ってあるという
迷信に近い様な雰囲気が
今でもある。
もし、人に物をあげる時は
同じものでも三越の包装紙に包まれたものと
マルナカ(香川県で一番一般的なスーパー)
の包装紙では、
相手に対するありがたみが
全くちがう。
香川県の人間は、三越の包装紙に
包まれたものは、良いものと
信じているのだ。!!!!
うちのお嬢様は
小さい時に、
同じものだったら
三越とコープだったら
どちらで買う??と聞いたら、しっかり
三越と答えたことがある。
(同じものでも三越の方が高いんじゃ!!!)
人というのはこんなもの。。。。。。
少し、プラセボ効果とは話がそれるが、
人は、見かけが全て!!!
もし、若い可愛いい女の子が
車がパンクして止まっていたら
(例え性格が悪くても)
おじさんたちが車を止めて
タイヤを交換していくれるだろうが。
OOなおばさんが、
車がパンクして止まっていたら。
邪魔だとばかりに
クラクションを鳴らされる
に違いない。
人間なんて、こんなもん
人は見た目が一番どころか
物は見た目が一番。。。。。
あああ、もう!!!!
ある、高齢の患者さんが、
他の病院で(総合病院)この薬がでて
良く効いたので、出してほしいといってきた。
その薬は、足の裏が冷たいというので
出された薬なのだが、
なんと、、、数週間前に私が同じ
訴えで出した薬と同じくすりで、
その時は、2~3日で
効かなくて、その上、気分が悪いといって
やめた薬と同じものだった。!!!!
まあ、総合病院のブランドというか
私の信用のなさというか。。。。。。。。。。
トホホ。。。。。。
話は変わるが
医学では、プラセボ効果といって
心理効果だけで薬を投与することは
よくある話で、
偽薬
つまり、ニセ薬である。
医薬品の開発をする時に
その効果を調べるために
本物の薬と偽物の薬を投薬して
その効果の差を調べる。
例えば高脂血症の薬を
100人に本当の薬
100人に偽薬をのませて
そのコレステロールなんかの値で
その薬の効果を調べる試験をする。
しかし驚くなかれ、
だいたいの試験で、30%ほどの人は、
その薬で効くのである。!!!!!!
高血圧の薬でさえ偽薬で30%ほどの人が
血圧が下がる効果があるのである。!!!!!
なんと人間は、バカというか
単純というか、不思議というか。。。。。
入院中の患者さんには
よく、眠り薬をくれといわれた時に
ふらつきや、全身状態のことを考えて
この偽薬を使うことがよくある。
外来では、今、
薬局でご丁寧に薬の説明を
かいた紙を渡してくれるので
せっかく本人の体のことを考えて
一生懸命に作り話をして、
しんじさせて偽薬を出しても
しっかり薬局で説明をしていくれるので
バレバレになってしまう。
皆さん、気を付けてくださいというか
我々の努力を汲んで
だまされてください。
そんな世界観を考える中で、
自分の住んでいるところが
球形なんていわれても。。。。。
逆さになったらどするの。。。。。。
なんで落ちないの。。。。。。
海に太陽が沈んだらどうなるの
海のはては滝なのと考えるのが落ちだろう。
まあ、それらのことを全て受け入れて
考えたのがこれまた自分中心の世界観。
これは、確か古代のユダヤ教の世界観で
しっかりエルサレムが世界の中心になっている。

こうやってやっぱり自分が中心であることから
逃れられない。
いつもは日本がほぼ中心の世界地図をみなれているが、
他の国、特に西洋では大西洋中心の
世界地図が主流であることをしり
びっくりするとともに
それを見て日本周囲のことを
“極東”と呼ぶことを
理解したものだ。

農耕がはじまると
人類は、季節を読むために
天文学を発達させた。
そこで、惑星というものを見つけ
(水、金、地、火、木。。。。。)
他の星と区別した。
そのそしてその運航を考えて
その中心に地球を住まわせた。
2世紀ごろにプトレマイオスという天才が
いて、地球を中心に宇宙がまわる
いわゆる天動説を体系化して
天動説では、惑星の運航に無理が
あったのだが、巧みにそれを体系化した。
宗教的、人間的な世界観
(自分が宇宙の中心であるという)
と、あまりにも巧みな構成で
長にわたりそれが信じられていた。
(紀元前280年ごろにはアリスタルコス
という超天才が地動説を説いたといわれている。)

それが、16世紀になってコペルニクス
の地動説がやっと世間に受け入れられる
様になってやっと今の太陽系
が受け入れられた。

やっと、自分中心でない世界を受け入れたのである。
前回、世界の中心は自分ということ
と世界感の話をしたが、
ちょっとそれるけれども
今回は宇宙の話。
以前私は、物理学者になりたかった
と書いたことがあるが、
私の知っている範囲で
人間は、いかに自分中心で物事を
考えてきたか、
そして宇宙というものが
いかに大きいものかをお話ししたい。
私は小学校の低学年のころは
“宇宙”というと“永遠”や“死”
を連想し、とても怖く感じていたが、
いつの日がすごく“宇宙”感心を
抱くようになった。
宇宙の話をすると以外と
みんな知らないことが多いので、
世界観と宇宙の話を一つ。。
人間は、自己中心ということを
前回お話したが、
古代の人間にとってもそうだったし
宇宙は小さいものだった。
恐らく、なにも制約がなければ、
古代の人間にとっては、
世界は小さいものだった。
幼いこらは、おそらく
自分の歩いて行ける範囲で、
世界を考えていた違いない。
せいぜい半径10km程度の世界で
その中心に自分が住んでいる家があって
それを中心にした
町が存在し、離れたところに
山があったり、川があったり
そしてせいぜい周囲に海が
存在したに違いない。
丁度、ドラえもんの漫画の中の世界の様に。
それから、もう少し発展したところで、
それよりおおきな世界観
(太陽や月、星をいれて)
を考えると
次の様になる。

これは古代バビロニアの宇宙観
山が天を支えている
その天の天井の中を月や太陽が
通ってゆく。

これは有名なインドの世界感
世界は、象や亀が支えているのだ
いまは、いろいろ知っているから
へんな世界観と思えるのだが
化学が発達していない当時では
ごく当然のことだろう。
ここで、最大の注目点は
全てが自分を中心においているということ。
自分もそうだが、時々
どうしても人のことをけなしてしまう
ことがある。
この年になって、
出来るだけそういうことは
避けようと思うのだが、
時々、やってしまう。
人間だれしも、究極はそうなのであるが
結局は、自分中心に動いている。
つまり究極の話、世界の中心は、自分であることには
間違いない。
頭の中では自分を中心に世界が回っている。
決して、これも間違いではない。
むしろ、それが、当然であると思う。
しかし、
以前にもましてそういう人間が増えている様な気がする。
自分の思う通りに周囲が動かなければ
殺人さえいとわない様な事件が多々聞こえてくる。
自分を中心にものを考え、
世界の中心に自分を置くのは
先にも話た様に決っして間違っている
ことではないし、それが
至極当然ではある。
しかし、最近は、自分を中心におく世界が
狭すぎる様な気がする。
その世界観の大きさの差が
人の懐の深さや、人間の大きさを
決めている様な気がする。
他人のことを褒めることが出来る人間
他人のことを容認できる人間を見ると
その人間の大きさを感じるのでは
ないだろうか。
それとは逆に人をけなしまくる
人間がいるが、
これは最も人間の小ささを自分で表現している
様なものなのだから。
つまり、他人をけなす人間は、
他人の価値を下げることによって
自分の価値を相対的に上げようと
している人間なのだから
結局は、自分の価値低いために
周囲を落とすしか方法がないのだ。
逆に他人を褒める人間というのは
他人を評価しても
決してそれによって自分の価値を
相対的に下げないだけのなにかを
持っているという人間なのである。
。。。。。。。。
と言いながら、私は、
OOのことを
くそ野郎!!!
って、毎日言っているのだが、、、
最近、クリスマス、年末の雰囲気がどんどん
減っている。
そこここで、年末の気分がしなりと
いう声を毎年聞く。
クリスマスについてはこれで
いいのではないかと思うが、、、
私の子供のころは
クリスマスというのは子供の日
という印象が強く、
テレビも一日中ことも用の番組が中心であった気がする。
ところが、景気がどんどんよくなった
80年代は、いつの間にか
若者の日、(エッチの日??)みたいな
雰囲気がどんどんすすみ
テレビもまるで若いカップル向けの
番組がおおくなった。
今では、クリスマス自体を
以前ほど騒がない様になった
気がする。
原因はよくわからないけれども、
現代は、ハロインなんかで
輸入もののイベントが増えたから??
(私の年代にしてみればわけのわからない
イベントがふえたから??)
つまり、お祭りが増えたから??
なのかな????
つまり、今の時代は、いろいろ満たされている
からなのだろうか??
そういえば、あまりTVは見ないのだが、
正月といえば、正月のTV番組が
以前はいろいろ面白かったきがするが
いまは、ほとんどない????
メディアの多様化ということも
あるのであろうが、
先ほどのイベントが増えたことと
同じで、
いつも特番があっているので、
正月の番組が目立たなくなってきている
のかもしれない
しかし、若干、街で感じるのは
男女が、いまだにクリスマスといえば
贈り物を探している姿を見つける
ことである。
ティファニー、ルイビトン、、
高そう。。。。
(背伸びするなよ。。。)
商売というものだけは、残っている??
クリスマスの贈り物、ケーキ
は外さない。
バレンタインデーにしても
そうであるのだが、
このイベントを商売に変えるのは
外さない。
いつしかホワイトデーなんかも
ちゃんとした地位を築いている。
ハロインもそうである。
我々日本人にとっては、
なんの意味を持つのかさえ
しらない人が多い日を
お金が動く日に変えてしまった。
収穫祭である
日本の秋祭りはどんどん衰退している
一方で。。。。。。。。
(お金にならない???)
商売を人間は上手としか言い様がない。
知らず知らずのうちに
私もちゃんと
その風潮に巻き込まれているのだから。。。。
人間は、匂いの記憶力が
つよい。
生命維持をする中で、
匂いというのは非常に大事なもので
かなり、幼いころから
記憶をする様だ。
クリスマス時期になると
三越では、クリスマス用の包装紙に
変わっていた。
よく覚えていないのだが、
その包装紙でくれた物が
とてもうれしかったのか
いまでもその匂いを覚えている。
また、当時はまだ、一流の
ケーキ屋さんであった
“春風堂”の包装紙も
どくとくな匂いがして、
(いまであればルーブ?)
ケーキを食べることが
今よりとても少なかった当時
うれしかったのか
いまだにその匂いを覚えている。
そして、小さいころに一番好きだった
模型屋さん(オオタ理工という模型屋さんは
当時買ったらきちんと
包装紙に包んでくれていた)
の包装紙の匂いも覚えている。
たのしいことと、その包装紙の
匂いは幼い私の脳にそれを
べったりと塗り付けたのだろう。
匂いと言えば、
医者になっていろいろ
匂いを覚えさせられたが、
、、、、話がえぐくなるので
終了。。。。。
子供の頃、私の時代にクリスマス
が近づくと、給食で小さなケーキが
でていた。
ちいさなパックのなかに、
ぱさぱさの生地にバタークリームと
チョコレートなんかをロールして、
プラスチックのモミの木や
サンタが乗っていた???
今食べたらとてつもなくまずいであろう
ケーキだったが、
どういうわけか、今になったら
あのまずさを味わいたくなる。
。。。。。クリスマス時期になると。
。。。。。。????
変な奴。。。。。。
といいながら、毎年それに近い
ものが、スーパーのパンのコーナー
に売ってあって、
はずかしながら、毎年
こそっと買って
そのまずさを堪能していた。
。。。。。
ところが、今年は、どこを探しても
それがないのである。。。。
(4~5か所まわったのだが)
。。。。。変な奴。。。。。。。
今の人は口が肥えたのか
おそらくだれも買わなくなったのだろう
。。。
いつものコーナーには
普通のケーキしかないのである。
。。。。
確かに、最近は、コンビニのスイーツが
どうかすれば専門店より
うまい時代である。
。。。。
。。。。。。。。。さみしい。
今年もおそらくクリスマス
時期になると
また、探してやる。。。。
冬になると
今では、いろいろなところで
イルミネーションが行われている。
あまり、そんなことには
興味を示さない私だが、
何年か前に東京の南口の
イルミネーションを見た時は
流石に綺麗だと感じた。
それ以後、高松の
サンポートや
冬の祭り、のイルミネーションを見るのだが
、、、、、、、、
最近は、坂出駅前のイルミネーションが
いろいろ頑張っているのだが
、、、、、、、、、
満濃公園なんかは、あの広い
敷地一杯にたくさんの
イルミネーションがあるのだが
。。。。。。。
この差はなんだろう????
センスの違い???
田舎のため?????
最悪は、上里から
高松方面へ上った
所から左に曲がったところの道路の周囲に
数百メートルのイルミネーション!
イルミネーションはくらいし
明かりは青くて
とても陰気。
冬の寒さがとても
寒くなるイルミネーション!!!
(関係者の方ごめんなさい)
今夜はクリスマスイブ
皆さんは、いつ頃からサンタを信じなく
なった??
私の頃は、もうすでにクリスマスに
サンタにプレゼントをもらうというのが
定着していた。
というか、今よりクリスマスは
子供だけのお祭りという意味合いが
強かった様な気がする。
当時、平均的に小学校の4~5年ぐらいまで
信じていたようなきがするが、
私の場合、
とても優しい兄が(7歳離れている)
(今の県の医師会長)
ありがたいことに
小学校そうそうに
“サンタはおやじやで、、”
“起きていたらおやじがプレゼントを
もってくで、、“と
教えてくれたのである。
なんというやつだ。。。。
その小学校の一年生の時の
プレゼントが、また忘れられないものを
もらって、よく記憶している。
当時レーシングカーが(スロットで
8の字の道をはしるもので、
おおきさが、約1mほどのもの)
世間ではやっていて、
それが欲しいと
サンタにお願いしたら、
ダウンサイズの50cm
ほどの大きさの迫力がないものが
やってきて、とても落胆した
思い出がある。
それ以後のクリスマスは
いつも兄に
“これを買ってもらえ”
って言われてそれを
買ってもらっていた。
よく覚えているのが
野球盤で、買ってもらったら
いつも兄が友達と遊んでいた
そのほか、兄が”今度のクリスマスは
バイクの模型を買ってやる“
といって、兄が買ってきて、
組み立てて、飾っていた。
おれは兄に だし に使われた!
とわかったのは
後のことであった。
ちなみのちなみに
今回、白い巨塔がまた、
今度は、岡田准一主演であるようだが、
われわれの年代のものには。。。。。。。
以前はなしたかもしれないが、
白い巨塔のドラマ内容が、現在に
もう一致しないので、
(教授に対する権力の集中や
医局に対する力の集中がもう
無くなってきている)
内容自体をかなり変えなければ
厳しいものがある。
そして何よりあの財前教授は
田宮二郎が演じることでその凄みが増した様な気がする
大抵の人は、財前教授は、
唐沢寿明を頭に浮かべるであろうが、
もともと、昔の映画では、
田宮二郎が演じていた。
ちなみに、以前も言った様な気がずるが、
(最近、認知症で、覚えていない。!!)
当時の世相もあり、
あの田宮二郎の内から出てくる
ギラギラした欲望、野心、躍動感は
財前二郎の役柄にはピッタリだった。

