| 医院名 |
|---|
| イリョウホウジンシャダンアイセイカイ コウザトイイン 医療法人社団愛生会 上里医院 |
| 院長 |
| クメガワ ヒロシ 久米川 浩 |
| 住所 |
| 〒762-0011 香川県坂出市江尻町836-5 |
| 診療科目 |
| 胃腸内科・内科・外科・麻酔科・リハビリテーション科 (訪問診療) |
| 電話番号 |
| 0877-45-8111 |
何だろう
前の日曜日
大阪にいる娘に2人目の
孫ができて
会いにいった。
弾丸ツアーで
大阪にいって
1時間強、娘夫婦のアパートに
行って、娘や孫の顔をみて
帰ってきた。
生き返りに6時間かけても
1時間ほどしか会わなかったが
とても有意義な時間だった。
しかし、なによりも心に残ったのは
帰りに、私をアパートの出口まで
でて見送った娘だった。
アパートの出口をでて
通りを50mほどあるいて
街角をまがったのだが
曲がる前に
ふと振り返ったら
娘がまだ私の後ろ姿を
見守っていたのだった。
自分の娘ながら決して、そんなことを
する様な子ではないと知っていて、
もう、とっくにアパートに入っていると
思いながら、
ふとふりかえったら
意外にもまだこちらを
見守っていたではないか
おそらく、私の背中に
老いを感じてたから、
気になって見ていたのに違いない。
私も昔、
ほんの小さなことに
親の老いを感じたことがある。
大学生の時に、休みの日に
家に帰って
家の風呂に入った時
風呂桶が昔ほど
磨かれてなかったのに気付いたことがある。
(私、親が年を取ってからの
子だったのでもうすでに
60は超えていた)
それまでは、
いつも風呂桶が
つるつるだったのに
そのツルツル感がなかったのだ。
これは体力的にいつも
磨けなくなったな、、と
感じたのである。
その時おやじとおふくろの
老いを感じてしまったのである。
その時は
なにか得たいもしれない
切なさを感じた。。。。
その切なさを今、
自分の娘が私に感じているのだなと
思ったのである。。。
それがまた、逆に
切なかった。。。。。
それにしても
年をとるのって
つくずくいやだな。。。。。。。
膝が痛い!!
私、昔、昔、
大学生のころ
テニスをしていたころより
ボールを打つ時に踏ん張る
右足を酷使していたのか
右の股関節と膝が、ときどき
傷んでいた。、、、
右足が左足より長いのか
右足で踏ん張る癖があるのか
右の靴の裏のへりかたが
左よりおおい。
と、いうわけで
昔から右足の膝や股関節が
時々痛くはなっていたが、
数日たてば治っていた。
1っ昨年は、とうとう
右膝が突然痛くなり
検査をしたけれども
これといった原因もなく、
1っか月くらいで
痛みが消失した。
ところが、今年は、
朝、病院の周囲の草抜きを始めた
7月ころより
どうもしゃがんで
草を抜くのが悪かったのか
だんだん右膝がいたくなりだして
よくならない。
それどころか
10月に、ちょっとした段を
とびおりてから
というもの、何かが切れた様な
感触が出現し、うggggg
1週間ほどは階段の上り下り
もできない。
どういうことがおこって
今、どうなっているかが
だいたい想像できて、、、、
それからは、できるだけ
右膝の安静を保って今に至っている。
不思議なもので
痛みはだいぶ和らいできたのだが
(私の性格で状態がよくなると
すぐ酷使する。。。。。
ので、なかなか良くならない。)
どうにも、普通の歩き方をわすれ
てしまっている。
歩きながら、どうやって
右足を出していたのかがわからなく
なってしまった。
いろいろ工夫しているのだが
普通に歩いているつもりなのに
患者さんから
“先生どうしたん?
膝が痛いの?“ってよく言われてしまう。
65年間つちかった
歩行という動作が
ほんの6っか月でくるってしまっているのだ。
不思議、、、、情けないというか、、、、
それにしても
若いころはすぐ治っていたものが
治らない。。。。。。
歳というものは悲しいもので、、、
でも、私は、
痛み止めものまなきゃ
湿布もしない。
ましてやサプリメンとなんぞ
絶対に飲まない。。。。
お医者さんが
これでいいのですかね。。
12月8日
私の車、朝
車を始動するたびに
カーナビが
今日は〇〇の日ですと
勝手に言う。
なんだか、わけのわからない
日が多く
11月なんかは
今日は、いい(11)〇〇の日です
というのが多かった。
どうでもいいや。。。
朝から、変なこと言うなよ。。。
という気持ちになることが
多かったりして。
しかし、12月8日
車のナビが
なんの日と言ったか忘れたが、
真珠湾攻撃の日でも
ジョンレノンの亡くなった日でも
なかったのは覚えている。
1941年
12月8日(アメリカ時間で12月7日)
は、日本がハワイの真珠湾を
攻撃した日なのである。
今でも後を引く
一連の日本の戦争の
終わりの始まりの日なのである。
そんなことなんてもう日本人の頭の
隅にもなくなっている。
7日の日曜日に
映画 “トラ トラ トラ“
をNHKがやっていたが、
(ちなみに日米合作で1970年に
作った真珠湾攻撃の映画)
だれもなんでその日にやっているかなんて
思ってもみないだろう。
むしろ、そんな歴史を知らずに
正月にハワイに行く人もいっぱい。
話はかわって、
1980年、私が予備校に
通っていた12月8日に
若者にとって衝撃的な事件が
発生した。
ジョンレノンが撃たれて
なくなったのだ。
反逆のカルチャーの
象徴だったジョンレノンが
それも銃撃でなくなるという
若者にとっては大ニュースだった。
当時は、これで、12月8日といえば
みんな真珠湾攻撃の日ではなくなって
ジョンレノンが死んだ日という
印象が強くなるのだろうな~~
と思っていた。
月日が経つというのはこういうもので
もう、双方とも
人の頭から消え去っていっている。
日本人、忘れるの早くないか?
というか
心の切り替えがはやくないか?
外国では
政治利用のにおいがするといえども
何年たっても
おぼえていますぞ。。。。
ちなみに12月14日は
赤穂浪士討ち入りの日
連日、高齢者の
ブレーキとアクセルの踏み間違いなど
高齢者の事故が報じられているが、
私も高齢者の仲間入りをしただけに
なんだか複雑な心境である。
しかし、これだけ
時代が進んだにも関わらず
ニュースでは
高齢者の免許返納の話ばかり。
都会とは違い、田舎の
人間から車を奪ったら
もうそれは、孤独死を意味する
ほど、死活問題なのである。
どうして、免許返納より
間違った運転の防止装置や
危険運転の防止装置、
自動運転の装備が
いつまでたっても
できないのだろう。
何十年も前から車の自動運転の
実験がされていて、
さらには、さもすぐ
そういう時代が来るような
報道がされていたのに
ブレーキとアクセルの踏み間違いを
防止する装置すらない。
そういえば、
同じ様に、
福島の原発事故の時
思ったのは、
これだけ昔から
ロボットが人に代わるのは
もう目の前といっていて
実際、ヒト型ロボットの展示が
あれだけあったので
ヒト型とは言わないまでも
あの放射能の地獄に突入できる
ロボットがあると思っていたのに
あの時、あの現場に突入する
ロボットがいないではないか。。
最近になってもやっと
数グラムの放射線のデブリを
ロボットアームで
とってくる。という作業が開始されたが
すぐ故障した。
そういえば
医学でも、私が医者になった
80年代には癌が制圧できるという
話になっていたので、
腫瘍学に進むのを躊躇した
記憶がある。
コンピューターが進化し
AIが主流になり
IPS細胞が臨床に応用され用と
している時代。
でも、以外と
科学技術は以外と進んでいないのかも
しれない。
安かろうまずかろうの時代
最近、変なところで
日本もこれまでか?って思って
しまった。。。。。
私、昔から
悪い癖で、
腹が減ったら、何の気なしに
冷蔵庫の中にウインナーが
あったら、こっそり
生で食べてしまう。
(お腹が比較的丈夫にできているので。。。)
以前はそういうことはなかったのに
何本か食べたら
もう1~2本しか残ってないではないか。。
おそらく値段据え置きで
本数が減っているのだ。
最近はそれだけではない、、、、、
味が落ちている??
気がする。。。。。
最近は、なんでもそう。
お菓子でもなんでも
1段階目には
一個、一個の大きさが小さくなって
2段階目には
本数がへって
3段階目には
味が落ちて、、、、、
そんな風なことは、
自分だけでなく、
他の人も、他の食べ物でも
感じている様だ。
1,2段階までは
仕方ないかな、、、、と
おもっていても
3段階目の味が落ちていること
には、どうも納得がいかない。
これは、おそらく食品だけでなく、
他の物品でも
大きさや、数が減り
そして品質が落ちてゆく。。。。。
値段を上げないという努力は
日本人らしいというか
何というか、
100歩ゆずって享受しよう。
しかるに
味が落ちたり、品質が落ちたのでは
本末転倒、日本の産業の良さが
消えて行ってしまう。。。。。
サービス業でいえば
おもてなし?が
どんどん減っていってしまう。
。。。。。。
なんだか、そんなことを考えると
日本もここまで
落ちたか。。。と
思わざるを得ないのである。。。。
なんてね。。。
街の電気屋さん。
子供のころは、
もちろん、ヤマ〇電気や、K〇電気
なんかなくて、
電気のことなら電気屋さんに
頼んでいた。
そんな小さな電気屋さんが
いたるところにあった気がする。
街を歩いていると
昔、電気屋さんだった
ところが、今は、もう閉めて
看板だけのこっていたりすると
なんだか寂しい気もする。
それでも、今でも頑張っている
電気屋さんを見つけると
大手の電気屋さん対
頑張る
小さな電気屋さんと同じ様に
大病院対
頑張る
小さな診療所みたいに
なにか元気づけられる
電球、蛍光灯、
カセットテープも
その店にいって、
電気屋さんのおっちゃんや
おばちゃんと会話しながら
買っていたのを思い出す。
そのついでに
ステレオやラジカセを
みて帰ったりして。
テレビなんかを買ったら
2人ぐらいおっちゃんが担いできて
アンテナの設置や位置の調節
を、アナログでやっていた
のが懐かしく、
今より高価な商品だったから
家での設置は一大イベントだった。
調子が悪くなったら
電話して来て見てもらって、
部品の取り換えさえなければ
サービスで帰っていった。
そんなアナログな
ことが
おっちゃんは
とても懐かしい。
その変わりナショナルの店だったら
ナショナルの製品押しで
いまはなきサンヨーだったら
サンヨーの製品押しという
欠点は、あった。
そんなアナログで
人の息づかいが聞こえてくる様な
時代が懐かしい。
街を歩いていると
電気屋さんだけでなく、
服屋さん、時計屋さん、喫茶店、
おもちゃ屋さんの
今は閉めている店の
古い看板をみると
なんだか、人の息づかいが
どんどん消えて行って
人が多いのにもかかわらず
無機質な街が
逆に寂しく感じる
じじいでした。
小さな店が街中だけでなく
ほんの近所にも
電気屋さん、八百屋さん
魚屋さん、駄菓子屋さんが
散らばっていて
その町、町のコミュニティーを
形成していた時代が
懐かしい。
大きなショッピングモールが
毎日盛況なのも
いやではないが、
高松でいえば特別な日に
香川県民があつまるデパートも
それなりに風情があって
よかった気がする。
こんなことを思うのも
じじいの証拠かな~~
インフルエンザ
今、急激にインフルエンザが増加して
おります。
感触としては、
高齢者や特異なケースをのぞけば
症状がほぼ新型コロナ感染症と
よく似ていて、
どうかすれば、熱の出方なんかは
インフルエンザの方が強い
印象があります。
そのためか
今、外来ではインフルエンザの
予防接種のまっさかり。
マスコミがあおる?ので
今、急激に予防接種を
受ける人が増加して大変。。。。。
この予防接種ですが、
ここが大きなポイントで
決して予防注射をしたから
かからないわけではありません。
若干かかりにくい?
(発症しにくい)
症状の軽減作用があるだけです。
そして効果
だいたい、すぐ効くわけではなく
効きとしては1週間ぐらいから
そして3週間ほどがピークで
それからは、徐々に効き目が減少します。
説明書レベルでは5か月有効と
ありますが、
臨床での感覚では3か月ちょっとが
いいところかな。。。。。
私、一度、インフルエンザの予防接種
をした2週間後ぐらいに
熱はないが、少し鼻水がでたので
一応、介護施設をみているので
念のため検査したら陽性がでたことが
あり、予防接種の力を実感した
ことがある。
毎年B型のインフルエンザが
2~3月にはやるので
皆に11月下旬から12月
上旬に打つよう言っていたのだが、
(B型のインフルエンザの
方がややきつい感触)
今年は、感染のピークが去年より
1か月ほど速そうで
今年は、悠長なことを
言ってられなくなってしまった。
(昨年は、12月29日の当番病院
のころピークでえらい目にあってしまった!!)
それにしてもマスコミの力は絶大
流行っていると
テレビでいいだしてから
すぐにみんな打ちに来た。
実をいうと、
いままで当院でインフルエンザの
摂取量が一番おおかった年は
テレビでワクチンが少ないと
報道した年で
人間の心理だな。。と感じたことがある。
薬屋さんによく言うのだが
昔、みのもんたが
〇〇がいい!!って言った
翌日には〇〇が
スーパーから消えていた様に
私のところへ薬を宣伝しにくるぐらいなら
ミヤネ屋で一言いってもらったら!!ってか
大阪のおばちゃん
今では、図々しいことの
代名詞になってしまった感があるが、
私も例にもれず
勝手にその虚像を
作り上げている感がある。
東京で電車に乗っていたら
皆、それぞれスマホをもって
何かをしている印象があるが、
大阪の電車では、
おばちゃんたちが
大声でたわいもない話をしてる
印象がある。。。。。
話はかわって、
町を歩いて思うのだが、
ときどき
歩道の幅いっぱいに
4~5人で話ながらやってくる
集団に出くわすことが
たびたびある。。。。
子供たちは、
変なおじさんが正面からやってくる
と思うのか
早々によけてくれる。
若い、男の集団も
だいたい、ヤバいやつが前から
来たとおもうのか
たいていの奴らが
結構、よけてくれるのだが、
ここからは
スーパー偏見なのだが、
中学生以上の女の子の集団になると
“私たち神5だから、
よけてちょうだい“と
いわんばかりに動かない。
すれ違う直前になってから
“変なじじいだ”やばいから
よけようという感じ。
どうかすれば当たりそうになる。
こちらも当たって
“ちかん”と思われたくないので
スルリと抜けてゆく。
てめえ達、ガキに興味はないわ!!
そっちがよけないと
通るところがないだろ!!
。。。。ってよく思ったりする。
そうか、大阪のおばちゃんは
もう、中学生ごろから
つくられてくるんだ。。。。。!
と、偏見は増して行くのでした。。。
大谷選手は確かにすごい。
MBLにおける大谷選手は確かにすごい
文句のつけようのない
選手だ。。。。。。
私は、軟式ではあるが
テニスをずっとしていたが。
大谷選手が硬式テニスをしていれば
。。。。。。。。
あの体格、
あの身長、肩の強さ
強烈なサーブを打つには
最適
(錦織の身長ではストレートの
強烈なサーブを打つのが困難)
ピッチャーで160kmをだせる
背筋力があればサーブで
かなりのスピードがでるのは確か。
あの身長と手の長さがあれば
ネットプレイでも有利。
また、あの打撃での変化球等に対する
適応力があれば
ラリーもピカ一になったはず。
っと思うわけで、、、、
なんでそんなことを言うかといえば
世界的にみれば
テニスの方が野球より
はるかに競技人口がおおいから。。。。
大谷が子供の時から
テニスをしていたら、
ジョコビッチが一時期の
独走は許さなかっただろう。。。。
そうすれば、全世界の人間が知るところ
となっただろう。。。
しかし、この野球界における
大谷選手でさえ、
いつまで名前が残っているかは
わからない。
野球という競技がいつまでつづくか
少なくともプロという形態でいつまで
残るかわからないからである。
野球が始まってせいぜい200年
プロができて100年ちょっと
長い目でみればこの形態が
いつまで続くかわからないのだ。
実際、アメリカでも、日本でさえも
徐々に人気に陰りが出てきているのだから。
いつまでも野球がプロスポーツで
あるかわからないし
この世に存在するかはわからない。
200~300年たてば
ひょっとすると
野球というスポーツ自体が
存在しないかもしれない。
でも、今に輝くことは
素晴らしいし、
逆に
歴史に名を残すこと
自体が
あまり意味を持たないと思っている
私にとっては、
今を輝く大谷選手が
やっぱり
うらやましいのだ。
それにしても、日本のプロ野球は
どうなるの
私、ドジャーズの選手は何人もしっているけど
ソフトバンク、阪神の選手の名前
知らないんだけど。。。。
(昔は、セパ両リーグとも
10数人づつはしってたのにな~)
総理大臣がかわって
なんでだろう
総理大臣がかわって
まだ、なにもやっていない
にもかかわらず
野党の名だたる人々は
辛辣な意見を言っている。
私、高市新総理がすきでも
なんでもないのだが、
この、野党の人たちの
インタビューや書き込みが
予想通りの批判的意見であるのに
いつも違和感を持つ。
そう思いません?
女性初の総理おめでとうございます
頑張ってください。わが党も
頑張ってダメなものはダメ
いい政策は飲ませるぐらいの勢いで
頑張りますから
一緒にこの国をよくしましょう
ぐらい言やいいのに。
批判すればするだけ
ああ野党も変わってないな、
と思われるだけなのに、、、、
だいたい自分の周囲でも
物事に対して批判ばかりする
人間をみたら
いやけがさすでしょう。。。。
他人を批判するのはだいたい
自分を上げるために
自ら自分を持ち上げられない
から他人を批判して落として
相対的に自分を持ち上げようと
する人が多いから
そういう人を見たら引くのであって
器が小さい人だと
思うのだから。。。
政治家を見てもう一つ
〇〇党の〇〇党首なんかが
勢いよく強く発言しているのを
見ると
どうも引いてしまう。
(ホリエモ〇なんかの有名
人なんかも)
それは、なぜか、
それは、あまりにも自分の
信条に自信をもちすぎており
“この人、人の意見は聞かないな”
っておもうからだろう。
自分の近くにこういう風な人が
いたら引いてしまうし
話をしようと思わないでしょう。
(どうせ話しても聞いてくれないのが
わかっているから)
なんだかな~~~
我々も我々で、
政治に期待しているのは
自分の生活が楽になるよう
税金が安くなるよう
これから安心して暮らせるよう
という目の前のことだけ
自分の生活がきつくなっても
全国民が幸せになれば、、、、
なんて思っている人は
いりゃしない。
宣伝ばっかし
昔から、テレビを見ていたら
いい所で中断。
クイズでいうと
答えをほのめかしてから
コマーシャルが入り
我慢してコマーシャルが
終わるのをまっていたら
中断前の場面が始まり
そして答え。
どれだけ引っ張って
どれだけ時間稼ぎするんじゃい。
番組自体が以前より
面白くなくなっている上に
コマーシャル自体にも
昔の様な良さがない。
何かひねりがない。
昔のサントリーの子犬が
うろうろする宣伝や
華やかなコカ・コーラの宣伝が
懐かしい。