われわれの世代では、唐沢敏明では
どうも人間のいやらしさを
感じないのではないだろうか

ましてや
岡田准一では
あまりにも綺麗過ぎるのではないだろうか

実は、私は、40代の中頃に
肺炎になったことがある。
実際に私を見た人には
頑丈そうに見えて、
にわかに信じられないであろうが、
実をいうと
かなり強い風邪をひいたのだが
毎日薬を注射して(秘密)
2週間仕事をしていたら
肺炎になってしまった。
この時は、無理をして
休まないと大変なことになる
ということを体現してしまった。
私は、野生に近い人間で、
(誰よりも限りなく動物であることを
自覚している。)
体調の悪さをしるバロメーターは
食と睡眠である。
ある日突然、
無意識にむしゃむしゃ
そこら中のものを食べ始めて
(抑制がきかない)
こんこんと寝始める。
(どうしようもなく眠くなる)
その時、初めて
体調の悪さに気が付く。
インフルエンザに罹った時も
この調子で、
あまりにも食って寝るので
熱もほとんど出ず、
少し鼻水がでていた程度で
絶対に違うとおもいつつも
念のためにインフルエンザテストを
したら陽性にでた。
いかに食べることと
睡眠が体に大切なのかが
よくわかる。
つまり私はひとと違って
体調が悪化すると
太る人なのです。
皆様、
いわゆる風邪にかかった時は、
私の様に食べることは
不可能でしょうが
栄養あるものをとって
よく寝て下さい。
それが一番の薬です。。。。。。
とても医者が言うことではありませんが。。。。。
町医者をしていたら
こんな悔しいことは
山ほどある。
昔から言われていることで
後から見た医者の方が
診断するのには有利である。
時間がたったら症状が
進んでくるので必ず正しく
判断できる。
また、後で見た医者が、
誇った様に
あたかも
私が見たから診断できたのだ
と言わんばかりの態度をとる
やつがいて
これが非常に腹が立つ。
例えば、発熱だけで
来院する患者さんがいれば
発熱だけでは、
考えなければいけない病気は
山ほどある。
というか病気のほとんどは発熱がある。
そこに少しでも、
ここが痛いとか
ここが腫れているとか
何か加わればぐんと考える
病気は狭まってくる。
町医者というのは
こういう苦労と心労もあるのである。
また、患者さんに
よくこれは風邪ですかと
よく聞かれることがある。
おそらく、感染性の上気道炎
のことを意味しているのであろうが、、、、
われわれにとって非常に難問。
病原菌、先に言うウイルスは
体の細胞に侵入して増殖するのだが、
そのウイルスには
それぞれにレセプターというものがあり、
くっつきやすい細胞がある。
のどなんかにくっつきやすいウイルスは
いわゆる風邪の症状をもたらすが、
同時に腸の細胞にくっつきやすい
ものもあり、これらは胃腸症状が
主体になる。
また、人に感染しやすいものや
しにくいものまであり、
もともと体の中にいて、
体調が悪い時に増えて症状がでるものもある。
一応、その人に合わせて
説明はしているが、
なかなか納得してもらえない。
また、
そもそも
インフルエンザやノロが有名なのは
感染力が強くかつ症状が強いからである。
そろそろインフルエンザの季節である。
インフルエンザが流行らなければ
儲からないというポジティブな
考えの医者もいる様であるが、
当院の様に
介護施設を中心に高齢者を
おおく見ている病院にとって
恐怖の季節なのである。
若者は、インフルエンザにかかっても
休んでいれば先ず、
回復するが、
高齢者はそうはいかない。
また、極端に体調を害する。
ただ、若くとも無理をすれば大変な
ことになる。
特に最近はやっているのが、
咳が残る風邪である。
咳は、痰を排泄する行為で、
病原菌が上気道(喉や気管支)
に感染すると痰が増えるので、
出るのであるが、
病原菌自体は、数日で消失するといわれている
その後は、気道の過敏状態が
痰を増やし
(例えば、冷たい風邪や乾燥など)
咳がつづくといわれている。
こうなると治療は変わってきて
咳が2週間以上つづくと
咳喘息といって、
1っか月以上つづくこともよくある。
この治療には段階的な治療法が
必要なのだが、
最近、このことで痛い目にあったことがある。
ある患者さんが、
最初に診察したときに
これは咳が残りやすい風邪だとわかったのだが、
大体治療には3段階ぐらいの治療があり
順番にやってゆくのが一般的なのだが
(最初から3段階目の治療をしても
時期と病態というのがあって治らない)
1段階目から巡に治療していたのだが、
案の定なおりが悪かったので
第2段階の治療を行っていた。
8割ぐらいの人はここで治るのだが
2割ぐらいは治らない。
第3段階になると
喘息と同じ様な治療になるのだが
ややお薬が高いのもあって
慎重になる。
この患者さんには第2段階の治療を
していたのだが、
よく説明していたつもりなのだが、
後日、
本人から、第2段階の治療では
なおらなかったので
大きな病院の呼吸器科にいって
治りましたといわれてしまった。
あとで薬を見せてもらったら
しっかり第3段階の治療を
されていた。
自分もそうだったが、
総合病院で診察しているときは
薬価なんかあまり考えないで
薬を出す。
そこまで考えて治療していたのが
完全に裏目に出てしまった。
。。。。。。。。。。。ちょっと悔しい。
また、患者さんから
抗生剤の処方を求められることがよくあるので
あるが、
抗生剤というのはウイルスには効かないもので
(実は、炎症作用を抑える力があるものもあり
あながち効かないわけではないが、、、、)
特に、以前から抗生剤の耐性
(抗生剤が病原菌に対して利かなくなる)
が問題となっているので
出したくないのが病院側の気持ちなのだけれども
(ただし、高齢者で、肺炎に状態や
免疫力が落ちている人、
もうすでに細菌性の肺炎を起こしている
人や、最近性の中耳炎や
副鼻腔炎を起こしている人には必要)
抗生剤をださなければ、
がっかりして帰る人や、
極端な人は、機嫌を悪くして帰る人さえいる。
(抗生剤には致死的な副作用がでることも
あるのだが、、、、、、)
治療について
究極の話をすれば、
熱は、人間がウイルスを殺すために
出しているという考え方や、
咳は、痰を排泄するためにしている
行為であるという考え方。
さらに、鼻水や痰は病原菌を
排出するために出ているという考え方が
最近はつよく、症状をあまり
抑えることは決して早く治すことには
ならないという考え方が
主流である。
(下痢になった時に下痢止めを
使わなくなった様に)
とはいえ、じゃあ我々はなにをするか、
何もしていないかといいうと
症状の中に、悪化する要因をさがして
それを予防したり、
何か、他の病気が潜んでいないか
探ったり、
はたまた、早くなおすことと
症状を抑えることを
その個人個人にあわせて
天秤にかけて調節したり
している。
なんとも忙しくて
いろいろ、文章をつくっていたのに
掲載をわすれて、
最近、間が空きがちで、、、、、
また、つづき の話がおおいと
いわれて、、、、
確かに、文書が切れ切れで、、
途中で終わる話がおおい、、、、、
というわけで、
これからは、やや長めの文書を
1週間に一度ほど出すようにします。です。
ここから本文
かぜに効く薬はない。!!!
今年の9月から10月にかけて
異様に風邪の患者さんが多かった。
気候がおかしいせいもあるであろうが
なにかへんなウイルスが流行っていたようだ。
ご存知だとはおもうが、
基本的に風邪に直接効く薬はほとんどない。
皆さん
風邪をひいたのだけれども、OOへ
行く予定があるので、早くなおしたいから
来ましたとか、
行事があって、次の日曜日までに直さなければ
いけないので、
いつもは、薬局で風邪薬を買うのだけれども
今日は、病院に来ましたとか。。。。。。。。
実は、病院で一番こまるフレーズである。
風邪は、基本的にウイルスで発生するものが
多い。
ウイルスは、小さな小さな小さなもので、
小さな一つ一つの細胞より
まだ小さな細菌よりさらに格段に小さく
ほぼDNA、RNAの塊といっていいほど
ちいさいものである。
ざっと人の髪の毛の直径の10分の1ぐらいが
人の細胞のおおきさで、その10分の1ぐらいが
いろいろな細菌でざっとその50~100分の1ぐらいの
おおきさがウイルスである。
つまり、これを殺す薬はほとんどありえないと
いうことである。
顕微鏡では見えることができず、
電子顕微鏡でもなんとなくその陰が
映し出されるほどの小さなものである。
ちなみにあの有名な野口英雄先生は、
黄熱病の研究でしられているが、
黄熱病の病原体は、ウイルスで、
当時の顕微鏡では見ることが出来ず
原因を究明できなかった。
(医学的にはあの有名な野口英雄先生も
野口培地という特殊な培地のみしか
名前が残っていない。)
インフルエンザを含め一部に
効く薬はあるが、感染した細胞から
の放出や増殖を防ぐ薬のみである。
(詳細は非常にややこしいので割愛)
よってインフルエンザの薬も
症状を1日ほど短くしたり
発熱のピークを下げたりするに
とどまっている。
市販の風邪薬というのはよくできたもので、
また買ってもらわなければいけないので、
なにかと効く成分が入っている。
例えば、解熱剤とか、咳止めとか、鼻水を止める作用がある
薬とか、、、、、
細菌は、巧みなもので
咳の風邪はOO。鼻水にはOOとか
熱の風邪はOOとか。
うまく色分けしている。
もちろん市販薬なので、作用自体は弱いが
それなりに症状を抑えることが出来る。
製薬会社の人に聞いたのだけれども、
製薬会社でもその
労働制限が激しく、
例えば、時々、研究会などの
会合があるのだが、
その会合を製薬会社が主催すれば
それが時間外労働になるらしく
変わりに休暇を取らなければ
ならないらしい。
また、その休暇の日に日ごろ
できなかったことを
しようとしても
今の時代であるから、
会社のコンピューターにアクセス
しなければ仕事にならないのだが
アクセスすることでまた、
それが時間外労働になるらしく
それができないらしい。
なんか変。。。。
病院でいえば、仕事に差しさわりの
ない様に以前は、
カンファランスや、症例の検討や
医局会は、早朝や
時間外にやっていたのだが
それもできなくなったそうだ。
なんか変。
電子カルテになったために
時間外に操作すると、これまた
時間外の証拠が残るから使えないそうな。
絶対変
これでは絶対ダメになる。
医者でいえば、絶対に
患者に接するアナログな
時間が少なくなる。
それで今の時代の人は
いいのだろうか。
画面、検査上、多職種で管理で患者管理は、
以前より十分なされているのであるが
それでいいのであろうか
なにか世の中をおかしいものに
向けている。
最近、白い巨塔の再放送を
見たのだが、
財前教授(唐沢寿明、古くは田宮二郎)と
里見助教授(江口洋介、古くは田村高廣、山本学)
を対照的に描いているのだが、
方や、名声を求め、人を押しのけて
生きて、患者の診る姿勢は、
仕事の一つとしての患者対応で、
政略結婚で、金を得て、
ギラギラと名声という欲を満たしてゆくタイプ
方や、仕事一環で、患者を人として大切にみて
一日中、土日もなく、病院や研究室に
いて、お金のことは二の次で
誠実に働く
この2人を対照的に描き、
里見助教授を理想的に描いているのであるが、
今の労働条件では、
決して里見助教授は生まれない。
そうでなくても
おりこうさんで、なんでもかんでも
てぎわよくいろいろこなせる
お医者さんはいいけれど、
私の様なばかで、しごとが
おそい医者は、
とてもじゃないが、
今の制度では十分な仕事ができない。
ちなみに、偉そうに言うけれど私は
あまり、患者さんの聴診、触診を
しない方。。。。。
前にもいったが、診察室にはいった
時の状態(顔、歩き方、座り方、
いろいろな仕草)で、50%
話を聞いて90%診断をつけてしまう
人で。。。。。。。
(ほとんどのドクターはそうしている???
ただ、患者さんに納得してもらうために
けっこうセレモニー的に聴診や
触診をしている人を見かけるが
正直ものの私は、なかなかセレモニーが
できない)
(これもなかなかむつかしいもので、
この先生あまり見てくれないと思っている
人がいれば、さっさと診察室をでたいと思っている
人もいる)
(また、最近、健康診断で、若い女性に
聴診や、触診をしなかったら、
しないんですかといわれてしまった。
若い女性は、一般に聴診、触診を嫌がり
へたをすればエロ医者と思われるふしがあるので
すっ飛ばしたのだが、、、、、
なかなか難しいものです)
はなしがまたそれたけれど、
前回のつづきで
6時以後は、アルバイトの医者をやとう病院も
多いのだが、
6時にその病院の仕事を終了して
他の病院へアルバイトにいっている
医者もおおい。
つまり労働時間の短縮にはなっていない。
また、患者サイドからすれば、
時間外だからといって、他の
しらないお医者さんに見てほしいと
思っている人などいない。
これが本当に労働の改善なのだろうか
。。。。。。。。。。。
労働の改革というが、
これでは労働制限に他ならない。
大体、病院の医者の時間外労働を
規制して、6時に家に帰す様にしたら、
なにが起こっているかというと。。。。
(半分は想像であるが)
1. 大体まともに仕事をしていたら
時間内に終わる仕事ではない。
私が、思うに手抜き工事をしなければ、
決して終わるものではない。
古い人間がそういっているのだろうと
思っているっかもしれないが、
大体我々の仕事は、やればやるほど、
丁寧にすればするほど仕事が増えるわけで、
どう考えても1つ1つ丁寧にやっていれば
終了しない。
患者を見る時間を削減している???
最近の医者の教科書的なものには、
患者をよく見ること、
理学所見の取り方を
切々と唱えており、さぞ、最近のお医者さんは、
よく患者のことを診ていると思いきや。。。。。
患者さんから聞くことばは、
大きな病院の先生は、こちらを見ない。。。。
コンピューターばっかり見ている。と。。。。
最近は、電子カルテで、かつ、いろいろ
お上(保険のお役所)がうるさかったり、
患者さんの苦情が以前よりおおいし、
問題になってはいけないので、
また、カルテをいろいろな
人たち(ナースや薬剤師等々)が見るので、
一生懸命にカルテを書かなければいけない
(その代わり誤字脱字のオンパレード)
ので、必死にかいているみたい。
労働改革という名の
労働時間規制
最近、市立病院に、自分が紹介した患者さんを
見に行った。
主治医に合えたら会いたいと思って
6時に外来が終了したらすぐ病院を出て市立病院に
いったのだが、(おそらく6時30分ころ)
私の感覚では“まーびっくり”
お医者さんがいない。!!!!
ナースステーションで聞くと
主治医は、“まず、帰られているとおもいます”
とのこと。(時間的にいるはずがないという感じ)
今の病院というのは時間が来たら
帰らされるのだ。
私のころは、6時というと、病院を
帰っているドクターは数えるほとしかいない
時代であった。
医師の加重労働が、問題になっているのだが、
これはあまりにも、、、、、、
と思ってしまう。
ちなみに。私も一応雇用されているのですが。
開業医というのは、
労働時間なんて論外で、
私、朝6時にきて夜7時ごろまで
待ったなしの仕事で、
むろん、老健があるので、
時間外も365日拘束され、
今月にいたっては、日祭日以外は
一日しか休みがなく、月曜日から土曜日まで6時までのフル
で克、30日の日曜日は当番病院です。
それでも当たり前??
今回、8月11日~15日まで休んだのですが、
交代がいない私たちは、
大きい病院の様に1週間も2週間も夏休み
などをとることができません。!!!
くそが付くぐらい忙しくて
ブログをのせる時間がなくて久しぶりになりました。
とりあえず、前々回のつづきをのせますです。
また、いろいろ乗せますのでよろしく。
さみしさを感じるといえば、
医者の会で、症例検討会というのがある。
症例を提示して、これは何かと
尋ねるもの。
(ドクターGとは違います)
以前は、
OO歳 男性、
主訴は、OOで来られまして、、、
既往歴はOOで
現病歴はOOです。
さて何でしょう。。。。
というもので、それから、レントゲン
を提示され、さて何でしょう。。。
と進んでゆく。
今では、最初からCT,やMRI
臨床テータがでてきて
さて何でしょうとくる。
私の世代では、やってられない。
というか、小さな開業医では、
できるのがレントゲンまでで、
そこまでで診断を下すわけですから
とてもやってられない。
もし、今大きな病院に勤めている若い
ドクターは、町のクリニックでは、
何も診断できないのではないかという気がする。
若いドクターはおそらく、
われわれより一つの症状から
いろいろな病気を頭に描くことが
できるかもしれないし、
それを誇りにしているかもしれない。
しかし、いろいろ思いついても
そこまで、
検査ができないとそれから進まない。
究極的にいえば、
来た患者さんを全て、いろいろそろった
病院に送らなければいけないかもしれない。
我々は、おそらく今の若いドクターより
レントゲンや、患者さんの所見からの
診断力は1段上であるとおもう。
私の若いこの、年配のドクター
の理学所見からの診断力が
われわれより1枚も2枚も上であったように。
文章がめんどくさくなったので
上里医院にきてから描いた絵3点



割り込みの話。
制服の話をしていておもいだしたのだが、
学生の頃は、白衣を着こなすことを
憧れにしていたが、
もう一つレントゲン写真を
明るい方向にかざして
見る姿に憧れたものである。