唯一見入るのは
トリーミージョーンズが出る
ボスのコマーシャルか

てなわけで意地でも
宣伝も答えも見ずに
その場を離れたりする。
テレビを見るのが嫌になって
ユーチューブを見たら
これもまた宣伝が入る。
ユーチューブで流れる宣伝は
短絡的なものが多く
好きでないし、
かといって課金して
宣伝を飛ばしたくない。。。
5秒なら待つが
時には60秒も宣伝が入るときがある。
音楽を聴いていたら
途中で宣伝が入って
興覚めしたりもする。
でも意地でもおじさんは
課金して企業戦略に乗らないぞ
それどころか
ネットでいろいろ見ていると
その記事を見るのでさえ
ショーもない宣伝を
みなければいけない様に
なっている。
宣伝見るぐらいなら
デマばかり流す
記事なんて見るかい!!
っと今のところ
意地を張っている
おじさんでした。
10月
我々の時代
10月といえば
衣替え、運動会、遠足
衣替え
中学、高校といえば、
なんとなく、いろいろな意味で
色気づく時代。
10月になると
夏服、シャツから冬服OKの
衣替えの時期。
昔といえども10月といえば
朝は、丁度いいが、昼には汗ばんでしまう。
でもなんとなく、冬服の方が
男子はかっこよく
女子は色っぽくみえて
無理してきていた気がする。
(反対にいつまでも半袖でやせ
我慢するやつもいたが)
いまから思えばかわいい時代。
しかし、今はとても暑くて
どんなに我慢しても冬服を
着る気温ではない。。。。
運動会
今では、10月に運動会と
いう時代ではなくなったが、
私のころは
東京オリンピックのあった
10月10日前後が
いちばんいい季節
朝はやや肌寒く、昼はやや
暑く、片付けをする夕方には
やや肌寒く、お祭りあとの
寂しさがあった覚えがある。
なんせ、運動会系には自分を表現する
場所だったから。
(ちなみに1964年に
10月10日に東京オリンピックが
決まったのも気温のことを考えたり
天気がいい日が多かったから)
いまでは、10月10日に
運動会なんかしたら
熱中症になりそう。
余談だけれども
最近あった世界陸上で
クシコスポストや道化師のギャロップ
のBGMを流したら
日本選手もっと早く走れたんじゃ
ないかな~~~とおもったりした
だって、彼らは子供のころは
絶対運動会のヒーローだったの
だから。。。。。
しかし、
よく考えたら
今の若い子はそんな曲
運動会で流されていなかったか???
それがおわって
遠足。。。。
なんか子供の頃の10月を
思いだすと
夏休みがおわって、
9月は運動会の練習をして
10月は運動会で
そして遠足、
なんか勉強わすれて浮かれていると
遠足がおわると
肌寒い風とともに
中間試験がはじまり
体育会系には
寂しい、くらい季節が
始まった様なきがするな~~と
じじいは
また、季節感がいっぱい
あったころの10月を
思い出すのでした。
集中力の欠如
ああ、
年を取るというのは悲しい
もので、
一つの事を集中してすることが
できない。
こんな小さな診療所でも
やらなければいけない
ものは山積みで。。。。。
以前ならやらなければ
いけないことが
ABCDEと5つあったら
Aから順にかたずけていったのだが
どうも一つのことに
長く集中できない。
Aをやってあきたら
途中でBをして
あきらたCをして、、、、
AからEまで少しずつ
順繰り順繰りやって
どうにか終わらせる。
(時間がかかるのだが)
Aから順に片付けようとしたら
Aの仕事の後半は、
集中力が途切れて
時間がかかるか
いい加減になってしまう。
Aが終わると異常につかれて
一旦やすんでからでないと
次にいけない。
本や論文を読むときも
何冊かを平行して
読む様になった。
最近は、朝、毎日
病院周囲の掃除をしているのだが、
それでさえ
毎日、雑草をぬいて
あきたら木をきって、
あきたら花壇の工事をして
次の日になると
昨日の続きの
雑草ぬきをして
木をきってという次第。
幼いころ時間をわすれて
模型をつくったり
絵をかいたり
ゲームをしたり、本を読んだり
していたころが
懐かしく、うらやましい。
今でも
ネットで興味を惹かれることが
あったら、まばたきせずに
目が乾燥するぐらい
集中して見ていることもあるのだが、
結局、
次の日のことをかんがえて
夜更かしもしない
(夜更かししたら
次の日の仕事にさしさわるから、、、、)
土曜日でさえ
生活のリズムを崩さぬように
いつも通りに寝たりする。
これが年齢というものか?
体力の低下というものか?
あー何かに
眠るのも、食べるのも
わすれて興味あるものに
集中したい。
ロバートレッドフォード
が最近なくなった。

60年代から70年代にかけての
アメリカを代表する
ハンサムなスターだった。
そのころの
ハリウッド映画は
輝いており
映画好きには
何かハリウッドの映画自体が
消えてゆく感じを覚えた。
そして
”レッドフォードでも死ぬんだ“
という変な感覚を覚えた。
他の映画俳優の死とは
違う感覚をおぼえたのだ
私の好きな映画俳優でいうと
ロビンウイリアムスがなくなった時は
“あーもう彼がでる新しい映画は
ないのだなーって“
思ったし

と思った。

(ブルースウィルスも認知症で
今、大変なようだ)
日本の俳優でいえば
最近なくなった
露口茂さんは
ずーっとテレビにでていなかったので
頭の中ではとっくの昔に
亡くならせていた。