今では、デジタル化して
そういう姿さえ見なくなったし、
CT,MRI、Echoが、
当たり前の様になった時代では、
レントゲンの診断価値が低下してしまって、
そういう姿を見ることはもう
なくなってしまった。
当時は、患者さんの話をきいて、
他覚所見(聴診、触診など)から判断して、
すぐ、血液検査の結果がでなかった
時代。レントゲンの価値は、
計り知れないものがあった。
それを、真剣に見ることに
当時の医者の価値があったし、
憧れでもあった。
ちなみに、明るい方にむけて、
レントゲンをかざしてみるのは
近くにシャーカステン(昔診察室に
あった、おおきな電気)
がない時。
その姿が無くなってしまったこと
に、時代を感じるとともに、
さみしさを感じる。。。。。。
またまた
制服についての余談ではあるが、
1970年代であったと思うが、
制服廃止論争があったことをおぼえてる。
詳細は、記憶していないが、
小、中、高校生の
制服は、経済的に高いということが主で、
生徒の統一化が、よくない
等の理由で、
制服廃止論が強かったことをなんとなく
記憶している。
しかし、
当時、また高校生か中学生であったのだが、
私服を着ればよいことで、何万もする
制服は、経済的によくないという保護者の主張?
を聞いていて
私は、、
当時から、私服で学校に行くことになると
思春期の子供は、同じ私服を毎日着ることは、
嫌がるであろうし、それなりに、いろいろ私服を
購入しなければいけないし。
また、その私服自体が、同じ私服を毎日着ている
だの、高いブランドものを着ているだの
、いつも同じものを着ているだの、
それ自体がいじめの対象にもなりかねない。
と思い、当時、制服廃止に対しては、
反対であったのを覚えている。
また、制服というのは、生徒にとっての
どんな時でもフォーマルウエアという
便利な点があり、当時からそれには反対であったこ
とを覚えている。
10年ほどかなり論争があった様におもうが
いまでは、制服自体を売りにする高校も
多く(アルマーニは論外だが)
田舎の香川県では、幼稚園から高校まで
制服で、ほとんど異論をとなえる
声は、以前の様には聞こえない。
あれは何だったんだろうか
制服の話の余談。
制服というものは、
一律で、同じデザインで、みな
同じ様に見えるのだが、
反面。。。。。。。。
職業病というかなんというか、、、、
我々の時代の医者は、患者の隅々まで見て
カンを頼りに診断するところが多々あり、
患者の服装も診断の一つの補助にするところがあり、
その癖なのか、私の性格なのか、
ナースの制服の服装が細かいところまで
目にはいってしまう。
制服というのは皆同じなのであるが、
反面、個々を比べ安い。
きこなし、襟のまがり、袖の汚れ、
はたまた、ボタンがとれていたり、
ベルトが歪んでいたり、ちいさな毛羽が
ついていたり、
結構、個々に違いが出てきて、
その個人の性格あるいは生活が創造できて
それがまた、結構あたっているのである。
制服を着て仕事をしている方は、
周囲を見回して、見てみてください。
それから自分の服装をチェックすることも
おわすれなく。
話は、さらにコアになってゆくが
ナースキャップには、
以前、婦長や、主任は
それとわかる様に線が、はいっていた。
これもまた廃止になった。
人権や何やらに引っかかるそうだ。
“誰がそんなこと言いやがる!!”
お店で物を買うとき
われわれは、店長や、主任を探すことがある。
それと同様に病院では、
患者さんやその家族は、
婦長や、主任を探したりすることが
たびたびある。
しかるにそのニーズには
答えられないということである。。。。。
(じろじろ名札を診なければいけない)
世の中、なにかがおかしいし、
なにかを履き違えている気がする。
ちなみに私は、白衣を着なければ
ただのおっさんである。
白衣は、予防着というより
医者であることの表明であり、
周りにそれを知らしめる衣装である。
学生の時、白衣を切ると
なにかしら、もの恥ずかしさを
感じながら、医学を実践すること
への意識の高ぶりを感じつつ
“私は、まだ医者でないから声を
掛けないで、、、“と、
思っていた。
他業種に目を向けてみると
一番は、警官が思いつく。
警察官の帽子は、機動性が落ち、
いろいろなことに邪魔になると
いうことで、アメリカを
中心にあまりかぶらなくなった。
しかし、結局今でも制帽というものが
残っているし、それが、警察官である
という周囲に対する威嚇、威厳に
なっているし、本人の気持ちも
そうなのではなかろうか、
軍人に関してはもっとそうである。
軍人は、特に戦闘以外の服として
何種類か制服が存在し、もちろん
制帽も存在する。
これが軍人の威厳であり、
威嚇でもあり、職業への誇りでも
あるのである。
つまり、警帽をかぶっていない警官
は、どことなく威厳がないし、
なんとなく頼りない。
(いまの柄付きの帽子は頂けない、、、)
それと同じことが、ナースキャップにも
言えるのではなかろうか。
周囲への職業の掲示とともに
本人の職業への誇りが感じられる
ものなのではなかろうか。
合理性の追求は、なにか物足りなさを
感じるものである。
いまでは、病院は、多職種の
人間がうようよしており、
皆、結構、似た制服を着ているので
我々でも、誰がナースが区別が
つかない。
そんなことを考えるとやっぱり
ナースキャップがあった方がいいのでは
ないかと思うことがあるのである。
医者も、実はネクタイは
不潔という面で、しない方が
いいといわれている。
しかし、いまでも、
偉い方??
性格のキチンと方??
はネクタイで診療をされている。
(何事もルーズで、首が太い
小生は、医者になってこの方
学会に出る直前の急な診察等でしか
ネクタイで診療したことがなく、
おそらくこの30年間でトータル
でも1時間ないと思われる。)
しかし、ネクタイをすることで、
その人の見た目ががらっと変わるので
、医者だったら
きちんとした、いいドクターに
見えるのではないだろうか。
それはそれで、ネクタイをすることは
正解であると私は思っている。
これとは、やや話がちがうのだが、
つい最近までナースは、
ナースキャップをかぶっていたが、
もう誰ひとりこれをかぶる人はいなくなった。
(怪しい世界ではまだ
かぶっている?)
もう、世界のどこの国でもかぶって
無い様だが、
これは、機能的に優れていない
ということと、(作業をするのに
邪魔になる)不潔である
(細菌が付着する)のが原因である。
ただ、医者になったときには、
これをかぶっていたので、
私の中ではやや寂しいもがある。
(これも東の方の病院さまが初めて
一機に広がった。)
実際、邪魔でめんどくさい
代物であるとは思うが、
それだけでなくしてしまうと
いうのはいかがなものかと
考える。
もともとは、長い髪をうまく
収納する役目があったのだが、
そのナースキャップの綺麗さや、
髪の入れ方、結び方、被り方で、
そのナースの性格までわかった
ものであった。
これぞナースの象徴であり、
実際、ナースになった時には
今でも戴帽式といって
ナースキャップをかぶる
儀式がある。
昔のナースは、ナースキャップに
一種の職業的な誇りをもっていた
様におもうし、周囲もそれを
感じていた様な気がする。
(余談ですが、男性ナースにも
ナースキャップがあり、
吉野家の店員の様な形をしており
これはやや頂けない。。。。。。。
戴帽式の時だけかぶる。)
これらのことは、しいては
モンスターペイシェント
というものを作り上げてしまった
一因となった。
“この病院にきてやっているのだから
おれの言う通りにしろ!!!!“と。
(これは、世間でも一緒で、
いろいろなところに
モンスターOOを作り出してしまった。
病院も店も、目の前の売り上げを
よくしようとして、結局、
大変なことになってしまった。
これにやっと気づいたOO大学病院は
これを中止した。
以前に書いたことがあるが、
医局の力を弱めてしまって、
医療崩壊が進んでしまったり、
患者さま と呼ぶことが
医療現場の混乱を招くことが
現場の人間には分かっていたのに
ごく一部の人間が
現場の意見を聞かず、決め事を作り
進行し、失敗を招き、
責任を取る前に去ってゆく。
どこの世界にもあることであるが
これが、日本の伝統的な
悪いところであろう。
患者様
実のところ、医療というのは
信じられないことにサービス業に
分類される。
じゃ、“患者さん”のことを
“患者様”と呼ぶのが当然だろう。
てなことを考えた
お利口であることを自負する
東の方の大学病院が
10数年前そう呼ぶことにきめた。
その東の方の大学病院は、まー全てにおいて
力がつよく、自分を一番と思ってらっしゃる。
てなわけで、“患者様”という
呼び方が瞬く間に全国に広がった。
先ず、それを聞いたとき
“馬鹿じゃなかろうか”
そんなことをすれば、大変なことになると
一人??思ったもので、
私は、一切“患者さま”“○○様”と呼んだこと
はないし、当時から私の周辺の人間には
そう呼ぶことを禁じていた。
なぜなら、医者というのは
患者さんに強く指導しなければならない
ことが日常茶飯事で、
時には理不尽なことを
指導しなければならないことさえある。
人間というのは浅はかで
常に上下関係を気にして生きている
(犬と一緒!!!)
OO様と呼ばれると
絶対的に自分が上と感じでしまう。
しいて言えば、今の世の中
上と思えは何をしてもかまわないと
思う。
それが人間という動物なのである。
そんな関係を築かれていい指導が
出来るわけがない。
いい医療ができるわけがない。
最近ボケて、前、
同じ投稿を2回していた。。。。。。。
つづき
また、これまた自信があるのが
ぼけたら エロ爺になることである。
年、をとったら、というか
ボケかかったらというか
容赦なしに、看護師を触ったり
エロいことを言ったりする人が
多い。
(抑制力、自制力の減退あるいは消失!!)
昔は、若い患者さんもそういう傾向があったが、
昨今、さすがにそれは、
世間が許さなくなっているので
減った様に思う。
しかるに、年齢が行くと
どうしてもこちら側も
容認してしまうことが多い。
大体、昔は、看護師、(看護婦の時代だが)
患者さんは、弱者なので
そういうことは、我慢しなさい
という風潮があった。
ぼけてもこういうエロさが
出ない爺さんは、かわいい爺さん
として認識される要因の一つ
である。
(爺さんの話をしているが、
婆さんもいっしょだよ。。。)
市の検診が始まって忙しくて
ブロクまで手がまわらない。。。。。
前回のつづきはもう書いていたのに
掲載する時間がなくて、、、、、
と言い訳をしたところで
つづきを。
これを言っていいのか否か。。。。。
前回の時とは真逆で、
“ありがとう”といわれても
(てめえ本当にそうおもっているのか)
“電気の機械つけて”
(どう考えても今、忙しくて
今すぐには無理だろう。。。)
なんて、ね。。。
人に接して仕事をしている人には
多かれ少なかれ絶対にわかるとおもう。
人柄というか、普段の行いというか
それが、すべてを決める。
同じ言葉をかけられても
同じ行いをしても
こちらの受け止め方はさまざまである。
それを押し殺して仕事をするというのは
めちゃくちゃストレスである。。。
私もかわいい爺ちゃんになりたいが、
絶対になれない自信がある。
私の様な性格の人間は、
間違いなく後者のタイプであり、
前者には努力してもなれない
自信がある。
ぼけたら、もっとひどくなるだろう。。
これまた自信がある。
褒め殺し
当院に時々点滴にやってくる高齢の
女性95歳方がいる。
年齢的にもう記銘力(記憶力)はかなり
低下しているが、、
この患者さんが、来るなり、
口から出てくる言葉が、周囲の褒め殺しである。
受付で受付の人間に対して先ず
“お世話になります”
足元がおぼつかないので
そのまま、誘導に行くと
“ありがとう”の連呼
私の顔を見るなり
“先生お世話になります”
(ほとんどお世話してないんだけど、、)
“ありがとう”(なにが、、)
“点滴してくれますか、
点滴するとげんきになる、、、“
(ほんと????)
看護婦さんを見るなり
“まー美人の看護婦さん”
“ずーと美人でいてくださいね。。”
(美人????)
当院に来てから帰るまで
ずーとこの調子である。
しかし、人柄というかなんというか
全くイヤミがないのである。
それどころか、本人より我々の方が
癒される。
また、当院で、電機をあてている方で、
この方も90歳後半の女性だが、
電機(治療用の低周波装置)
の端子(吸盤の様なもの)をつけると
“ありがとう”、“ありがとう”
“これをするとものすごく気持ちがいい”
この方も人柄というか雰囲気というか
本当にこちらが治療されている
様に癒される。
決して患者さんを差別してはいけないのだが、
どうしてもこの様な患者さんには
優しく接して、絶対、病気にさせない!
という気合が入る。
しかるにこれとは逆に。。。。。。。つづく
6月から健診がはじまって、なかなか、いそがしく、、、
話もまとまりがなくなって、、、、
という言い訳で、最近、間が空いていますが。
もとに戻って、
医局の話、、、、、、、、
以前話したかもしれないけれどもう一度
(最近、認知が入った??)
医学部以外の人は、第1内科、
第2内科、第1外科、第2外科
ってなんのことだろうと思うかもしれないが、
本当の由来は、それぞれの大学で違っている
とは思うが、
内科、外科は大きくて、やることも多く
医局にいる人数も多いので、第1、第2と
分かれて行ったところもあるし、
第1内科から、循環器がわかれて第2になって、
消化器が分かれて第三になったりしたところもある。
私の当時の久留米大学は、
大体、第1内科が、呼吸器、神経内科
第2内科が、消化器、第3内科が、循環器を
4内科が、糖尿関係を中心に担当していた。
第1外科は循環器以外、第2外科は
循環器と肝胆膵中心に担当していた。
今では医局自体が弱くなって、
医局を統一しているところが多く。
当の久留米大学も現在は、外科は、
外科教室という1つの講座になっている。
それどころか、
消化器科や循環器科として、縦割りで、内科も外科も同じ科として
統合する傾向にある。
先ほど、担当といったのは、
もともと、教育機関であるから、
正式には第一内科講座とか
第一外科講座といい、
教授の名前をとって
OO教室などと呼ぶところもあった
だから、教育を行うのに
それぞれの教室が教える部分を担当していた
という感覚である。
内科全般するのだけれども第1内科が
肺や感染症の教育を担当して
第2内科が消化器を教育する担当
という意味合いである。
前回話した通り、
5本目で私に回ってきて
私はキャプテンで、
相手は、5番手の選手で、すべてが
悲願達成の絶好の舞台
試合の前に軽く相手と練習の
打ち合いをするのだが、
その時なんと私のラケットの
ガットがブツんと切れた。
(本当は、大会前に張り替えておくのだが
調子が良すぎてそのまま張替えずに
大会にはいってしまった)
その途端、私の中のなにかが切れた
その後は何も覚えていない。
結局そこで敗れて、悲願達成にならなかった。
この時は、キャブテンという重責や、いろいろ
なことが重なり、周囲のみんなからは、
5年、6年の先輩たちやOBも
慰めの言葉の嵐であった。。。。。。
んーーーが、、、、、
半年も過ぎれば、
“あの時おまえが勝っていたら、、、、”
“ああ、これで二度と全医体に出れない。。。”
という言葉の嵐であった。
スポーツマンなんて
皆、こんなもん。???????
話のついでに余談ではあるが、
よく、高校野球で、一つのエラーで
勝利を逸したり、
ちょっとしたミスで優勝を逸したり
して、
ミスをした選手が周りに慰められる
いわば感動にもにた光景をよく見るが、
これは、、、、、、、、、
先に話した様に大学で、主将の時に
九山という大会で優勝したのだが、
夏にこの上の大会で、
西医体(西日本の医学部の大会)
があり、これでベスト4にはいると
全医体(全国の医学部の大会)に
行けるのだが、
我がクラブは、全医体に出ることが
かねてからの悲願であり、
(先に話た様に医学部といえども
当時はかなりレベルが高く
全医体ともなれば、全学生大会にでる様な
選手ばかりの大会であった。)
九山優勝校として
(全医体優勝常連の熊本大を破った大学として)
なりもの入りでこの大会に出場し、
決勝のトーナメントで、これに勝ったら
悲願の全医体出場。。。。
という場面で、
5本勝負で、2対2で最後の5本目の勝負が
私のペアに回って来て、
相手の力を考えると、これで、ほぼ悲願の全医体出場は
間違いないという状態であったのだが、、、、、、
本当にごく小さな話にはなるが、
前に話した様に大学時代軟式のテニスをしていた。
大学3年~4年の時、主将をしていたが、
ちょうど今頃5月の連休の間に
九山という医学部だけの大会があり、
(九州、となぜか山口県にある医学部
9校の対抗戦)
その時、団体優勝した。
以前にも話たことがあるが、
当時は、軟式テニスも今より競技人口がおおく、
また、大学自体も今の医学部より緩い
ところが有り、熊本大学や長崎大学には
医学部に全学の選手がウヨウヨいて
とてもレベルが高い状態で、
それに勝つのは結構大変だった。
そんな小さなことでも
優勝して、皆の前で胴上げされて
優勝カップでビールを一機のみして
騒いだことが、頂点で、
その後はその頂点の短さと
はかなさと、むなしさ
を感じた。
それには比べようがないほど
馬鹿でかいオリンピックや
ワールドカップの優勝という
頂点を味わった人たちは
どうなのか、想像もつかない。
しかし、オリンピックを見ていると
私の様な年配になると
アスリートたちの喜びとともに
逆に、このアスリートたちが
人生の前半で味わってしまった
悲哀を感じることがある。
そこに栄光を冷めた目で見る自分がいる。
オリンピックの表彰台ともなると
われわれ凡人が味わったことのないような
とてつもなく高い頂点に立つに違いない。
でもその歓喜がそこからゆっくり冷めて
行き、いわゆる燃えつき症候群になって
しまう人間も少なくない様に感じる。
ニュースなどを見ていると
その後の人生は大変なことが多い様な気がする。
プロ野球やサッカー、ゴルフなど
プロの世界でも活躍している頂点を過ぎ
引退すると、その頂点が高すぎるほと
その後がさみしいものである様に感じる。
高校野球の優勝のシーンなんかを見ると
この子たちは、一生この頂点を
探して、背負って、生きてゆくのだろうという
勝手な想像をしてしまう。
そもそも
われわれ見る方が、その時は共感し、
歓喜するものの、
それが終わると、何もなかったように
冷めてしまう。
それが悪いのではあるが、、、、、、
昨日、春の園遊会で、平昌オリンピックの
メダリストが、陛下と歓談していたが、
少し、前の話題になってしまうが、
私の世代では冬のオリンピックといえば
もちろん “札幌オリンピック”である。
これを当院の事務で話すと
“え?札幌でオリンピックがあったのですか”
という答えが返ってきた。
。。。。。。。。。。。。。。。。悲しい。。。。
“飛んだ決まった笠谷のジャンプ”
(ノーマルヒルのジャンプで優勝)
をリアルタイムで見ていたし、
トワエモアの
雪と虹のバラードを口ずさんでいた。
今、テレビを見ると見慣れない
競技のオンパレードで、
おじさんの私としては、どうも
Xゲームの様な競技は
オリンピックらしくなくて
。。。。。。。。。。。。
そもそも冬のオリンピックは
採点競技が多すぎるとおもいません?
ついでに、スーパーでの話。
また、スーパーで、私は、予測が悪いのか
否か、、、、
レジに並ぶとき、必ず遅い列に並んでしまう。
(先生、スーパーに行くんですか、
とよく聞かれるが、しょっちゅう行くよ!)
そもそもスーパーは、中年のおっさん
にとっては、あまり長いしたくない
場所ではある。
そういう焦りが、そうさせるのか
どうかわからないが、
レジに並ぶとき、私は私なりにここが
早いだろうというところに並ぶのだが、、、、
前の人の商品の値段がわからなかったり
(ひどい時は、レジの人が売り場まで
確認にゆく)
もうすぐという時におばさんが
(おばさんへの偏見であるが、、、、、、
財布から小銭をやおら出し始め、
挙句のはては、結局、足りなくてもういいだとか)
これもおばさんが多いのだが
(おばさんへの偏見2
特価やセールスのことをレジの人に聞いて
時間がかかったりとか、カードやなんやらで
時間がかかったりとか、
、、、、、、、、、、、ついていない。
私は、コンビニやスーパーをよく利用するのだが
たまに、店員が会計の時
つり銭を私の手のはるか上から
落下させるやつがいる。
あなたも経験がないだろうか
女性に多い様な気がするが、、、
おっさんの手にさわりたくないのはよくわかる
が、そんな上から落とさなくても
手が当たらんわい!!
と思う時がある。
もちろん、握りしめられたら
気持ち悪いし(特に男性からは)
あなたが若い女性なら
握りしめられたら
一種のセクハラであろうが、
もう一度いうが、
そんなに上から落とさんでも
こっちだって触れたくないんだよ!!
偏見かもしれないがそれでいいと
私は、思っている。
なぜなら、日本の医療制度のいいところは
国民皆保険制度である。
これのどこがいいかというと
貧富の差なく、同じ医療が受けられる
ということである。
いままでは、お金持ちでも
結局は、受けられる医療は同じで、
ただ、入院なぞで、良い部屋に入れるだけ、
へたに、人脈や、お金をまわして
えらい先生に診てもらうと
たまにはどえらいことになる。
(例えば、名前はあるが、最新医療はしていないとか
外科でいえば、手術をあまりしていない
のに、頼まれたからやるとか
専門分野ではないのに、たのまれたから
手術をするとか、、、、、、、)
(決して、人気や名声と実力は違います)
つまり、だれでもが
同じ医療を受けるにはそれがよかった
様なきがするのだ。
しかし、今からは、混合医療も始まり
これが崩れ
お金持ちは、
Aランクの病院の
Aランクの医者で
Aコースの治療を
そうでないか方は、
Cランクの病院で
Cランクの医者で
Cコースの治療を
という風になる様な気がするし、
実際そうなり始めている。
実際アメリカなどは、
保険の関係でそうである。
なんせ、どこの世界も
同じと思うが、
できる人間は、外国に留学して
日本に帰って来て指導者となり、
その制度をそのまま日本に
導入する傾向があり、
そのままでは日本の風土になじまない
(いいすぎ???)
そもそも、スーパードクターは
いるのだろうか、
私にはわからない。
マスコミが作り上げた偶像の
様な気もする。
実際、自分の周囲でその様なドクターを
見たこともない。
(世間で人気があるドクターはいるが)
テレビが作り上げた印象
であると思われるが、
特定の医者にしかできない手術や
検査、手技、診断があるならそれは間違いであり、
指導者は、だれでもできる手術や
検査、手技を作り上げ、
それを皆に広めるのが使命であろう。
それでなければ、特定の人だけが
特定の医療を受けることになってしまう。
もとにもどって、
医局は、
上下関係も厳しく、
(医者は、年齢で上下関係が決まるのではなく
大学の卒業年度で決まる。
大学に入る年齢が他の学部より
まちまちであるためなのかもしれないが、
逆に国家試験の合格年でないことも
不思議なところである。
逆にいえば、今とちがって
昔はそれだけ経験というものが
重視されてきた。)
また、上下関係の厳しさゆえに、
礼儀作法、言葉遣い
手紙の書き方まで仕込まれた。
つまり、平均的な医者を作ってきた。
過不足のない医者を作ってきた。
さらに言うなら
そういう医局の監視の下で
病院に派遣されて働いており、
変なことをすると医局から追放される
(追放されるということは極端なこと
をすればそこら辺の地域では働けない
ということ)
ある先輩が、派遣先の病院で、
ナースにセクハラをして
(そんなに大きなセクハラではないが)
次の日に大学に呼び出されて
助教授が一言
“おまえなんか医者をやめてしまえ!”
と、即日、医局追放となった。
今は、結構ネット時代で
いろんな医師の愚行がニュースになるが
当時こういう愚行も医局が抑えていた
半面がある。
もちろん良いところばかりではない。
今では考えられないほどのパワハラ、
派閥人事、
出る杭は打たれる。
いま世間でいうスーパードクターは
出にくい環境である。
この世界で、独自の医療、
独自の研究はなかなかやれない環境にはある。
秀でた者はなかなかでないかもしれない。
かつての会社社会に似ていたのかもしれない。
しかし、、、、、、、
医局の良かったことその2
医学部の入試や医師国家試験には
適正検査がない。
こんなことをいうと大変叱られるが、
どの世界にも変な奴はいる。
一学年に一人ぐらいは、
こいつに人を診させたらだめだろう
(いろんな意味で)という
やつがいるものである。
医局は、こういう医者は、人を診させない
つまり、臨床から外す人事をして
研究だけさせてり(こういう人
に限って研究が優れていたりする。??)
という方法をとることが多い。
(だから今問題を起こす医者が多い??)
ある病院にいた時医局からOO先生(
いわゆる問題児)
をそちらの病院で引き受けて
くれないだろうか
という打診があった。
副院長は、OO先生がをよこすなら
それを監視するのに一人、人手がかかるから
もう一人よこすなら引き取る。
という条件を出して引き取ったことがある。
その時の医長は、“俺が育てる”といって
一生懸命、面倒をみていたが、
たった3か月であきらめた。
いまその人は。。。。。。。。さすがに言えない。
決して医局の方を持つわけではないし、
現在の社会にはこの制度が合ってない
こともわかっている。
しかし、医局の良かったところは、
1. 現在の医師の偏在を防止していた。
どういうことかというと、
医局がいろいろな病院を抱えている
ため、もちろん皆が行きたいところと
行きたくないところがある。
たとえば、へき地の病院
手術症例が少ない病院
人員が少ない病院
給料が安い病院。などなど、、、
現在、それらの病院を希望する
医師がすくなく、そういう病院は
人を探すのを苦労して
科を減らしたり、果ては、
閉院に追い込まれている
病院もある。
医局に人が豊富な時代は、行きたくない
病院と行きたい病院を交互に行かしていた。
(次は、希望の病院に行かすから
数年間OO病院に行ってくれ。。。。)
なんて。。。。。
で、結局医師の偏在が免れた一面がある。
実を言うと
この制度ができる時
現場では、このままでは
小児科、産婦人科が回らなくなるということや、
大学の研究が人員不足でできなくなるという
懸念がでていた。
ところが、こういう話はどこの世界でも
通らないもので、
その話は完全に無視されて
この制度が急に始まった。
現場は混乱し、
ただでさえ医局員が減って苦しくなっているときに
教育係に多大な労力を払うことになり
現場はさらに重労働を課せられ、
また、小児科、産婦人科は
医局員を派遣できなくなり
中小の病院の小児科、産婦人科は閉鎖
をせまられ、(根底はもっと根深いものが
あるのだが)
予想どおり大学での研究員は不足して
しまった。
研修医は、もうわれわれの
時の様に丁稚ではなくなり、
遅くまで拘束もできず、
病院側としても優秀な研修医は
病院で囲い込みたいので、
自ずと扱いが丁寧になり、
学生やお客様扱いになり、
また、最近は諸問題がウルサイので
現場で、こういう人たちが
愚行をしても、罵倒しようものなら
病院や世間から
指導を受けるのは罵倒した側。。。。
一度、教育係の先生がわたしに
いったことなのだが、
研修医から夜のカンファランス前に
“9時から見たいテレビがあるので
帰っていいか“と聞かれて唖然とした
が、時間外の拘束ができないために
了承するしかなかった。。。。。
というウソのような本当の話を聞いたことがある。
医師の労働時間からだんだん愚痴っぽくなったので
今回から”おっさんの愚痴”に題名変更
私のころは、その病院の取り合いが
激しく、例えば、大きな病院ができると
そこの院長にどこの大学出身の者が
なるか(大抵は定年を迎えた教授)
ということでその病院の
大学派閥が決定する。
また、大きな病院で、医長の席が
空白になろうものなら、
結構腕利きの医長を送り込んで
そこの病院に食い込もうとしたり
という時代であった。
(福岡は、九州大学、久留米大学
がある上に産業医大、福岡大学が
医学部を作った上に、
新設の佐賀医大、大分医大が
近県にできて、厳し状態であった。)
実は、私も医長をしているときに
九州大学が中心の大病院から
引き抜きの話があり、
医局に相談したことがある。
こういう風に病院には大学の縄張りがあり、
その病院に送り込む医師は、
医局が決定するのであるから
それは、それは医局の力が強いのは当たり前である。
(ここからは偏見?)
そのちからをそぎたい人達が
これを崩すために?
研修医制度というものができた。
一般に大学を卒業すれば医局にはいっていたのだが、
これをやめさせるために、
研修医制度というものをつくり、
大学を卒業すれば研修医教育を行う病院が
前期研修で2年間、後期研修で1年間
これを行う。
研修が終了すれば、大学の医局にもどらず、
一部は大きな病院に直接務めたり
中小の病院に就職したりして
大学に戻る人間は激減した。
その結果医局員は減り医局の力は
昔に比べて地に落ちた。。。。。。
(あくまでも偏見です。)
医師の労働時間14
総回診の話で分かるように
医局というものは教授が神様である。
今の時代は、医局自体が弱体化
していることもあり、
教授自体の力(美味しさ)は、
昔に比べてとてつもなく落ちている。
大体なんで医局の力が落ちているかというと
これは、お上の方針なのである。
(ここからは、かなり辛辣な話)
白い巨塔ではないが、
医学の世界は、大学が中心で行われている。
これが、厚生省(今は厚生労働省)が
とてつもなく嫌なことだったらしい。
なんせ大学の医学部は文部省の管轄
なのであるから。
医療行政を牛耳る厚生省としては
文部省管轄の大学が力をもつことが
非情にいやで、目の上のたんこぶであったらしい。
この力関係を打開すべく、裏でかなり
戦いがあったらしい。
(確たる証拠はないけれども)
元来、どの病院もだいたいそこで働く人間は
医局が送り込む。
だからOO中央病院の消化器内科はOO大学の
第1内科、呼吸器内科はOO大学の第2内科、
外科はOO大学の第1外科、、、、、、、
という様に、医局が人事としてそこに
医者を派遣する。
だから外からは分からないであろうが、
OO病院はOO大学系
OO病院はOO大学系と
だいたい管轄する大学(医局)がきまっており、
逆にいえば、医局が絶大なる力を
もっていたのである。
しいて言えば、教授が絶大なる力を持っていたのである。
だいたい班別での回診は、毎日あるのだが、
総回診の時はできないので、
いくつかの班では総回診が終了してから
また、班の回診がはじまる。
外科というのは、傷を毎日みなければいけないので
必ず、少なくとも一日一回は回診が必要で、
班別の回診で、傷をみながら
皆で患者さんの検討をする。
よって、全てが終了するのは13時頃になり
終了時には、虚脱状態となる。
班の回診といえば、
当時、大腸班のトップの先生が
大変、怖い先生で、
本来なら、大腸班の回診は、
丁稚3~4人と
大腸班の先生5~6人と
その怖い先生でするところなのだが、
大腸班の先生は、どういうわけか
(その怖い先生の相手をするのが
面倒なので。。。。。)
あまり来ない。
来ても回診中に
1人2人と
どこかに消えてゆき、
最終的には、丁稚と怖い先生との
回診になってしまう。
一般に、怖い先生、あるいは
きつい指導をする先生は、
結構、きまった人間に対して、
集中的に怒ることが、多く、
(私は、どういうわけか、攻撃されない
丁稚だった。)
特に、その大腸班の怖い先生は、
引く人間に対して
(指導をすると緊張したり、
黙り込む人間)に対して非常に集中的に
攻撃をする先生で、
結構、上のDrも集中攻撃される。
そういうこともあって回診は、最終的に
丁稚しかいなくなり、惨状がくりかえされる
ことがしばしばあった。
私は、大腸班には2年目で回ったのだが、
要領がよかったのか、ふてぶてしい
のがよかったのか、その先生には
怒られることがほとんどなく、
その先生と丁稚だけの回診だけでも
結構スムーズに回診が進むことが多く
、
用事で回診に付けない時でも
回診が停滞すると、看護婦さんに
探されて、回診に来るように頼まれたりも
していた。
ところがそれは終わりの始まりで、
一部の班ではまた、それから本当の回診が始まる。
班の説明―――
我々の医局では、食道班、胃班、大腸班、
肝胆膵班、胸部班、代謝班に分かれていた。それぞれ
ほとんど独立して活動しており、研究も
独立して行っていた。理解しにくいとは
思うが教授は一人なのだが、大体
助教授が当時2人いて、それに近い
上級の講師が数人いて、それぞれの班の
長をしており、医局の中にさらに医局が
あるような感じであった。
また、班ではないが、一外科の出身者が多い
小児外科や救命センターを
ふくめて、丁稚は、今の新人の医者の
研修の様に(今、前期2年、後期1年の
研修制度でいろいろな科を回って昔の
インターンの様に教育を受ける制度がある)
各班をローテーションして回り
子供から大人まで、首から足先まで
内科的ことから外科的なことまで、
さらに救急まで一応のことを習得する。
よって、われわれの当時は、
今の研修医制度がなくても、それに近い、
ある意味では
それ以上の教育をされていた。
外の大きな病院もふくめて
5~6年をかけて全てを回って
それから研究班として、どれかの
班に所属する様になる。
ちなみに私は、胃班
総回診といえば、
一般の人は、“白い巨塔”の総回診のことを
想像するであろうが、
私のいた当時の総回診はそれを
はるかに上回る大変なものだった。
はっきり言ってこれは大教室の教授であることの
セレモニーの様なものである。
その回診の用意のために
日曜の夕方から教授に見せるフィルム、
カルテの整理、教授に話すために患者さんの
概要や、フイルムを用意する。
そして、月曜の朝に教授回診が始まる。
先にもいった通り大学内だけで7~80人の
医者がいるわけで、テレビで見るより
数倍多い人数での大名行列が始まる。
総計で、一外科だけでも100人近い
入院患者さんがおり、
一番下っ端の丁稚は、7~8人の直接の受け持ち
患者さんがおり、
一人の患者さんを教授にプレゼンテーションをすると
次のもち患者さんまで慌てて移動して
古い大学だったので、3階の主な病棟が
終わると100mほど離れた病棟に行き
(走って)それが終わると10階の
特別室まで行き(階段を走って上がって)
また、他の階の病棟を回って
また逆に100mほど離れた病棟まで
走って行くというありさまで。。。
プレゼンテーションは大抵がすんなり
終わるのだが、教授の意にそわないことを
すれば指導医ともども患者さんの頭越しに
罵倒される。
(回診の後は、指導医に怒られる)
私は結構要領よく進む方であったが、
中には、最初の患者さんから最後の
患者さんまでズーーート
強いお叱りを受ける丁稚もいた。
それはそれは丁稚にとっては戦争の様な
状態でした。
9時から始まり終了が11~12時で
心身ともにへとへとになる。
大体当時受け持っていた患者さんの
3分の2は術前、術後の患者さん。
後は、がんの化学療法や、最後の見取りの
患者さんで、大変な状態で、
当時、今から思えば無茶苦茶であったが、
術前の、カメラ、エコー、透視
血管造影、などなどあらゆる検査を
外科がして、術前に高血圧や糖尿、高脂血症
などがあれば、術前にコントロールして、
術後もそのまま外科が見ていた。
いま、これらはほとんど内科、
それも夫々の専門が分業でやっており
これを一手に外科がするということ
自体が無茶苦茶で、仕事が多かった
理由がわかると思う。
(まあ、そういう仕事をしていたので
広くいろいろ経験してきたので、今何でも屋
としてやっていけているのだが。。。)
また、当時は、大学は研究機関
という意味合いが強く、手術自体も、
大学で、いろいろな手術をして
いい方法を作りだして、一般の病院で
その方法をするという意味合いが強く
リスクが高い人を手術したり、
拡大手術といってかなり危険な手術が
多く、なんとて術後が大変であった。
だいたい手術というものは、
元来、ぴんぴんしている人に
突然、交通事故に合わせて、大変なけが
をおわせて重症にして、それから
回復させる様なものであるから
それは大変な仕事であった。
以前に言っていた。
よくドラマで手術がおわって
“手術は成功です”という言葉など
意味がなく、言うわけもない。
本当の手術の成功の可否は、
手術が終わって回復して、
あるいは、がんの手術では、
何年もたって、その予後がいいかどうか
までみなければ
その手術が成功したかどうかは
判断できないのであるから。
だいぶあいたけれどまた、もとの話にもどって、
私のいた医局は以前書いた様に
当時でもやや古風な医局であったため
一日の終わりがない。
手術の患者さんを見終わってひと段落するのが
21時ごろ。
その時間帯になると指導のドクターが
丁稚の一日の仕事を見回りにくる。
また、どういうわけか、研究室のドクターが
帰る前に病棟にぞろぞろ上がってくる
(古い大学で、建物が新旧、大小
入り乱れていたので、研究室は
あちらこちらに7、8室あった。)
大學内にいる医局員だけで7~80人
いたので21時~22時頃は
病棟は変なにぎわいをみせる。
それからもいろいろ雑用が
あって、結局仕事が終了するのが1時ごろ
(当時、FMでジェットストリームという
番組が0時からあって、ミスターロンリー
の曲と城達也の声を毎日病棟で聞いていた)
というより、次の日のことがあるので
それぐらいでもう切り上げていた
という方がいいかもしれない。
丁稚というのはいろいろ雑用があるもので
月曜~土曜の昼過ぎまで、きっちり仕事があって、
外科は、日曜日も午前中は、総回診があるので
残った仕事をこなすのに土日を使っていた。
だいたい一人で20人~30人の患者さんを
受け持っていたので、
術後の患者さんを診るということは、
常に5~10人位は目が離せない重症患者さんが
いるということで、
なかなか病院を離れることはない。
余談の前おきはここまでとして、
前にもいったが、ニューシネマパラダイスという
映画が好きなのだが、それを初めて見たのが
30代半ばで非常に感動した。
しかしこの映画は、私の周囲では、
20代の人間は、あまり感動せず、
30代以上の人間は結構感動していた。
この差は、この映画の内容に
ある様な気がするのだ。
この映画は初老の映画監督が
帰らぬ昔を回顧する内容なのだが、
20代ではまだ、帰らぬ昔を回顧する
というようり、今のいい時を
謳歌することが主な世代で、
この映画の主人公の心にはなかなか
入り込めなかったに違いない。
と、思うのである。
最近、この映画好きの私が
映画を見る気力がやや衰えてきている。
その理由は、ストーリー性のない
いわば、アクション性の強い映画がふえて
きたせいだと思っていた。
しかし、よく考えると、
映画を見ても、主人公に近づけない
年齢になってきたためだということに
うすうす気が付いてきた。
よく考えると、主人公が自分の年齢より
若くなってくると、その場面設定に
入り込めないのか、だんだん見なくなって
来たようなきがする。
(たとえSF映画でも主人公や
主な脇役が自分の年齢に近かったら
その役に溶け込んでいた様な
気がするのだ。)
たとえば、これを読んているあなたも
主人公が高校生の映画は
とても見る気がしないとおもう。
、
もうすでに主人公が40歳代の映画でも
仮想現実で、主人公になり切れなくなってきているので
見る映画の幅が、本当に少なくなってきて
映画に対する情熱が減ってきた様なきがするのである。
悲しいかな、それが今の自分の年の
現実なのだと思う。
(新春早々くらい内容ですみません。)
(死ぬまで映画を愛していた
淀川長治さんはすごい!!)
また、また余談だが、
映画の話を聞くと結構女性と男性で差が
出てくる様な気がする
(決して差別ではありません
動物として、脳の発達の仕方が
本能的に違いがあるといわれています?)
よく、道を聞くと
女性は、目標物を取り上げて
説明するといわれている。
たとえば、
“この道をまっすぐいったら
左にガソリンスタンドが見えるので
そしたらその次の角を左に曲がって
スーパーマーケットが見えたら
すぐ右へ曲がってください
そうすると赤い屋根の家がありますから
そこがその場所です。“
男性は
“この道をまっすぐ行って3番目の交差点を
左にまがって、
そうしたら2つ目の信号を右に
まがって5件目の家です。“
という感じが多いといわれている。
映画の話をきくと
結構、女性はたとえばROCKYなら、
“ロッキーが
鶏をおいかけてトレーニングしたり
生卵を一杯のんで筋肉つけたりして
チャンピオンのアポロと戦って
最後のラウンドまで行って
負けるのだけれども
エイドリアンと抱きしめあうの“
男性なら
うだつの上がらないボクサーだった
ロッキーが、ひょんなことで
チャンピオンのアポロと。。。。。“
という様に道を教えるのと
同じ様に女性は物語を
場面でつないで説明し
男性はだいたいのあらすじを説明する
ことが多い様な気がする。
つまり女性は
”ドーンとなってバーンとなって
ドカーンといって、、、、“という風に
男性は博多風にいうと
“こげんなって、こげんなって
こげんなる。“
と説明することが多い気がする。
あけましておめでとうございます。
ついでに映画の話をもう一つ
私は(私だけではないと思うが)
映画を見たらすぐその中に入ってしまう。
以前、任侠映画を見て、
映画館を出てきた人が、
肩を切って歩いて出てくるなどと
揶揄されていたが、
これに似たことは誰しもが経験している
はずである。
刑事ものを見た後、街をあるけば
まるで群衆の中で犯人を探す様に
周囲に目配せをしたり
あたかも犯人の様に、
後ろを歩く人を気にしたり、
戦争映画を見れば、
軍服を着て銃を持つがごとく
傘を持ったり、
恋愛ものを見れば
一人街を歩く自分が
まるで、彼女を失ったように
寂しそうに肩を丸めてあるいたり
最も経験するのは、恐怖映画を見たあとは
ちょっとした音にも驚いたり
物陰が妙に気になったり、、、、
つまり、映画というものは
自分が主人公になり、
その仮想現実の中に入り込むということ
にほかならない。
(これは、いい本にもいえることだが)
また、余談だが
以前から少し気になっていることが
あるのだが、
映画の多くは、
その仮想現実に入りやすい様
にしているためかどうか
わからないが、
妙に設定の中で主人公(男)
と女性を引っ付けるために、
独身という設定が多い。
結構いい男で、いい性格で、
年齢的に独身でいるのが不自然な
状態だったり、
あまりにも無理だったら、
離婚させていたりする
そういう設定が多すぎる様な気がする。
(特にアメリカ映画)
そういうことを考えると
ウイリアム・ワイラーは
さすがに巨匠だとおもった。
ラストシーン。
オードリーが去っていった誰もいない
舞台をしばらく写し
グレゴリーペックは、みんなが去る中
それを眺めている。
それからおもむろにその
舞台をあとにして
歩くラストシーンになるのだが、
ゆっくり画面の左に少し寄って
中央に、オードリーが去っていった
舞台を遠方に写し、
ゆっくりポケットに手を入れながら
余韻を感じさせながら
あるいて
途中で一度振り返り
なにかを振り切る様にまた
歩き出す。