世界陸上
このところ毎日
テレビで世界陸上をしていたが、
(9月17日に書いてます)
テレビでは
口が裂けても言えない
ことだけれども
皆がおもっていることは、
黒人の血がなければ
世界と戦えないのかな。。。
今の夜の中
心で思っても
口に出せないこと。。。
でも、実際
黒人は、黄色人種より
背が高く、足も長い、
医学的に言えば
速筋や遅筋
(速筋は瞬発力のある筋肉で
遅筋は持久力のある筋肉)
の割合が多い人種が存在する。
アキレス腱が長い。
特に短距離は、
かなり有利になる。
あの人口が15億人ちかくいる
中国で英才教育しても
なかなか、陸上で
世界と戦える選手が出てこない。
さらにもう一つ
日本人は、緊張する
遺伝子をもつ人間が多い。
それを思うと
大谷選手はすごいな。。。。
ただ、一つだけ
うれしかったのは、
110mハードルの
村竹ラシッド選手と
400mの
佑気ジョセフ選手の
試合後の
コメントが
きわめて日本人らしくて
ホットした。。。。
のは私だけ????
それにしても
ヨーロッパの国の選手も
黒人選手がおおいな。。。。。
(あくまでも
心の中で思っていることなんですが)
毎日、毎日
暑い日がつづきますが
皆さん、いかがお過ごしでしょうか
気象庁のデータを見たら
今の気温というのは、
私の子供のころでいうと
2週間遅れぐらいの気温の変化がみられる。
つまり今日、9月14日の気温の状態は
5、60年ほど前の
8月の終わりから9月の始まりの気温
という感じ。
お彼岸や中秋の名月のころに
朝、夕に涼しさを感じた頃が、
懐かしい。。。。。
10月になると衣替えで
学校も冬服が始まり、
体育の日の運動会の時は
もう皆、冬服だった。。。。。
爺になるとどうしても
ダメとおもいつつノスタルジックに
なってしまう。。。
なぜ、ノスタルジックになるのか、、、
私が思うに一つは
夢
子供のころに、
将来にいろんな夢を抱いて
生きていて、
年とともにそれが1つづつ
消えてしまう。
つまり年齢、環境でできなくなって
しまう。。。
たとえて言うなら
野球選手になりたいとか
東大に入りたいとか、
年とともに1つづつ消えてゆく。
そしていまでは、その中で
いくつ残っているだろうか。
2つ目にはその逆で
あれをしてみたい、これをしてみたい
とか、
単純に言えば、たばこを吸いたいとか
パチンコしてみたいとか、
ひとつづ経験して
どれもこれも
想像以上につまらないもの。。。
と消えてゆく。
3つ目にゆうなら
この年になったら
体力的、年齢的に
できなくなることが増える。。。
体力とともにやろうという
気力がなくなる。。。。。
そんな、こんなで
昔の世界を懐かしむのだろう。
そういえば65歳になると
ジェットコースターなんか
年齢制限でのれなくなる??
なんて、
秋はやっぱり
鬱傾向になる。。。。。
もう12年目
私、上里医院にきて
この9月ではや12年目に突入いたしました。
上里先生に“10年はがんばります”と
いったら
“そういわずにずっとやってください”
といわれたことが
本当に昨日のような出来事だった。
10年ひと昔といいながら
はや12年
いろいろ軌道にのって
おちついたら
6年目の2020年に
新型コロナで全てが一転。
それからはいろんな意味で
大変な日々を送っております。
この12年間で
病院を休んだのは、
学会に行った数日と
白内障の手術で休んだ2日と
わけのわからん感染症にかかって
休んだ3日ぐらいで
ほぼ皆勤賞。
それにしてもこの年になったら
12年とは早いもの
しかし
12年といえば小学校1年生が
高校3年生になっている。
一人前の医者になるのには
最低10年かかるといわれて
もうその4倍医者をしている。
短い様で長いもの
長い様で短いもの
毎日、ほぼ同じ時間帯に
通っているので、
朝、道端で健康のために
あるいたり、走ったりしている
同じ人を毎日見かけるが、
としをとって
歩く姿がおぼつかなくなったり
もう、見かけなくなった人さえ
いる。
この病院は、というか
坂出は高齢者の人がおおいから
上里先生の時から見ている患者さんさえ
はや3分の1ぐらいの人は
なくなったり、施設にはいったり
している。
子供だった患者さんも
社会人となり、
バリバリ働いていた人も
リタイアしたり、
やはり12年は長いのか。。。
それにしても
現実的に今一番困っていることは
いろいろな機械や設備が
10年以上たって片っ端から
やばくなってきていること
来た時は10年で買い替える
余裕を作っておこうと思っていたのだが、、、、、
この物価高もあいまって、、、、、
と、高齢者になった私は
秋の気配とともに
思うのです。。。。。
秋の気配
これだけ残暑というか
酷暑がつづいているにも関わらず
空を見上げ、
朝日や夕焼けをみると
なぜか夏の終わりを感じさせる。
空には飛行機雲が見える様になり
(これは、上空の空気の
温度が低下したということ。)
入道雲が出るのだが、
空を見上げると
青々とした雲に単独で
入道雲がでるのではなく、
筋雲やうろこ雲を背景に
入道雲が出る様になった。
夕方、毎日、日が沈むのが
早くなるのを感じ
(この時期、秋分の日周辺の
日の出、日没の毎日の時間変化が
早いので。)
(その理由は、地球の軸の傾きが
原因なのだけれど詳しく話すと
長くなるので省略)
(だから秋の夜はつるべおとし
といわれる)
それとともになにか
寂しさを感じる様になる。
だが、ここで大きな疑問が、
一つ。
なんで、
こんなに憎いぐらい
暑い夏を惜しみ、
今からやってくる
涼しく過ごしやすい秋が
やってくるのに、
それも、実りの秋がやってくるのに
なぜ、一応にみんな寂しさを
感じるのだろうか。
学生ならまだわかる。
長い夏休みが終わるのだから。
じじいの若い時代の感覚でいえば
松任谷由実の”晩夏“や
山下達郎の”さよなら夏の日“を
はじめ
夏の日が過ぎるのを
悲しむ歌ばかり、
チューリップやオフコースにいたっては
夏の恋がそこで終了し、失恋して、
秋は寂しい、、、という歌が多い
”秋の気配“なんかその代表。
あー女々しい!!
(いかん、差別用語だった)
原始時代でも絶対
夏より食べ物が多い秋の方が
よかったと思うのだが、、、、
まちにまった秋が来た
という歌をほとんど聞いたことがない。
どうも、秋に哀愁を感じるのは
日本人だけではないらしく
これは人類の嵯峨なのか?
ただ、春夏秋冬がはっきり
している日本人は
特に哀愁を感じるようだ。
おそらく
よほど、人類は、夜が苦手で、
夜が長くなり始める秋が嫌いか
耐え難い冬が
来る気配がする秋が
よほど嫌で
遺伝子のどこかに
それが組み込まれたのだろう。。。
それにしても
もう今年も3分の2
終わってしまった!!!
(-_-;) 汗 (-_-;)
(-_-;) 汗
残暑お見舞い申し上げます。
残暑お見舞いもうしあげます。
毎日暑くてかなわん!
俺も高齢者の仲間入りしたから
毎日しんどくてたまらん!
皆さんもお体に気を付けてください。
これを
最近よく使う様になった
チャットGPTをつかって
いろいろな言い回しをしたらどうなるか
検証してみた
丁寧語にすると
厳残暑お見舞い申し上げます。
しい暑さが続いておりますが、
皆様におかれましてはご健勝に
お過ごしのことと存じます。
私も高齢者の仲間入りをいたしまして、
日々の暑さが身にこたえるようになってまいりました。
皆様もどうぞご自愛くださいますよう
お願い申し上げます。
謙譲語
残暑のお見舞いを申し上げます。
連日の厳しい暑さに、皆様におかれましては
いかがお過ごしでしょうか。
私事で恐縮ではございますが、
このたび高齢者の仲間入りをいたしまして、
日々の暑さが身にしみて
感じられるようになってまいりました。
皆様におかれましても、
どうぞお身体を大切になさってくださいますよう、
お願い申し上げます。
あ~~
敬語を使うと文章が長くなるんだ~~
でも、大事な文書を書くにはべんりかも。。。
ついで
讃岐弁で
残暑お見舞い申し上げます。
毎日、ほんまに暑うてたまらんわ〜。
わしも、ついに年寄りの仲間入りしてしもうて、
毎日がしんどいことこの上ないんよ。
みなさんも、くれぐれも体に気ぃつけてなぁ。
博多弁
残暑お見舞い申し上げます。
毎日、ほんと暑うてたまらんね〜。
わしも、ついに年寄りの仲間入りしてしもうて、
毎日がしんどうてしんどうて。
みなさんも、体に気をつけんしゃいよ〜。
筑後弁(久留米周囲の方言)
残暑お見舞い申し上げます。
毎日、たいぎゃ暑うてたまらんね〜。
わしもついに年寄りの仲間になってしもうて、
毎日がこらまた、しんどうてしんどうて。
みなさんも、体ば大事にして、
無理せんごと過ごされんね。
大阪弁
残暑お見舞い申し上げます。
ほんま、毎日アホほど暑うてかなわんわ!
わても、とうとう高齢者の仲間入りしてしもてな、
毎日がしんどてしゃあないねん。
みなはんも、ほんま体には気ぃつけてな〜。
ちなみに英語では
Wishing You Well in This Late Summer,
It’s been so hot every single day —
it’s almost too much to handle!
Now that I’ve officially entered the “senior”
stage of life, this heat is really wearing me down.
I hope you’re all staying safe and taking care of yourselves.
AIが優秀なのは
わかるが
どれもこれも
なんか少し違和感を感じるが、、、、
やはりAIはまだ
ニアンス的なことまでは
学習できていないかな。。。。。。。。
もっと勉強しな。。。。。。と思いつつも
どこかで少し安心した自分がいる。
昼間の運転はいらいら、、
私、車の運転が基本
好きではないので
他の人が信じられない様なところまで
歩いてゆく(半径5kmぐらいまでなら)
その一つの原因が、
が昼間や日曜日に
運転すること、
特にこの盆休みなどに
運転するのは非常にいらいらすることが
多いから。。。。。。。。
普段は、通勤だけ運転しているから、
通勤時間というのは、
大体、同じ車が、
その道路の状態を把握して
運転していることが多いので
わりとスムーズに進む
しかし、普段の時は、
他の車の運転にイライラすることが
多々ある。
その1
先の信号を見ないでゆっくり
運転していて
前の信号が変わり始めたら
直前で急にスピードを上げて
赤信号を突っ切る。
”お前だけ行くんかい!!“
その2
道路わきの左から
急に突っ込んできて
こちらもブレーキを踏まないといけないぐらいの勢いで
車列にはいってくるやいなや
信じられないぐらい
ゆっくり走る。
”急いでないなら
割り込みなさんな!!“
その3
片側2車線の道路で
わりとすいているのに
2台がほぼ並列で
同じスピードでずーっと
しかも、ゆっくり走っている。
“同じスピードで走るなら
どっちかの車線に入らんかい
後ろ、つかえとる!!“
その4
同じく片側2車線の道路で
スムーズに走っていて
(交差点でもなんでもないところで)
急にウインカーをだして
右側に曲がろうとする車
対抗車線も片側2車線だから
もちろんなかなか曲がれないで
後ろは1車線だけ渋滞。
“違う経路を通って左折するか
はよからウインカー出すかせんかい
この車線走ってそんしたやんかい!!“
その5
休日によくあるのだが、
何かを探しながら
ゆらゆら、スピードを上げたり
下げたりしながら
運転する県外ナンバー
“よー調べてから来んかい!!”
などなど、
ほら、昼間は運転しない方か
いいでしょ。。。。。
医療って複雑だ!!
私、が学生の頃
内科の講師が
廊下をとても大切そうに
小さな薬剤の液体が入った小瓶
を持ち運んでいたのを
今でも記憶している。
その薬、ウロキナーゼといって
血栓を熔解する当時は画期的な
薬でその小瓶だけで
100万円近くする
当時はまだ、臨床研究段階で
そんな高い薬が
存在するのだと
驚愕した覚えがある。
ところが、今やそれより
もっと高い薬がざらに
ある時代なのである。
私、自分で言うのもおこがましいが、
なんとも商売気が少ない
医者の一人で、
おそらく、医学に対しては
きわめて真面目な
おやじの影響を受けたのかもしれない。
昔は、薬局で薬を出していたので
薬をたくさん出すと
病院が儲かっていた時代があった。
(今は、薬局が儲かるのだが。。。)
そんな時代におやじは、
不必要な薬の投薬をしなかったので、
“あの病院は薬をだしてくれない”と
陰口をたたかれたぐらい。
私も無駄な検査をするのが
いやで
ある他の病院から移ってきた患者さんに
前の病院は毎回血液
検査していたのに
ここではあまりしてくれないと
いわれてしまったことがある。
(毎回検査してなにみるんじゃ!!)
以前もかいたが、
薬は、
1000円して10効く新薬と
100円で9効く旧薬があったら
年金暮らしのお年寄りには
どうしても後者の治療を選んでしまう。
大きな病院で
若いドクターに紹介して
もどってくると
新しい高い薬ばかりに
かわっていたりして
なんか、
やるせない気持ちになることが
ショッチュウある。
それも紹介状の返事に
新しい治療法をまだ知らんのか
と言わんばかりの返事を
ともなって。。。。。。。
閉口。。。。。。。。
最近。自分の患者さんで
大学病院で最新の治療を
している患者さんが
受診に来た。
使っている薬の一か月分が
なんと当院の一か月分の
収入ではないか。。。。
療は、点数制なので
公的保険が支払う医療費としては
その患者さんの1っか月の
薬代と当院に支払われる
医療費が同じなのである。
5人の職員全員で、
この物価高、
必死で節約して、
毎日時間外労働して、
夜中によばれて、、
毎日1円でも薬代を減らそうと
して。
毎日必死ではたらいている
職員たちの努力と
その患者さんの
1っか月の薬代(他の検査料
は入れずに)
つまり、
製薬会社に払う金
が同じ。。。。。。。。
いわば、
国からしたら
同じ価値。。。。。。。。。
そして、国は、そんな
我々には非常に厳しい。。。
少しでも病名の漏れや
いらん薬や検査をしたら
(いるけど保険を認めないもの)
ばっさ、ばっさ切ってくる。。
そして内科系のクリニックを
全国から激減さそうとしている。
1人の命の方が5人の生活より
大事といえばそれまでなのだが、、、、
ああ、なんだかむなしい。。。。
雑草、、、、、、
高齢者に毎日何をしていると
聞くと
半分は、テレビの番
半分は、草抜き
そんなに坂出は雑草がはえるんかい!
それが、生えるんです。
数年前までいろいろしてくれる
雑用の人を雇っていたので
雑草もこまめに抜いてくれいていたのだが
いま、退職されていて
雑草を抜く人がおらず。。。
ある日、病院の周りに雑草が生えているのに
気づき、これは、はしたない!と
思い、毎朝少しずつ抜き始めた。
雑草の雑草たるゆえんで
その生え方がすごい!!
少しでも土があれば
鬼の様に生えているではないか
道路の舗装の割れ目、
たてものとコンクリートの
ホンの少しの割れ目
溝のほんの1mmぐらいの
土のたまり、
植木鉢の下の1mm
もない土のたまり、
どこもかしこも
根性で根を生やしている。
また、これが抜けない!!
最大のものは、
のうぜんかづら
一か所、すごい繁殖しているところが
あるのだが、
冬に、乾布なきまでに剪定しても
夏になると山ほどおおきくなって
花を咲かせる。
アスファルトの間にはえると
それを持ち上げて生えてくる。
根が張っているので
抜けないから根本に近いところで
切っても数日たったら
もう葉が出てきている。
すごいやつだ!!!
それが、あちこちにばらまく
様に生えてきている!!
なんともなんとも。。。。。
毎日、酷暑なので、
朝、早いうちに30分ほど
毎日、雑草をぬいているのだが、
病院とデイサービスの建物の周囲
道路、駐車場(舗装していないところも)
これを入れると結構な面積。
8月が終わるまでに
全部抜けるかな。。。。。
おそらく一周したところで
最初に抜いたところが
また生えているのだろうな。。。
先生、毎日なにしているの?
ってきかれたら
草抜きって答えるかも。。。
くそが付くぐらい熱い
毎日、毎日、くそ熱いですが
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
わたし、高齢者?になったのと
この暑さで、なんとも
疲れ、だるさが取れないし、
例年になく、眠気がやってくる。
すぐ疲れる。
やっぱり年か⤵
毎年、毎年
血圧の薬を夏になれば
容量を減らす人が多いのだが、
(だいたい7割の人は夏になると
血圧が下がる。
逆に夏に上がる人が1割ほど
いるのだが、動脈硬化が強い人
がそういう傾向にあるといわれている)
今年は、減らす人が少ない!!
これは、暑すぎるからではないか
と勝手に考えている。
今年の季節的な特徴として
(あくまでも個人的な意見だが)
先ず、梅雨時期の気温が
以外と低かった。
その梅雨が突然、しかも
例年より早く終わったために
気温の変化に
体がついて行っていないのではないか。
人間も動物、
自律神経を調節しなければいけない。
体も温度への対応をしているのだが
その準備ができずに突然
暑くなってしまった?
例えば冷房を23度で設定したら
寒くてたまらない。
ところが、冬は23度もあれば
汗ばむほど温かさを感じる。
人間も動物。犬や猫が冬毛をぬけさせる
様に季節に備えている?はず。
それが、急に暑くなったものだから
ついていけない。
それも私が若いころの
7月より平均で2度から3度高い
(気象庁のホームページでしらべたら)
そのうえ、なんか湿度が高い。
梅雨の状態で暑くなったのではないか
というほど蒸し暑い。
いくら水を飲もうが、
汗が蒸発しなければ体温が下がらない。
湿度が高いとかなり体温が上がりやすい。
それが証拠に今年は
熱中症の人が多くやってくる。
こんな中、体調管理するのは
かなり難しい。
そんな中でもわたくし
夏になるとやっぱり太る。
今年も。。。。。。
この65年間
夏バテで、体重が減少したのは1回だけ
野生動物に近い私は、
体調が悪くなると
自然とたくさん食べて
よく寝るという行動が始まる。
こんなに、過酷な夏なのに
おそらく、また、
食いまくって、寝まくって
体重が増えるのだろうな。。。。。。
医師のいうことではないが、
夏バテの防止は、
体重を気にせず
食って寝ることですぞ!
そんなに覚えきらんわ!!
5月にコンピュータが壊れて
電気屋さんで買いなおした。
基本、だいたいが買い物は、
現金にこにこ主義の人なのだが、
(カードを使うと目の前の財布のお金が減らない
から、なんだか、無駄使いをしてしまうので)
さすがにそんなにお金の持ち合わせがなく
カードで支払うことにした。
ところが、4月からカードの認証は、暗証番号
だけでサインでは受け付けられないといわれ
。。。。。。?
暗証番号なんて覚えているはずがない。
使えるカードが2枚あったので
2枚で思い当たる暗証番号をいれたら
2枚目の2回目で何とか合ったので
事なきを得たのだが、、、、、
だいたい、マイナンバーカードや
コンピュータやなんやらで
暗証番号が多すぎる!!
それも、暗証番号設定で
同じ番号にするなとか
誕生日を使うなとか
大文字を入れろとか
英数字と数字を組み合わせろとか
全部設定がちがっってくるから
おのずと暗証番号が
バラバラになってしまう。
しょっちゅう使うものなら
いざ知らず、
たまに使うものなんて
覚えているわけがない。
クレジットカードや
ましてやマイナンバーカードの
暗証番号なんておぼえているわけがない。
ああーーーーー
不便!!!
それからもう一つ。
先日、学会の参加の支払いを
しようとしたら
カード払いのみだったので
コンピューターで
支払いを使用としたら
セキュリティーが上がって
SDセキュアちゃらなんちゃら
で支払いができない!!
このSDセキュアてつづきに
一苦労。
だいたい、支払いやなんやらで
いちいち
長い文章でいろいろ
規約がかいてあって
これに同意しますか?て書いてあって
同意しなければ次に進めない。
めんどくさい手続きをするのに
このわかりにくい
長い同意書を十分読むわけがないし
相手側もそれを見越している。
なんか詐欺にあっている気分。。。。。
いろいろな部門で
人件費の節約?で
すべてが自動化している。。。
そのうえで、
人と人との対面がへっているし
それに付け込んだ詐欺が
横行しているので
それまでの手続きが
どんどん複雑化している。
今はなんとか
くらいついているが、
これ以上、年をとったら
絶対ついていけない!!
おじさんは、やっぱり
人と人との対面の
アナログがいいな~~~
上里の法則?
私もこの病院に来てもう
11年になろうとしている。
上里先生には、
10年は頑張りますと
いったが、もう10年
とっとと
過ぎてしまった。。。。
この病院に来て、いままでと
違うことは、多くの高齢者を
診ていること。
高齢者を多く見るということは
多くの認知症の人を見ているということ。
この、認知症の人達を見ていて
ずっと思っていたが、
最近、確信している
ことがある。
(ここで、書くと、いろいろ
さしさわりがあるので
なかなか書きずらいところも
多いのだが。。。)
夫婦で診ることも
よくあるのだが、
先ず、ご主人の方が年上の
夫婦がほとんどで、
と、いうことは、
平均年齢からいって、
ご主人が先になくなることが多い。
しかし、比較的、早くから
どちらかが認知症になるという
ケースが多々見られ、
その場合、
夫婦ともご健在のケースが、
多々見られる。
比較的早くから、双方とも
認知症になるケースは
まれで
もちろん
ご主人の方が年齢が上なので
ご主人が先に認知症になる
ケースが多いのだが、
逆のケースもたまに見られる。
このたまに見られるケース
では(奥さんが先に認知症になる)
ある特徴がみられることが多い。
ことに気が付いた
もともとが亭主関白なのか
先ず、奥さんを診察するときは
一緒に診察室に入ってくるケースが
多く、奥さんに対して
結構、強い口調て
〇〇しなさい、とか
そうじゃないでしょ
とか指導する人が多い。
日常もどうも〇〇しなさいとか
いろいろ、させていることが多くみられる。
裏をかえせば
奥さんが認知になったことを
認めていないで
行動を叱責している様に見える。
逆のケースはほとんど見られない。
これを私だけが
思っているのかと思ったら
ナースもそう思っている様だ。
いろいろ、認知症の文献を
読んでいるが、
そういうことを書いた
文献はみたことがない。
し、
今、考えられている
認知症の原理的にも
あわない。。。
おもいすごしかな。。。。
(これを読んで、気をわるく
する人がいたら大変
申し訳ない。。。。。)
本日、このくそ熱いのに
当番医にてブログはお休みします。
いろいろな意味で大変なことが多いので
みなさま何もない様にお祈りください。
あーもーー
最近、薬屋さんに
ブチ切れてしまった。
(薬問屋)
その薬屋さん
病院の駐車場のど真ん中に2台車
を置いた上で、
裏の愛生苑、にいって
隣の薬局に行っているではないか
(あいさつ回り)
さすがにブチ切れてしまった!!
これは、昭和のじじいが
切れる多重の誤りがあることに
お気づきであろうか。
先ず、セールスの人間が、
病院の駐車場のど真ん中に
車を置くこと
ほとんど来ることがない物と
初めて来る、顔もみたことがない
者にこういうことをされると、、、
次に2台で来て駐車場の
30%を占領してしまったこと。
それも、その時点で当院に来る患者さんが
一番止めやすいところですぜ、、、
病院の前を通って他の施設にいったこと
これでは、どう考えても
自分が回る施設の中で一番
起きやすい所に車を置いて
セールスに回っているとしか
考えられんだろう。。。。。。
セールスの人間でも当院に用事が
あるか、あるいはこちらが呼ぶか
頻繁にくす人間ならまだわかる。
ありえない、
これが、最近の人の感覚。。。。?
こんなことに引っかかるのは
私の年代だから???
もし、自分の家の駐車場に
車をおいて
周囲の家にセールスに回っている
セールスマンがいたら
いかがでしょう。
仮に最後に自分の家にセールスに
来るとしてもそれは
セールスをしている
者として、ありえないでしょう。
買うわけがない!!
それが今の倫理観か。。。。常識なのか。。。。
社会人としてありえんと
爺はおもうのだが、、、、、
以前は、どこにでもあった
自動販売機の横の
ごみ箱や
コンビニのごみ箱はない。
それというのも
ごみ箱にいろいろなものを
捨てる人がいるから
結局、そういう風になってしまった
のだ。
入れる口が下向きになっている
空き缶入れなどを見ると
何か悲しいい気持ちになってしまう。
倫理観の欠如は、
いろんな方面で
いままで慣習でそういうことを
する人がいないから
法律や規則をつくって
いなかったという所で
法律違反ではないところをついて
身勝手なことをする者が増えている
最終的にそれが
結果的には、
社会の不便さを生み出してきている
ん、、、、、、
じじいにはどんどん
住みにくい世の中になっているぞ。
夢を覚える
今朝、久しぶりに夢を覚えていた。
きつい夢でなかったのは幸い。
夢というのは、その日の記憶を整理して
貯蔵するためのものと考えられている。
記憶をすべて残すには
あまりにも膨大すぎる。
すべて覚えるのには
人間の記憶装置がとてもたりない。
そこで先ず、記憶の刈込を行う。
生命維持にいらない記憶は
捨てるわけだ。
そのあと、残りの記憶を
簡略化凝縮させたり、
他の物に置き換えたりする。
だから、覚えている風景でも
周りの情景を切り捨ててしまう。
写真をとって人物をのこして
後ろの風景は切り取ってしまうわけだ。
例えば、時々会う人に
その日にあったら
写真のその人を切り取って
記憶装置に残す。
その時、後ろの風景を
その人を分類の本棚にいれるために
その人を連想させる風景にしたり
日時をわからせるために
その日の特色のある風景を
入れ込んでしまう。
だから、時々人間は、とんでもない
記憶違いをしてしまったりするのだ。
同じ場面にいた人と
記憶合わせをすると
場所がちがっていたり、日時がちがっていたり
他にいた人がちがっていたりする
のはそのせいであると考えられている。
夢はその整理段階の
画面と考えられており、
よく考えると夢にでてくることは
その日の出来事につながることが多い。
というのが一般的な考え方
でも、
今日は、ずっとあっていない
大学の時の同級生や、小、中の
同級生がでてきたが、
なんでかな。。。。。。
それにしても、夢は本当にすぐに忘れてしまう。
夢の中での自分を楽しむのは
自分の経験を2倍にしている様で
楽しい。
できるだけ、覚えているうちに
ノートに書き留める様にはしているのだが、
書き留められるのは
月に一回もない。。。
私、結構特異な性格かもしれないが、
苦しい夢をみていたら、
理論的に現実ではないと
考えて、夢の中で気を楽にしてしまう
ことが多い。
例えば、大学生で、試験前に
勉強していない夢はよく見るが、
やばい、やばいと思っているうちに
そうだ、もう私、医者なんだといいきかせたり
、、、、、
でも、夢をあまりに大切にしていたら
夢と現実がわからなくなって、
それが認知なのかも、、、、
あと2か月で本当のじじい
あと2か月すれば65歳。
世間の分類でいけば高齢者に
入ってしまう。
んーなんとも
周りをみれば、中学や、高校の同級生は
リタイヤしているか
再雇用で、65歳でほんとに
リタイヤする奴がどんどん増えている。
んー
今年は、昭和100年の年だという
私のこどものころ
明治100年で、そういう番組が
あっていたことを覚えている。
自分はそんなに年を取ったつもりはないのだが
よく考えると
子供のころは、100年といえば
遥か彼方の昔と感じていたが
今では、100年といわれると
手の届きそうな時間になってしまった。
よくテレビの番組で
創業50年の老舗といわれても
最近じゃんっておもったり
この道一筋20年のベテラン
といわれても
それほどベテランじゃないじゃん
て思う様な年になってしまった。
外来で同い年の患者さんを診ると
自分もこういう感じで見られているのかと
ぞっとする。
最近、60代後半まで仕事をしていて
やめた患者さんが、
仕事をやめたら
あれもできる、これもできると
思っていたけれど
仕事をやめると
やることがなくて
仕事をしていた方がよかった
と、愚痴をこぼしていた。
思えば、昔、365日24時間
激務をこなしていた時に
少し仕事がへったら
いろいろしてみたいと
したいことを列記して
書いていたが、仕事が減っても
ほとんどしなかった。
むしろ、忙しい時に一日30分でも
時間をつくっていろいろしていた方が
充実していたのかもしれない。
したいことなんて究極の暇つぶしかも
しれないなーーー
と自分に言い聞かせながら、
いつ死ぬかわからない
正真正銘のじじいになる
私は、
地下をほるほど鬱になるのでした。
突っ込みどころ満載
長嶋さんの話も書こうと思ったが
いろいろ多くて飽きたとおもうので
他の話を
今、一年で一番、朝が早い。
じじいは、外が明るくなると
早く眼が覚める。。。。。。
朝、起きてテレビをつけると
毎日、古い時代劇があっていて
朝の寝ぼけた頭でなんとなく
見ているというか
点けていることが多い。
今日、朝、はどういうわけか
なかった。
朝、早すぎて途中のコマーシャルが
15秒で終了する。