このラストシーンは、見事であり
日本人の心をがっちりつかんだのでは
なかろうか。
日本人にはこういう余韻を
大切にする文化を持っている
様な気がするのである。
(逆にいえば 未練たらしいのだが)
またまたもう一つ
“レナードの朝”という
医療関係者は必ず見なさいと
言われる様な映画。
名優の最近亡くなった
ロビン・ウイリアムスとロバート・デ・ニーロ
の競演でとても感動的な
名作であった。

デニーロが特殊な脳炎に
子供のころにかかり、
それ以後ほぼ筋肉が硬直した状態で
意志がなくなってしまった様な,
ほどんど植物状態で30年間
精神病院で入院している。、
その病院に新任の医師である
ロビン・ウイリアムスが赴任してきて
熱心に治療をほどこし、
ある、新薬で、デニーロが一時
正常な状態に戻るというお話で、
(医療関係者としては、あまりにも
極端な脚本に違和感をおぼえるところではあるが)

その最大の山場は、デニーロが
正常な状態にもどった時、はじめて
恋心をいだいた相手に、
薬がだんだん効かなくなってまた
もとの自由が利かない体と心
にもどることを予期して
自ら別れを告げ、去り行く彼女を
眺める場面なのだが、
彼女が去ってゆく後ろ姿を
病室の金網のついた窓にへばりついて
静かに見送るのだが、
彼女は、少し後ろをふりかえりながら
道をあるいて、、
やがてバスにのる。
私の思いでは、
もう、永遠の別れになるかもしれないのだから
そのバスが出発して、
バスがいなくなったバス停をしばらくなが
めていてほしかったのだが、
デニーロは、バスが出発したらすぐ、
180度回転して
窓からはなれていってしまったのである。
私だけではないと思うのであるが、
日本人は、余韻を味わう
こころを大事にする文化がある。
彼がのった列車が行ってしまった後の
余韻。。
彼女がのったバスがでていった後の
余韻。
それがほしかったのである。
話は、変わるが、
”シェルブールの雨傘“という
1964年のフランスの名作
フランスの大女優
カトリーヌ・ドヌーヴ
を世界的スターにのし上げた
ミュージカルの巨星である。
(見たことがある人は知っているとおもうが、
全編ミュージカル。
つまりセリフも全て歌なのである。)
いま、真剣にみたら少し滑稽かもしれないが、
そういうことをのぞいても
今でもミュージカル映画の3本の指に入る傑作である。
1度見てほしい。


しかし、一か所だけ、最初に見たときから
どうも許せない場面がある。
それは、前半の山場
恋人が2年の兵役に就く時に
駅のホームで、別れを惜しむ
とても悲しい場面である。
われわれ日本人としては、
彼が乗った列車がホームからはなれ、
列車が米粒の様にちいいさくなるまで
手をふり,
列車が
見えなくなってもしばらく
一人プラットフォームで
彼がのった列車が消えてしまった後の風景を
跡を眺めていてほしいものだが、

こともあろうに
列車がホームから離れるやいなや
180度方向転換し、
ホームからさってゆくのである。
“おい、おい、彼は、未だ列車の窓から
見ているのではないのか!”
悲しみをそういう風に表現したのかも
しれないが、
どうも私にはこのシーンだけが
うけいれられないのだ。
ここで映画のめちゃくちゃコアな話を1つ
”ローマの休日“という映画をご存じであろう。
誰もが知る巨匠ウイリアム・ワイラーの名作。
オードリーヘップバーンを一躍スターダムにのしあげた
名作中の名作である。
あの淀川長治さんがこよなく愛した映画
である。
(若い人のために、淀川長治氏は
“さよなら、さよなら、さよなら、”
で有名な映画評論家)
この映画は、世界中で愛されているが、
特に日本人のこころに合ったので
はないかと思うのである。


つづく
今の現代人が、太りやすいのは
今と違い、古代はいつ食べれるか
分からない食糧事情の中で、
食べた時に余分なカロリーを
脂肪として蓄えやすい者が生き残り
その子孫が現代人であるから
脂肪がつきやすいという遺伝子が
生き残り、現代人が太りやすいという
説がある。
何が言いたいかというと
人類の歴史は、戦争の歴史である。
今まで数えきれない戦争の中で
勇敢に戦闘で一番前に突進していた者は死に、
純粋に命令を聞いて突進したものは死に、
家族のためを思って突進したものは死に、
そういう人々は死に
勇敢で、純粋な遺伝子はどんどん
戦争とともに消え去って、
どうにか戦闘を逃れたり、命令を
純粋には受け入れなかったり、
つまり,ずる賢いやつが戦争の歴史の中で生き残り
脈略とその遺伝子がいまの現代人の
血の中に流れ、
そういう 奴らの集団が現代人ではないか
と、ふと思う時がある。
自分のことを考えると
勇敢でもないし
上からの指導には歯向かうし
ずる賢くて計算高いといえば計算高いし
かつ
太りやすい。
まんざらこの説は間違ってないかも。
戦争映画や、歴史ドラマをみて思ったこと。
昔のナポレオン時代の映画を見ていると
戦闘のシーンで弾が飛んでくる中を
整列して行進しながら突入しているシーンを
よく見るが、
私はとても最前列では歩けない。

戦国時代の戦闘シーンで槍をもって
大勢で突進するシーンがよくあるが
私はとても最前列で突進できない。
恐らく、突進しながら徐々に後ろに
下がっていくことだろう。
塹壕の中から突撃の命令が出て
突撃する。
私は、絶対真っ先には出てゆかない
だろう。
映画やドラマとは言え
これに近いものは実際にあったに違いない。
戦争という異常な場面で
異常な心理が働くのではあろうが、
私は、とても先頭で戦える自信などないし
後方へ下がるチャンスがあれば
絶対後ろに下がったに違いない。
と、いつも思いながら見ていた。
人間の歴史は戦争の歴史である。
文明がなかった時でさえ、
他の部族との殺し合いは
たびたびあったに違いない。
なにがいいたいかというと。。。つづく
前述した様に自分が主治医で
手術に入っているのにほとんど手術の
場が見えない。
見えないにも関わらず
手術記事をかかなければいけない
(手術の内容の記録)
手術記事を書くと、上のドクターの
承認がいる。
先ず、手術記事を直属の
指導医に見せるといろいろ
書き直しをさせられる。
(そんなことはしていない!
とかお前はなにもわかっとらんな!
とか、手術書を書き写すな!
とか、いろいろ言われるが
見えてないのだから仕方がない)
そこでOKが出れば次に
術者にOKをもらいに行く。
結局2~3回は書き直しを余技なくされる。
余談ではあるが、
手術記事はまだいい方で、
患者さんが退院するときに
退院記事というものを書かなければ
いけない。
これは、患者さんのまとめでもあり
紹介してくれた開業医への
詳細な返事でもあるのだが、
これが大変で、指導医と教授、あるいは
助教授クラスのハンコがいる。
常に清書で綺麗にかくのだが、
パソコンのない時代に手書きで
まずこれもOKがでるまでに
2~3回の書き直しが必要で、
とにかくハンコがなければ、
返事が出せないので
大変であった。
中には、理不尽な書き直しもあり、
いじめ以外のなにものでもない
ことが
しばしばあった。
それでも、それを
くそ忙しい中もくもくと
こなしていた。
前回いった様に筋鈎という道具
を何も見えないところから
もっているので、手術がどうなっているか
なんて、てんでわからない。
筋鈎という道具は術者がよく
見えるようにするものなので、
力の入れ様や、動かし方などわかる
はずもない。
にもかかわらず、
“もっと見えるようにしろ”
“へたくそ”
などといわれる。
丁稚が
“見えません”などというと
“筋鈎の先に目をつけろ!”
などとわけのわからないことを言われる。
人が少ない時は、第2助手なんかをする
ことがあるが、
うとうとしたり、筋鈎のひき方がわるければ
コッヘルで指をたたかれる

コッヘル
これがまた、指が千切れるほど痛い。
今の手術では、腹腔鏡の手術が増えて
みんな、術野(手術をしているところ)
を共有できてうらやましい。
手術の技術は教わるものではなくて
盗むものという時代だったので
ほんにうらやましい。
(頭突き、回し蹴り、コッヘルでたたく
などを今の時代にすれば、
下手をすれば訴えられる。
手術の技術を教えなければ、パワハラ
と言われたり、少なくとも
医局や病院をすぐやめる
のが今の時代です)
手術というとテレビの一場面を
想像するだろうが、
1、 2年目の大学での仕事は、
第3~4助手。
術者がいるので第4~5番目の人間ということである。
腹を開けてする手術というのは
術野(手術自体をやっていることろ)
が見えるのはせいぜい第2助手までで、
だい第3、4助手は、術野が見えやすい様にする
筋鈎という先が曲がった金属の
棒をひたすら引っ張ること。
術野が見たくて覗こうものなら
“邪魔”と言う怒号が飛んでくる。

筋鈎
胸の手術に至っては第1助手までしか
みえない。
ちなみに私の医局の教授は、日本の
食道癌手術のトップの教授で
食道の手術では、第4助手が普通で、
やるとこといえば、7時間も8時間も
ひたすら半身で先ほどいった筋鈎という
金属の棒を引っ張って
見えるのは教授の背中のみ。