杉良太郎や里見浩太朗が
若い時の時代劇で
だいたい、1970年代の初めから中ごろの
シリーズものの時代劇で、
最近は、大江戸捜査網だった。
(私の年代なら水戸黄門の様に
みんな知っている時代劇)
水戸黄門と同じで、ストーリーは単純
毎日、正義は勝つ。
途中から見てもストーリーがわかる。。。。
でている俳優も結構豪華で、
当時の一線級の映画俳優がでてる。
若いころの竹下景子が、
小娘役で何回もでてたりして、、、
それがまた、当時の時代劇に
ありがちで
突っ込みどころ満載。!
町人姿の杉良太郎が
次のシーンでは、侍姿に、
“秒殺で着替えたんかい!”
”秒殺で髪型かえたんかい!“
何メートルもある壁を
ひょいととびこえたり
“オリンピック選手でもそんなことできんわい!”
“毎週それだけ悪い旗本を切ったら
旗本全滅じゃ!!“
と、寝ぼけまなこで
突っ込みをいれるのが
早朝の楽しみ??だった。
それとともに
当時、それを見ていたころの
私、(小学生から高校生)の
ころを思い出していた。。。。
突っ込みどころ満載といえば。
”世界ふれあい歩き“
というNHKの番組。
いろんな国の町を歩いて人と話して
その国の文化、人々の生活を紹介するのだが、
外国版 鶴瓶の家族に乾杯
の様なもの。
偶然あった人が
“伝統あるお店の店長”だったり
そのまま
“まーうちの店見ていきなよ”
と案内してくれて、
いろいろ説明してくれたり
道で会った人が
”家の中を見てゆく?“
って家の中をみせてくれたり
名所、付近に立っている人が
偶然、そこの名所について
詳しく、いろいろ歴史的なことから
教えてくれたり。。。。。。。
毎回、偶然が続いた上に
ヨーロッパで偏見の強い
東洋人のクルーに
家の中までみせるわけ
ねーじゃん!!
って突っ込みをいれるために?
時々見ている。。。。
まーテレビの前で
一人で、それを声にまで出す様になったら
正真正銘のじじいの証になるかも。。。。
私にとっては定期的に診ることが大事
私が10年前に当院に来た
時は、上里先生の影響で
2週間処方、
つまり2週間に一回来院
してもらうことがほどんど
だった。
さすがに、今の時代2週間は
早いと思って1っか月
処方が多くなった。
ところが、コロナ禍の影響で、
処方が1か月以上の人も
増えてきているのが
現状。
中には、薬だけで、ほとんど
私の顔を見ないで
帰ってしまう人もいる。
かかりつけの
患者さんにとって
1っか月に一回は
とても速いかもしれないが、
この1っか月というのは
微妙なタイミングだと思っている。
私の悪い癖で、
診察の80%は
待合から
診察室の椅子に座るまでに
行う。
(その間の顔、つや、肌の状態
歩き方、そして雰囲気)
だから、
1っか月ごとに一回会うのは
大変重要なのである。
人間、毎日見ていると
その変化に気づきにくいもの
しかし、しばらくぶりに
会うと、結構微妙な変化が
目につくものである。
長年の経験という物は
怖いもので、、、、、
その微妙な変化を見ると
何かあるのではないか
とそこで、本当の意味の診察が
始まるのである。
理由もないのに
やせたり、肌つやがなくなったり
歩き方が悪くなったり、
顔の様子が変だったり、、、、、
なんで、なんで、なんで、、、、
そこからどこか
悪いところはないかを探し出すのが
かかりつけ医というもの
当院の患者さんは
高齢者が多いので
いろんなところ、
身体的なもの以外に
身振り、手振り、話し方で
その認知機能の低下を
見つけることも多い。
そうやって、定期的に
会うこと、話すことは、
患者さん側からは
いつもの
バカな会話とおもうだろうが
私にとっては
会うこと、たわいもない
話をすることが
とても重要なのである。
そこは、ほれ、
40年来の経験というか
なんというか。。。。。
逆に初めて会う患者さんで
主訴が
熱だけとか全身倦怠感だけとか
いわれるのが一番困るのである。
ほとんどすべての病気は
熱が出たり、全身倦怠感が
出てたりするから、
初めてあった人でそれから
病気を推測することは
きわめて困難と言わざるを得ない。
なんせ、世の中のすべての
病気を考えて
そこから少しづつ
病気をオミットしなければ
いけないのだから。
今度、会うとき
私が、
診察室にはいってから
いつになく、聴診をしたり
触診をしたり、
たわいもない長話をしたりしたら
お気をつけください。。。。
なんて、、、、
大谷翔平はすごいね。。。
当院の事務の一人は
歌手の○○にぞっこんで、
年に数回、遠方まで
コンサートをみにいって
何万円もその歌手のグッズを買っている。
私は、汗水たらして
稼いだ金をその歌手の遊ぶ金に
つぎこむな!!!
なんて冗談で、よく言っている。
また、婦長もしかり、
若いときから
歌手の〇〇にぞっこん。
私は、昔から、基本、偶像崇拝を
しない人間で、芸能人の中で
誰かのファンだの
なんだのしない人間で、
どうにも深く理解できない
ところがある。。。。。のである。
部屋に一個人のポスターを
はることもなく
(映画のポスターは張っているが)
特定の女優がでている
テレビや映画を見るでもなく、、、
そりゃ、一時的に
綺麗な女優さんが気にかかったり
カッコいい俳優が
気にかかったりしたころは
あるが、
永続的に一人の人を
追いかけることは今まで
一度もないと言っていいだろう。
ところが
ある日、介護施設をまわっていたら
ある、おばあちゃんが
今日は、大谷がホームラン打ったから
いい気分。。。。といっていて
びっくり、
その人が大谷が好きだというよりも
大谷翔平の1本のホームランが
日本の片隅の坂出の
高齢者を
喜ばせている
ということに
びっくりするとともに
感動もした。
そういわれれば、
よく考えれば
私も時々
ネットで今日は、大谷
打ったかなー???
って探してみたり
日曜日にテレビで
大谷の打席をみたりもする。
まるで先にいった
当院の事務や婦長の偶像をかんがえると
日本全国民の偶像になっている
様な気がした。
そりゃコマーシャル1本で
何十億もかせぐわな、、、、
いま、日本でダントツで
一番、好感度のある人間にちがいない。
CMにでたら、
それは、商品価値が上がるだろうて。
まちがって上里医院に受信
したら、
うちの病院はしばらく
大黒字になることだろう。。。。
(まちがってきてくれないかんな~~)
その反面
カメラが24時間うつしているから
うかつに鼻くそもほじれない。。
まちがっても不倫なんか
できやしない。
そのすごさに感動するとともに
なにか
皆に
作り上げられた
人間性を
守り演じることの
大変さを
感じるのではあります。
それにしても
日本の隅々まで
人々の注目をあつめ
感動させるのは
なかなか思いおこしても
いない。。。
おじさんの
思いつくなかでは
高倉健、吉永小百合
王、長嶋以来だろうか
この情報過多の時代
それをはるかに
しのいでいるかもしれない
うらやましい。。?
世の中、突然かわってしまう。
私、コンビニにはよく行く方なのだが
スーパーやファーストフード
の店に頻回に行く方ではない。。。。
先日、〇タッキーフライドチキンに
いったら、レジに店員がおらず、
注文が自分で画面選択して
料金まではらうシステムになっていた。
まだ、変わったばっかりなのか
躊躇していたら店員が出てきて
説明はしてくれた。
もし、店員がこなかったら、、、、
出て行ってしまうかな、、、、、、
こんなことは最近、しばしば経験する。
スーパーにしょっちゅう
行く方でもないので、
スーパーで自分で
品物を詰める様になったとき
初めての時なにがなんだかわからなくて
ためらっていたら
それも、店員に冷たく
むこうで詰める様にいわれたり、
レジ袋が有料になった時も
わけがわからず、
レジ袋のことを言うと
まるで、そんなのも知らないの??
と言わんばかりに、いるなら
いわないと、、、という感じで
いやな顔をされたのを覚えている。
そういえば、
あまり行かないコンビニで
突然、機械で清算するレジに
なっていて、
冷たく指示されて
支払いに苦労した覚えもある。
変わったばかりの時は
人がいて説明したのだろうが、
あまりスーパーなんかに行かなかったり
あまり行かない店なんかじゃ
突然、様子がかわっていて
躊躇するばかり、
これもすべては人件費削減のため
であろうが、、、
(最近大きなスーパーや
ホームセンターなんかは
セルフレジが何台もならんで
人1人で見ているところを多数見る。)
(レジが8つあったら、そりゃ
店員1人で人件費は削減できるよね、、、、)
がーーーーー
最近はこんなことが多くて
ストレス。
日本はおもてなしどころか
人件費削減、つまり商売のことで
客のことは考えなくなってきたのか??
だいたい、こういうことは
少しずつかえていっても
買い物をしょっちゅうしない
人間にはとても苦痛でしかない。
以前いったかもしれないが、
子供のころ行きつけの
歯医者さんで
頭がつるつるの先生だったのだが、
カツラになっていて
びっくりした覚えがある。
当時3区増毛法といって
徐々に髪の量を増やす方法が流行っていたのだが、
本当に、何年かに一度しか行かない
歯医者さんでは、
突然、髪がふさふさになった
としか見えないではないか。
びっくり、して、こちらが
どぎまぎしてしまう。
病院も国から
むりやりマイナンバーカードを
押し付けられたのだが、
それを説明するのに
坂出では高齢者の方が多いので
半永久的に事務は説明をしている
しだいで、、、、
おもい起こせば、
昔、スーパーのレジで
2人いて、
一人が紙の袋にいれてくれていて
その紙の袋をかかえて
帰っていたのが懐かしいし、
その紙の袋が
今になっては風情があって
よかったな。。。。。。。
なんて思う爺でした。
ゴールデンウイーク
このゴールデンウイークも特になにも
しないで終了した。
何だろう。
休みに動いてどこかに行く習性がない
ものだから、
いつも何もしないで終わる。
ゴールデンウイークどころか
盆、正月もしたり。
子供のころから、親がいそがしかった
ものだから
休みに旅行なぞしたことがなく、
大学にいったら
ゴールデンウイークは
九山といって、
九州山口の医学部の
体育大会があったから
試合週間。
盆、正月は帰郷
医者になったらなったで
いつも重症者をもっていたから
動けない。
特に若いうちは、
当直三昧。
高松に帰ってからも
結構患者さんが休みはどういうわけか
状態が悪くなって
病院に詰めることが多く、
(麻酔科にいた1年半だけは
持ち患者さんがいなかったので
休みが休みだった。。。。)
現にこのゴールデンウイークも
介護施設の入所者の
状態が悪い人が多くて
3人なくなって
駆け付けた。
以前にも書いたのだけれども
私、どうしても患者さんの
生死の時間を調節しないし、
(点滴や薬で時間を
調節するやからがいる!!)
たとえ、老衰でも
亡くなって、朝までまって
死亡確認をすることをしないので。
(都会を中心にそういう施設が
増えてきている)
なんとも夜中に呼ばれることが多い。
呼ばれたらその時に
行けばいいだけと思われるかも
しれないが、
一人でもなくなりそうな
方がいれば
家から遠くにでてゆけないし、
常にすぐ出られるように
しておかなければならないので
休みといえども
完全に拘束されているのだ。
昔堅気の医者としては、
家族の前で冷たくなった方の
死亡確認をしたくないのだ。
上里医院に来てからというもの
ほとんど香川県から出ていない
という信じられない生活をしているのだ。
今どきのお医者さんは
そういうことはしないのだが、
なんとも
損な性分なのである。
この身に沁みついた
性分は仕事をしている限り
続くのだと思うと
ぞっとする今日このごろ
なのです。。。。。
ブルーインパルス!!
この日曜日にブルーインパルスが
坂出上空をとんだのだが、
丸亀から煙をはいて
坂出に向けて飛んできて
上里医院の少し北側
の上空を飛んで、
そして高松に飛んで行った。
土曜日の予行も同じ時間に
同じコースを飛んだので
日曜日も上里医院にいって
2回ともよく見えた。
19年前にサンポートに飛んできた
時は、いろいろ
展示飛行をして
凄かったが、
今回は横切るだけで
少し物足りなかったものの
それでもすごかった。
何だろう、、、、
老若男女、喜んでしまう
その魅力は何だろう。
プロペラ機の展示飛行や曲芸飛行もあるが
ジェット機の曲芸飛行、6機も
そろった曲芸飛行はその
規模と感動が違う。。。。
どの国も空軍が戦闘機を使って
行うのだが、どこの国でも
この時だけは、戦争の道具ということを
わすれて、みんなが空を見上げ
感動する。
(日本の自衛隊は亜音速練習機
それでもレシプロ機とは
迫力が違う)
(戦闘機、練習機、亜音速機、
レシプロ機と少々マニアックだけれども
一つ一つ解説したら
おそらくそれだけでこのブログの
10回分ぐらいかかるので割愛!!
(九州でいた病院の20kmぐらいに
築城基地というのがあり
時々自衛隊の戦闘機が飛んできたが
それだけでも迫力があり感動した。。。)
(これは私だけ??)
あの魅力、
展示飛行をするときはどこでも
凄い人が集まる。
今回、展示飛行がドクターヘリで
中止になったが、善通寺だけで
市の人口とほぼ同じ2万5千人が
集まっている。
おそらく香川県中なら
その数倍の人数が空を見上げていたに
違いない。
大阪万博でも開会式での
最大の目玉になるぐらい
人気がある。
どこか空に対する人間の
あこがれか?
自然に対抗する人間の
魅力か???
何かが人の心を揺さぶるのだろう。。。
でも残念というかなんというか
昔の展示飛行の方が
スモークが色鮮やかで
さらに空に残っていたので
綺麗だったことは確か。
特に思い出すのが
昔の東京オリンピックの
5輪のマークなのだけれども
はっきり色がついていたし
しっかり5輪ができるまで
煙が残っていた。
色については油性なので地上に
着色剤が多少撒かれるので中止になり
スモーク自体も
現在は環境に配慮したものに
なっていて以前ほど
長く空に残らない。
こんなに皆が喜ぶなら
もっといろんなところで
とんだらいいのにな~~~
と、いい加減なことをいったりして。
究極の暇つぶし
最近、妙なことにはまってしまって、、、
以前、Pinterestという画像を
集めたデータベースのことを
話したとおもうが、
毎日、私のホームページに
入ってくるのでつい
見てしまって、気にかかる
画像を保存していたら、
(それより前よりネットで
気に入った画像があったらのこしてた)
1万枚以上たまってしまって
それを整理することにはまり込んで
気が付いたら小一時間
そういうことをしている
興味があった画像ばかりだから
それを分別して
アルバムの様に整理するとが
なんだかわたしの
ドーパミンを放出させている様だ。
一番多い画像は、
私の好きな模型の箱絵