連日夜遅くまで肉体労働している
ので7時間も8時間も教授の背中を
ひたすら見て起きていられる
はずがない。
時々教授の背中にコツンと頭をぶつける
と、教授も慣れたもので
“どうしたんだい”
“何かあったのかい”
と皮肉交じりに軽く注意される。
教授は、この程度だが、
指導のドクターは、先ず頭突きが
回し蹴り。(手が清潔で
手術での現場では、手がだせない。)
みんなが憧れる手術室の丁稚
の扱いをはなすと
先ず、手洗い。
今では、いろいろな研究で、
水道水で石鹸を使って手を洗って
アルコールで消毒するのだが、
当時は、剣山の様なブラシで
(当時は、硬いブラシがいいと
信じられていた)
石鹸や手洗い用のイソジンをつかって
長い時は20~30分手を洗っていた。
上のドクターは上手に洗える???
から15分ぐらいで終了するが、
丁稚は、手洗いが下手ということで
監視付きで30分近く手を表される。
(冬などは痛いという感覚もなくなる)
(手術の過程の中で一番苦痛)
それから手術着を着るのだが、
術着は上手に着ないと
せっかく洗った手が不潔になる
ので、少しでも失敗したら
また手洗いをやり直し
しなければならない。
先輩の目をごまかして
手を抜きたいところだが、
キチンとしないと術後に感染を
起こすかもしれないことを考えると
さすがに手は抜けなかった。
“”余計な付けたし“”
(私の勝手な想像であるが)、
((内科系出身の先生ごめんなさい))
外科系出身者はどうもこのことが
身についていて処置やなんかでも
清潔にこだわるが、
処置が終わると手や顔に血がついたり
汚れていたりしても無関心な人間が
おおく、手もあらわないが
内科系出身者の処置は外科系から
見ると清潔さがおぼつかない反面
処置をした後の手洗いなどは
怠らない人が多い様な気がする。
(私は、風邪が流行っている時期
でさえ、マスクをするのがメンドくさく
てしないし、白衣に血が付いたり
服に手袋を履いた時に付く白い粉が
ついても気にしない)
===これはただの性格????
しかし、以前にも話したが、
私の目から見れば、街でみてもらうなら
腕より(腕の差はほとんどない
と思う)よく見てくれる方が
いい医者だとおもう。
ときどき飛び込みの
患者さんでOOの病気
をOO病院の専門のOO先生に
見てもらっているという患者さんが
よくいるが、
データと出されている薬をみると
その先生があまりにも忙しいのか
データは悪いし、ほかの疾患は
ほとんどコントロールされていない
という事例をよく見る。
(OO先生に見てもらっている
のをステータスにしているので
患者さんにはなにも言わないけれど、、、、、)
よく見て、自分の手に余るものは
その医者が信じている医者に紹介して
くれる医者が町では一番いい医者
だと思っているし、
それが何でも屋で開業している者の
務めだと思っている
(偉そうに!!!!!)
話を元に戻すと
私が医者になった当時の医局、特に
外科系は、外科は手習で、手術は職人が
するものという雰囲気がのこっていて、
入局して先ずすることは丁稚奉公。
先ず、医者としては扱われない。
最初の1年は医者らしい仕事をさせてくれない。
広い大学病院で患者さんを心電図室に運んだり
EchoやCTの部屋に運んだり
内視鏡にいたっては
先ず、内視鏡の準備をしてから
患者さんを内視鏡室に連れて行って、
上のドクターが内視鏡をしているのを
ひたすら横目で見て、
(今は、電子スコープで、リアルタイムで
内視鏡をしているのを見ることができるが
当時は、施行者しか見えず、おまけに
画像が見えるのは、まさしく取り付けた
カメラの写真を現像してできるまで
1週間ほどまたなければいけなかった。)
それが終わると患者さんを
病室に運んで、自分は、内視鏡室
に戻って内視鏡の洗浄をするというありさまで、
今の時代は看護助手さんが(看護師さんではない)
する仕事をしていたのである。
(みんなそれが当然とおもって
黙々としていた。)
先に最近、循環器とか、呼吸器とか
専門的に開業している先生がふえたこと
を話したが、
大きな病院でたとえば循環器科として
みていて、そのまま循環器科として
開業するという様な人がふえている。
近頃はそうやって専門性を前面にだして
他との違いを前面にだして患者さん
を集める先生も多くなったが、
逆に言えば、若いドクターは、
アレルギー科とか呼吸器科と
いう風にしか見れなくなってきている
ともいえる。
ただし、今、厚生労働省が開業医にもと
めているのは浅く広く見れる医者
前回の数字でいえば、全体的に2
診れる医者をもとめて、
かかりつけ医としようとしているが、
全体を見れる医者は、どんどん
少なくなっているのが現状
である。
先の例えでいえば、今の先生は
以前は、2塁やセンターしか守ったことが
という人が増えてきた。
しかし、国が求めるのは
内野、外野、高校生レベルで全て守れる人
さらにはピッチャーやキャッチャーまで
こなす人。というところかな。
注1:ここまでこだわって話したのは
あそこの病院は外科の先生だから。。。
(内科は見てくれない)とか言われたり
それを利用されたりしたからです。
すいません。
注2:暇暇に断片的に書いているので
かなり文体(敬語だったりそうでなかったり)
がバラバラで読みにくいところがあることを
ご了承ください。。。。。。
前回は、例えが悪かったのでもう一度
野球でいえば、婦人科、耳鼻科、眼科は、
ピッチャーやキャッチャー
内科系の医局出身で開業している人は
ピッチャーやキャッチャー以外で
内野全てを守れる守備がうまい人
で、本当の専門は2塁手
外科系の医局出身で開業している人は
内野、外野両方とも守れて守備が普通の人
で、本当の専門はセンター
と言った方がわかりやすいかもしれない
で、町医者をするには守備ができれば十分と
いったとろころかな。。。
以前、テリー伊藤がテレビで
医者は勉強していないといっていた
らしいのですが、
実は、毎日、新しいことを覚えるのに
必死です。
医療は、日進月歩変わっているので
常に、新しいことを勉強していれば
整形外科の先生でも糖尿病が詳しい
先生もいらっしゃいますし、
逆に言えは勉強していなければ
内科の先生でも今の新しい
内科のことは何も知らない
状態になります。
驚くなかれ、私より一時代前は、整形外科、脳外科
は全て外科の中にあり、全てをしていたし
(いまでも外科と看板を上げると整形
外科の患者さんばかりくる)
皮膚科と泌尿器科は
皮膚泌尿器科という1つの科でした。
(昔は、性病科というイメージ)
現代の医療は、細分化され、
一つ一つが昔と比べ者にならないくらい
深くなっています。
だから、大きな病院に行くと
外科では、受け持ち患者さんに糖尿があれば
糖尿の先生に回され、高血圧が
あれば循環器に回される。
内科でも同じ様に糖尿の先生が
受け持ち患者さんの肺が悪ければ
呼吸器科へ、血圧が高ければ
循環器科へ見せる傾向が強いし、
そういう時代なのである。
(なにかあると訴訟になるという時代背景
もあることは否めない)
(患者さんにとってはそれぞれの
先生に診てもらえるという反面
時として違う曜日に受診しなければいけなくなり
なにより、めんどくさい!!
仕事の上に同窓会の世話やらなにやらで
忙しくて中断しておりました。 トホホ
話の途中で申し訳ないですが、
内科で看板を出しているのに
あまり、毎回外科の話ばっかりしているので
ここでもう一度、注釈を一言
(内科としていろいろ診ているので
今、診ている方からおしかりを受けては
いけないので)
婦人科、耳鼻科、眼科など
特定の科以外は、たいてい開業するときには
内科で開業する。
元いた、医局自体は、内科、外科、麻酔科、整形外科
等々いろいろです。
いまでこそ、循環器内科、消化器内科
呼吸器内科と分けて開業する先生も
いらっしゃいますが、
私ぐらいの年齢の者はだいたい
内科で開業している。
しいて言うなら
産婦人科、耳鼻科、眼科、循環器内科
循環器外科、消化器内科、消化器外科
麻酔科、内分泌内科、内分泌外科
呼吸器、、、、、、、というように多くの科
があり、もともとがそういう医局の
一つにはいっていて、最終的に
内科で開業するということです。
私のころは、例えば消化器内科
の先生でも大学をでると、内科全般
をみており
外科の人間は、自分の患者さんが
高血圧や、糖尿病があれば、
それも全てみていました。
私でいえば、10年間は外科、麻酔科
中心、高松に帰ってきてからは
内科中心でしていたという現状です。
私の勝手な私見ですが、人間の能力は
みんなあまり大してかわらないので、
内科出身者が内科全般を5づつみえて
自分の専門分野が10見れて、
外科出身者は、内科全般と外科的ものを
含めて4づつ見えて
自分の専門分野が10見れるということかな
と解釈してます。
だから内科出身の先生は、外科出身の
者に守備範囲が広いことで恐れているし
外科出身の先生は、内科出身の人に
なにか多少若干、知識が浅いのでは
内科と恐れている感がある。
今のドクターは、研修医でもきちんと
夏休みを2週間ほどもらっている様だが
(大きな病院は、交代がいるので
休めるけれども、診療所では、、、、、
とほほほ、、、)
私の場合、一年目の夏に
いきなり班長から
“夏休み1週間とっていいぞ”
といわれ、うれしくて
1週間夏休みの予定をとったが、
何のことはない、ふたを開ければ
その予定していた週には、きちんと私が
主治医の手術が連続で3日間はいっていた
よって、休めたのは、
土曜日の昼から日曜日の昼までの24時間
だけであった。(もちろんいつもは
土日もない。)
最初に出た病院は、市立病院で
外科だけで7人ほどいたが、
一番上が副院長で私が一番下。
医長以下6人で、今年はきちんと夏休み
を取ろうという話になり
(毎年夏休みはなかった)
とりあえず話し合いの結果
私が一番に2日休みを取ることになったが、
いざ2日休んで帰ってきたら
副院長に”お前は夏休みをとったのか!“
と叱られて、
結局それを見て他の5人は、
休まなかったというありさまだった。
私が5~6年外の病院を回ってきて
大学に帰って、
医局にいるある日、
医局長のそばにいたら
今でいう研修医が医局長に
(医局長=私の一年目のころは厳しい指導を
していたドクター)
”夏休みをください“と交渉に来ていた。
“10年早いわ!”と思ったが、
医局長があっさり1週間ずつ夏休み
を取ることを了承していた。
(私のころと違って実際の休みを)
唖然としていた私を見て医局長が一言
”なにもいうな、今はそういう時代なのよ
そうでもしないと、働かないのよ“
思えば、この頃から少しずつ変化
していたのだ。
入局して最初に上のドクターから言われた
ことは、24時間病院にいて、なにかあったら
頭を突っ込めだった。
今そんな指導の仕方をしたら大変なことである。
ただそういう指導をうけなくても
仕事が慣れていないことも多く、
夜中まで仕事がおわらなかったし、
第一、カンファランス(患者さんの症例
の治療などの検討会)自体が0時をこえること
もたびたびあった。
同期で、入局した人間が15人ほどいたが、
病棟の当直室のベットは、8個しかなく
それもほとんど自分より上の
学年のドクターが寝ていたので、
われわれは、ほとんどカンファランスルーム
や待合室なんかで転がっていた。
それが、普通だと思っていたし、
入局する時点で覚悟ができていた
国家試験が受かった時点で
もうこれから休む暇などないなと覚悟
したものだった。
医者の労働時間
今、医者の過重労働、時間外労働が盛んに
取り沙汰されている。
決して今の医者を悪く言っているのでは
ないので、誤解をしないで欲しい。
自分の時代のことを少し話さして
欲しい。
私が、医者になってもう30年になるのだが
当時、医者というものは24時間365日
の労働だと考えていたし、世間もそう
受けて止めている節があった。
特に、私が入った医局は
久留米大学の第一外科という医局で、
“くそ”がつくぐらい忙しかった。
学生時代に各医局をまわって、臨床の
実施研修をするのだが、
他の医局は、結構いろいろなドクターが
教えてくれるのだが、
この医局だけは、担当のドクター
(1対1でついている)と
2週間ほとんど顔を合わせることもなく
終わってしまって、
なんといい加減な医局だろうとおもっていた。
入局してわかったのであるが、
学生をかまっている暇など一分もないほど
いそがしかったのである。
そのおっちゃんは、
94歳の今でもバリバリ現役の
農家である。
前から、この人は仕事を辞めたら
終わるなと思うほどの人である。
日頃は、結構いい加減なところ
があり、当院でもちゃっかり
ナースのお尻を触って帰るおっちゃんである。
今でも牛の世話をしており、
つい最近も子牛を買い付けていた。
(子牛を買って、数年かけて
大きくしてから売るのである。)
当然、大きくなるときは
おっちゃんも100歳近い。
自分でも牛が大きくなるまで
生きとるかどうかわからんと言いながらも
“ずっと生きとると思わんかったら
生きて行けんわ。。wahahahaha!“
と言い放って帰った。
おっちゃんは、戦時中に
海軍で特攻兵器の訓練をしていて
同僚も何人かは戦死したらしい。
そんな若い時代を過ごして、
戦後ずっと農家をしてきた
苦労人のことばは、
いつものいい加減さと
対照的で、何とも言えない重さがあった。
その言葉に救われて
やや持ち直して、
今日も仕事をしているのです。
94歳のいつもはいい加減の
おっちゃんの言葉
去年の9月9日に
久米川病院で一緒に働いていた、
整形のDrが52歳で急死して
丁度一年になる。
また、今年は、久留米大学の
先輩(私と同い年)が
急死した。
そんなことをかんがえていると
私もいつなんどき死ぬか
分からないと考える様になって
今、何をするべきなのか
どう生きていけばいいのか
ということを
悩まずにはいられなくなって
しまった。
結構、現在の仕事は、キツイものがあり、
毎日24時間のほとんどを睡眠時間
を削って仕事しているし、
休みの日は、疲れて家のことを
したら、ほとんど疲れて動けない
状態で、毎日、結構大変で、
本当の意味での余暇もないし
はっきりいって、楽しいことなそ
何もないといっていいかもしれない。
いつ死ぬかわからないのに
これでいいのだろうか。
と悩む日々が続いていた。
そんななか、
94歳のいつもはいい加減な
おっちゃんの一言は
流石、94年苦労して
生きて来ただけのかなり重い
一言であった。
終戦記念日 スピンオフ1 おぼっちゃまというと
先に述べたように、今の世を動かしているのは
おぼっちゃまなのだが、
近頃
プレミアム フライデーという
わけのわからないことを普及させ様と
していた様で、
テレビで現職の大臣たちが、
月末の金曜日の15時からの
“カネの使い方の見本”といわんばかり
に何かしていた画像が流れた。
それを見てほとんどの人が
テレビに向かって
“これで大丈夫?”って言ったに違いない。
これが今の政治家の感覚なのか??
(あるいはこれを考えた官僚たち)
この人達は、本気でこれを推し進めようとしているのか
みんな、なんとも頼りなく、幼稚で、
ひ弱に感じたに違いない。
だれが、こんなバカなことが出来る
余裕があると思っているのだか。
この人達の周囲の人間は、これが当たり前なの
かもしれないが、
大多数の国民は、生き抜いていることに
精一杯であり、
大多数の国民との現状とのギャップは
永遠に埋まらないと感じた瞬間
なのではないだろうか。
また、大臣の一人は下記のような
趣旨のこともいっていた。
プレミアム フライデーには
ちょっとはり込んで
すこし高いフランス料理などを
馬鹿か!!!!!
今の日本は、だれが否定しようとも
この戦前、戦中派の
人たちが作り上げてきたことを
忘れてはいないだろうか
過労や残業などという言葉
自体がほとんど存在しない
労働が、今の日本を作り上げてきた
ことを忘れてはいないだろうか
戦後焼野原から驚異的な復興をとげ、
高度経済成長をさせ、
日本を一躍、世界に復帰させたのは
この人達であることを忘れては
いないだろうか
この人達が作った日本の
負の遺産が、バブルからの日本経済の
停滞を招いたことになっているが、
そうだろうか、
実は、バブルは、次の世代が
高度経済成長の時の
躍進にのって、努力しないでも
そのままの
調子で行けると錯覚して、、受け継いで
それがバブルではじけ、
そのまた次の世代が
(さらにひ弱になった世代)
その状態から抜け出せないのでは
ないだろうか。
りっぱなじいちゃんが作り上げた会社を
父ちゃんがその遺産を食いつぶし
おぼっちゃまの孫は
策がないまま引き継いで
会社が倒産寸前なのに
どうしようもできない。
それが今の日本の様な気がする。
戦争を生き抜いてきた人たちは、
つまり、実の意味で生死の狭間を
かいくぐってきた人間には
それだけ人間に凄みがある様な気がする。
今はもう90歳を超えた人たちで
そのオーラも消えさっているが、
私が子供のころの大人には
今と違って、
得も知れないなにかを内にもっていた
感じがする。
実際戦地に行って戦ったり、
空襲にあったり、
身内や、親戚、友人なんかを無くしたり、、、
なによりも、当時の人間は、
お国のためには命を捧げる様に教育されており
そう思わなくても
赤紙(召集令状)が来たら戦地にいったり
財産を放出しなければいけなかった。
そして、戦後、全てがひっくり返った
世の中と
戦前から続く食糧難
いろんな意味で生死の狭間を生き抜いて
来た人たちである。
それが、当時の映画と今の映画の
差を生み出している様な気がする。
映画のテーマがテーマだけに
画面の中にこの緊迫感、悲哀
真の意味で生死をかけている
人々を演じるには、その人間の
中にある凄みが必要であった様な
気がするのである。
2015年版の映画では、
確かに、役所広司は流石という感じがするのだが
どうにもこうにも、全ての面で、
特に若い役者を中心に、物足りなさ
が残るのである。
終戦記念日が近づくといろいろ戦争に関した
映画が放映される
その中で私が、昔からよく見る映画に
日本の一番長い日がある。
監督の1967年に鬼才 岡本喜八監督で
東宝が勢力を上げて作り上げた映画だ。
終戦の前日から玉音放送までの24時間を中心に
政府の決断とそれを阻止しようとした青年将校
達の反乱を中心に描いた作品である。
最初から最後までピーンのはった緊張感が流れ、
当時の人々の気迫が手に取るように
わかる作品である。
当時の人間の不安、緊張感、絶望感、疲労感
8月の暑さ(実は、冬撮影している)
素晴らしい作品である。
それから、何度かテレビや映画でリメイク
された。2015年にも映画でリメイクされたが
どの作品も全ての面で、足元にも及ばない。
その差は、なんであろうか。
それは、なにより製作者や監督、
役者の戦争経験であろう。
1967年当時の製作であるから
若い役者でさえも、子供の時に
戦争を経験している。
終戦当時の混乱を熟知している人たちが
その緊迫感を演じているからに違いない。
。。。。。。。
でも、本質はそれだけではない気がする。
私が熱中していた
軟式テニスは、
私の時代は、中学校までは、まだ花形の
クラブであった。
あまり知られていないが、ほとんど
日本と韓国と台湾(元の日本の統治領)だけ
でしかされていないスポーツである。
それも硬式に押され、競技人口が激減している。
私は、大学時代にその消えゆくスポーツに
全てをつぎ込んでいた。
大学時代
私は、結構早起きで、
朝1番の講義は出て、
みんなの代返をとり、
(当時はまだ、流暢なところがあった)
それからぬけて2、3講義をぬけだして
(代返を頼み)
4講義目(最後の講義)は、テニスをするために
大学にもどってきていた。
ゴールデンウィークや、夏休みをつぎこんで
大会に行き、
6年の夏までやっていた。
(懸命な人間は4年ごろまででやめて
勉強?していた)
上下のつながりが強く、大学生活の9割は、
この運動につぎこみ、
体育会系の精神をたたきこんでいた。
今の私は、よかれ悪しかれここから
根づいている。のは間違いない。
クラブに熱を入れていなければ、
どこかで傾いていたかもしれないし、
逆に留年して、うまく卒業できていなかった
かもしれない。
上下のやり取りが下手であったら、
決して医局では、うまく生きて行けなかった
だろう。
辛いこと、悩みがあると、仕事に逃げて
切り抜けてきた
そんなところの原点は、スポーツに
あったのかもしれない。
そんなスポーツがいまや消えゆく運面にある。
それは、母校が廃校にむかいつつ
あるのと同じ感覚である。
いささか寂しいものがある。
他のスポーツにもドラマがあり、
汗があり、涙がある。
決して、それを、みんなが分かち合ってほしいとは
思ってはいないが、、、、
少なくとも、スポーツを奨励するならば、
せめて
オリンピックで、日本が活躍するスポーツを
中継するように、
国体や、全日本選手権で、香川県の選手が、
活躍するスポーツをケーブルテレビでも
いいから放送してほしいものである。
野球、サッカー、ラグビー、
最近は、卓球まで、やや注目されているが、
軟式テニス(いまや消えゆくスポーツ)
や相撲(こくぎだぞ!!)なんかも
もっと注目してもらいたい。
今年も高校野球がまっさかりである。
県大会が中継され、高校球児はこの期間は、
一躍ヒーローである。
甲子園ともなれば、大応援団が学校をあげて
大挙して甲子園までくりだす。
いろいろなドラマがあり、
熱い夏が過ぎてゆく。。。。。。。
というのが夏の風物詩であるが、
偏屈な私は、そう素直にはなれないのである。
私は、高校時代には運動はしていなかったのだが、
中学3年間と大学6年間は、軟式庭球を
馬鹿みたいにやっていた。
他のスポーツをやっていた者にとって、
あの野球に対する全国民の“えこひいき”は
許せないのである。
もし、香川県に何か、たとえば軟式テニスの全国1の
選手がいたとしても(実際、尽誠高校の軟式テニス部
は、常にトップクラスである)
だれも知らないし、ヒーローにはなれない。
どこかの高校のレスリング部が全国大会にでても
遠いところまで大量のバスで
全校あげて応援に行くことはない。
また、もし、ハンドボールで強い高校があったとしても
全国中継どころか、地方でも中継なぞない。
こんなえこひいきがあっていいのだろうか。
と、思う私は、ひねくれ者?なのである。
言葉と言えば4
余談3
最後に方言の余談
高松に帰ってきて、
患者さんと話していて一番
理解できなかった言葉は、、、、
私:このお薬は1日おきに飲んでください
患者さん:ひしてがいに飲んだらいいんやね
私:??????
患者さん:ひしてがいやね
私:?????
私(ナースに):何ていったん?
ナース:ひしてがい、一日おきのことですよ
私:納得
言葉といえば3
方言の話をしたのは、
実は、
40近くになって高松にもどってきたのだが、
その時、高松で感じた印象が、
いやにみんながなれなれしい。
店の店員でも、年下にもかかわれず
なれなれしい。という感触がした。
それがどうしてかその時はわからなかった。
ある日、九州から帰ってきてすぐ、
病院の医局にいたとき
“○○先生はいますか”という電話がかかってきて
なんと言って返事をするか戸惑ってしまった。
“いらっしゃいません”と言うには
なんとも、かた苦しい。
九州の言葉(方言)では、
“おんしゃれん”
“おんなはらん”
“おりんしゃれん”
等等、いろいろ敬語の言い方があるのに
讃岐の方言は敬語がないので
なんといっていいか戸惑ったのだ。
その時、讃岐に帰ってきたらみんなの言葉
がなれなれしい理由がわかったのだ。
讃岐弁は基本、敬語がない。
言葉といえば2
余談ではあるが、
九州の人間は、どういうわけか関西弁を苦手としている
私は、高松生まれで、子供の時は、ほとんど
関西系のラジオで育っていたので特に違和感を
感じていなかったのだが、
福岡の言葉をマスターするにつれ関西系の言葉
が耳についてきた。
(今は、また、もとに戻っている)
それがまことに不思議であった。
余談の2
九州にいる時は、讃岐の言葉をほとんど話さなく
なっていたのだが
水がこぼれた時に“まけた”という言葉
を、つい口にすることがあって、
九州の人間に非常に不思議がられていたこと
を思い出す。
“おれはお前と勝負しとらん”と。
言葉といえば
私は、高校を出てからほぼ20年間福岡県で
過ごしていたのだが、その間に日常の会話は
ほとんど福岡の言葉で話していた。
福岡県といっても香川県とちがって広く、
結構その地方での言葉がかなりちがう。
また、予備校、大学、病院と、九州を中心と
していろいろな地方の人たちが、集まってきていた
ので、いろいろな言葉が飛び交っていた。
始めて、九州に行った時、博多の人間同士が
話ているのを聞いていて全く何をいっているの
かがわからなかった。(私に対しては、はじめは
みんな九州なまりの標準語をしゃべっていた)
しかし、私の特技?で、結構その地方で過ごすとすぐ
そこの言葉を吸収して話す様になっていた。
(ただし、1年間東京で住んでいたが
、全く話せなかった
また、英語に至っては、何年たっても話せない)
大体、福岡県の人間は、その話し方で
福岡のどの地方の出身かがわかるのだが、
私の言葉は、勤めた病院の関係もあり、
博多、筑後、筑豊、大牟田等々、いろいろな
地方の言葉が合わさっており、
福岡のどこの地方出身かをよく尋ねられた。
こんなことを言うと叱られるが、
若い患者が診察室でタレントのローラの様な
受け答えをした患者がいた。
患者なので我慢はしたが、
ムカつく以前に可愛そうという感覚に襲われた
こんなことを言うと悪いが
ローラは、テレビという世界の中で可愛いから
許されているし、多少なりともあの
キャラを売りにして作っているのを
勘違いしているのだ。
あくまでもテレビという世界での存在で、
現実の世界ではない。
一時流行ったおバカキャラが、テレビの
中で作られているものであることを
勘違いして、そのまま地で行く奴もいる。
はっきりいって患者として対応するのは
キツイものがある。
今の時代、硬いことをいうと疎まれるのはわかって
いるが、、、
日本の敬語の発達は、島国の日本が生きて
皆がうまく生活して行ける社会を形成するのに
必要にかられて発達してきたに違いない。
今の日本人は、日本の社会は、モンスター○○
という人種がまかり通る社会になって生きてる。
日本の文化どころか日本の社会が崩壊している
象徴の様な気がする。
言い回しこそが日本の文化そのものである。
少し前に流行ったTPOに合わせた言葉を
持ち合わせて喋ることこそ日本語のよさを
保つことになり
良き日本の文化を、しいては日本の社会を
維持することにならないだろうか。
”ご無礼のほど平に平にお許しを“