次は絵画

結構癒される。。。。
それから映画のポスター

昔見た映画なんかを
その当時のことをおもいだしたりして、、、、
名犬ラッシー
懐かしい。。。。。

住みたい家。。。
住めるわけない。。。。。

昔あそだおもちゃやら

それから昔の高松の風景
これは瓦町の
六角のたてもの

なんておあてもなく
いろいろ集めた
写真を整理して
楽しんでいる。
結局、これが、
今の私の究極の
暇つぶしになっている。
大阪万博
誰が行くのかしらないが、
誰のためにするのかわからないが
誰が得するのかわからないが、
大阪万博がはじまった。
四国の人間が、わざわざ
泊りがけで大阪にいって
高い入場料をはらうなら
USJに行くんじゃないのかな~~~
それにしても
おじさんにとっては
万博とえいば
EXPO70

まだ10歳
小学校3年の終わりに
行った万博は忘れない。
あれはまだ
日本が高度成長期の終わりに
背伸びしていた時代だった。
戦後もうすでに25年が過ぎ
戦争を忘れようとしていた
日本が、
世界にその戦後の成長を
見せる日本が威信をかけて
開いた万博だったし、
米ソ冷戦がつづくなか
東西両陣営が
その豊かさを
背伸びをして世界に見せる
万国博覧会だった。
宇高連絡船にのって
まだ山陽新幹線がない時代に
山陽本線の特急にのって
やっと着いた大阪で
(今や3時間弱でつく大阪も
当時は6時間以上かかった)
見たものは、新鮮で、
これが未来だとおもわせる
世界がひろがっていた記憶がある。


確かにそこには
未来があったし、
未来への希望があった。
急な坂をのぼっていた
日本や世界が
その坂のてっぺんの
向こう側を見ようとした
輝ける時代の
輝ける万博だった。
しかし、今の時代、
坂を下る日本や世界の
見えている坂の底辺を見下ろす
暗い万博でしかない様な気がする。
えらそうに、、、、、、
桜、桜、桜
今年も桜の時期が来て
いろんな場所で
桜が一斉にさいていた。
桜が満開の時期は
せいぜい長くても1週間。
最盛期はほんの2~3日というところだろうか。
咲いてから散るまでの約1週間の
ドラマ
いわば一年の約50分の1の
一日でいえば20分から30分の
時間を日本人は
楽しむのである。
ある人は冬が終わった喜びを感じ
ある人は、入学や就職の思い出に浸り
ある人は、散る桜に人生のはかなさを
感じ、
でも数年前からなにか
その桜に物足りなさをかんじてしまう
のである。
というのは、
昔はもっと密に花がさいていた
気がするのである。。。。。。。。
なにか花が今一つまばら。。。。。
満開なのに。。。。。。
その上、あちこちで
倒木の話を聞いたりもするし
結構、倒木の危険性がでて
伐採する木も増えてきている様である。
色々、原因はある様だが、
その一つに
ソメイヨシノに寿命が来ている
という悲しいできごとが
関連しているらしい。
桜の寿命は一般に
60年~80年
ソメイヨシノは、明治以降に
全国各地に植えられ、また、
戦後すぐに
復興のシンボルの様に各地に
接ぎ木で
植えられた。クローンなのである。
だから、逆に開花時期がきたら
全国一斉に咲く。
そのかわり、いま一斉に
寿命がやってきているのである。
じゃ、接ぎ木をしないで
クローンでないものをえたら、、、、、
と思うかもしれないが、
ソメイヨシノという花は
エドヒガンとオオシマザクラという
さくらの交配種の第一世代で
ソメイヨシノ同士の交配をさせても
まったく違うものができて
しまうという事です(チャットGPTで調べた)
つまり、
どんな遺伝子のくみあわせで
どんな性質の木や花が
できるかわからないという
代物で。
同じものをつくるにはクローン
つまり接ぎ木しか手がなかったのです。
だから今見ているソメイヨシノは
特別養護老人ホームに入っている
人の様な高齢者なのです。
だんだん満開の木が
よわってきていて
いわば
おじいさん、おばあさん
の木を見ている様なものなのです。
ん~~~
そして里美先生はいなくなった(4)
子供のころ
“ウサギと亀”の話を
よく、美談としてきかされたものだ。
足が速くてピョンピョン飛んでは
休んでいたら
こつこつと歩いていた亀が
ゴールに先についた。
また、
“アリとキリギリス”の話もよく聞かされた。
暑い夏でもコツコツと
働いて食料をためていた
アリは
冬になって
食料をためていたおかげで
いきのびて、
夏、遊んでばかりいた
キリギリスは冬になると
食料もなく死んでしまう。。。。
これが人生のなすべきところと
徹底的におしえこまれていた
われわれ。。。。
だが、。。。。。
今、ウサギと亀がいたら。。。
ゆっくりと、コツコツ働いていたら
いい仕事ができる人間と
休みながらさっさと仕事
を済まして余暇を楽しむ人間。
コツコツ働いていたら
時間外労働だといわれて
働くのを止められ、
亀は仕事が終わらない。
休みながら仕事を早くすまして
余暇を楽しむウサギは
今の社会に適応して
昇進。
(亀にゆっくり仕事をさせていたら
いい仕事をしたのに、、、、)
夏の暑い日にキツイ仕事をする
アリの仕事は
今の若い人達はしない。
どうかしたら
暑い夏、きつい仕事はせずに
暑い夏は好きなことをして
金をかせいで
冬はその金でアリの仕事を
買うことを理想とする
現代の若者。
つまり、キツイ仕事で
小銭をためるより
Youtuberや仮想通過で
大金をもうけて楽しようという
若者がふえているわけで、
そりゃ、
根本からの倫理観が
ちがうので
若者と
噛み合うはずがないわ。。。。
この、多様化する現在。
亀の仕事の仕方も認めて
アリの仕事にこそ
お金が出る様にするのが
理想ではないのだろうか、、、、
仕事を始めても
自分の理想と違うと
すぐ離職する若者が
増えている現在。
じじいの助言。。。。
楽な仕事はないわ、、、、
楽して金が貯まる人間は、
ごく一部だわ、、、、、
上を向いてばかりいたら
つまずいて地面にはうことになっちゃうよ
というのが
じじいの助言。
でも今の世の中
はうことになった人達の
声の方が強いことが気になるな。。。。
世の中の根本が変わり
医療の世界もかわり
そして里美先生はいなくなった
そして里美先生はいなくなった(3)
最近、大変こまったことが起こった。
愛生苑の利用者が、意識を失い
左半身の麻痺をおこしたのだ。
脳梗塞か脳出血、あるいは
一過性の脳虚血発作(TIAといって
一時的に脳の血管の細いところが
血栓や痙攣でながれなくなったもの)
は間違いない。
そこで脳外科のあるA病院に電話すると
当直医が”脳外科今日はいません“
B病院に電話すると
”診断はできますが、脳外科がいないので
入院はできません“
(診断だけして、治療できない!!てことか!!)
こういう時は医者がさがすと
取ってくれないことが多く
(この場合だと脳血管障害と
わかるから、一般の人が気を失っているので
診てくれといった方がとりあえず見てくれる)
仕方なく救急隊に電話して
受け入れ先がく
それでも小一時間かかってC病院ダメ
D病院ダメ。。。。。。
E病院がみてくれることとなった。
それも年齢を聞いて高齢者とわかると
治療の意思がほとんどない。
私が診てから病院に着くまで結局
2時間。もし、条件がよければ
脳梗塞は4時間30分以内なら
血栓溶解剤で血流が落ちたところを
再開通させることができる。
それも早ければ早いほど
後の麻痺の範囲が少なくて済む。
結局はTIAで、事なきを得たのだが、
これが、若い人の脳梗塞ならと思うと
ぞっとする。
いま、働き方改革のために
突然の医師不足が始まっているのだ!!
今のドクター夜当直をしたら
次の日は絶対休み。
勤務時間はまもって
主治医は2人3人でうけもって
自分の患者さんが悪かろうとも
8時間勤務で時間が来れば
強制的に家に帰る。
総合病院なら、以前なら
他の科の医者が診て他の科の患者と判断したら
夜でも担当科の医者をよびだすのだが
今はそれもできない。
そうやって相対的に動ける医者が
少なくなってしまったのだ。。。
里見先生ではないけれど
私のころは(また昔話)
365日24時間営業。
医長のころは
2日に一回ぐらい夜やら
日祭日によびだし。
時間外の届をだしても
出さなくても給料が一緒だから
どうしてか事務に聞くと
”先生は3日で時間外の上限になってます“
との答え。どれだけ時間外を
しても一緒なのだ。。。
つまり今のドクターの2人分は有に
働いていたことになる。
ついでに言うと
今、クリニックどころか
中~大病院まで赤字。
ドクターを余計に雇わなければいけないのと
私の頃は、若い医者の薄給は
凄いものがあった。
何処かに若い医者は
修行をさせてやっているという
暗黙の風潮があったため。。。
(大学の時は無給!)
今は、研修医でさえ
チャンとそれなりの給料をもらっている
(私の頃は月5万円)
これじゃ、医者は不足するは
急患は取れないは、
病院は赤字になるはで、、、、、
本当の医療崩壊がやってきている
見たい。。。
結局はいままで
世の中が里見先生たちが
(ついでに私もいれて!)
医療を支えてきたのだが、
もう、若いドクターはそういう
気持ちでは働かない。
今からは
財前教授や大門先生が集まって
医療を崩壊させていくのだと
背筋が凍るおもいがする毎日です。
と、偉そうに言う私でした。。。。
今は、チャットGPTにお任せ
今日は、一旦他の話で、、、
(いろいろ頭に来たので)
以前話したチャットGPTを少し詳しく
チャットGPTとは
生成AI (artificial intelligence)
いわゆる人工知能の一つ
元々は、文章を作るのに
単語の次の言葉を
いろいろな情報から予想させて
文書を作らせるものだったらしいが、
その進化がすさまじい。
元情報をネットから検索するものだから
知識が膨大で
どんどんもと知識がふえているのでこれは大変。
”坂出市ってどんなところですか“ってきいたら
即座に要約して説明してくれる。
さらにその一部を詳しく説明してくれ
と頼むとさらに
詳しく説明してくれる。。。
ネット検索とウィキペディア(ネット上の百科事典の様な物)
を合わせた物の様。
その知識の進行が素晴らしく、
数年前よりはるかに詳しく
素晴らしい答えが出てくる。
最近、もっとも驚いたのは
幼稚園の時の友達を
探したら、なんと探しあててしまった
事である。
無料では、とにかく制限があるので
ついに課金してしまった。。。。
実は、今、一番使っているのは前にも話したが、
英語論文の解説。
もともと英語が苦手な私。
英語論文を読むのは一苦労。
読んだところで内容がなかなか頭に入らない。
そこで英語論文をよませてこれを
解説してくださいというと
アッという間に解説してくれる。
私が1時間かかってあいまいに
内容を把握するのにほんの5分で終わってしまう。
この一か月で
100編近く読み込ませてしまった。
また、試しに私が書いた日本語を
英訳させたら、中学校レベルから
ネイティブレベルまで訳してくれる。
これでは、AIを開発した人が
使用制限を掛ける様にいうはずだ。。。。。
このままでは、人間の遥かにおよばない
領域にすぐに達してしまう。。。。
しかし、人間は不思議な物。
ネットができた時
むかしは、物をしらべるのに
図書館で調べなければ
いけないことが
一瞬で分かるようになった時
これは若い世代に知識でかなわなくなると
おもったが、
今、そうでもない。
AIが発達すれば、
もっと若い世代にかなわなくなる
と思っているが、
そうでもないかもしれない。
私より若い世代はどんどん
このAIをつかいこなしているのだが、
この時代を使いこなせなくても
生きて行けるんだと
無理やり納得させている。
しかし、一つだけ
時代に取り残された感があるのが
お財布携帯。
どうも苦手、。。。
スーパーでの支払い用の携帯が
ならんでいるが、どうも
こわくて使えない。
最近、どうみても田舎の
私より10歳は年配のおっさんが
コンビニのレジで
携帯をかざして、
”ピー“ってやっているのをみて
冷や汗がでてしまった。。。。
さて、前回のつづきで
いままで
映画や、テレビの
白い巨塔で
よく深い財前教授に
相対する存在として
里見助教授がえがかれていたが、
1966年の映画では
田村 高廣

1978年のテレビでは
山本學

2003年のテレビでは
江口洋介

立派なお医者さんとして描かれていた。
毎日朝はやくから
夜おそくまで、患者によりそい
他の時間は研究にいそしみ
家でも、論文をよみ常に勉強し。。。
いわば、一般の人からいう
理想像のお医者さんなのだ。
配役もいかにもという
配役であった。
しかし
もし今の病院で里見先生がいたら
どうなるだろう。
先ず、17時になっても
患者をみていると
早く、帰れと周囲に言われる
それでも自分の患者の状態が悪いから
診ていたいというと
働き方改革で病院側から強制的に帰らされる。
そして、
帰って下さい、後は当直がしますから。。。
と言われる。
まちがって病院にいようものなら
夜間の時間外になるので次の日は
休診で休みにしてくださいといわれる。
その間、研究室にいようものなら
医局から長時間、夜間研究室で
研究するのも働き方改革で
禁止されてますからと宣告される。
そうなるといろいろ仕事を
家に持ち帰りになる。
そして、家が寝て食べるだけの
研究室になり、
家族から見下り半を突き付けられる。
ということで
里見先生は消滅してしまうのです。
昔話をするじじいではあるのだが、
患者さんの具合がわるければ
夜中でも、休みの日でも
張り付いてみていた主治医たち
カンファランスをする時間がなくて
7時ぐらいからカンファランスをして
白熱すれば12時を超えることも
しばしば、
そんな中、実験、研究は
もちろん夜。。。
そして若いものは無給。
勤務は休みなしの365日
24時間どころか48時間、72時間
連続勤務は当たり前
そうやって里見先生を理想として
医療を支えてきた
日本型医療は、
今は崩壊し、
里見先生はこの世から消滅してしまったのだ。
そして、患者の術後も見ない
私、失敗しないので
という、現実にはありえない
大門未知子が
今のドクターの理想なのか、、、、、
つづく。
そして里美先生はいなくなった。
人生最後の看取りを行う場所が、
以前は病院が多かったのだが
今は、介護施設が中心となっている。
国の方針として
病気は病院
看取りは家で
という漠然とした、いいかげんな
方針をそれに伴う、お金の
配分をしたものだから
病院は、看取りを急にしなくなってしまって
昔は、高齢者でも病気があれば
病院で看取りをしていたのだが
今では、病気があっても高齢者であれば
看取りを病院でしなくなってしまった。
かといって、家で看取りは
難しい。。。。。
いくら高齢者といえど動けなくなったら
それを家人が診るのは難しい。
特に病気があれば
家人が少人数で診るというのは
非常に困難。
訪問診療や看護がいい点数になるから
(お金が高い!)
押し売りに近い
訪問診療や
訪問看護を使って
家で看取りをさせるところもあるが、
家人が疲れはてて。。。。。。。
色々問題がおきて
施設に放り込むケースが結構ある
という事で、最終的には
施設で診とることが多くなったのだが
最近は、都会を中心に
介護施設での看取りが
(訪問診療でも)
時間外になくなったら、そのままにして
朝まで家人をまたせて
死亡確認をするところがほとんど
になってきている。
私もそうすることを勧められては
いるのだが、
昔気質のじじいの医者には
どうしても
家人を朝までまたすことができず。
夜中でもでてきて死亡確認をする。
(働き方改革なんて、くそくらえ!)
逆に時間合わせとしようと点滴や
何かを駆使して日にちや時間を合わせようと
しているヤカラもいるが
わたしは、とにかく自然に
看取ることを大事しているので
夜が多い。
だから間がわるいことに
朝の3時とか
日曜日とか
寒い日の月曜日の早朝とかが
多い。。。。。。。
勤務時間内になくなったら
”主治医思い!!“って思ったりする。
夜中に暗い中、
叩き起こされて
高松からやってきて
一人でクリニックで死亡診断書
をかくことの寂しさと
辛さよ。。。。。。。
立て続けにおこると
さすがにしんどくなってくる。
若いころは病院勤務で
主治医制度が強い時代だったから
何日も病院にとまったり
(3か月ほど帰れなかったこともある)
するのはざらだったが。。。。。
もちろん、この年で
そんなことはもうできないが、
今は主治医制度が崩壊して
若いドクターはそれもない。
ずっと診ているドクターが
その人の臨終にたちあえなんて。。。。。
と最初に書きたかったことから
はずれてしまって、、、
次回、そして里美先生はいなくなった2
を書くことにします。
私の言葉より近所のおばさんの言葉。。
今週
血圧の薬を出してほしいと
いって来院した患者さんがいた。
家での血圧が
いつもは120~130代でおさまっていて
特に他に糖尿などのリスクがないのに
一回150代がでたので
血圧の薬を出してほしいと、、、、
よくよく話を聞くと
知り合いの人が
健診で1回150がでて
薬の投与が始まったということで
私も、、、、、
とにかく、(年齢もかみして)
1.今の血圧のコントロールとしては
家庭血圧を中心にコントロールすること
が第一条件。
健診や病院の測定では
少なくとも5、多ければ20~30
高い血圧が出る人が多いので先ず、
これを中心にコントロールすることが間違い。
家庭血圧でも朝2回夜2回の血圧を平均してみるのが
妥当。
2.本来血圧というのは、たったりすわったり、
興奮したり(いろんなことで
ぶちきれたらおそらく150は軽く超える)
結局変動が激しいのだ。
3.血圧は、結局は、動脈硬化を予防し
最終的には腎機能を維持したり、
心筋梗塞、脳梗塞、最終的には認知機能
を抑えるためにコントロールするのだが、
大体平均で120代から130代で
コントロールしなければ
それより高くても低くても
イベント発生率(脳梗塞や心筋梗塞など)
が高くなることが分かっている。
(低けりゃ低いほどいいわけではない!!)
4.血圧のコントロールは、とりあえず
高血圧は、最初に生活指導。
それでもだめなら、ゆっくり少しずつ
家庭血圧をみながら
下げてゆく。(急に落としたらこれまた
脳梗塞などが多りやすく、もともと
血圧が高い人の血圧を急におとすと
低血圧症状が出現することがおおい)
5.突発的な高い血圧を薬で抑えると
日常のほとんどの血圧が低血圧になってしまう。
(たまに高い血圧が出た時、その時だけ
頓服で薬を飲むことも推奨されていない)
以上が今の血圧のコントロールを
ガイドラインを中心にした
今のコントロールの仕方である。
そこまで説明しても
患者さんは、どうも納得していない様子。
大体、治療は、その人のリスク
(他に糖尿や高脂血症があるとか
生活が悪いとか)
仕事、年齢などいろいろ総合して
行うもの。
もし、知り合いの人に薬が出たとしたら、
常に高いか、リスクが多いか
薬を出した医者が不勉強か
(昔はそういう風に出していた時期もあった)
以後、その病院にずっときてほしかったか
いずれかであろう。
ここで黙って
薬をだせば
患者さんがふえるのだろうな~
(私は商売が下手!)
よく、血圧が高くなると。。。気分がわるい
等の話をされる人が多いのだが、
実は、高血圧自体あまり200近くならないと
症状がでないことが多く、
低血圧の方がよっぽど症状が現れやすく、
血圧が高い時は、
頭が痛かったり気分がわるくて
他の原因で、
血圧が高くなっている方が多い
よく患者さんが、
友達がこう言っていたとか
(友達はお医者さんですか?)
テレビがこう言っていたとか
(特にサプリなんかは宣伝ですよ)
医療番組で専門家がこういっていたとか
(番組の趣旨に合わせる様に
発言の切り取りが多くてこまっている
出演者がおおい)
ネットにそうかいていた
(ネットは嘘がおおいですよ
下手をすれば近所のおばさん程度ですよ)
薬局でそういっていた
(薬をかってもらいたいのです!)
毎日、一生懸命勉強して
40年も医者して
商売気のない
私の言葉の方を信じてよ~~~
と思うことがよくあるのです。。。。。。
今日は手抜きで
今日は、手抜きで春の新作を。。。
このくそ寒いのに
桜の花のデコレを病院の玄関に
飾っております。