言葉というのは時代で変わってしまう。
私たちが小学校のころは、
“全然”の言葉は否定的言葉が続くというのが
正解で、国語のテストで“全然いい”なんて
書いたら××であった。
しかし、今の時代は、肯定文で使うのが当たり前
になって、最近では慣れてしまった。
こういう風に言葉というのはどんどん変化して行く。
だから
明治時代の本を読もうとするとかなり苦労する。
よく、タイムスリップを起こすドラマがあって、
ペラペラ話しているが、
突然、今の人間が、戦国時代に行こうものなら
会話なんて通じるわけがない。
ここでやっと水戸黄門の話が出現するのだが、
時代劇というのは時代劇の言い回しがある。
決してその当時の言葉ではないのだが、
独特な言い回しがある。
最近口語調の時代劇もあるみたいだが、
なにか雰囲気が悪い。
“拙者(せっしゃ)は○○でござい。”
“遠からん者ははれここに来て見よ”
“われこそは〇〇でござい”
これが時代劇の雰囲気を醸し出す。
言葉というのは、時と共に変化してゆくのかも
しれないし、
自分も若いころは失礼な言い回しをしていたの
かもしれないが、
時代劇には時代劇の言い回しがある様に
日常でもその場面、シチュエーションに
あった言い回しがある様に思う。
前回水戸黄門の話を書いたのだが、実は、まったく
別の話を書く予定であったのです。。。。
大きな病院には、地域連携室というのがあり、
平たくいえば、周囲の病院と病院との間をとり
なす部署で、患者さんの紹介をするときは、先ず
この部署に電話する。
先ごろこの部署に電話したところ
“はい、○○病院、地域連携室の
○○で~~す。”という答えが返ってきた。
地域連携室に電話をするときというのは。
結構、医者としても他の病院に電話するというのは
命のやり取りとまでは言わないものの、ある程度
切羽詰まっていることが多く、
“○○で~~す”と言われたときは
少々半ギレになって、
先ず、説教をしてしまった。
最近若い人達とはなすと
よく、話の途中で謝るときに
“ごめんなさい”といわれる。
“ごめんなさい”という日本語は実をいうと厳格な
意味でいうと謝りの言葉ではない。
特に私以上の年代では、目上のものが目下の者に
“ちょっとごめんよ”と言うような感触がある。
そういう言葉を若いものに平気で使われる。
日常生活でいわれるのには我慢もするが、
物を売りこみに来ていたり、真剣な会話の途中で
いわれると
つい “イラっと”来てしまう。
水戸黄門は素晴らしい。その3
長寿番組といえば、
サザエさんやちびまる子ちゃんがある。
製作者の方には申し訳ないが、
だいたい筋がよめて、
好感が持てるのは
毎年同じ季節に同じ様な話題が話になっていることである。
両方とも季節を確認するテレビといってもいいかもしれない。
(お年寄りでなくてもサザエさんやちびまる子ちゃんを
昨年と同じものを放映してもおそらくわからないに
違いない。)
サザエさんに至っては悪人が、ほとんど出てこない。
そういう安心感のもとに見れる。
それが、長寿の秘訣なのであろう。
そんな安心して見れる番組が、終了したり、
視聴率が低下しているのである。
この安心感、逆にいえば、
慢性のマンネリが今の時代には受け入れられない。
新しく流動しなければ
生きていけない
経済も社会も伸びてゆくことしかなかった
時代から
逆に、尻すぼみしか考えられない
これからの時代
今の不安定な時代を象徴している出来事なの
かもしれない
水戸黄門は素晴らしい。その2
一度だけ、石坂浩二が水戸黄門になっているシリーズが
あったが、長続きしなかった。
いままでの水戸黄門と、筋がちがって、新しい水戸黄門を
つくってしまったからと思われる。
歴史的にいえば、水戸黄門のドラマは変なところばかり
である
それは、みな分かっている。
ドラマと史実は違っていて当たり前なのである。
信長然り、武田信玄しかり、赤穂浪士しかり、
史実にもとずいて作っていたのでは
面白くないのは間違いない。
暴れん坊将軍しかり、ももたろう侍しかり、遠山の金さん
しかり、この同じ構成と、安心感が万人に受け、
長続きした秘訣なのである。
私が水戸黄門の中で、忘れられなくて、
感動したシーンがある。
それは、助さんが相撲をやっていてふんどし姿でいながら、、
悪人との立ち回りが始まるやいなや、
うっかりはちべいが服を投げわたし、
ほんの数秒後のシーンでは服を着て立ち回りをして
いたのである。
つまり、瞬時に
立ち回りをしながら服をきて、悪いやつらをやっつけて
いたのである。
よく見れば、開いた口がふさがらない
しかし、
水戸黄門はこれでいいのである。
逆にいえばこれこそ水戸黄門なのである。
つづく
水戸黄門は素晴らしい。その1
私が小学校のころから続いていた長寿番組
が終了し、
新作ができないのは寂しい限りである。
とは言え、
よく、高齢の人が見ているが、
記銘力障害が強い人が見ると、
絶対同じものを毎日見せても
気が付かないに違いない
水戸黄門の素晴らしさはどこにあるか。
それは途中から見てもわかること
それはまるで金太郎あめで、
どこを切っても同じものといても
おかしくない。
番組が始まって20分たとうが、
30分たっていようが、
それは途中から見ても全く不自由しない。
途中からでも登場人物のどの人が悪者で
あるかわかるし、
それまでの話の内容もほぼ正確に推測できる。
また、必ず正義は勝つためこれ以上安心して
見ていれる番組はない。
つづく
まじかよ その2
当時の技術では無理だということで、今だにアポロ
11号の陰謀説まである。(アポロ11号は月に行って
いないという説)
今の映像技術を見ている人は、そう思う人もいる
かもしれないが、
逆に当時の映像技術は、知れたもので1960年代
後半のSF映画を見てもらえばわかるが、どう頑張
ってもあれだけの映像をねつ造することは不可能で
ある。
当時の私も熱狂して、あらゆる宇宙開発の本を見て、
そして、将来は宇宙開発に携わることを夢見ていた。
そう思っていたのは私だけではないはずだ。
逆にそれだけの大変な出来事であったので、
今でも昨日の様にすべてを鮮明に覚えている。
ところがである。
2000年ごろのある日
(まだアポロから約30年たったころ)
20代の若者が、テレビに出ていて
歌っていた。私は、40になってはいたものの
それほどの年齢の差を感じてはいなかった。
(まだまだ若いつもりでいた)
“僕らが生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月にいったというのに~~“
まじかよ!!
あんな最近の出来事が、あなたたちの生まれる
ずっとずっと前?
自分の年齢に気が付いた瞬間である。
まじかよ その1
私の世代で世界的な1番の出来事といえば
アポロ11号の月面着陸であることは誰もが
認めることである。
その出来事は、まだ、小学生だっだ私に多大
なる影響を与えた。
小学生どころか、その当時の人類全体にとって
大変な出来事であったのである。
また、うさぎの餅つき程度の認識の月に
人間が降り立ったというのは、とてつもない
出来事であったのである。
当時の驚きを
とても他の言葉で言い表せないが、
今、アメリカが目指している火星に人が降り立つ
のとはわけが違う。
当時、宇宙船に乗せていたコンピューターの性能は、
四則計算(加減乗除)しかできない計算機程度で、
宇宙船の中では最終的に六分儀(船の航海で、方向を
星で図る)をつかい、
ヒューストンの管制センターでは、軌道の計算を
計算尺(手動で、計算を目盛りを読んで行うもの)
で行っていた。
そんな時代に月までいったのである。
そのニュースを見る側においても
テレビの普及率は悪く、
カラーテレビに至っては普通の家庭にはほと
んどなかった時代である。
聖徳太子の時代にハワイを目指して船出して
無事に帰ってきたぐらいのこと、といってもおかしく
ないし、(月までの距離は38万キロ=旅客機で
18日かかる)当時そんなことがあったら国中が
熱狂したに違いない。
そのぐらい大変な出来事であった。
つづく
もう悪あがきはせんぞ! その2
そういえば、医者になってすぐの若いころ、
医長の先生が(40才前後)年に見合わない
曲を車のカセットで聞いていた。
それを、私達は、無理して若い子の曲を聴
いていると小馬鹿にしていた。
しかしである。
2002~2003年ごろに(私が42
~3の時)
気が付けば全く同じことをしていた。
あげくの果ては、通勤の車の中で、
歌って練習しているではないか!!
しかし、それは突然終わりを迎えた。
ある日いつもの様に、ナース達とカラオケ
にいっていた時だった。
私はついに思い切って車の中で練習を重ねた。
スピッツのロビンソンを予約した。
(1995頃の歌)
私の心:さあーーー新しい曲を歌うで
ーーーー!!
音楽:“前奏―――――――。。。。。。。”
その時である。若いナースが発した言葉が
若いナース:“あ!ロビンソン”
私の心:”しめしめ”
若いナース: “懐かし~~~~”
私の心:“なんじゃとて!”
解説① 思いっきり新しい曲と思っていたものが
すでにそうではなかった。
解説② 40前後の私には5年ほどの時間は最近
であったのだが
20前後の子には5年は遠い昔であった。
もう悪あがきはせんぞ!!!!
それからというもの、開き直って古い曲を平気
で歌う様になった私であった。
もう悪あがきはせんぞ!その1
10年ほど前までは、時々病院のナース達
とカラオケに行くことが時々あった。
私が、カラオケで歌えるものといえば青春時代
から学生時代までの70年代後半から
80年代後半までの曲が多い。
(医者になってからは忙しくてとても歌を聴い
たりする暇さえなかった。)
オフコース(くらい!)
チューリップ(でた!ニューミュージック!)
サザン(新しい曲はだめ!)
杉山清貴(そういう人いたな~~)
河島英五(亡くなった)ーー酒と泪と男と女
村下孝蔵(これまた亡くなった)ーー初恋
柳ジョージ(この人も亡くなった)ーー
酔って候
安全地帯(変な人になった)
八神純子(誰?)
大沢誉志幸(誰??)
大貫妙子(誰???)
てなもんだ。
若いナースは聞いたこともない曲が多くて
気の利いたナースは聞いたふり??
をしてくれるが
次の曲をさがしたり、他の者と話したり
していることが多かった。
(あげくの果てはトイレ休憩)
これではいかん!!!
どげんかせんといかん!!!!
つづく
隠れているから面白い その3
話は長くなり、少し脱線するが
私の子供に当時、子供の間ではやりのハリーポッター
の小説を読ませても、まったく興味をしめさなかった
のだが、映画を見て、断然ファンになってしまった。
映画の出演者と同世代であり、出演者と同じ様に
成長して行くのでファンになったのだとおもって
いたのだが、実のところはそうではなかった。
ハリーポッターに限らず我が子は、あまり本に興味
を示さない。
いろいろ見ていてわかったのだが、
本を読んでも物語の情景を頭の中で作れない
のである。
つまり、漫画世代のわが子は、活字から場面を作るの
が苦手なのである。
((本を読むなら挿絵が多い本を好むのである)
これは物語を出来上がった情景で表現する劇画に
慣れている世代の欠点であることがなんとなく
わかってきた。
私は、小説や物語は、読み手の数だけ物語がある
と思っている。だから、いろいろな人に元の物語
から読み手なりの物語を作らせる力がある小説ほど
素晴らしいと思っている。(自分を主人公にして、
周囲に役所広司や、渡辺健を配置したりして)
逆にいえば、小説が映画化されるとその物語の
幅や奥行は一機になくなってしまって魅力が半減
するような気もするのである。
現在は、情報の入手を漫画を超越して画像で
得る様になってきている。
そんな今の状態が、ますます社会を薄っぺらに
してく様な気がしてならない。
隠れているから面白い その2
少し話は変わるが、
またまた映画の話で恐縮だが、私の好きな映画に
“ニューシネマ パラダイス”という映画がある。
この映画には短いバージョンと長いバージョンが
あるが、最初に短いバージョンを見ていたく感動
したのである。ただ、ストーリー展開で、説明不足
の感があったが、それを全く帳消しにするほど
素晴らしい映画であった。(その年のアカデミー
外国語映画賞を取った映画)
その後、しばらくして長いバージョン(いわゆる
完全版)が出て観たのだが、
足りなかったストーリーとさらに付け加えられた
ストーリーがあった。
しかしながら、長いバージョンを先に見ていたら
これほど好きにはなっていなかったかもしれない
と思うほど短いバージョンの方が断然よかった。
あとで考えると短いバージョンを見たとき足りない
部分は自分で勝手に想像してストーリーを作っていたの
である。言い換えれば、主人公になってストーリー
展開を勝手にしたり、その映画を見ながら自分の
頭のなかでスピンオフ映画を作りあげていたのである。
不思議なことにナースの話も、映画の話も
他の人も同じように感じているようなのだ。
つづく
隠れているから面白い その1
手術室のナースは美人ぞろい。。。。。。。と思っていた。
大学で入局してすぐ手術室に出入りしていたころはそう
思っていたのだが。。。。。
その後、私は2年ほど麻酔科にいたが、美人ナースがおもった
ほど。。。。。。い。。。。な。。。。い。。。???
ことに気が付いた。
注釈:手術で手術室に入るとき手術室のナースはマスクを
したところしか見ないが、麻酔科にいるとマスクをはずして
普通にナースの服装をしているのを見ている。
人は、隠れている部分を勝手に想像する。
その想像力は人によってまちまちだとは思うがどうも私の経験
でいうと隠れている部分は、勝手にいいように想像し、創造して
しまっていたのだ。
つまり、
手術室では、ナースは常に帽子とマスク(大き目の)をつけて
いる。露出している顔の部分はきわめて少ない。言い換えると
得られる顔の情報は目だけの状態である。
そこで、自分勝手な私の脳は、その目に見合う口、顎、額、頬
を作りだしていたのである。
つづく
模範解答
テレビの主役の外科医は、
① 手術が終了するなり手術着で
② 家族に“手術は成功でした”と告げるなり
③ 背広に着替えて
④ 綺麗なナースに“お疲れさん”そう言って、
⑤ さっそうと病院を後にして、
⑥ 小奇麗な飲み屋で一杯のんで
⑦ 手術の成功をかみしめるのであった。
項目①
基本的に手術着で手術室の外に出てきてはいけません。
厳密にいうと手術室と外では着るものが同じなのは禁止
です。
手術が終わると急いで着替えて先ずは術後の患者のもとに
はせ参じなければいけません。
項目②
手術は成功でしたというセリフをよく聞くが、この言葉に
対しての違和感は強い。逆に失敗でしたということはある
のであろうか? 手術は成功するのが当たり前であり、ど
んな手術も失敗せず一応の決着をつけるのである。
もちろん術後の経過がよくなかったり、合併症が出たりす
ることはある。しばしば病変の広がり方や、個人の解剖
的な違いから(人によって血管の走行が違っていたりする。)
予定外のことがあり、手術法を変更することはあるし、想
定外のことが起こることもあるが、
手術が終了した時点では、厳密に言うと失敗したというこ
とはまずありえない。(すくなくとも自分は経験したことが
ない)
せいぜい手術は予定通り終了しました。という話になる。
(もちろん急患の手術で出血が止まらなかったり、間に合
わなかったことはあるが)
項目③
背広で出勤する医者もいるが、概して、医者は、病院で白
衣に着替えるのでラフな格好で出勤するものが多く、特に
私の当時の外科系はそういう傾向にあった。最近のDrは、
ファッションにこだわる人が多いが、昔は、そういう暇さ
えなかった。ちなみにネクタイは医療では不潔になりやす
いといわれている。
項目④
綺麗なナース。
ドラマではかなり美人の若いナースが多いが、これ以上は
コメントしません。。。
項目⑤
手術が終了してすぐ帰ることはありえない。
外科医に言わせてもらうと術後ほど大変なものはない。
今では大きな病院では、術後を他の麻酔科の医者や、担当
の医者に任せることもあるが、ふつうは、手術が終わると
術後の状態が安定するまで見ていなければいけない。
それが終わると摘出した臓器をホルマリンに固定しなけれ
ばならない。(これが結構大変で、例えば胃なら、その周囲
のリンパ節というものを探して取り出して分けて固定する。
胃は胃で板に張り付けなければならないので慣れていても
小一時間かかる。)
それが終わると手術記事といって、行った手術の記録をか
かなければならない。(昔は、下っ端医者は手術自体が見え
ていないのに手術記事を書かなければならなかった。)
それから、また、術後の出血がないかとかいろいろまた
患者さんを観察していなければいけない。
そこまで当日に終わらせないと、次の日もまた手術がある
ので、仕事が溜まってしまう。
そしてそこで仕事が終わるわけではない。
病棟の担当の入院患者さんの状態を見なければいけない。
項目⑥
そんなこんなで食べる暇もないぐらいで、手術の時間次第
では夜中になり、飲みに行く余裕などあるはずがない。
項目⑦
毎日ほぼ同じ手術をしているので、手術自体に酔いしれる
ことはなく、むしろ、何もなかったことの安堵感が疲れと
ともに出てくるぐらい。
訂正文
実際の外科医は、手術が終了するなり急いで着替えて患者
さんをみて、家族に摘出し臓器を見せて細かく説明したう
えで“おおむね予定通りの手術でした”といい。
それからは、摘出標本を作ったり手術の記録をかいたりし
てさらに術後の患者さんをみて
疲れ果てて食事をしてそれからさらに病棟の入院患者さん
をみて
夜空の星を眺めて、今日の手術も無事終わったと安堵して
家に帰るのでした。
これは標準的な中小の病院の手術を執刀できる主治医クラ
スを対象とした話です。
大学病院の教授クラスはそこまでないし、逆に下っ端はも
っと悲惨です。(私が外科をしていた時代はさらに悲惨でし
た)これではドラマにはならないのは当たりまえ。
お疲れさん。その1
テレビの主役の外科医は、手術が終了するなり手術着で、
家族に“手術は成功でした”と告げるなり背広に着替えて
綺麗なナースに“お疲れさん”そう言って、さっそうと
病院を後にして、小奇麗な飲み屋で一杯のんで手術の成功
をかみしめるのであった。
まさに絵になるカッコいいシーンである。
このシチュエーションにあこがれて医者を目指すものさえ
いる。
馬鹿者!!
そんなわけがないだろ。
こんな間違いだらけのシーンはない。
どの業界を描くテレビドラマも、視聴率を稼ぐにはこれし
かないに違いない。
拳銃を撃ちまくる刑事ドラマでも、いろんな客に最終的に
感謝されるホテルや旅館のドラマでも、その業界で働くも
のからしたらとてもありえないシーンの連続であろう。
いたって現実は厳しいのである。
つづく(次回は間違いの解説)
問題 :以下の文章の間違いに下線を引きそれぞれ訂正せよ
テレビの主役の外科医は、手術が終了するなり手術着で、
家族に“手術は成功でした”と告げるなり背広に着替えて綺麗
なナースに“お疲れさん”そう言って、さっそうと病院を後にして、
小奇麗な飲み屋で一杯のんで手術の成功をかみしめるのであった。
つづく(次回は問題の解答と解説)
ベンハーの映画を見て、その4の2の2
人間というものは、朝、目が覚めれば新しい自我が始ま
って、一日、一日違う自己があるのだが、
いかんせん常に切り離せない過去を引きずって歩いてい
る。それだけに過去のものにノスタルジーを感じることは
決して悪ことではないし、当然のことだと思っている。
戸棚にしまっておいた古い本やCDのホコリを払いなが
ら色あせたその表紙や ひびのはいったCDケースを眺め、
時の流れを感じ
ページの隙間に書いた走り書きに、当時の自分がよみがえ
り
たまたまページの間に挟まっていた物になつかしさを感
じ、
当時の宣伝広告にいろいろなものに憧れた当時のこと
を思いだし
レコードの雑音は世界をセピアに染める。
電子媒体の中の本や音楽は色あせたり傷んだりしない。
いつも新品なのである。
置く場所にもこまらない
この完璧さが今の世の中でどんどん広がっている
今後もどんどんそうなってゆくだろう。
でも匂いや味、香りはどんどんなくなってゆく気がする。
一応 終わり
でも匂いや味、香りを感じない
私自身、結構新しもの好きで、決っして新しものを否定し
ているのではない。むしろ、畏敬の念さえ感じる。
毎年、年賀状が送られて来るなかで、宛名が手書きでな
い印刷のものに対して私は、なにかしらの寂しさを感じて、
昨年までは全て汚い字で宛名書きをしていた。
しかし、今年はついに忙しさにかまけて印刷にしてしっ
た。
確かに最初に住所を入れるのに手間はかかるが、来年から
は楽である。
印刷の宛名といえば、いつも漢字が間違ったまま
ずっと送られてくるものがあったり、20年前に亡くなっ
た父宛に最近まで宣伝公告関係の郵便が送られてきていた
のを見ると、やるせないものがある。
また、今では、いろいろな注文や問い合わせは24時間、
電話でいつでもできるものが多くなったが、、、
電話すると“〇〇の方は1をそうでない方は2を、、、、”
番号を押すと再び“〇〇の方は1を、、、”が永遠につづくと
思わんばかりのガイダンスが始まる。
(途中で間違えると最初から、、、しまいには頭にくる)
電子媒体のやり取りは確かに早く確実であるが、本物の
買い物は店員とface to faceで、その人の顔色、状態、
声のトーンを聞いて、いわばお互いの駆け引きで初めて成
立するような気がする。
われわれの職業では、患者さんが診察室に入ってくる間
に、その人の状態、症状はもとより、身なりや年齢、匂い
(実はかなり重要)などで話が始まる前に会話の仕方を決
定しなければならない。(話し方一つで腹を割って症状を話
てくれるかどうかが決まる。“どうしたんなー”から“どう
されましたか”まで相手でさまざま)
ほんの3分で診断の行方が90%が決定するといっても過
言ではない。(10%は間違って修正するのに時間がかかる
のだが)
それだけに人より余計そう感じるのかもしれない。
ベンハーの映画を見て、その4の1
寂しさを感じるのは医療だけでない。
同じことを今の社会にも感じるのである。
確かになにからなにまでスマートで便利になった。
いるものがあれば、店に出かけて店員と話さなくてもネッ
トですぐ品物が買える。
人と連絡しようとすると携帯やメールですぐつながる。
夜中でも、休みの日でもコンビニに行けば、一応のものが
手に入る。(ちょっと高いが)
新聞を取らなくてもネットでリアルタイムでニュースが見
れる。
素晴らしい。
年賀状を送らなくとも一斉メールで簡単に多数の人に新年
の挨拶ができる。(年賀状の売り上げはガタ落ちで、その
年賀状さえネットですぐ注文できて、プリントゴッコはも
う昔の話で製造終了している。)
本を買わないで電子媒体で見るようになってきて、本や雑
誌の売り上げが格段に落ちてきている。
音楽は、CD(私の時代はレコード)を買わずにダウンロー
ドして聞いている。(昔は、聞きたい曲があったら、音楽番
組を見てテレビのスピーカーから流れる音楽を声を潜めて
直接マイクで取っていた時代さえもあった。)
それどころか、重たいウォークマンを腰につけなくても今は
それ自体を耳にイヤホンの様にかけられる。
音は、レコードの時代より格段に素晴らしい。
手軽。
かさばり重い英語や国語の辞書を鞄にいれて学校に持って
いかなくても電子辞書一つをひょいとポケットにいれれば
いい。
スマート。
最近は、医学の講演会も人を遠くから呼んで行うのではな
く、ウェブで全国一斉に行われることが多くなってきた。
学会の雑誌も電子媒体で送られてくる様になった。
経済的
。
なにもかもが、スマートで手軽で素晴らしい。
でも、、、、、、、、つづく
ベンハーの映画を見て、その3
ここからは、馬鹿な医者のたわごととして聞いてほしい。
実は、今の医療になにかしらこれら映画と同じことを感じ
るのである。
確かに、技術の進歩により、CT、MRIをはじめあらゆるも
のが、以前とは比較にならないほどに進歩し、診断技術は
格段に進んでいる。
しかるに、モニターに映る電子カルテや映像に見入ったり、
あらゆるデータの海のなかで診断する今の医療を見て
いると言葉には表せにくいが、なにかこのCG満載の映画
と同じ様に、感じるのだ。
今の医療は、あらゆるものにガイドライン(診断や治療方
針の指針を決めたもの)があり、これに沿った医療が行わ
れ、エビデンス(いろいろなデータの集計から出された結
果)をもとに治療が行われている。
そういう風に医療は、どれをとっても昔に比べれば格段に
良くなっている。
経験がものをいう時代ではなくなっている。
むしろ経験が邪魔をする時代になってきている。
(経験がものをいうのは患者さんとの接し方だけ、むしろ
これが大切なのかもしれないが。)
人工知能が人間の医者に取って代わる時代も近いに違いな
い。人工知能は、瞬時に大量の文献を解読し、集計する。
そんな真似は人間にはできず。
また、画像の読み取りも人間の読みを超えようとしている。
映画と同じで、完璧なのだが、何か物足りなさを感じるの
である。匂いや味、香りを感じなくなってきたのである。
つづく
ベンハーの映画を見て、その2
私は昔の映画の方に真のリアリティーを感じるのである。
それはなんなのであろうか。
今の映画には匂いや味や香を感じないのである。
昔のスペクタクル映画を見ていると
スタントマンがする危険なシーンでは、スタントマンが大丈夫
だろうか、けがしなかったのだろうか、あるいは痛かっただろうなーと
いう感覚を共有し
炎のシーンでは、出演者たちが感じた熱を感じ、あるいは、
スタントマンたちが火傷しなかったか心配し、
爆発シーンでは、出演者たちの危険を共有し、吹き飛ばされる
スタントマンたちの大変さを感じ恐怖心を自然と共有してしまう。
カーチェイスシーンでは、ドライブテクニックに圧倒され、
巧なカメラワークには、いかにしてとったのであろうかという疑問や思考
をめぐらせてしまう。
た、数多くのエキストラや馬が出るシーンでは、統一した
動きを演出する大変さを考え、感心してしまう。
そんなスリリングな感覚は、画面が自然すぎてCGで作られたシーンには
それが感じられない。(それを作るのがどんなに大変でも)
さらにいうと、昔の怪獣映画では、怪獣がおこした風で家の瓦が一枚一枚
吹き飛ぶシーンや、張りぼてではないビルが(本物の様に内部もつくって
ある)壊されるシーンがある。
それを見て間違っても本物とは思わないし、現実の実物とはとても考えら
れないのだが、そこまで突き詰める製作者のこだわりが、実物以上に実物
を感じさせるのである。