ついでに絵も

殺風景な玄関もよくないと思って
性懲りもなくデコレをつくっておりますが、
大きな懸念が2つ。
1つは、皆がある程度
褒めてはくれるのですが、、、
迷惑じじいになっていないのか、、、、
むかしから、高齢のかんじゃさんが
その昔だったらタバコの箱で
鍋じきを作ったり
細いチューブで犬なんかの
アクセサリーを作ったり
リボンで金魚をつくったり
絵が好きな人は絵なんかを
持ってきてくれたのだが、
職員が褒めるので
(一般的に褒めるのだが、
作っている方は高齢なので
かなり真にうけて
どんどん作ってきて)
患者さんが作ってきてくれるものだから
捨てるわけにもいかず
拒否するわけにもいかず
もらった患者さんに
見える様にかざったり
身に着けたりして
余計に気を使って、
困ってしまう様な事がよくあった。
私のデコレも一応、手抜きをしながら
四季にあわせてなんとか
作ってきているのだが
なんとも同じ様になってきていないかが
心配。。。。。。
裏で、褒めたら
ずっと作ってくると
言われているのではないかという
心配。。。。。。
2つ目は
私、2年前に白内障の手術をうけたのだが、
白内障の手術をたくさん
やっている眼科さんは
それはもう、うちの様な
零細クリニックとちがって
羽振りがよく、
飾りも業者に頼んだような
立派な飾りが玄関においてあった。
それにくらべてなんと
みすぼらしいこと。。。。。。。
結構、忙しなか、夜な夜な
作っても1~2か月ほどかかるのだが、、、
職員には
止めた方がよくなったら
言うようにといっているのだが、、、
、、、、、、、
言えないだろうな、、、、、、、、
ってもう今年で65歳の
高齢者の仲間入をする
私は思っているわけであります。
高齢になるとボケることも必要??
私は掃除が苦手で、、、、
私は、掃除が苦手で
当院の診察室を見るとわかる様に
ごちゃごちゃしているのだ。
まるで私のがさつさを
表している様に。。。
何か月かに一回はきちんと
綺麗にするのだが、
持って数日。。。。
私が以前勤めていた病院の
医局の向側の
Dr.の机は
そうれはもうきちんとしていて
デスクの上には
ほとんど何もなく、
あっても
定規で測った様に
綺麗にキチンと本や書類を置いていた。
それに反して私の机の上は
いつも本とコピー類
が山盛り状態。
一度、それをみかねた
綺麗好きのナース2人がやってきて
掃除をすると言って、
私は、部屋を追い出されて
帰ってきたら
机の上の書類は
直角に置いてあるし、
本棚の本は、きちんと
大きさで区別して
並べているのであった。
私は本棚の本は
内容ごとに並べる人なので
どんなに掃除しても見た目は
でこぼこ
A4はA4,B5はB5
とは並べられないので
なんとも。。。。。
(本当はそういう風に並べたいのは
並べたいのだが。。)
私の心の中には
仕事部屋に対して理想が2つ同居している。
1つは、若いころあこがれた
アインシュタインのデスクや
作家の様にごちゃごちゃ
本や書類が
所せましと山積みにしてある仕事部屋
本の山の中にやっと机がある様な感じ。
そしてもう一つは
今でもよく再放送があっている
名探偵ポアロ(昔のやつ)
その主人公ポアロは綺麗好きで
部屋の中は棚から壁から
定規で測って並べた様に
キチンとしていて、
物という物が整理しており
引き出しの中まですべてを並べている。
ま、、ドラマはドラマで
無理なのであるが、
それでもこれで、
毎日、少しづつポアロを目指して
掃除するのだが
いかんせん、汚す方が上
物を使った後で
元の位置にもどすことがない。
たまに、大事なものを
”特別なところ“
に置いておくと
後でどこに置いたかわからなくなる
ことがしばしばある。
もしかしたら、
いろんなところに
いろんなものを
おいて
ごちゃごちゃにして
それで
仕事をした気分になって
安心しているのかも
しれない。。。。
今週は、久しぶりといっていいほどの
冬の天気と気温である。
讃岐山脈は雪景色で
なんともその
雪景色が私は好きなのである。
讃岐山脈は、
吉野川が流れる
中央構造線のおかげで
地層がギュッと押し縮じめられて
断層がだんだんに
露出した独特の地形で
険しい襞をもつ
堀の深い山並みである。
それが、なんとも独特な
綺麗な陰影をつける。
高松からは、北斜面を見る形に
なるから、私の小さいころは
冬になると少し寒い日は、
大川山から竜王山まで
真っ白な雪山で綺麗だった。
それが、今は、温暖化のおかげで
年に何回かしか見れない風景になってしまった。
その時期が今週なのである。
そんな極寒の空気が澄んだ中を
歩いてその風景を見るのが
なんとも好きなのである。
寒い日に外を歩き回るなぞと
バカと思われるかもしれないが、
何とも切り詰めた
澄んだ空気の中、
流れる雲間から零れ落ちる
陽光が
とても美しく
、、、、、いとおかし。
冬の風景といえば、
大学受験で見た、金沢の海岸の
地響きの様な音をたてる
豪快な冬の日本海の風景や
富山湾の神通川の河口でみた
日本海と夕日にかがやく
雪化粧の能登半島の風景が
40年以上たった今でも
目に焼き付いている。
雪国の人間にとっては
こんなに厄介なものは
ないののだろうが、、、、
南国の人間には、、、、、
それにしても
私のおじが金沢の大学
だったので、
冬の金沢がずっと雲がたれこめて
雪だったといっていた。
兼六園ではいまでも
雪のそなえで雪吊りを縄でしている
のだが、その金沢でさえ
雪に閉ざされることが少なくなっている。
今回の様な大雪が
だんだん、珍しくなって
以前より備えが甘くなっているのか
大雪がふると大混乱になっている
みたいな気がする。
なんだか温暖化というものが
身に染みて怖くなる。
それにしても
子供のころは
休校になるやら
雪で遊べるやらうれしかったが、
じじいは、毎日、毎日、
道路が凍結しないか
水道管が凍らないか
建物に不具合がおこらないか
心配ばかりしなけりゃ
いけなくなってしまった。
でもそのなかでも
少し、子供心が
よみがえることがあるのです。
ああ大阪、、、、
いつもこのブログをみて
いただいている方の中に
久米川病院の時からの患者さんで
丸亀から大阪に移住した方
がいるので
あいさつかたがた、、、、
大阪について私が
勝手に抱いている感情について。。。
私の子供の頃は
夜になるとラジオを聴きながら
すごしていたので、
その中心は、毎日放送や朝日放送の
大阪のラジオ局の番組が
多かったので、
関西弁にはなんの違和感もなかった。
ところが、予備校、大学で
九州に行くとどうも
九州の人間は、関西弁を嫌う
傾向があった。
当初は、私は、関西弁やその
イントネーションに何の
違和感もいだかなかった。
(予備校も大学も
関西出身の人間が少なからずいたので
その人達は、しゃべり方や
イントネーションを全然
変えなかった。。。。。。)
私自体は、両親が徳島の人間であった
こともあって、中途半端な
讃岐弁をしゃべり、
また、他の方言に対しても
何も違和感もなかったか、
あるいは、讃岐弁が
あまりにも田舎っぽかったからか
1年もすればすぐに
九州の言葉を喋る様になった。
(大学の友達が九州一円から
やってきているので
築後弁中心の博多弁やら
熊本弁やら筑豊弁やら
いろいろまじってはいたが、、、)
そうしたら、なんと不思議なことに
だんだん、関西弁に違和感を感じはじめ
最終的には讃岐弁さえ違和感を
感じ始めたのだ。
大学時代に関西にテニスの
試合で遠征にいったとき
かわいい子でも “うち、○○、、、”
なんてしゃべっているのを聞くと
引いてしまう感覚を覚えてしまった。
なぜだろう。。。。。。
そのうち、学会なんかで関西方面に
出かけると
どうも電車の中での
おばちゃんたちの
大きな声で日常会話が
行われていることに
嫌悪感さえ覚える様になったのだ。
電車のドアがあくと
出る前にどかどか人が
入ってくるは、、、、
なんとも、赤面するような
話題の会話が飛び交うわ
エスカレーターは
東京に逆らう様に
右に立つは、、、、
日本橋では
堂々と海賊版のDVDを売っているは
なんだかなーーーーと
思ってしまっていた。
ま、、なんか思い込みが
激しい様には思うが、
そんなこんなで
高松にかえってきたら
徐々にそんな感覚も薄れてきたのだが
なんと
自分の娘が大阪の大学に入るは
結婚して大阪にすむはで
今は、複雑な心境である。。。。
娘にはいわゆる
“おおさかのおばちゃん”
だけにはなってほしくないな~~
あれだけあこがれていたアメリカが、、、
こどもの頃
私、結構、ませがきで、
周りの皆が
仮面ライダーなんかを見ていた時に
私、“奥様は魔女”や
”かわいい魔女ジニー“や
ハリウッドの映画
なんかを見ていた。
それは裏を返せば
アメリカへのあこがれでも
あった。
中流一般家庭と思われる
生活での、広い庭、広いリビング。
広く洗練された、おもちゃにあふれる
子供部屋、
取り揃えられた、電化製品。
進んだ食生活
日本人にはとても似合わない
ファッション。
豊な品物にあふれた生活
広いガレージと
一家に1~2台の車のある生活。
それがすべてあこがれだった。
ディズニーに見る自然、
洗練された都会の雰囲気や
レジャー、遊園地。
どれもこれもが憧れだった。
その上に日本の技術や予算が
足元にも及ばない
宇宙開発という最先端の技術と
開拓精神。
しかも驚くべきことに
そんな中、ベトナム戦争を
戦っていたのだ。
なんと恐るべき国力だと
驚愕したものだ。
しかし、そのアメリカが
あえいでいる。
文化、生活、思想の最先端で
あったはずのアメリカが
過去のものになっている。
それを証明するかの様に
まるでヒトラーの様な大統領が
出現してしまった。
完全に過去の栄光に縋り付いている。
その周囲にはかつての
ロックフェラーのように
大富豪の実業家たちが
コバンザメの様にはりついている
ではないか。
まさしくこれは
アメリカの最後のあがきの様な気がする。
自慢ではないが、
私1980年ごろには21世紀は
中国の世紀になると予言していた。
そのとうりになってしまった。
かつて、
オランダ、ポルトガル、スペイン
そしてイギリスの様に
世界を一度支配して
過去の栄光におぼれ崩れ去った
様にアメリカもまた
その2の前になりそうな気がする。
今ここで言えることは
これだけ、中国、アメリカ、そしてロシア
の様な国がでそろうと
次に世界を支配する国はなく。
おそらく、もうすぐ世界には
抜きんでた国はなくなり
人類の没落が今世紀中ごろから
始まって22世紀はもうないかもしれない。
これが、今の私の予言である。
ま、少なくとも私は
22世紀まで生きていないけどね。。。。
冬の風景
私こう見えて
結構ロマンチスト、、、、、??
冬の風景が好きで、
一人でうろつくことが多い。
おそらく、風貌から
粗暴な人間と思われている
だろうな、、、と想像している
のだが、、、、
澄んだ空気、
特に夕日の街、
朝日の山並み、
青い空の高いところを
飛んでいる飛行機
澄んだ夜空を見るのが
一時の
雑然とした毎日、
ストレスばかりたまる仕事
を吹っ飛ばすのに
最適なのだ。
特、に冬は澄んだ空気が
風景をよりかき立たせる
が、時に、それを邪魔する
やつがいる。
警察の職質に
よく会うのだ。。。。
俺、そんなに怪しいか??
自分では不思議、、、、、
数年前は、朝一人であるいて
いたら、暗かったこともあって
職質にあったのだが、
今週は、夕方、まだ
明るいうちから職質にあったのだ。
完全な職質ではなかったのだが
ミニパトが
一筋離れたところの
右側を通ったと思ったら
次は2筋向こうの正面を
とおって、
気が付いたらやってきて。
“こんばんは~~”
あ、これ、いつもの職質だとおもって
いそいでいたので
“なに!!(少し怒って)”
と返事したら
今回は
若いお巡りさんで
やや
たじろいだのか
完全な職質ではなくて
結局黄色の反射する
布を持ってきて
“最近、交通事故が多いので”
“これつけて歩いてください”だと、
これ、いつもの手。。。。
まだ、明るいわい!!!
ちなみに、きていた
上着は、オレンジ色の
反射板より目立つやつ。
ってなわけで
もう家に4、5本、反射する
(肩から斜めにかける黄色いやつ)
があるのであった。
初めての職質は、
予備校のころ、
朝、暗いうちに歩いていたら
まえからライトをてらされて
“おはようございます”
気が付いたら
後ろに2人、、、、
それから受験で東京にいったとき
皇居の周りをあるいていたら
明らかに2人、
しばらく尾行された。
(おりゃ革マル派じゃないわい)
それから大学生の時
(その時は、軍服、ワークブーツ、
スポーツ刈り)
街をあるいていたら
職質。。。。
しかたないか。。。
医者になっても
病院の周囲で職質
“おりゃこの病院の医者じゃ!!”
って、、ブチ切れたことも。。。
なんでこんなに
怪しまれるのだろうか??
そんなに俺あやしい??
不適切にもほどがある。
最近は、あまりテレビを見ないし
特にドラマを見ることもないのだが、
“不適切にもほどがある”という
テレビが、昨年、年始にあって
安部サダヲと宮藤官九郎の
番組で少し興味があったのだが
全く、見れなくて
それが、
まとめて
年末に放送していたので
録画して年末年始に
いつもの様に
ほぼ倍速で見てみた。
主体は、昭和のおっさんが
現在にタイムスリップして
昭和の社会の理不尽さと
現在の社会の行き過ぎた風潮の
風刺をしたドラマなのだが、
安部サダヲ
の匠な演技と宮藤官九郎の
感性がよくあっていて
まあまあおもしろかった。
(大河ドラマはひどかったが)
昭和のおじさんには
共感するところが
あって、、、、、
昭和の私の発言は、
いたるところ
パワハラ、モラハラ、セクハラの嵐
色っぽい、男っぽい
女々しい、バカ、ブス、
あんぽんたん。
すべてアウト!
しゃべるのも息苦しい。
社会でも
薬屋さんに
〇〇病院に行くなら
これついでに持って行って
もアウト、
あれだけ年末にもらっていた
カレンダーは今はゼロ。
催促したら
アウト。
薬屋さんが
年賀状だすのもアウト。
なんか息苦しくない?
カレンダーやボールペン、タオル
ちょっとした事務用品、
あまり、私もすきではなかったが、
接待。
これ、すべてゼロになったおかげで
その周辺の経済さえ
まわらなくなって
しまった。。。。。
医学部では神様の様な存在だった
教授も、言葉をまちがえれば
パワハラになり
医局員が辞めるどころか
教授がやめさせられる
事例があとを絶たない。
どうしちまったんだろうね、
これでいいのかな、、、、
こういうことが
厳しくない国は
上昇して、厳しい国は
今、伸び悩んでいるのが現状。
こういう規則がらめにすると
日本人の性格上どうしても
キチンとしようとする。
その仇が、
今やってきている様な気がする。
日本はこれからどうなるのかな??
昭和のおじさんは、
息苦しいぞ!!
ありえない!!
29日は当院当番病院だったが、
なんと来院数が142人。
この人数が診療所にとって
どういう数字か、、、、、
今回は、感染症が
かなり増えていると予想し、
いままで、
インフルエンザのピークで
90人診察したことがあるが
それに近い人数を予想して
看護師1名
風邪以外を診る医師を1名
増員してかまえていたが、、、、
大体、事務が2人で、
当番の日は、新患がほとんどなので
保険書やマイナンバーカードを
確認しながらカルテを打ち込んで
その上で会計をするので
新患でなければ
カルテがあるので
10~12人は対処できるものの
新患では頑張っても10人は対処
できない。
その上で、電話の対応
(ほとんどひっきりなしに
かかってきた)
をすれば2人で10人も
カルテ処理できない。
また、最悪なのが、
今、インフルエンザ、コロナ、他の感染症
が入り混じっていて
院内で見ると
この患者さんたちが
混合感染をおこしてしまい、
院内で見ることができないので
自然、駐車場の車の
中で診ることになった。
介護施設から
駐車場の整理の
応援を読んで
(朝1人、昼2人)
電話の対応を
のべ5人、
会計を持ってゆく人間まで
よんで、それでも大変。
それでも普通朝ピークが終わり
昼から患者さんが
減少するのが普通なのだが、
高松や、丸亀の病院が
音を上げたため
昼からもさらに患者さんが
増加して、
もう病院は朝から晩までパニック状態。
職員を落ち着かせるのに
精一杯の状態。
全てが終了して
(診療は8時、
事務はその日にすべての処理が
終了せず翌日1日かかった)
自分がつけていた
万歩計を見ると
なんと3万8000歩
140人という数字
坂出では、
風邪の流行時に
市立病院が、内科、小児科、外科
合わせてそのぐらいの数字で
80人を超すと対応する職員の人数が
決まってゆくので
仕事量は
指数関数的に上がってゆく
おそらく大きな病院で例えるなら
当番で数百人見るような
状態に近い。
3分の2の人は大変さ
をわかってよく我慢して
まっていてくれたが
おらおらいわれる
職員も
もう、当番したくない!!!
。。といつも思うのです。。。