また、一回しか壊したり、燃やしたりできない、一発勝負の緊張感さえ感
じるのである。
今の映画の方が、映像でいえば、文句なくすばらしい。逆にいえば非の
打ち所がない。その映像は余りにもナチュラルに存在する。
しかし、昔の映画には
いまの映画にはない匂いや味や香りそして汗を感じ、
そして臨場感を感じてしまうのである。
先日、テレビをつけたら偶然、映画“ベンハー”の有名な4頭馬車の競争シーンをやっていた。(今年、リメイクが公開されるらしいが)この映画は、1959年公開の映画であるが、何度見てもこのシーンは、迫力が色あせない。いまでは考えられない、巨大なセットと無数のエキストラ、時間をかけた撮影、まさにハリウッド全盛期の大スペクタクル映画である。


それを見ていて気が付いたのだが、
今の映画にはない、臨場感と緊張感、迫力、そしてリアリティーを感じてしまった。
最近の映画は、CG技術が凄まじく、
壮大さでいえば、広大な宇宙、ありえないような大自然、
セットでは組めない大きな建物、
視線でいえば、いままでに描けなかった視線からの映像、カメラワーク
3D画像。
スリリングでいえば、クラッシュシーンや爆発シーンの迫力
人数でいえば、エキストラではできない何万人も出ているシーン。
描写でいえば、主人公が実際にふきとんだり、炎の中からでてきたり、
いままでには描けなかった描写や、
スタントマンでもできなかった危険なシーン
どれをとっても昔の映画とは比較にならないぐらいの迫力がある。
スターウォーズシリーズやターミネーターを続けて見るとその差を痛切に感じる。
“ET”の有名な、自転車で空を飛ぶシーンなどは、当時は違和感なくみていたが、
いまでは、合成丸出しである。
子供のころ見ていたゴジラは人がはいった着ぐるみであるし、戦車は花火をチラシ、
飛行機はピアノ線でつってあったが、最近見た“シン、ゴジラ”は、実写と見間違える
ほどリアルである。
にもかかわらず、私は昔の映画の方に真のリアリティーを感じるのである。
スタートレックというTVをご存じだろうか
スタートレックというTVをご存知だろうか、1960年代のTVシリーズで始まり、今でも設定を変えて新シリーズがつづいているアメリカのSF宇宙物の代表である。70年代には、劇場版がいくつか作られて大変な人気を博した。耳がピンとたったミスタースポックというとなんとなく聞いた人がいるのではないだろうか。
私が30代後半のある日その劇場版をみていて忘れられないシーンに出くわした。
ある、一場面が私の医者としての考えかたを一変してしまった。大げさにいえば、私の医者としての人生を変えてしまったのだ。
私は、今は、内科をしているが、元々はバリバリの外科医であった。
学生で臨床研修をしている時に、腹部なんかの難しい症例では、レントゲンやCT、検査データをみながら、なかなか診断が決まらないことが多く、時として、カンファランスで決定することは次にする検査だけなのだ。治療までは、なかなか行き着かない。
気が短い私の心のなかは“どうせ手術するなら早く切ってしまえ”だった。
30代後半というと外科として油が乗り切っている時で、自分のやることにかなり自信をもっている時でもあった。内科が治療できないものを外科が引き受けて手術する。という思いがどこか心の底にあった様な気がする。
スタートレックのドラマは2200年代の未来で、宇宙戦艦が、未知の宇宙で冒険の旅をする設定である。
詳細は定かではないが、その中に出てくるドクターが、タイムトラベルで現代に迷い込んだ時のことである(やや意識がもうろうとしている)そこで発した言葉が、私には衝撃的であった。
“今すぐ、病院にゆかなければいけない!この時代の病院では、人を切るという野蛮なことをしている。”
ガーーーーーーーーン!!!!!!
そうだ自分の今していることは、医療として一番野蛮なことをしているのだ。
そういえば、古代遺跡から頭蓋骨に穴を開けてその後生きていた証拠の骨がいくつも見つかっているし、他の遺跡からも外科手術をした跡がある骨が発掘されている。(ほとんどが宗教的に穴を開けていたようだが)ヒポクラテスの時代から切除治療というのは延々と続けられているのだ。
他にいい方法がないからしかたなく悪いところを切って捨てる。ただそういう野蛮な行為に過ぎないのだ。
それからというもの医者としては、自分がやっていることに対していくぶんなりと謙虚になったような気がする。(少なくとも自分の中では)
今の外科医のなかには腹腔鏡を駆使して腫瘍を取ったり、3D画像を駆使して最小限の切除をしたり、自分のやっていることが高度な技術であるという人もいるかもしれないが
所詮、医学全般で見れば、他に方法がないから、切ってとっているだけなのだ。
切って取れば必ず少なからず機能障害はくる。例えお腹の中の手術でも、目に見えたら、片腕や片足を切っているのと大差ないのだ。
外科が存在する限り、人類の医学というのは幼稚であるといって間違いないと思う。
しいて言えば、いまの医学はまだ未熟な領域であるといえる。
それだけに、自分ができることは、一所懸命、患者と向き合い、よく診ることであると思っている。
いまの若いドクター(一部の若くない人も)を見ていると、自分のしていることに酔いしれいているドクターが多々見受けられる。
どの職業でも同じだと思うが、一生懸命没頭すると自分がやっていることに盲目になってしまう。
だが、今一度、自分のやっていることを冷静に考えてみてほしい。